根輪太郎の競輪人間学 こんな日もある

2022年01月26日 12時52分27秒 | 未来予測研究会の掲示板

FⅠ向日町競輪 大阪・関西万博協賛競輪 

7車の競輪番組であるが、5-1ラインに人気が集中する。

6レースで5-1の3連単車券で負けたことで、意地となる。
このことが、結果的に裏目に出てしまう。

5-1の出目に拘れば拘るほど、裏切られてしまった。

臨機応変に頭を切り替えることが何よりも肝心なのだ。


6レース

一番人気5-1(4.8倍)
結果 5-6 8,150円(26番人気) 

7レース
一番人気5-1(4.5倍)  
結果 1-7 6,100円(18番人気)

8レース
三番人気5-1(8.0倍)
一番人気4-2(4.2倍) 

結果 5-4 1,450円(7番人気)

9レース
一番人気5-1(2.0倍)

結果 4-2 6,620円(17番人気)

10レース
一番人気5-1(2.0倍)

結果 5-2 620円(2番人気)

12レース

一番人気1-5(3.0倍)
二番人気5-1(3.3倍)

結果 5-2 2,400円(7番人気)  

 

 

 

 


利根輪太郎の競輪人間学 先行争いの誤算

2022年01月26日 11時52分18秒 | 新聞を読もう

 FⅠ向日町競輪 大阪・関西万博協賛競輪 

並び 5-1-6 3-7 4-2

レース評

圧倒的な勝率を誇る上杉が本命だ。地元武田がマークして連勝を狙う。奮起して藤田の一発、実力者坂上の連出に注意。

5-1 2.0倍

5-1で決まると思い込む。

4番は無印で無視する。

9レースA級準決勝 5-1は捲りと読んだが、まさかの先行となる。

これが誤算であった。 逃げたら勝てないのが、競輪の常道。

5-1ラインが3-7ラインと先行争いをしてしまう。

結果的に4-2ラインの捲りごろの展開となる。

車単の200円の車券も消える!これが、競輪。

結果

4-2 6,620円(17番人気)

4-2-5 3万8,570円(63)番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 4 栗田 万生   11.8   脚溜め捲る
2 2 坂上 忠克 1/2車輪 11.8   捲りマーク
3 5 上杉 嘉槻 1/8車輪 12.1   SB 叩き捲られ
4 1 武田 哲二 3車身 12.2     死守し一杯
× 5 3 藤田 周磨 1車身 12.2     叩かれ内粘
6 7 山本 恵介 1/2車身 12.2     目標と一緒
  7 6 南 大輔 3/4車身 12.0     カマシ離れ

仏教と仏法の違い

2022年01月26日 11時26分57秒 | 社会・文化・政治・経済

「仏教」と「仏法」の違いとは何でしょうか?wikiで見てみましたが
難しくて良くわかりません。


仏教というのは釈迦を開祖とした宗教のこと。悟りを開いた人の教えを学んだり、悟りを開くために学ぶことですね。

仏法というのは仏になる方法のこと。仏教の決まりとか規則というのもありますが、仏教全体をいうこともあるようです。

 

仏教というのは釈迦を開祖とした宗教のこと。悟りを開いた人の教えを学んだり、悟りを開くために学ぶことですね。

仏法というのは仏になる方法のこと。仏教の決まりとか規則というのもありますが、仏教全体をいうこともあるようです。

仏の悟った真理。仏の説いた法。
「仏法」とは何かと言えば、こうして我々が生きている事実をはじめ、宇宙・大自然全体の生命(生滅)活動やそれから生じるありとあらゆる事実即ち真実のことを言うのである。

つまり仏法は、所謂「思想(観念)」や「~という考え方」等というような人間の概念ではなく、現実・実際の「事実」そのものなのである。

仏法は、人間が勝手に考えた根本原理としての真実・真理というようなものではない。

仏法(宇宙・大自然全体の生命活動のありとあらゆる事実)

「依正一如(エショウイチニョ)」
また、例えば、人間の身体(「正法」と言う)は、身体単独で存在し得るものではない。身体は、その時間的・空間的全体の環境(「依法」と言う)と一体でしか生きられない(「尽十方界真実人体」)のであって、この事実を「依正一如」と言う。


好みの主観、狭まる客観

2022年01月26日 11時05分46秒 | 新聞を読もう

ポスト「民主主義」の世界

米インタビュー編 元FOXニュース・選挙分析担当 

毎日新聞 2022/1/25 

米シンクタンク「アメリカン・エンタープライズ研究所」上席研究員のクリ

報道分極化 「怒り」が利益に

米国では民主主義の原則として「報道の自由」が重視されているが、社会の分断と並行し、共和党寄りの保守系と民主党寄りのリベラル系とにメディアも分極化が進んだと指摘されている。2020年の大統領選の際、保守系のFOXニュースの報道部門で選挙分析を担当していたクリス・スタイアウォルト氏に米メディアを巡る現状を聞いた。

 2020年の米大統領選で、FOXニュースは西部アリゾナ州でのバイデン氏「勝利確実」をいち早く報道した。新型コロナウイルス禍で郵便投票が大幅に増えると同時に、共和党のトランプ大統領(当時)が一方的に「勝利宣言」するかもしれず、普段よりプレッシャーを感じた。だが、その速報はデータに基づきいつも通りに予測した結果だ。「共和党寄り」と目されるFOXだけに、トランプ氏陣営から批判も浴びたが、選挙ではよくあ…


嫌いも関心があるからだ

2022年01月26日 10時28分37秒 | 沼田利根の言いたい放題

高校の国語教師だった河瀬先生。
ある女子生徒から「先生嫌い!」と言われた時。
「私に関心があるんだね。無関心なら嫌いとは言えないから」と開き直る。
「なるほど、そうなのか。嫌いも関心があるからだなんだ」と僕は納得。
「嫌いも好きなうち」と青春時代は前向きに生きたいものだ。


好き嫌い――行動科学最大の謎

2022年01月26日 10時09分26秒 | 社会・文化・政治・経済
好き嫌い――行動科学最大の謎 (早川書房) by [トム ヴァンダービルト, 桃井 緑美子]

