CSテレビで、巨人と阪神戦を観戦

2018年05月09日 18時42分42秒 | 日記・断片
相変わらず、阪神の打者は安易なまでに好球を見逃している。
相手のピッチャにとって攻めやすい結果となる。
球に貪欲に食らいつく気迫が欠けているのだ。
見送り3振ほど、ファンの気持ちを不愉快にすることはない。
野獣のように、投手に立ち向かってほしい。
好調な打者とは、勝負すべきではないのに、歩かせずに勝負をした1回の攻撃は納得できなかった。

風邪が悪化

2018年05月09日 18時23分22秒 | 日記・断片
雨と強風、寒気がしていた。
体温は38度を超えていた。
2日間は37度であったが、3日目に悪化した。
右側の鼻腔から鼻血が垂れてきたので焦る。
鼻血が止まらなくなったことを過去、何度も経験しているので不吉な兆候。
でも、鼻血は直ぐにとまる。
それを確認してから散歩へ行く。
BigAに西田さんがいた。
「ヤオコウへ行ってみたけど、鈴村さん来ていなかったね」
「この雨と風ですから、散歩を控えのでいょうね」
「そうだね」
猫のタマも居ない。
「家に閉じ込めてきた」
「ところで、タマがどこで見つけたのですか」と聞いてみた。
「井野団地にいた。抱いて連れいったけど、逃げ帰った」
何処かの人が我が家の庭に子猫を置いていたので、部屋に連れて行ったら、猫大嫌いな家人が「ああ、気持ち悪い、捨てて来て」と言うので、近くの空き地に置いてきた。
どうやら、その子猫が初代のタマのようだ。
猫は犬より飼いやすいし、愛情を注げる感じがする。
結局、好みの問題。

高校で通級指導始まる

2018年05月09日 13時39分26秒 | 社会・文化・政治・経済
教育の窓
高校で通級指導、社会性育成 試験導入 大阪府立柴島高
毎日新聞2018年3月26日
発達障害などの生徒が通常学級に在籍しながら特性に応じて別室で一部の授業を受ける「通級指導」が、4月の新年度から公立高校でも始まる。
導入から20年以上がたつ小中学校では指導を受ける児童・生徒が年々増え、高校でもその必要性が指摘されていた。ただ、指導方法はまだ手探りで、専門性の高い教員の確保も課題だ。【岡崎英遠】

高校での「通級指導」45都道府県で開始 文科省が調査
根岸拓朗
朝日 2018年4月6日16時02分
発達障害や弱視などの子が、通常の授業とは別の教室で障害の影響を和らげるために受ける「通級指導」の制度が今年度、高校でも始まる。
文部科学省によると、公立では45都道府県と5政令指定都市の計123カ所で教室が設けられる。
教員らにノウハウをどう広めるかなどが課題になる。
通級指導は1993年度に小中学校で制度化された。
普段は通常の授業を受けるものの、言語障害や学習障害、弱視や難聴などのある子どもが学びや人とのコミュニケーションなどに感じる困難を改善するため、別の教室で個別指導を受ける仕組みだ。
別の学校から通うケースもある。
高校は義務教育ではなく入試に合格した生徒が通うこともあり、通級指導は長く導入されなかった。
しかし、小中とも通級指導を受ける子どもは年々増え、中学では2017年度に約1万2千人と、93年度(約300人)の40倍になった。
高校でもニーズが高まっていることから、18年度からの制度開始が決まった。

もし自分に何かあった時

2018年05月09日 13時09分09秒 | 社会・文化・政治・経済
危機管理アドバイザ-国埼信江さん

「もし自分に何かあった時、自分のことを気にかけてくれる人が地域にどれくらいいらっしゃいますか?人数と顔を思い浮かべてください」
女性は具体的に名前が挙がりますが、男性の方はなかなか出てきません。
共助や地域の絆といっても、女性のネットが大きな力です。
共助の力が上がることは同時に、自助の力を押し上げていくことにつながります。

危機管理教育研究所代表危機管理アドバイザー
横浜市生まれ。
女性として、生活者の視点で防災・防犯・事故防止対策を提唱している。
地震調査研究推進本部政策委員会、防災科学技術委員会などの国や自治体の防災関連の委員を務め、現在は講演活動を中心にテレビや新聞などのメディアに情報提供を行っているほか、被災地での支援活動を、発生直後から継続して行っている。 主な著書に、
「決定版!巨大地震から子どもを守る50の方法」(ブロンズ新社)

俳句の誕生

2018年05月09日 11時00分55秒 | 社会・文化・政治・経済
もっとも基本的な問いが、もっとも本質的な問いである。
たとえば、<わたし>について考えようとするときはじめるのが、「わたしは誰か」という問いがあるように。
「俳句とは何か」。
俳句入門でまず教えられるのは、目の前にあるものを言葉で写しとり、いわゆる写生。
しかしやがて、それだけではロクな俳句ができないことに誰でも気づく。
さて、どうする。
「そこになにか決定的な見落としがあるのではないか」。
これが本書の出発点である。
「俳句ができるのは精神を集中させているときではなく、逆に集中に疲れてぽーっとするときである」という。
重要なのは集中ではなく遊心ではないか。
詩歌論としても実作論としても、これは見逃せないところだ。
遊心とは、ひととき自分を離れ、言葉におおわれたこの世界を離れて、はるか昔に失われた言葉以前の永遠の世界に遊ぶことである。
しかし一方で、そこから生まれたはずの詩歌もまた言葉によるほかないという矛盾に立ち向かわなけれなならない。
情報は言葉に整理しやすいが、心は言葉に整理しにくい。
それはわたしたちの命に宿る心が言葉以前の永遠の静寂を本能的に抱え込んでいるかもしれない。
つまり「俳句とは何か」といはじめの問いは、考える人の数だけあるにちがいない。

筑摩書房 俳句の誕生 / 長谷川 櫂 著

なぜ日本に俳句という短い詩が発生したのか。
言葉以前の心の思いをどう言葉にのせてきたのか。
芭蕉、子規、谷川俊太郎、大岡信、そして楸邨。俳句論の決定版.

心遊ばせ出合う永遠の静寂

批評2018/4/7付日本経済新聞 朝刊

革命者に必要なのは、現行の世界を否定し、歴史を書き換えることだ。
長谷川は冒頭から、俳句界が大事に掲げてきた「写生」を否定する。
写生は、近代俳句の祖と呼ばれる正岡子規が、絵画の理論を援用した方法論だ。デッサンするように、対象を見つめありのままを写せば、新しい俳句ができる、と。
対して長谷川は、写生は「対象への凝視、精神の集中を要求」するが、「逆に集中に疲れて、ぽーっとするとき」こそ俳句ができると述べ…