笑いと健康に関する研究

2022年01月24日 12時29分20秒 | 医科・歯科・介護

笑い学研究27巻

福島県立医科大学の大平哲也主任教授

抄録

笑いと健康に関する研究はここ数十年で飛躍的に報告数が増えてきた。
それに伴い研究手法及び研究対象についても変遷がみられるようになってきた。
そこで本稿では、2010年以降の笑いと身体心理的健康及び疾病との関連について文献的レビューを行うとともに、今後の課題を提示することを目的とした。
文献検索の結果、うつ症状、不安、睡眠の質に関する無作為介入研究が複数行われるようになり、エビデンスレベルの高いメタ分析もいくつか報告されていた。

また、生活習慣病、要介護等の身体疾患への影響も前向き研究での報告が増えてきた。

これらの研究を、観察研究(①笑いと死亡、要介護との関連、
②笑いと生活習慣病との関連、③笑いと認知機能との関連)、及び介入研究(①笑いが生活習慣病・身体的指標に及ぼす効果、
②笑いが心理的指標に及ぼす効果)に分けて研究内容を概説した。
加えて、日常生活において笑いを増やすことに関連する因子についても文献をもとに考察した。本研究の結果、笑いはストレス関連疾患及び生活習慣病など様々な疾患の予防・管理に有用である可能性があることが示唆された。

生活に笑いを増やす要因

「友達に週に2回以上会う」
「社会活動に参加する」
<笑いのもと>は「家族や友人と話している時」が最も多かった。
「人と話をす機会を増やすことが重要」と大平教授は指摘している。


「平和学の父」 ヨハン・ガルトゥング博士

2022年01月24日 12時18分34秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

ヨハン・ガルトゥング博士

1930年ノルウェー生まれ。
 平和学の第一人者で世界的に「平和学の父」として知られる。
 1959年に世界初の平和研究の専門機関、オスロ国際平和研究所(PRIO)を創設。

主張

戦争のない状態を平和と捉える「消極的平和」に対し、貧困、抑圧、差別など構造的暴力のない状態を「積極的平和」とする概念を提起した。

これまでに、スリランカ、アフガニスタン、北コーカサス、エクアドルなど、世界で40ヶ所以上の紛争の仲介者をした。日本においても中央大学、国際基督教大学 (ICU) 、関西学院大学、立命館大学、創価大学などで客員教授を務める。

尖閣諸島の領有権を巡って日中が対立している状況に対し、中国と日本がそれぞれ40%ずつの権益を分けあい、残りの20%を北東アジア共同体のために使うという解決案を示している。

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「平和学の父」 ヨハン・ガルトゥング講演と映画『コスタリカの奇跡』特別上映会
2017年06月13日に開催 logmi

世界的に「平和学の父」として知られる「積極的平和」の提唱者ヨハン・ガルトゥング博士が緊急来日。

軍隊を1948年に撤廃し、社会福祉国家の道を選び、積極的平和国家作りにチャレンジしてきた中米コスタリカについての映画『コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~』(配給:ユナイテッドピープル)の上映に伴い、ガルトゥング博士が「日本人のための平和論」をテーマに緊急提言を行いました。

コスタリカと比べて日本に欠けている点
関根健次氏(以下、関根):次の質問。はい、どうぞ。

質問者3:映画から、コスタリカは外交と対話から平和を構築したというのがわかったんですけど、その点において日本人はあまり自分たちの未来とか、特に政治に関することについて、対話することを避ける傾向があると思います。そういう点では、未来に対することへのイマジネーションが欠けているんじゃないかなぁと私は思ったんですけど、そのことについてどう思われますか。

ヨハン・ガルトゥング氏(以下、ガルトゥング):ご質問に関係して、3つ日本に欠けている点があると思います。1つ目は知識がもっと必要だと思います。つまり、今の世界の状況に関する知識。過去の歴史だけじゃなくて今の現状に関することの知識です。それを日本人は十分に持っていない。例えば、知識としてコスタリカがどういう状況にあるか。あるいはスイスがどういう歴史をたどってきたか。そういう知識も欠けている。