トム ヴァンダービルト (著), 桃井 緑美子 (翻訳)

古来、説明・予測などは無理といわれた人の好き嫌い。

だがIoT/ビッグデータの時代、人の選好を操る手法が開発されている。心理学から行動経済学までさまざまな最新研究を取材して公開

内容(「BOOK」データベースより)

人の好き嫌いは説明できない、というのが常識だ。しかしビッグデータ、IoTの時代、企業が的確に顧客の好みを見ぬいていると、私たちはうすうす勘づいてもいる。
本書の著者は心理学から哲学、社会学、生物学、行動経済学までを取材し、さらに人がものを選び選ばせる現場への潜入をも敢行する。
ネットフリックス、イェルプ、スポティファイ―そうした媒体で用いられる手管を知ることで見えてくる意外な真実とは?人間の「好き嫌い」を左右する原則を解剖し、その底知れない面白さを説く。ビジネスの場から日常で迷ったときまで幅広い役に立つ、現代人必読の書。 

著者について

◎著者紹介
トム・ヴァンダービルト(Tom Vanderbilt)
ブルックリン在住の作家、ライター。
テクノロジー、サイエンス、カルチャーに詳しく、
Wired、Slate、The New York Times、The Wall Street Journalなどに寄稿する。
著書に『なぜとなりの車線はすいすい進むのか』、Survival City、The Sneaker Bookなどがある。

◎訳者略歴
桃井緑美子(ももい・るみこ)
翻訳家。訳書にボール『枝分かれ』、
ストーン&カズニック『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 2』(共訳)、
スクワイヤーズ『ローバー、火星を駆ける』、フェイガン『歴史を変えた気候大変動』(共訳)、
プレイター=ピニー『「雲」の楽しみ方』、トウェンギ『自己愛過剰社会』など多数。
 
 
好み、選択、バイアス、etc...といった書物は無数にあるが、自分がこれまで読んだ中では視点が最も多角的。

一見すると、具体例に即して特定の理論を説明しようとする最近の実用書に見えるが、本書は違う。結論を押し付けず、ケースに合わせた情報がひたすら提供され、このペースでいつ終わるのか、辞典を読んでいるような錯覚に陥る。分冊にすれば数冊になる内容量。

たまに読み返すと面白そう。サクッとは読めませんが、価値あります。
 
 
好き、嫌いを決める決定的根拠はない、ということを多角的に観察した本。
著者は、科学者でも大学教授でもなく、ライターというのが新鮮。
思い入れや批判もなく、丁寧に経済面や心理面からの考察を参考にしている。

著者が言うように、文化的背景、経験が好みを決めるとするならば、この本の著者は、ブルックリンに住んでいることを考慮したい。
偉大な分析書、たとえば、『サピエンス全史』は、イスラエルから見た世界感だった。

本書を読んで消費の予測はつかないということははっきりした。しかし、流行の兆しがでたときに、いち早くそれに気づく方法がわかる。さらに、どうして瞬く間に広まってしまうのかは、自分の「好き、嫌い」に照らしわせながら読める。
 
 
テーマ設定に惹かれて衝動買い。
人の好き嫌いに関して著者が感じた疑問を解き明かすべく、心理学や行動経済学や統計学などの様々な観点から多角的なアプローチを試みる。
著者が特定の分野の専門家ではないためか、アプローチの切り口は様々で、特定の分野から深堀ると言う事は無い。
学術的なエッセンスを取り入れた好き嫌いに関するエッセイと言う感じで、理解が特段深まると言う事はなかった。
系統だった理解をしたい人は「選択の科学」や「ファストアンドスロー」といった、研究者が直に語った本で学んだ方が良いと思う。

ただ、様々な問いを立てるきっかけをもらえたと言う意味では、良い本で個人的には「好き」。
読みながら特に考えさせられたのは、自分自身の本書に対する評価がどのように決まっているのか?ということ。
Amazonの星評価について分析する件では、多くの評価が他のレビュアーの評価を大きく受けていることなどが議論され、自分自身のこの本への評価自体も、本屋で衝動買いをして読み始めた時と、アマゾンの星評価(当時の星は3だった)を見た後で、大きく変わっているなと実感。
評価についての文章を評価しながら読むと言う体験は新鮮だった。
 
 
「赤が好き」「ピーマンは嫌い」、こういった好き嫌いは極めて「個人的なもの」に思える。
しかしそもそも、そうした「好き嫌い」はどのようにして決まっているのか。
この問題を突き詰めて考えていくと、実は自分自身の好き嫌いを自分自身がよく分かっていなかったという事実に行きつく。

好き嫌いは当然に経験や文化、そして情報への依存性がある。「女の子はピンク色が好き」というイメージはあるが、1920年ごろはピンクは「男の子の色」だった。ケチャップの味の評価を求めると、バニリンを含む粉ミルクで育った人は、バニリンをわずかに含むケチャップの方が美味しいと答えた(母乳で育った人は逆だった)。
楽器の見えない環境でヴァイオリンを弾くと、プロ演奏家でもストラディバリウスよりも新品のヴァイオリンをよいと答えた、盛り付けを綺麗にした方が料理を気に入った人は増えたが、料理を食べた量は変わらなかった、等々。

「期待される満足感と食事中の満足感は、食べなれたよく知っている料理を選んだ方が大きい。しかし記憶に残る満足感は、新しい料理を選んだ方が強いだろう」というのはなかなか示唆的である。
しかし、同じ料理を食べ続けたときの美味しさの感じ方の予測はほとんど当たらないし、食べた料理のどこが美味しかったか語ってもらっただけでその料理を好きになりまた食べたくなる度合いが増加したりするなど、記憶や期待は一方でかなり曖昧である。
知識も好みを左右する。未知の料理は、どういう料理かを知らされただけで、その情報がたとえ「得体のしれない宇宙食です」だったとしても、その料理を好きになりやすい。
予期と覚悟をさせるという意味もあり、スープと流動食を与えると、「スープだ」と言って出されるとスープの方を、「流動食だ」と言って出されると流動食の方をよいと感じるという。音楽でも、クラシックを「ポップス」として流したときの方が「クラシック」として流したときよりも好まれたという、ラジオ番組を利用した実験がある。
同じものを食べても、同時に胃に糖分を注入された時の方が、その食べ物を美味しかったと記憶する。それどころか、同じものを浸す他食べさせられていると、最初は嫌いだったものさえだんだん好ましく感じてくる(これは「単純接触効果」と呼ばれ、食品に限らず幅広くみられる)。

