風のメルヘン

2018年05月14日 21時50分18秒 | 創作欄
朝、眠りが足らなかったのに5時40分、6時にセットした目覚まし時計のベルの音が鳴る前に浪江は目が覚めた。
トイレに入り出る時に鼻の異変に気付き手をあてがうと、鮮血が滴り落ち便器が汚れた。
しかし、右の鼻腔から鼻血は直ぐに止まった。
パンとハムエッグの食事をしながらコーヒーを飲む。
歯磨きをしていたら、胸が詰まった感じになる。
咳込んで吐き出すと粘着性のある大きな塊である痰であった。
それを見て浪江は顔を青ざめた。
黒く変色した血痰だった。
高尾、府中方面からの通勤電車はいつもの混雑で新宿駅まで座れることはない。
浪江が勤める農協は10時から始業であるが、浪江は9時30分前に出勤し、いつものとおり掃除をして、みんなが出勤するのを迎えた。
湯も沸かし、お茶の準備もした。
原則、午後5時に終業であるが、みなさん電車が込む前の4時40分頃は、新宿駅ホームで電車を待っている。
滅多にないような気楽な職場である。
血痰が出たことで、浪江はホテルの裏のJR病院に行く予定であった。
だが、とんでもない問題が起こったのである。
いつもなら、浪江は自分で作った弁当を食べるところであったのに、この日は朝食を食べてから気分が一層、優れなくなった。
血の痰を見てしまったので、当然のように驚き、弁当を作る気分になれなくなる。
農協の職員はみなさん外食せず手弁当であった。
参事の荒井銀蔵だけは裏のホテルで昼食を食べていた。
「ああ~頭が痛い!この痛さは何だ!これまで、経験したことのない痛みだ。助けてくれ~、ああ、ああ」と寺田勝雄が絶叫する。
頭を仕事机にドンとぶつけながら前かがみに倒れ込む。
そして、何度も背中を波打つようさせ、食べた物を吐き出す。
みんなが茫然とする中、浪江は咄嗟に救急車を呼んだ。
5分ほどして事務所に新宿の消防署の救急隊が駆け付けたのだ。
救急隊によって病院に搬送された寺田勝雄は約1時間後、脳幹出血で死亡した。
「寺田君が死んだのか。余りにも突然だってな。彼がいくだっかな」
「42歳です」経理担当の小峰広子は告げる。
「そうか、男の厄年だな」と参事の荒井は、天井に向けパイプの煙を吐き出す。
寺田は42歳で39歳の妻と、まだ、11歳の息子と9歳の娘を残し、あの世へ行ってしまったのだ。
「人は呆気なく死ぬものなのね」峰子はつぶやく。
浪江は先輩の小峰広子が尻込みし、「わたしには、ムリ、お願い」と手を合わされので、寺田勝雄が仕事机一面に吐き出した胃の内容物を綺麗に清掃した。
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脳幹出血
急速に昏睡状態となり、四肢麻痺、縮瞳などが見られる。短期間で死に至り非常に予後が悪い。手術の無効性が確認されているため手術適応はない。
出血量が多いと電撃性卒中と言われ、発作と同時に死に至ることもある。

血痰(けったん)がでたら

2018年05月14日 20時08分25秒 | 医科・歯科・介護
太田西ノ内病院 呼吸器科

 たんに血がまじると、多くの方は深刻な心配をされるでしょう。昔は、血たんが出るとすぐに肺結核を考えたものでした。最近では、血たんというと肺がんを心配される方が増えました。しかし、それは医学部学生の口頭試問の答えと同じで、難しい病気、稀な病気から答え出すのと似ています。
 米国のある呼吸器の専門病院の統計では、血たんの原因は、40%が上気道炎(かぜと思えば良いでしょう)、40%が原因不明(精密検査をしても原因が分からず、結局治ってしまうのですから、これもかぜのようなものとして良いでしょう)で、残りの20%のなかにさまざまな病気が入ってくるのです。気管支炎や肺炎、気管支拡張症など比較的ポピュラーな病気や、耳鼻咽喉科の病気などを除けば、残りの数%のなかに、結核や肺がん、肺塞栓血栓症といった重大な病気があるわけです。
だから心配しなくてよいですよというのではありません。
はじめから深刻な病気を考えて心痛してはいけないということで、心配(心を配る)はするべきなのです。
 昔、肺結核をなさった方は、気管支が変形、拡張していることが多く、ちょっとした気管支炎などでも血たんをみることが稀ではありませんが、血たんを繰り返す場合には、すぐに呼吸器科を受診しましょう。
できれば、紙ではなくて、ガラスの容器などにたんをとって、医師にみせるとよいでしょう。その時に、はじめの色が鮮やかな赤色だったか、黒ずんでいたかなども覚えておきましょう。喀血(かっけつ)は血たんとは違って、気道から血を吐く訳ですが(鮮やかな赤色)、食道や胃から出るもの(吐血といい、黒ずんでいることが多い)と紛らわしいことがあります。
いずれにしても、実際に出た量よりも多く考えてしまうのが普通ですから、冷静に対処して、すぐに病院に行きましょう。