日本は表向き専守防衛となっていますが、非常に政治手腕のある安倍首相ですら、ディフェンシブ・ディフェンスと攻撃的兵器の区別をつけないで話をする。それも知識のなさだと私は思うのです。つまり、短距離の防御的な武器というのは、他の人たち、他の国に対して脅威にならないのです。

だから今、日本が武装しているような長距離を目指していて、他国を攻撃できるようなそういう武器を持つということは、決して本当の意味での国防にならないということを理解していないのではないか。 

それからビジョンということをおっしゃいまいた。まさにそれが2つ目に欠けている点です。

右派にしても左派にしてもそれぞれのビジョンを持っているのですが、それは決して十分なものではない。欠陥が多すぎる。例えば、右派の人たちは外交や対外関係における日本の独立性を主張される。それは非常にいい点です。だからそれは取り入れる。

それから、左派の方の反戦的発想、ネガティブなピースで消極的平和ではありますが、それはいい点ですからそれも取り入れる。これは今でも言えるかわからないんですけども、これくらい通信網が発達しているにも関わらず、いまだに日本が島国根性的な想いがあるんじゃないかと思います。

国境を接しているお隣さんがいないということで、本当の意味でのお隣さんがいない。だから近所でもめ事があって敵みたいに思っているんですけど、あることを通して非常に友好なお隣さんになるという経験をしていないわけです。

ところが、他の世界の国々、特にヨーロッパの諸国をみてみます。血で血を洗う戦争をして、でもそれを克服して仲間になった。それはラテンアメリカについてもアフリカについても言えると思います。ところが日本はそういう経験をしていない。

そしてビジョンをもっただけでは十分ではなくて、政治家として政治的な強い意志をもって実践する、実行するという意志の力です(これが3つ目の欠けているところ)。

なぜ日本が被占領国であるのかというその一例として、例えば米軍の要人、高官その他が日本への入国手続きなしで横田米軍基地からヘリコプターで都心へ行く。そして主要省庁の上級官僚に指示を出すという米国の対日支配構造は、まさに日本は独立国とは程遠い、今なお占領下にある状態と言えます。

政府に頼らないで、例えば、いいお手本になるようにNGOが中心で手を差し伸べる。そういうことを考えたらどうかと思います。特に女性が中心となっているNGOは非常に将来有望だと思います。でも男性も除外してしまうと困るので、男性の中にも手を携えてできる人がいますから、どうぞシャットアウトはしないでください。

(会場笑)

男性にもちょっとはいい点がありますからね(笑)。

(会場笑)

関根:そういっていただいてホッとしました(笑)。

(会場笑)

今回のうちのスタッフもほとんどが女性です。最近では女性の方が活発で男性がね、もっとがんばらなきゃと思います。えー、いい時間になってきましたけれども、最後どうしても聞きたいぞっという人、短めにクエスチョンを。手を挙げていただけたらなと思います。

市民の力で戦争をやめさせるには
今回が来日最後の講演です。はい、ありがとうございます。どうぞ。

質問者4:僕はシリア和平ネットワークという組織をつくって、それはシリアでシリアの難民を人道的に助ける数々の団体が集まっているんですけれども。今は性格をちょっと変えて、シリアにおける殺戮をストップさせるための活動を去年から始めています。

伊勢志摩サミットとか、今回の定例サミットにおいて、外務省に圧力をかけてシリア人の人を呼んで大学でシンポジウムをやったりして、なんとかシリアの市民の声が今のシリアの状況に影響を与えられるように活動しています。

でも今までブレイクスルーは全然達成できていないんです。市民の力を使って戦争を止めさせるには、いったい何が足りないんでしょう?

ガルトゥング:私もシリアも含めてそういう環境の仕事をずっとやっています。あの問題に関するキーとなるアクターといいますか、当事国はイスラエルです。1985年ぐらいからイスラエルがとった対外政策で、近隣諸国をなるだけ分断しようという方針を打ち出したわけです。それが関係しています。

つまりイラクではこれが成功したわけですね、イスラエルの(分断)政策が。でシーアのセクションとか、クルドのセクションとか、スンニのセクションとか、つまりセクショナリズム的に民族間の対立を深めました。ということは分断することに成功したわけです。

それでアメリカは外交政策において、イスラエルが主張することをそのまま実行する傾向にあるということです。でもいろいろお話していると時間がすぎてしまいますから結論として言えることは、根本的に大切になるのは、真のイスラムとは何か? どんなものか? ということです。トゥルー・イスラムとは何か?

