利根輪太郎の競輪人間学 ジンクスに沈む

2022年01月22日 19時32分08秒 | 未来予測研究会の掲示板

ジンクス=利根輪太郎が本命を買うと車券は必ず外れる!?

ジンクスに拘るのは、愚かというか無意味と想うのだが・・・・。
これまでの経験から、輪太郎が一番人気を軸にした3連単車券を買うと、ことごとく外れて金を失うのである。
それなのに、このレースは固いだろうと思い込み1番人気に期待して勝負する。

ジンクスは、理屈で解釈できないし、何ら根拠があるわけではないのだが・・・。

GⅢ 豊橋競輪開設記念 ちぎり賞争奪戦

11レース

並び 1-9 8-2-6 4(単騎) 7-3-5

レース評
清水のカマシ&捲り!高原−木村と続いて本線充実。ただ山田の捲りは軽視できない。揃った地元トリオは総合力で応戦だ。

1番人気 7-3(2.8倍)

競輪ファンとして、7-3の高い支持率にこのレースは、7-3以外はないと輪太郎は思い込む。

結果

7-9 1,410円(6番人気)

7-9-2 9,200円(26番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 7 清水 裕友   12.3   大外を強襲
2 9 中本 匠栄 1/4車輪 12.3   前不発も伸
3 2 岡本 総 3/4車輪 12.5   B 番手捲るも
4 5 木村 隆弘 2車身 12.2     捲り3番手
  5 6 島野 浩司 4車身 13.0     捲りに離れ
  6 8 藤井 侑吾 1/8車輪 13.2     犠牲の逃げ
  7 4 武田 憲祐 大差       4角で接触
× 1 山田 英明         捲り併され
3 高原 仁志         4角で接触

戦い終わって

戦い終わって写真

 赤板過ぎ前取った山田英明が突っ張り、打鐘で藤井侑吾が叩いて先行。後方に置かれたが、バック過ぎ捲った清水裕友が前団を捕らえた。「中団から組み立てて、誘導を切りに行って良い所から行けたと思ったけど(山田に)突っ張られて。あのまま引かなかったらやり合いになると思って、一旦下げて落ち着いてから行こうと。脚を使っての七番手だったから、正直脚にはきましたね。落車もあったので何とも言えないけど、人気になっていたので諦めず最後まで踏もうと。色々調整しながら、自転車は良かったので決勝は微調整くらいですね」。
 直線で落車があり、山田目標の中本匠栄が内から伸びて二着。「前受けは作戦通りでした。中団取ってヒデさんのタイミングで行ってくれたのですが、スピードが合ってしまった感じで内へ行ったけど、そのへんが良かったのか悪かったのか。それにヒデさんが落車してしまったので…。初日に試したセッティングが良くなくて、二日目から戻す感じにしたら良くなって。決勝もこれでいきます」。
 三着に入ったのは地元の岡本総。「藤井君はバッチリのタイミングで行ってくれました。あのメンバーだったし、地元(ホーム)だからバックは踏ませてもらいました。メチャクチャ重たかったけど、気持ちで乗り越えました。天候的にも初日、二日目よりも穏やかだったので後ろ付いていてもまだ余裕はありました。記念決勝は四日市以来二回目。豊橋から誰も勝ち上がれないのは嫌だったので良かったです」。

12レース

並び 8-1 3-7-4 6(単騎) 9-5-2

レース評

郡司−田中晴は昨日の二次予選でワンツーだった。当然再現有力。取鳥−筒井は同県の絆で本線に挑む。和田も復調気配で怖い

1番 9-5(1.9倍)

金を失った後なのに、11レースと同様に1番人気の9-5の3連単車券で勝負してしまう。

だが、利根輪太郎は過去のジンクスの悪い結果に対して、皮肉を込めて「今回も、1番人気の3連単を買ったので、9-5はないかもね」と競輪仲間に明言する。

「輪ちゃん、嫌なこと言うね」と9-5から大金を賭けて勝負した競輪仲間の勝負師たちが不快は表情を浮かべるのが、それは当然のことだった。

だが今回のレースでも、輪太郎は結果的にジンクスに翻弄される。

いずれにしても、1番人気の9-5は絶対ではなく、9-5の他に2番人気の9-3の3連単を押さえに買うべきレースであったのだ。

輪太郎は、11レースで1番人気の3連単で車券を外したのに、あえて12レースもジンクスに挑むのは、誠に愚かでもあった。

輪太郎は、今回も<己のジンクス>に翻弄される。

結果

9-3 720円(2番人気)

9-3-1 3,270円(10番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 9 郡司 浩平   11.7   中団B捲る
× 2 3 取鳥 雄吾 1/4車輪 11.8 B 捲られ逃残
3 1 和田 圭 1/2車身 11.3     切替え中割
4 7 筒井 敦史 1/4車輪 11.7     追走で一杯
5 5 田中 晴基 1車輪 11.6     追走に苦戦
  6 4 田尾 駿介 3/4車身 11.8     ライン続く
7 2 田中 誠 1/2車身 11.3     前にはぐれ
  8 8 佐藤 一伸 5車身 11.5     捌かれ後退
  9 6 藤木 裕 9車身 12.4     単騎で苦戦

戦い終わって

戦い終わって写真

 ホーム前に先頭に立った取鳥雄吾がペースを握る。共に仕掛けた郡司浩平は一旦中団に入ってからの捲り勝負。最後は力で飲み込んで「まずは後ろで粘られたのも、藤木裕さんが単騎で切りに行ったのも想定外。動きは難しくなった。ホームでは自分が番手で粘った方が楽だったが、立直してから行かないとという感じ。最終的に4番手から仕掛けて苦しかったが、最後はぎりぎり何とか。雄吾の先行ペースが上手くて強かった。自分の状態は問題ない」。
 2着には取鳥が逃げ粘って「展開が向いて1回でカマシを決めれる流れに。最後は自分の着が分からないくらい必死だった。郡司さんが見えて、直線ではふらふら走り後ろには迷惑を。今日は風が全然なくて、それに救われた。必死だったが、踏み切れて良かった」。
 直線で中を伸びた和田圭が3着で決勝進出。「良いコースに入れただけ。でもそれなりにはやれているのかな。今日は風が止んでるけど、バンクは重い。バンク練習ができてなかったから、感覚は掴めていない。いまいちでまだ手探りの状態。でも決勝に乗れて、成績を出しながら戻していくのが1番なので。初日はきつくてやばかったが、日に日にの感じ」。

 

 


ポジティブ心理学の挑戦 “幸福"から“持続的幸福"へ

2022年01月22日 11時22分45秒 | 新聞を読もう
 
 
心理学の新しい潮流をリードする第一人者の〝10年ぶりの注目の新作〟!
「ポジティブな人間の未来に対する考え方が説得力をもって見事に語られている」
(ザッポス CEO)トニー・シェイ
「なぜポジティブなアプローチに効果があるのか、その貴重な情報が詰め込まれている」
サンデー·タイムズ
「世界屈指の心理学者が、ウェルネス、レジリエンス、幸福を増加させるという課題に、
自らの知恵と経験を集約した1冊」
(医師・認知療法の創始者)アーロン・ベック

この本は、ずっと続く幸せを手に入れるために役立つ1冊だ──。
 
本書は、国際的に著名な心理学者マーティン·セリグマンの、この力強い約束の言葉で始まる。
ここ15年、ポジティブ心理学という新しい潮流をリードしてきた著者による10年ぶりの注目の新刊である。 伝統的な心理学は「人間の苦しみを和らげること」を目標としてきた。セリグマンが15年の間牽引してきたポジティブ心理学の目標は異なっている。
それは「人生を最も価値あるものにすること」にある。本書でセリグマンは「本物の幸福とは何なのか?」を問い、ダイナミックな新しい概念を提示している。

