『雪国』は、川端康成の長編小説で、名作として国内外で名高い。
雪国を訪れた男が、温泉町でひたむきに生きる女たちの諸相、ゆらめき、定めない命の各瞬間の純粋を見つめる物語。
愛し生きる女の情熱の美しく哀しい徒労が、男の虚無に研ぎ澄まされた鏡のような心理の抒情に映されながら、美的に抽出されて描かれている。
1935年(昭和10年)から各雑誌に断続的に断章が書きつがれ、初版単行本刊行時の1937年(昭和12年)7月に文芸懇話会賞を受賞した。
その後も約13年の歳月が傾けられて最終的な完成に至った。
作品背景・モデル
松栄。駒子のモデルとなった女性
『雪国』の主な舞台は、上越国境の清水トンネルを抜けた湯沢温泉であるが、この作品も『伊豆の踊子』同様に、川端の旅の出会いから生まれたもので、雪中の火事も実際に起ったことだと川端は語っている。
川端は作品内で故意に地名を隠しているが、1934年(昭和9年)6月13日より1937年(昭和12年)まで新潟県湯沢町の高半旅館(現:雪国の宿 高半)に逗留していたことを随筆『「雪国」の旅』で述べている[9]。
その時出会ったのが駒子のモデルとなる芸者・松栄(本名は丸山キクで、のちに小高キク)である。
小高キクは、1916年(大正5年)に新潟県三条市の貧しい農家の7人姉弟の長女として生まれ、1926年(大正15年)、数え年11歳で三条を離れて、長岡の芸者置屋に奉公に出された女性である。
なお川端は、主人公の島村については、〈島村は私ではありません。
男としての存在ですらないやうで、ただ駒子をうつす鏡のやうなもの、でせうか〉と述べている。
1934年(昭和9年)の晩秋の頃、高半旅館に宿泊していた川端を見かけた宿の次男・高橋有恒(当時17歳)によると、川端はよく帳場の囲炉裏端に座り、父(宿の主人)・高橋半左衛門や母・ヨキと話しこみ、芸者たちのことや、その制度、温泉、豪雪、風物、習慣、植物などのことを訊ねていたという。
有恒の兄・正夫は、後に旅館を継いで高橋半左衛門を襲名するが、正夫は当時、京都帝国大学から転学し東京帝国大学文学部の学生であったため、川端と親しんでいたという。
川端が滞在した高半旅館は建替えられているが、雪国を執筆したという「かすみの間」は保存されている。
また、湯沢町歴史民俗資料館にモデルの芸者が住んでいた部屋を再現した「駒子の部屋」があり、湯沢温泉には、小説の冒頭文が刻まれた文学碑が建てられている。
なお、村松友視の『「雪国」あそび』には、モデルの松栄について言及されている。
『雪国』というタイトルが決定したのは、最初の単行本刊行時で、有名な冒頭文の書き出しに「雪国」という言葉が表われるのもこの時点である。
初出誌版の「夕景色の鏡」での冒頭文は当初、〈国境のトンネルを抜けると、窓の外の夜の底が白くなつた〉となっており、その前段にも文章があったが単行本刊行時に削除改稿された。
また、続編の「雪中火事」には、鈴木牧之著『北越雪譜』からの引用や参考にした文章もある。
また、作中の時系列(3度目に島村が温泉町を訪れた年)が、作者の錯誤により統一されていない部分があることが、何人かの研究者に指摘されているが、その不統一も追憶の順不同の手法によって、多くのあいまいさが許されているしくみになっているという見方と、あえて川端が実際の期間(約1年間)よりも、長い年月が経ったように作品世界を提示しているという見方もある。
あらすじ
12月初め、島村は雪国に向かう汽車の中で、病人の男に付き添う恋人らしき若い娘(葉子)に興味を惹かれる。
島村が降りた駅で、その2人も降りた。
旅館に着いた島村は、芸者の駒子を呼んでもらい、朝まで過ごす。
島村が駒子に出会ったのは去年の新緑の5月、山歩きをした後、初めての温泉場を訪れた時のことであった。
芸者の手が足りないため、島村の部屋にお酌に来たのが、三味線と踊り見習いの19歳の駒子であった。
次の日、島村が女を世話するよう頼むと駒子は断ったが、夜になると酔った駒子が部屋にやってきて、2人は一夜を共にしたのだった(以上、回想)。
駒子はその後まもなく芸者になっていた。
昼、冬の温泉町を散歩中、島村は駒子に誘われ、彼女の住んでいる踊の師匠の家の屋根裏部屋に行った。
昨晩車内で見かけた病人は、師匠の息子・行男で、付添っていた葉子は駒子と知り合いらしかった。
行男は腸結核で長くない命のため帰郷したという。
島村は按摩から、駒子は行男の許婚で、治療費のため芸者に出たのだと、聞かされるが、駒子は否定した。
島村は温泉宿に滞在中、毎晩駒子と過ごし、独習したという三味線の音に感動を覚えた。
島村が帰る日、行男が危篤だと葉子が報せに来るが、駒子は死ぬところを見たくないと言い、そのまま島村を駅まで見送った。
翌々年の秋、島村は再び温泉宿を訪れた。
