警部が公用車で女性とラブホ、7人と「快楽求め」

2019年02月18日 22時47分14秒 | 社会・文化・政治・経済

公務中に警察車両で複数の女性とホテルに行き、不適切な交際をしたとして、滋賀県警監察官室は26日、県警本部に勤務する男性警部(50)を、減給100分の10(6カ月)の懲戒処分にした。警部は26日までに警部補への降格を申し出た。

 県警によると、警部は昨年2月末から今年6月の勤務時間中、出会い系サイトで知り合った女性7人と、県内や京都市のホテルに計7回行き、不適切な行為をした。移動には公用車を使い、女性も乗せていた。うち2、3人には約1万5千円ずつの現金を支払った。警部は妻帯者で、出会い系サイトを使った不倫を2014年に始め、十数人と交際していた。警部は「女性と出会うのが楽しくなり、快楽を求めてしまった」と話している、という。

 県警などの説明では、今年7月1日、警部の上司にあたる警視に部下から通報があったが、警視は監察官室に報告しなかった。このため、部下が同13日に同室に通報。女性とホテルに通っていたことが発覚した、という。県警は、監督責任を問い、上司の警視を本部長訓戒とした。

 県警は捜査情報の流出はないとしている。「交際していた女性を特定できず、接触していない。警部の供述などから判断した」(監察官室)という。

 警部は9月、自宅付近で京都新聞社の取材に対し「知らない。何も言うことはない」と答えていた。

【 2018年10月26日 京都新聞


未来を信じ続けること

2019年02月18日 22時40分17秒 | 社会・文化・政治・経済

「本当の勇気とは、見返りも称賛も求めずに、未来を信じ続けること」未来学者ヘンダーソン
ヘイゼル・ヘンダーソン(Hazel Henderson, 1933年 - )は、英国ブリストル生まれ、米国フロリダ州在住の未来学者、著述家、テレビ番組のプロデューサー。
30カ国以上の組織のコンサルタント。
マサチューセッツ州ウスター工科大学の名誉博士。カリフォルニア大学バークレー校・サンタバーバラ校の客員教授。
著書『WIN-WIN WOLRD』(日本語版『地球市民の条件』)によると、これからの時代は「勝ち・負け」のルールではなく、誰もが勝利する世界(win-win world)にするためという視座から経済活動を考えるべきであると考察している。
また、国の豊かさを測る指標としてGNP(国民総生産)の代わりに「将来性」を提唱している。


不戦がテーマ

2019年02月18日 22時25分42秒 | 社会・文化・政治・経済

Catch-22 ジョセフ・ヘラー

『キャッチ=22』(Catch-22)は、ジョセフ・ヘラーが1961年に発表した小説。
堂々巡りの状況での戦争を、混乱した時間軸のなか幻想ともユーモアともつかない独特の筆致で描いた戦記風の物語。
狂気の戦争、戦争の狂気を描いた作品として、しばしば『M★A★S★H』および『虚航船団』などと比される。
表題の「キャッチ」は陥穽、「22」は「軍規第22項」の意味。
1970年に映画化された。
舞台は第2次世界大戦中のイタリアの一小島ピアノーザ島。
アメリカ空軍爆撃隊に所属している主人公ヨッサリアンは、狂っている将校と狂っている同輩、そして自らの狂気におびえている。
ひたすらに死を恐れ上官の暗殺をくわだてるパイロット、ただ他者の足を引っ張ることしか考えていない将軍、卵を7セントで仕入れて5セントで販売する食堂担当者、墜落した飛行機の搭乗名簿にのっていたばかりに死人として扱われる軍医、などに囲まれる主人公は、一刻も早い除隊を求め、日々ドイツ軍陣地に爆撃を繰り返すものの、除隊に要求される爆撃回数は到達のたびに増えていく…。
言葉としてのキャッチ=22
発表以降、本作のタイトルは英語で「ジレンマ」、「どうあがいても身動きの取れない(状況)」を指すスラングとして定着した。
これは、本小説全体のムードと併せ、特に小説中の軍規22項の運用(例えば、狂気に陥ったものは自ら請願すれば除隊できる。
ただし、自分の狂気を意識できる程度ではまだ狂っているとは認められない、としたもの)から来ている。


相手を尊重することが「傾聴」の基本

2019年02月18日 22時12分34秒 | 社会・文化・政治・経済

良い人間関係を築く基本である「傾聴」。
話を聴くポイント
どんな話でも、一度、受け止める。
共感した上で、相手を褒める。
上手なあいづちは、繰り返す。短く要約。
人間は「自分」が一番大切な生き物。
自分が主導して、思い通りにしたと考えるのは当然だ。
しかし、傾聴の基本は、目の前にいるその人も、自分と同じように、かけがえのない存在であると思い、尊重することだ。
誰かと会話する中で、自分とは価値観の違う話が出てきた時に「それは違うよ」と言いたくなる。
傾聴では、どんな話であったとしても、否定や反論はしません。
「なるほどね。あなたなそう考えるのね」と、一度受けとめる。
これを「受容」と言う。
受容の後に大切なことは「共感」。
相手を尊重することが「傾聴」の基本。
否定せず、話し手の感情に寄り添う。
思うに、認知症の人への対応に傾聴は不可欠だろう。


