目次
プロローグ 2011年
第1章 被災地の出版社―2012年3月~
第2章 “声”を編む―2013年3月~
第3章 生きるための本の力―2013年9月~
第4章 底なしの日々―2014年3月~
第5章 記録を残し、記憶を継ぐ―2014年9月~
第6章 “被災”の未来―2015年3月~
エピローグ 2016年
著者等紹介
土方正志[ヒジカタマサシ]
1962年、北海道ニセコ町生まれ。東北学院大学卒。フリーライター/編集者を経て2000年から2004年にかけて『別冊東北学』(東北芸術工科大学東北文化研究センター/作品社)の編集を担当。
2005年、宮城県仙台市に有限会社荒蝦夷設立。雑誌『仙台学』『盛岡学』『遠野学』『震災学』や「叢書東北の声」シリーズ(既刊32冊)を刊行。著書に『ユージン・スミス―楽園へのあゆみ』(偕成社/産経児童出版文化賞)など。
荒蝦夷は震災後の出版活動により出版梓会新聞社学芸文化賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
震災編集者
材者から被災者寄りへ移行、誠実な編集者が綴った記録!
闘い続ける地方の小さな出版社㈲荒蝦夷の土方正志さんが、東日本大震災の起こった2011年から2015年までを辿り、エピローグとして2016年の年頭所感を添えた手記。
東京でフリー・ライターをしていた頃、阪神淡路大震災他、数々の被災地ルポを行っていて、取材者から被災者寄りに移行した視点にも着目。
災害時においてラジオが威力を発揮したのは事実だが、近い将来にワンセグ、多機能スマホ、無料アプリ、性能の優れた充電池や充電器が普及すればテレビに移行することは必至。
因みに、電力が落ちた後、各市区役所が充電無料サーヴィスを行ったことを補足しておく。
引き続き、「(ラジオから流れる政治家たちの声に)吐き気がこみ上げてきた」とあり、手厳しい。
トーマス・マンは「政治を軽蔑する者は、軽蔑すべき政治しか持てない」と書いたが、土方さんの主旨は政治家たちにおける被災地、被災者へ対する想像力の欠如だと思う。
政治家の質の低下が叫ばれて久しく、かつて国政にも関わり彼等の発言、演説に精通していた作家の野坂昭如は「これほど内容のない言葉が通用する世界は珍しい」と書いていたのだが、日に日に移り変わってゆく社会、加速度的に複雑になる世界を不変の論理で捉えることは困難だし、震災及び福島第一原発事故のおりには正確な情報が入ってこず、分析と判断が遅れたため苛立ちのあまりの暴言や奥歯に物が挟まったような言い方は、ある程度仕方が無かったのかもしれない。
しかし、だからこそ、不可視なものを直観し、被災地と被災者を慮る言葉が必要だったのであり、それは政治家に限らず目先の利のみ偏重してきた我々の責任でもある。
その根底にあるのは、情動に根差し、生きてゆくのに必要な基本的コンテンツを養い、育んでゆく物語性の力を蔑ろにしてきたことに起因するのではないか。
そして、それは、P58~本格的に繰り返し出て来る柳田國男の『遠野物語』と、現代における怪談への拘りと繋がってゆく。
土方さんは、大手出版社からの本書発刊の誘いをずっと断り続けていた以上に、怪談についても興味だけ煽る震災バブル出版物と同じく扱われるのを殊の外嫌がっているようで、慎重極まりない書き振りなのだが、もっと自信を持つべきだ。
創作も科学も自然と人工を結ぶ方法論たる道であり、歴史ある中国が『聊齋志異』(蒲松齢)のような長い伝承から培われた怪異譚を大切にしてきたみたいに、ありふれた常識では捉え切れないのが怪談であり、社会や世界はいつも西欧的コモンセンスを超えているからだ。
P79~、被災地の若い女性たちが、仕事を求めてAV業界へ流れ込んでいるという記述がある。
飢饉や冷害で娘を身売りするのは江戸時代から東北各地の農村の常であり、ここには書いていないが、『吉原まんだら 色街の女帝が駆け抜けた戦後』(清泉亮)に登場する高麗きちによれば、貧しい東北と江戸期からの色街を結ぶルートが確立されており、きちが実際に売れっ子遊女おさだの親元が住む小名浜(福島県いわき市小名浜地区)へ直接赴き、引き抜いたことも書かれてある。