それで真のイスラムという視点から見ると、イラクにしてもシリアにしても余りにも「欧米」ではなくて「欧化」されている。ヨーロッパ化されてしまっている。イラクの場合は英国。シリアの場合はフランス。その影響が強すぎてせっかくの真のイスラムが 水増しされているのが気になっているわけです。

それでIS(イスラミック・ステイツ)が主張しているのが、真のイスラムに帰るということです。ですからシリアとイラクとかが問題なんじゃなくて、1番の問題は、メッカやメディーナの問題なんです。シリアのアサド政権、これはお父さんの代からですけれども、これはマイノリティーの政権なんですね、多数派じゃなくて。

それで彼らISからみれば、シーア派のマイノリティーが、しかも独裁者として国を統治している。それに対する反発心がある。シリアではスンニの方が多数派です。多数派なんだけれど他の要素が入ってくることをがんとして受け付けない。そういう態度をとっているわけです。

だからいずれに転んでも、それは専制的な政治になってしまう。少数派の独裁政権か、多数派の独裁政権か。いずれにしても独裁政権に終わる。そういう状況にあるわけです。こういう状況の中では勝者はISになってしまう可能性がある。それが「カリファット」という昔のイスラム圏を形成することになる。

イスラム圏では、イマーム(指導者)は発言権というか大きな力をもっているわけです。つまり聖職者であるイマームなんですけれども、それは宗教的な力を持っているだけではなくて、法制度、シャリーアのロー、法廷、司法の力も持っているのです。

イマームの地位を確固としたものにしているのは、いわゆるカリファットをベースとした力をもってサポートしていると。そういうことを理解できてないのが欧米の国だと思うんです。今、同じことがフィリピンのミンダナオ島で起こっています。

残念ながらアメリカのメディアの力が強く、日本も含めてその影響下にある国のメディアは、いったい何が起きているのか見る眼をもっていない。アメリカ的見方になってしまっている。

本当の目的はイマームに対する影響力なんですけども、それをサボタージュするかのように、いわゆるISの兵士が蛮行に及ぶことをむしろサボタージュするためにやっている。その可能性もあると思います。

私は理想主義者と思われることがありますが、実は頭の中の私は極めて現実主義者です。しかし、心の中の私は理想主義に燃えています。しかし、現実と離れた理想主義ではいけない。日本の有名な三大紙とかNHKから情報を得れば正確な情報が得られると思われたら、ちょっと間違いだと思います。

かえってYouTubeの方が適した情報が得られるかもわかりません(笑)。

(会場笑)

関根:ありがとうございます。YouTubeってオチがありました(笑)。

(会場笑)

ビックリしましたけれども。もうお時間となりますが、今回、博士は3年連続の来日でした。今回がパブリックでの最後のイベントになるわけですが、何か一言これを伝えたいというラストメッセージがありましたら是非お願いします。

ガルトゥング:創造力、独創力です。問題にうちひしがれないで創造力をたくましくもってアイデアをだす、ということです。つまり新しいアイデアをだして、もちろん明日それが実現するわけではないけれども、それで諦めないでいいアイデアをだしつづけてください。幸いこの部屋には若い方たちがたくさんおられる。その柔軟な頭で未来を考えてください。素晴らしい未来を築くための大きな責務を持っておられるのです。

本日はありがとうございました。

関根:ありがとうございました。

(会場拍手)

Occurred on 2017-06-13, Published at 2017-07-26 17:30

 


ガルトゥング平和学の基礎

2022年01月24日 12時06分15秒 | 社会・文化・政治・経済

ヨハン・ガルトゥング (著), 藤田 明史 (編集, 翻訳)

ガルトゥングの平和理論の基礎と全体像がわかる5つの代表的論考の翻訳集。

暴力概念の彫琢によって理論構築したガルトゥングが明示する平和学のエッセンスを知ることができるとともに、「平和とは何か」という根源的な問いに対する多くの示唆を得ることができる。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

