利根輪太郎競輪人間学 土浦の勝負師が惨敗

2022年01月16日 20時53分15秒 | 未来予測研究会の掲示板

競輪に絶対がない。

そのとおりなのだ。
土浦の品田さんは、27歳から競輪を始めて、今年で50年。
この日は、30万円を持参して、11レースと12レースに挑戦した。
まず、11レースに10万円。

並び 2-7-9 6-1-8 9-3-5

レース評
自分のスタイルを確立した吉田は引き続き好調。主力分散のここなら文句なしの◎だ。続く武藤も堅実巧者で両者のワンツー。

2-7(1.6倍)
2-3(7.4倍)

2-7に10万円投じる。

結果

3-7 7,630円(13番人気)

3-7-5 7万3,970円(80番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 3 村上 博幸   14.7   絶好の番手
2 7 武藤 龍生 3/4車輪 14.1 S 前落車捲る
3 5 北野 武史 3/4車輪 14.6     先手3番手
4 9 高久保 雄介 1/2車輪 14.9   B 突張り末欠
  5 4 大澤 雄大 3/4車身 14.1     前捲り上げ
  6 8 石塚 孝幸 1/4車輪 14.3     ライン一緒
  7 6 蒔田 英彦 1車身 14.7     叩けず中団
2 吉田 拓矢         1角落車し
1 渡邉 豪大         内降り失格

戦い終わって

戦い終わって写真

 後攻めの高久保雄介が打鐘過ぎに斬って、そのまま先行。人気の吉田拓矢は1センター付近で石塚孝幸の後輪に前輪が接触して落車。高久保の先行を利した村上博幸が抜け出し一着。「後攻めになるのは想定内。高久保も「あの展開では引けないですよ」と言ってたけど、たしかにホームで南関勢を出したら吉田(拓矢)の展開になっちゃいますからね。しっかり練習できたのもあるけど、鎖骨のプレートを抜いて可動域が広がって体の状態は良くなってます。あとはハンドル周りをいじって更に良くなってくれれば」。
 二着には落車した吉田から切替えて捲った武藤龍生。「焦ったけど、後ろに大澤(雄大)さんも付いてるし必死で踏んでいきました。地元戦はいつも気合が空回りするけど、今回はそういった事なく走れてます」。
 三着には京都勢を追った北野武史が入る。「余裕はあったけど、最後のコース取りが良くなかった。4、5着かと思ったら三着とは。とにかく勝ち上がれて良かった」。

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そして、12レースに20万円を投じた。

7-2-9 4-1-6 3-5-8

レース評
平原は誰もが認めるスーパースター。後輩の森田を好きに走らせ「格上の鋭さ」を披露する。頭は不動で相手探しのレースだ。

2-7(2.3倍)
2-1(4.9倍) 

土浦の品田さんは、11レース、絶対の本命と期待された、吉田 拓矢 選手のまさかの落車で、10万円を失う。

失った2-7レースの2-7の車券を悔しいを込めてに握り占めていた。

そして、同じ2-7の出目を追いかけたのだ。

2-7に20万を賭けたのだ。

もしも、車券が外れたら、半年は競輪を止めるとまで覚悟して・・・。

だが、11レースの2番の落車に次いで、7番の森田 優弥選手がまさかのの車体故障!

「こんなことは、50年の競輪歴で初めて!」と土浦の品田さんが利根輪太郎に言う。

「残念でしたね」と輪太郎は慰め言葉をかけた。

実は、輪太郎は2-1-9の車券を2000円持っていたのだ。

結果

2-1 490円(2番人気)

2-1-9 1,760円(5番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 2 平原 康多   14.3   切替え一気
× 2 1 渡部 幸訓 3/4車輪 14.8   ハコ仕事も
3 9 志村 太賀 3/4車身 14.3   S 平原を追走
4 3 原口 昌平 3/4車身 14.7     捲り張られ
  5 4 小原 丈一郎 1/2車身 15.2   B 叩き末欠く
6 5 佐々木 則幸 微差 14.4     割り込まれ
  7 8 濱田 浩司 3/4車輪 14.3     前遅れ一緒
  8 6 金成 和幸 2車身 15.1     前団飲まれ
7 森田 優弥         車体故障し

戦い終わって

戦い終わって写真

 初手で中団を取った北日本ライン。後ろ攻めの原口昌平が斬った上をすかさず叩いて果敢に主導権取り。しかし、7番手から森田優弥が猛然と巻き返すが、接触し車体故障に。ここで森田マークの平原康多は切り替えて原口昌平の後ろを確保。原口が捲りを放つと渡部幸訓がキツイブロック。しかし、原口に乗った平原が番手から抜け出す渡部に踏み勝ち連勝ゴール。3着は平原を追った志村大賀が入った。
 平原は「森田が接触して自分も落ちたと思いました。そこで落車をしなかったのが一番ですね。後ろに太賀がいるには分かっていたので、最後は気持ちで無我夢中に踏みました。ファンの声援が凄くて後押しになっている」。
 渡部は「作戦は関東の後ろから。森田君が来るタイミングとか全て作戦通りだったけど、もう少し待ってから踏めば良かったかな。原口君を処理してからは平原さんが来るには分かっていた。小原君を残せていたら最高でしたね」。
 志村は「森田が車体故障をしてからは全部平原さん任せ。落車してもいいからしっかり付いて行こうと。心中するつもりで付いていたし、準決へ行けたのは良かった」。


「いつまでも自分らしく生きる」(脳科学者(茂木健一郎氏

2022年01月16日 20時51分24秒 | 【お知らせ】


生涯現役社会の実現に向けたシ
ンポジウム

(2月9日 時
(00:13
ライブ配(取手ウェルネスプラザ 所
(信有り
「いつまでも自分らしく生きる 「内
基調講演:第一部
(脳科学者(茂木健一郎氏
パネルディスカッション:第二部
元(石井一彦氏、茂木健一郎氏 講
夢スタジオピン歩
け ぼ
成島久)、気社長
、(取手市商工会女性部部長(美子氏

きょう

いずみ
、(PCインストラクター(裕子氏
高木圭:司会)、民生委員(加藤努氏
(フリーアナウンサー(二郎氏
先着150人 定
無料 費
電話かホームページ 申
~ 00:10)水(1月19日:電話
7088-86☎とりで生涯現役ネット 問
生涯現役社会の実現に向けたシ
ンポ


日本が生んだ世界のスポーツ・競輪の歴史を探る

2022年01月16日 10時53分53秒 | 未来予測研究会の掲示板

1948年11月20日、福岡県・小倉競輪場で日本の競輪は産声を上げた。このページでは、日本が生んだ世界のスポーツ・競輪の歴史を探る。

1948年11月20日

福岡県・小倉競輪場で日本初の競輪を開催。

1949年1月15日

埼玉県・大宮競輪場で東日本初の競輪を開催。

1949年6月

第1回日本選手権競輪を開催。

1950年4月

第1回高松宮記念杯競輪開催。

1950年8月

第1回全国都道府県選抜競輪開催。

1951年11月

第1回競輪祭(競輪王戦)開催。

1956年5月

第1回オールスター競輪開催。

1957年8月

中井光雄、中野泰満両選手がプロ競輪選手として初めて世界選手権自転車競技大会に参加。

1963年3月25日

日本選手権競輪決勝戦をテレビ初放映。

1965年12月13日

松本勝明選手が史上初の通算1000勝達成。

1975年8月24日

阿部良二選手が世界選手権自転車競技大会・スクラッチで銅メダル獲得

1977年8月31日

中野浩一選手が世界選手権自転車競技大会・スプリントで金メダル獲得

1980年

中野浩一選手が日本のプロスポーツ選手として初めて年間獲得賞金額1億円を突破。

1985年8月

第1回全日本選抜競輪開催。

1985年12月

立川競輪場で第1回KEIRINグランプリを開催。優勝は中野浩一選手。

1986年9月1日

中野浩一選手が世界選手権自転車競技大会・スプリントで10連覇を達成

1988年6月7日

井上茂徳選手が史上初のグランドスラム(特別競輪完全制覇)を達成。

1988年10月

第1回共同通信社杯開催。

1989年

労使関係の折り合いがつかず、KEIRINグランプリが中止

1992年5月19日

第1回世界選手権記念トーナメント(後の寛仁親王牌)開催。

1996年

アトランタオリンピック自転車競技・1キロタイムトライアルで十文字貴信選手が銅メダル獲得

1998年

函館競輪場で初のナイター競輪開催

2000年

シドニーオリンピックでケイリンが自転車競技正式種目に採用

2001年12月

第1回ヤンググランプリ開催。

2004年

アテネオリンピック自転車競技・チームスプリントで日本チーム(長塚智広選手、伏見俊昭選手、井上昌己選手)が銀メダル獲得。

2005年8月

第1回サマーナイトフェスティバル開催。

2008年8月16日

北京オリンピック自転車競技・ケイリンで永井清史選手が銅メダル獲得

2011年

小倉競輪場で初のミッドナイト競輪開催

2012年

ロンドンオリンピックで女子ケイリンが自転車競技正式種目に採用。

2012年7月

ガールズケイリン開始

2012年11月

モーニング競輪開始

2017年3月

第1回ウィナーズカップ開催。

2020年

新型コロナウイルスの影響により、日本選手権競輪が初の中止

 
 

