世界中で愛されているクマ
<イベント詳細>
「クマのプーさん ストーリーテリングナイト ―石井桃子のことばの魅力」
【日時】2019年3月10日(日)19:00 〜 21:00 (予定)
【会場】Bunkamura ザ・ミュージアム 展示室内
【定員】50名(事前申込制)
【お話】松岡享子氏(東京子ども図書館名誉理事長)
【ストーリーテリング】張替惠子氏(東京子ども図書館理事長)、金城節子氏(お話の語り手)
【参加費】無料(要本展鑑賞券提示、半券・MY Bunkamura QRチケット可)
【申し込み方法】2019年2月13日(水)12:00より本ページ内申し込みフォームにて受付開始
→※受付終了しました。
※1回のお申し込みにつき、1名様のみ申し込みが可能です。
※定員に達し次第、受付を終了させていただきます。
※受付時間等の詳細は、申込完了後の自動応答メールにてご案内いたします。
受信したメールをよくお読みの上、ご参加ください。
ミルンの本の人気を見込んで、1930年に、アメリカの起業家スティーヴン・スレシンジャーは、プーとその仲間をもとに、商品開発に乗り出しました。
1966年、ディズニーはプーの物語をアニメ化。プーは、世界中に知られる、大人気のキャラクターになったのです。
物語は50以上の言葉に訳され、ありとあらゆるものに――ティーセットから料理本まで――プーの図柄がついています。
一目見ればプーとわかるシェパードの絵の力もあって、キャラクターたちは、皮肉めいたものからおセンチなものまで、様々な文脈のなかで言及されるようになりました。
息子クリストファー・ロビンとそのぬいぐるみがお話のモデル
クリストファー・ロビン・ミルンは、父A.A.ミルンと母ダフネの間に生まれた一人っ子でした。「クマのプーさん」、あるいは縮めて「プー」と呼ばれていたのは、手足が長く、おなかを押すとうなり声をたてる大きなぬいぐるみのクマで、クリストファー・ロビンのお気に入りでした。
子ども部屋には、ほかにもプーの仲間がいて――最初がイーヨー、それからコブタ、カンガとルー、トラーが加わりました。
遊んでいるクリストファーをみながら、父親は彼らの冒険を記録していきました。
ミルン一家が週末をすごす家に近いアッシュダウンの森が、クリストファーの探検の舞台となりました。
シェパードもここを訪れ、森やクリストファーのおもちゃをスケッチしました。
しかし、彼の絵は、自身の息子グレアムと、そのおもちゃのクマ、グラウラーからヒントを得ています。
『クマのプーさん』の冒頭で、クリストファー・ロビンは、クマをつれて2階からおりてきて、おとうさんにお話をせがみます。
そこでミルンは、森で経験したいくつもの冒険のひとつを話してやります。
お話が終わると、階段は、お風呂とベッド、つまり現実の世界へもどる、象徴的な存在になります。
このシュタイフ社のぬいぐるみは、E.H.シェパードの息子のグレアムがもっていたクマのグラウラーに似ています。
ドイツのぬいぐるみメーカーのシュタイフ社は、1902年に、最初のテディベアを作ったことで知られています。
物語の舞台「百町森」のモデル
―アッシュダウンの森
1925年から、ミルン一家は、イーストサセックスのハートフィールドにあるコッチフォード・ファームで、週末を過ごすようになりました。
クリストファーは、近くのアッシュダウンの森を含む家の周囲を、降っても照っても、探検するようになりました。
しかし、彼の「てんけん」のはじまりは、庭の大きなクルミの木でした。
お茶の時間になると、クリストファーは家に戻って、冒険してきたことを話しました。
それがもとになって、『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』の2冊が生まれたのです。
森はいつでもそこにあります……。
そして、クマと仲よしのひとたちなら、だれでもそれを見つけることができるのです。
原画でたどるプーと仲間たちの名場面の数々
クリストファー・ロビンが、おやすみまえのおはなしを聞こうと、しずかに暖炉の前に座っているとき、父親のA.A.ミルンは、目の前の幼い男の子を見ると同時に、自分の幸せな子ども時代もふりかえっていました。
これらのシンプルなお話は、遊び心たっぷりの空想から出たものですが、日常に深く根ざしたものでもありました。テーマは子ども時代、ちょっとした事件や思いちがい、仲良しとけんか、冒険と問題解決、読み書き計算を学ぶことなどでした。
「つまり、こういうことなんです。」と、プーはいった。
「風船でハチミツをとるにはね、ハチミツをとりにきたってことを、ミツバチに知られないようにするのが、だいじなことなんです。」より
クリストファー・ロビンが、プーの前足をつかまえ、ウサギがクリストファー・ロビンにつかまり、それから、ウサギの親せき友人一同が、総出で、ウサギにつかまり、みんなが、いっしょにひっぱりました。
「ああう!」と、トラーは、わきをとんですぎる木を見ながら、どなりました。
「気をつけろ!」とクリストファー・ロビンがみんなにさけびました。
シェパードは、書かれた物語を解釈し、生き生きとした画像に変える天才的な能力を持っていました。
それが本の成功の鍵だったのです。
またとない技法を備えた画工であり、鋭い観察者で、どんな細かなディテールにも気を配るシェパードは、ミルンと並んで、プーの生みの親でありました。
『クリストファー・ロビンのうた』(1924年)、『クマのプーさん』(1926年)、『クマのプーさんとぼく』(1927年)そして『プー横丁にたった家』(1928年)は、クリストファー・ロビン本として知られるようになりました。
1928 年には、これらの本は、「児童文学におけるユニークな地位」を獲得していました。後に、安価なペーパーバックが出回るようになり、読者はますます広がっていきました。カラー版も出始めました。
以後、絶版になったことはなく、世界の児童書の中でも、もっとも愛される本のひとつであり続けています。
世界中で愛されているクマ
A Very Popular Bear
ミルンの本の人気を見込んで、1930年に、アメリカの起業家スティーヴン・スレシンジャーは、プーとその仲間をもとに、商品開発に乗り出しました。1966年、ディズニーはプーの物語をアニメ化。
プーは、世界中に知られる、大人気のキャラクターになったのです。
物語は50以上の言葉に訳され、ありとあらゆるものに――ティーセットから料理本まで――プーの図柄がついています。
一目見ればプーとわかるシェパードの絵の力もあって、キャラクターたちは、皮肉めいたものからおセンチなものまで、様々な文脈のなかで言及されるようになりました。