幸福を追い求めるだけでは、人生に意味が生まれることはない。 今、セリグマンは問うのは、自分の才能を育て、他人と深く長続きする関係性を築き、世界に意義深い貢献をする──そうしたことを可能とするものは何か、ということだ。
つまり「何が人をずっと幸せにするのか?」を問うているのだ。
ポジティブ心理学の可能性は、個人の幸福にとどまるものではない。
教育、経済、医療、公共政策など、社会の構造そのもの対して、セリグマンはポジティブ心理学を通して働きかけ、成果を残してきた。
 
ポジティブ心理学の可能性は、個人の幸福にとどまるものではない。
教育、経済、医療、公共政策など、社会の構造そのもの対して、セリグマンはポジティブ心理学を通して働きかけ、成果を残してきた。
・感情面の回復力を身につけるトレーニングに取り組む「アメリカ陸軍」の事例
・職場での成功のみならず日常生活の充実を目指して生徒を教育する「革新的学校教育」の事例
・「従業員のパフォーマンスとウェルビーイングを同時に高める企業」の事例

……等々、非常に刺激的な物語を本書は伝えている。

本書は「幸福とは何か」を理解する上で重要な分岐点であり、かつ人生を最大限に活用するためのツールとなる一冊である。
セリグマン博士は今、自身の世界的ベストセラー『世界でひとつだけの幸せ』『オプティミストはなぜ成功するか』を究極的に発展させ、
数百万人もの人生を変える最先端の科学としての到達点を示したと言えるだろう。
 

出版社からのコメント

●著者コメント
私は現在、ポジティブ心理学という、心理学の大きな地殻変動に関わっている。1998年、私はアメリカ心理学会(APA)の会長として、心理学の従来の目標に新しい目標を加えるよう呼びかけた。
「何が人生を生きるに値するものにするのかを探究する。そして、生きるに値する人生を可能とする状態を築き上げていく」という目標だ。
(中略)この瞬間にも、世界中の数千の人がこの新しい心理学分野に携わっており、こうした目標に向かって努力している。 幸せ、フロー、意味・意義、愛、感謝、達成、成長、良好な関係性など、ポジティブ心理学の内容そのものが人間の持続的な幸福のあり方を構成するものだ。
このようなものを自分の人生でもっと得ることができると知ることで人生が変わる。豊かな可能性に満ちた人間の未来像を垣間見ることで人生が変わるのだ。 この本は、読者をもっとよりよいあり方へと導くものだ。読者が〝ずっと続く幸せ〟を実現するために活用していただきたい。(「序文」より抜粋)

内容(「BOOK」データベースより)

創始以来、ポジティブ心理学という新しい潮流をリードしてきた著者による10年ぶりの注目の新刊。伝統的な心理学は「人間の苦しみを和らげること」を目標とするが、ポジティブ心理学の目標は異なっている。それは「人生を最も価値あるものにすること」にある。本書で著者は初めて「本物の幸福とは何なのか?」を問い、ダイナミックな新しい概念を提示している。
 

著者について

マーティン・セリグマン Martin E. P. Seligman, PhD,
ペンシルベニア大学心理学部教授。学習性無力感、抑うつ、楽観性、ポジティブ心理学、総合的兵士健康度プログラム等の研究で知られる。
1996年、現代心理学史上最多の投票数を得てアメリカ心理学会の会長に選任された。
アメリカ心理学会(APA)から特別科学貢献賞を複数回受賞。科学的心理学会(APS)から、基礎科学への貢献によりウィリアム•ジェームズ・フェロー賞を、さらに、心理学的知識の応用への貢献によりジェームズ・マキーン・キャッテル・フェロー賞を共に受賞。2009年、長年の心理学への貢献を評価され、英国学士院から初代ワイリー賞を受賞。
国立衛生研究所(NIH)、全米科学財団(NSF)、マッカーサー財団、アネンバーグ財団、テンプルトン財団、アトランティック・フィランソロピーズ、ロバート·ウッド·ジョンソン財団等から研究助成を受ける。 著書『オプティミストはなぜ成功するか』(Learned Optimism; 1991年刊)『世界でひとつだけの幸せ』(Authentic Happiness; 2002年刊)はいずれも世界的ベストセラーとなり、心理学の古典として読み継がれている。

[監訳] 宇野カオリ Kaori Uno
兵庫県芦屋市生まれ。幼少期よりケニア、アメリカなど海外諸国に在住。国際基督教大学教養学部卒業。
ペンシルベニア大学大学院修了(応用ポジティブ心理学修士)。同大学ポジティブ心理学センター研究員、ミシガン大学ロス・スクール・オブ・ビジネス ポジティブ組織研究センターフェローを経て、現在、社団法人日本ポジティブ心理学協会代表理事(www.jppanetwork.org)。主な訳著に『ポジティブ心理学入門―よい生き方を科学的に考える方法』(春秋社)など。
 
 
本書ではポジティブ心理学の中枢概念と言えるウェルビーイングについての本となります。著者はウェルビーイングを「天気」と同じような構成概念だと述べます。
つまり「天気」は1つの指標であらわすことができませんが、気温、湿度、気圧など複数の指標を総合して「天気」と呼ぶわけです。
それと同じでウェルビーイングも特定の1つの指標であらわすことはできず、複数の構成要素からなる概念だということです。
著者はその構成要素を「PERMA」の頭文字で表していますが、具体的にはP:ポジティブ感情、E:エンゲージメント、R:関係性、M:意味・意義、A:達成、の5つです。
幸福感や人生の満足度はポジティブ感情の中に含まれることになるため、幸福理論よりもウェルビーイング理論の方が対象が広いことになります。これらは主観的な指標と客観的な指標で組み合わされるわけです。
ポジティブ心理学はどのような時に有効なのか。それは本書の最後に明確に記載されています。
著者曰く、現実には「再帰的現実」と「非再帰的現実」があるがポジティブ心理学は「再帰的現実」世界で有用だという主張です。再帰的現実とは人々の期待が自己実現する世界で、株価がその典型です。
多くの人々が、株価が上がると思って株を購入すると、本当に株価が上がってしまうからです。経済学では「ケインズの美人コンテスト」、として知られている現象です。また岩井克人先生の貨幣論も再帰的現実として説明されています。
そして非再帰的現実とは、例えば自然現象で、月の満ち欠け・軌道などのように、人間の期待が変わろうと変化しません。つまり人間が楽観的だろうが悲観的だろうがなんら影響を及ぼさない事象です。
著者は、非再帰的現実については、人間は現実主義者(リアリスト)であるべきだが、再帰的現実のなかでは楽観主義者たれ、と主張しているわけです。
楽観主義であることが実際に健康を増進する可能性が高いことがその理由ですが、これは多くの研究で実証されている、ということで、ポジティブ心理学が有用である領域についても明確に記されており、大変好感が持てました。
 
 
現代社会において、地域コミュニティーが成立しづらくなっています。
その弊害が、社会のそこここに現れ、特に人間本来の強さの喪失にそれが顕著に現れていると思います。
一般従業員だけでなく、経営層の行う判断や施策の中にも、その弱さが見え隠れし、
倫理観や人を信じる事の希薄さが現れています。
しかし、嘆いていても始まらないわけです。そこで、新しいコミュニティを形成することが解決策の一つであると仮説を立てました。
そして、それは企業組織の中でこそ成立させるべきだろうという信念で、あるお客様とかかわらせていただきました。
数年かかわらせていただいた結果から、その仮説は間違いではないであろうと思われます。
もちろん、企業それぞれの特質があり、そこを見極めたうえでの施策介入が必要です。
が、その方法論を広げようと努力しても、頭の固い経営層が腑に落ちるところまで説得仕切れずにきています。
ここ3年間、ことごとく説得に敗北しており、もう限界かなと思っていたのですが、
この本を読んで、いやいや正しい事をやっているのだ、諦めずにさらに多くの企業に提案するべきだと、力をいただけました。
特に、オーストラリアの学校やアメリカの陸軍にセリグマン博士が導入したプログラムは、経営層必読です。
 