勝負勘

2022年01月16日 10時29分52秒 | 社会・文化・政治・経済
 
岡部 幸雄  (著)
 
究極の勝負師の「勝負勘」とは何か。
日本一の最多勝記録を持つ名騎手が勝負の駆け引き、究極の集中力の極意までを綴った初めての書き下ろし。
すべては人生の生き方まで繋がる時代とともに生きるヒントを伝授。
 

内容(「BOOK」データベースより)

勝負の分かれ目での一瞬の判断力を磨く!「先」を読まれたら、必ず負ける!名騎手引退後初の著書。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

岡部/幸雄
1948年群馬県生まれ。元・騎手。84年、シンボリルドルフで無敗のクラシック三冠達成を始め、数々の名馬でGI制覇を成し遂げた。その見事な手腕は「名手」と称される。
85年からほぼ毎年、海外のレースに参戦する国際派ジョッキーとしても活躍。競馬関係者からは畏敬の念をこめて「ジョッキー」の通り名で呼ばれる。
2005年3月20日、「生涯一騎手」の人生を貫き38年間の騎手生活に終止符を打つ。中央競馬(JRA)騎乗回数1万8646レースのうち通算勝利数はJRA史上最多の2943勝(06年9月現在)、通算GI31勝、通算重賞165勝と前人未踏の記録を持つ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
武豊が登場する前、日本を代表するトップジョッキーだった岡部さんだが、昨年引退してから、調教師にもならず、主に執筆活動や評論家活動をしながら悠々自適の毎日を過ごしているようだ。
今回の著作では、彼の経験の回顧と、それを通じて体得した成功の要因について述べている。騎手が他のプロフェッショナルと大きく異なる点は、まずチャンスを得るのが大変だということ。
まず調教師や馬主から信頼されないと騎乗機会が増えず、さらに勝つチャンスの大きいよい馬がまわってこない。鶏卵の関係だが、こうやって好循環を得た一握りの騎手となるための努力は並大抵のものではなかったはず。
肝心の、実際のレースで勝つ秘訣であるが、岡部さんの言葉では、「他の騎手よりも多くミスをしないこと」とすごくシンプルである。武豊は、そのミスが少なく、かつ、他の騎手のミスを見逃さず、すかさずそれに乗じることができる点で圧倒的に強いのだという。
そして、レースは刻々と状況が変わるので、その状況変化に合わせて対応できる柔軟性こそが自分のミスを減らし、他人のミスに乗じるための必要能力であり、それが「勝負勘」ということなのだろう。印象的だったのは、馬も騎手もある程度長い目で育成すべきという意見。
早熟型ですぐ結果を出すことが尊ばれるようになっていることを憂い、晩成型がきちんと育ちにくくなっているが、そうした仕組みは競馬界に限らず、世の中全体として考えなければいけないことである。
 
 
現役時代の思い出や考えを、ただ思いつくままに書いている印象でした。

勝負に対する強い思いや
勝負論などは感じられませんでした。

おそらく、
物凄く努力し、いろいろなことを考えたからこそ
結果を残せたのだと思いますが、
この人にとってそれが自然なことで
当たり前のことだったのではないかと思われます。
この人にとって
当たり前のことを自然にやっただけだから
結果を残せる人と残せない人の違いなどは
この人にはわからないのかもしれません。
どうしたら勝てるようになるか、
勝負勘を磨くにはということを求めていると
参考になる部分はあまりありませんでした。
しいて言うなら、
できるだけミスをしないようにということでしょうか。
 
 
騎手岡部幸雄が競馬場からいなくなって2年半ちょっと。ジョッキーの名騎乗にいつも魅了されてきた私にとって「岡部だったらどう乗るだろう…」とか「岡部だったらこうは乗らないだろう」とかつい考えてしまう私にとって1ページ1ページかみしめながら読んだ本です。

 この『勝負勘』は基本的には"真摯に自分の出来うる努力を当たり前にこなし続けていくこと"ここに56歳まで鞭を置くことなくトップに君臨し続けた孤高の名手にしか見ることの出来ない風景があったのだと思います。
 
 
競馬場から岡部騎手の姿が見られなくなって一年以上が経過しました。競馬場で示してくれた競馬のスリルに誘われて読み始めましたが岡部ジョッキーの手綱と比べると物足りなさは否めません。タイトルは「勝負勘」ですが、話のポイントが余り絞られていないように思えます。
岡部ファンとしては、別にそれでもいいのですが。
岡部騎手は「馬、優先主義」というサンスポ、ギャロップに連載していた文書がありますが、読み応えと言う点からすればそちらの著書の方が上だと思います。
現役時代に比べると何となくやさしくなったようにも思えます。
恐らく岡部さんの豊富な体験を引き出すには、インタビュー形式の対談がよいのではないかと思うのですが、どうでしょうか。それでも岡部さんが本を書いてくれると嬉しい限りです
ヘーそうだったのか、ということが随所に見られますから。久しぶりに岡部さんの話を聞いてみたいというファンの方にはお勧めです。
 
 
小生は馬券で岡部を買ったことは少ない。それは倍率が低く、馬券妙味がなかったためである。ある意味その騎乗技術が世間から信頼されている騎手がどのように培ってきたのか、という自身の自分史と呼べる本と思われる。ちなみに、小生は本を購入してから、岡部元騎手の本であることを知った。
『勝負勘』というタイトルに惹かれたからである。単なる競馬ファンが読むよりも、勝負事に身をおいている人間にとっては考え方や生き方で参考になる面が多いと思う。ちなみに、小生は投資という勝負事に携っている。
 
 
 
 

 

 
 

 


大切なのは「今」

2022年01月16日 10時21分48秒 | その気になる言葉

▼人生の真の充実は、困難に挑み勝つ戦いの中にある。
▼人間には、目標が必要である。
漫然とした歩みには力がこもらないが、目標のある人の歩みは力強い。
▼地域社会が求める「人びとを結びつける力」
「レジリエンス」(抵抗力・回復力)が強いとされるコミュニティーの共通点の一つとして、
<橋渡し役>の存在がある。
「通訳型リーダー」ともいうべき「人びとを結びつける力」が期待されている。
▼データを分析し、課題解決への提案できる力は、さまざまな分野で求められている。
▼経済的豊かさと心の豊かさは、同じではない。
しかし、一方で、貧困が人生の選択肢を狭めてしまう現実もある。
▼先延ばしこそ生の最大の浪費-哲人・セネカ
▼大切なのは「今」。
「今」「何を」実践するかだ。
心を自身の果たすべき「使命」に向けるのだ。


家にいることが増えた今、点検商法や指摘商法による屋根工事の詐欺に注意が必要!

2022年01月16日 10時13分29秒 | 事件・事故

2021.02.12 屋根修理

今回は、悪徳屋根修理業者による詐欺被害の手口をご紹介したいと思います。皆さんは『点検商法』や『指摘商法』と呼ばれる、悪徳業者が良く使用する手口はご存知でしょうか?

もともと住宅リフォーム業界は、訪問販売による詐欺被害が非常に多いと言われており、訪問販売で突然やってくる業者に注意しているという方は多いと思います。

しかし、台風の大型化によって屋根の被害が急増しているここ数年では『点検商法』や『指摘商法』と呼ばれる手口に騙されてしまう…という方が増えていると言われています。

点検商法に関しては、古くからある手口で、突然やってきた屋根修理業者を名乗る人間が「この辺りをキャンペーンで周っているのですが、無料で点検だけしませんか?」などと、親切に声をかけてくる商法となります。こういった場合に「無料なら…」と、業者を屋根に上げてしまうと、ありもしない劣化を報告したり、最悪の場合自ら屋根を破損させて修理の必要性を訴えてくるのです。
もちろん、本当に屋根に何らかの不具合が生じていれば、ベストタイミングなのかもしれませんが、ほとんどの場合、不必要な工事をすすめられ、業者に言われるまま高額な契約をしてしまう…といった状況になってしまうのです。特に現在は、新型コロナウイルスの影響で、家にいることも増えていることから、こういった悪徳商法の営業を受ける機会も多いかもしれません。

そこでこの記事では、悪徳屋根業者に騙されないため、ここ数年で急激に増えている『点検商法』と『指摘商法』がどういった手口なのかを分かりやすくご紹介しておきます。

『点検商法』や『指摘商法』ってどんな手口?

それでは、悪徳住宅リフォーム業者などが良く利用すると言われている『点検商法』や『指摘商法』の詳細についてご紹介していきましょう。

点検商法に関しては、古くからシロアリ駆除の悪徳商法などとして有名で、住宅リフォーム関係の消費者トラブル相談では、この手口に引っかかって…というものが非常に多いと言われています。

さらに近年では、台風の大型化などを原因として『指摘商法』と呼ばれる詐欺手口の相談が急増していると言われています。

一昨年千葉県であった台風被害の報道でも、多くの住宅が屋根被害に困っている中、屋根修理に法外な費用を請求された…といった報道が盛んにされていたのは記憶に新しいのではないでしょうか。ここではまず、『点検商法』と『指摘商法』がどういった手口なのか、その詳細をご紹介しておきます。

点検商法とは?