趣味の対象で階級が分かれる(クラシックを好むのは中流以上、など)というのはブルデューの主張であり、趣味によるクラスタリング(音楽は特に顕著だという)は確かになかなか有効である。
しかしその一方で、現代のように幅広く音楽にアクセスできる状況では、ハイブロウ(教養人)も幅広い音楽に接してカントリーなども好むようになっているという「雑食性」が起きている(逆の方が起きにくい)。ちなみにハイブロウでも好みにくいのはラップとヘビーメタルだという。

顔に関する判断能力はかなり本能的なものだが、美しい顔も何度も見ていると快感は減っていく。しかし歪んだ顔に対する恐怖・嫌悪反応は何度見ても弱まらないのだという(一方、歪んだ物体はすぐ慣れる)。
一方、完全に左右対称な顔というのも不自然で、人工的にそういう顔の画像を作ると見た人の多くは二度見するという。

心を動かされる絵画作品を見ているときの脳活動は、(外部刺激の取得や応答をしていないで)自分のことを考えているときの脳活動で活発化する部位と同じ(デフォルトモードネットワーク)だという。(ただし視覚部分も活発になっている)

体操の審判にビデオを見て競技評価をしてもらうと、同じ演技でも前に下手な演技を見たか上手な演技を見たかで影響を受ける。ただし、同じ国の人と言われた場合には、前の演技がうまい方が高い点がついたが、違う国の人と言われた場合には、前の演技が下手な方が高い点がついた。

興味深い話は他にもいろいろあり、レビューを読んだ人は「肯定的意見には追従し、否定的意見には懐疑的になる」ということ、可もなく不可もない(記憶に残りにくいレベルの)食品ほど続けて食べさせられても飽きにくいという話、インターネットはロングテールの掘り起こしもするがヒット曲をよりヒットさせていること、味の判断と好き嫌いの判断は別であり両者を混ぜるとむしろ味の判断能力が落ちること、など、さまざまな面白い指摘がある。
全体としては話題を集めている側面もあるが、「好き嫌い」という謎に正面から挑んでさまざまな研究結果を紹介してくれており非常に面白い一冊だと思う。
 
 
環境心理学分野の研究をしていますが、いつも主観的評価について、難しい問題だと考えています。本書は、料理、飲料、映画、音楽、絵画、猫、ビールなど、様々な対象の評価について、好き嫌いがどのように決定されるか、心理学、生理学、社会学、経済学、哲学、脳科学などの学問分野を駆使して論じています。大変具体的な事例を挙げながら、ユーモアたっぷりに議論しています。
日頃、被験者実験やアンケート調査などでは、バイアス(偏り、予見)を避けるために、質問順序や画像の順序をランダムにして、順序によるバイアスを除去したり、調査内容に関する説明を最小限にして予見を与えないようにしたりしていますが、本書にはこれ以外の様々なバイアスについて記述があり、大いに参考になりました。
 訳文は日本語として大変読みやすく、専門用語の訳出も極めて正確だと思います。
 そう言えば、本書には、ウェブサイトの評価で、「酷評」は他人のした評価をコピーしたものが多いと書かれていました。そうかも知れません。
 
 
好きとはいったいどういうことなのだろうか。
好きということを突き詰めて考えたときに、たどり着く結論は、要するに私たちは自分の好みのことを何もわかっていないということだ。
つまり、好きということは簡単だけれども、それがなぜ好きかと問われると途端に難しくなるということだ。

好みということを考えるときに、重要なことは、私たちは見るとあらかじめ予期しているものを見るのであり、予期していないものは見えないということだ。
このことは、よく見るものを好きになり、好きなものをよく見るということに関連している。
つまるところ、好みというものはよくわからないが、よく見るものは好きになる。
より意識するかしないかということは、好みにもかかわってくる。
どんなものにもバイアスがかかっているということ。

改めてそのことを感じた。
 
 
 
 
 
 

民主主義を守るための呼びかけ

2022年01月26日 09時49分05秒 | 社会・文化・政治・経済

 

 
 健全な民主主義を守る

COVID-19 のパンデミックは、世界中の人々の生命や生活をさらに脅かしている。それはまた、自由民主主義の将来を脅かす政治的危機でもある。
権威主義体制は、驚くべきことではないが、危機を利用して批評家を沈黙させ、政治的な権力の掌握を強化している。

そして民主的に選ばれた一部の政府でさえ、法的拘束力、議会による監視、憲法秩序回復の時期に関係なく、人権を制限し、国家監視を強化するという非常事態権限を集結して、パンデミックと闘っている。

議会は脇に追いやられ、ジャーナリストは逮捕され嫌がらせを受け、少数派は罪を負わされている。

また経済的封鎖が社会構造そのものをあらゆる面で破壊しているため、最も脆弱な人たちは新たな危険に直面している。
抑圧はパンデミックの抑制に役立ちはしない。

言論の自由の沈黙、平和的な反対者の投獄、立法上の監視の抑制、選挙の無期限中止は、公衆衛生を保護するためには何もしていない。

逆に、自由、透明性、民主主義に対する攻撃は、政府と市民が行う危機に対する迅速かつ効果的な対応を、社会的により困難にしている。
現在のパンデミックが、政府が自由な情報の流れを抑制し、ウイルスの危険性に関する警告を罰した国で始まったのは偶然ではない。

それは、国家の威信に有害な噂を広めると見なされた警告である。責任ある市民の声が抑制された場合、その結果は一国だけでなく、全世界にとって致命的になる可能性がある。
民主主義は単なる切望された理想ではない。それは、COVID-19 の規模と複雑さの危機に対処するのに最も適した政府の制度である。

権威主義的プロパガンダの自給自足の主張とは対照的に、信頼でき
る自由な情報の流れ、政策オプションに関する事実に基づいた議論、市民社会による自発的な自己組織、政府と社会との間の開かれた関わりは、すべて、パンデミックと闘うための重要な資産である。

