千葉の小4女児虐待死 母親「十分な食事与えず」

2019年02月05日 17時04分24秒 | 社会・文化・政治・経済

毎日新聞2019年2月5日 11時29分(最終更新 2月5日 14時38分


父、虚偽書面書かせる 児相「強要の可能性認識」

2019年02月05日 17時00分27秒 | 社会・文化・政治・経済

千葉の小4女児虐待死 
 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(10)が死亡し、両親が傷害容疑で逮捕された事件で、一時保護解除後の2018年2月、父勇一郎容疑者(41)が心愛さんに「お父さんにたたかれたのはうそ」「4人で暮らしたい」などと書かせた書面を柏児童相談所に提示していた。児相が取材に明らかにした。児相はその翌々日、心愛さんに確認しないまま自宅に戻す決定をしており、専門家は児相の対応を批判している。(毎日新聞)
心愛さんが17年11月、学校のいじめアンケートに「お父さんにぼう力を受けています」と記入したことから、児相は一時保護した。心愛さんは暴力について具体的に話したが、勇一郎容疑者は認めず、児相は同12月、勇一郎容疑者と引き離して同市内の父方の親族宅で暮らすことなどを条件に保護を解除した。

 児相によると、さらに心愛さんを自宅に戻すか判断するため、18年2月26日に職員が親族宅で、心愛さんを同席させずに勇一郎容疑者と面会。勇一郎容疑者は「今日にも連れて帰る」と強い口調で迫り、心愛さんが書いたとする書面を提示した。書面には「お父さんにたたかれたというのはうそです」「児童相談所の人にはもう会いたくないので来ないでください」「(父、母、妹と)4人で暮らしたいと思っていました」などと書かれていたという。

 児相は心愛さんに自分の意思で書いたのか確認しないまま、28日に自宅に戻す決定をした。心愛さんは3月上旬、自宅アパートに戻った。ところが同月下旬、児相職員が小学校で心愛さんと面会して確認したところ、「父親に書かされた」と打ち明けたという。

 児相は取材に「最初から書かされた可能性があるとは思っていた」と釈明したうえで、「父親が虐待を認めない中、自宅に戻すことはリスクと考えたが、学校内での見守りができており、何かあればすぐに介入できる体制をとっていたことから、総合的にみて自宅に帰した」としている。

 だが、児相は心愛さんが自宅に戻った後、一度も自宅訪問せず、勇一郎容疑者への面会もしなかった。学校に約1カ月間姿を見せなくなったことを知った後も訪問せず、心愛さんは1月24日深夜、自宅浴室で死亡しているのが見つかった。【町野幸、斎藤文太郎】

