輪子の競輪日記 村上選手が箱勝負に

2019年02月19日 19時26分08秒 | 未来予測研究会の掲示板

 輪子が2階の通路から特別観覧席を見上げると、後方の席に武蔵さんが座っていた。

その席まで階段を上がって行くと武蔵さんは、輪子の姿に気付き笑顔となる。

「古河は来ているのか」と聞かれる。

武蔵さんは古河から車できている長島さんを気にかけている。

「この前会った時、焼き肉を御馳走する約束なのに、帰ってしまった」と苦笑していた。

長島さんは、「武蔵さんに誘われていたのを、すっかり忘れた」と輪子に打ち明けていた。

車券の予想に集中して、その予想が外れると拘る。

次のレースを予想する。

でもまた車券が外れる。

平常心を失う。

最終レースが終わった時点で、気持ちが萎えてしまい、空っぽの頭になったようだ。

「最終レースは勝負だ」と武蔵さんは言う。

逃げは新山1車。

好調の原田と村上、新山の勝負と武蔵さんは断言。

「ええ!新山選手と連携する山崎選手を無視ですか」輪子は武蔵さんの考えることに首を傾げた。

「箱勝負も考えている」と村上選手は競輪専門紙に答えていた。

逃げる新山選手の番手を奪いに行く作戦も村上選手に臭わせていた。

その新聞のコメントに気付いていた武蔵さんは、「さすが勝負師」と輪子は感嘆!

結果はその通りのレース展開に。

3-5-9-8のラインで先行するはずが、3-1-5-9-8となってしまう。

武蔵さんが気付いていたとおりの展開に。

「山崎は初日、新山から離れて、ダメだな」と武蔵さんは、山崎選手の評価を下げていた。

絶好調の原田選手は後方に置かれ、3着が精一杯に。

原田選手は初日上がりタイムが9・5秒の一番時計。

2日目は9・7秒、3日目は同じ9・7秒。

3日間ともに9秒台の上がりタイムは原田選手のみ。

奈良競輪開設記念GⅢ12R決勝

北日本作戦

 






選手名府県



  9 1 1 村上博幸 京都 39 86 SS
  11 2 2 小倉竜二 徳島 42 77 S1
  6 3 3 新山響平 青森 25 107 S1
×   11 4 4 原田研太朗 徳島 28 98 S1
  9 5 山崎芳仁 福島 39 88 S1
  14 5 6 長島大介 栃木 29 96 S1
    14 7 村田雅一 兵庫 34 90 S2
    17 6 8 竹内智彦 宮城 41 84 S1
  10 9 佐藤慎太郎 福島 42 78 S1
誘導員 元砂 勇雪       S2  

 1‐7 6(単騎) 4-2 3-5-9-8 

2車単 1-3 2640円(11人気) 

3連単 1-3-4 1万6820円(70人気)