他人事に考えずに真剣に読んで欲しい。しっかりと学んで欲しいものです。
私は、セリグマン博士のような権威もなく、説得力も無いですが、
10年以内には、必ず私のやっている事が正しいと多くの方に確信していただけると
この本のおかげで信じることができました。
私が途中で挫折しても、誰かが新しく道を切りj開いていくだろうという可能性も
感じさせていただけました。
ありがたい限りです。
 
 
心理学の権威、マーティンセリグマン氏の、最新著書。といっても6年前の本であるが、内容は極めて深いものであった。

我々がポジティブでいる方が良いか?ネガティブでいる方が良いか?といった大きな疑問を生物学的に説明した最後の章「楽観性の生物学」が最も印象に残った。
それだけでなく、マーティンセリグマン氏が目指すポジディブ心理学は、「日常生活や戦場、教育の場でも応用可能な」ものである。
だから、マーティンセリグマン氏は個人的な体験や陸軍士官学校やの中高生に対する実践的アプローチを紹介しているから、非常に興味深い内容が書かれていた。
 
 
「~の挑戦」と書かれている通り、2000年台に構築されたポジティブ心理学の業績をまとめた本です。本書の多くは具体的にどんな現場でポジティブ心理学が使われて、どのような結果を出してきたかに重点が置かれています。よって、専門家やファンで無い限りは本書の1/3以降は読まなくても大丈夫です。ポジティブ心理学自体をを深く知りたい方は著者の論文を読まれると良いと思います。

 本書は以下に示す2部構成となっています。
【第1部】
 本書の要で、著者がの唱えるウェルビーイング理論(ポジティブ心理学の要)についての概説とその応用性について記されています。著者は本理論以前に唱えていた「幸福理論」との差異を明らかにした上で、新しくウェルビーイング理論を提唱しています。
ウェルビーイング理論は、幸福理論に比べ、尺度がより具体化されています。単なる「人生の満足度」という表現ではなく、「ポジティブ感情」、「エンゲージメント」などの5つの具体的項目に分けられました。そして、目標とするところが、「人生の満足度の増大」から「持続的幸福度の増大」と、単なる「~の最大化」という観点から、「持続性」を重視する方向に理論が進化していることが分かります。
 後半は、ポジティブ心理学が学問として体を成して来た経緯(歴史)が記されています。専門家でない方はこの辺りから読まなくても大丈夫です。
 
【第2部】
 ここでは、ポジティブ心理学を用いて著者が社会にどのような貢献をしたかが記されています。理論的な深堀りはほとんどないので、忙しい方は読まなくても大丈夫です。
 具体的には、「教育」、「軍隊」、「健康」という3領域で本理論を用いてどのような良い結果が出たかが被験者の言葉なども交えながら記されています。まるで学会誌のようでした。
 
 
我々人間は、個体差こそあれ、生来的にネガティブな情報に注意が向くようにプログラムされています(ネガティビティバイアス)。しかし、本書で紹介されているような、日々のポジティブエクササイズを実践することで、ネガティビィティバイアスを変化させることができるのです。

例えば私。トラウマ治療にのめり込み、その人が持つトラウマの病理にばかりに注意を向けてしまう、いわば、トラウマバイアスの状態にありました。しかし。ポジティブ心理学のことを学んだことで、今はレジリエンスを強める方法も重視するようになりました。

元気と勇気を与えてくれる一冊です。
ネガティビィティバイアスに囚われがちな専門家の方にぜひオススメします。
 
 
幸せであるためには、幸せになるのではなくて、ポジティブな気持ちに意識を向けよう。そんな風に読みました。
決して「こうなろう」とは考えるのではなく、ちょっと前、現在、そしてほんの少し先のことに目を向ける。
心理学の世界も、対処療法から予防へと向かい、その効果を高めてきたことを知りました。ウェルビーイングというのはそういうことなんだとも。

マーティン・セリグマンさんの業績のおかげで、おみくじ引いたあとの心のざわざわが落ち着きそうです笑。
 
 
とても読み易く、ポジティブ心理学の創始者だからこその数々の研究取り組みを、次から次と紹介してくれます。
私の興味の分野、ポジティブヘルスがそんな中で位置づけられて生まれ、そして活用されていることも分かりました。分厚い本で本なので躊躇しましたが、報告している研究事例が魅力的で勉強になります。さすが一流の心理学者は、著作においても読み手の心理を十分考慮し、且つ本書のテーマである「ポジティブな心理」が、読む人間にも伝わる内容です。
 
 
持続的幸福へむけて、教育を中心に論が展開される。ポジティブであることだけでなく必要なことは?という点について示唆がある。

希望の未来開く信念を

2022年01月22日 11時02分23秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼社会に閉塞感が漂う今こそ
一人一人が前を向きいて生き、
希望の未来開く信念を。
▼日常生活で悩みや不安を感じる人は77・6%に及ぶ。
心の負の連鎖を断つために必要なことは何か。
▼人生に希望が持てない人の心象は<疫病>ポジティブ心理学の心理学者・マーチン・セリグマン

▼ウイルスは<人々の心にも伝染する>。
▼現実の捉え方には、個人差がある。
心の捉え方で行動が変わる。
▼私たちは今、目の前の事象を<どう見て、どう感じるか>によって、将来の行動を決めている。
▼楽観性の高い人は、将来に良い結果が得られるという信念を持つがゆえに、目的達成に向けて粘り強く挑戦し、簡単にはあきらめない。


富士山の山影

2022年01月22日 10時18分59秒 | 日記・断片

新町の丘に立って富士山が見えるのを待っていた。
快晴のはずなのに、見えない。
霞みがかかっているのか、と諦めたが、気を取り直して、取手駅方面へ戻り、国道6号の利根川大橋を200mほど歩く。
太陽が沈む時間帯となり、突然、富士山が浮かび上がって目にクッキリと山影が映じた。
眼下に見えるゴルフ場の堤防で、スマートフォンのカメラを掲げている人も、同じように富士山が見えるのを待っていたのだ。
太陽の逆行で富士山は、見えなかっただけであった。

 

 


必要は不可能のことすら可能性に変えていく

2022年01月22日 10時02分08秒 | その気になる言葉

▼必要な事は何時か必ず実現する。
必要は不可能のことすら可能性に変えていく。
▼夢を叶えるためには?
目標を立てる なぜその夢を叶えたいのか、そのためにはどんなことを身につけるべきなのかをはっきりさせておきましょう。 ...
夢をより具体化させる ...
夢をノートに書き出す ...
目標期限を決める ...
毎日継続する ...
成功している人から学ぶ ...
本から学ぶ ...
困難はチャンスである


フィンランドは19世紀初頭からロシアに支配されていた

2022年01月22日 09時21分24秒 | 新聞を読もう

1901年には軍も廃止された。
音楽家ジャン・シベリウス 1865年12月8日[1] - 1957年9月20日)は、後期ロマン派から近代にかけて活躍したフィンランドの作曲家、ヴァイオリニスト。

フィンランドの最も偉大な作曲家であると広く認められており、同国が帝政ロシアからの独立を勝ち得ようともがく最中、音楽を通じて国民意識の形成に寄与したと看做されることも多い。
1899年、シベリウスは交響曲第1番の作曲に取り掛かる。
この頃、ロシア皇帝ニコライ2世がフィンランド大公国に対してロシア化の試みを行っており、これによって彼の胸の内には愛国心が高まりつつあった。
あけすけに愛国心を露わにした、少年、男声合唱のための『アテネ人の歌』であった。
この合唱曲によりシベリウスは一躍国民的英雄の地位を手にすることになる。
11月4日に発表された次なる愛国的作品は『新聞の日を祝う音楽』として知られ、フィンランドの歴史を8つの挿話を描写する形で描いた作品であった。
作曲を援助した新聞『Päivälehti』紙は、社説でロシアの規則を批判して一定期間の発刊停止処分中だった。
最後の楽曲「フィンランドは目覚める」はとりわけ高い人気を獲得した。これが幾度か細かい修正を施されたのち、広く知られる『フィンランディア』となる。