友人の奥さんに再会

2019年02月18日 17時43分20秒 | 日記・断片

取手の井野天満宮へ久しぶりに行ってみた。
まだ、梅はほとんど咲いていない。
わずか1本の木の白梅の他、寒紅梅のみが開花。
促進住宅の3号棟と4号棟の間の道へ。
子どもが二人、砂場に居た。
当方の息子たちのころは、皆さん2人、3人も子ども居た。
一人っ子の世帯は数えるほど。
団塊の世代の夫婦が大半であった。
取手小学校、井野小学校、吉田小学校、小文間小学校。
現在は、2校に。
知人の菅野さんの家の前で声を掛けられた。
相手はマスクをして、車椅子。
亡き友人の奥さんだった。
3人の中の男性が「しばらく」と言う。
記憶にない。
その人のお母さんの記憶があったが、ほとんど自治会に関わっていなかったので、その人が名前を名乗るまで、どこの誰かと想っていた。
当方は自治会長などを経験。
その人を知らないはずだ。
自治会の会合には、常にお母さんが出ていたそうだ。
その人の息子と当方の息子は親しかった。
「息子さんは?」
「31歳の時に死んだんだ」
奥さんとも離婚していて、今は一人。
当方が、居酒屋やスナックで飲んでいたことを知っていた。
「遠慮して、声をかえなかっただ」と言う。


茨城女子大生殺人 被害者が書き残した“死にたい”

2019年02月18日 14時12分18秒 | 社会・文化・政治・経済

廣瀬容疑者との間の“金銭トラブル”
2/18(月) 8:00配信 デイリー新潮
茨城女子大生殺人 被害者が書き残した“死にたい”と廣瀬容疑者との間の“金銭トラブル”
廣瀬晃一容疑者
 顔写真を見るかぎり、接点など到底ありそうにない2人の男女が、あるところで交わった結果、悲劇が起きてしまった。しかも、初対面の男女の間に、30万円とaもいわれる金銭トラブルが存在して――。そこには新聞もテレビも報じない深い闇が顔を覗かせていた。


武蔵野をよむ

2019年02月18日 12時24分03秒 | 社会・文化・政治・経済
 

商品の説明

内容紹介

国木田独歩「武蔵野」。26歳の青年が失恋の果てに綴った、120年前にして斬新なこの短篇には、近代日本のなりたちの風景が濃密に織り込まれていた。舞台は、〈恋愛〉や〈散歩〉が新鮮だった時代の、都市と農村がせめぎあう郊外。独歩の日記、古地図、植生や水利等の資料を駆使した、冒険的な探究。精読の先に浮かびあがる、現代への問い。

内容(「BOOK」データベースより)

国木田独歩「武蔵野」。二六歳の青年が失恋の果てに綴り、一二〇年前に発表されたこの短篇(岩波文庫でわずか二八頁)は、当時にして新たな近代の感性に満ち、今にして豊穣で尽きせぬ発見がある。独歩の日記、古地図、植生や水利等の資料を駆使した、冒険的かつ愉楽的な精読。その先に武蔵野学のはじまりを予感しながら―

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

赤坂/憲雄
1953年、東京都生まれ。東京大学文学部卒。学習院大学教授・福島県立博物館館長。東北学を提唱し、1999年に雑誌『東北学』を創刊。2007年『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)でドゥマゴ文学賞・芸術選奨受賞(本データはこの書籍



静寂と沈黙の歴史

2019年02月18日 11時14分54秒 | 医科・歯科・介護
 

人間の感性の軌跡をたどる
個室への欲求は19世紀になってから。
個室は、自分だけの空間、秘密の殻、静寂の場である。
さらに、沈黙の場でもあろうか。
「横暴な人間の顔は消え、私はもう自分に苦しむほか苦しまない。(・・・)誰にも満足せず、時分にも満足せず、静寂と夜の孤独のうちで、私は立ち直り、少しはうぬぼれてみたい」ボードレール
「音は静寂とほとんど同じである」「静寂のみ聞くに値する」森の生活の思想家ソロー
「砂漠には整然とした家のような深い静寂が君臨する」サン・テグジュペリ
原題にあるフランス語のシランス(silence)には、音やざわめきのない「静寂」と言葉や声のない「沈黙」という二つの意味がある。
「感性の歴史」研究者として名高い著者は、一見すれば何の痕跡もない「静寂」「沈黙」の歴史について探求する。
作家や思想家からの引用をたっぷりと盛り込みながらの試みになる。
なによりも、静寂は音の不在だと思われているが、これは誤りだという。
人は愛し合うとき、言葉や仕草よりも、ともに経験した静けさがものいう。
沈黙もなた声の消失ではなく、魂の言語なのだから。
そこには人間の経験としての歴史の軌跡をたどる余地が残っている。
沈黙の探求は多種多様であり、聖なる領域にも浸透し、瞑想や祈りに伴っている。
騒々しさは粗野と見なされた。
思考は沈黙のなかこそ働くのであり、言葉は思考を中断し窒息させる。
平凡な日常生活のなかでは、沈黙はしばしば怖れられ、沈黙のない場所が好まれることになる。