去年の2月に来る約束を破ったと駒子は島村をなじる。
あの後、行男は亡くなり、師匠も亡くなったと聞き、島村は嫌がる駒子と墓参りに行った。墓地には葉子がいた。
駒子はお座敷の合い間、毎日島村の部屋に通ってきた。
忙しいある晩、駒子は葉子に伝言を持って来させた。
島村は葉子と言葉を交わし、魅力を覚えた。
東京に行くつもりの葉子は、島村が帰るときに連れて行ってくれと頼み、「駒ちゃんをよくしてあげて下さい」と言った。
葉子は死んだ行男をまだ愛しているようだった。
「駒ちゃんは私が気ちがいになると言うんです」と葉子は泣きながら言った。
葉子が帰った後、島村はお座敷の終った駒子を置屋(駄菓子屋の2階に間借り)まで送ったが、駒子は再び島村と旅館に戻り、酒を飲む。
島村が「いい女だ」と言うと、その言葉を誤解し怒った駒子は、激しく泣いた。
島村は東京の妻子を忘れたように、その冬も温泉場に逗留を続けた。
天の河のよく見える夜、映画の上映会場になっていた繭倉(兼芝居小屋)が火事になり、島村と駒子は駆けつけた。
人垣が見守る中、一人の女が繭倉の2階から落ちた。
・・・葉子を落した二階桟敷から骨組の木が二三本傾いて来て、葉子の顔の上で燃え出した。
葉子はあの刺すように美しい目をつぶつてゐた。
あごを突き出して、首の線が伸びてゐた。
火明りが青白い顔の上を揺れ通つた。
幾年か前、島村がこの温泉場へ駒子に会ひに来る汽車のなかで、葉子の顔のただなかに野山のともし火がともつた時のさまをはつと思ひ出して、島村はまた胸が顫へた。・・・
落ちた女が葉子だと判った瞬間にはもう、地上でかすかに痙攣し動かなくなった。
駒子は駆け寄り葉子を抱きしめた。
駒子は自分の犠牲か刑罰かを抱いているように、島村には見えた。
駒子は「この子、気がちがうわ。気がちがうわ」と叫んだ。
登場人物
島村
東京の下町出身。親の遺産で無為徒食の生活を送り、フランス文学(ヴァレリイやアラン)や舞踊論の翻訳などをしている「文筆家の端くれ」。子供の頃から歌舞伎になじみ、以前は日本舞踊研究に携わっていたが、ふいに西洋舞踊研究に鞍替えした。旅・登山が趣味。東京に妻子あり。小肥りで色白。
駒子
19 - 21歳。蛭の輪のようになめらかに伸び縮みする美しい唇。
清潔な印象の女。東京に売られ、お酌をしていて旦那に落籍されたが、まもなく旦那が亡くなり、17歳で故郷の港町に戻った。
島村と初めて会った直後の19歳の6月に芸者に出た。
病気の許婚のために芸者になったらしい。
17歳から続いている旦那が港町にいるが別れたいと思っている。
葉子
哀しいほど美しい声の娘。
駒子の住む温泉町出身の娘で、駒子の許婚という噂の行男を帰郷の列車で甲斐甲斐しく看病する。行男と恋人同士らしい。
東京で看護婦を目指していたことがある。
肉親は、国鉄に勤めはじめた弟が一人。地元に伝わる手鞠歌などを美しい声で歌う。
行男
26歳。病人。駒子が習っている踊の師匠の息子。
駒子と幼馴染。港町で生まれ、東京の夜学に通っていたが、腸結核を患い帰郷する。
駒子の許婚という噂だが、駒子は否定。
親の師匠は50歳前に中風になり、港町から故郷の温泉町へ戻った。
佐一郎
葉子の弟。鉄道信号所で働いている少年。
貨物列車から姉を見つけて、帽子を振って呼ぶ。
温泉町の人々、他
宿屋の番頭、主人、おかみ、女中。芸者たち。宿の幼女。按摩の女。鉄道信号所の駅長。列車の乗客。ロシア女の物売り。置屋の駄菓子屋の家族。運転手。「縮の産地」の町のうどん屋の女。
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本作の冒頭文、〈国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた〉という文の中の、この「国境」の読み方には、「くにざかい」か「こっきょう」か、という議論があるが、長谷川泉は、「くにざかい」が正しいとし、「このことでは、川端康成とも話をしたことがあった」と述べている(川端の発言は不明)。
「国境」を「くにざかい」と読むことを主張する人々は、この「国境」とは、かつての令制国である上野国(群馬県)と越後国(新潟県)の境という意味であり、日本国内における旧令制国の境界の読み方は一般に「くにざかい」である、と主張する。
一方、「こっきょう」と読むことを主張する人々は、上越国境は「じょうえつこっきょう」と読むことが一般的であるとし、川端自身も、「こっきょう」と読むことを認める発言をしていたと主張する。
川端と武田勝彦との対談では、川端が「上越国境とか信越国境とかいいますけどね。国境(こっきょう)と読んでいるでしょうね、みんな」と発言、武田が「いや、でもあれは国境(くにざかい)のほうが……読む方も多いと思います」と応じ、川端は「そうですかしら」とのみ返している。