「基本的信頼感」

2019年02月19日 12時25分11秒 | 社会・文化・政治・経済

今の課題はなにか。

日々の目標を明確に。

具体的な実践を重ね、進んでいく。

何のための一生なのか。

人生、いかに生きるべきか。

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子どもの心の発達を考える時、乳幼児期は重要な時期だ。

「基本的信頼感」という人間関係の土台を育んでいくからだ。

親が子どもの心に「自分は大切な存在だ」との考えが芽生え、健全な自尊心が育まれます。

その上で学童期に入ると、子どもは自然と自分自身の価値を自ら認めるようになり、「やればできる」との前向きな感情を持つようになります。

親の側としては、時として辛抱強く見守ることも大切です。

親自身が抱く不安をぶつけるだけだと、子どもは敏感に感じ取り反発は強まります。

あえて口うるさく言わないことで、子どもたちは「親から信頼されている」と感じることもあります。


記録映画「こんばんはⅡ」

2019年02月19日 11時53分21秒 | 社会・文化・政治・経済

現在、全国で1700人ほどの方が夜間中学に通っています。

義務教育をを受けられていない人は全国で百十万人いるともいわれています。

夜間中学のドキュメンタリー「こんばんはⅡ」完成記念上映会 

私たちの学校は「こんばんは」から始まります。

 学ぶよろこびはみんなのものです。
何歳になっても、どこの国の人でも学ぶことができます。
そのねがいをかかげて、夜間中学は続いてきました。その数、8都府県に31校。まだたいへん少ないのです。義務教育機会確保法ができ、いま全国の都道府県に少なくても1校は夜間中学を作ろうとしています。しかし、ほとんどの人が〈夜間中学〉を知らないのでは、それはとても難しい。
夜間中学はどんなところか、どんな人たちが学びを求めていて、夜間中学を作る必要があるのか、〈映画で〉実際に見ていただこう、そういう目的でこの映画を作ることにしました。
映画「こんばんは」の森康行監督、映画に出てくださった人たち、それから募金を寄せてくださった人たちの
力でここに完成することができました。皆さん、ぜひご覧下さい。
そして、どんな小さな集まりでもけっこうですので、全国のあちこちで上映して、夜間中学を広めてください。

 全都道府県に一校以上の夜間中学をつくりましょう。

監督:森康行 ナレーション:大竹しのぶ 編集:古賀陽一 
選曲:八重樫健二 制作:夜間中学校と教育を語る会

夜間中学の記録映画『こんばんは』から15年。
義務教育機会確保法を追い風に、47都道府県すべてに夜間中学を設置しようと、新たなうねりが起きています。夜間中学とは何か。
夜間中学の「今」を切り取ったプレミアム版『こんばんは』を森 ...
映画「こんばんは」プレミアム版について

さまざまな事情で義務教育を終えられなかった人が通う「夜間中学」を知ってほしいと教員や卒業生、支援者らが、各地の夜間中学を取り上げた映画「こんばんは2」の製作を進めている。
15年前に公開されて話題を呼んだ森康行監督(68)のドキュメンタリー映画「こんばんは」(92分)の特別版。
昨年の「教育機会確保法」施行などを背景に、各地で公立の夜間中学新設の動きが出ており、支援者は「全国に増やす力にしたい」と意気込んでいる。
夜間中学は本来、戦後の混乱期に昼間働かざるを得ない子どもたちのために生まれたものだが、最近は不登校などで、義務教育を受けていないと、社会生活を送る上で支障が来ます。


リバタリアニズム

2019年02月19日 11時33分11秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
 アメリカを揺るがす自由至上主義 
 

商品の説明

内容紹介

アメリカ社会、とりわけ若い世代に広がりつつあるリバタリアニズム(自由至上主義)。

公権力を極限まで排除し、自由の極大化をめざす立場だ。

リベラルのように人工妊娠中絶、同性婚に賛成し、死刑や軍備増強に反対するが、保守のように社会保障費の増額や銃規制に反対するなど、従来の左右対立の枠組みではとらえきれない。

著者はトランプ政権誕生後のアメリカ各地を訪れ、実情を報告。未来を支配する思想がここにある。

内容(「BOOK」データベースより)

アメリカ社会、とりわけ若い世代に広がりつつあるリバタリアニズム(自由至上主義)。公権力を極限まで排除し、自由の極大化をめざす立場だ。

リベラルのように人工妊娠中絶、同性婚に賛成し、死刑や軍備増強に反対するが、保守のように社会保障費の増額や銃規制に反対するなど、従来の左右対立の枠組みではとらえきれない。著者はトランプ政権誕生後のアメリカ各地を訪れ、実情を報告。未来を支配する思想がここにある。

著者について

渡辺靖 
慶應義塾大学SFC教授。1967年(昭和42年)、札幌市に生まれる。

97年ハーバード大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。オクスフォード大学シニア・アソシエート、ケンブリッジ大学フェローなどを経て、99年より慶應義塾大学SFC助教授、2005年より現職。専攻、アメリカ研究、文化政策論。