商品の説明

内容紹介

現代社会で失われつつある静寂と沈黙の豊かさを再発見する
音の不在である静寂や、言葉が発せられないという意味での沈黙は、痕跡として残らず、文書に記録されることも少ない。

歴史家にとって把握するのが困難な対象だったこれらの近代ヨーロッパにおける布置を、“感性の歴史家"アラン・コルバンが描き出す。
カラー口絵8頁

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日本の読者へ

前奏曲
静寂の変容
静寂の歴史をたどる方法とその意義

第1章―場所がそなえる静寂と安らぎ
静寂がひびく場所
家の静寂
寝室の静けさ
静けさと親密さ
音の描写と静寂
調度品および生物の静寂
モニュメントの静寂

第2章―自然の静寂
自然界の音と静寂
夜と静寂
砂漠の静寂
山と雪の静寂
海と森の静寂
田舎の静寂
街の静寂
遺跡の静寂

第3章―沈黙の探求
十六世紀における瞑想と沈黙
神秘家たち
十七世紀、ボシュエの説教
ランセの教え、ヴァニタス、労働と瞑想
隠遁者フーコー
正教における沈黙、文学にみる沈黙

第4章―沈黙の学習と規律
沈黙の訓練
礼拝による訓練
学校および軍隊における訓練
礼儀作法が求める沈黙
沈黙と権力
都市の騒音の規制
二十世紀へ

第5章―間奏曲――ヨセフとナザレあるいは絶対の沈黙

第6章―沈黙の言葉
沈黙は言葉である
神の言葉
芸術と沈黙の言葉
瞑想のための絵画
十七世紀以降の沈黙の絵画
二十世紀絵画と沈黙
文字と沈黙
映画と沈黙

第7章―沈黙という戦略
社交における沈黙の役割
宮廷で守るべき沈黙
会話における戦術
ディヌアール『沈黙の技法』
十九世紀における社交の沈黙
農民の沈黙

第8章―愛の沈黙から憎悪の沈黙へ
愛の養分としての機能
十六世紀から二十世紀におよぶ愛の沈黙
肉体の快楽における沈黙
憎悪の沈黙へ

第9章―後奏曲――沈黙の悲惨
神の沈黙
ヴィニーとユゴーの場合
十九世紀および二十世紀文学における神の沈黙への疑い
沈黙の悲劇
死の静寂


原注
訳者解説

出版社からのコメント

現代のフランスで、静寂はたんに騒音がないということではなく、ひとつの贅沢と見なされている。若い世代にとって、静寂は苦痛と感じられているようだが、それは彼らが静寂とはどういうものか教えられなかったからである。瞑想の文化がある日本では、事情が異なるだろうと私は思っていたが、日本の友人たちによればそうではないことが分かった。電子機器の先進国である日本でも、静寂を実践し、その恩恵を味わう習慣が失われつつあるようだ。
本書には読者を驚かすようなページがあるかもしれない。たとえば修道院に関する部分で、そこでは昔も、そして現在でも絶対的な静寂が守られている。このような遠い過去の、そして異国の慣習を前にして感じる驚きは、日本の読者をおそらくひとつの問いかけへと導いてくれるだろう。静寂がきわめて豊かなものだという強い確信は何に由来するのか、という問いかけである。
(「日本の読者へ」より)

著者について

【著者紹介】
アラン・コルバン(Alain Corbin)
1936年フランス・オルヌ県生。カーン大学卒業後、歴史の教授資格取得(1959年)。リモージュのリセで教えた後、トゥールのフランソワ・ラブレー大学教授として現代史を担当(1972-1986)。1987年よりパリ第1大学(パンテオン=ソルボンヌ)教授として、モーリス・アギュロンの跡を継いで19世紀史の講座を担当。現在は同大学名誉教授。
“感性の歴史家"としてフランスのみならず西欧世界の中で知られており、近年は『身体の歴史』(全3巻、2010年)や『男らしさの歴史』(全3巻、2016-17年)の監修者も務め、多くの後続世代の歴史学者たちをまとめる存在としても活躍している。
著書に『娼婦』(1991年、新版2010年)『においの歴史』(1990年)『浜辺の誕生』(1992年)『時間・欲望・恐怖』(1993年)『人喰いの村』(1997年)『音の風景』(1997年)『記録を残さなかった男の歴史』(1999年)『レジャーの誕生』(2000年、新版2010年)『感性の歴史家アラン・コルバン』(2001年)『風景と人間』(2002年)『空と海』(2007年)『快楽の歴史』(2011年)『英雄はいかに作られてきたか』(2014年)『知識欲の誕生』(2014年)『処女崇拝の系譜』(2018年)など。監修した『身体の歴史』(全3巻)のうち『II 19世紀 フランス革命から第1次世界大戦まで』を、同じく『男らしさの歴史』(全3巻)のうち『II 男らしさの勝利 19世紀』を編集(刊行年は邦訳、いずれも藤原書店)。『木陰の歴史』『情動の歴史』(全3巻、II巻を編集)『雨、太陽、そして風』(編著)が翻訳進行中。