そしてそれらはすべてが自由民主主義の重要な要素である。
民主主義を通してのみ、社会は危機に耐え忍び、困難に直面しても国の回復力を維持し、包摂的な参加と対話を通じて深い社会的分裂を癒し、犠牲は共有すべきとする確信を維持し、すべての市民の権利が尊重される。
民主主義を通してのみ、女性や若者を含む独立した市民社会は、公共機関と提携し、サービスの提供を支援し、市民が情報を得て関与し続けることを助け、社会的モラルと共通の目的意識を強化できる。
民主主義を通してのみ、フリーメディアは人々に情報を提供する役割を果たせ、個人や家族は健全な意思決定が行え、政府や公共機関を精査し、社会を引き裂こうとする偽情報に対抗できる。
民主主義を通してのみ、競合的ニーズと優先順位との間に持続可能なバランスをとることができる。

それはウイルスの蔓延との闘いと経済的安全の保護との間であり、また危機への効果的な対応の実施と憲法の規範と保証に基づいた人々の市民的政治的権利の保護との間である。
民主主義だけが、法の支配はパンデミックを封じ込めるのに必要なものをはるかに超えて、国家の侵入と拘束から個人の自由を守ることができる。
民主主義だけが、公的説明責任のシステムが政府の緊急事態権限を監視し制限し、それらが不要になったときには終了できる。
民主主義だけが、パンデミックの範囲と健康への影響に関する政府のデータを信じることができる。
民主主義は、有能なリーダーシップと効果的な統治を保証しない。ウイルスを封じ込めるために最も効果的に行動した国は、民主主義国家が多く占めているが、パンデミックへの対応において機能が不十分で、人命と経済的安全に非常に高い代償を払った民主主義国家もある。

機能が不十分な民主主義国
家は、社会をさらに弱体化させ、権威主義者たちに道を開いている。
しかし、民主主義の最大な強みは、自己修正能力である。COVID-19 の危機は警戒すべき目覚めの呼びかけである。

そして私たちが大切にしている自由が危険にさらされていること、そして自由が当然であると考えてはならないことへの、緊急な警告である。

民主主義を通じて、市民と選ばれた指導者らは学び成長することができる。それが今まで以上に重要になったことはない。
現在のパンデミックは、民主主義に対する恐ろしい世界的な挑戦である。

世界中の権威主義者たちは、COVID-19 の危機を、民主主義を弱体化させ、過去数十年の劇的な利益を逆転させようとする闘いの新たな政治的戦場として見ている。

民主主義は脅威にさらされ、それを重大だと思う人々は、それを守るために、意志、規律、連帯を呼び起こさなければならない。危機に瀕しているのは、世界の人々の自由、健康、そして尊厳である。

 

 


瀬古利彦が語る 幻のモスクワオリンピック

2022年01月26日 09時41分52秒 | 新聞を読もう

モスクワ五輪ボイコットに意味があったのか?

2020年6月8日(月) 午後0:07 NHK

40年前の1980年5月24日、JOC臨時総会でモスクワオリンピックへの日本の不参加が決定しました。

出場エントリー締め切り当日の決断。柔道の山下泰裕やレスリングの高田裕司など、金メダル有力と言われた選手たちの願いは、厚い国際政治の壁に阻まれました。

サンデースポーツ2020では、当時マラソンでメダル有力とされながらモスクワを走ることができなかった瀬古利彦さんに生出演でインタビュー。

幻となったオリンピックは日本のスポーツに何を残したのか。新型コロナウイルス感染拡大で東京オリンピック・パラリンピックが延期となった今、考えます。

ソ連とアメリカ 日本は国際政治の波にのまれ

日本のオリンピック不参加の決定。その背景にあったのは、開催国であるソ連のアフガニスタン侵攻でした。当時、ソ連と東西冷戦で対立していたアメリカは、カーター大統領が「アメリカ国民はモスクワに行くべきではないと確信している。自由を信じる民主主義の国は行かない」と発言。ボイコットを表明しました。

そのアメリカの決定に、日本をはじめ西側諸国が同調します。当時の大平正芳内閣の官房長官、伊東正義は「モスクワオリンピック大会に選手団を派遣することは望ましくない」と表明。

182名が派遣される予定だった日本選手たちは競技の枠を超えて団結し、最後まで出場を訴えていましたが、その願いはかないませんでした。

結果、モスクワオリンピックは、日本、アメリカ、西ドイツなど64の国が参加しない大会となりました。イギリスなどの一部の選手は国の方針に従わずに出場したものの、西側諸国の多くの選手はモスクワの地を踏むことはありませんでした。

全盛期だった マラソン・瀬古利彦
現在、日本陸上競技連盟のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーを務める、瀬古利彦さん。1980年当時24歳。世界の男子マラソンをリードする存在として、金メダルの有力候補に挙げられていました。

瀬古利彦さん

もうあれから40年、早いものですね。
正直あの時は、悔しいという気持ちはあんまりなかったんです。ショックはショックでしたけど、(オリンピックという)目標がもう目の前にあったのにギリギリまで待たされて、早く決定を知りたかったですね。あの年は1月ごろから、アメリカがオリンピックをボイコットするんじゃないかという話はずっと聞いていたので。正式に決まった時は「ああ、やっぱりか」と感じましたね。

瀬古さんはモスクワの不参加の後も国際レースで優勝するなど実績を残します。その年の福岡国際マラソンでは、モスクワの金メダリスト・チェルピンスキー選手(東ドイツ)に勝ち優勝。しかし、優勝候補と言われた84年のロサンゼルス大会、故障を乗り越えて出場した88年のソウル大会では共にメダルには届きませんでした。今振り返れば、瀬古さん自身が考える「全盛期」は、やはりモスクワで走るはずの時期にあったのです。

瀬古さん

自分で思うには1980年の前後、78年から82年あたりがピークだったと思います。当時は走っても全然疲れないし、何も考えなくても走れましたから。年齢が若い方が、絶対有利ですよね。4年の間に体も変わるし人生も変わるんですよ。やっぱりひとつチャンスを逃すと、オリンピックはなかなか取れないですよね。