2004年度日本学士院学術奨励賞受賞。

著書に『アフター・アメリカ』(サントリー学芸賞・アメリカ学会清水博賞受賞)、『アメリカン・コミュニティ』『アメリカン・センター』『アメリカン・デモクラシーの逆説』『文化と外交』『アメリカのジレンマ』『沈まぬアメリカ』『〈文化〉を捉え直す』など。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

渡辺/靖
1967年(昭和42年)、札幌市に生まれる。97年ハーバード大学大学院博士課程修了(Ph.D.社会人類学)。

ハーバード大学国際問題研究所、オクスフォード大学シニア・アソシエート、ケンブリッジ大学フェローなどを経て、2005年より慶應義塾大学SFC教授。専門はアメリカ研究、文化政策論。

日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞受賞。著書『アフター・アメリカ』(慶應義塾大学出版会、2004年、サントリー学芸賞、アメリカ学会清水博賞、義塾賞受賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


或る女

2019年02月19日 11時11分41秒 | 社会・文化・政治・経済
或る女 / 有島 武郎
或る女
  • 著者:有島 武郎
  • 出版社:中央公論社
  • 装丁:文庫(600ページ)
     内容紹介:
日清戦争前後、時代の高揚のなかで、自我の芽生えを自覚した葉子。
旧弊な社会に反発し、自らの情念に忠実に生きようとした気丈で才知溢れる女性の、多感な性情と苦痛にみちた運命、その肉体と精神の相克を描き、リアリズム文学の傑作と称される不朽の名篇。
『或る女』はいつまで経っても今日性を失わない作品である。その秘密はどこにあるのか、何が原因なのか。

この作品をモデル小説、あるいは私小説のように読んで、その巧拙、前篇と後篇との優劣を論じるような批評があった。
たしかに、主人公(葉子)には作者が認めているように国木田独歩の恋人であった佐々城信子という実在のモデルがいた。
彼女は婚約者森広(作中では木村)と暮すためにシアトルへ出発する。
しかしその船の事務長(郵船会社の倉地)に魅かれ、目的地についても下船せず、そのまま彼と一緒に日本に帰ってきてしまう。
この事件はやがて報知新聞に「鎌倉丸の艶聞」として報道される。
有島武郎はこのことを知り、作家として興味を抱いた。
醜聞に登場する幾人かの人物は彼が知っていたのである。
この作品は、最初『或る女のグリンプス』という題名で、明治四十四年(一九一一年)一月から大正二年(一九一四年)の三月まで同人雑誌「白樺」に掲載された。
それから数年経った大正八年(一九一九年)、有島武郎四十一歳の年に大幅に改稿され、三月に前篇が、その数カ月後に後篇が、一気に書きあげられている。

この数年のあいだに、有島武郎のなかに決定的な「何か」が起り、他に類例を見ない一人の作家が誕生したのである。
彼は明治以後の近代文学の歴史の流れのなかにそのまま組入れることのできない、モダンな性格と深い思想性を持っていた。本多秋五は彼について、

「私は彼の文学を本当に理解したと思ったことがない」

と告白し、最も深く有島武郎を研究したと言ってもいい安川定男も、

「有島は大変わかりにくい人」
と述懐するのである。これらの言葉は『或る女』についてだけ言われたのではなく、作家全体についての言葉なのだけれども。
しかし、このような評価は、彼の文章が晦渋だとか、作品が難解だとかいうことを少しも意味しない。
『或る女』にしてもそうだが、他の作品にしても、たとえばマキシム・ゴオリキイの翻訳ではないかと言われた最初の小説『かんかん虫』にしても、最晩年の『惜みなく愛は奪う』にしても、つまり一貫して彼の作品はきわめて平明であり、作者が作中人物に与えた思想と性格はむしろ単純であり、文章にも澱みはないのである。

