日本はなぜ対米英蘭戦争に突入したのか、国策はいつ
どの段階で誤ったのか。
敗戦直後、戦争への道を自らの手で検証しようとした国家プロジェクトの全貌。
1945年11月、幣原喜重郎内閣が立ち上げた戦争調査会。
多数の戦犯逮捕、公文書焼却など
敗戦直後、戦争への道を自らの手で検証しようとした国家プロジェクトの全貌。
1945年11月、幣原喜重郎内閣が立ち上げた戦争調査会。
多数の戦犯逮捕、公文書焼却など困難をきわめるなかおこなわれた40回超の会議、インタビュー、そして資料収集。
近衛内閣がしっかりしていれば日中戦争が回避できたし、独ソ開戦までは日米間で
の戦争回避の可能性があったことが描かれていて、そうなれば300万人の犠牲は出さなかった。
日本はなぜ対米英蘭戦争に突入したのか、国策はいつどの段階で誤ったのか。太平洋戦争の敗戦後、東久邇宮内閣に続いて首相に就任した幣原喜重郎は、自らの内閣でこの解明を行うことが歴史的使命だと考えた。その情熱が閣議でも了承され、「敗戦の原因及実相調査の件」が具体的な形を取ることになる。
これが「大東亜戦争調査会」であった。長官には庶民金庫理事長の青木得三が就く。五つの部会、委員20人余で発足し、この戦争の原因究明に動き出す。この調査会の調査内容はこれまであまり知られていない。というのは調査を始めてほぼ1年、対日理事会で、英国、ソ連などから一部の部会のメンバーには軍事指導者が入っているではないか、との強硬な意見がでて、つまるところ解散になったからだ。
しかし、この間の議事録や証言録、収集した資料(全15巻)は残っている。著者は改めてこの記録を検証、分析することによって、歴史の教訓を現代に生かすべきだと主張する。第二部会の委員だった中村孝也・元東京帝大教授(日本史)の「山中に入って山を見ずで、今われわれは山の中にいるから、全貌(ぜんぼう)を見られない」と戦争に至る全体像の解明には時間が必要との言を引き、「当時から約七〇年を経た今こそ」これらの資料や記録を用いて太平洋戦争史を描くべきだと促す。
著者は資料を用いて、個々の史実を語りつつ、あの戦争では文官側の発想、智恵(ちえ)、それに識見はほとんど生かされなかったことを浮かびあがらせる。戦争の遠因は明治維新、いや日露戦争、第1次大戦……という論の広がりが参考になる。解説もわかりやすい。
調査は五カ年計画と考えていた青木は、解散後も民間でひとり意欲を燃やし、収集した記録、証言で『太平洋戦争前史』(全6巻)を著した。戦争調査会の資料に語らしめる歴史を、今注目する必要がある。
◇
いのうえ・としかず 56年生まれ。学習院大学長。専攻は日本政治外交史。著書『危機のなかの協調外交』など。
どの段階で誤ったのか。
敗戦直後、戦争への道を自らの手で検証しようとした国家プロジェクトの全貌。
1945年11月、幣原喜重郎内閣が立ち上げた戦争調査会。
多数の戦犯逮捕、公文書焼却など
敗戦直後、戦争への道を自らの手で検証しようとした国家プロジェクトの全貌。
1945年11月、幣原喜重郎内閣が立ち上げた戦争調査会。
多数の戦犯逮捕、公文書焼却など困難をきわめるなかおこなわれた40回超の会議、インタビュー、そして資料収集。
近衛内閣がしっかりしていれば日中戦争が回避できたし、独ソ開戦までは日米間で
の戦争回避の可能性があったことが描かれていて、そうなれば300万人の犠牲は出さなかった。
日本はなぜ対米英蘭戦争に突入したのか、国策はいつどの段階で誤ったのか。太平洋戦争の敗戦後、東久邇宮内閣に続いて首相に就任した幣原喜重郎は、自らの内閣でこの解明を行うことが歴史的使命だと考えた。その情熱が閣議でも了承され、「敗戦の原因及実相調査の件」が具体的な形を取ることになる。
これが「大東亜戦争調査会」であった。長官には庶民金庫理事長の青木得三が就く。五つの部会、委員20人余で発足し、この戦争の原因究明に動き出す。この調査会の調査内容はこれまであまり知られていない。というのは調査を始めてほぼ1年、対日理事会で、英国、ソ連などから一部の部会のメンバーには軍事指導者が入っているではないか、との強硬な意見がでて、つまるところ解散になったからだ。
しかし、この間の議事録や証言録、収集した資料(全15巻)は残っている。著者は改めてこの記録を検証、分析することによって、歴史の教訓を現代に生かすべきだと主張する。第二部会の委員だった中村孝也・元東京帝大教授(日本史)の「山中に入って山を見ずで、今われわれは山の中にいるから、全貌(ぜんぼう)を見られない」と戦争に至る全体像の解明には時間が必要との言を引き、「当時から約七〇年を経た今こそ」これらの資料や記録を用いて太平洋戦争史を描くべきだと促す。
著者は資料を用いて、個々の史実を語りつつ、あの戦争では文官側の発想、智恵(ちえ)、それに識見はほとんど生かされなかったことを浮かびあがらせる。戦争の遠因は明治維新、いや日露戦争、第1次大戦……という論の広がりが参考になる。解説もわかりやすい。
調査は五カ年計画と考えていた青木は、解散後も民間でひとり意欲を燃やし、収集した記録、証言で『太平洋戦争前史』(全6巻)を著した。戦争調査会の資料に語らしめる歴史を、今注目する必要がある。
◇
いのうえ・としかず 56年生まれ。学習院大学長。専攻は日本政治外交史。著書『危機のなかの協調外交』など。