人間の脳は、周囲の人々とのコミュニケーションを取ることで発達してきたという仮説もある。
対話の人生こそ、人間の生き方であると思える。
心と心を結んでいく対話は重要。
心が通じ合えば、他人といえども命にもかかわる、かけがえのない存在となる。
友情を育んでいく対話こそ脳細胞を活性化させ、<自らの寿命をも延ばしていくことにつながっていく>と思えてならない。
人間の脳は、周囲の人々とのコミュニケーションを取ることで発達してきたという仮説もある。
対話の人生こそ、人間の生き方であると思える。
心と心を結んでいく対話は重要。
心が通じ合えば、他人といえども命にもかかわる、かけがえのない存在となる。
友情を育んでいく対話こそ脳細胞を活性化させ、<自らの寿命をも延ばしていくことにつながっていく>と思えてならない。
「いかに生きるか」
「何のために生きるのか」という哲学。
脳は運動感覚や自律神経の調整、記憶や思考をつかさどる。
脳は司令塔であり、その働きを支えているのが、神経細胞であるニューロン。
人間の脳には1000億ともいわれるニューロンがある。
その一つ一つが軸索という線とシナプス(神経細胞間の接合部)を介して連携している。
学び続けて新たな知識を吸収するなど、いくつになっても脳に良い刺激を与え続ければ、シナプスの消失を防ぐことができる。
情熱を傾けて取り組める目的を持ち、生涯挑戦の人生を歩んでいく人は、脳を健康に保つ力がみなぎる。
定年になると、何時に起きてもいい。
当然、何時に寝てもいいし、昼寝の時間も取れる。
テレビは地上、BS、CS、スピードチャンネルなど観放題。
無為に過ごすと、空しくもなる。
家にこもってもいれない、散歩へ行く。
思うにイベント大好き人間として、友人、知人と会うことがない。
どんど焼き、ひなまつりなど。
皆さん興味がないようだ。
新道のまつりやカラオケ大会、八坂神社の祭り、白山のまつりとカラオケ大会、
とりで産業祭、田中酒造の蔵出しとイベント。
文化祭、新道の防災訓練とバーベキュー。
取手西口でのソニックガーデン。
取手の花火は例外だろうか。
千葉県の柏まつりへも。
「行動的だね」と中田さんが言う。
「神出鬼没ね」とご婦人の一人が言うが・・・
10時30分からの敢闘会の会合へ中田さんの車で行く。
家を10時に出て、ミスターマックスで時間調整。
大好きな猫のコーナーを覗く。
ついでの犬のコーナーへ。
10分に中田さんの自宅へ。
東取手病院の方角から取手医療総合センターの裏の道を行く。
雨が降っていた。
「遠回りかな」と中田さんが言うが、この日を佐々田さんも通っている。
車に乗らない当方は最短距離を歩いて会館へ行くが車の人は、色々な道を選ぶ。
林さん、富田さん、寺川さん、春川さんたちの車に乗せてもらい、4通りの道があることを知る。
新道から取手競輪の下の道を行くのが富田さん。
井野団地を経由してキリンビールを裏道を行くのが林さん。
寺田さんは台宿から取手一高の下の道を出て6号へ。
春川さんも同じ。
司会は佐々田。
二階堂さんに次いで、中田さんが初めて、雑誌の巻頭言を朗読。
それから歌の合唱。
ビデオを観てから活動報告。
川原さんは、太極拳仲間との交流や日中友好関係の友人との交流。
中国やインドで日本を教えていたそうだ。
川原さんと同じである。
同じく、パソコン教室や太極拳を教えている米田さんお活動報告。
会長の春川さんが、100回記念のことや今度の敢闘会のあり方などを。
3月、4月は敢闘会の会合がない。
5月は取手本部と牛久本部との合同で開催となる。
最後に総合長の挨拶。
昨年12月半ばで定年となったそうだ。
5時前に置き、6時前にバスで出勤。
4時間くらいの睡眠できたそうだ。
これからの抱負、定年後をどのように活動してきかなどを語る。
人生に定年も引退はない。
どのように、皆さん充実した日々を送るかである。
BS朝日「昭和偉人伝」
2019年2月20日 - 昭和偉人伝 - 作曲家・三木たかし、浜圭介、弦哲也。
幾多の試練に打ち勝ち作曲家へ ... そんな偉人たちを、独自取材と真実のインタビュー、さらには貴重な映像を交じえてつづる、波乱万丈の偉人伝。
三木 たかし(みき たかし、1945年1月12日 - 2009年5月11日) は、日本の作曲家。本名は渡邊 匡(わたなべ ただし)。