1980年 選手たちの立場は
選手の力ではどうにもならないものともいえる国際政治の壁に直面した、1980年の選手たち。当時のニュース映像には、五輪参加を求める選手たちの切実な訴えが記録されています。

柔道の山下選手、レスリングの高田選手らは、子供のころから夢見てきたオリンピックへの思いを、涙ながらに語っていました。

それでも叶わなかった五輪参加。40年前の選手たちの発言力や立場はどのようなものだったのか、瀬古さんは語りました。

瀬古さん

当時はですね、我々はあまり上に声をかけちゃいけないと、あまり思うこと言っちゃいけないという習慣がありました。山下君とかも泣かれていましたけど、あまり声を上げられなかったです。

 
 


 

「アスリートファースト」という言葉はもちろんなかった当時、選手たちの声は政治情勢の前に阻まれてしまいました。

 

ボイコット当時の関係者を取材し本にまとめたジャーナリストの松瀬学さんは、出場できなかった選手たちから、「失望、やり場のない怒り」を感じたと言います。本来自由なはずのスポーツに政治が干渉してきた1980年。このことから、今のスポーツ界が学ぶべきことがあると考えています。

 

 

松瀬学さん

ひとつは「自立」。スポーツ界、組織団体は経済的に自立することが必要だと思います。
そしてアスリートたちが自分たちを律する「自律」です。自分たちがガバナンス、コンプライアンス、誠実さ。これをきっちり自覚して守らないと、どうしても国からコントロールされることになりますよね。
それをきっちりと意識して、スポーツを守っていく。自分たちで判断して行動していく。そういったことが必要になると思います。

 

 

「あまり声を上げられなかった」と40年前を振り返る瀬古さんは今、自身の経験から現代の選手たちにこう呼びかけました。

瀬古さん

自分たちは声を上げられなかった。だから今の選手たちはどんどん声を上げて、思うことを言ってほしい。自分の言いたい事、やりたい事をどんどん発信してほしいと思います。

1980→2020、そして2021年の東京へ


 

選手としての全盛期にオリンピックを走るチャンスを奪われた瀬古さん。モスクワの悲しい出来事は、マラソンの選手強化に取り組む立場になった今に生かされています。
世界的なウイルス感染拡大のために1年延期された東京オリンピック・パラリンピック。スポーツ界全体が大きく揺れる中で、瀬古さんは延期決定の翌日に内定した代表選手を変更しないと表明しました。

瀬古さん

モスクワオリンピックの時は、なかなかJOCが代表メンバーを発表してくれなかったたんですよね。オリンピックに出られるのか出られないのか、分からない中でやはり選手は集中して練習できないですよ。そういう意味で選手たちには、出るメンバーを変えないよと早く伝えて、練習に集中させてあげたかったという思いです。


世界的なパンデミックの収束が見えない中、1年後の東京大会も開催ができるのか、不安の声が上がっています。その中で、40年前の悲しい出来事を経験した瀬古さんは、今の心境、そして若い選手たちへの思いを力強く語りました。

瀬古さん

不安は当然僕らもあります。本当に来年できるだろうか。でもそれを思ったらもうおしまいですから。我々が前向きに向かっていればね、絶対あると信じてやっています。スポーツ選手がね、後ろ向きになっちゃいけないんですよ。
人間は、思うようにいかない事はいっぱいありますから。それは自分が強くなるチャンスだと思ってね、私はやって来ました。今選手たちは練習場所も限られて、試合もない思うようにいかない環境の中でやっております。でもいいチャンスだと思って、これを乗り越えたら必ずひとつステージが上がるんじゃないかと思って、辛抱しなきゃいけないです。辛抱しただけ、僕は強くなると思っているのでね。

瀬古さん

高校野球やインターハイの中止のニュースを聞いて、僕も悲しく思います。
僕らもボイコットで本当は悲しかったです。でも、人間に乗り越えられない試練なんかないですから。必ず乗り越えられます。そう思ってやらなきゃいけないですね。

瀬古さんらしい、明るく前向きに選手たちを鼓舞する姿。その根本には、モスクワ五輪ボイコットの記憶が深く刻まれているのでしょう。番組の最後、瀬古さんはポツリと本音と思える言葉を残しました。その笑みには、40年変わることのない、アスリートとしての思いがにじんでいるようでした。

瀬古さん

悲しい悲しいと言っていても前に進まない。それをずっと抑えて僕はやって来ました。
…でもね、年を取るとね、だんだん悔しくなってきました(笑)。

 サンデースポーツ2020


【解説】 北京五輪の外交ボイコット、効果はどれくらいあるのか

2022年01月26日 09時13分47秒 | 社会・文化・政治・経済

2021年12月16日 BBC NEWS

ダン・ローアン・スポーツ編集長

国際スポーツの世界では近年、人権問題が繰り返し取り沙汰されている。だが、主要大会の開催地で、北京ほど議論を呼んでいるのは珍しい。

北京は2022年冬季オリンピックの開催都市だ。同オリンピックには、アメリカ、オーストラリア、イギリスなどの国々が「外交ボイコット」を表明している。中国でウイグル族が残虐行為を受けているとの訴えが、広く出ていることが理由だ。

人権団体と欧米の政府は、中国が新疆地区で大虐殺を実行していると非難している。一方、中国はこれを否定。現地に広がる収容施設は、ウイグル族などのイスラム教徒に対する「再教育」が目的だと説明している。

北京は2022年冬季オリンピックの開催都市だ。同オリンピックには、アメリカ、オーストラリア、イギリスなどの国々が「外交ボイコット」を表明している。中国でウイグル族が残虐行為を受けているとの訴えが、広く出ていることが理由だ。

人権団体と欧米の政府は、中国が新疆地区で大虐殺を実行していると非難している。一方、中国はこれを否定。現地に広がる収容施設は、ウイグル族などのイスラム教徒に対する「再教育」が目的だと説明している。

香港で政治的自由や民主化デモが弾圧されてきたことや、中国高官に性的暴行を受けたと告発してから公の場に現れていないテニス選手の彭帥さんをめぐって安否が懸念されていることも、中国と欧米諸国の関係を悪化させた。彭さんの事案について中国当局は、「悪意ある憶測」だと批判しているが、彼女についての懸念は深まったままだ。