携帯電話「2年縛り」是正へ 

2018年05月14日 19時47分34秒 | 社会・文化・政治・経済
 総務省、行政指導の方針
生田大介
朝日新聞 2018年4月27日20時19分

総務省は27日、携帯電話の長期契約を促す「2年縛り」を巡り、5月に大手携帯電話各社に行政指導する方針を明らかにした。
同じく長期契約を促す「4年縛り」についても、途中解約した場合のデメリットなどを事前に説明するよう義務づける。

 「2年縛り」は、2年間の利用を前提にして月々の利用料を割り引く契約。2年間の途中で解約すると違約金がかかる仕組みだ。
2年間の契約期間満了後、2カ月間の「更新月」の間に解約しないと、自動的に契約が更新され、再び「2年縛り」となる場合が多い。

 総務省は、契約日から24カ月目に解約しても違約金がかかり、25カ月目に解約しても、日割りで料金の支払いができず、1カ月分の利用料がかかることを問題視。
2年分の利用料だけでは解約できない現状の是正を促すため、24カ月目に解約した場合は違約金がかからないようにするなどの対策を各社に求める。

 一方、「4年縛り」は指定された端末を48回払いで買い、25カ月目以降に機種変更すれば、残りの端末代金が免除される仕組み。
ただ、機種変更後も再び「4年縛り」を続けるなどの条件を満たさないと、残りの代金が免除されない。総務省は電気通信事業法の指針を6月にも改正し、契約の前にこうした点を客に説明するよう義務づける。(生田大介)

なぜ世界は存在しないのか

2018年05月14日 19時24分20秒 | 社会・文化・政治・経済
マルクス・ガブリエル著/清水一浩訳

新しい実在論

ポストモダン思想は強力だった。いや、過去形ではなく、現代もわれわれはその影響下にある。典型的なのは、絶対的な価値など存在しないという相対主義だろう。それが俗化すると、安倍政権への支持者も反対者もどっちもどっち、といった冷笑的態度になる。絶対的に正しいことなんてありはしない、と。

 だが、ほんとうにそれでいいのか? 漠然とした不安と反発を感じていたところに登場したのがマルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』だ。著者は1980年生まれの哲学者。2009年にボン大学教授となり、ドイツでは最年少の哲学正教授として話題になったという。

挑発的な問いを前にしたとき、何を思うでしょうか。
世界が存在するのは当たり前? でも、そのとき言われる「 世界」とは何を指しているのでしょう? 「構築主義」を標的に据えて展開される本書は、 ...

世界が存在することは自明だが、カント以来の近代哲学はこれを証明できない。カントは「物自体」の存在を前提しただけでその証明を放棄し、ヘーゲル以降は存在を「括弧に入れて」そのありようを論じるのが哲学の仕事になった。

なぜ世界は存在しないのか
世界が存在することは自明だが、カント以来の近代哲学はこれを証明できない。
カントは「物自体」の存在を前提しただけでその証明を放棄し、ヘーゲル以降は存在を「括弧に入れて」そのありようを論じるのが哲学の仕事になった。
それに対して「世界は存在する」と主張したのが唯物論だが、素朴実在論は認識論として成り立たない。
ヘーゲルの観念論を徹底するとニーチェのいうニヒリズムになり、超越的な存在を否定する「言語論的転回」が20世紀の哲学を支配した。
ポストモダンはその極限形態だが、この種の「新ニーチェ派」にはみんな飽きた。そこで出てきたのが、ポストモダン的な「相関主義」を否定して、世界は主観に依存しないで存在すると主張する新実在論である。