歌手・女優の黛ジュン(本名: 渡邊順子)は実妹にあたる。
1945年1月12日、東京都生まれ。
貧困家庭に育ち、借金取りが訪れると妹と押入れに籠もり、紙で書いた鍵盤をひいて遊んでいたという。「さくらの唄」 (唄・美空ひばり)を10代で作っている。
1960年代半ばごろに歌手を志して作曲家の船村徹に弟子入りするも、船村から「君は作曲家の方が向いている」と言われ方向転換する。
1967年、当時の売れっ子作詞家であったなかにし礼の推薦を受け、「恋はハートで」(歌唱: 泉アキ/クラウン・レコード)で作曲家デビューを果たす。
1968年、実妹の黛ジュンに提供した「夕月」が66万枚のヒット。オリコンチャート最高位2位を記録した。
1969年、「禁じられた恋」(作詞: 山上路夫、歌唱: 森山良子)が8週連続チャート1位の大ヒット。自身の作品が初めてNHK紅白歌合戦で歌唱された。
1976年・77年、阿久悠とのコンビで西城秀樹に「君よ抱かれて熱くなれ」から「ボタンを外せ」まで7作品連続して楽曲を提供する。
1977年、「津軽海峡・冬景色」(作詞: 阿久悠、歌唱: 石川さゆり)が大ヒット。第19回日本レコード大賞・中山晋平賞 (後の作曲賞) を受賞した。
1984年 - 86年、荒木とのコンビでテレサ・テンに提供した「つぐない」(1984年)、「愛人」(1985年)、「時の流れに身をまかせ」(1986年)がいずれも有線を中心に大ヒットした。3年連続で全日本有線放送大賞、及び日本有線大賞を受賞。
1994年、「夜桜お七」(作詞: 林あまり、歌唱: 坂本冬美)がロングヒット。同年の第36回日本レコード大賞・作曲賞を受賞した。
2004年からは日本作曲家協会理事長を務め、また日本レコード大賞制定委員や事務局長も務めた。
2006年、下咽頭がんで声帯の一部を切除、その後声を失ってしまう。
2009年1月13日、「NHK歌謡コンサート」で実妹・黛ジュンと30年ぶりに兄妹出演を果たした。自身作曲の「さくらの花よ 泣きなさい」を黛が歌唱しその後ろで三木がギター伴奏を披露したが、これが三木の生涯最後のテレビ出演となった。
2009年5月11日6時5分、岡山県岡山市の病院にて死去。64歳没。
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浜 圭介(はま けいすけ、本名:金野 孝〈こんの たかし〉、1946年4月8日 - )は、旧満州(中国東北部)出身の日本の作曲家。元・歌手。 旧芸名:牧 宏次、大木 賢、浜 真二。 妻:奥村チヨ。
1946年4月8日、旧満州(中国東北部)の収容所で生まれ、青森県大鰐町、次いで北海道札幌市に移り住み幼少期を過ごす。
1962年、歌手を目指し上京し、同郷の歌手・森山加代子の付き人となる。
1964年、牧宏次の芸名で『波止場のロック』で歌手デビュー。売れずに弘前市に戻り、屋台を引く。
1966年、大木賢(おおき けん)の芸名で『これが愛さ』で歌手として再デビュー。
1968年、浜圭介のペンネームで作曲提供開始。
1970年、作曲家としての活動と併行し、浜真二の芸名で『おんな道』にて歌手としても再々デビュー。漣健児に師事する。
1971年、奥村チヨに作曲提供した『終着駅』が大ヒット。
1973年、第15回日本レコード大賞作曲賞受賞。
1974年、奥村チヨと結婚。
同年、再び大木賢の芸名を用いて、シングルレコードを1枚リリース。
1975年、北原ミレイに提供した石狩挽歌では、小樽 貴賓館 旧青山別邸(国 登録有形文化財)内 庭園に石狩挽歌の記念石碑が建てられ、なかにし礼、北原ミレイらとともに名が刻まれた。
1980年、八代亜紀に提供した『雨の慕情』が第22回日本レコード大賞で大賞を受賞。
1985年、韓国で発掘した桂銀淑が『大阪暮色』でデビュー、以来多くのヒット曲を手掛ける。
2005年4月29日、春の褒章で紫綬褒章を受章。
2015年7月22日、松坂慶子とデュエットした『哀愁の札幌』を発売する。
そして、神戸
(歌: 内山田洋とクール・ファイブ、作詞: 千家和也)
雨
(歌: 三善英史、作詞: 千家和也)
街の灯り
(歌: 堺正章、作詞: 阿久悠)
折鶴