>母親の実家、糸満市にあった「DV、どう喝」の相談
> 心愛さんが母親(31)の実家がある沖縄県糸満市で家族で暮らしていた2017年7月上旬、母方の親族が同市を直接訪ねてきた。相談内容は、勇一郎容疑者から母親へのDV、そして心愛さんへのどう喝だった。母親は次女を出産したばかりで入院中で、親族は「生まれた子を父親(勇一郎容疑者)に預けてもいいのでしょうか」と相談した。母親が出産で入院する前、心愛さんは親族のもとに預けられていた。だが、親族が相談に訪れた前日、下校時に親族と勇一郎容疑者が一緒に迎えに来たことからもめ事になり、学校が間に入って話し合った結果、勇一郎容疑者に引き取られていった。
>
> 市は相談があった翌日、心愛さんが通う小学校の教頭に連絡。体にあざなどがないか注意するよう要請した。7月14日には県中央児童相談所にも状況を伝えたが、児相からは「それだけの情報では判断できない。もし何かあったら連絡してください」と返された。児相は取材に「少ない情報で判断できないので市に支援態勢を整えてくださいと言った」と答える。
>
> 一方、児相はその1週間前の7月7日、勇一郎容疑者から「祖母が(心愛さんを)引き取って、なかなか返してくれない」と電話を受けている。児相は「親族間のことなので何ができるかわかりませんが、支援できることがあるか検討するので来てください」と返答。だが、勇一郎容疑者が来所することはなかった。
>
> 市は7月下旬、心愛さんと勇一郎容疑者が2人で暮らす自宅に保健師を訪問させようとした。だが2度、当日になって面会の予定をキャンセルされた。1回目は「娘の用事がある」、2回目は「千葉への帰省でごたごたしている」という理由だった。
>
> 親族は8月中旬にも心愛さんのことが心配と言って市を再訪している。だが、勇一郎容疑者は市に「千葉から戻ってきてから(面会を)やる」と話したまま勇一郎容疑者の実家がある千葉県野田市に心愛さんを連れて転居してしまった。8月28日には転出の届け出が確定している。
>
> 糸満市は野田市に一家の状況について知らせるため、文書を2回送ったほか、電話でも報告した。内容は「妻に対して夫が支配的で、精神的DVがある様子もうかがえる。妻は夫以外に頼れる身内がいないので生活の不安が高まる可能性がある。夫婦のパワーバランス、家族の関係性も懸念される。訪問での支援をお願いします」といった内容で、母親に行政の子育て支援サービスの利用や乳児健診を受けさせるよう要請している。
>
> だが、親族から連絡があった心愛さんへの「どう喝」については引き継ぎがなかった。この点、糸満市の担当者は取材に「虐待の事実が確認できなかったので引き継がなかった」と説明する。
>
> 10月下旬、野田市の母子保健の担当者から糸満市に報告があった。「9月末の乳児健診に夫婦で来ました。産後ヘルパーをつけることになって、お母さんはニコニコしていましたよ」
>
> 11月上旬、心愛さんが小学校のアンケートに「父からいじめを受けている」と記入したことをきっかけに虐待が明らかになり、柏児相に一時保護された。だが、糸満市にはその連絡はなく12月、「虐待を確認できなかった」として一家の支援終了を決めた。
心愛さんが3月上旬に自宅に戻った後、児相が勇一郎容疑者と面会することは一度もなかった。その理由を柏児相の二瓶一嗣所長は1月28日の会見で、「虐待の程度が低かったので、学校で聞き取るだけで十分と思った」と説明する。市児童家庭課は取材に「児相が大きく関与していたのでその判断に従った」と答える。18年4月には、東京都目黒区で船戸結愛ちゃん(当時5歳)が虐待死した事件を受けて、「要保護児童」のリストが千葉県警野田署にも共有されるようになった。だが、児相の判断を超えてまで対応しなければいけない事案とは考えていなかった。

 心愛さんが自宅に戻ってから児相が一度も勇一郎容疑者と面会しなかったことは適切な対応だったのか。大阪市こども相談センターは「元の家庭に生活の場を移すことは一定のリスクになる。両親から話を聞くのは基本だと思う」。福岡市こども総合相談センターは「そもそも、親が虐待を認めていない状況では親元に帰しにくい。親からの虐待で一時保護したなら、解除の後の状況は基本的には親と直接会って確認する」と取材に答える。野田市の関係者はこう振り返る。「柏児相の対応は腰が引けていた」

 児相から「学校内での見守りと聞き取りで十分」という方針を伝えられた学校は、プールや健康診断であざなどがないか確認するとともに、本人の表情や言葉がけにどう反応するのか、服装が清潔か、体形に変化がないかを注視した。4月には家庭訪問もあったが、親から希望がなかったという理由から実施されていない。7月と12月には学校で個人面談があり、担任から両親に「学級委員をやって、ほかの活動も頑張っている」と報告した。6月と11月には全児童対象のいじめアンケートも実施したが、前の学校で「父からいじめを受けている」と書いたアンケートのコピーが勇一郎容疑者に渡ってしまった心愛さんが再びアンケートに被害を書き込むことはなかった。

 穏やかな性格で笑顔が似合う頑張り屋だった心愛さんが最後に学校に姿を見せたのは12月21日だった。勇一郎容疑者の勤務先によると、勇一郎容疑者は18年12月29日~1月6日に休暇を取り、7日に再び出勤している。そして同日、勇一郎容疑者から学校に「娘は冬休みに妻の実家の沖縄に帰っている。もう少し沖縄に滞在させたい」、11日には「曽祖母の体調が悪いので、1月いっぱい沖縄にいる。2月4日に登校させる」と電話があった。

 学校は1月11日、市に月末まで心愛さんが休むことを連絡している。だが、市が要対協の構成メンバーである児相や警察に伝えることはなかった。学校は21日に今度は柏児相に直接連絡。要対協の会合は22日にもあったが、心愛さんの状況について議題に上ることはなかった。市の担当者は取材に「緊急性のある情報という意識を持てず、危険性がある状況だと認識しなかった」と連絡しなかった理由を述べる。学校も「夏休み後も曽祖母の具合が悪くそばにいたいからと言って1週間くらい休んでいたので、今回も疑問に思わなかった」とし、訪問などは行っていない。