ガルトゥング,ヨハン
1930年生。前オスロ国際平和研究所長。現在、平和と開発のためのネットワーク「トランセンド」を主宰。1987年度ライト・ライブリフッド賞受賞。2003年よりトランセンド平和大学(TPU)を主宰している

藤田/明史
立命館大学非常勤講師(平和・紛争論)、日本平和学会会員、トランセンド研究会共同代表、安斎科学・平和事務所客員研究員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
本書は、5本の論文と解題からなる。「平和学の父」と称されている。ヨハン・ガルトゥングの論集である。
本書は、下記の5本の論考と解題が
収録されています。

右記の(内の年号は、論文発表時の年号)です。

 1 積極的平和とは何か    (2015年)
 
 2 暴力、平和、平和研究   (1969年)

 3 文化的暴力        (1990年)

 4 革命の構造理論      (1974年)

 5 生き方としてのコンフリクト (1969年)

解題 ガルトゥング平和学の進化と深化

本書は、200ページの本です。 

中でも、特に2の収録されている「暴力、平和、平和研究」 (1969年)は、著者の「平和研究」(あるいは、「平和学」とも呼ばれる。)と著者のその名を象徴し、世界的にした。ガルトゥング平和学の生誕を告げる記念碑的重要論考である。
著者は、本論文において、「平和とは、暴力の不在及び低減である。」と主張し、暴力の原因をその要因分析から求め、平和実現の可能性を探究した。
本論文発表当時、相手に直接的に危害を加える戦争や暴力を「直接的暴力」と呼び、また、飢餓、貧困、生活困窮、人権侵害での差別などの社会構造を起因とする暴力を「構造的暴力」と主張し区別した。
また、平和も区別し、戦争がない平和を「消極的平和」と呼び、現実的な実現の可能性への取り組みを目指す平和を「積極的平和」と呼んで主張した。
また、平和研究の方法や方向性、その学問分野としての必要性などについてにも言及ししているが、他の論文も素晴らしく、ガルトゥング平和学の進化と深化が手にとってわかる。読むに値する重要文献である。
 

 

 

 


平和学入門 1: 平和を理解するための思考のドリル

2022年01月24日 11時43分39秒 | 社会・文化・政治・経済

多賀 秀敏 (著)

平和を科学的に研究し、その成果を共有するためには何が必要か。国際社会の平和について学ぶ上で基本となる事項をわかりやすく解説。

平和学は、戦争、貧困、開発、人権といった様々なテーマが関係する分野である。

本書ではこのような国際関係論のテーマと平和学を関連づけ、平和学の歴史、そして平和や戦争をどのように理解するべきなのかを、初学者にもわかりやすく説明し、さらに行動学としての平和学、すなわち、平和構築方法論のエッセンスを提供する。

著者について

多賀 秀敏(たが ひでとし)
1949年、千葉県生まれ。1981年、早稲田大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。修士(法学)。新潟大学法学部助教授、同教授、早稲田大学社会科学総合学術院教授を経て、現在は早稲田大学名誉教授。1978年から1981年まで日本平和学会事務局長、2002年から2005年まで北東アジア学会長。2009年から2013年まで早稲田大学社会科学総合学術院長。
専門は、平和学および国際関係論。著書に The New International Relations of Sub-Regionalism: Asia and Europe (編著、Routledge、2018年)、『平和学入門 1』(勁草書房、2020年)、『東アジアの重層的サブリージョンと新たな地域アーキテクチャ』(共編著、勁草書房、2020年)、『アジア共同体:その構想と課題』(共著、蒼蒼社、2013年)、がある。
 
 
 
平和を考える上で避けて通れない「戦争」について、その定義や統計的データの意味を理解し、戦争を防ぐための仕組みを考察する。

平和学の歴史や平和とは何かを論じた『平和学入門1』の対となるテキスト。戦争についての具体的議論を中心に、講義形式で平易に解説する。
戦争は人類にとって不可避であるとする肯定的立場や、単に研究対象として扱う中立的立場を踏まえた上で、「必要悪ではなく、組織化された犯罪である」といった否定的立場から戦争を捉えなおす。
 