では、読者には分りやすい作品が、なぜ専門家にはむずかしい、と感じられるのか。
作家有島武郎の秘密はこうした、一見不思議な矛盾のなかに隠されているのではないか。
言いかえれば彼の文学は、専門家が近代文学を解説する場合に使う思考枠や分析手法を受付けないような性格を持っているのではないか。
書き手:作家 辻井 喬さん
 

佐々木信子と国木田独歩

2019年02月19日 11時02分35秒 | 社会・文化・政治・経済

医師・伊東友賢(のち佐々城本支)と星艶(のち佐々城豊寿)の間の私生児として生まれる。

相馬黒光は従妹。青山女学校に学ぶ。
1895年(明治28年)、日本キリスト教婦人矯風会の主力メンバーであった母親が自宅で日清戦争の従軍記者を招いた晩餐会を開催したのをきっかけに、『国民新聞』紙上での従軍記『愛弟通信』で少し知られた国木田独歩に恋されて駆落ち同然に結ばれるが、独歩の貧困に耐えかねて、結婚後わずか5か月で出奔。
離婚後の1897年(明治30年)、独歩の子・浦子を出産、父の娘として入籍された浦子は生後3週間で里子に出す。
1901年(明治34年)父・本支が急死すると、農務省の農業練習生として米国留学中だった森広との結婚のため鎌倉丸に乗るが、船の事務長で妻子もある武井勘三郎と恋に落ち、シアトルへ到着後、そのまま同船で帰国。
事件は「鎌倉丸の艶聞」として「東京日日新聞」に連載され、独歩はこれによって、信子が自分の子を産んでいたことを初めて知る。
有島武郎『或る女』のモデル。
帰国後は武井と佐世保で旅館を経営し、そののち東京に戻って一女をもうける。
1921年(大正10年)に武井が亡くなったあとは、妹の看病のために栃木県真岡市に移り、第二次世界大戦中も日曜学校を開き、71歳で亡くなるまで静かに暮らした。


武蔵野をよむ

2019年02月19日 10時08分27秒 | 社会・文化・政治・経済

武蔵野の一部だった。

「生活と自然とが密接にからに合う」都会の縁にひろがる詩趣を、独歩は散策

という行為によって見出した。

しかしそれは真新しいなにかを発見したというより、更新され、消えていくものに対する眼差しの推移であり、挽歌に近いものであったかもしれない。

独歩の散策は、時間と空間、さらに季節を限定した現在の旅だったが、それは昔の武蔵野へのまなざしの継承なのか断絶なのか。

独歩が渋谷村に居を構えたのは、佐々木信子との結婚生活が破綻した数カ月後のことで、20代半ばの独歩は、まだ心の傷を癒しきれていなかった。

信子は別の意味でも、独歩と武蔵野の出会いを結びつけている。

恋に落ちた二人は、北海道の開拓地での暮らしを夢みていた。

短編「空知川の岸辺」には、独歩が彼女を追うように北海道の原野を訪ね、圧倒的な原始林を目の当たりした折の経験が生かされている

人間の存在を小さなものにしてしまうような寂寥は、人の気配が親密に入り込んでいる武蔵野の雑木林で感じる寂しさとはまったくべつものである。

北海道の原野をしったからこそ、「今の武蔵野」に目を向けることができたとも言えるだろう。落葉林の美しさを彼に気かせて、さらにそれを表現する文体の獲得に力を貸したの、二葉亭四迷によるツルゲーネフ「あいびき」の翻訳(明治21年)だった。

しかし独歩は人目にさらされた男女の逢い引きの場面を真似たりせず、過去の恋のいきさつを見えない糸で言葉の節々に縫い込みながら林の美を描く方法を学んだ。堀江敏幸さん評