【訳者紹介】
小倉孝誠(おぐら・こうせい)
1956年青森県生。1987年、パリ第4大学文学博士。慶應義塾大学文学部教授。近代フランスの文学と文化史。著書に『犯罪者の自伝を読む』(平凡社新書、2010年)、『愛の情景』(中央公論新社、2011年)、『革命と反動の図像学』(白水社、2014年)、『写真家ナダール』(中央公論新社、2016年)など。また訳書にコルバン『音の風景』(藤原書店、1997年)、フローベール『紋切型辞典』(岩波文庫、2000年)など。

中川真知子(なかがわ・まちこ)
1982年東京都生。慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学。2014年パリ第3大学博士。慶應義塾大学経済学部専任講師。20世紀フランス文学・思想。訳書に『日仏翻訳交流の過去と未来』(部分訳、大修館書店、2014年)、マルク・オジェ『非‐場所――スーパーモダニティの人類学に向けて』(水声社、2017年)などがある。

 


幸福の一手

2019年02月18日 06時42分17秒 | 医科・歯科・介護
 
 いつもよろこびはすぐそばに

脱・呪縛 (世界をカエル)

2019年02月18日 06時26分35秒 | 社会・文化・政治・経済
 
鎌田實 (著), こやま こいこ (イラスト)

商品の説明

内容紹介

医師・作家である鎌田實が、患者に向き合う中で、また、チェルノブイリやイラクなど、待ったなしの命うごめく現場で、生身で感じ得た「生きる意味」を、そのために必須の「呪縛から脱する力」を、十代に向けて熱く真摯に語る。

人と違うことはマイナスではない。
「おもしろいことを探す感性が大事」
「自分のためにだけに生きないほうがいい」
「がんばり続けなくていい」
・・・そんなメッセージを10代の子どもたちに伝えるとともに、もっと自由に生き方を切り開いていってもらいたいと思ったのだ。
だれもがもっと自由に生きることができる。
それぞれの違いを認めあえるようになれば、この国は、もっと元気であたたかく、生きやすい国になっていくだろう。

出版社からのコメント

人生は、生まれた場所、育った環境、出会った人など、自ら選びようのないことにも影響される。

人間は呪縛から逃れられない生き物か?

医師・作家として、現役で命の現場を見つめ続ける鎌田實が、ようやくできたかさぶたも無意識に剥がしてしまうような、ヒリヒリした季節にいる中高生に向けて、いかに、生きづらさを生む呪縛から自分を自由にしていくか、を語った熱いメッセージ。

読後森林浴をしたような軽さを感じることだろう。

内容(「BOOK」データベースより)

その呪いは、だれのもの?だれかのせい?なにかのせい?自分のせい?呪いをかけられたまま、呪いをかけたまま、時は過ぎていく?この本は、そこらじゅうに転がっている呪縛から卒業するための、君の保健室。24時間オープンしています。

著者について

●鎌田實 1948年6月28日東京都生まれ。

東京医科歯科大学医学部卒業後、諏訪中央病院へ赴任。30代で院長となり、病院を再 生させた。「地域包括ケア」の先駆けを作り、長野県を長寿で医療費の安い地域へと導く。

現在、諏訪中央病院名誉院長、地域包括ケア研究所所長。

一方、チェルノブイリ原発事故後、ベラルーシの放射能汚染地帯へ100回を超える医師団を派遣し、約14億円の医薬品を支援。またイラクの4つの小児病院へ4億円を超える医療支援を実施、難民キャンプでの診察を続けている。国内では東北ほか全国各地の被災地に足を運び、多方面で精力的に活動中。 著書に『がんばらない』『雪とパイナップル』『ほうれんそうは ないています』など多数ある。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

鎌田/實
1948年6月28日東京都生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、諏訪中央病院へ赴任。30代で院長となり、病院を再生させた。「地域包括ケア」の先駆けを作り、長野県を長寿で医療費の安い地域へと導く。現在、諏訪中央病院名誉院長、地域包括ケア研究所所長。一方、チェルノブイリ原発事故後、ベラルーシの放射能汚染地帯へ100回を超える医師団を派遣し、約14億円の医薬品を支援。またイラクの4つの小児病院へ4億円を超える医療支援を実施、難民キャンプでの診察を続けている。国内では東北ほか全国各地の被災地に足を運び、多方面で精力的に活動中