 1カ月以上、心愛さんが学校に姿を見せることがない中、誰も自宅アパートを訪れることなく、事件は起きた。捜査関係者によると、勇一郎容疑者は「24日午前10時ごろから、しつけのため、心愛さんを立たせたり、怒鳴ったりした」と話している。午後11時10分ごろ、勇一郎容疑者自ら「風呂場に連れて行き、娘ともみ合いになった後、意識がなくなった」と110番。救急隊員が駆け付けると、浴室で服を着たままあおむけになって心愛さんが死亡していた。司法解剖でも死因はわからなかった。死後硬直がみられ、亡くなった後しばらく放置されていたとみられる。家には母親と1歳の次女もいた。

 近所には、一家が引っ越してきてから、心愛さんとみられる悲鳴を聞いたという人もいる。アパートの住人の男性(51)はつぶやいた。「人の入れ替わりが激しく、あいさつしない人もいる。その希薄さも事件が起きてしまった原因の一つだと思う」


子どもの脳を傷つける親たち

2019年02月05日 16時38分46秒 | 社会・文化・政治・経済
 

芸術で感性を磨き社会も豊かに

2019年02月05日 15時59分31秒 | 社会・文化・政治・経済

子どものころに、如何に感性を磨くかだ。

感性を磨く大切な時期、忘れられない思い出をつくる。
感性は経験から生まれる。
感性は教えられない。
だから、子どもの時に、いろいろな感動を与えることが大切だ。
感性を磨けば、創造力も培われ、人生も社会も社会も豊かになる。
欧米の美術館は、この点を重視している。


芸術で感性を磨き社会も豊かに

2019年02月05日 15時44分33秒 | 社会・文化・政治・経済

子どものころに、如何に感性を磨くかだ。

感性を磨く大切な時期、忘れられない思い出をつくる。
感性は経験から生まれる。
感性は教えられない。
だから、子どもの時に、いろいろな感動を与えることが大切だ。
感性を磨けば、創造力も培われ、人生も社会も社会も豊かになる。
欧米の美術館は、この点を重視している。


生命自体の幸福

2019年02月05日 15時22分05秒 | 社会・文化・政治・経済

如何にすれば人類が幸福になれるのか

「生きていること自体が楽しい」という境涯(生命の状態)です 。

どこにいても、また、何があっても、生きていること自体 が幸福である

アリストテレスによれば、幸福(エウダイモニア)とは、全人生における完全な徳の実現をめざす活動それ自体のことである。
人生を善く生きるという活動そのもののことを幸福と呼ぶ。
人間の尊厳を深く考察したのはカント。
理性的な人格である人間は、内的自由を持っている。
我々はそれを奪うことをしてはならない。
困ったと. きに家族が頼りになると思えることが、幸福度に大きな影響を与えていると推察される。
他人を信頼する人ほど幸福度が高い。
人間の場合、欲求は想像(創造)力によって肥大化するため、想像力自体をコントロールして、幸福感を持続させることが必要です。


人間として尊重することが前提

2019年02月05日 14時53分27秒 | 社会・文化・政治・経済

いろいろ違いがあるというのは、当然なことだ。
違いというのは個性でもある。
違いがあるからこそ、この世界は多様性に富んだ、百花繚乱の花園。だから、差異は本来、認めることだ。
差異を超えて相手を尊敬し、学び合うべきものだ。
まず、相手から学ぶという視点をもつことだ。
したがって、いかなる宗教、思想をもっている人であろうと、人間として尊重することが前提である。
人には、さまざまな違いがある。
多様である。
しかし、その差異を超えた共通項がある。
それは、皆がこの地球に住む同じ人間ということだ。
対話には、忍耐、粘り強さ、英知、確信が求められる。


「生きることの阻害要因」

2019年02月05日 14時23分54秒 | 社会・文化・政治・経済

座間の事件の捉え方(仮説)