代表団を送らないと表明するのは、西側の国々にとって、比較的簡単に非難の姿勢を打ち出す方法だといえる。完全ボイコットで選手を出場させないという、よりけんか腰の方法を避けられる。一方、北京五輪に政治家らを派遣することのリスクは、五輪を大きな名声の問題だと考えている習近平国家主席の政権を、暗に承認していると必然的にみられることだ。

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北京五輪、イギリスとカナダも外交ボイコット
オーストラリアも北京五輪を外交ボイコット 米国に次いで2カ国目
アメリカ、北京五輪を外交ボイコット 政府代表団は送らず
中国は、アメリカが五輪を政治目的で利用していると非難し、「断固とした対抗措置」を取ると宣言している。しかし、落胆したり、驚いたりはしていないだろう。イタリアやフランスはボイコットに同調しないと表明しているし、フランスのマクロン大統領は外交ボイコットを「象徴的なもので意味は小さい」と述べている。実際、五輪を会場内で見る人にとっても、遠くから観戦する人にとっても、外交ボイコットで五輪ショーが変わることは、ほとんどないだろう。

大虐殺の告発を受けている国に対して完全ボイコットをするのが適当でないとしたら、どんな場合が適当なのか――と問う声も上がっている。そうした中、女子テニス協会(WTA)は彭さんの問題を受け、中国ですべての大会の開催を停止。実質的なボイコットだとして、西側各国で称賛されている。商業的に重要な国に対してスポーツ組織が立ち向かった、まれな例だ。

オリンピックへの参加拒否は、中国にかけられている疑惑への関心を、おそらく高めることになるだろう。一方、参加すれば、加担していると思われる恐れがある。だが参加拒否は、何年もかけて五輪の準備をしてきた罪のない選手たちにとってあまりに酷だとの印象も与えるだろう。
参加拒否に反対している人たちは、冷戦期の1980年と1984年の大会でのボイコットが政治的にはごくわずかな影響しか及ぼさず、結果的に選手たちが罰を受けたと主張する。しかし別の立場の人たちは、スポーツ界が1970年代と1980年代に、アパルトヘイト政策を取っていた南アフリカをボイコットの対象としたことで、同国の支配層に圧力をかけるという重要な役割を果たしたと指摘する。

こうした議論を頭の中でひっくり返し、スポーツ大会への参加は貴重なスポーツ外交の機会を確保し、国際社会の監視を機能させることになると訴える人もいる。それらの要素は共に、望ましい変化につながる可能性がある。2022年にカタールで開かれるサッカーのワールドカップに参加するのかと問われたイングランド・フットボール協会(FA)は、まさにこの主張を展開した。カタールでは改革が進んでいるが、労働者の権利が大きな問題だと人権団体は報告している。また、同性愛が非合法となっている。

FAは最近の声明で、「他者と協力関係を保ち、正しい問いかけを続けることで、変化の実現性が最も高まる。それが私たちの変わらない考えだ。私たちはまた、自分たちの国にも人権問題があることを常に意識している」と述べた。

「次期ワールドカップのレガシーとして、真の変化につながる対話と関与の機会が考えられる。そうした変化はカタールの国境を越え、人権問題が存在する周辺の国々にも及ぶ」

この考えに賛同しない人もいる。唱えられているような前進は、2008年の北京夏季五輪の後にはほとんど見られなかったし、2014年に冬季五輪、2018年にワールドカップを開いたロシアにも見られていないと反論する。

2022年北京五輪の完全ボイコットを望む声は、選手、政府、スポーツファンの間ではわずかだと思われる。そうした中、現地入りする選手たちは、何らかの変化をもたらすことはできるのだろうか。近年、選手たちに積極的な言動が見られることを考えれば、可能性は十分ある。より多くの選手たちが、人種、女性の権利、心の健康、環境など幅広い社会問題について発言している。

国際オリンピック委員会(IOC)の「五輪憲章」第50条は、このところ緩められたとはいえ、五輪における選手の発言や行動をなお厳しく制限している。表彰台の上や正式な式典、試合会場では、いかなる政治的な抗議、デモ、プロパガンダも禁止している。

記者会見場、選手と記者が交わるゾーン、ソーシャルメディアでは、言論の自由は認められている。だが、検閲と外国記者への圧力で批判を浴びている国で、選手がその自由を活用するのかは疑わしい。WTAのスティーヴ・サイモン最高経営責任者(CEO)が最近、「2022年に中国で大会を開くことになった場合に、私たちの選手やスタッフが直面するかもしれないリスクについて深く懸念している」と述べたことを勘案すれば、なおさらだ。

中国当局は、スポーツ選手からの非難をやさしくは受け止めないようだ。米バスケットボールのボストン・セルティックスのスター選手、エネス・カンターさんが10月、習主席を批判し、チベット独立運動への支持を表明した際には、激しい反発が見られた。彼の名前は中国のソーシャルメディアの微博(ウェイボ)からブロックされ、報道によれば、セルティックスの動画配信サービスは中止された。英サッカーのアーセナルの試合も2019年、国営テレビで放送されなくなった。元ミッドフィルダーのメスト・エジルさんが、ウイグル族の処遇問題を強調

多くの人権団体はIOCに、新たな五輪開催都市を見つけるよう求めてきた。この段階になって、それが実現する可能性はもちろんゼロだ。それでも、2022年北京五輪をめぐる激しい議論は、IOCの開催都市選定および開催都市との関係について、厳しい目が向けられることにつながった。

米人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは先日、IOCのトーマス・バッハ会長が中国のテニス選手の彭さんとビデオ通話をし、懸念の声を鎮めようとしたとして、IOCと中国の「協力」関係を非難した。IOCはこの見方を否定し、ビデオ通話は「静かな外交」だったと正当化した。だが、IOC最古参委員のディック・パウンドさんは、中国の人権状況とオリンピックの価値観はどう折り合いがつくのかと問われ、北京を開催都市に選んだことは後悔していないと返答。多くの証拠があるにもかかわらず、大虐殺の疑惑については「知らなかった」とも話しており、問題となりそうだ。