---------------------------------------------
冬戦争(ふゆせんそう、フィンランド語: talvisota)は、第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目にあたる1939年11月30日に、ソビエト連邦がフィンランドに侵攻した戦争である。

フィンランドはこの侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守った。

両国間の戦争が1941年6月に再開されたため、第1次ソ・芬(ソ連・フィンランド)戦争とも言う。なお、後続の戦争は、日本では第2次ソ・芬戦争と呼ばれることもあるが、英語圏では継続戦争と呼ばれることが多い。

1939年8月23日の独ソ不可侵条約の秘密議定書によって、独ソによる東欧の勢力圏分割が約束された後、ソ連はバルト三国とフィンランドへの圧力を強め、バルト三国とは軍事基地の設置とソ連軍駐留を含む相互援助条約を結ばせた。
フィンランドにも同様に、国境線の変更や軍事基地設置とソ連軍駐留を含む要求を行ったが、フィンランド側は応ぜず、両国間の交渉は、11月に決裂した。

ソ連は自らの国境警備隊がフィンランド軍から発砲を受けたとして、1939年11月30日にフィンランドに侵攻した。
明らかな侵略行為に対して国際社会から非難を浴びたソ連は、1939年12月14日に国際連盟から追放されたが、ソ連の行動に何の影響も持たなかった。
ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、実力行使すれば、フィンランドは和平を求めてくるだろうと考え、フィンランド軍のおよそ3倍[要出典]の兵力を投入したが、結局マンネルヘイム元帥率いるフィンランド軍の粘り強い抵抗の前に非常な苦戦を強いられた。

既に、ドイツと戦争中であったイギリス、フランスは、フィンランド支援を口実として、ドイツの軍需生産に不可欠なスウェーデンの鉄鉱石を抑えるために、地上軍の派遣をノルウェーなどスカンジナヴィア半島北部を経由して計画したが、ノルウェーとスウェーデンは軍隊の通過を拒否したために計画は実現しなかった。
フィンランドは1940年3月まで戦い抜くが、フィンランド第二の都市であるヴィープリを含む国土の10%、工業生産の20%が集中する地域をソ連に譲り渡すという苛酷な条件の講和条約を結び、3月13日に停戦は成立した。

この戦争により、スターリンの大粛清で弱体化したソ連軍の実態が諸外国に知れ渡ることになり、特にアドルフ・ヒトラーのソ連侵攻の決断に影響を与えたと言われている。
--------------------------------
背景
歴代のソビエト政権にとって、革命発祥の地であり、ソ連第2の大都市であるレニングラードと近すぎるフィンランド国境は、重要な安全保障上の課題であった。

1930年代後半になり、ナチス・ドイツの膨張政策があきらかになるにつれ、もはや、この問題は、スターリンにとって、座視できるものではなくなった。

外交交渉(1938-1939春)
そこで、ソ連側は、1938年4月より、在ヘルシンキ大使館員ボリス・ヤルツェフ(NKVD職員)を通じて、フィンランド政府と非公式な交渉を始めた。今日、伝えられているこの時の最終的なソ連側の要求は、

レニングラード湾上の4つの島嶼の割譲
上記の代償として、ラドガ湖の北の東カレリアで、フィンランドとの係争地の一部をフィンランドへ割譲
というものであった。しかし、フィンランド側は応ぜず、この交渉は、1939年春には、行き詰まってしまった。

1939年5月には、ソ連では、比較的、西側と協調路線であったマクシム・リトヴィノフは外務人民委員(外相相当)を更迭され、スターリンは、後任にヴャチェスラフ・モロトフを起用した。

外交交渉(1939年秋)
1939年8月23日、ソ連とナチス・ドイツの間に相互不可侵条約が調印されたが、この協定には、東欧を独ソの勢力圏に分割する秘密議定書が含まれており、この中でドイツはフィンランドがソ連の勢力圏に属することを認めた。

ソ連のポーランド侵攻から、まもなくバルト三国の外相は、モスクワに呼ばれ、9月29日にエストニア、10月5日にラトビア、10月10日にはリトアニアが、領土内にソ連軍基地の設置を認める自動延長の相互援助条約を強制的に結ばされた。

バルト三国との交渉より、やや遅れて、ソ連からフィンランドに二国間の懸案の問題について協議したい申し入れがあり、直接交渉が10月11日からモスクワで始まった。この時に提示されたソ連側の要求は、さらに厳しくなっており、おおよそ以下の条件であった。

レニングラード湾(フィンランド湾)の4つの島嶼の割譲
カレリア地峡のフィンランド国境を、ヴィープリの東30キロメートルまで西へ移動
カレリア地峡の防衛線(マンネルハイム線)の防衛設備の撤去
ハンコ半島の30年間の租借および海軍基地の設置と約5000人のソ連軍の駐留
上記、駐留ソ連軍の交代の為のフィンランド領内の鉄道による通行権
以上の代償として、ソ連は、ラドガ湖の北の東カレリアでフィンランドと係争となっている領域を大きく上回る地域をフィンランドへ割譲
このソ連側の要求については、フィンランド側では、2つの考えがあった。

ユホ・エルッコ外相らは、この要求が最後という保証はなく、マンネルハイム線を撤去してしまえば、次の要求に対して軍事的に抵抗するすべもなくなる。よって、ソ連側の要求には、応じられない。

一方、パーシキヴィ(モスクワ派遣交渉団代表)、ベイノ・タンネル(蔵相、社会民主党党首)、マンネルハイムらは、フィンランド軍の現状や欧州の情勢からして、ソ連の要求を峻拒することは出来ないので、ソ連の要求を受け入れよ、という意見であった。

結局、フィンランド政府は、レニングラード湾口の島嶼の割譲とカレリア地峡の国境線を若干西へ移動させる、譲歩案を示したが、ソ連側はそれには応ぜず、交渉は決裂し、11月13日にフィンランド交渉団は帰国した。

マンネルハイムは、交渉の決裂後も政府に再交渉を求めていたが、11月26日には、とても現政権の国防外交政策について責任は持てないとして、国防評議会座長職の辞表を政府に提出した。


戦争というもの

2022年01月22日 08時49分19秒 | 社会・文化・政治・経済

 


 

「絶対に戦争はしてはならない」指摘する。

人間は戦争によって被害者にも傍観者にも加害者にもなる。

「歴史を学ばないと過ちを繰り返してしまう」

歴史を学ぶことで初めて人間のい目が開く。

『昭和史』や『日本のいちばん長い日』など、数々のベストセラーを遺した昭和史研究の第一人者・半藤一利が、最後に日本人に伝え残したかったこととは――。

本書では、太平洋戦争下で発せられた軍人たちの言葉や、流行したスローガンなど、あの戦争を理解する上で欠かせない「名言」の意味とその背景を、著者ならではの平易な文体で解説する。
開戦から80年の節目の年に、「戦争とはどのようなものか」を浮き彫りにした、後世に語り継ぎたい珠玉の一冊。

「戦争の残虐さ、空しさに、どんな衝撃を受けたとしても、受けすぎるということはありません。破壊力の無制限の大きさ、非情さについて、いくらでも語りつづけたほうがいい。いまはそう思うのです。
九十歳の爺さんがこれから語ろうとするのは、そんな非人間的な戦争下においてわずかに発せられた人間的ないい言葉ということになります。いや、全部が全部そうではなく、名言とはいえないものもまじりますが、それでもそこから将来のための教訓を読みとることができるでありましょう。