開拓とは自分自身への挑戦

2019年02月19日 10時08分27秒 | 社会・文化・政治・経済

苦手だからと、つい避けてきた課題。

先入観から「どうせだめだ」と諦めてしまう。

また、「いつかやろう」と思いながら、いつも後回しにする。

これまでの手つかずの問題・・・・。

最も手強い壁は、実は心の中にある。

ゆえに、勇気をもって自分と向き合い「自己拡大」の戦いをすることだ。


自分の思いこそが未来を創る

2019年02月19日 09時13分16秒 | 社会・文化・政治・経済

希望は、いずこより来るのか。

それは「必ず勝つ」「必ずこうしてみせる」という強き一念から起こる。

自分の思いこそが未来を創る。

「未来の果(結果)」は、「現在の因(原因)」に納まっている。

そして「開拓」とは、自分自身への挑戦だ。

人は、誰でも未踏の原野をもっている。

それも、どこか遠い彼方ではなく、ごく身近にあるものだ。

 


南米解放の父 シモン・ボリバル

2019年02月19日 06時52分41秒 | 社会・文化・政治・経済

「人間がなしうる最も素晴らしいことは人に光を与える仕事である」シモン・ボリバルの言葉

シモン・ボリバルは、その思想と行動から「アメリカの人(Hombre de América)」と考えられています。世界史における傑出した人物であり、ラテンアメリカの様々な国で偉大な政治的遺産を残しました。

ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビアの5カ国を植民地支配から解放。スペイン帝国からこれらの国々の独立を勝ち取った軍を指揮しました。

また、法律上は1821年~1830年に存在し、前述の国々の連合にパナマが自発的に加わってできた共和国、大コロンビア(グラン・コロンビア)の推進者となり、1819年~1830年の間、その大統領を務めました。

 ボリバルの政治的・社会的な思想や姿勢は、ボリバル主義(Bolivarianismo)と呼ばれる潮流の起源となりました。これは特に、団結・正義・自由・平等・民主主義という原則に基づいています。

 ・団結

ボリバル主義の哲学は、権力と富を貪欲に追求する帝国主義を食い止めるため、パトリア・グランデ(偉大なる祖国)の考えに基づいて、文化を共有する国々の団結と統合を目指すというものです。「私たちは南アメリカのための中央政府、唯一かつ有力なアメリカの政府を形成する必要がある。世界を征服しようとしてやまない強大な権力に立ち向かうことのできる、巨大な政府を。私たちは全南アメリカの融合―共通の歴史、言語、文化を持つ兄弟国の集合体への融合なくして設立され得ないような国家を必要としている。私たちにとって、祖国とはアメリカなのだ。」(シモン・ボリバル)

 ・正義

豊かな者と貧しい者とを、公平さと真の誠実さにより等しく保護する法制度の確立。自らの権利を有効とするには他者の権利を尊重せねばならない、これはあらゆる市民の義務です。

「法令の侵害は、隷属であり無政府状態である。隷属を維持するような法は、最も背徳的な法である。この犯罪(隷属)のあらゆる面を見よ、このような人の尊厳の侵害を合法とするような堕落したボリビア人が一人でもいるとは信じない。」(シモン・ボリバル)

 ・自由

あらゆる人が、政府の活動において同じ権利を持ち、自由に参加でき、主役であることができます。「諸国家は自国の憲法の奴隷であり、国家は自国民の運命を左右する。法の精神は、各国民に相応しくあるべきである。各国民は法を、自国の自然、気候、土地の性質、そして自分たち自身に適したものにするのだ。」(シモン・ボリバル)

 ・平等

あらゆる人が、その出自、肌の色、社会階級、ましてや背が高いか低いか、肥っているか痩せているか、肌が白いか黒いかにかかわらず、社会の中で同じ権利と義務を持ちます。

 