こやま/こいこ
京都府生まれ。漫画家。夫と娘2人の4人家族。保育雑誌、児童書などのイラストも手がける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



 「クルーズ船で入国し失踪」外国人

2019年02月18日 06時07分26秒 | 社会・文化・政治・経済

 初の年間100人超 九州で全体7割

2/17(日) 毎日新聞

 昨年クルーズ船で入国し失踪した外国人が106人に上り、年間の失踪者数が初めて100人を超えたことが、法務省入国管理局への取材で判明した。

ビザ免除などでクルーズ船による訪日客が急増し、中でも中国から近く寄港回数も多い九州での失踪者が2017年は全体の約7割を占めた。大半は不法就労目的とみられ、就労先をあっせんするブローカーの存在も指摘されており、入管当局が警戒している。【宮原健太、浅野翔太郎】


 長崎港で17年の暮れ、中国人の50代の女がツアー客としてクルーズ船から下り立った。だが、女の目的は埼玉に不法滞在している息子に会うことで、中国人の仲介者とソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で連絡を取り入国した。クルーズ船を利用したのは仲介者からの指示だった。

 女は入国後、指示通り長崎市の平和公園で中国人留学生の男と落ち合った。男の運転で福岡に着くと新幹線のチケットを手渡され埼玉へ。帰国の資金などを稼ぐため息子と工場で働いたが、劣悪な環境に耐えられず東京入管に駆け込み、不法就労が発覚。長崎県警が昨年6~7月、女と留学生の男を入管法違反容疑で逮捕した。

 長崎県警は男が失踪を手助けした別の中国人の男女7人も逮捕したが、いずれもクルーズ船で入国していた。県警は背後に就労先をあっせんするブローカーや手配師が存在するとみて調べている。

 18年にクルーズ船で入国した外国人は約244万人で、14年の約41万人から6倍になった。ビザ免除など入国審査を簡略化した「船舶観光上陸許可制度」を15年に導入したことで、クルーズ船での日本旅行がしやすくなったことが大きい。一方で、上陸後の失踪者も急増し、15年の21人から18年は前年比27人増の106人に。寄港回数も多い九州で目立ち、15~17年に計29人だった長崎県では18年だけで20人を超えた。

 「中国のインターネットなどでは『クルーズ船は逃げやすい』という誤った情報が出回っている」。入管関係者は「クルーズ船の利用者数の規模からすれば失踪者は決して多くない」と強調したうえで、そう打ち明ける。

 当然、入管当局も警戒を強め、クルーズ船の運営会社に乗客の資産状況をあらかじめ確認させるなど対策を求めている。運営会社に乗船名簿を提出してもらったうえで入管担当官が乗客全員の過去の渡航歴などを確認し、不審点があれば入国を認めないなどの対応も取る。昨年7月には、失踪者が相次いだクルーズ船1隻について船舶観光上陸許可制度の指定を更新しない初めての措置を取った。

 外国人労働者問題に詳しい福島大の坂本恵教授(行政政策学)は「不法滞在をもくろむ外国人に狙われないよう、審査が厳格に行われていることをアピールすべきだ。それでも失踪者が減らないようなら入国の条件を考える必要がある」と指摘する。

 ◇船舶観光上陸許可制度

 訪日外国人の増加を目的に入管法を改正し導入。指定されたクルーズ船で入国した場合、同じ船で出国することや入国時の指紋提供を条件に、ビザ取得や入国時の顔写真撮影が免除される。入国審査は専用の機械に指紋をかざすだけで済むため、1隻当たり平均2時間半だった審査時間は60分以上も短縮された。日本に寄港するほぼすべてのクルーズ船が指定されている。

 

ビザなし制度悪用

2018/10/19 日本経済新聞

ビザなしで入国できる制度を悪用し、クルーズ船で入国した外国人が失踪するケースが相次いでいる。制度が導入された2015年から18年6月末までの失踪者は計171人にのぼり、密航を手引きするブローカーの存在も浮かぶ。警察当局は「不法就労の温床になりかねない」として警戒を強めている。

「人数が合わない。2人はどこに消えたんだ」。17年4月、中国・上海から博多港に到着したクルーズ船の乗客の中から中国人の男女2人が姿を消した。2人は数十人の中国人客とともに大型バスで福岡市内を観光。太宰府天満宮で解散した後、集合時間までに戻らず、旅行会社が福岡県警に通報した。

捜査関係者によると、2人は逃亡の手助け役を務める女と合流。車でJR博多駅まで送ってもらい、新幹線で東京に向かった。その後、茨城県内の駅にたどり着き、別の中国籍の女と落ち合ったことが分かっているが、その後の足取りはつかめていない。