「死にたい(実際は「生きたい」の裏返しでもある)」
との思いに駆られている若者は大勢いる。
▼日本では、29歳以下の若者が、毎日(一日平均)約10名、自
殺で亡くなっている。(2007~2016年の警察「自殺統計」)
▼日本では、10代後半及び20代と30代の死因一位が「自殺」。
20代は死亡者数全体の約半数が「自殺」によるもの。主要先
進7カ国で日本だけ。(厚労省「平成29年版 自殺対策白書」)
▼「過去1年以内に、本気で自殺を考えたことがあるか」との
問いに「ある」と回答した割合が最も高いのは20代(7.5%)
で、全世代平均(4.5%)の1.7倍に及ぶ。(厚労省「平成28年度 自
殺対策に関する意識調査」
座間の事件を踏まえた
「若者の自殺対策」について
自殺対策を推進する議員の会 総会資料
平成29年11月15日
NPO法人 ライフリンク
清水 康之さん

▼自殺のリスクが高まるのは「生きることの促進要因」よりも
「生きることの阻害要因」が相対的に上回ったとき。
生きることの
促進要因
△将来の夢
△家族や友人との信頼関係
△やりがいのある仕事や趣味
△経済的な安定
△ライフスキル(問題対処能力)
△信仰
△社会や地域に対する信頼感
△楽しかった過去の思い出
△自己肯定感 など

生きることの
阻害要因
▼将来への不安や絶望
▼失業や不安定雇用
▼過重労働
▼借金や貧困
▼家族や周囲からの虐待、いじめ
▼病気、介護疲れ
▼社会や地域に対する不信感
▼孤独
▼役割喪失感 など
被害者について(報道されている「容疑者の供述」によると)
◆多くは「ツイッター(SNS)で知り合った」。
◆人生に悲観的な投稿をしている女性らに「一緒に死にましょう」などとメッセージを送り
家に招き入れていた。(被害者9人のうち少なくとも6人に自殺にかかわる言動があった。)
◆「女性らに会ってみたら『話を聞いて欲しい』と言っていて、死にたがっている人はいな
かった」

《推察できること》
1)被害者は、SNSでしか自分の本音を明かすことができなかったのでは
(匿名性が担保される中で、共感を得られる可能性がある場としてのSNS。他の
様々な相談窓口の存在を知らなかった可能性も。知っていても「相談」したく
なかった可能性も。死にたいに「共感してもらいたかった」だけの可能性も)
2)「死にたい」と「生きたい」の狭間で揺れ動いていたのでは
3)「共感してくれる人がやっと見つかった」と思って頼りにしたのでは
(そうでなければ、わざわざ相手の家にまで行くだろうか:ものすごい行動力)
4)もし被害者が、容疑者ではなく、共感してくれる支援者/相談機関に
先につながっていたならば、被害に遭わずにすんだのではないか。生き
る道を選べていたのではないか。 → 支援の可能性

「# 死にたい」は
「# たすけて」と捉えるべき。
(すべてがそうでないにしても)
その「声」を封じ込めるべきではない。
大人(私たち)がやるべきことは
もっと別のこと。
若者の自殺対策に必要な視点もこれと同じ
1)自殺リスクを抱えた若者への危機介入
→対象:支援を「いままさに必要としている若者」
2)自殺リスクを抱える前段階における予防策
→対象:支援を必要とするだろう「すべての若者」
3)自殺リスクを抱えさせないための「生きる支援」
→対象:若者にとって「生きるに値する社会」
▼若者が「自殺のサイン」を発しているSNSなどの「場=若者にとってサイ
ンを発しやすい場=渋谷等の繁華街も含めて」において、自殺のサインを
発している若者に寄り添い、支援につなぐための取組・介入を強化する。
《具体策》
1)「死にたい」「消えたい」「一緒に死のう」「自殺 手段」等の検索や、そう
したハッシュタグをつけて行われているような書き込み等に対して、自動的に支援
策情報のリンクが貼られるようにするよう、SNS運営会社等に協力を依頼する。
2)1)と併せて、人為的にネットパトロールを行い、「死にたい」「消えたい」
等の書き込みに対して、支援に誘導するような対話(書き込み)を試みる。ただし
「うざい」と敬遠されることのないような適度な距離感を保ちつつ行う。
3)若者たちにとって身近なツールであるツイッターやLINE、あるいは繁華街等に
おける相談体制を強化させると同時にシェルター等の受皿を充実させる。
→ ①気づくための機能、②つなぐための機能、③回復支援をするための機能、そ
れぞれを強化し、それらを連動させることで、総合的な支援を行う。
4)「自殺を手伝います」「楽に死なせます」等の、自殺幇助や自殺教唆(犯罪)
につながる可能性のある書き込みは削除されるよう、SNS運営会社等に協力を依頼する。