 
 

 

 


「一様性から多様性へ」の発想の転換

2022年01月24日 11時04分59秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

近代文明は、富の蓄積だけを目指す経済成長路線に象徴されるように、人間の自然の多様性を切り捨てて、ひたすら一元化され一様に画一的な目標を追い続けてきた。
こうして突き進んだ結果け、遭遇しているのが、環境破壊をはじめとする、深刻な「地球的問題群である。

「この世代に生きる私たちは、自然と折り合っていかなければならないと私はかたく信じております。そして、私たちは、自然の支配に熟達するのではく、私たち自身を制御する面で熟達することを、今日ほど強く求められたことはなかったと考えております」レイチェル・カーソン

多様な知恵の時代への移行

 物的な豊かさがかなりの程度満たされている今日、人々は個性や多様性を求める傾向を強く示している。
また、技術進歩により、供給される財・サービスの多様性も一段と高まっている。
今後は情報、プログラミング、デザイン等といった、知識や知恵を新たに創造したり、使いこなしたりすることによって生み出される価値が、経済成長や企業収益、人々の満足を高めるための原動力となる。
 こうした知恵の社会では、流行(社会主観)による価値の変化が大きい。
また、新しい社会主観を創造することによって、可変的(一時的)な価値を生み出す仕組みが社会的に創られていく。これがグローバル化すれば、グローバルな社会主観を創造できる情報発信力が大きな国際競争力となる。


現人神から大衆天皇制へ 昭和の国体とキリスト教 

2022年01月24日 10時45分54秒 | 新聞を読もう
 
 
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吉馴明子(編者),伊藤彌彦(編者),石井摩耶子(編者)

商品説明

宗教学、憲法学、政治学、教育学、歴史学、キリスト教史学等の研究者らが、昭和期の戦前、戦中、戦後の天皇制の諸側面を論じる。教育、教会、無教会の現場におけるケーススタディも収録。

目次

はしがき

Ⅰ総 論

第一章 国民統合軸としての「天皇教」―制度の視点から  横田耕一

Ⅱ 現人神天皇から象徴天皇へ

第二章 敗戦と天皇の聖性をめぐる政治―「国体護持」と「国体のカルト」の制御  島薗 進   

第三章 天皇は「人間宣言」でどう変わったか  吉馴明子      

第四章 敗戦直後の教育勅語の廃止をめぐるキリスト者の言説―田中耕太郎と南原繁を中心に  石井摩耶子

Ⅲ 宗教からみる天皇制の桎梏

第五章 神道指令後における新しい神道の構想―岸本英夫の神道をめぐって  星野靖二

第六章 村岡典嗣の神道史研究とキリスト教―国体論と宗教理解  齋藤公太     

第七章 「大東亜戦争」下の日本基督教団と天皇制―教団機関紙に見る「日本基督教樹立」の問題  豊川 慎

第八章 賀川豊彦における戦前と戦後のはざま  遠藤興一

Ⅳ ケーススタディ:教育・教会・無教会の現場で

第九章 満州国におけるキリスト教教育と国民道徳―孔子廟参拝強制をめぐって  渡辺祐子

第一〇章 戦中戦後の同志社と天皇制―湯浅八郎と牧野虎次の時代  伊藤彌彦

第一一章 田中剛二と神港教会―戦後、教団を脱退した教会の歩み  吉馴明子

第一二章 戦後初期「無教会」にとっての「象徴天皇制」―肯定と批判の意識の交錯  柳父圀近

Ⅴ 象徴天皇制の課題

第一三章 神権天皇制から象徴天皇制への転換―大衆天皇制の成立  千葉 眞

 


「現人神」「国家神道」という幻想 近代日本を歪めた俗説を糺す

2022年01月24日 10時35分24秒 | 社会・文化・政治・経済

「現人神」「国家神道」という幻想 近代日本を歪めた俗説を糺す by [新田 均]

 

新田 均  (著)

「現人神」「国家神道」――これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。

おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。

そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。

だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。

それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。

世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。

内容(「MARC」データベースより)

「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。
 
 

