千葉の小4女児虐待死
千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(10)が死亡し、両親が傷害容疑で逮捕された事件で、一時保護解除後の2018年2月、父勇一郎容疑者(41)が心愛さんに「お父さんにたたかれたのはうそ」「4人で暮らしたい」などと書かせた書面を柏児童相談所に提示していた。児相が取材に明らかにした。児相はその翌々日、心愛さんに確認しないまま自宅に戻す決定をしており、専門家は児相の対応を批判している。(毎日新聞)
心愛さんが17年11月、学校のいじめアンケートに「お父さんにぼう力を受けています」と記入したことから、児相は一時保護した。心愛さんは暴力について具体的に話したが、勇一郎容疑者は認めず、児相は同12月、勇一郎容疑者と引き離して同市内の父方の親族宅で暮らすことなどを条件に保護を解除した。
児相によると、さらに心愛さんを自宅に戻すか判断するため、18年2月26日に職員が親族宅で、心愛さんを同席させずに勇一郎容疑者と面会。勇一郎容疑者は「今日にも連れて帰る」と強い口調で迫り、心愛さんが書いたとする書面を提示した。書面には「お父さんにたたかれたというのはうそです」「児童相談所の人にはもう会いたくないので来ないでください」「(父、母、妹と)4人で暮らしたいと思っていました」などと書かれていたという。
児相は心愛さんに自分の意思で書いたのか確認しないまま、28日に自宅に戻す決定をした。心愛さんは3月上旬、自宅アパートに戻った。ところが同月下旬、児相職員が小学校で心愛さんと面会して確認したところ、「父親に書かされた」と打ち明けたという。
児相は取材に「最初から書かされた可能性があるとは思っていた」と釈明したうえで、「父親が虐待を認めない中、自宅に戻すことはリスクと考えたが、学校内での見守りができており、何かあればすぐに介入できる体制をとっていたことから、総合的にみて自宅に帰した」としている。
だが、児相は心愛さんが自宅に戻った後、一度も自宅訪問せず、勇一郎容疑者への面会もしなかった。学校に約1カ月間姿を見せなくなったことを知った後も訪問せず、心愛さんは1月24日深夜、自宅浴室で死亡しているのが見つかった。【町野幸、斎藤文太郎】
>母親の実家、糸満市にあった「DV、どう喝」の相談
> 心愛さんが母親(31)の実家がある沖縄県糸満市で家族で暮らしていた2017年7月上旬、母方の親族が同市を直接訪ねてきた。相談内容は、勇一郎容疑者から母親へのDV、そして心愛さんへのどう喝だった。母親は次女を出産したばかりで入院中で、親族は「生まれた子を父親(勇一郎容疑者)に預けてもいいのでしょうか」と相談した。母親が出産で入院する前、心愛さんは親族のもとに預けられていた。だが、親族が相談に訪れた前日、下校時に親族と勇一郎容疑者が一緒に迎えに来たことからもめ事になり、学校が間に入って話し合った結果、勇一郎容疑者に引き取られていった。
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> 市は相談があった翌日、心愛さんが通う小学校の教頭に連絡。体にあざなどがないか注意するよう要請した。7月14日には県中央児童相談所にも状況を伝えたが、児相からは「それだけの情報では判断できない。もし何かあったら連絡してください」と返された。児相は取材に「少ない情報で判断できないので市に支援態勢を整えてくださいと言った」と答える。
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> 一方、児相はその1週間前の7月7日、勇一郎容疑者から「祖母が(心愛さんを)引き取って、なかなか返してくれない」と電話を受けている。児相は「親族間のことなので何ができるかわかりませんが、支援できることがあるか検討するので来てください」と返答。だが、勇一郎容疑者が来所することはなかった。
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> 市は7月下旬、心愛さんと勇一郎容疑者が2人で暮らす自宅に保健師を訪問させようとした。だが2度、当日になって面会の予定をキャンセルされた。1回目は「娘の用事がある」、2回目は「千葉への帰省でごたごたしている」という理由だった。
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> 親族は8月中旬にも心愛さんのことが心配と言って市を再訪している。だが、勇一郎容疑者は市に「千葉から戻ってきてから(面会を)やる」と話したまま勇一郎容疑者の実家がある千葉県野田市に心愛さんを連れて転居してしまった。8月28日には転出の届け出が確定している。
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> 糸満市は野田市に一家の状況について知らせるため、文書を2回送ったほか、電話でも報告した。内容は「妻に対して夫が支配的で、精神的DVがある様子もうかがえる。妻は夫以外に頼れる身内がいないので生活の不安が高まる可能性がある。夫婦のパワーバランス、家族の関係性も懸念される。訪問での支援をお願いします」といった内容で、母親に行政の子育て支援サービスの利用や乳児健診を受けさせるよう要請している。