茨城、福岡両県警は同年7月、女2人を入管難民法違反(船舶観光上陸許可を受けた外国人の逃亡)のほう助や同法違反(集団密航者の収受・輸送)などの疑いで逮捕したが、2人の行方については「知らない」と口をつぐんだままだ。

失踪した2人が入国時に利用したのが、国が15年1月に導入した「船舶観光上陸許可制度」。クルーズ船を利用する訪日客の入国審査手続きを短縮する新たな仕組みだ。クルーズ船による訪日客の増加を受け、審査を短縮し利便性を高める狙いがある。訪日客は同じ船で出国することや指紋提出を条件に、ビザや顔写真撮影なしで入国を認められる。最長30日まで滞在可能だ。

法務省入国在留課によると、同制度を利用して入国した訪日客は15年は約107万人、16年は約193万人、17年は約244万人。同制度により、大幅に入国審査時間は短縮されたという。

一方で、船に戻らず失踪し不法残留となるケースも増加。
15年21人、16年36人、17年79人と増え続け、18年も6月末時点で35人が行方が分からないという。

失踪は中国の港と九州地方の港を結ぶ航路で目立つ。ある捜査関係者は「密航を手引きするブローカー組織が暗躍している可能性があるが、実態をつかみ切れていない」と打ち明ける。

こうした事態を受け、法務省は船会社から事前に提出された乗客名簿の確認を徹底し、失踪者を出した船会社に再発防止を求めるなど対策に力を入れ始めた。

ただし、17年のクルーズ船による外国人入国者数は253万人で、13年(17万人)の14倍に急増。国は東京五輪・パラリンピックが開かれる20年に500万人の利用を掲げており、失踪者がさらに増える恐れもある。法務省の担当者によると、全体の不法残留に占める割合はわずかだが「制度の信頼を保つためにも指導を徹底したい」と話している。

 


藤井七段 羽生以来2人目の朝日杯連覇

2019年02月18日 05時52分35秒 | 社会・文化・政治・経済

年度最高勝率も可能性

2/17(日) 6:00配信 スポニチ

将棋の最年少プロ、藤井聡太七段(16)は16日、東京・有楽町朝日ホールで指された第12回朝日杯オープン戦で、渡辺明棋王(34)を破り、羽生善治九段(48)に次いで同棋戦史上2人目の2連覇を果たした。

藤井の棋戦優勝は昨年10月の新人王戦以来3度目。公式戦での連覇は最年少となった。さらにこの日の2勝で年度最高勝率更新の可能性も膨らんできた。


 史上最年少の棋戦優勝から1年後、藤井がまた成長した姿を見せた。対局を見守った多くのファンの前で「去年に続き、優勝という結果を残せてうれしい」とあいさつ。安堵(あんど)感とともに貫禄も漂わせた。

 渡辺とは非公式戦を含め、現役トップ棋士では唯一の未対戦。

2つの永世資格を持ちタイトル通算20期の現役最強棋士は、藤井にとって“ラスボス”といえる存在だ。藤井も「今最も充実されている方。挑戦者のつもりで戦いたい」と全力でぶつかった。

 渡辺はこれまで公式戦でほとんど指していない戦型「雁木」を選択。藤井は「準決勝で指されたので、もしかしたらとは思っていた」と、堂々と同じ戦型で応じた。

 中盤に渡辺が見せた一瞬の隙を突き、解説陣も予想外の手を連発。劣勢で表情をゆがめる渡辺に対し、冷静さを最後まで失わなかった。

 今棋戦では振り駒で負け続け、全4局が後手番。作戦面で相手に主導権を握られる展開が多かった。師匠の杉本昌隆七段(50)は「よく辛抱した。じれたり見切り発車せずついていき、終盤で一気に決めた」と進化に目を細めた。

 この日は準決勝で行方尚史八段(45)を破り2勝を挙げた。今年度の勝利数は広瀬章人竜王(32)と並ぶ最多の40勝(7敗)。勝率を0・8511とし、中原誠16世名人(71)が1967年度に記録した0・8545に肉薄。あと2勝で上回るが、現時点で少なくとも4局が組まれており、1つでも落とすと厳しくなる。

 「中盤の形勢判断や時間配分では、成長できた部分もある。もっと力をつけてタイトルに近づきたい」。偉大な先輩が残した記録、目標のタイトルに大きな手応えをつかんだ。

 ◇朝日杯オープン戦 全プロ棋士、アマ10人、女流棋士3人によるトーナメント戦。07年度にスタートした。持ち時間40分プラス1分以内の早指し戦で、1回戦から決勝まで全て1回勝負で争われる。最多優勝者は羽生九段の5勝。13~15年度は3連覇した。