“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

新田/均
昭和33年、長野県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程に学ぶ。博士(神道学)。近代日本の政教関係を中心に、学際的な立場から実証研究を行なっている。
平成10年、「比較憲法学会・田上穣治賞」受賞。皇学館大学文学部教授。「新しい歴史教科書をつくる会」理事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 
 
 
靖國神社は、我が国が幕府政治体制から近代国家体制に大きく生まれ変わろうとする時に、不幸にして避けられなかった明治維新の内戦(戊辰戦争)において、国のために一命を捧げた人たちの霊を慰めようと、明治二年に明治天皇が「東京招魂社」として建てられたのが起源で、明治十二年に「靖國神社」と改称されて今日に至っている御社である。
明治天皇が命名された、この「やすくに」という御社号には「国を平安にし、平和な国家をつくり上げる」という御心がこめられている。
後に嘉永六年のペリー来航時まで遡って、国内の戦乱で斃れた人たちも合わせて祀られ、その後に起こった佐賀の乱、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、支那事変、大東亜戦争等の事変で戦死された方々を始め、軍人だけでなく看護婦として従軍された人達も含め、身分、職業、年齢、性別等に関わりなく手厚く祀られている。
これらの方々は全て、祖国永遠の平和とその栄光を願いつつ、日本民族を守るために掛け替えのない尊い生命を国に捧げられた同胞の方々である。
言わば現在の平和を享受している我々の生活は、この方々の献身的な行いがあってこそ成り立っているのである。そのことを全ての国民が決して忘れてはならない。
馬鹿な政治家や進歩的文化人は靖國神社や境内にある遊就館が「戦争讃美している」と言うが、偏見を排してしっかりと観よ。戦争賛美などはしていない。日清、日露さらに先の戦争にも我が国なりの大義があったと言っている。
当然であろう。気が狂った国家であるまいし、我が国にはその時代時代における国家存亡を賭けた主張があったのだ。我々日本人の先人が苦悩にまみれながらも個の命を捧げて母国、故郷、家族を護ろうと戦ったのである。
そんな崇高な誇るべき先祖に感謝しないで日本人と言えるのか。
馬鹿につける薬はないかもしれないが、本書を読んで治療を試みよ!!
 
 
個人的には、研究者としての新田氏は評価しているのだが…この本はいったい誰を対象にして書かれているのだろうか。
題名に惹かれてこの本を手に取り、書かれていることにうなずき、溜飲を下げて本を閉じる。そんな読者は確かにそれなりにいるだろう。
しかし、そうした人たちを満足させたところで何になるというのか。
高橋哲哉『靖国問題』のベストセラー化を前に、悲憤慷慨したり絶望したりするのもいいが、これだけ内向きな姿勢では、どれだけ筆鋒鋭く書いたところで自己満足でしかない。
これなら展転社の『靖国神社一問一答』のほうがよっぽど「広く手に取ってもらおう」と苦心した努力の跡がうかがえる。
残念ながら、最近のこの手の本の評価としては、高橋哲哉や赤澤史朗などの著作に遠く及ばないと言うしかない。いっそ、正反対の立場にある菱木政晴あたりと組んで共著にしたら面白かったのではないだろうか。

天皇を現人神と仰ぎ、国家神道を精神の支柱として戦争を遂行した軍部

2022年01月24日 10時33分40秒 | 新聞を読もう

現人神(あらひとがみ)は、「この世に人間の姿で現れた神」を意味する言葉。現御神、現つ御神、現神、現つ神、明神とも言う(読みは全て「あきつみかみ」又は「あきつかみ」のどちらかである。)。
荒人神とも書く。 
また、生きながらも死者と同じ尊厳を持つ。
という意味もある 「人間でありながら、同時に神である」という語義でも用い、主に第二次世界大戦終結まで天皇を指す語として用いられた。
後述する「人間宣言」では「現御神」の語を使用している。 