(歌: 千葉紘子、小柳ルミ子ほか、作詞:安井かずみ)
哀しみ本線日本海
(歌: 森昌子、作詞: 荒木とよひさ)
時間よお前は
(歌: 石原裕次郎、作詞: なかにし礼)
立待岬
(歌: 森昌子、作詞: 吉田旺)
望郷じょんから
(歌: 細川たかし、作詞: 里村龍一)
大阪暮色
(歌: 桂銀淑、作詞: 浜圭介)
すずめの涙
(歌: 桂銀淑、作詞: 荒木とよひさ)
北空港
(歌: 浜圭介と桂銀淑、作詞: やしろよう)
心凍らせて
(歌: 高山厳、作詞: 荒木とよひさ)
愛が泣いてる
(歌: 唐木淳〈黒木憲ジュニア〉、作詞: 荒木とよひさ)
時代屋の男たち
(歌: 唐木淳〈黒木憲ジュニア〉、作詞: 荒木とよひさ)
人形(おもちゃ)
(歌: 香西かおり、作詞: 荒木とよひさ)
女の翼 (歌: 美川憲一、作詞: 岡田冨美子)
大変ね (歌: 美川憲一、作詞: 岡田冨美子)
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弦 哲也(げん てつや、1947年9月25日(71歳)- )は、日本の作曲家。作曲した作品数は2000曲を超える。日本作曲家協会会長。千葉県銚子市出身。本名、田村正稔(たむら まさとし)。
1965年8月、東芝レコードから“田村進二”として歌手デビュー。
1968年、“弦哲也”と改名。苗字は好きなギターの弦にちなんで名付けられた。名前はなかなか名案が浮かばずに徹夜してしまったことから、哲也に決めたという。
その後、北島三郎の公演にギタリストとして帯同した折に、作曲活動を勧められる。
1976年、内藤國雄(将棋棋士)に提供した「おゆき」で、作曲家としてデビュー。
1980年、作曲した川中美幸の「ふたり酒」がヒット。これにより、それまで風呂なしのアパートに住んでいたが、風呂のある家に引っ越すことが出来た。(2013年9月10日放送の「NHK歌謡コンサート」より)
1986年、作曲活動に専念。
2017年5月、日本作曲家協会会長に就任。
石川さゆり
天城越え
石原裕次郎
北の旅人
五木ひろし
人生かくれんぼ
丘みどり
佐渡の夕笛
川中美幸
ふたり酒
二輪草
小林幸子
越後情話
水森かおり
東尋坊
鳥取砂丘
釧路湿原
五能線
熊野古道
ひとり薩摩路
輪島朝市
安芸の宮島
松島紀行
庄内平野 風の中
ひとり長良川
伊勢めぐり
島根恋旅
大和路の恋
越後水原
美空ひばり
残侠子守唄
裏窓
暗夜行路
午前3時30分散歩へ行く。
この時間帯に、部屋の電灯が灯っている家が少なくない。
それぞれの生活があるのだろう。
どのような生活、どのような仕事なのだろうか、と想ってみる。
時々ではなく、毎日、明るい部屋を見上げる。
家を戻ったら雨が降り出す。
その雨は、24時ごろ降り出し、午前2時に止み、再び午前5時30分過ぎに降りだす。
暖かくなったものだ。
数週間前は雨戸を開ける凍える寒風が室内に吹き込んできた。
そのころと比べると風は花の香を含んで、春風らしくなってきた。
「勇気ある人の財産を破壊できても、勇気そのものは破壊できない」ユゴー
1851年から続いた亡命生活。
独裁者ナポレオン3世からの「帰国命令」に対して、ユゴーは祖国の自由を求め、敢然と拒否した。
亡命中の19年間、ユゴーは創造の源の中で生き、芸術家・創造者としての時間を集中して過ごした。
もしもユゴーがパリにずっといたら、多くの偉業をなせかなかったかもしれない。
「創造」と「苦難」は、実は切り離せないものだろう。
人は、試練と戦う中で自身に秘められて力を鍛えだしていく。
「今日の問題何であるのか。戦くことである。明日の問題は何であるのか。打ち勝つことである」ユゴー
第一歩は何でもない。
困難なのは、最後の一歩だ。
不運は人物を作り、幸運は怪物を作る。
未来にはいくつかの名前がある。
意志薄弱な者はそれを不可能と呼び、臆病者は未知と呼ぶ。
しかし勇敢な者はそれを理想と呼ぶ。
空っぽのポケットほど、人生を冒険的にするものはない。
人生は
愛という蜜をもつ
花である。
人は強さに欠けているのではない。
意志を欠いているのだ。
ヴィクトル・ユーゴー(1802年~1885年)
フランス・ロマン主義の詩人、小説家。政治家。代表作は『レ・ミゼラブル』『ノートルダム・ド・パリ』など。