古くから住宅リフォーム関係の訪問販売で使用されているのが『点検商法』と呼ばれる手口です。

この手口は、「近くで工事をしている」「このエリアをキャンペーンで周っている」などという名目で、突然屋根修理業者を名乗る人が訪問してくるものです。

この場合は、梯子などの道具があるから、『無料』で屋根の点検を行いますなどと言ってきて、住人が「無料なら…」と屋根に上げてしまうというケースが多いです。

そして、業者を屋根に上げてしまうと、上で撮影したという写真を見せてきて「屋根材が割れている」「屋根材がズレている」という理由で屋根修理が必要だと迫ってくるのです。

実際に近年では、弊社にも「訪問販売業者に点検してもらったら屋根修理が必要だと言われたのですが、一度見てもらえますか?」といったセカンドオピニオン的な問い合わせが増えています。もちろん、点検した結果、修理が必要な場合もありますが、以下のような状況の屋根も少なく無いのです。

  • ●修理の必要がない
    点検してみた結果、特に修理の必要がない屋根も多いです。こういった場合は、よく似た他の屋根の写真を用意しておき、それを確認させられた…ということが考えられます。住人さん自体が屋根に上がれないということを使って、うその報告をするわけです。
  • ●故意に破損させられた
    実際に破損している箇所は見つかったものの、屋根材の割れ口がまだ新しい…台風での被害とは考えにくいなど、屋根に上がった業者が故意に破損させた…と考えられる症状も少なくありません。こういった手口を使う業者はかなり悪質だと言えます。

上記のように、セカンドオピニオンとして他の業者に点検を依頼した場合、不用な工事をしなくても済むという場合もあります。しかし中には、数万円の工事と説明し「車に道具があるので、すぐに修理しましょうか?」などと言われてしまい、そのまま工事を依頼するパターンもあるようです。こういった場合には、不用な工事に無駄なお金をかけてしまうことになるわけです。
悪徳訪問販売は、少額詐欺の場合もありますので、いくら『無料』だと言われても、突然訪問してきた業者を屋根に上げるのはやめておきましょう。

指摘商法とは?

次は『指摘商法』です。近年では、この指摘商法による屋根修理の詐欺被害が急増していると言われています。指摘商法に関しても、点検商法と同じく屋根業者を名乗る人間が突然訪問してきます。点検商法との違いは、より信ぴょう性を持たせるため、あなたの家の屋根がすでに破損しており、それを伝えに来てあげたというスタンスをとるのです。例えば、近くで工事をしている業者を名乗り、「現場からお宅の屋根が破損しているのが見えて、親方に伝えてこいと言われた」など、親切に教えてくれているという体で近づいてくるため、信用してしまう方がいるのです。

また、この手口の場合「近くで工事をしている」という前提条件があるため、「道具が揃っているのですぐに修理しましょうか?」というセリフも親切で言ってくれていると聞こえてしまうものです。大掛かりな工事になると、近くの工事で使用している足場を流用するので、足場代を安くできます…などと、お得感まで出せる手口になります。
指摘商法も点検商法と同じく、住人さんが屋根の上を確認できないことを良いことに、「既に不具合が出ているから、放置していると大変なことになる…」などと不安を煽ってくる詐欺手口となります。

特に、台風などが過ぎ去った直後であれば、その指摘により信用性が載せられてしまうため、つい契約してしまう…という方が増えているようです。どちらにせよ、突然訪問してきた業者とその場で契約するのではなく、他の業者にも屋根の点検を依頼して相見積もりをとるようにしましょう。

悪徳業者の共通点を知っておこう!

それでは最後に、悪徳屋根修理業者に騙されないためにおさえておきたいポイントをご紹介しておきましょう。こういった手口に騙されないようにするには、「突然訪問してきた業者を屋根に上げない!」「普段から屋根の状況を自分でも確認しておく」「その場で工事を依頼するのではなく、他の業者にも点検を依頼する」などと言った対応が非常に重要です。

特に、屋根に何らかの問題があった際、すぐに相談できる地元の業者を作っておけば、指摘商法で「既に不具合がある!」と言われても、「馴染みの業者に頼むので大丈夫です」と断ることができるようになるでしょう。

他にも、悪徳業者にはいくつかの共通する特徴がありますので、その特徴を覚えておくということもとても大切です。以下に、悪徳業者に共通する特徴をご紹介しておきます。

  • ●突然訪問してくる
    「近くで工事をしている」「キャンペーンで周っている」など、悪徳業者は突然訪問してきます。屋根修理は、HPなどで広告を出し、お客様からの問い合わせをもとに点検・修理を行う方が圧倒的に効率的です。それにもかかわらず、エリアを決めて全世帯を訪問するような営業方法を採用するのは、HPなどに情報を出せない後ろ暗い理由があるからと考えた方が良いかもしれません。
  • ●梯子や修理道具がたまたまある
    普通に考えれば明らかにおかしいですよね。どんな工事が必要か分からないのに、持ち歩くわけはありません。ちなみに、このセリフの不自然さを無くすため、「近くで工事をしている」などというのでしょう。
  • ●名刺を渡さない
    悪徳訪問販売業者の多くは、名刺を渡してきません。「検討して連絡するので」などと前向きな返答でも名刺を置いていかない業者があるほどです。そもそも、訪問時点で名刺を出して会社名や名前を言わないような業者は信用しない方が良いです。
  • ●とにかく屋根に上がろうとする
    悪徳屋根業者を屋根に上げてしまうとおしまいです。上述したように、故意に屋根を破損させてしまうような業者がいるほどです。突然訪問してきた業者は、絶対に屋根に上げてはいけません。

悪徳訪問販売業者は、上記のような共通する特徴を持っています。これを知っておけば、「この業者は怪しい…」と判断できるようになると思いますので、ぜひ覚えておきましょう。

まとめ

今回は、近年急増していると言われている屋根の『点検商法』や『指摘商法』について解説してきました。残念ながら、古くから住宅リフォーム業界では、悪徳な手口で法外な費用を請求する詐欺業者が存在します。これは、屋根修理業界も同じで、自ら屋根を破損させて修理工事を契約させようとする業者まで存在するのです。

こういった手口に引っかからないようにするには、「屋根修理業界には悪徳業者もいる!」という認識を持っておき、少しでも怪しいと思えば他の業者の話も聞いてみるようにすることです。他にも、何かあった時には、すぐに対処を依頼できる近場の屋根業者を見つけておくという方法も有効です。
いつもお世話になっている業者があれば、突然訪問されたとしても、その場で強引に契約させられてしまう…なんて被害を防ぐことができるはずです。


山手樹一郎の作品世界

2022年01月16日 09時12分09秒 | 社会・文化・政治・経済

山手 樹一郎(やまて きいちろう、1899年2月11日 - 1978年3月16日)は、日本の小説家。本名井口長次。

経歴・人物
栃木県那須郡黒磯町生まれ。父親が鉄道員として黒磯駅に勤務していた当時に生まれた。本名は井口長次。(旧制)明治中学校卒業。長男は同じく小説家の井口朝生、次男は国文学者の井口樹生。孫は詩人の井坂洋子。

小学新報社『少女号』の編集者を経て、博文館に入社。のち『少年少女譚海』編集長。1932年頃より兼業作家となり、1939年より専業作家。前後して長谷川伸の門下。翌年より新聞連載した「桃太郎侍」で人気を得る。1944年、「獄中記」「檻送記」「蟄居記」の三部作(のち『崋山と長英』として出版)で第4回野間文芸奨励賞を受賞。

一貫して明朗、壮快な作風で、時代小説作家として支持される。第2代日本作家クラブ会長。1977年、勲三等瑞宝章を受章。

1978年3月16日、肺癌のため東京都板橋区の日本大学医学部附属板橋病院で死去[2]。79歳没。墓所は東京都世田谷区の宗福寺[1]。

作家として
雑誌編集者との兼業作家として活動を始めたのは30代に入ってからであり、さらに専業作家となったのは40歳を過ぎてからである。

編集者としては山本周五郎などの担当をする傍ら、自身が編集に携わる雑誌を中心に作品を発表した。その際、編集者の「井口長次」名義では会社の規定で原稿料が支払われない事から、原稿料をもらう為に筆名「山手樹一郎」を名乗った。このため、当初は編集者井口長次しかその素性を知らない謎の覆面作家であり、『少年少女譚海』編集長時代に、ライバル誌であった『講談倶楽部』の編集長から執筆依頼の相談が来てしまい、たいへん困ったがさすがに断ったという逸話がある(専業作家となった後には『講談倶楽部』でも作品を発表している)。

作品は一貫して大衆文芸に求められるものとして読み手側の爽快感を重要視した作りで、ほぼ全ての物語が明朗爽快・勧善懲悪・人情話・ハッピーエンドという要素でまとめられている。このため時に偉大なるワンパターン作家などと言われる事もある。だが、別の見方をすれば、リアリズムを基調とした時代小説、実在の人物をテーマにした歴史小説に一部に見られる、破滅的で何も救いの無い悲劇の結末に辿り着くという展開が山手の作品には無い為、日本の大衆文芸史上、最も安心して結末まで読む事のできる作家でもあり、この点や人物描写・人情描写の秀逸さが長く人気を支えた。