厚労省調査:「自殺せずに生きていれば良いことがある」の問いに対して
       平成20年度  平成28年度
 「そう思う」 全体 79.4 → 71.8(-7.6)
       20代 80.3 → 69.5(-10.8)
「そう思わない」 全体 6.1 → 10.5
          20代 12.0 → 16.6


若年層の自殺対策

2019年02月05日 14時04分01秒 | 医科・歯科・介護

自殺対策の基本的な枠組みと 若者の自殺対策の取組 - 厚生労働省

(Adobe PDF) - htmlで見


社説

減らない若年者の自殺 孤立を防ぐ対策が大事だ

毎日新聞2017年6月4日 東京朝刊

日本の自殺者の数は年々減少しているが、世界各国の中では依然として高い水準にある。特に若年層は高止まりしたままだ。

 どうして子供や若者は自ら命を絶つのか。その原因を詳しく分析し、若年層に重点を置いた対策を講じる必要がある。

 政府が閣議決定した自殺対策白書によると、日本の自殺率(人口10万人当たりの自殺者数)は世界で6番目に高く、女性だけだと3番目。主要7カ国で10位以内に入ったのは日本だけだ。

 日本の自殺者数は2003年の3万4427人をピークに顕著な減少傾向が続いており、16年は2万1897人になった。だが、若年層だけは減少の兆しが見られない。

 5歳単位での統計を見ると、15~39歳の死因はどの年代も自殺が最も多く、15~34歳の自殺死亡率は事故による死亡率の2・6倍に上る。主要7カ国で自殺が事故を上回るのは日本だけだ。

 自殺の背景には、長時間労働による過労、生活困窮、育児や介護疲れ、孤立などが複雑に絡まっている。政府や自治体は自殺対策として相談窓口の整備に努めてきた。

 子供の場合はいじめや友人関係の悩み、学業不振、家庭内の問題などが指摘される。だが、一般の相談窓口になかなかつながらず、周囲が予兆に気づかないケースが多い。

 政府は、子供自らが周囲に悩みを打ち明けやすい環境を作ること、学校における「SOSの出し方教育」を進めていくことを検討している。そのためには、担任教師だけでなくスクールカウンセラーなどの専門職をもっと配置する必要がある。

 周囲の大人に対する教育も重要だ。子供が小さなSOSを出しても、学校関係者や家族がそれに気づくことができる感性や知識を身につけていなければ生かされないだろう。

 また、高校中退者や自宅に引きこもっている若者は、教育と福祉のはざまで困窮状態にある人が多い。孤立する若者をどう支援につなげるかを考えないといけない。

 先進国の間では子供の自殺について政府主導の調査研究で未然防止につなげようという動きがある。日本も重要な国政の課題と認識し、全力で取り組むべきだ。

 


 人の心に木を植える

2019年02月05日 13時05分59秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 「森は海の恋人」30年 

畠山 重篤 (著), スギヤマ カナヨ (イラスト)

商品の説明

内容紹介

「森は海の恋人」の合言葉をかかげて、気仙沼のカキ漁師・畠山重篤さんたちが植林運動を始めて、今年で30年になります。その間、東日本大震災が発生し、「千年に一度」と言われる大津波に襲われました。

すべてが流され、海は死んだかに見えました。しかし、まもなくして海に魚たちがもどってきました。それは山に木を植えつづけ、海に流れこんでいる川と背景の森林の環境を整えたゆえの成果だったのです--。

畠山さんは言います。「山に木を植えることはもちろんだいじですが、もっともたいせつなのは、『人の心に木を植える』ことなのです。」と。

内容(「BOOK」データベースより)

「おじいちゃん、魚がいる!」千年に一度の大津波からひと月半、数匹の小魚が水面を泳いでいます。

―海は死んでいない。生きてる。少しずつ、希望の灯りがともりはじめました。三陸から世界へのメッセージ。「森は海の恋人」を合言葉に、気仙沼の漁師たちが山に木を植え続けて30年。

