![](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/G/09/digital/sitb/sticker/sitb-sticker-v3-xsmall._CB423025044_.png)
![](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51SMCRA7TYL._SX323_BO1,204,203,200_.jpg)
リチャード・E・ニスベット (著), 村本 由紀子 (翻訳)
なぜ世界観がこんなにも違うのか? 文化によって世界観が変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じだと誰もが思っている。
肌の色や国籍、宗教が違っても、ものごとを知覚したり、記憶したり、推論したりするために用いる道具は同じ。
論理的に正しい文章は、日本語であれ英語であれヒンズー語であれ、正しいことに変わりはない。
同じ絵を見ている中国人とアメリカ人がいれば、彼らの脳裏に映る画像は当然同じもの、これらはみな誰もが知っていることである。
だが、もし、すべてが間違っているとしたら?
本書は、東洋人と西洋人のものの見方・考え方が文化によっていかに違うのか、なぜ違うのかを科学的に解明し、サイエンティフィック・アメリカン誌、ニューヨーク・タイムズ紙、ウォールストリート・ジャーナル紙が絶賛した第一級の書である。
内容(「BOOK」データベースより)
文化によって世界観が変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じだと誰もが思っている。
肌の色や国籍、宗教が違っても、ものごとを知覚したり、記憶したり、推論したりするために用いる道具は同じである。
論理的に正しい文章は、日本語であれ英語であれヒンズー語であれ、正しいことに変わりはない。
同じ絵を見ている中国人とアメリカ人がいれば、彼らの脳裏に映る画像は当然同じものである。だが、もし、すべてが間違っているとしたら?
本書は、東洋人と西洋人の心や思考のかたちが文化によっていかに違うか、その違いはなぜ生じるのかを科学的に解明する。
「世界についての考え方は根本的にひとつである」とする認知科学の大前提に挑戦した知的興奮の書である。
内容(「MARC」データベースより)
東洋人と西洋人のものの見方・考え方が文化によっていかに違うのか、なぜ違うのかを科学的に解明する。「世界についての考え方は根本的にひとつである」とする認知科学の大前提に挑戦した知的興奮の書。
著者について
リチャード・E・ニスベット(Richard E. Nisbett)
エール大学助教授、ミシガン大学准教授を経て、現在ミシガン大学心理学教授(セオドア・M・ニューカム冠教授)。
アメリカ心理学会科学功労賞、アメリカ心理学協会ウィリアム・ジェームズ賞、グッゲンハイム・フェローシップ受賞。
2002年、同世代の社会心理学者として初めて全米科学アカデミー会員に選ばれる。『Culture of Honor(名誉の文化)』(共著)をはじめ、著書、論文多数。ミシガン州アナーバー在住。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ニスベット,リチャード・E.
エール大学助教授、ミシガン大学准教授を経て、現在ミシガン大学心理学教授(セオドア・M・ニューカム冠教授)。アメリカ心理学会科学功労賞、アメリカ心理学協会ウィリアム・ジェームズ賞、グッゲンハイム・フェローシップ受賞。2002年、同世代の社会心理学者として初めて全米科学アカデミー会員に選ばれる。ミシガン州アナーバー在住
村本/由紀子
1999年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会心理学)。スタンフォード大学客員研究員、京都大学助手、岡山大学助教授を経て、現在、横浜国立大学経営学部助教授。専門は社会心理学・文化心理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
エール大学助教授、ミシガン大学准教授を経て、現在ミシガン大学心理学教授(セオドア・M・ニューカム冠教授)。アメリカ心理学会科学功労賞、アメリカ心理学協会ウィリアム・ジェームズ賞、グッゲンハイム・フェローシップ受賞。2002年、同世代の社会心理学者として初めて全米科学アカデミー会員に選ばれる。ミシガン州アナーバー在住
村本/由紀子
1999年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会心理学)。スタンフォード大学客員研究員、京都大学助手、岡山大学助教授を経て、現在、横浜国立大学経営学部助教授。専門は社会心理学・文化心理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
読み始めはずいぶん限定的なエリアを西洋と東洋という表現に当てはめているような気がしました。
この本では、東洋に関しては中韓日、西洋に関してはアメリカを対象としている気がします。
国単位で分析している「異文化理解力」という本を合わせて読むといいと思います。
どちらの本も「違い」を知っておくことが大事だということを言っています。
個人的には、中国の「中庸」という考え方が欧米にも広まればいいのにと思いました。白黒はっきり付ける極端な思考は、排除や分断につながると思います。
白人による肌の色での人種差別が生まれた背景が理解できました。
東洋人と西洋人の考え方が違うのは2008年ごろと、2010年のビートたけしの番組で取り扱われたので知っていました。
この本を血眼になって探していました。ないので諦めてましたが、急遽探すことになり2019年1月に見つけ何回か読み返しています。共感できるのは、「東洋人は関係を見るのが得意なのになぜ創造は苦手なのか。」確かに不思議でなりません。
また、オブジェクト指向に通じる考え方が載っていました。
この本の中には、デザインパターンのアダプターパターンが登場します。
P159
「子供に、草と鶏を見せる。」その上で「牛はどっちと一緒?」と質問した。
西洋人は「鶏」と答える。「食べるよ」「寝るよ」「移動するよ」と。
東洋人は「草」と答える。「牛は草を食べるから」と。
意識的にオブジェクト指向の考え方の補完ができました
また、オブジェクト指向に通じる考え方が載っていました。
この本の中には、デザインパターンのアダプターパターンが登場します。
P159
「子供に、草と鶏を見せる。」その上で「牛はどっちと一緒?」と質問した。
西洋人は「鶏」と答える。「食べるよ」「寝るよ」「移動するよ」と。
東洋人は「草」と答える。「牛は草を食べるから」と。
意識的にオブジェクト指向の考え方の補完ができました
目次を表示可能にして下さい! 内容は☆五つでしたが、四にしました!
