
内容紹介
●知的障害のある長男の出産、夫の突然死、生存率2割の大手術から生還するも、下半身麻痺となり、車椅子生活に__。
●幾多の試練が容赦なく襲いかかり、もはや命を絶つしかないと思ったその矢先、著者は「死にたいなら死んでもいいよ」という娘の一言に救われ、前へ踏み出す勇気を得たといいます。
●本書は現在年間180回以上もの講演を行い、人々に生きる勇気を与えている著者による初の自叙伝です。
なぜ、彼女はかくも強いのか?
なぜ、かくも明るく生きられるのか?
●特筆すべきは、折に触れ著者を前に進ませようとする娘の存在。心の持ちようで人間の運命は決まると、読者に対しても深い示唆を与えてくれます。
●巻末に添えられた「娘から母への手紙」で、書名に秘められた真意が明らかになるとともに、深い感動が全身を貫いていくことでしょう。
●人間学の致知出版社が贈る感動のヒューマンストーリー。泣ける感動実話です
●TEDx講演動画をはじめ、SNSで5万シェア
●朝日新聞「ひと」、テレビ「NEWS ZERO」ほか、メディア出演多数の著者による初めての著書
商品の説明
内容紹介
●知的障害のある長男の出産、夫の突然死、生存率2割の大手術から生還するも、下半身麻痺となり、車椅子生活に__。
●幾多の試練が容赦なく襲いかかり、もはや命を絶つしかないと思ったその矢先、著者は「死にたいなら死んでもいいよ」という娘の一言に救われ、前へ踏み出す勇気を得たといいます。
●本書は現在年間180回以上もの講演を行い、人々に生きる勇気を与えている著者による初の自叙伝です。
なぜ、彼女はかくも強いのか?
なぜ、かくも明るく生きられるのか?
●特筆すべきは、折に触れ著者を前に進ませようとする娘の存在。心の持ちようで人間の運命は決まると、読者に対しても深い示唆を与えてくれます。
●巻末に添えられた「娘から母への手紙」で、書名に秘められた真意が明らかになるとともに、深い感動が全身を貫いていくことでしょう。
●人間学の致知出版社が贈る感動のヒューマンストーリー。泣ける感動実話です
●TEDx講演動画をはじめ、SNSで5万シェア
●朝日新聞「ひと」、テレビ「NEWS ZERO」ほか、メディア出演多数の著者による初めての著書
内容(「BOOK」データベースより)
27歳、長男を出産。知的障害のある子だった。37歳、最愛の夫が突然死。心の支えを失う。40歳、生存率20%の大手術。無事生還するも、下半身麻痺となり、車椅子生活に。50歳(現在)これまでの経験をもとに年間180回の講演。人々に生きる勇気を与えている。生きる力が湧く感動実話!
著者について
■プロフィール
1968年大阪市生まれ。知的障害のある長男の出産、夫の突然死を経験した後、2008年に自身も大動脈解離で倒れる。
成功率20%以下の手術を乗り越え一命を取り留めるが、後遺症により下半身麻痺となる。
約2年間に及ぶリハビリ生活中、絶望を感じて死を決意。
娘の「2億パーセント大丈夫だから」という励ましがきっかけで、歩けない自分にできることを考え始め、病床で心理学を学ぶ。
2011年、娘が創業メンバーを務める株式会社ミライロに入社。
自分の視点や経験をヒントに変え、社会に伝えることを願い、講師として活動を開始。
高齢者や障害者への向き合い方「ユニバーサルマナー」の指導を中心に、
障害のある子どもの子育てについて等、年間180回以上の講演を実施。
2014年開催の世界的に有名なスピーチイベント「TEDx」に登壇後、
日本経済新聞「結び人」・朝日新聞「ひと」・NEWS ZERO・報道ステーションでコメンテーターを務めるなど
数々のメディアで取り上げられる。WEB記事はSNSでシェア5万件を越える。
2015年はハワイにてADA法を学ぶ旅行ツアーの企画・アテンド、
2016年はミャンマーにて知的障害のある子どもの両親への講演など海外での活動も実施。
■目次
第1章 人と違うことが怖い
第2章 ダウン症の良太が教えてくれたこと
第3章 主人との別れ、伝えられなかったこと
第4章 死にたいなら、死んでもいいよ
第5章 すべてが転機に変わった日
第6章 ハードは変えられなくても、ハートは変えられる
第7章 人前で話せるようになるまで
第8章 巡り巡って、ミャンマーへ
第9章 いつか美しくなる、今へ
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
岸田/ひろ実
1968年大阪市生まれ。知的障害のある長男の出産、夫の突然死を経験した後、2008年に自身も大動脈解離で倒れる。成功率20%以下の手術を乗り越え一命を取り留めるが、後遺症により下半身麻痺となる。約2年間に及ぶリハビリ生活中、絶望を感じて死を決意。娘の「死にたいなら死んでもいいよ」という言葉がきっかけで、歩けない自分にできることを考え始め、病床で心理学を学ぶ。2011年、娘が創業メンバーを務める株式会社ミライロに入社(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)