<その経験は、わたしに生きる力を与えてくれました。心も体も強くしてくれた>

大震災を乗りこえ、ふたたび海がよみがえるまでの感動の物語。

東日本大震災の大津波で畠山さんは母親を失い、カキの養殖イカダも作業場もすべて奪われた。

「人の気持ちがやさしくなれば、自然もちゃんとよみがえる」



テレビの政治番組が減少

2019年02月05日 12時33分07秒 | 社会・文化・政治・経済

「日曜討論」NHK
「報道2001」フジテレビ系
「サンデープロジェクト」テレビ朝日系
「時事放談」TBS
政治番組が隆盛を極めたのは1989年ころからだろう。
リクルート事件に端を発し、自民党が大逆風にさらされる中で政治改革が始まり、党内で連日、選挙制度改革について賛否が激論になった。
それまでテレビに出る政治家は首相や与野党大物政治家だった。
若手が出るようになる。
不破茂、鳩山由紀夫、小泉純一郎氏ら、当時若手から中堅の政治家がテレビ番組の中でお互いの意見を真正面からぶつけ合った―政治アナリストの伊藤 惇夫(いとう あつお)
「時事放談」には中曽根康弘、宮沢喜一の元首相、後藤田正晴元副総理、塩川正十郎、野中広務元官房長官らOB政治家が週替わりで二人ずつ出演した。
昨年9月、「時事放談」は715回(2004年の復活)で幕を閉じた。
「自民党の政治家は安部晋三首相に批判的なことを言わないし、野党政治家の発言は負け犬の遠吠えのように捉える」伊藤さん。
一強多弱で、政治ドラマがない。
面白くないから政治番組は見られないだろう。
テレビ局からしたら大して視聴率の取れない番組を続ける余裕はない‐伊藤さんは手厳しい。
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政治討論番組の衰退:人気稼業の人がヒール役を買って出るのは難しい

2018年08月07日 06:00

9月終了が決まったTBS「時事放談」(番組サイトより:編集部)

政治討論番組が退潮傾向のようである。

政治討論番組が退潮傾向のようである。

悪役が登場しないから面白くないのだ、とアゴラの編集長がズバリ本質を突くような問題提起をされておられたが、今の世相でわざわざ悪役を買って出てくれそうな政治家や有識者を見つけるのは難しい。

皆さん、それぞれに人気商売だからうっかり悪役を買って出て袋叩きにあったら、なかなか表舞台に登場するのは難しくなる。一度か二度くらいはチヤホヤされることもあるかも知れないが、悪役を買って出た人はどうしても嫌われる。

世の中には他人から嫌われることが嫌いな人ばかりだから、まず、自分からわざわざ悪役を買って出るような人はいない。

世間には、ヒール役にふさわしい人が結構いる。

有識者や政治家にはいなくても、あちらこちらにいるから、あえて探すまでもない。
日替わりではないが、週替わりで次々と新しいヒールを登場させることが出来るから、わざわざ政治番組で特定の人にヒール役を演じてもらう必要がない、といったところか。

つい先日は、日大のアメフット部の監督、その次は日大の理事長、今度はアマチュアボクシング界のドンや東京医科大学の理事長や文部科学省の幹部、と言ったところか。

目移りするくらいに次々とヒールが登場する。
あらゆる分野で同じようなことが起きているのだから、政治討論番組の視聴率が低迷し、ついには番組自体がなくなってしまう、というのは自然のことかも知れない。

まあ、それにしても、政治討論番組に登場する人たちがかつてと比べて小粒になった、ということは間違いなさそうだ。

編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2018年8月6日の記事を転載させていただきました。

 


うそをつき金を無心する息子

2019年02月05日 11時42分17秒 | 社会・文化・政治・経済

毎日新聞「人生相談」

47歳の長男から「バイクで事故を起こし、車に買い替えたい」などと次々に金の無心されましたが、全部うそでした。
車など買わず、パチンコに行っていたのです。
長男はギャンブル依存症で、今回初めてではなく、またやってしまいました。
本人からは「死にたい」「やっぱり死ねない」「少し時間をください」などとメールが届きます。
親の私たちはどう向き合ったらよいのでしょうか(76歳・男性)

