9/14(月) 11:00配信
デイリー新潮
ここでも人材不足?
側近不足という珍しい事態に直面している菅氏
安倍晋三首相(65)を支えた功労者として、菅義偉・官房長官(71)、麻生太郎・副首相兼財務相(79)、今井尚哉・首相補佐官兼秘書官(62)──この3人の名は必ず挙がる。ならば次期首相が確実視される菅氏の側近・盟友・知恵袋と呼べる人物は誰だろうか?
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9月8日、自民党総裁選の所見発表演説会が党本部で開かれた。立候補した石破茂・元幹事長(63)、岸田文雄・政調会長(63)、そして菅氏の3人が、コロナ対策や格差問題について自説を展開した。
しかしながら、総裁選は既に菅氏の勝利が確定しているという見方が圧倒的だ。つまり次期首相は、菅氏で決まりということになる。
であるからこそ、菅首相をサポートする側近が今すぐにでも必要なのだ。政治担当記者が言う。
「首相側近と言ってもブレーンや秘書など様々な立場がありますが、まず女房役の官房長官に注目が集まります。何しろ毎日、記者会見を開き、テレビで流されます。内閣の顔であり、官房長官のイメージが内閣支持率に影響を与えることも珍しくありません。政策の遂行では官僚をまとめ上げ、与党との折衝が求められる重要ポジション。果たして菅さんが誰を任命するのか、今から関心が高まっています」
日本史の教科書に記述が載ることは少ないが、多くの首相側近が日本政治史には名を残している。
池田勇人の側近
前出の政治担当記者が解説する。
「戦後復興を成し遂げた宰相と言えば吉田茂(1878~1967)です。“吉田13人衆”や“吉田学校”という言葉があるように、彼は側近に恵まれ、多くの後進を育てました。中でも通商産業省(現:経済産業省)の設立に尽力した白洲次郎(1902~1985)と、大蔵省(現:財務相)次官から政界に転じ、当選1年目から大蔵大臣に就任した池田勇人(1899~1965)の2人が特に“吉田の右腕”と呼ばれています」
(註:故人は敬称略とした。新聞記事の引用などに際しては、全角数字を半角に変えるなど、デイリー新潮の表記法に合わせた)。
吉田退陣後、2人は好対照の道を歩んだ。白洲次郎は政界と一切の関係を絶ち、財界に復帰した。池田勇人は1960年、首相に就任した。「所得倍増計画」はあまりに有名なスローガンだ。
「首相の池田を首席秘書官として支えたのが伊藤昌哉(1917~2002)でした。満州国軍の士官として終戦を迎え、戦後は九州のブロック紙・西日本新聞の記者になりました。経済記者として池田と出会い、関係を深めたのです。伊藤は社内で閑職に回されたこともあって退社。1958年に池田の私設秘書になりました」(同)
10億円の演説
伊藤は池田のスピーチライターとしても才能を発揮した。
60年10月、日本社会党の委員長だった浅沼稲次郎(1898~1960)を17歳の少年が刺殺するという事件が発生。池田が衆議院で読み上げた追悼演説は伊藤が執筆したものだ。
その追悼演説で、最も話題になった箇所を引用しよう。
《君は、また、大衆のために奉仕することをその政治的信条としておられました。文字通り東奔西走、比類なき雄弁と情熱をもって直接国民大衆に訴え続けられたのであります。
沼は演説百姓よ
よごれた服にボロカバン
きょうは本所の公会堂
あすは京都の辻の寺
これは、大正末年、日労党結成当時、浅沼君の友人がうたったものであります》(註:文中の旧字を新字に改めた)
名スピーチと高く評価されただけでなく、国会の演説で詩の引用は珍しいと大きな注目を集めた。池田は「5億円か10億円の価値があった」と満足したという。
後藤田正晴の活躍
次の佐藤栄作(1901~1975)は、田中角栄(1918~1993)と福田赳夫(1905~1995)を競わせ、長期政権の礎を築いたことは有名な話だ。
72年、首相に就任した田中だが、金脈問題で有権者の支持が離反、74年に退陣へ追い込まれた。
だが、その後も権勢をほしいままにし、“キングメーカー”として長く自民党に君臨した。
1984年12月の朝日新聞は、田中の《側近中の側近》として秘書だった早坂茂三(1930~2004)の名を記した。
更に《腹心》は二階堂進(1909~2000)と、後藤田正晴(1914~2005)の2人を挙げている(84年12月20日「消えた自重自戒:上 有罪判決で田中があえて選んだ道は(田中支配:21)」)。
「中曽根康弘(1918~2019)は党総裁選に勝利すると、その後藤田に官房長官就任を要請します。普通は自派閥から選ぶのが慣例でしたが、後藤田は田中派。おまけに旧内務省で中曽根の先輩でした。後藤田は当初は固辞しますが、それほど異例の人事だったのです。ところが最終的に後藤田が受諾すると、たちまち首相の懐刀として抜群の働きを示し、政権の長期化に大きく寄与したのです」(同)
小泉首相の側近
近年の政権では1996年、首相に就任した橋本龍太郎(1937~2006)を、内閣総理大臣秘書官(政務担当)として江田憲司・衆院議員(58)が支えた事例が有名だ。ちなみに当時の江田氏は通産省のエリートキャリアだった。