本来は一定期間カミオロシなどのシャーマニズム的行為を続けた人間を指す言葉であった。

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天皇が現人神といわれた昭和戦前期…

余録
 
毎日新聞 2021/9/2 

天皇が現人神(あらひとがみ)といわれた昭和戦前期、昭和天皇は自分を神扱いする側近にこんなことを言っている。「私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。そういう事を云(い)われては迷惑だ」(昭和天皇独白録
▲戦後、自らの神性を否定した人間宣言で昭和天皇は、国民とは「終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依(よ)リテ結バレ」ると宣明した。その後の新憲法のいう国の「象徴」という立場と、生身の人であることとの溝を埋める「信頼と敬愛」である
▲そんな「象徴」に連なる皇族という立場にも求められてきた「信頼と敬愛」だった。昨秋、秋篠宮(あきしののみや)さまは長女眞子(まこ)さまの結婚の自由を認めながら、皇室の婚姻(こんいん)儀礼を行うかは「多くの人が納得し、喜んでくれる状況」が前提だと語った
▲その眞子さまの年内の結婚へ向けて調整が進んでいるとの報道である。婚約が内定していた小室圭(こむろ・けい)さんの米国での就職の見通しがつき、眞子さまは結婚後は米国で新生活を始める。ただ納采(のうさい)の儀など皇室の婚姻儀礼は行わぬ見通しだ
▲結婚延期の原因となった母親の金銭トラブルについては小室さんが釈明の文書を出したが、「多くの人の納得」は得られなかったと判断されたのか。コロナ禍を理由に結婚式も見送られ、眞子さまには婚姻儀礼なしの皇籍離脱となる
▲皇族という生まれながらの宿命と、一個の人として当然の自由とのジレンマは、誰しも理解・共感できる今の日本の社会だ。若いお二人にはどうか声高とはいえぬ祝福やエールにも耳をすましてほしい。




「存在することに意義がある」

2022年01月24日 07時17分21秒 | 沼田利根の言いたい放題

人生の師と仰いだ病理学者・吉田富三先生の言葉を思い起こす。

業績を含め偉い人であったが、「富三さん」と皆さんに親しまれた存在であった。

いわゆる教養人であり、文学にも精通していた。

「現代の森鷗外」と畏敬される存在であった。

佐々木隆興先生の高潔な人格、高邁な学究精神は、正しく評価されるべきだ。

佐々木先生がすすめられた読書は、古来の大学者の演説、全集等を熟読翫味することで、そこにその時代を超越した学問洞察の深さ、鋭さを学び得るといふのであった。
吉田富三先生も同じ読書法であったと思われる。

佐々木隆興先生を偲ぶ(昭和42年)
吉田富三
財団法人癌研究会癌研究所長
財団法人佐々木研究所長

吉田富三先生は、我が国で最初に「医療基本法」の必要性を説いた人でもあった。
だが、このことは誰にも知られていないであろう。

医療基本法とは、医療に関する国の制度・政策に関する理念、基本方針を示し、それに沿った措置を講ずべきことを定める法律である。 医療基本法は、医療のあり方、医療提供の理念、医療提供体制の構築と整備の方針を規定し、国および地方公共団体の制度・政策を規定する

存在とは?

あること。あるいは、いること。
また、そのある何か。
「歴史に存在する人物」「神の存在」のように用いる。
 他の何かに依存することなく、それ自体としてあるもの。 
ものの本質。 
まず現実としてあるもの。
実存。 
《現象》として人の意識に映じているものや人が経験している内容。

吉田 富三(よしだ とみぞう、1903年(明治36年)2月10日 - 1973年(昭和48年)4月27日)は、日本の病理学者。東京大学医学部教授などを歴任。日本学士院会員。文化勲章・勲一等旭日大綬章受章。福島県石川郡浅川村(現・浅川町)生まれ。
死没:1973年4月27日(70歳没)

ラットの腹水癌である吉田肉腫と腹水肝癌の発見で実験腫瘍学に新たな扉を開いた。
財団法人癌研究会癌研究所長、日本学術会議会員・副会長(第6期)、国語審議会委員(第1-6期)などを務めた。テレビディレクターの吉田直哉は長男である。