むしろ許しがたい言葉にこそ日本人にとって教訓がつまっている。そういう意味で〈戦時下の名言〉と裏返していえるのではないかと思うのです」――本書「まえがき」より抜粋

出版社からのコメント

<目次>
まえがき
一に平和を守らんがためである(山本五十六)
バスに乗り遅れるな(大流行のスローガン)
理想のために国を滅ぼしてはならない(若槻礼次郎)
大日本は神国なり(北畠親房)
アジアは一つ(岡倉天心)
タコの遺骨はいつ還かえる(流行歌「湖畔の宿」の替え歌)
敗因は驕慢の一語に尽きる(草鹿龍之介)
欲しがりません勝つまでは(国民学校五年生の女子)
太平洋の防波堤となるのである(栗林忠道)
武士道というは死ぬ事と見付けたり(山本常朝)
特攻作戦中止、帰投せよ(伊藤整一)
沖縄県民斯かく戦へり(大田 実)
しかし――捕虜にはなるな(西平英夫)
予の判断は外れたり(河辺虎四郎)
あとがき
解説 半藤末利子
編集後記

著者について

1930(昭和5)年、東京生まれ。東京大学卒業後、文藝春秋に入社。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、専務取締役などを経て、作家となる。1993(平成5)年、『漱石先生ぞな、もし』で新田次郎文学賞、1998年、『ノモンハンの夏』で山本七平賞を受賞する。
 
2006年、『昭和史 1926-1945』『昭和史 戦後篇 1945-1989』で、毎日出版文化賞特別賞を受賞。
『決定版 日本のいちばん長い日』『聖断―昭和天皇と鈴木貫太郎―』『山本五十六』『ソ連が満洲に侵攻した夏』『清張さんと司馬さん』『隅田川の向う側』『あの戦争と日本人』『日露戦争史』など多数の著書がある。
 
 
 
 


 
 

 


パラダイムシフトとは?

2022年01月22日 08時33分35秒 | 社会・文化・政治・経済

まず単純に、パラダイムシフトとはなんなのでしょうか。

小学館のデジタル大辞泉で調べてみると、「ある時代・集団を支配する考え方が、非連続的・劇的に変化すること。社会の規範や価値観が変わること。例えば、経済成長の継続を前提とする経営政策を、不景気を考慮したものに変えるなど。」とあります

そもそも「パラダイム」に値する日本語がないため、少しわかりにくい説明になっており、この一文だけでは理解が深まりません。

「パラダイム」とは、ある分野などにおける「物の見方や考え方の枠組み」です。

もう少しくだけて言うと、「その分野・時代におけるスタンダードな考え方」ということになるでしょうか。

たとえば、「地球は丸く、自転しながら太陽の周りを回っている」ということは今の私たちにとって当たり前のことですよね。

しかし、中世ヨーロッパ以前の時代では「地面は平らで、宇宙が地球の周りを回っている」と信じられていました。

これが当時の「パラダイム」です。しかし、コペルニクスが唱えた「地動説」によって、「パラダイムシフト」が起こり、我々の認識が変わりました。ここまで大きく見方が変わるパラダイムシフトが近年で起こってはいませんが、科学や医学の世界、またビジネスや投資の世界でもパラダイムシフトは起こっています。

単純に、自分の中の枠組みが変化していくのもパラダイムシフトです。何かをきっかけに自分の考え方がガラっと変わったことはないでしょうか。

何かを失って、またはどこかへ出かけて発見して、などタイミングも出来事も様々ですが、「自分の意識や考え方が180度変わった!」という経験をした人は少なくないはずです。

時代や分野など、大きな範囲で考えがちですが、個人や数人の集団でも「パラダイムシフト」は起こり得るということになります。

パラダイムシフトが起こる、とはどういうことか

現代は様々な分野でパラダイムシフトが起こっているといえます。

先に挙げた天動説・地動説ほど大きくはないですが、例えばスマートフォンの台頭です。

電話が発明され、黒電話、デジタル電話、携帯電話…ここまではある意味進化の続きといえるかもしれません。ですが、スマートフォンの登場は「電話」という常識をひっくり返したものではなかったでしょうか。
 今やスマートフォンはスタンダードになり、通信機器としての機能だけでなくモバイルインターネット、SNS、さらには決済方法までこれひとつでできるようになりました。

「電話」という枠組みからは考えられなかったことではないでしょうか。スマートフォンは「人と人とをつなぐもの」「生活を劇的に変化させるもの」として役割を広げてきました。これこそ、身近なパラダイムシフトです。

このように、ある分野でパラダイムシフトが起こるということは、研究者やその分野に携わる人々だけでなく、一般の人々にも影響を与えます。

最初はその分野の人々のみが影響されますが、徐々に一般社会に浸透していくのです。

それは、スマートフォンのように目に見えて変わっていく場合もありますし、ビジネスや投資の分野で起こり、結果的に我々一般社会に影響を与えてくる場合もあります。

逆に、一般社会から急激にパラダイムシフトが起こることもあります。今まで常識とされてきたことが突然、若い世代や新しい考え方をする人々によって覆されたことはないでしょうか。

たとえば、インターネット上で実名を名乗ったり、顔を出してしまったりすることはとても危険だと思われていました。しかし今や、実名を出していることが信頼感を得られ、ビジネスでもプライベートでも重要なことになっています。

実名を出すことが今でもあまり良く思わない人がいるかもしれません。ですが、ほとんどは皆実名を出すか、顔を出すかして発信を行っています。これも、インターネットにおけるパラダイムシフトのひとつではないでしょうか。

このように、パラダイムシフトが起こるということは単純に「枠組み・価値観が変わる」といえますが、感覚としては「いつの間にかこれがスタンダードになっている」という感じかもしれません。

実際、置き型の電話、ポケベル、携帯電話、スマートフォンと見てきましたが、当時はどうやって連絡を取って、どうやってものを調べていたのか、ちょっと思い出せないほどです。

様々な分野のパラダイムシフトは、気づかないうちにどんどん起こっているといえるかもしれません。

パラダイムシフトの例

では、他にパラダイムシフトの例はどんなものがあるでしょうか。

投資:儲けより社会的責任

たとえば、投資を例にしてみてみましょう。

投資家が投資するのはもちろん利益を出す企業、出す見込みのある企業が対象となっていました。あくまでその会社の利益、株価が基準で、その企業がどういう会社で、どういう材料を使っているか、また社内の管理体制がどうなっているか、などは気にされることはあまりありませんでした。しかし、世界的に地球全体の環境のこと、資源のこと、また企業のあり方、個人の生き方などにが徐々に注目されるようになってきました。
 
そのきっかけのひとつは、2006年に国連が公表した「責任投資原則(PRI)」です。

この原則には、機関投資家は環境・社会・ガバナンスに配慮して投資先を決定するように、と呼びかけがしてあったのです。

これがいわゆる「ESG投資」を勧める文書です。このPRIをきっかけに、徐々に投資家たちは各企業をその3つの項目において厳しく判断し、長期的な目線で投資を行うようになりました。

そのような考えが浸透するにつれ、企業もその3つの項目において社内外で活動や改革を行い、それを資料として投資家たちに公表するようになりました。

今までのように、良いものを作る、良いサービスを提供するだけでなく、作っている人々の環境がよいものか、環境に配慮した持続可能な材料調達をしているか、また企業で環境に良い取り組みをしているかなどが投資家たちの判断材料になっていったのです。

