父親が胃がんの苦しみに耐えかねて、自宅の裏山の山林で農薬を飲んで自殺したことを知った時の浪江の心の衝撃。
このため心の奥底には、<自ら死を選ぶ人>への拘りがあった。
小説『足摺岬』の田宮寅彦も自殺であった。
田宮の小説の基本モティーフは、<人が人であることへの絶望感である>とされている。
でも、浪江にはそのような絶望感は知ることできない。
誰かに恋をしたいと思っていても、浪江にはそのような機会は訪れなかった。
仙台への一人旅で何かが起きることを期待していた。
そして、仙台から山形へ向かっていた。
電車は北仙台駅を過ぎるとすぐ旧奥州街道と交差し、以後、梅田川と並走しながら北山丘陵北斜面を走る。
浪江が乗った北山駅を過ぎると北山丘陵南斜面側に移り、国見丘陵南斜面を走って、梅田川流域から広瀬川流域にかわる。
丘陵地はマイホーム用の住宅地として開発されていた。
突然、電車は激しく警笛を鳴らした。
そして寸前に急ブレーキがかかったのだ。
浪江は電車の車窓に頭を密着させるにして、景色を眺めていたので身に激しい衝撃を受けた。
咄嗟に席の反対側をみるホームに学生たちの姿が見えた。
外はただならぬ雰囲気であった。
東北福祉大前駅ホームで、若い女性が電車に飛び込んだのだ。
「いったい、何があったんだ」
浪江が座る隣の席の中年男性が窓を引き上げて、線路を覗く。
そこには、女性の切断された細い足が転がっていた。
それは人間の足というより、マネキンの足のようにも見える真っ白い身体の一部であった。
浪江は声を失い、両手で目を覆った。
絶対に見たくはない<リアルな実体>を見てしまったのだ。
次の国見駅付近には大学、市立高校があり、このような場所で人身事故起きたことが実に皮肉なことであった。
「う~え!吐きそう」と言って男は窓を引き下ろす。
結局、浪江は電車がしばらくは動かなくなったので、山形行きを止めることになった。
------------------------------
あかりがにじむ 窓ごとに
いろんな顔した 愛がゆれる
誰もが時の 河をゆく
さみしくて ひたむきな旅人
都会の風は 気まぐれで
今にも別れが 来そうだけど
花が散っては 咲くように
このつぎの人生も 会いましょう
浪江は<好きな歌の世界に溶け込めたら>とせつなく思った。
-------------------------------
田宮寅彦
1988年1月に脳梗塞で倒れ日産玉川病院にて療養、右半身不随になり、同年4月9日午前9時15分頃、同居人である旧友の子息の不在中に東京都港区北青山2丁目のマンション11階ベランダから投身自殺を図る。
その後東京女子医科大学病院へ搬送されたが、午前10時前に死亡が確認された。
脳梗塞が再発し手がしびれて思い通りに執筆できなくなったため命を絶つとの遺書が残されていた。享年77。
--------------------------------
鉄道自殺は最悪
遺体の損壊も大きく変わる。
いずれも悲惨だが、体が車体に車両の下に入り込み、台車に巻き込まれ、轢断されてバラバラになれば悲惨である。
運転再開は遅れるし、自殺遺体を拾う鉄道マンは哀れである。
現場での処理が終わり、運転再開になれば、ようやく乗客たちは救われる。
多くの鉄道マンたちも胸をなでおろす瞬間だという。
なお、対応は続く。
人身事故の車両は、回送で検修現場に入り、異常がないか検査を受ける。
このとき、車両が汚れていれば清掃も行う。
凄惨な事故の場合、車両の床下機器が血に染まったり、肉片が残っていたりする。
それに目を背けず、壊れている機器がないかを確認し、汚れているところを洗い流すのが仕事だ。
人間の肉片を見てしまうと、しばらくの間、肉類は食べる気になれないだろう。
このため心の奥底には、<自ら死を選ぶ人>への拘りがあった。
小説『足摺岬』の田宮寅彦も自殺であった。
田宮の小説の基本モティーフは、<人が人であることへの絶望感である>とされている。
でも、浪江にはそのような絶望感は知ることできない。
誰かに恋をしたいと思っていても、浪江にはそのような機会は訪れなかった。
仙台への一人旅で何かが起きることを期待していた。
そして、仙台から山形へ向かっていた。
電車は北仙台駅を過ぎるとすぐ旧奥州街道と交差し、以後、梅田川と並走しながら北山丘陵北斜面を走る。
浪江が乗った北山駅を過ぎると北山丘陵南斜面側に移り、国見丘陵南斜面を走って、梅田川流域から広瀬川流域にかわる。
丘陵地はマイホーム用の住宅地として開発されていた。
突然、電車は激しく警笛を鳴らした。
そして寸前に急ブレーキがかかったのだ。
浪江は電車の車窓に頭を密着させるにして、景色を眺めていたので身に激しい衝撃を受けた。
咄嗟に席の反対側をみるホームに学生たちの姿が見えた。
外はただならぬ雰囲気であった。
東北福祉大前駅ホームで、若い女性が電車に飛び込んだのだ。
「いったい、何があったんだ」
浪江が座る隣の席の中年男性が窓を引き上げて、線路を覗く。
そこには、女性の切断された細い足が転がっていた。
それは人間の足というより、マネキンの足のようにも見える真っ白い身体の一部であった。
浪江は声を失い、両手で目を覆った。
絶対に見たくはない<リアルな実体>を見てしまったのだ。
次の国見駅付近には大学、市立高校があり、このような場所で人身事故起きたことが実に皮肉なことであった。
「う~え!吐きそう」と言って男は窓を引き下ろす。
結局、浪江は電車がしばらくは動かなくなったので、山形行きを止めることになった。
------------------------------
あかりがにじむ 窓ごとに
いろんな顔した 愛がゆれる
誰もが時の 河をゆく
さみしくて ひたむきな旅人
都会の風は 気まぐれで
今にも別れが 来そうだけど
花が散っては 咲くように
このつぎの人生も 会いましょう
浪江は<好きな歌の世界に溶け込めたら>とせつなく思った。
-------------------------------
田宮寅彦
1988年1月に脳梗塞で倒れ日産玉川病院にて療養、右半身不随になり、同年4月9日午前9時15分頃、同居人である旧友の子息の不在中に東京都港区北青山2丁目のマンション11階ベランダから投身自殺を図る。
その後東京女子医科大学病院へ搬送されたが、午前10時前に死亡が確認された。
脳梗塞が再発し手がしびれて思い通りに執筆できなくなったため命を絶つとの遺書が残されていた。享年77。
--------------------------------
鉄道自殺は最悪
遺体の損壊も大きく変わる。
いずれも悲惨だが、体が車体に車両の下に入り込み、台車に巻き込まれ、轢断されてバラバラになれば悲惨である。
運転再開は遅れるし、自殺遺体を拾う鉄道マンは哀れである。
現場での処理が終わり、運転再開になれば、ようやく乗客たちは救われる。
多くの鉄道マンたちも胸をなでおろす瞬間だという。
なお、対応は続く。
人身事故の車両は、回送で検修現場に入り、異常がないか検査を受ける。
このとき、車両が汚れていれば清掃も行う。
凄惨な事故の場合、車両の床下機器が血に染まったり、肉片が残っていたりする。
それに目を背けず、壊れている機器がないかを確認し、汚れているところを洗い流すのが仕事だ。
人間の肉片を見てしまうと、しばらくの間、肉類は食べる気になれないだろう。