かつてわたしも重度の「ギャンブル依存症」でした(ここに書くのもおぞましいひどさでした)。
また、同じような悲惨な「依存症」の知人も数多く知っています。
ですから、彼らに必要なのはが、なにより専門医による「治療」であることもよく承知しています。
医者に付き添っていったこともあります。
なので、こういう質問に正しいアドバイスは、息子さんを「治療」の場所に連れてゆくことで、他人ではありません。
お金を貸していけません。
誰にも借りさせてもいけません。
それではも彼は、あらゆる策略をめぐらせお金を作ろうとするでしょ。
決局作った金はみんな消えてしまうのですが。
その繰り返しの恐ろしい焦燥の中で、激しい後悔に苛まれながら、それでも止めることができないのは、死と破滅に繋がるとわかっているその瞬間にだけ「生きている」という実感があるからです。
依存もまた、ひとつの「生きる」あり方なのです。
悲しいことですが。作家 高橋源一郎さん


事故のてんまつ (1977年) - (川端康成の自殺)

2019年02月05日 03時05分24秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
 

40年前に72歳に亡くなったノーベル賞作家川端康成の自殺の原因について
運転手兼お手伝いの女性の証言をもとに詳細に語られてる。
お手伝いの女性にたいする異常な執着、一方的な恋心、そして彼女の拒絶を悲観
しての自殺、真偽のほどは解らないが読後感すっきりとはいかない内容である。
 
確か文芸雑誌に最初掲載されたと思うのだが、若さもあったのだろうかなりの衝撃を受けたものだった。
その後発禁処分だか、回収処分だか受けて、再度読んでみたいと時折思ってはいたのだが、今回アマゾンで中古ながら手に入れることができた。やはり面白かった。
作者はあとがきでフィクションであると強調しているが、実際はどうなのであろうか。死亡が自殺か事故か、それとも病気かはっきりしてはいないようなので、この作品は真実味を増している。
川端康成が生きてそこにいるよう。

高校時代に読みました。川端が自殺したころです。川端側が告発したには覚えてます。何がいけないのか、あのときは分からなかったが、今もやっぱりわからない。ということが分かり、とりあえず、納得。

大学時代に初版本を購入し、読み終わって直ぐに古本屋へ。
その後、裁判が起こり、絶版に!
しまったと思ったけど、もう時既に遅し。
今、高校生を教えいていますが、この際に、この本の紹介もしたいと考え購入しました。
ありがとうございました。

 
 
 

雪国 島村と駒子って肉体関係あったんですか?

2019年02月05日 02時53分20秒 | 社会・文化・政治・経済

ざっと読んでみたところ(今更なのですが…)あまりそういう風には見えませんでしたが、最初の方で「あんなことがあったのに~~」という記述があり、性行為に及んだのかな?と思ったので。

それと、駒子はやっぱり島村のことが好きだったのでしょうか?
芸者だから職業として?それとも本心で?

私は本心だと思ってますけど、実際どうなんでしょうか?
それに無為徒食なくせに好かれる島村ってイケメンなのでしょうか?

ご解答よろしくお願いします。

 閉ざされた世界 ~ 十八禁の問わずがたり ~ 
 
 のうのうと温泉に逗留できるのは“高等遊民”と称される利息生活者
だからです。働かない男は、それはそれで女にとってたまらないのです。
(いい気なもんですが、目くじらたてるようでは純文学を語れません)
 
 駒子は、東京で酌婦になり、旦那が死んだので、故郷に帰っています。
 島村は、はじめ葉子に目をとめますが、姉の駒子を思いだします。
 この姉妹は、芸者に踊を教える師匠の娘だそうです。
 
 その夜、島村が芸者を呼ぶと、かわりに十九歳の駒子が酌をします。
 次の夜、島村が芸者を呼ぶと(おなじ芸者でも目配せで使いわけます)
いったん断わった駒子が酔って現われ、朝まで過ごします。
 
 つまり、政治家や芸能人が「一夜は過ごしたが、男女関係はなかった」
と云い、たとえそうであっても信用しないのが、大人の世界なのです。
 川端ファンは、あからさまに書かないところに、しびれるのでしょう。
 
 その後、駒子は、休みたければ休めるような、自前芸者になります。
 島村に妻子があり、行きずりの女に終るか、自立した恋人になるかの
選択をみずからに課したのです(当時ふつうの女性は男に依存しました)。
 
 女優・岸恵子も、日本を去るにあたって、最後に駒子の役を選びます。
「たとえば池部良さんが着流しであらわれて、ぴたっと正座するような、
美しい日本の文化とは、もうお別れするのね、と思いました」
 