 ◆藤井 聡太(ふじい・そうた)2002年(平14)7月19日生まれ、愛知県瀬戸市出身の16歳。

杉本昌隆七段門下。5歳で祖父母から将棋を教わる。小4で奨励会入りし、16年9月までの三段リーグを1期で通過。

同年10月1日に14歳2カ月で史上5人目の中学生プロ棋士となり、加藤一二三・九段が持っていた14歳7カ月の最年少記録を62年ぶりに塗り替えた。17年6月には公式戦連勝記録歴代単独1位の29連勝を達成。得意戦法は角換わり。名古屋大学教育学部付属高1年。


親の体罰「脳に悪い影響」

2019年02月18日 05時36分07秒 | 医科・歯科・介護

厚労省が昨年公表した資料(「愛の鞭ゼロ作戦」)には、体罰や暴言が、子どもの脳に「萎縮」や「変形」などの大きな影響を及ぼすという研究結果が引用されています。

この研究を行った福井大学の友田明美教授によると、子ども時代に厳格な体罰を受けた18~25歳の男女の脳を、MRIで解析したところ、感情や思考をコントロールする「前頭前野」の容積が、平均して19・1%少なく、萎縮していました。
この領域は,感情や思考をコントロールし,犯罪抑制力に関わっているところです。
さらに集中力・意思決定・共感などに関わる「右前帯状回」も,16.9%の容積減少、物事を認知する働きをもつ「左前頭前野背外側部」も14.5%減少していました。
人間が人間であるために極めて重要な部分が、体罰の影響によって育たなくなるというのです。
これらの部分が障害されると、うつ病の一つである感情障害や,非行を繰り返す素行障害などにつながると言われています。
本能的な欲求や衝動を抑える機能が影響を受け、犯罪を繰り返すようなことさえ懸念されます。

 

なぜ、体罰で脳が萎縮するのでしょうか?
虐待や体罰を受けた脳は、ストレスホルモンを大量に分泌します。
それが、脳の発達を一時的に止めてしまうからです。
以前に受けた体罰を思い出し、うつ状態となり、脳の萎縮が始まることすらあるのです。

 

スポーツ指導者には、「士気を高める」という理由で、子どもを体罰で追い込む人間がいます。
しかし、脳科学の視点から見れば、それは逆効果でしかありません。
現実には子どもの自発性、やる気をそぐ行為だということがハッキリわかります。
言葉の暴力でも、脳は変形!

 

言葉による暴力が、脳の「聴覚野」を変形させることもわかってきました。
「暴言を浴びせられると言葉の理解力などが低下し、心因性難聴にもなりやすい。ストレスを受け続ける期間が長ければ長いほど、影響があることを知ってほしい」(友田教授)

 

「体罰を受けた本人が、それを“愛のムチ”だと思えるならいいのではないか」と考える人がいるかもしれません。
しかし、本人が体罰を暴力だと認識していなくても、子どもの脳は確実に悪い影響を受けるのです。
体罰を受けたヒトの脳の画像解析が、体罰や暴言は子供たちにとって「百害あって一利なし」だと明示しています。
早目のケア、そして「体罰禁止」の法制化を!

 

多くの疾患と同様に、脳が受けた“傷”も、早いうちに手を打つことが重要です。
とりわけ、子どもの脳は発達途上であり、可塑性という柔らかさを持っています。
国内外の研究では、患者と医師らが信頼関係を築き、ケアする中で、萎縮した脳の容積が回復した例も報告されています。
そのためには,専門家によるカウンセリングや「認知行動療法」などの心理的な治療,トラウマに対する心のケアを,慎重に時間をかけて行っていく必要があるでしょう。

 

子どもへの体罰を法的に禁止した国は、53ヵ国に上っています。
体罰禁止国では、劇的にあるいは着実に体罰・虐待が減少しています。
一方、日本は体罰への認識が甘く、成人男女の6割以上が容認しているとの調査結果もあります。
しかし、脳科学・医学の見地から鑑みれば、わが国においても「体罰禁止」という方向性を打ち出すことが必要だと思われます。

友田明美(ともだ・あけみ)さん

1987年、熊本大学医学部医学研究科修了。医学博士。
同大学大学院小児発達学分野准教授を経て、2011年6月より福井大学子どものこころの発達研究センター教授。同大学医学部附属病院子どものこころ診療部部長兼任。
2009~2011年、および2017年4月より日本科学技術協力事業「脳研究」分野グループ共同研究日本側代表者を務める。
著書に『新版 いやされない傷――児童虐待と傷ついていく脳』など。

東京医科歯科大学藤原武雄教授らの研究 

悪いことをしたときにお尻をたたく幼児への体罰は、約束を守れないなどの問題行動につながり、しつけとして逆効果-。そんな研究結果を藤原武男・東京医科歯科大教授(公衆衛生学)らの研究チームが国際子ども虐待防止学会の学会誌に発表した。