年譜
1915年(大正4年)- 浅川小学校卒業後、上京。
1920年(大正9年)- 錦城中学校卒業。
東北訛りから東京府立一中の口頭試問に不合格となり錦城中に入学した。この経験がのちの国語審議会委員就任につながることとなった。
1923年(大正12年)- 第一高等学校 (旧制)卒業。
1927年(昭和2年)- 東京帝国大学医学部卒業、病理学教室勤務(主任教授、長與又郎)。
1929年(昭和4年)- 佐々木研究所入所、佐々木隆興の指導の下、オルト・アミドアゾトルオオール経口投与によるラット発癌実験開始、肝臓癌生成に成功。
1934年(昭和9年)- Virchows Archiv 283巻1号 に、佐々木隆興と連名で肝臓癌生成結果を発表。
1935年(昭和10年)- ベルリン大学レスレ教授の教室に留学(1937年11月まで)。
1936年(昭和11年)- 論文「上皮化生の問題に対する実験的補遺(独文)」で東京大学より医学博士号[1]を授与された。
1938年(昭和13年)- 長崎医科大学教授に就任。
1943年(昭和18年)- 長崎系腹水肉腫を発見(1948年に吉田肉腫と改名される)。
1944年(昭和19年)- 東北帝国大学教授に就任。Proc Imp Acad 20巻8号 にシロネズミの悪性腫瘍(「吉田肉腫」)を発表。
1951年(昭和26年)- ラット腹水肝癌を発見。
1952年(昭和27年)- 東京大学教授に就任。
1953年(昭和28年)- 佐々木研究所所長。
所長時代に門下生だった佐藤春郎・佐藤博・井坂英彦・小田嶋成和などの癌研究者グループは「吉田学校」と呼ばれるようになった。
1958年(昭和33年)- 東京大学医学部長に就任。
1961年(昭和36年)- 国語審議会委員。
1963年(昭和38年)- 癌研究会癌研究所所長に就任。
1965年(昭和40年)- 故郷である福島県浅川町より名誉町民の称号を授与される。
1966年(昭和41年)- 国際癌学会会長(東京)に就任。
1973年(昭和48年)- 逝去。

 



現代に求められる教養を問う―新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄、吉田富三に学ぶ 

 鴨下 重彦 (編集)

内容(「BOOK」データベースより)
教養の種を蒔いた新渡戸稲造、それを戦後に花咲かせた南原繁と矢内原忠雄、また吉田富三の精神に学び、現代に求められる教養を問う。

著者について
鴨下 重彦
1934年、室蘭市生まれ。東京大学医学部卒。
ロスアンジェルス小児病院、アインシュタイン医科大学留学。
 自治医科大学小児科教授、東京大学医学部小児科教授、医学部長を経て1994年4月国立国際医療センター院長、同総長、2000年名誉総長。
2006年6月まで賛育会病院長。専門は小児科学、小児神経学。2011年11月逝去。

 

 


鈴木さんの1月の絵手紙

2022年01月24日 06時09分21秒 | 日記・断片

11月24日、午前5時(取手市内・気温3度)、久しぶりに鈴木さんと西田さんとの早朝散歩に合流した。
昨夜の雨で、道路に水溜りが所々あり、それを避けて歩く。
微かに朧月が見えた。
1月の絵手紙を鈴木さんからいただく。


「毎月、句に苦労しますね。絵に時間もかかるようになったし・・・」
「継続は力ですね」
「そう、長く絵手紙続いている。明日はゴルフで散歩は行きません。車の運転を自分でして行くので、気を付けなけば、明日は新利根川方面へ」
「雪でなくてよかったですね」
雪の予想が、雨になったので、バイクに乗る家人も安堵していた。
1月6日、以来雪が降らず、寒い日々であるが交通の面では幸いである。
西田さんの一眼レフカメラの富士山の夕陽の写真を見せてもらう。
スマホのカメラとは一段と違った映像である。
先日、利根川の堤防では、6人の男女の写真同好会の人と出会う。
一人は近所の人だった。
皆さん、なかなかの腕前のセミプロである。

取手駅の東西の連絡通路の展示会場で写真同好会の写真展が時々、行わている。

ちなみに、イチゴと言えば、家人の友人のちゃ子さんから、イチゴとサラダをいただき食べた。
栄養士であり小学校給食に携わっているので、料理はお手の物。