――と書くとむずかしそうな話にみえるが、本書はそれをやさしく解説して、欧米でベストセラーになった。「世界は存在しない」というのは奇妙な表現だが、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の冒頭の「世界は事の総体であって物の総体ではない」という定義による。

ウィトゲンシュタインは「事の総体」としての世界が一義的に存在すると想定したが、そういう世界は存在しない。なぜなら自動車や自転車などの物が一義的に存在しても、「自動車は自転車より大きい」とか「自動車は自転車より速い」といった事(命題)は無限に多義的なので、そのすべてを含む絶対的な世界は存在しないからだ。
「自然主義」はなぜ成功したのか
この点で本書の発想はメイヤスーとは逆だが、彼も世界は本質的には偶然であり、その一つの可能性が実現しただけだと考える。この意味では、どっちも世界を無限に多様な事の集合と考える廣松渉の「事的世界観」に近く、よくも悪くも大して斬新な思想ではない。

ただ新実在論が昔の素朴実在論と違うのは、ポストモダン的な多義性を突き詰めて、物理的な実在にも特権性を認めないことだ。カント哲学の目的はニュートン力学の正当化だったので、時間・空間などの先験的カテゴリーが存在すると想定したが、ガブリエルはこれを明示的に否定する。

たとえばシュレーディンガー方程式の反証はみつかっていないが、それが完全に検証されたわけでもない。私がアイスクリームを食って「うまい」と思う感覚を量子力学で説明することは、原理的には可能だが現実には不可能だ。それは感覚という「対象領域」が違うからだ。

ガブリエルは世界と区別して物の総体を「宇宙」と呼ぶが、同じ宇宙にも無限の領域を設定できるので、ハイデガーのいうすべての領域の領域としての世界は無限に存在する。つまり特権的な「世界」は存在しない。

だから問題は世界が存在するかどうかではなく、本質的には無限に多様な世界が、なぜこのように一様に見えるのかということだ。その原因をガブリエルは、宗教や倫理や美意識に求めるが、ここでも特権的な世界観は存在しない。だとすると物理的な世界がすべての人に共通に見えるのはなぜか?

絶対知なきヘーゲル主義
これについてのガブリエルの答は、彼のいう「自然主義」や「一元論」を批判するだけに終わっている。たしかに世界が一元的な法則で説明できるという自然主義も一つの信仰にすぎないが、それは技術的に実用化できるので、キリスト教と物理学は同格ではない。前者で飛行機を飛ばすことはできないが、後者はできるからだ。

逆にいうと、違いはそれしかないともいえる。工学的に応用できることが特権的な意味をもつわけではない。キリスト教でも人々が同じ神の存在を信じれば、外部に対してともに戦うことができる。人間のコントロールできる対象領域では、「奇蹟」は必要ない。

自然主義という宗教が成功したのは、人間のコントロールできない領域で成功したからだが、それはなぜかというのはむずかしい問題である。その理由は「世界が物理的に一様でなければ宇宙を見ている人間が存在しない」という人間原理しか考えられない。

本書はこの問題を避け、「科学もキリスト教も同格の宗教だ」と論じる。
違うのは、かつてキリスト教が占めていた地位を今では科学が占めていることだ――これはメイヤスーの否定する「相関主義」を徹底したもので、ガブリエルは逆にすべての感覚は実在するという。

これはヘーゲルがカントを批判した論理と同じだ。彼はカントの「物自体」は感覚的な認識から逆算したものだと批判し、存在するのは「現象」だけだと考えた。それでは無限の存在が許容されるので、その中から究極の絶対知としての神を導くのが弁証法というトリックだが、さすがにこれはもう古い。

このためガブリエルの新実在論は「絶対知なきヘーゲル主義」ともいうべき中途半端なものになり、最後は「人生はコメディだ」とか「無限の可能性に自由がある」といった腰砕けになってしまう。それはヘーゲルも遭遇したアポリアであり、永遠に解決できないのだろう。

サーキュラー・エコノミー

2018年05月14日 19時01分52秒 | 社会・文化・政治・経済
世界で注目の概念「サーキュラーエコノミー」とは? 経済を循環させる
生産と消費のあり方を根本的に変える史上最大の革命です。