パウンドさんは13日、ドイツのラジオ局ドイチュラントフンクで、「私の不知がどれだけ責められても構わない。だが、私は確信をもっては承知していない」と話した。

さらに、IOCについて、「政治的変化をもたらす役割はまったくない。(中略)ある国に対して大会開催を認めるのは、私たちがその国の政治目標を支持していることを示すためにするわけではない」と述べた。

IOCは完全に中立で、政治を超えた組織だとしているが、批判的な立場の人たちはその主張を強く否定する。例として、IOCが2018年に北朝鮮と韓国の対話を促したことを挙げる。さらに、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が2014年ソチ五輪で、ロシアと彼自身の力を誇示しようとしたことも指摘する。

間違いないのは、五輪開催都市に北京を選んだのは選手たちではないのに、地政学上の緊張が高まったことで、北京で競技をするのは正しいことなのかという再び持ち上がった問題が、選手たちに突き付けられているということだ。北京入りしてどう振る舞うべきなのか、選手たちは自分で決めなくてはならない。

多くの選手が、どうすればいいのかと困惑している。

(英語記事 Does the diplomatic boycott of Beijing 2022 matter?)


若者の半数が「何もしたくなくなる、無気力」な気持ちに変化 3人に1人が「関係構築」「対人スキル」への影響を不安視

2022年01月26日 09時07分28秒 | 社会・文化・政治・経済

2022年1月6日

国内初感染から2年、コロナ禍の生活が若者の将来への不安に与える影響を日本赤十字社が調査          保護者の8割は子どもからの相談なく、状況を認知できておらず

長らく医療現場でコロナと向き合い、また看護学校の運営や、子どもたちの豊かな心を育む活動などの青少年育成事業に取り組む日本赤十字社(本社:東京都港区、社長:大塚義治、以下「日赤」)は、新型コロナウイルスの初の感染者が日本国内で確認されてから2年が経過するタイミングで、日本全国の高校生・大学生(大学院生)・保護者・教員の合計600名を対象に、若者の行動や意識の変化を明らかにする調査を実施いたしました。
2020年4月に発令された緊急事態宣言から「第5波」が収束し宣言解除となった2021年9月までの期間において、生活や学習の環境変化が、近い将来社会に巣立つ若者にどのような影響を与えうるか、「withコロナ」時代を前に中期的な観点での検証が重要となるため、結果をお知らせいたします。

<調査トピックスのハイライト>

●2020年4月の緊急事態宣言から2021年9月の宣言解除までの期間におきた若者の心の変化では「何もしたくなくなる、無気力(高校生43.0%/大学生49.0%)」「孤独を感じ1人でいるのが不安(高校生28.0%/大学生35.0%)」という状態になったことが明らかになりました。
また「自分に価値を感じない、他者から必要とされない(高校生27.0%/大学生20.0%)」「生きていることに意味を感じない、死を考える(高校生18.0%/大学生11.0%)」と、精神的に追い込まれた若者も存在しています。
一方保護者は、上記について相談された経験は少なく「相談されたことに当てはまるものはない(高校生の保護者79.0%/大学生の保護者84.0%)」と回答しました。【図1および図2】
●近い将来の進学や就職への不安に関して、高校生は「受験や就職活動で苦労するのでは(42.0%)」、大学生は「進学先や就職先で評価されないのでは(31.0%)」という考えを持っていることが分かりました。【図3】
●若者が抱く将来の社会生活に対する不安では「新しい人間関係を築くのが困難(高校生30.0%/大学生33.0%)」と最も多く、次いで「対人コミュニケーションスキルが身につかない(高校生30.0%/大学生27.0%)」と回答し、集団生活で得られる経験に関連する声があがりました。【図4】
●不安への対処としては「保護者と話し合った(高校生15.8%/大学生23.5%)」「学校の先生と話し合った(高校生15.8%/大学生11.8%)」にとどまりました。【図5】
なお、現状を乗り越える動きとしては、 「何とかなる」とできるだけ楽観的に考えるようにした(高校生24.6%/大学生30.9%)」、 「これも貴重な体験の1つだ」と学びの機会として考えるようにした(高校生10.5%/大学生22.1%)」と、年齢が高まるにつれ、少しでも前向きにとらえようとする傾向が見られました。【図5】

※以下の図1~5は、若者(高校生+大学生・大学院生)の値で降順

画像【図1】コロナ禍で生じた若者の気持ちの変化①

画像【図2】コロナ禍で生じた若者の気持ちの変化②

画像【図3】コロナ禍が若者の【進路・就職】へ与える不安(上位5項目)

画像【図4】コロナ禍が若者の【成長・経験】へ与える不安(上位5項目)

画像【図5】コロナ禍で生じた気持ちの変化への若者の対処方法(上位6項目)

今回の調査では、これから進学や就職などライフイベントを迎える若者が、自身の将来に対して、コロナ禍の生活が既に影響している、また影響するだろうと感じていることが明らかになりました。また一部の若者はとても深刻な状況に陥っている可能性が示唆されました。
自粛生活やリモート中心の学生生活により、通常であれば身につけられたであろう社会性や対人スキル、それによる人格形成への影響など、将来ある若者だからこそ必要な経験が得にくい環境であったことを周囲の人々が考慮し、寄り添いながら見守っていくことが大切になると考えます。

<調査概要>

調査名   新型コロナ禍と若者の将来不安に関する調査
調査対象  日本全国の男女600名
      高校生100名/大学生・大学院生100名
      高校生の保護者100名/大学生・大学院生の保護者100名
      高校教員100名/大学教員100名
調査方法  インターネット調査
調査期間  2021年12月10日~12日

※その他詳細なデータについては、日本赤十字社広報室にお問い合わせください。
※本調査を引用する場合は「2021年日赤調べ」もしくは「日本赤十字社『新型コロナ禍と若者の将来不安に関する調査(2021年)』」と記載ください。

専門家からのアドバイス

画像日本赤十字社医療センター 臨床心理士 秋山恵子(左)・関真由美(右)