このような学術関連の本は目次によって内容を知ることが大切です。
少し前まではamazonでも目次を見ることができたので、いつも参考にして買っていたのですが、最近は削除され、非常に困っています。他のサイトで目次を確かめることが多いです!!
必ず、必ず、目次表示を復活させて下さい!!
このような学術関連の本は目次によって内容を知ることが大切です。
少し前まではamazonでも目次を見ることができたので、いつも参考にして買っていたのですが、最近は削除され、非常に困っています。他のサイトで目次を確かめることが多いです!!
必ず、必ず、目次表示を復活させて下さい!!
西洋人と東洋人の根本的な思考の違いを分かりやすく説明している点に好感が持てました。
私は「『グローバル化』と言うと何でもかんでも西洋風に染まらなくちゃいけないの?」と
常々、疑問に思っていましたが、その答えがこの本に載っていました。
確かに、今の世界では分析・討論のスキルが必要な時代になっていると感じます。
でも、東洋が昔から持っている中庸な精神・状況を見る能力も必要であると考えます。
西洋の考えを美化しすぎることなく、東西の考えが交じり合うことで新しい世界が生まれれば良いなぁと思います。
私は「『グローバル化』と言うと何でもかんでも西洋風に染まらなくちゃいけないの?」と
常々、疑問に思っていましたが、その答えがこの本に載っていました。
確かに、今の世界では分析・討論のスキルが必要な時代になっていると感じます。
でも、東洋が昔から持っている中庸な精神・状況を見る能力も必要であると考えます。
西洋の考えを美化しすぎることなく、東西の考えが交じり合うことで新しい世界が生まれれば良いなぁと思います。
外国人(西洋人)との盛り上がらないコミュニケーションのヒントに買ってみた。これが全ての答えにはならないけど、興味が更にわいた。
西洋と東洋の思想の違いが何処から生まれるのか良く分かる。
この違いを理解することで、日本の企業の中で組織運営の良し悪し、世界に出て行く時の交渉のヒントなどがたくさん詰まっている。
この本を読み、思想の違いは陸を渡って生活分化を築き上げたした狩猟採集民族と海を渡って生活文化を築き上げた漁猟採集民族の主のを捕るパターン違いから来ると確信しつつある。
この違いを理解することで、日本の企業の中で組織運営の良し悪し、世界に出て行く時の交渉のヒントなどがたくさん詰まっている。
この本を読み、思想の違いは陸を渡って生活分化を築き上げたした狩猟採集民族と海を渡って生活文化を築き上げた漁猟採集民族の主のを捕るパターン違いから来ると確信しつつある。
西洋人は永遠で絶対なるものを好み、東洋人は変化と矛盾に満ちたものを好む。西洋人はものごとを要素に分けてカテゴリーに分類し、東洋人はものごとの関係を見抜いて全体像を得ようとする。西洋人は自己実現のために環境を律しようとし、東洋人は共同体の調和を保つために己を律しようとする。とかなんとか、そういう東西の違いを豊富な実験研究でこれでもかというほど示してくれる比較文化論。
もちろん、著者も断っているように、これらはあくまで最大公約数的なステレオタイプでしかないが、一つ一つの実験は純粋に面白いし、頭をすっきり整理してくれる。現代の日本では、中途半端に浸透した西洋文化と最近の世相の移り変わりを反映して、東洋的なるものと西洋的なるものの対立が一層激しい形であちこちに見られるようになってきた。それは個人内の葛藤という形をとることだってあるだろう。そうした言わば局地戦化(ことによってはゲリラ戦化)した「文明の衝突」の構図と、その源泉を理解するのにも有益である。
ただし、アメリカ人である著者がアメリカ人の読者を想定して書いているが故の限界はある。
もちろん、著者も断っているように、これらはあくまで最大公約数的なステレオタイプでしかないが、一つ一つの実験は純粋に面白いし、頭をすっきり整理してくれる。現代の日本では、中途半端に浸透した西洋文化と最近の世相の移り変わりを反映して、東洋的なるものと西洋的なるものの対立が一層激しい形であちこちに見られるようになってきた。それは個人内の葛藤という形をとることだってあるだろう。そうした言わば局地戦化(ことによってはゲリラ戦化)した「文明の衝突」の構図と、その源泉を理解するのにも有益である。
ただし、アメリカ人である著者がアメリカ人の読者を想定して書いているが故の限界はある。
事実、本書で例証の中核をなす数々の研究は、それ自体西洋的な論理的精神に基づいた実験計画法と、定量化可能なデータの統計的分析に基づいている。
(そもそも、そうした手法に対抗しうる質的研究法はいまだ発展途上だ。)膨大な研究を概観した後で、著者は両者の間に東洋流の「中庸」を見出そうとするが、複雑系科学の潮流や世界の「フラット化」の動向は十分に追いきれておらず、まだまだ考察を深める余地が大きい。
だがそれは著者の力量不足というよりも、その答えを探ろうとする世界の機運そのものがまさにまだ緒に就いたばかりだからと見るべきだろう。そうした期待も込めて、ちょっと辛目の星3つ。
家族のように深く親しい異文化コミュニケーションをしていても、ここ一番で分かり合えない、言葉をつくしても理解が遠い。
そんな時この本を読んでほしい。
きっと次のステージへ進めるでしょう、どこが理解できないのか、どの様な発想が相手の頭に、自分の頭に存在しないのか解ります。