主な作品
春陽堂の春陽文庫から、『山手樹一郎長編・短編小説全集』が刊行されていた。(以下「山手」と略)

桃太郎侍
夢介千両みやげ
又四郎行状記
ぼんくら天狗
浪人市場
八幡鳩九郎
新編八犬伝 (山手樹一郎長編時代小説全集 12) 1977年 春陽文庫 - 旦開野(女装の犬坂毛野)に恋する馬加家の侍女・お夏など、山手による独自キャラクターが追加されている。
遠山の金さん(山手樹一郎長編時代小説全集 14) 1977年 春陽文庫 - 江戸の町で殺人事件が起き、現場検証や犯行時刻の推定、容疑者の割り出しなど、推理小説連作のスタイルになっている[3]。
巷説荒木又右衛門(山手樹一郎長編時代小説全集 24) 1978年 春陽文庫
著書刊行順リスト
『うぐひす侍 名作小説』博文館 1940 のち光風社文庫、春陽文庫
『日本ノ子供 英雄ノ少年時代』羽石弘志,玉井徳太郎,新井五郎, 鈴木朱雀畫 博文館 國民繪本 1941
『めをと春秋 他十一篇』博文館文庫 1941
『幕末軍艦役』博文館 小説選集 1942
『戊辰進軍譜』春陽堂書店 1942
改題『山手樹一郎長篇傑作集 [第1] 恋風街道』文芸図書出版社 1951 のち春陽文庫、富士見書房時代小説文庫、広済堂文庫
『高野長英』春江堂 1943
『天の火』新泉社 1943 のち春陽文庫(山手)
『暁の旗風』小松崎茂絵 妙義出版社 1948
『おいらん俥』矢貴書店 1948 のち桃園文庫
『桃太郎侍』矢貴書店 1948 のち春陽文庫、新潮文庫、富士見書房時代小説文庫、嶋中文庫
『おんな八景』新小説社 1949
『十六夜巷談』同光社 1950
『江戸情話』東方社 1950
『恋かたぎ侍話』東方社 1950
『又四郎行状記』同光社 1950 のち春陽文庫、新潮文庫、富士見書房時代小説文庫、嶋中文庫、コスミック時代文庫
『山手樹一郎長篇作品集 第6巻 (鬼姫しぐれ)』
『山手樹一郎長篇作品集 第7巻 (美女峠)』
『青空浪人』同光社磯部書房 1951 のち春陽文庫、桃園文庫
『花魁やくざ』東方社 1951
『女のよそほひ』東方社 1951
『金さん捕物帳』大日本雄弁会講談社 1951
『新編八犬伝』大日本雄弁会講談社 1951 のち春陽文庫(山手)
『天保あらし』同光社 1951
『舞鶴屋お鶴』東方社 1951
『又四郎笠』同光社 1951 のち春陽文庫(山手)
江戸名物からす堂
『山手樹一郎長篇傑作集 [第2] 十六文からす堂』1951
『山手樹一郎自撰集 第3巻 (お紺からす堂)』桃源社 1955 
『山手樹一郎自撰集 第12巻 (深編笠からす堂)』桃源社 1956
『旅枕からす堂』桃源社 1958
『春姿からす堂』桃源社 1961 
「江戸名物からす堂」春陽文庫(山手)、コスミック時代文庫
『山手樹一郎長篇傑作集 [第3] 鳶のぼんくら松』 のち春陽文庫
『夢介千両みやげ』新小説文庫 1951 のち春陽文庫、桃園文庫、広済堂文庫
『夢介めおと旅』東方社 1952 のち大陸文庫
『おとめ街道』玉井徳太郎 絵 講談社 少年少女評判読物選集 1952
『崋山と長英』同光社磯部書房 1952 のち春陽文庫
『愉しからずや万作』東方社 1952
『はだか大名』大日本雄弁会講談社 1952 のち春陽文庫、富士見書房時代小説文庫、コスミック時代文庫
『花笠浪太郎』同光社磯部書房 1952 のち春陽文庫(山手)、双葉文庫
『ぼんくら天狗』文芸図書出版社 1952 のち春陽文庫
『山手樹一郎作品集 第1巻 (梅の宿)』同光社磯部書房 1952 のち桃園文庫
『山手樹一郎作品集 第2巻 (春ふたゝび)』
『山手樹一郎作品集 第3巻 (おせん)』
『山手樹一郎作品集 第4巻 (兵助夫婦)』
『山手樹一郎作品集 第5巻 (めをと雪)』のち桃園文庫、光風社文庫
『山手樹一郎作品集 第6巻 (久楽屋の娘)』
『山手樹一郎作品集 第7巻 (土の花嫁)』
『山手樹一郎作品集 第8巻 (春の虹)』
『山手樹一郎作品集 第9巻 (貞女)』
『山手樹一郎作品集 第10巻 (恋討手)』同光社磯部書房 1953
『山手樹一郎長篇作品集 第1巻 (めをと八景)』同光社磯部書房 1952
『山手樹一郎長篇作品集 第3巻 (遠山の金さん)』同光社磯部書房 1953 のち春陽文庫(山手)、双葉文庫、富士見書房時代小説文庫
『山手樹一郎長篇作品集 第5巻 (恋天狗)』 のち春陽文庫、双葉文庫、「恋斬り恩情剣」コスミック時代文庫
『浪人横丁』文芸図書出版社 1952 のち春陽文庫、「世直し京介」コスミック時代文庫
『朝霧峠』東京文芸社 1953 のち光風社文庫
『朝焼け富士』北辰堂 1953 のち春陽文庫
『いろは剣法』同光社磯部書房 1953 のち春陽文庫
『紅梅行灯』春陽文庫 1953
『ぼんくら与力』文芸図書 1953 のち春陽文庫
『街に出た若殿』文芸図書出版社 1953
『万作罷り帰る』東方社 1953
『生命の灯』和同出版社 1954
『和蘭囃子』毎日新聞社 1954 のち春陽文庫
『壁すがた』桃源社 1954
『紅梅峠』桃源社 1954
『地獄ごよみ 江戸恋い双六』桃源社 1954 のち春陽文庫
『素浪人日和』同光社 1954 のち春陽文庫、富士見書房時代小説文庫、「素浪人若さま」コスミック時代文庫
『青春道場』桃源社 1954 のち春陽文庫
『鉄火奉行』毎日新聞社 1954 のち春陽文庫、富士見書房時代小説文庫、「江戸っ子奉行始末剣」コスミック時代文庫
『錦の旗風』矢島健三絵 ポプラ社 1954 のち春陽文庫(山手)
『野ざらし姫』大日本雄弁会講談社 1954 のち春陽文庫、桃園文庫、「姫さま純情剣」コスミック時代文庫
『ぼんくら千両』和同出版社 1954 のち春陽文庫、「恋風千両剣」コスミック時代文庫
『むすめ獅子』伊藤幾久造絵 偕成社 1954
『紫忠兵衛』豊文社 1954
『竜虎少年隊』木俣清史絵 偕成社 1954
『若殿天狗』矢島健三絵 ポプラ社 1954
『江戸の虹』大日本雄弁会講談社ロマン・ブックス 1955 のち春陽文庫
『元禄いろは硯』東方社 東方新書 1955 のち春陽文庫、双葉文庫
『恋染め笠』同光社 1955 のち春陽文庫、「恋染め浪人」コスミック時代文庫
『巷説荒木又右衛門』大日本雄弁会講談社ロマン・ブックス 1955 のち春陽文庫(山手)
『春秋あばれ獅子』桃源社 1955 のち春陽文庫、双葉文庫、「姫さま恋慕剣」コスミック時代文庫
『鳶の松太郎』同人社 1955
『二階堂万作』東方社 1955 のち春陽文庫
『変化大名』大日本雄弁会講談社ロマン・ブックス 1955 のち春陽文庫、コスミック時代文庫
『山手樹一郎短篇小説全集』全6巻 和同出版社 1955
『五十両の夢』大日本雄弁会講談社ロマン・ブックス 1956
『青空剣法』講談社ロマンブックス、1956 のち春陽文庫、コスミック時代文庫
『曽我平九郎 続青空剣法』大日本雄弁会講談社ロマン・ブックス 1957
『江戸群盗記』新潮社 1956 のち文庫、春陽文庫(山手)
『江戸ざくら』桃源社 1956 「江戸ざくら金四郎」双葉文庫、コスミック時代文庫
『青雲の鬼』朝日新聞社 1956 のち春陽文庫、桃園文庫
『青春峠』大日本雄弁会講談社ロマン・ブックス 1956 のち春陽文庫、桃園文庫
『青年安兵衛』平凡出版 平凡映画小説シリーズ 1956 のち春陽文庫(山手)
『山手樹一郎新編作品集 第1 (雪の駕籠)』和同出版社 1956 のち春陽文庫
『山手樹一郎新編作品集 第2 (夕立の女)』のち春陽文庫(山手)
『山手樹一郎新編作品集 第3 (夜の花道)』のち春陽文庫(山手)
『山手樹一郎新編作品集 第4 (お女房さま)』
『山手樹一郎新編作品集 第5 (藤の茶屋)』
『山手樹一郎新編作品集 第6 (きつね美女)』
『槍一筋』和同出版社 1956 のち春陽文庫(山手)
『やん八弁天』大日本雄弁会講談社ロマン・ブックス 1956
『仇討悲願』同人社 1957
『紅顔秘帖』同人社 1957 
『紅顔夜叉』光文社 1957 のち春陽文庫(山手)「姫さま変化」コスミック時代文庫
『巷説水戸黄門』大日本雄弁会講談社ロマン・ブックス 1957 のち春陽文庫(山手)
『大名囃子』東京文芸社 1957 のち春陽文庫(山手)、双葉文庫、「若さま人情剣」コスミック時代文庫
『天保の鬼』同人社 1957
『女人の砦』新潮社 1957 のち春陽文庫(山手)、双葉文庫、「隠れ与力三五郎」コスミック時代文庫
『のっそりと参上』桃源社 1957 のち春陽文庫
『山手樹一郎新編作品集 第10 (柳橋お仙)』和同出版社 1957
『山手樹一郎新編作品集 第12 (春待月)』
『山手樹一郎新編作品集 第9 (舞鶴屋お鶴)』
『若殿ばんざい』桃源社 1957 のち春陽文庫、富士見書房時代小説文庫、双葉文庫、「若さま恋桜始末」コスミック時代文庫
『朝晴れ鷹』新潮社 1958 のち文庫、春陽文庫(山手)
『うどんや剣法』和同出版社 1958 のち光風社文庫
『江戸の暴れん坊』桃源社 1958 のち春陽文庫(山手)、桃園文庫、「おたすけ町医者恋情剣」コスミック時代文庫
『金四郎桜』桃源社 1958
『青春の風』講談社 1958 のち春陽文庫
『月の路地』和同出版社 1958
『土の花嫁』和同出版社 1958
『花の青空』和同出版社 1958 のち春陽文庫、コスミック時代文庫
『花嫁太平記』和同出版社 1958
『浪人八景』桃源社 1958 のち春陽文庫、桃園文庫
『江戸花火』光風社 1959 のち春陽文庫
『少年の虹』玉井徳太郎絵 東都書房 1959
『土こね記』桃源社 1959
『天保紅小判』光文社 1959 のち春陽文庫
『夜潮』和同出版社 1959
『浪人市場』全7巻 講談社 1959-63 のち春陽文庫(山手)、コスミック時代文庫
『浪人若殿』和同出版社 1959 のち春陽文庫、コスミック時代文庫
『わんぱく公子』全2巻 光文社 1959-61 のち春陽文庫、富士見書房時代小説文庫、桃園文庫、「世直し若様」コスミック時代文庫