2006年9月15日、毎日新聞は「クローズアップ2006:小泉政権5年5カ月 飯島勲・秘書官に聞く」の記事を掲載した。
小泉純一郎氏(78)は01年から06年まで首相を務めたが、このインタビュー記事で毎日新聞は、首相秘書官を務めた飯島勲氏(74)を《小泉純一郎首相の最側近》と形容した。
記者が《昨年の「郵政選挙」の「刺客候補」》について質問すると、以下のように内幕を赤裸々に語った。
《私が関与する候補の発表というか、打ち上げ花火のタイミングは任せてもらいました。オールジャパンで名前が通っていて、どこの有権者も納得できる経歴の持ち主を探したが、「この選挙区でないと嫌だ」という人は有名人でも外しました。準備は解散の3カ月前ぐらいから。最後は小泉、自民党の武部勤幹事長、二階俊博総務局長(現経済産業相)の3人の意見が100%一致した人を擁立しました》
菅氏のリーダーシップ
小泉氏は自民党内でも一匹狼として知られた男だった。飯島氏がいなければ、総理の座に就くことはできなかった。もちろん、長期にわたって政権を維持することもできなかった。
結局は首相のリーダーシップが重要なのは言うまでもない。とはいえ、側近の能力が低ければ、短命政権に終わる確率が一気に上昇してしまう。
首相を長く続けるためには、優秀な女房役や側近が必要なことは間違いない。
菅氏は無派閥の議員である。しかしながら、自民党内で結成された「令和の会」や「ガネーシャの会」といった無派閥議員のグループで、リーダー的なポジションに就いている。
大手全国紙は、こうしたグループを実質的な“菅派”と見なし、産経新聞が《無派閥議員の「菅グループ」は30人を超える》と報じたこともある。
菅氏は徒手空拳で首相の座に就くのではない。側近の候補を探せる“自前の派閥”を一応は持っているとも言えるのだ。
ところが前出の政治担当記者は、そもそも“菅派”が存在するのか疑問を示す。
“立候補者”は落第
更に菅氏のリーダーシップも疑問視されているという。
「菅グループは派閥ではなく、従って菅さんは“派閥の領袖”ではありません。集めた金を、配下の議員へ定期的に渡しているわけではないのです。派閥のトップであれば、一応はリーダーシップの持ち主だと認められます。しかし、菅さんはこれまで『総理の座など考えていない』と発言したこともあって、求心力やリーダーシップについて評価されたことすらありません。ですから同時に、グループの中で『あの人こそ菅さんの右腕だよ』と認められた議員もいないのです」
菅氏の参謀として名乗りを挙げた議員なら存在した。しかし、とてもではないが、その任には堪えられないという。
「公職選挙法で起訴され、公判が続いている河井克行容疑者(57)と、菅原一秀・元経産大臣(58)が意欲を見せていたのは、永田町では有名な話です。しかし、お二人は菅さんの側近として活躍してきたわけではありません。正直言って、官僚や党内をまとめるだけの人望がないのです」(同)
河井・菅原組よりは適性の高い候補者の名前も出ているというが、“帯に短し襷に長し”という顔ぶれだという。
舌禍事件の懸念
前出の政治担当記者が言う。
「官房長官では、河野太郎・防衛相(57)と小泉進次郎・環境相(39)の名も挙がっています。菅さんは18年に都内で講演した際、『若い世代で注目する政治家』として2人の名を明かして話題になりました。菅さんを含めた3人とも神奈川県内が選挙区で、距離の近さが関係の深さを生んだのかもしれません」
だが、2人ともダメなのだ。まず河野防衛相に対する評価からご紹介しよう。
「河野さんが外相だった19年7月、徴用工の訴訟問題で韓国大使を呼び出し、『無礼だ』と批判しました。これに韓国メディアは一斉に反発したのですが、日本の一部メディアも『無礼という言葉を使う必要はなかった』と安倍首相や菅官房長官が疑問視したと報じたのです。メディアの前でああいう態度を示すようでは、危なくて仕方ありませんね。いつか舌禍事件を起こすんじゃないでしょうか」(同)
現実味を増す人材難
小泉環境相の場合は、既に意味不明の発言がネット上などで揶揄されている。政治家としての“資質”さえ疑う声があるほどだ。
「たとえ小泉さんが急速に成長したとしても、39歳という年齢はさすがに若すぎます。官僚を束ね、自民党内に睨みをきかせるには全く経験が足りない。まだ10年後なら可能性がありますが、まだまだ国会議員として修行が足りません」(同)
他にも森山裕・国対委員長(75)を推す声もあるという。こちらはベテランで能力に申し分はない。だが、菅氏と交流を持つようになって日が浅いのが難点だという。
「ならば菅さんの秘書で手練手管のベテランがいるかと思えば、そうでもありません。なので秘書官など黒子のポジションで政権を支えてくれそうな人材も見当たらないようなのです」(同)
現状を考えると、意外に短期政権で終わる可能性があると言われるのも仕方あるまい。
週刊新潮WEB取材班
2020年9月14日 掲載
新潮社