勝手な憶測に過ぎないが、東北の女性は色白が少なくなく、「色の白さは七難隠す」と言われるように男性における性的衝動を誘発させるサインの一つであり、一家協力しないと暮らせない貧しさから両親や祖父母等の目上の者への従順度が高いからではないか。
因みに、僕は原発事故があった福島県双葉郡や南相馬市中心に取材を重ねていたのだが(鉱脈社発行『月刊情報タウンみやざき』東北を宮崎からも応援しよう!!)、小名浜には原発関連単身赴任者や原発の補助金で水準以上の生活を送る人々をターゲットにしたと思しき、人口の割には件数が多過ぎる一大ソープランド街とも言うべき通りがある。
土方さんが学んだ東北学院大学の後輩であり、学生時代から荒蝦夷に出入りしていた山川徹さんには、『それでも彼女は生きていく 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社)という著作があるのだそうで、是非読んでみたいと思った。
奇しくも、同大学付属の榴ヶ岡高校出身者には漫画家荒木飛呂彦、映画監督田代廣孝、そしてAV女優へのインタヴューを丁寧に綴った『AV女優』(文藝春秋)で一世を風靡した永沢光雄がいて(しかもこの三名は同期)、妙な因縁を感じてしまう。
余談になるが、仙台の歓楽街国分町は震災当日の夜も自家発電や蝋燭で営業する店が多かったそうで、帰宅手段を失った男女が灯りに群れる蛾のように集まり、一夜を過ごしたらしい。
その後も復興関連事業で来仙した人たちで一時的な好景気を迎え、そういった状況に逸早く目をつけたのが、『1日で1323語暗記受験英単語』や『いまからでもまにあう面白日本史』等、多くの著作を持ち、仙台四郎の仕掛人かつ国分町動画サイトを運営していた粟野邦夫さんだ。
粟野さんは“被災地の復興は国分町から”を合言葉として、某風俗嬢を取材中に云われもない暴行傷害罪で逮捕されたのだが、明らかに冤罪としか思えない。
某大手企業の出版事業部にいらした粟野さんは、こう言っては支障があるかもしれないが、体力も運動能力も並み以下であり、暴力を振るわれこそすれ暴力を振るうことなど考えられないような小柄でひ弱なオジサンなのだ。
P88~、ウニ、カニ、タコを食べたら髪の毛やら人体の欠片がという件、「それを食べるのも供養だべ」と語った海辺の住人の話は重い。
津波の直後は魚が沖へ逃げる習性を持つため磯釣りは釣果が望めないのが常識だが、実際、震災数日後から既に釣りをしていたマニアは結構いたし、数ヵ月後に相馬野馬追取材時の夜、某寿司店で地元名物天然鰻蒲焼を所望したら、「(原発)事故の影響だけではなく、化物みたいに大きく成り過ぎて誰も獲りたがらねえよ、あいつら(鰻のこと)何を喰っているんだか」と言われたことがある。
P106~、確かに世界中あちこちで頻発するテロル、銃社会アメリカに比べれば安寧、平和を享受している日本という錯覚に陥りがちだが、土方さんがおっしゃる以上に、自然災害という点においてこの国は世界有数の危険国であることは否めず、単に防潮堤造成などばかりではなく国や地方自治体が行う災害対策に我々はもっと神経質になるべきだ。
最後に、被災地以外の多くの方々に広く読んでもらいたいのだが、正直、読み進めるうちに当時を憶い出して胃が痛くなり、おそらくあの数年間を未だに自分の中で消化し切れていないのだろうと推し量られ、被災地の方々にはリアル過ぎてお薦めしにくい本であるかも知れず、★三つにしておきたいと思います。
出版社内容情報
「だからこそ、続けなければ」――社員2名のちいさな出版社が、東北の声を編み、〈被災〉の記憶を記録し発信し続けた5年間の軌跡。
【著者紹介】
1962年、北海道生まれ。東北学院大学卒。フリーライター、編集者を経て05年に荒蝦夷を設立。雑誌『仙台学』、『盛岡学』、『震災学』や、「叢書東北の声」シリーズ、伊坂幸太郎『仙台ぐらし』などを刊行。