世界で注目の概

サーキュラー・エコノミー(Circular Economy:CE)とは、再生し続ける経済環境を指す概念です。製品・部品・資源を最大限に活用し、それらの価値を目減りさせずに永続的に再生・再利用し続けるビジネスモデルも意味します。

世の中には、非常に多くの「無駄」が存在しています。
たとえば、資源の無駄、遊休資産、捨てられる素材、まだ使用できるにもかかわらず破棄されている製品などです。
企業はサーキュラー・エコノミーのビジネスモデルを導入することで、そうした無駄を活用し、利益を生み出すことが可能になります。

サーキュラー・エコノミーは、過去250年間続いてきた世界経済における生産と消費のあり方を今までに無いレベルで変革し、さまざまな機会をもたらす可能性を秘めています。
デジタルの進化を追い風に、サーキュラー・エコノミーは企業に優位性を築く大きなチャンスをもたらすでしょう。
実際にアクセンチュアの調査では、「無駄」を「富」に変え、持続可能な経済を実現することによって2030年をめどに4.5兆ドルの利益が生み出されることが明らかになっています。

この持続型の経済において新たな「富」を生み出すと期待されるのは、廃棄物としてのいわゆるゴミばかりではありません。
企業の会議室や自動車、日用品など、現状「働いていない」「使われていない」「空いている」資産や天然資源も含まれます。
「無駄」という考えを改め、あらゆるものに価値があることを認識することによって、持続型のサーキュラー・エコノミーを実現できます。

「無駄を富に変える:サーキュラー・エコノミーで競争優位性を確立する」

サーキュラー・エコノミーを抽象的な概念にとどまらせず、ビジネスの現場に適用して経済的な効果を上げるには、実用レベルのビジネスモデルに落とし込む必要があります。

そこでアクセンチュアは、革新的な方法で資源効率性を向上させている120社以上の企業を分析し、ビジネスモデルの5つの類型を特定しました。

再生型サプライ:繰り返し再生し続ける100%再生/リサイクルが可能な、あるいは生物分解が可能な原材料を用いる。

回収とリサイクル:これまで廃棄物と見なされてきたあらゆるものを、他の用途に活用することを前提とした生産/消費システムを構築する。

製品寿命の延長:製品を回収し保守と改良することで、寿命を延長し新たな価値を付与する。

シェアリング・プラットフォーム:Airbnb(エアビーアンドビー)やLyft(リフト)のようなビジネス・モデル
使用していない製品の貸し借り、共有、交換によって、より効率的な製品/サービスの利用を可能にする。

サービスとしての製品(Product as a Service): 製品/サービスを利用した分だけ支払うモデル。 どれだけの量を販売するかよりも、顧客への製品/サービスの提供がもたらす成果を重視する。•これまでに存在しない全く新たな顧客体験「自動運転」がデジタル技術によって実現しつつある。
•個人所有の自家用車の稼働率は6%前後と言われている。
•自動車の維持費削減とスポット利用をアプリ上でマッチングするサービスが続々登場
•「Anyca」、「Greenpot」、「CaFoRe」などのカーシェアリングサービス。米国では、「RelayRides」を利用してクルマをシェアしているユーザーは、平均250ドル/月を稼ぐ(エコノミスト誌)

•製品ライフサイクルを通して卓越した顧客エンゲージメント
•Parkmobile 社と提携し、駐車場のモバイル決済サービスも構築(BMW)
•排ガス規制、環境問題への対応による電気自動車、水素などの次世代燃への対応

サーキュラー・エコノミーの中には「シェア(共有)」という概念も含まれる。ある試算によると、サーキュラー・エコノミー市場は、2030年までに4.5兆ドルに達すると予測されている。

 さらに、環境に対する負荷は、60~85%は低減できるという。つまり、「利用されていない」「空き状態にある」資産を徹底的かつ、効果的に活用することで、4.5兆ドルの市場が誕生すると期待されているのだ。