 チームは、厚労省が子育て支援策などへの活用を目的に平成13年生まれの人を追跡している「21世紀出生児縦断調査」のデータ約2万9千人分を使い、3歳半の時にお尻をたたくなどの体罰の有無が、5歳半に成長した時の行動にどう影響しているか分析した。
その結果、3歳半の時に保護者から体罰を受けていた子供は、全く受けていなかった子供に比べ、5歳半の時に「落ち着いて話を聞けない」という行動のリスクが約1・6倍、「約束を守れない」という行動のリスクが約1・5倍になるなど、問題行動のリスクが高いことが分かった。

 藤原教授は「お尻をたたくことは日本では社会的に許容されている部分があるが、今回の結果からは、問題行動につながる行為だと言える」と語る。


脇本雄太選手福井・94期・SSは五輪メダル獲得を目指す

2019年02月18日 02時43分14秒 | 社会・文化・政治・経済

脇本選手が五輪を目指す理由は単純明快。

きょうだい5人を育ててくれた母・幸子さんとの約束を果たすためだ。

「おかんと一緒にオリンピックに行きたかった」。
この気持ちを原動力に、競輪選手と自転車競技の日本代表という二刀流の激務に耐えて、リオ五輪の出場権を獲得した。
中学生まで運動とは無縁だったが、高校入学時に友人に誘われて自転車に乗ると、秘めていたアスリートの素質が開花。
高校2、3年時には国体1キロタイムトライアル(TT)連覇。
そんな息子の活躍を母は大いに喜んだ。
競技を始めたころに、母から「オリンピックを目指して。活躍するところを見たい」と励まされた。
高校卒業後の進路は悩むことなく、競輪選手への道が自然と決まった。
競輪選手を目指す多くの若者たちは、賞金1億円のKEIRINグランプリ優勝を夢見る。しかし、脇本は「オリンピック選手になるためには、競輪選手になるのがベスト。
オリンピック出場を目指しながら、金を稼げるのは競輪選手しかなかった」と言い切る。
五輪出場を目指して、自転車競技の世界選手権やワールドカップ(W杯)へ参加するために、世界中を転戦してきた。
日本国内の競輪出走時には、時差ボケで苦しむことも多い。
課題山積の現状でも、脇本が弱音を吐くことはない。
車券を買ってくれるファンの支持には、しっかりと応えてきた。
そして、東京五輪を含めた今後を冷静に見据える。
 「日本もオリンピック中心に考えればメダルは獲れると思う。韓国は、ジュニアで素質のある選手に英才教育をしている。その結果、韓国勢のレベルはグングン上がってきている。日本も(五輪予選の開始後は)競輪を走らなくてもいいくらい、対応してもらえればと思います」
 五輪本番まで残り1年。
気合は徐々に高まっている。
「僕がメダルを獲ることで競輪の見方を変えられるなら、色は何でもいいからメダルが欲しい。競輪を知らない新しい層を取り込むチャンス。そうなれば競輪も安泰だと思うので。競輪が盛り上がれば、僕も長く選手を続けられる」
2011年に51歳で亡くなった母と約束した「オリンピック出場」はかなえた。
ここからは自分のため、競輪界のために、3大会ぶりの五輪メダル獲得へ力を振り絞る。

 

リオ五輪代表に決まった(左から)中川誠一郎、渡辺一成、脇本雄太、窪木一茂、塚越さくら

リオ五輪代表の時の写真(左から)中川誠一郎、渡辺一成、脇本雄太、窪木一茂、塚越さくら

 
優秀選手表彰式に出席しガッツポーズをとる(左から)河端朋之、脇本雄太、浅井康太、山崎賢人




渡辺棋王、藤井七段に脱帽

2019年02月18日 02時17分30秒 | 社会・文化・政治・経済

イメージトレーニングする

「少しでも対抗できるよう頑張る」

2/17(日) デイリースポーツ
渡辺棋王、前夜イメトレも藤井七段に脱帽「少しでも対抗できるよう頑張る」
 決勝で藤井七段に完敗し、感想戦で苦笑いの渡辺明棋王=東京・有楽町朝日ホール
 将棋の最年少プロ棋士・藤井聡太七段(16)が16日、都内で行われた第12回朝日杯将棋オープン戦決勝で、渡辺明棋王(34)を128手で破り、羽生善治九段(48)に続く史上2人目の大会連覇を果たした。

史上最年少での一般棋戦連覇となる。同棋戦は持ち時間各40分の早指し棋戦。自身と同じ中学生プロ棋士で、今期勝率8割超えと絶好調の渡辺との“最強決戦”に完勝した。

 2012年以来7年ぶり2度目の優勝を狙った渡辺棋王は、「昨日の夜から、藤井さんと当たるイメージトレーニングをしていた」と告白。

将棋の内容には「中盤で全然ダメにしてしまって、決勝戦としては物足りなくなってしまって、申し訳ないです」と頭を下げた。藤井七段とは初対局で、予想外の完敗。

「まだ16歳と若く、どんどん力を付けてくると思うので、少しでも対抗できるように頑張らなければいけない」と脱帽していた。