今回の調査から、精神的な苦痛を抱えている高校生・大学生が一定数いることが分かりました。中でも特に多かったのは「無気力」や「孤独」という項目でした。また「死ぬことを考える」という項目に対し、高校生では18%、大学生では11%が当てはまると回答していたことは見逃せません。先が見通せず、将来への不安も大きい中で、頑張ろうとする気力が出ないのは自然な反応でしょう。10代半ばから20代に差し掛かる彼らにとっては、仲間集団との接触がとりわけ重要です。その仲間との直接交流が大きく制限されたことも精神面に大きく影響を与えたと考えられます。
対処法に目を向けると、大学生では「親と相談する」「考え方を転換する」など、多くの人は何らかの対処がとれている様子が見受けられますが、高校生ではその割合が低下します。
これらを踏まえ、学生やその周りの大人へ発信したいメッセージを下記にまとめます。感染症流行下であることに加え、高校~大学の時期は精神的に揺れる多感な時期です。芸能関係など悲しいニュースの報道が自殺行動を誘引するという「ウエルテル効果」(※1)は有名ですが、一方で報道の力は大きく彼らを支えうる(パパゲーノ効果)(※2)こともここに強調したいと思います。

【学生の皆さんへ】

気持ちが辛い時に相談できる人を思い浮かべましょう。その人たちとの交流をこれまで以上に意識してみてください。保健室の先生やスクールカウンセラーをはじめ、専門家と相談もできます(下記「相談窓口のご案内」参照)。
また、あなたのストレス対処法は何でしょうか?人と話す、自分の趣味に没頭するなど様々でしょう。今頭に浮かんだその対処法は、いつかまた困難に直面した時にもきっと役に立ちます。セルフケアに活用しましょう。今は大変なときですが、皆さんにとって成長の糧になりうるときでもあります。

【保護者の方々へ】

結果を見て心配される保護者もきっといらっしゃるでしょう。「あなたは大丈夫なの?」と聞きたくなるかもしれませんが、多くの子どもにとってこの時期は第二次反抗期と重なり、親にはあまり相談したくないと自然に思う時期です。細かく聞こうとしても、逆に反抗的な態度が返ってくるかもしれません。
一方で親に対する甘えも残っていて、身近な大人にいつも味方でいてほしいと感じています。話しかけてきた時にはしっかり聞くという態度を示し、子どもにとっての安全基地でいて下さい。また大人自身の安定も子どもにとって大切です。どうかセルフケアもお忘れなく。

【教職員の方々へ】

生徒・学生に対して、今は大変な時期であると伝え、やる気が出なかったり、不安があったりしても、それは自然な反応であると話してあげてください。そして、子ども達にとって悩むときに話せる人がいること、具体的な相談先を伝えてください。
コロナ禍において、授業の工夫や行事の考え方など先生方も大変なご苦労があったのではないでしょうか。学生・生徒のケアが第一となりがちかもしれませんが、先生方ご自身の大変さもないがしろにせず、仲間内で共有したり相談したりするなどしてみてください。

※1ウェルテル効果:自殺事例のメディア報道が、その後さらなる自殺関連行動を引き起こしてしまうこと
※2パパゲーノ効果:自殺念慮への対処方法を扱ったり、具体的な相談窓口を情報提供したりすることで、自殺関連行動の予防・減少につながること

相談窓口のご案内

●文科省 子どものSOS相談窓口(電話・SNS・LINE)
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06112210.htm

●内閣官房 孤独・孤立対策担当室 あなたはひとりじゃない
18歳以下の皆さんへ https://notalone-cas.go.jp/under18/
19歳以上の方へ https://notalone-cas.go.jp/

●厚生労働省 こころもメンテしよう ~ご家族・教職員の皆さんへ~
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/parent/teacher/index.html

コロナ禍の日本赤十字社・青少年赤十字(JRC)活動(※3) 

新型コロナの影響による学校生活の変化は、高校生たちに「孤独感」や、新しい人間関係を築くのが困難という「不安」を与えていることが本調査で分かりました。そのような状況下、日本赤十字社の青少年赤十字(JRC)では、通常行っていた研修やボランティア活動が制約を受ける一方、オンライン上で国内・海外の子どもたちに学びの場を設け、交流をはかっています。

【海外の学生との交流と学び(国際交流会)】

2020年11月、日本の青少年赤十字高校生と17のアジア・大洋州姉妹社の500人以上のこどもたちが、オンライン上で、各国でのコロナの現状や学校の様子等を語り合い、意見交換を行いました。
また、2021年9月には、日本の青少年赤十字高校生と香港のこどもたちがオンライン上で、コロナ禍の学校でのストレスマネジメント、不安への対処法について話し合いました。参加した学生からは「画面を通して交流できるから寂しくないね」「議論した内容を今後の学校生活に活かしたい」という感想があり、コロナ禍での交流は良き機会となりました。

【国内の学生との交流と学び(リーダーシップやオンライン上での協働を学ぶプログラム)】

コロナ禍では、集団生活での学びが減少し、新たな人間関係を築き、協働しながらコミュニケーションをとることに難しさを感じるという声がありました。そこで、青少年赤十字では、全国の子どもたちを対象に、リーダーシップやオンライン上での協働を学ぶプログラムを実施しました。

(※3) 青少年赤十字活動(JRC)とは

青少年赤十字(JRC)は、赤十字の理念を通じて人を思いやる豊かな心を持ち、自主的に行動できる子どもを育てることを目的としています。いのちと健康を大切にすること、地域社会や世界のために奉仕すること、世界の人々との親善を深めることを目標とし、ご理解いただいた先生により、学校教育の中で展開されています。全国の幼稚園、保育所、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校で、現在約14,500校、345万人が活動しています。

青少年赤十字は“今年100周年”

1922年に滋賀県守山市の小学校で初めて「少年赤十字団」が設立されてから、今年で100年を迎えます。災害や感染症など様々な世の中の変化の中、どの時代も、子どもたちが赤十字の理念を通じて、人を思いやる豊かな心を持ち、自主的に行動できるよう活動を続けてきました。今年は100周年事業「未来のあなたへ、やさしさを。」を実施し、今後も、さらに活動を活発化させてまいります。

<日本赤十字社について>