『江戸の朝風』講談社 1960 のち春陽文庫、広済堂文庫
『お国流皆伝』光風社 1960
『喧嘩大名』光風社 1960 のち文庫
『矢一筋』光風社、1960 のち春陽文庫
『財布の命』光風社 1960
『尺八乞食』光風社 1960
『天狗くずれ』光風社 1960
『天保浮世硯』文芸春秋新社 1960「天保うき世硯」春陽文庫(山手)
『八幡鳩九郎』全3巻 桃源社 1960-61 のち春陽文庫(山手)
『紅だすき無頼』大和出版 1960
『山手樹一郎全集』全40巻 講談社 1960-62
『夜馬車』光風社 1960
『極楽一丁目』東京文芸社 1961
『鶴姫やくざ帖』光風社 1961 のち春陽文庫
『花のお江戸で』東方社 1961 のち春陽文庫
『江戸へ百七十里』新潮社 1962 のち文庫、春陽文庫(山手)「身がわり若様」コスミック時代文庫
『江戸の顔役』角川書店 1962 のち春陽文庫(山手)、桃園文庫、「恋しぐれ浪人剣」コスミック時代文庫
『隠密三国志』講談社 1962 のち春陽文庫(山手)、桃園文庫、広済堂文庫
『侍の灯』全4巻 光風社 1962-63 のち春陽文庫、桃園文庫
『たのまれ源八』東京文芸社 1962 のち春陽文庫(山手)「おたすけ浪人源八」コスミック時代文庫
『天の火柱』桃源社 1962 のち春陽文庫(山手)、桃園文庫
『山手樹一郎作品集 第10 (隠密返上)』光風社 1962 のち文庫
『山手樹一郎作品集 第1 (腕一本の春)』のち光風社文庫
『山手樹一郎作品集 第4 (明日の風)』
『山手樹一郎作品集 第5 (薫風の旅)』
『山手樹一郎作品集 第6 (借りた蚊帳)』
『山手樹一郎作品集 第7 (振り出し三両)』のち光風社文庫
『山手樹一郎作品集 第8 (拾った女房)』のち光風社文庫
『山手樹一郎作品集 第9 (戸塚の夜雨)』
『竹光と女房と』光風社 1963
『放れ鷹日記』講談社 1963 のち春陽文庫(山手)
『お助け河岸』桃源社 1964 のち春陽文庫(山手)、双葉文庫
『千石鶴』講談社 1964 のち春陽文庫(山手)、広済堂文庫 
『山手樹一郎自撰作品集 第9 浪人まつり』光風社 1964 のち春陽文庫(山手)、桃園文庫、光風社文庫
『おすねと狂介』毎日新聞社 1965 のち春陽文庫(山手)「姫さま初恋剣法」コスミック時代文庫
『素浪人案内』全3巻 双葉社 1965-66 のち春陽文庫、桃園文庫
『流れ雲』青樹社 1965
『浪人十景』東方社 1965
『三百六十五日』毎日新聞社 1966
『江戸に夢あり』新潮社 1966 のち春陽文庫(山手)、双葉文庫、「貧乏旗本恋情剣法」コスミック時代文庫
『さむらい春秋』東京文芸社 1966
『さむらい読本』実業之日本社 ホリデー新書 1966 のち春陽文庫(山手)「万之介無勝手剣」コスミック時代文庫
『青雲燃える』桃源社 1966 のち春陽文庫(山手)、富士見書房時代小説文庫
『源八愛慾の川』東京文芸社 1967
『源八邪淫の精』東京文芸社 1967
『さむらい根性』東京文芸社 1967 のち春陽文庫(山手)
『幸福を売る侍』双葉社 1967 のち双葉ポケット文庫、「若さま浪人人情剣」コスミック時代文庫
『素浪人日記』東方社 1967
『浪人の人生』東京文芸社 1967
『青空の如く』東方社 1968
『裏町の人生』東京文芸社 1968
『江戸の人生』東京文芸社 1968
『下郎の夢』東方社 1968 のち春陽文庫(山手)
『殿さま浪人』双葉社 1968 のち文庫、コスミック時代文庫
『武家の人生』東京文芸社 1968
『名君修業』東方社 1968
『明治の人生』東京文芸社 1968
『虹に立つ侍』講談社 1969 のち春陽文庫(山手)「浪人若さま颯爽剣」コスミック時代文庫
『月に濡れる女』広済堂出版 カラー小説新書 1970
『仇討ごよみ 山手樹一郎前期自選短編小説集』青樹社 1971
『生命の灯 山手樹一郎中期自選短編小説集』青樹社 1971
『辻斬り未遂 山手樹一郎後期自選短編小説集』青樹社 1971
『恋名月 山手樹一郎自選短編集』青樹社 1973 のち春陽文庫 
『紅梅白梅』弘済出版社 こだまブック 1971
『霧の中』広済堂出版 Kosaido blue books 1973
『さむらい山脈』講談社 1973 のち春陽文庫(山手)、コスミック時代文庫
『幕末の人生』東京文芸社 1973
『うなされる女』広済堂出版 Kosaido blue books 1974
『江戸へ逃げる女』広済堂出版 Kosaido blue books 1974
『福の神だという女』桃園書房 1978 のち文庫 
『曲りかどの女』桃園書房 1978 のち文庫
『暴れ姫君』青樹社 1979 のち春陽文庫(山手)
『一夜明ければ』「新樹」同人編 桃園書房 1979 のち文庫 
『海の恋』青樹社 1979
『男の星座』桃園書房 1979 のち文庫
『げんこつ青春記』青樹社 1979
『木枯の旅』青樹社 1979
『品川砲台』桃園書房 1980 のち文庫
『秋しぐれ 他12編』春陽文庫(山手)山手樹一郎短編時代小説全集 1980
『恋の酒 他13編』春陽文庫(山手)1980
『紺屋の月』「新樹」同人編 桃園書房 1980 のち文庫 
『三郎兵衛の恋』桃園書房 1980 のち文庫 
『春風街道 他10編』春陽文庫(山手) 1980
『将棋主従 他10編』春陽文庫、1980
『二十年目の熱情』桃園書房 1980 のち文庫
『花の雨』「新樹」同人編 桃園書房 1980 のち文庫
『江戸隠密帳』桃園文庫 1986
『あのことこのこと 山手樹一郎随筆集』井口朝生編 光風社出版 1990
『江戸の文』桃園文庫 1992
『後家の春』桃園文庫、1996
『春雷』桃園文庫、1999
関連書籍
上野一雄『聞き書き山手樹一郎』大陸書房 1985
『新樹 山手樹一郎生誕102年記念号』小池書院 2002
映画化作品
1934 武道大鑑 千恵プロ 監督:伊丹万作、出演:片岡千恵蔵、山田五十鈴 
1938 紅だすき一刀流  松竹
1938 暴れ剣法  新興東京
1939 うぐいす侍 日活 監督:丸根賛太郎、出演:片岡千恵蔵 
1940 仇討ごよみ 東宝映画 長谷川一夫 
1940 波乗り武道  松竹
1940 千両小町  大都
1951 又四郎行状記 鬼姫しぐれ 宝プロ=新東宝 監督:中川信夫、出演:嵐寛寿郎
1951 夢介千両みやげ 春風無刀流  東横 片岡千恵蔵、大友柳太朗
1951 神変美女峠  新東宝=宝プロ 黒川弥太郎、大友柳太朗 
1951 十六文からす堂 千人悲願 宝プロ 黒川弥太郎、大友柳太朗 
1951 江戸恋双六  東映 監督:萩原遼・松田定次 出演:市川右太衛門
1952 青空浪人  新東宝=宝プロ 黒川弥太郎 
1952 修羅城秘聞 双竜の巻 新演技座=大映 監督:衣笠貞之助、出演:長谷川一夫、大河内傳次郎
1952 はだか大名 前後 東映 監督:渡辺邦男、出演:片岡千恵蔵 
1953 朝焼け富士 前後 東映 監督:松田定次 出演:市川右太衛門、月丘夢路 
1953 神変あばれ笠 前後 東映 監督:渡辺邦男、出演:市川右太衛門 
1954 風来坊  松竹 
1954 巷説荒木又右衛門 暁の三十八人斬り 東映 監督:渡辺邦男、出演:市川右太衛門、高峰三枝子 
1954 素浪人日和 松竹 監督:大曽根辰夫 出演:高田浩吉、近衛十四郎 
1954 野ざらし姫 追撃の三十騎 東映 大友柳太朗、高千穂ひづる 
1954 恋風街道 宝塚映画 
1954 鉄火奉行 大映 監督:衣笠、出演:長谷川、大河内 
1954 和蘭囃子 日米プロ 監督:若杉光夫 出演:大谷友右衛門、南風洋子 
1954 変化大名 東映 監督:佐々木康、出演:市川右太衛門 
1955 恋天狗  東映 監督:渡辺邦男、出演:市川右太衛門 
1955 春秋あばれ獅子 東映 大友柳太朗、高千穂ひづる 
1955 ふり袖小天狗 東映 美空ひばり 
1956 又四郎喧嘩旅 大映 市川雷蔵 
1956 晴姿一番纏 東映 中村錦之助、月形龍之介 
1956 快剣士笑いの面 東映 監督:佐々木康、出演:市川右太衛門 
1956 青空剣法より 弁天夜叉 松竹 高田浩吉、高峰三枝子 
1956 満月あばれ笠 東映 東千代之介 
1956 青年安兵衛 紅だすき素浪人 東映 中村錦之助  
1957 恋染め浪人(原作「恋染め笠」) 東映 監督:加藤泰、出演:大友柳太朗  
1957 青雲の鬼  東映 中村錦之助、月形龍之介 
1957 大名囃子 前後 東映 監督:佐々木康、出演:市川右太衛門 
1957 朝晴れ鷹 東映 大友柳太朗、大河内 
1957 桃太郎侍 大映 監督:三隅研次、出演:市川雷蔵 
1958 緋ざくら大名 東映 監督:加藤泰、出演:大川橋蔵、大河内 
1958 千両獅子(原作「江戸群盗記」) 東映 監督:内田吐夢、出演:市川右太衛門、大河内  
1958 浪人八景 東映 監督:加藤泰、出演:市川右太衛門、里見浩太郎 
1960 浪人市場 朝やけ天狗 東映 市川右太衛門 東千代之介 近衛十四郎
1960 桃太郎侍 江戸の修羅王 第二東映 里見浩太郎 
1960 桃太郎侍 南海の鬼 第二東映 
1960 まぼろし大名 第二東映 高田浩吉 
1960 素浪人百万石  東映 市川右太衛門 東千代之介 近衛十四郎  
1960 わんぱく公子 大映 
1960 江戸の朝風 東映 片岡千恵蔵 
1961 又四郎行状記 神変美女蝙蝠 東映 高田宏治,若山富三郎
1962 八幡鳩九郎 東映 高田浩吉 里見浩太郎 黒川弥太郎
1962 江戸へ百七十里 大映 監督:森一生 出演:市川雷蔵、中村鴈治郎 
1963 桃太郎侍 大映 本郷功次郎,高田美和 [4]
舞台化
2022年3月~6月にかけて、宝塚歌劇・雪組で『夢介千両みやげ』を上演予定。 主演は彩風咲奈、朝月希和。脚本・演出は石田昌也。[5] [6]