この流れは世界的なスタンダードになりつつあり、欧州では50%以上がESG投資を行っています。

日本も遅ればせながら徐々にそれらを整えており、2017年には公的年金基金がESG投資に1兆円から投資を始めました。

今や、投資先の基準において環境問題や個人の働きやすさといった項目は、世界の投資家の共通認識となっています。

さらに、それを踏まえた投資をすること、各企業がそれらを企業として改革・発信することで地球全体、我々の生活や考え方も変わってくる可能性があります。

働きやすさを重視すれば我々の生活の充実にもつながりますし、環境に配慮できれば地球の資源が枯渇することなく暮らしていけます。

このような投資の世界のスタンダードが変わっていく例も「パラダイムシフト」といえるでしょう。

財産:所有から共有へ

最近では、身の回りでも大きなパラダイムシフトが起こっているとも言えます。

以前、私たちは「モノを持つこと」に価値を置いてきました。新しい家電が売り出されれば欲しがり、車や貴金属など、「他人が持ってないものを自分が所有する」ということに価値があったのです。

しかし、現在はどうでしょうか?空いている部屋があれば、airbnbで宿泊施設として貸し出し、自分の能力(音楽、料理、お笑いなど)をyoutubeでシェアします。

昼間、自宅の駐車場が空いていれば必要な人に貸し出したり、毎日の洋服をレンタルしたりするものもあります。

「モノを持たない」「ミニマルな暮らし」「断捨離」にあこがれ、極力省エネな生活がいいという価値観が浸透してきたのです。

この流れは日本だけではありません。そもそも、欧米ではairbnbより前にカウチサーフィンというサービスが生まれました。

これは、困っている旅人に一夜の寝床(カウチ)を提供しようというコミュニティです。相互の思いやりによって成り立つサービスで、基本的には無償。

このサービスが2004年にウェブ上で利用できたことを考えると、このころから「所有」から「共有」へのパラダイムシフトは起こりつつあったのかもしれません。

また、モノの所有だけでなく「情報」も共有することがスタンダードになってきました。

様々な情報・データを共有し、それを元に創意工夫によってさらにいいモノやサービスを提供する。

様々な人が情報共有によって交流することにより、これまで生まれなかったものが生まれていきます。

今は「個の時代」だと言われますが、その「個」が様々に協力しあい、個性を活かしながらも、会社や組織を超えそれぞれの知識や情報や能力を共有しあって新しいものが生まれる、という流れもできています。

組織内で完結しなければならなかったことも、それを超えて共有することがもはやスタンダードになってきているといえるでしょう。

まとめ

パラダイムシフトは個人レベルから地球全体レベルまで、あらゆる場面で起こりうるものです。

情報の流れや技術の進歩がすさまじい現代では、多くの分野で日々パラダイムシフトが起こりつつあります。

自分たち、もしくは世界の当たり前だったことがめまぐるしく変化していく中で、私たちはいち早く気づき、そして考えをアップデートしながら次の時代へ向かうことが重要なのではないでしょうか。

 

お金の使い方を見直す

2022年01月22日 08時21分02秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

ギャンブルにお金を使っている

 気晴らしのために趣味の範囲で楽しむのであれば、ギャンブルに問題はありません。しかし、ギャンブルだけで利益を出そうと考えている場合は注意が必要です。

 基本的にギャンブルとは、長期的に見れば負ける可能性のほうが高くなるようにできています。負けた分を取り戻そうとさらにギャンブルにはまってしまうと貯金どころではなくなり、ギャンブル依存症となり、借金をつくってしまう可能性もあります。

 有意義なお金の使い方をしたいのであれば、のめり込まないように「月に○円以上はつぎ込まない」というルールを設けることをおススメします。

土地のバブルで得た1億円をパチンコに浪費した夫妻も。

競輪で2億円は、失った―と言う人も。

家1軒分は遣ったかな。

中には、都内のビル2棟を競馬などで無くしたとも人の噂で聞く。

サラ金地獄に堕ちいるまでになった、愚かな人の話も。


パラダイムシフト=考え方の変化

2022年01月22日 08時15分20秒 | 新聞を読もう

パラダイムシフト(英: paradigm shift)とは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう。パラダイムチェンジともいう。
科学史家トーマス・クーンが科学革命で提唱したパラダイム概念の説明で用いられたものが拡大解釈されて一般化したものである。

目次
1 概要
2 要因と事例
3 自然科学におけるパラダイムシフト
4 人文学におけるパラダイムシフト
5 複合システムと組織におけるパラダイムシフトに関する例
6 政治
7 宗教
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
11 外部リンク
概要
一般用語としてのパラダイムは「規範」や「範例」を意味する単語であるが、科学史家トーマス・クーンの科学革命で提唱したパラダイム概念が、その意図からは誤解となるほどに拡大解釈されて一般化されて用いられ始めた。拡大解釈された「パラダイム」は「認識のしかた」や「考え方」、「常識」、「支配的な解釈」、「旧態依然とした考え方」などの意味合いで使われている。

広義でのパラダイムシフトはこの過度な拡大解釈に基づいて都合よく用いられるため、厳密な定義は特になく「発想の転換」や「見方を変える」、「固定観念を捨てろ」、「常識を疑え」などから始まり「斬新なアイディアにより時代が大きく動くこと」まで、さまざまな意味で使われている。

人類は歴史上常に何らかの問題を抱えているため、常に解決が求められている。その解決をもたらす手段としての「パラダイムシフト」は、インパクトが強く印象的で、わかりやすい説得力を持ち一般に広まったものである。(→パラダイム#パラダイム概念の周辺) このパラダイムシフトについて、ベストセラー書籍『7つの習慣』では、隠し絵『妻と義母』を引用し分かりやすく説明している。

狭義には、その時代や分野において主流だった(問題を抱えている)古い考え方に代わり(その問題を解決できる)新しい考え方が主流となることを指す。一個人や単体の組織による物の見方が変わることは指さない。

要因と事例
パラダイムシフトの例として、まず旧パラダイム(例:天動説)が支配的な時代は、多くの人(科学者)がその前提の下に問題解決(研究)を行い、一定の成果を上げるが、その前提では解決できない例外的な問題(惑星の動きがおかしい)が登場する。このような問題が累積すると、異端とされる考え方の中に問題解決のために有効なものが現れ、解決事例が増えていくことになる。そしてある時期に、新パラダイム(地動説)を拠り所にする人(科学者)の数が増えて、それを前提にした問題解決(研究)が多く行われるようになる。以後、以上の動きが繰り返される。

自然科学におけるパラダイムシフト
ファブリカ - アンドレアス・ヴェサリウスによる。
ケプラーの法則 - ケプラーによる。
万有引力の法則 - ニュートンによる。
地動説 - コペルニクスとガリレオによる。
プレートテクトニクス - アルフレート・ヴェーゲナー、ツゾー・ウィルソンらによる。
相対性理論 - アインシュタインによる。
量子力学
プランク、アインシュタイン、ボーア、ド・ブロイ、シュレーディンガー、ハイゼンベルク、ディラック、フェルミ、ボース、フォン・ノイマンらによる。
進化論 - ダーウィンによる。
DNAの二重螺旋構造 - ワトソンとクリックによる。
収穫加速の法則 - レイ・カーツワイルによる。
恐竜ルネッサンス
1960年代末から1980年代初頭にかけてもたらされた、恐竜の研究分野における新知見の積み重ねによって起こった。“愚鈍な冷血動物”という旧来の恐竜のイメージを過去のものにした。
人文学におけるパラダイムシフト
インド・ヨーロッパ祖語の喉音理論 - ソシュールによる[1]。
複合システムと組織におけるパラダイムシフトに関する例
マグナカルタの調印とイギリスの君主制
先カンブリア時代のカンブリア爆発
数個の革新的発明がある社会 - 炎、ホイール、火薬、マイクロチップなど。
政治
日本