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> だが、親族から連絡があった心愛さんへの「どう喝」については引き継ぎがなかった。この点、糸満市の担当者は取材に「虐待の事実が確認できなかったので引き継がなかった」と説明する。
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> 10月下旬、野田市の母子保健の担当者から糸満市に報告があった。「9月末の乳児健診に夫婦で来ました。産後ヘルパーをつけることになって、お母さんはニコニコしていましたよ」
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> 11月上旬、心愛さんが小学校のアンケートに「父からいじめを受けている」と記入したことをきっかけに虐待が明らかになり、柏児相に一時保護された。だが、糸満市にはその連絡はなく12月、「虐待を確認できなかった」として一家の支援終了を決めた。
心愛さんが3月上旬に自宅に戻った後、児相が勇一郎容疑者と面会することは一度もなかった。その理由を柏児相の二瓶一嗣所長は1月28日の会見で、「虐待の程度が低かったので、学校で聞き取るだけで十分と思った」と説明する。市児童家庭課は取材に「児相が大きく関与していたのでその判断に従った」と答える。18年4月には、東京都目黒区で船戸結愛ちゃん(当時5歳)が虐待死した事件を受けて、「要保護児童」のリストが千葉県警野田署にも共有されるようになった。だが、児相の判断を超えてまで対応しなければいけない事案とは考えていなかった。
心愛さんが自宅に戻ってから児相が一度も勇一郎容疑者と面会しなかったことは適切な対応だったのか。大阪市こども相談センターは「元の家庭に生活の場を移すことは一定のリスクになる。両親から話を聞くのは基本だと思う」。福岡市こども総合相談センターは「そもそも、親が虐待を認めていない状況では親元に帰しにくい。親からの虐待で一時保護したなら、解除の後の状況は基本的には親と直接会って確認する」と取材に答える。野田市の関係者はこう振り返る。「柏児相の対応は腰が引けていた」
児相から「学校内での見守りと聞き取りで十分」という方針を伝えられた学校は、プールや健康診断であざなどがないか確認するとともに、本人の表情や言葉がけにどう反応するのか、服装が清潔か、体形に変化がないかを注視した。4月には家庭訪問もあったが、親から希望がなかったという理由から実施されていない。7月と12月には学校で個人面談があり、担任から両親に「学級委員をやって、ほかの活動も頑張っている」と報告した。6月と11月には全児童対象のいじめアンケートも実施したが、前の学校で「父からいじめを受けている」と書いたアンケートのコピーが勇一郎容疑者に渡ってしまった心愛さんが再びアンケートに被害を書き込むことはなかった。
穏やかな性格で笑顔が似合う頑張り屋だった心愛さんが最後に学校に姿を見せたのは12月21日だった。勇一郎容疑者の勤務先によると、勇一郎容疑者は18年12月29日~1月6日に休暇を取り、7日に再び出勤している。そして同日、勇一郎容疑者から学校に「娘は冬休みに妻の実家の沖縄に帰っている。もう少し沖縄に滞在させたい」、11日には「曽祖母の体調が悪いので、1月いっぱい沖縄にいる。2月4日に登校させる」と電話があった。
学校は1月11日、市に月末まで心愛さんが休むことを連絡している。だが、市が要対協の構成メンバーである児相や警察に伝えることはなかった。学校は21日に今度は柏児相に直接連絡。要対協の会合は22日にもあったが、心愛さんの状況について議題に上ることはなかった。市の担当者は取材に「緊急性のある情報という意識を持てず、危険性がある状況だと認識しなかった」と連絡しなかった理由を述べる。学校も「夏休み後も曽祖母の具合が悪くそばにいたいからと言って1週間くらい休んでいたので、今回も疑問に思わなかった」とし、訪問などは行っていない。
1カ月以上、心愛さんが学校に姿を見せることがない中、誰も自宅アパートを訪れることなく、事件は起きた。捜査関係者によると、勇一郎容疑者は「24日午前10時ごろから、しつけのため、心愛さんを立たせたり、怒鳴ったりした」と話している。午後11時10分ごろ、勇一郎容疑者自ら「風呂場に連れて行き、娘ともみ合いになった後、意識がなくなった」と110番。救急隊員が駆け付けると、浴室で服を着たままあおむけになって心愛さんが死亡していた。司法解剖でも死因はわからなかった。死後硬直がみられ、亡くなった後しばらく放置されていたとみられる。家には母親と1歳の次女もいた。
近所には、一家が引っ越してきてから、心愛さんとみられる悲鳴を聞いたという人もいる。アパートの住人の男性(51)はつぶやいた。「人の入れ替わりが激しく、あいさつしない人もいる。その希薄さも事件が起きてしまった原因の一つだと思う」