 


夫は50人近く、転職50回以上。元祖モダンガール「本荘幽蘭」とは。

2022年01月16日 09時07分32秒 | 社会・文化・政治・経済

ノンフィクション

 

 転職50回以上、50人近い夫と120人以上の交際相手を持ち、奇才か妖婦かと日本中の注目を集めた女性がいた。そんな好奇心で手にしたのが、本書『問題の女 本荘幽蘭伝』(平凡社)である。

 本荘幽蘭。今では名前も忘れられているが、100年前の知名度は抜群だったという。明治40年前後の新聞には、その動静が詳しく載っている。仕事も女優、新聞記者、救世軍兵士、喫茶店オーナー、ホテルオーナー、活動弁士、講談師、劇団の座長など数十の職業につき、活動の場も日本、中国、台湾、朝鮮半島、東南アジアと幅広く、人脈も右から左まで顔が広かった。

 「元祖モダンガール」「才気煥発、奇才縦横」と評価する声もあったが、「人間の屑」「放縦度のない好色」と罵倒する向きも少なくなかったという。このとらえどころのない振幅の激しかった女性の生涯を追い、本書にまとめたのが平山亜佐子さんである。

 

幽蘭の生い立ちから晩年までを書いている。ざっと生涯を振り返ると、こうだ。本名は本荘久代。明治12年、大阪市に生まれた。

父は弁護士だったが、家族と別居し、久代は福岡県久留米市で育った。

15歳になり、姉の代わりに婿をとることになったが、婚約者たちに翻弄される。本人とは無関係に4人の婚約者が登場し、話は雲散霧消する。

久留米藩の旧家老筋の5人目の婚約者に無理やり犯され、妊娠するが、男は堕胎を主張。密かに出産するが早産児ですぐに死亡。久代は巣鴨病院に入院する。

 退院後、明治女学校に入学する。この頃から幽蘭と名乗るようになったらしい。卒業後、久留米で医師と結婚し、第二子を出産するが、過去の出来事を夫に告白する。夫は慰めてくれたが、身を引く決心をし、子供を背負って東京に出奔する。

読売新聞記者になるが1カ月で退職

 上京した幽蘭は、救世軍の兵士、次に新聞記者になる。いくつか転職を繰り返し、読売新聞に入る。明治37年2月20日に、幽蘭女史という署名記事がある。

 1カ月で辞めるが、マスコミ業界と顔をつないだ幽蘭は、その後も転職と男性との交際を繰り返す。このあたりから、真面目に経歴を追うのは読者としてもどうでもいいような気になってくる。著者は小見出しを「幽蘭、男たちの海を渡る」「幽蘭、ベルギー人と恋に落ちる」「幽蘭、男たちをちぎっては投げる」「幽蘭、男たちの山を踏破する」と、手を変え品変え工夫しているが、当の幽蘭のマンネリ感は否めない。

 こうした男性遍歴が後世に伝わるのは、彼女が肌身離さず持っていた手帳に、今まで関係した男性の名前をすべて記録していたからだ。「錦蘭帳」と呼ばれ、有名だったという。巻末には、平山さんが調査し判明した交際相手の名を「推測 錦蘭帳」として掲載している。約60人挙がっているが、新聞社社長や新聞記者、俳優、小説家、芝居の座長、ヤクザ、国士、外国人商社員、社会主義者......と幅が広い。

 こう書くと、男性に依存していた女性のように思われるが、そうではない。上野公園で開かれた博覧会に合わせて、カフェを開いたり、辻占いの豆売りをして歩いたり、高知で活動弁士になったり、中国の大連でホテルを開業したり、劇団を結成して朝鮮半島へ、と実にたくましく、内外を行き来している。

 動向が分かるのは、「問題の断髪美人」などと自称し、自ら新聞社にネタを売り込んでいたからだ。だが、大正9、10年あたりから、消息は断片的になり、朝鮮半島や中国大陸に滞在していたらしい。

 政財界や満鉄関係者、大陸浪人に無心していただけか、平山さんは「もっと露骨に戦争協力といえるような行為、人を紹介したり情報を提供したりすることで国家の安全保障に繋がるような、いわゆる諜報活動を行っていた可能性はないのか」として、当時の思想や人間関係を整理し、年下の友人が諜報活動を行っていた可能性を示唆している。

 戦中どこにいたのかは分からないが、戦後は日本に戻ってきていた。昭和25年に雑誌「キャピタル」に掲載されたのが最後の写真のようだ。「写真には唇を真一文字に結んだ意志の強そうな老女が写る」と、書いているが、本書掲載の写真を見ると、老いてなお妖艶な気が漂っており、ただものではないことがわかる。

 平山さんはあとがきに「こんな女性がいたというそれだけの本ではある」と書いている。資料探しが大変だったようだが、足かけ8年、幽蘭を追っていたそうだ。何を考え、何を目指していたのかわからないが、「この不規則なブラウン運動のような生き方、コンテンポラリーな蠢動そのものが幽蘭の本質ではないかという考えに至った」と書いている。

 同時代には伊藤野枝のようなアナーキーな女性もいて、野枝には近年、顕彰するような動きもあるが、幽蘭にはない。しかし、平山さんは「何も成していない人の人生は見るに値しないのであろうか」と問題提起している。

 平山さんは、挿話収集家、デザイナー。著書に『20世紀破天荒セレブ』(国書刊行会)、『明治大正昭和 不良少女伝』(河出書房新社)などの著書がある。一見とりとめのない幽蘭をともかく1冊にまとめた膂力には感服した。

 読み終えて、ふと思った。古い新聞や雑誌記事が残っていたからこそ、幽蘭の足取りはわかった。ネット記事やSNSの記事は100年後残っているだろうか。原理的には電子情報は残るはずだが、果たして......。今誰もが知る有名人の消息は?