風のメルヘン

2018年05月14日 14時50分36秒 | 創作欄
身心ともに健やかでありたい、と浪江は改め思った。
浪江は年に何度か風邪をひいたが、病院には行かず街の薬局の風邪薬で何とか切り抜けてきた。
「でも、今度の風邪は普通ではない。インフルエンザかも」と心配になってきた。
連休最後の日であり、地元の診療所は休みであった。
常備薬である風邪薬が効かず、38度の熱が37度3分に下がっていたが、食慾がなく、買い物へ行くのも億劫となる。
5月の深大寺公園へは、地元の桜上水駅から京王線で毎年、行っていた。
「今年も公園には多くの花が華麗に咲いているだろうな。深大寺ソバも食べたい」と想ってみたのに、まったく行き気持ちになれたい。
好きな本を読むことすら、面倒になる。
部屋の電気を消して、直ぐに布団にもぐってはみたが眠れない夜となる。
気持ちだけが高ぶり、何度も寝返りを繰り返す状態になる。
明日から仕事が始まる。
「眠らなければ」とつぶやく。
「このままではダメね。本を読みんがら眠ってしまうほかない」と決意する。
そして、下高井戸駅の近くの古本屋で以前買った「短編集」のことお思いだした。
何度が手にしていた。
31人の作家の短編が掲載されていた。
そして20人の作家のエッセイ。
坂口安吾の短編は掲載されていたが、太宰治の小説はなかった。
浪江は歴史小説にはあまり関心がなかったが、井上靖の歴史小説なならおもしろそうと、「佐治与九郎覚書」を読んでみた。
昭和32年の小説新潮5月号に掲載された作品。
浪江は引き込まれるように読んだ。
戦乱の世に生れた女性の翻弄されていく姿があった。
だが、ここに描かれている小督(おごう)という女性には、姉の茶々(淀川君)のような悲劇性はない、
ある意味で、強運の持ち主であった。
母のお市の方のような美貌の持ち主ではなかった。
「小督の神経質なところなど微塵もないおおどかな性格は好きだった」と作家は佐治与九郎の気持ちを記していた。
<おおどかな性格>
「おおらかな性格のことかしら」と浪江は想ってみた。
「私には少しない小督さんの性格は、人々から愛されただろう」想像してみた。
いかなる立場にあっても、自分は自分。
自分にやって来る運命に従順で、<いささなの不平や不満を持たない>ある意味で心が強いのである。
小督は人を疑わない性格であったという。
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知多半島の大野城主佐治与九郎一成は、当時安土城の秀吉の庇護のもとに成人した。
浅井長政の遺子3人の娘たち中、一番末の小督(おごう)と結婚したのは与九郎22歳、小督14歳。
二人の結婚は叔父にあたる織田信雄が仲に立っていた。
与九郎の母は織田信長の妹であり、小督の母も信長の妹であり、二人は従兄妹関係だった。
与九郎の父は信長に随い長島の役に出陣して討死にした。
しかし、小督が嫁いで3年目、長姉茶々は秀吉の側室に上がった。
その1年後、茶々の病気見舞い来るようにとの秀吉の命令が小督に来た。
秀吉と家康、織田信雄の聯合軍が小牧で闘った時、家康が三河へ引き上げる退路を秀吉は遮断。
家康は窮地に陥った。
この時、佐治与九郎が船を出し、その急場を救った。
当然、秀吉は与九郎のその時の措置に対して、いい感情は持っているはずはなった。
秀吉のもとへに送り届けられた小督は戻らず、戻ってきたのは待女だけだった。
与九郎の主である織田信雄は報復といて奥州へと国替えさせられ、与九郎も居城大野城を召し上げられる。
その後叔伯父織田信包(かつ)を頼った。
人々は妻と城を奪われた哀れな男として与九郎を見た。
与九郎が城を失って3年後、小督は羽柴秀勝と結婚。
秀勝は信長の四男で秀吉の養子。
秀勝26歳小督20歳。
与九郎は剃髪して巨哉となる。
小督の夫羽柴秀勝は朝鮮に出征し、戦死。
小督は秀吉の養女となり、家康の長子秀忠と結婚。
小督23歳、秀忠17歳。
小督が秀忠の間に一子を挙げたの秀吉が没して9年、家康は将軍職にあった。
小督という女が、次々に夫を替えて、最後は3代将軍の母となったのである。
なお、小督が与九郎の間に生んだ娘の一人の<おぬい>は生れながらに盲目であった。
その二人の娘<おわき><おぬい>の行方は知られたいない。
二人が住んで居た近くに<お脇坂>あり。