 「帰らないわ。夜があけるまでここにいるわ」

── 豊田 四郎・監督《雪国 19570427 東宝》

肉欲を開放したくて悶々している男の前に酔ってひとり転がり込んでくるいい女を明け方まで乳房を揉むだけで終わるはずもないでしょう。

一緒に風呂にはいってもいるのです。12時まで、また朝の5時まで部屋に居続ける気に入った芸者を一人寝させるわけもないし、当然ながら頻繁に肉体関係があったことは読めば明白です。康成は小説にはその直接描写が不要だと思ったようです。彼が小説で書きたかったことは駒子と男の交歓の情景ではあっても、痴話げんかの描写だけで、あとは状況証拠をにおわすだけで充分であり、肉欲自体の描写は不要だったということです。
もっとも、この小説でも同時代とししてはかなり突出した具体的なきわどい描写まではやっています。彼の主題がそれを必要としたのでしょう。
 


 


川端康成の「雪国」を再読

2019年02月05日 02時44分36秒 | 社会・文化・政治・経済

若い頃に読んだ川端康成の「雪国」を再読しました。
年取ったから理解できなかったものも理解できるかと思ってましたが、相変わらずわからないところがあります。

そもそもこの小説は、東京の芸術かぶれの妻子あるボンボンが、田舎の芸者に入れあげて情交を持ちますが、
貧しい中、けなげに生きる芸者の真摯さ・清潔さにあてられ、恋情も嘘っぱちで、自身の皮相さだけが浮かび上がり、
そこから芸者の残酷で悲劇的な生涯を、日本情緒の美で謳いあげたのがテーマだと思われます。

ならば、どうして女が二人出てくるのか。
駒子一人で充分じゃないですか。

しかも冒頭に出てきて、意味ありげな葉子は、駒子とは対極的なキャラクターならいざ知らず、陰のように似たタイプ。
二重奏のようになっている意味がどこにあるのか、すこしも見出せません。

また、この葉子は駒子から「気がふれる」と言われているのに、そんな雰囲気は微塵もない。
むしろ、はかなげで、凛としている。
これは、どういうことなのか。

以上、2点、この葉子という女は、何を意味してるんでしょうか。
火事で大怪我した葉子を抱いた駒子は、「自分の犠牲か刑罰を抱いているよう」という表現がありますが、
ならば同世代の女性が傷つくのではなく、駒子のお師匠さんを抱き上げるラストのほうがよくありません?
駒子の不幸の将来を暗示する役割として。

葉子は、この物語において、何を表しているんですか。

>そもそもこの小説は、東京の芸術かぶれの妻子あるボンボンが、田舎の芸者に入れあげて情交を持ちますが、

以下は、あなた固有?の解釈ですよね。

なぜって、あなたにとっての『雪国』解釈とは、『雪国』という文字記号からなるテクストを解読する過程で、あなたのこれまでの人生の記憶(経験則等)が無意識裡に喚起されることでもありますから。

その点、あなたの質問を拝見して真っ先に思ったのは、あなたにこういう解釈をするように促している、あなたの脳裡に棲息する【黒幕】の正体や真相について、もう少し興味、関心をお持ちになってはいかがでしょうか、ということでした。

ということで、

>葉子は、この物語において、何を表しているんですか。 

と問われても、私としては、あなたのあまりにも個性的?な『雪国』解釈に恐れをなしてか、回答する気持ちが萎えてしまいました。

なお、川端の熱心な読者ではない私ですが、『雪国』という小説?(小林秀雄は、川端は小説なんか一篇も書いたことがないと断言して憚らない)は、トンネルという【境界】を通過して【異界】にやってきた、都会生活に倦んだ中年男が、葉子や駒子の、行男を挟んで呈する、あまりにも一途で純粋な女の生き様に「悲しいほど美しい」哀切さや徒労感を覚え、雪国にも自分の居場所がないと悟るに至る物語と思われてなりません。

島村には葉子の声を聞く機会が二度ありますが、いずれも「悲しいほど美しい声」と受け止めていることの意味について、あなたご自身で吟味してみませんか?

「悲しいほど美しい」という、同質のように見えて、その差異に見事な書き分けがなされていて感心するという意見に納得しました。お二人ともありがとうございました。