問題の女 本荘幽蘭伝 

2022年01月16日 06時02分49秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
新聞記者、保険外交員、ホテルオーナー、女優、辻占いの豆売り、日本語教師、活動弁士、講談師……
転職50回以上、50人近い夫を持ち120人以上と交際し、日本列島、中国大陸、台湾、朝鮮半島、東南アジアに神出鬼没、明治・大正・昭和を駆け抜けた毛断(モダン)ガールの本家本元、本荘幽蘭(ほんじょうゆうらん)
謎に包まれた生涯を、丁寧に追った傑作評伝。

【目次】
◆第一章 少女時代

久代、その「惨憺たる」生い立ち/久代、婚約者たちに翻弄さる/久代、蕾の花を手折られる/久代、巣鴨病院に入院す/久代の父、一行/久代、伝説の明治女学校に入学す/久代は馬車を曳けない霊獣/久代、幽蘭となる/可愛がられてえぐらるる

◆第二章 幽蘭誕生

幽蘭、第二子を出産す/幽蘭、第三子を妊娠す/幽蘭と「黒龍会」の面々/幽蘭、救世軍の兵士となる/幽蘭、「日本初の婦人記者」となる/幽蘭、男たちの海を渡る/幽蘭、同情からの結婚が破談に/幽蘭、ベルギー人と恋に落ちる/幽蘭、再び婦人記者となる/幽蘭、女優デビューを果たす/幽蘭、男たちをちぎっては投げる/幽蘭、男たちの山を踏破する/幽蘭、宙づりの舞台に立つ

◆第三章 仕事遍歴、男性遍歴

幽蘭の父、死す/宮武外骨、幽蘭を語る/幽蘭の「錦蘭帳」/幽蘭、「神風会」に急接近す/幽蘭、扶桑教に傾倒す/幽蘭、隆文館に入社す/幽蘭、前代未聞の祝言をあげようとす/幽蘭、同性に羞恥の色を見せる/幽蘭、辻占いの豆売りとなり、はたまた活動弁士となる

◆第四章 満鮮、南洋へ

幽蘭、自伝を新聞連載す/大連に「幽蘭ホテル」を開業す/幽蘭、三下り半を誌上公開さる/幽蘭、恋人の名を秘す/妾になるくらいなら乞食になる/幽蘭、今度は講談師になる/幽蘭、真っ当な男性論を語る/幽蘭、食い詰めて女優再び/幽蘭、劇団を結成し海を渡る/幽蘭、女弁士養成所を計画す/幽蘭、二十四度目の結婚をなす/幽蘭、「新劇女優の急先鋒」を自称す/幽蘭、女探偵を志願す/幽蘭、釜山、満州を放浪か/幽蘭、マレー半島を逍遥す/幽蘭、沖縄に上陸す

◆第五章 戦争に向かって

幽蘭、恩師との仲を怪しまれる/日蓮主義の幽蘭尼となる/幽蘭、自省の手紙をしたためる/幽蘭、露支満鮮を股にかける/幽蘭、五年間の雲隠れ/幽蘭、温泉開業に奔走す/幽蘭、映画デビューを果たす/幽蘭、馬賊に拉致・監禁さる/幽蘭、生還し講演会を開催す/幽蘭、選挙応援人として現る/幽蘭、消息を絶つ/幽蘭、天下の女浪人の異名をとる/幽蘭、老いてなお意気軒昂
 
 
『問題の女 本荘幽蘭伝』平山亜佐子(平凡社、2021)を読む。わが心のアウトサイダー、しかも超弩級の人がここにいた。
明治・大正・昭和の激動の時代に、50以上の職と起業を渡り、およそ50回の結婚、120人以上との恋愛で世間を騒がせながら、しかし最後まで独りで幽蘭を生き抜いた稀代の才女。幽蘭無宿! 著者あとがきにある一文が肝に効いた。
「何かを成し得た人間ばかりを追いかける時代に、彼女が提起してくれる問題」。
そして、わくわくし通しで読み進めさせたものは、幽蘭をつねにそこまで衝き動かしたものは果たして何だったのか、という問いだった。
8年にわたる調査執筆で、膨大な情報量にもかかわらず、サクサクと切り分けて魅惑的に物語る平山亜佐子さんの筆は、事実判明の都度に躍る幽蘭発見の悦びに満ちて清々しい。奇天烈伝記を好まれる方、必読の書。
 