大化の改新による、豪族中心の政治から天皇中心の政治への移行、年号の導入。
平安時代末期の軍事貴族の台頭による平氏政権・鎌倉幕府の成立、貴族政治から武家政治への移行。
後醍醐天皇による鎌倉幕府の打倒、建武の新政による親政への転換と失敗、室町幕府の成立、南北朝体制への移行。
織豊政権・江戸幕府による、武士の在地領主から大名直属の軍団・官僚への転換。
ペリーの来航(砲艦外交)による、江戸幕府の鎖国から開国への方針転換、西洋方式の軍隊幕府陸軍の創設、幕末の動乱と大政奉還。
明治維新による王政復古、産業革命導入による西洋式の社会的再構築(文明開化)、大日本帝国憲法の制定、多岐に渡るインフラの近代化。
太平洋戦争の敗戦・GHQにより大日本帝国憲法が日本国憲法に全面改訂されたことによる大日本帝国の体制消滅と日本国の成立、天皇を「日本国民統合の象徴」とした象徴天皇制への転換。
海外

国家間の戦争による敗戦国の消滅と新国家の成立、侵略国による併合・植民地支配・衛星国化、それらによる民俗文化の変容。
イギリスの産業革命による労働者階級の成立、中流階級の成長、および地主貴族階級の成熟による三階級構造の確立や消費社会の定着など。
フランス革命やロシア革命などにみられる市民革命、君主制から共和制への移行、社会主義国の成立。
第二次世界大戦の戦勝国であるアメリカとソ連の二大国による冷戦体制への移行。
ソ連における、ニキータ・フルシチョフによるスターリン批判、ミハイル・ゴルバチョフによるペレストロイカとグラスノスチ。
中華人民共和国における、毛沢東による文化大革命の断行、鄧小平による改革開放と一人っ子政策。
カンボジアでの植民地支配からの原始共産主義への転換と、その失敗。
東欧革命やソ連崩壊などにみられる社会主義国の社会主義の放棄と資本主義への転換、冷戦体制の終結。
宗教
日本

日本への仏教伝来、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰が融合した神仏習合の成立。
室町時代以降の吉田神道の台頭。
明治維新後の国家神道の成立、神仏判然令による神仏分離と、それによる廃仏毀釈運動。
太平洋戦争敗戦後、GHQの神道指令による国家神道の廃止、神祇院の解体など、政教分離の実施。
海外

ローマ帝国における、テオドシウス1世によるキリスト教の国教化、ギリシア・ローマの神々など既存宗教(多神教)への礼拝の禁止。
社会主義国や独裁政権成立などの政変による宗教の否定。
宗教多元主義 - ジョン・ヒックによる。[2][3]


考え方の変化

2022年01月22日 08時13分49秒 | 社会・文化・政治・経済

<働くみんなのホンネ調査> 「新型コロナウイルスがもたらした価値観の変化」について調査を実施

約80%が価値観に「変化あり」 多くが価値観の変化は「良いもの」と回答 外出自粛や働き方の変化は、自身の仕事観や生活を見つめ直すきっかけに

総合転職エージェントの株式会社ワークポート(所在地:東京都品川区、代表取締役社長 CEO:田村高広)は、全国の転職希望者365人を対象に、【新型コロナウイルスがもたらした価値観の変化】についてアンケート調査を行いました。
■約80%が自身の価値観に「変化あり」 好影響と回答する人はなんと約80%!
 5月25日 、全国で緊急事態宣言が解除されました。6月に入ってからは徐々に営業再開する店などが増え、だんだんと街に人手が戻ってきているようすも見られます。しかし、わたしたちの日常生活や価値観は新型コロナウイルス流行前とは確実に大きく変化し、政府も「新しい生活様式」への転換を呼びかけています。今回、全国の転職希望者(20代~40代の男女)を対象に新型コロナウイルスがもたらした価値観の変化について調査を行いました。 対象者に、新型コロナウイルスが自身の価値観に変化を与えたと感じるか聞いたこところ、「はい」と回答した人が75.3%、「いいえ」と回答した人が24.7%となりました。また、新型コロナウイルスがもたらした価値観の変化は自身にとってどのようなものだと感じるか聞いたところ、「とても良いものだと感じる」(24.1%)、「やや良いものだと感じる」(51.2%)とする人は合わせて75.3%となり、「やや悪いものだと感じる」(18.6%)、「とても悪いものだと感じる」(6.0%)とする人は合わせて24.6%となりました。約80%が新型コロナウイルスの感染拡大により価値観や意識、考え方に変化があったと回答しており、またその変化が自身にとって良いものだと考えている人も多いことがわかりました。新型コロナウイルスは国民の生活や経済に甚大な影響を及ぼしていますが、その一方で、未曾有の事態のなかで新たに生まれる価値観や考え方は必ずしも悪いものではないということが感じられる結果となりました。


■価値観の変化は仕事から生活まで 新型コロナウイルスの影響はさまざまなところに!
 新型コロナウイルスが自身の価値観に変化を与えたと回答した人に、具体的にどんな変化があったのか聞いたところ、仕事から生活、日常の考え方まで、さまざまな面で価値観に変化が生じていることがわかりました。
▼テレワークになって良かった人
・テレワークでも仕事ができることがわかり、毎日同じ時間に出社する意味がなくなったと思う(40代・男性・管理)
・通勤によるストレスや時間の浪費がなくなったことにより、体が健康になったと明確に感じる(30代・男性・営業)
・テレワークによって、これまで通勤・会議・飲み会などいかに無駄な時間を過ごしていたか身に染みてわかった(30代・男性・管理)
▼テレワークになって困った人
・テレワークになり、営業の存在価値が薄れたように感じている(20代・男性・営業)
・テレワークよりも出社してチームワークを発揮しながら働きたい(40代・女性・クリエイター)
・テレワークを通して、やはり人と会って課題を解決する仕事をしたいと思った(40代・男性・営業)
▼政治やニュースに興味を持つようになった人
・マスコミなどの報道に対し、自分の意見を持つようになった(30代・男性・システムエンジニア)
・きちんとした対策をしてくれる政治家を自分で確かめるために、選挙に行った方がいいと思った(20代・女性・接客販売)
・通勤中にネットニュースを数分見る生活から、自宅で新聞をじっくり読む生活に一変した(40代・女性・営業)
▼人のためになりたいと考える人
・より人に寄り添う仕事をしたいと感じる(20代・男性・コンサルタント)
・社会貢献に対する意識が強くなった(40代・男性・接客販売)
・いつでも人の役に立てる仕事に就きたいと思った(20代・女性・営業)
▼人とのつながりについて考える人
・在宅勤務でも十分に仕事ができるが対面での関わりが減り、通勤がないと社会とのつながりが薄くなると感じている(40代・男性・営業)
・心身の健康のためには仕事であってもなくても、人と接することが不可欠だと感じた(30代・男性・公務員)
・本当に会いたい友人とそうでない友人がはっきりした(40代・女性・クリエイター)
▼住む場所について考える人
・都会で働くことを目指していたが、場所にこだわる必要がなくなったと感じている(30代・男性・事務)
・在宅勤務でも仕事に支障はなく、他地域よりも高い家賃を払って都心に住む意味はないと感じるようになった(40代・男性・管理)
・地元に帰りたくなった。東京に住む意味がないと感じる(20代・女性・事務)
▼生活の変化を感じる人
・テレワークの増加により中間管理職の役割が減少すると考えられるので、これからは実務中心の仕事スタイルにシフトしていこうと思っている(40代・女性・管理)
・通勤が減り家族と過ごす時間が増えた。近所との交流もするようになった(40代・男性・営業)
・暇だからという理由でどこかに出かけることをしなくなった。1日10本を超える量のタバコもほとんど吸わなくなった(20代・男性・クリエイター)