・民主主義


ボリバルは一貫して確たる共和制支持者であり、君主制は、現実やアメリカ解放の精神に合わない時代錯誤の制度だと信じていました。ボリバルは憲法草案のすみずみで民主主義の要素を構想していました。つまり、大多数の人々の参加と世論の尊重により物事が決まる、人民の、共和制の、責任ある、代表制の政府です。ボリバルは、「最も完璧な政府というのは、可能な限り最大の幸福、最大の社会保障、最大の政治的安定を生み出す政府」であり、「民主主義のみが(中略)絶対的な自由を可能にする」と考えていました。

 


率先して実行すること

2019年02月19日 06時33分38秒 | 社会・文化・政治・経済

人間は<一足飛び>に成長することはできない。

自身の壁を破ること、境涯を高めることは、特別なことではない。

今ここで、自分ができることから、勇気の行動を起こすことである。

目の前の壁を、一つまた一つ乗り越える。

その連続の中で不屈の力と心が磨かれる。

 人生は率先して実行することが大切である。

 


<邂逅>のメッセージ

2019年02月19日 06時27分27秒 | 沼田利根の言いたい放題

数年前のこと、児童文学者の漆原 智良(うるしばら ともよし)から、<邂逅>のメッセージが、恐縮する。

実は、大学時代には崇拝していた漆原先輩が居たし、元同僚に漆原嬢が居て忘れ難い名字となっている。

 邂逅:思いがけなく出あうこと。偶然の出あい。めぐりあい。


「総括しろ」

2019年02月19日 06時16分03秒 | 沼田利根の言いたい放題

褒め合う会社は働く意欲も高いい。

だが、振り替えれば意欲が減退する会社もあったものだ。

 「総括しろ」

総括(そうかつ)とは、本来は全体を取り纏める事。

1960年〜1970年代の左翼政治運動家の間では、活動を振り返ることで反省・改善策を見出す思考法として好んで用いられていたものである。

学生運動をしてきた経営者であった。

「記事は互いに、批判し合うのだ。何かあるだろう。皆で総括しろ」

編集会議は、常に重苦しい空気で淀み、各自の気分が萎えたものだ。


三月の空を見上げて

2019年02月19日 04時35分38秒 | 社会・文化・政治・経済
三月の空を見上げて 戦災孤児から児童文学作家へ
 
出版社: 第三文明社
 

 戦災孤児から児童文学作家へ新刊

著者漆原 智良 (著)

児童文化功労賞を受賞した著者が、1945年3月の東京大空襲から2011年3月の東日本大震災までの人との出会いや、体験から生み出された生きる力などに焦点を絞り、寄り添い、寄...

商品説明

児童文化功労賞を受賞した著者が、1945年3月の東京大空襲から2011年3月の東日本大震災までの人との出会いや、体験から生み出された生きる力などに焦点を絞り、寄り添い、寄り添われて歩んできた半生を振り返る。【「TRC MARC」の商品解説】

1945.3.10(東京大空襲)と、2011.3.11(東日本大震災)を超えて──。 

数多くの著書をもつ児童文化功労賞を受賞した著者が、平和を願い、人との出会いを宝として歩んだ85年の人生をつづった初めての自伝。戦災孤児から苦闘の青春時代を経て、孤島での教員生活から児童文学作家の道へ進み、大学講師・著述家として震災被災者に寄り添うまでの半生、そして未来へ。【商品解説】

目次

  • 第1章 幼い日の記憶──オクニノタメ
  • 第2章 苦闘の青春時代──戦後の混乱のなかで
  • 第3章 八丈小島での哀歓──青年教師として
  • 第4章 心を育む活字文化──書く力、読む力
  • 第5章 よみがえる無人島──四半世紀の歳月を超えて
  • 第6章 語り継ぐ真実──寄り添い、寄り添われ
  • 第7章 震災を超えて──3.10から3.11まで
 

著者紹介

漆原 智良

略歴
〈漆原智良〉1934年東京生まれ。法政大学文学部卒業。中学校教諭を経て、作家生活に専念。
児童文学作家、教育評論家。(社)日本児童文芸家協会顧問。児童文化功労賞、児童ペン大賞受賞。