 
HALL OF FAMETOP 50 REVIEWER
Reviewed in Japan on October 17, 2021
 
『戦前尖端語辞典』(2020)という大変センスのよい、魅力的な本の編著者である平山亜佐子氏による『問題の女 本荘幽蘭伝』である。厚い本で、値段も税込みで3千円を越えるので、買うべきか見送るべきか悩んだが、上記の本がよかったし、本荘幽蘭の伝記は読みたかったので、注文してしまった。
本を読み終えてから、500円近く安く、場所を取らないキンドル版が出ていることを知った。しまった・・。
しかし、本書の内容は、私にとっては3千円の値打ちはあった。前作同様大変気に入った。
一、関係男性と結婚の数について
◯まず面白いのは、キンドルと単行本で宣伝文句がちょっと違うことである。
キンドル「職業を数十回変え80人以上の男性と関係を持ち生涯19回結婚」
単行本「転職50回以上、50人近い夫を持ち120人以上と交際し」
と謎多き女性らしい違いである。
ちなみに本文の序では「数十の職業に就いており、・・生涯50人近い夫を持ち、120人以上の男性と関係し」と宣伝より明確に書かれている。
まずは、この問題を検討してみよう。
◯本書の最後に「推測 錦蘭帳」が出てくる。「錦蘭帳」は幽蘭が関係した男性の名前を書き、回数と評価も書き込んでいたという手帳で、噂伝聞はたくさんあるが、現物も複写も残存しない。「推測 錦蘭帳」は著者が資料(本書の内容)をもとに、わかっている範囲の幽蘭の関係男性と略歴を関係順に記載したもので、これによると大正10年(数え43歳)までに関係した男性は61人である。
◯このうちはっきりと、「結婚」と書かれているのは、吉和國雄(歯科医)、光行民雄(新聞記者)、宮崎亀次郎(新聞記者)、竹田某(銀行員)、戸上哲夫(写真家?)、福田狂二(社会主義者)、大澤喜八郎(不明)の7人に過ぎない。
◯なお、キンドル宣伝の「80人以上と関係、19人と結婚」は同時代の幽蘭ウオッチャーであった高田義一郎(医師兼人気通俗科学書作家)の説である。
◯本書229頁には大正3年の社会主義者福田狂二との結婚を19人目または25人目とする説が乗っている。
◯結婚の定義は難しく、本書でも定義はされていない。結婚の意思を持って、数日間同棲すれば、結婚に入るのかもしれない。しかし、夫50人の達成は大変である。
二、本荘幽蘭の生涯
◯本荘幽蘭は本名本荘久代。明治12年生まれ。
父親は愛人と同居し、幽蘭は久留米で仕送りのない母親と育ち、縁談のために父に呼ばれて大阪に出る。縁談成立せず横浜のフェリス女学院に進むが中退し、大阪に戻る。父の留守中に婚約候補の有馬重男に犯され、関係を繰り返して妊娠。重男から結婚を断られ、子は早産死亡。川に流した遺体が見つかり、精神病の発作をきたし、巣鴨病院に入院。
◯退院後明治女学校に入学。一年後、久留米の歯科医吉和國雄と結婚。子供に恵まれるが、自分の過去を告白し離婚。東京に出て、明治女学校の離れに住む。関常吉と関係して妊娠し、新潟の寺を経て、大森で常吉と常吉の妻と同居するが、出産後に逃走する。その後救世軍を経て、数え24歳で横浜の京浜新聞の記者になる。
◯以後は、日本列島の各所、中国大陸、台湾、朝鮮を活動舞台に、記者、女優、講談師、ミルクホールオーナー、大連のホテルオーナー、劇団座長、尼等の転職起業を繰り返し、資金を上手に調達するも長続きせず、借金まみれで、時に踏み倒す。知り合いに金を出させるが特定のパトロンはもたない。芸者や娼婦になろうとすると、トラブルリスクの問題で不合格。始終貧乏。誹謗中傷には反論せずに無視。自己宣伝は好き。
◯多くの男性と関係し、宗教も乗り換え、何度も結婚し、戦争を生き延びて、最終生存確認は昭和28年で数え75歳、講談師で元気。没年も場所も不明。推定没年は昭和30年代である。
三、本書の方針、視点
序と後書きに書かれたものをまとめると
①本書は、こんな女がいたというそれだけの本である。幽蘭は何も達成していない。何の功績もない。しかし、何も達成していない人の伝記があっていい。人生は一瞬一瞬の積み重ねがすべてである。
②本荘幽蘭を「問題の女」として捉えるとき、急速に近代化する日本の教育環境、政治思想、宗教観、ジェンダー観など現代にも繋がる様々な問題意識を喚起する女として立ち現れる。
③しかし、本書は幽蘭の正体を鮮やかに解き明かすことはしない(できない)。幽蘭は多面的で、いわんや首尾一貫などしておらず、何らかの文脈で読み解こうとすることは著者の牽強付会となるおそれがある。
④本書は幽蘭の足跡をできるだけ丹念に辿り、幽蘭についての手がかりを得ようとする試みである。入手できた情報の断片を組み合わせ縫い合わせた。事実でない可能性の高い情報も含む。幽蘭と幽蘭を取り巻く当時の空気を丸ごと掬いとっていく。
四、私的感想
◯面白かった。楽しかった。素敵な読書体験であった。
◯方針の②にあるように、幽蘭の体験や交流関係を書き綴っても、それを何らかの文脈で読み解こうとしていないのがよい。そんなことをしても、幽蘭は簡単にそこからはみ出してしまう。幽蘭と幽蘭現象の記述に徹している。
◯著者の幽蘭への感情移入が楽しい。時には応援団帳のよう。引用させていただく。
「幽蘭、つくづく学習しない人である」「貞操などという明治的観念を捨てさえすれば、安定した人間関係を築くのが苦手らしい幽蘭が人生を切り開くある種の処世術として活かすこともできる」「幽蘭、突如女優レビューを果たすのだ」「誰がなんといおうとやりたいようにやるのが幽蘭である」「・・(大阪興行から上京出演までの)僅かな時間に・・四人と交際した。まるで、泳ぎを止めると死んでしまう・・鮪のような生活」「本人は針小棒大・自画自賛、マスコミはことさらに過小評価というわけで真相がよくわからないがそれも含めて「本荘幽蘭」という現象なのだ」「誤解されやすい性格だけに、誰が味方なのか見極めてほしいものだが、そんなアドバイスに耳を傾けないのが幽蘭の幽蘭たる所以なのであるが」「信仰に投ずるといってもそこは幽蘭、衣装をつけてのパフォーマンスが必ずついてまわるのがいかにもおかしい」そして、「巻末に・・「推測 幽蘭帳」として掲載・・筆者の幽蘭への愛の証左とご諒恕いただけたらと思う」である。
蛇足
①上述のように高田義一郎氏の本が何度も登場し、氏の本のファンである私は嬉しかった。去年本書と同じ平凡社から再刊された田中ひかる氏の『月経と犯罪』では高田氏ほかの大衆性医学書の著書の記載の一部が、今日的なジェンダー月経論の観点から厳しく批判されていて、それはないんじゃないかとなかなか不愉快であったが、本書では、高田氏の本にかなり好意的で、その点も嬉しかった。
②参考文献の中に江刺文子氏の『女のくせにー草分けの女性新聞記者たち』(平成9年)が入っていて、本文中に引用もされているが、江刺文子氏が安藤礼二氏と共著で出した『この女を見よ;本荘幽蘭と隠された近代日本』(2015年)は参考文献に入っていない。未読だが、なんとなく納得する。
 
 
あなたはいったい何に呼ばれてこのレビューを読むのだろうか?

江刺昭子・安藤礼二 『この女を見よ 本荘幽蘭と隠された近代日本』 ぷねうま舎 2015年
出久根達郎 『謎の女 幽蘭』 筑摩書房 2016年

何故か続いた本荘幽蘭テーマの刊行だったが、どうやら本命が登場したようだ。
蓋し当世が幽蘭を呼んだのか?幽蘭の呼び声こそが当世を呼んだのか?
虚実定かならざる幽蘭の生涯を語るその声を発するものとは?

平山亜佐子 『問題の女 本荘幽蘭伝』 平凡社 2021年

本書では平面では語り尽くせない人間彗星・本荘幽蘭を取り上げ、その複雑性多面性重層性を受け止め、立体像に迫ろうと試みている。
「彼女が何を思い、何を成そうとし、また何を成さなかったか、何に苦しめられ、何を楽しみ、何を愛したのか、という問いに応える一助に慣れたらとは考える。そのためにも足跡をできる限り丹念に辿り、手掛かりを得ようとする試みが本書である。」
序においてこう宣言した筆者は叙述的網羅的に幽蘭の生涯を語る。

先行する二書では、評論の狂言回しとして、物語を覆う表象として、大胆に言うならばもはやイコンとして・・・。
対象化された存在としての幽蘭こそが語られる。
ところが本書では幽蘭の実存に関心が向けられる。
幽蘭の血と肉と骨と、言い得ない何かこそが語られるのだ。

宣言した儘に読者の幽蘭への冒険の妨げにならないように叙述に努める筆者の記述姿勢には幽蘭を世人に知らしめたい熱がある。
だからこそ時折行間に滲み出る幽蘭愛が心地良い。

どんな時代でもどんな場所でも夢は夢だ。
叙述に努めてきた筆者が最終段落で示した夢はあまりにも切なく悲しい。誰が落涙を免れ得ようか?
筆者の幽蘭愛あってこそのカタルシスが読者を待ち受ける。

ところで幽蘭とは何者だったのだろうか?
胸の中にある何かを守り抜いて生きたのが幽蘭だったのではあるまいか。
ではその何かとはいったい?
答えはあなたの胸の中にこそある。
 
 
 
 
 

 


取手どんど焼き

2022年01月16日 06時02分49秒 | 日記・断片

どんどまつりを1月15日(土)に開催

また、市民の皆さまの健康とご多幸を祈念して、市内2会場で花火を打ち上げた。

(注意)本年度は、新型コロナウイルス感染拡大予防のため、福もちの販売を行いません。

それに伴い残り火でのお餅を焼くこともできませんのでご理解、ご協力をよろしくお願いします。

取手駅に近い、亀寿司に居た時に花火の音がした。

取手どんど焼きは、日曜日と思い込んでいたら、今日(土曜日)であったのだが、係の人が現場に居たのに、開催日を聞くことはなかったのだ。

昼間、利根川に行って、写真まで写したのに迂闊だったと、祭り大好き人間として悔いる。

 
ファイル名
20220115_131603.mp4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
亀寿司のご主人が撮影した取手どんど焼きの映像 2022年1月15 日

 

 


気象庁「解除の見込みない」 メカニズム不明、未明の津波警報・注意報

2022年01月16日 05時48分31秒 | 事件・事故

1/16(日) 3:44配信 毎日新聞

記者会見で説明する気象庁の宮岡一樹・地震情報企画官=東京都港区の気象庁で2022年1月16日午前2時4分、井口慎太郎撮影

 太平洋沿岸の広範囲に津波警報、津波注意報が発表されたことに関し、気象庁は16日午前2時から記者会見を開いた。15日夜から16日にかけ、各地で1メートル前後の津波が観測されており、南太平洋のトンガ沖で発生した海底火山の噴火が影響しているとみられる。宮岡一樹・地震情報企画官は「(津波は)繰り返し襲ってくる。警報発表地域の沿岸部、川沿いにいる人は高台や安全な場所に直ちに避難してください」と呼び掛けた。

【衝撃的な噴煙の大きさ】トンガ海底火山噴火の様子

 日本国内での津波警報は2016年11月に福島県と宮城県に出されて以来となる。

 トンガ沖では15日午後1時ごろ(日本時間)に噴火が発生した。これを受け、気象庁は15日午後7時3分に「太平洋に若干の潮位変化が予想されるが、被害の心配はない」と発表した。しかし、16日午前0時15分には奄美群島、トカラ列島に、午前2時54分には岩手県にも津波警報を発表。北海道から沖縄県にかけての太平洋側の広い範囲に津波注意報を出した。

 気象庁によると、15日午後8時ごろから海面の潮位変化が観測され始めたものの、到達時間が早すぎることなどから、その時点では海底噴火に伴うものとは想定していなかったという。ところが同11時以降に1メートルを超える津波が観測され、津波警報や注意報を発表することにした。

 今回観測されている津波の発生メカニズムは現時点では分かっていない。宮岡企画官は「津波はしばらく続くと考えている。通常の地震による津波ではなく、どういうことが起きているのか分からず、解除の見込みは立っていない」と話した。【井口慎太郎、遠山和宏】