■新しいことを始めた人が半数以上!図らずも自身の生活にゆとりを持てた人たちも
 対象者に、新型コロナウイルスによる外出自粛をきっかけに、仕事に関することで始めたことはあるか聞いたところ、「はい」と回答した人が51.2%、「いいえ」と回答した人が48.8%となりました。次に、生活に関することで始めたことはあるか聞いたところ、「はい」と回答した人が51.0%、「いいえ」と回答した人が49.0%となりました。
 仕事に関することで具体的にどんなことを始めたのか聞いたところ、「安心して働くことができる環境を求めて転職活動を始めた」(40代・男性・機械系エンジニア)、「今の業種は先が全く見えないため、転職を考えるようになった」(40代・男性・接客販売)、「資格取得に向けて勉強を始めた。時間差出勤や隔週出勤になり、今まで業務に充てていた時間で勉強する余裕ができた」(30代・女性・事務)といった、危機感から転職活動を始める人や働き方の変化により空いた時間で資格の勉強に励む人の意見が多く挙がりました。また、「テレワーク時代の社会の流れに順応するため、できることはスマホやネットを使ってやるようになった」(30代・男性・製造)といった、新型コロナウイルス感染拡大によって急速に進んだテレワークや業務のデジタル化に対応しようとする人の意見も散見されました。さらに、「経済面に不安を感じ、自作アクセサリーの通販を始めた」(20代・女性・医療福祉)、「知人の勧めで趣味を副業にできないか模索し始めた」(30代・女性・事務)といった、経済面の不安などから副業を始める人も見られました。


 次に、生活に関することで具体的にどんなことを始めたのか聞いたところ、運動や自炊が多く挙がったほか、「家族と気軽にビデオ通話をするようになった」(30代・男性・コールセンター)、「自分の両親や兄姉家族を交えたビデオ通話をしている。文字だけのやり取りより伝わるものが多く助かっている」(40代・男性・その他)、「休日以外でも家族と過ごす時間を大切にするようになった」(30代・男性・企画マーケティング)、「外食ができないので、ホットプレートなどで家族と楽しみながら調理するメニューが増えた」(30代・女性・事務)といった、家族との時間をより大切にするようになったと回答する人が多く見られました。また、「人と繋がれるためオンラインゲームを始めた」(20代・女性・事務)といった意見もあり、社会的距離をとる必要が出たことで、心理的に家族や友人など人とのつながりを求める人が増えたのかもしれません。
 さらに、「掃除や読書。これまでは家にいる期間が少なかったためできなかった」(20代・女性・システムエンジニア)、「布団を頻繁に干すようになった。出社している時は帰宅が23時になることも多くあまり干せなかった」(30代・女性・企画マーケティング)、「片付けや整理整頓など、家のことに目を向けるようになった」(30代・男性・その他)といった意見も挙がりました。
 今回の調査では、これまで家族と過ごす時間や家事をする時間、自分の時間などを十分にとれず、外出自粛やテレワークへの移行によって初めて時間に余裕ができた人も多く見られました。新型コロナウイルス終息後も今回新たに始めたことを継続したいか聞いたところ、仕事・生活ともに「継続する予定」、または「できれば継続したい」と回答した人が約90%でした。図らずも自身の生活にゆとりを持てるようになり、これまでの仕事や生活を見直すことになった人も多いのではないでしょうか。



■時間の使い方を見直す人も「分刻みで時間に追われる生活をやめられた」
 対象者に、新型コロナウイルスによる外出自粛をきっかけに、仕事に関することでやめたことはあるか聞いたところ、「はい」と回答した人が23.8%、「いいえ」と回答した人が76.2%となりました。次に、生活に関することでやめたことはあるか聞いたところ、「はい」と回答した人が25.8%、「いいえ」と回答した人が74.2%となりました。
 仕事に関することで具体的にどんなことをやめたのか聞いたところ、外出を伴うランチや飲み会会議や打ち合わせといった回答が多く見られました。また、書面での契約やハンコを押す業務などをデジタル化する動きも見られました。
 さらに、「営業先に長時間滞在するのは時間の無駄だと感じた。準備に注力して作業時間を最短で行ったら効率が上がった」(20代・女性・営業)、「会社の人と会話が減っても気にしないようになった。ソーシャルディスタンスのメリットだと思う」(30代・男性・クリエイター)といった意見も見られました。
 次に、生活に関することで具体的にどんなことをやめたのか聞いたところ、「タバコの本数を減らし、極力喫煙所には行かないようにした」(20代・男性・クリエイター)、「包装せずに陳列されている食品の購入をやめた」(30代・男性・接客販売)といった、感染防止対策をする人の意見や、「分刻みで時間に追われる生活をやめられた」(40代・女性・営業)、「外出自粛をきっかけに仕事終わりの寄り道をやめたが、無駄な時間だったとわかり現在もやめている」(20代・女性・営業)といった、時間の使い方を見直す人の意見も見られました。

■約60%がアフターコロナは「新しい生活様式」になると予想
 アフターコロナは、新型コロナウイルスが流行する前のような生活が戻ってくると思うか聞いたところ、「戻ってくると思う」と回答した人が19.2%、「戻ってこないと思う」が56.4%、「どちらともいえない」が24.4%となりました。半数以上が、今後新しい生活様式になっていくだろうと予想している一方で、以前のような生活が戻ってくると考えている人も20%ほどいることがわかります。今後はニューノーマルの世界が到来すると言われていますが、未だ予測がつかない状態は続いているようです。


 今回の調査では、多くの人が新型コロナウイルス感染拡大をきっかけに価値観が変化し、それが自身に好影響を与えていると感じている人も多いことがわかりました。これまで新型コロナウイルスによって多くの人命が奪われ、経済は大きな打撃を受けるなど、人々の生活にさまざまな影響を及ぼしています。しかし、新型コロナウイルスによる外出自粛や働き方の変化をきっかけに、図らずもわたしたちが自身の仕事や生活、価値観と深く向き合うことになりました。今後もアフターコロナの「新しい生活様式」と向き合っていくなかで、価値観や考え方、意識は変化していくのではないでしょうか。

■調査概要
調査内容 :新型コロナウイルスがもたらした価値観の変化について
調査対象者:当社を利用している全国の転職希望者(20代~40代の男女)
有効回答 :365人
調査期間 :2020年5月26日~6月2日
※データは小数点以下第2位を四捨五入しているため、合計しても100%にならない場合があります。

■ワークポートの取り組み
 私たちはミスマッチのない転職を実現し、すべての人や企業がいきいきと働ける社会を創ることが最大のミッションであると考えています。また、良質で満足度の高いサービスを提供したいという思いを込め、キャリアコンサルタントを“転職コンシェルジュ”と呼んでいます。転職希望者のキャリアや人生設計に適う求人のご紹介のほか、ご要望に合わせて年収交渉や退職のアドバイスなどをいたします。転職コンシェルジュとしての質の向上のため、人間性と専門性を高める取り組みなども行っています。
※「転職コンシェルジュ®」はワークポートの登録商標です。https://www.workport.co.jp/trademark/
※この調査内容を転載ご利用いただく場合は「ワークポート調べhttps://www.workport.co.jp/」または、「出典:株式会社ワークポート」の表記をお願いいたします。

●2020年6月より「ソーシャルディスタンス面談」を開始しました
ご来社いただいたお客様と転職コンシェルジュが、別々のお部屋からタブレット端末を通してオンライン面談をおこないます。自宅では転職の相談がしづらい、自宅のオンライン環境が整っていないという方にご活用いただいています。
 


■会社概要
商号  :株式会社ワークポート
代表者 :代表取締役CEO 田村高広
設立  :2003年3月
事業内容:人材紹介サービス(有料職業紹介事業 許可番号:13-ユ-040590)
拠点  :東京(大崎)、横浜、埼玉、千葉、札幌、仙台、名古屋、大阪、京都、神戸、岡山(中四国)、広島、福岡(天神・小倉)、ソウル(韓国)、ホーチミン(ベトナム)

このプレスリリースには、メディア関