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倉茂記念杯とは
東日本競輪発祥68周年!競輪の生みの親
「倉茂氏」をたたえた記念開催!
東日本競輪発祥の地である大宮競輪では、「競輪の生みの親」である倉茂氏の功績を末永くたたえ、今後の競輪界の発展を図るため、平成14年1月の53周年記念競輪から「倉茂記念杯」と銘打って開催しています!
倉茂貞助氏の略歴
昭和2年 | 陸軍士官学校卒業 |
---|---|
昭和12年10月 | 退役(陸軍騎兵大尉) |
昭和23年11月 | 自転車振興会連合会常務理事 |
昭和32年10月 | 日本自転車振興会参与 |
昭和35年6月 | 東京オリンピック組織委員会幹事 |
昭和37年8月 | 日本自転車振興会理事 |
昭和44年10月 | 日本自転車振興会参与 |
昭和58年11月 | 通商産業大臣表彰 受賞 |
平成3年7月 | 日本自転車振興会相談役 |
平成10年 | 逝去。 |
倉茂貞助氏の功績
昭和22年9月、倉茂貞助氏は、海老澤清文氏とともに設立した「国際スポーツ株式会社」において"報償制度併用による自転車競走"という企画を立てた。この企画を実現するためには法制化が必要であることがわかり、昭和22年10月に「自転車競技法期成連盟」を結成した。
その中で、制場に倣った"車券付き自転車競技"への方向転換がなされるとともに、倉茂氏は「自転車競技法」の原案を作成し、GHQをはじめ国会に積極的に働きかけ、自転車競技法成立の大きな原動力となった。同法が昭和23年7月に成立すると、関連諸規則の成案、実施機関の設立などの法律施行に努めた。
その後、倉茂氏は「自転車振興会連合会(現:(公財)JKA)」の設立に力を注ぎ、自ら常務理事として、小倉、住之江、大宮に始まる全国各地での競輪場の開設、選手の養成や運営体制の整備に尽力した。昭和32年10月に日本自転車振興会の参与に就任してからは、競輪に従事する競技会職員や選手に対する講演活動を行うとともに、一般の人々にもPR活動を行った。
昭和58年11月、競輪界への多年にわたる功績を高く評価され、業界初の通商産業大臣賞を受賞した。
また、倉茂氏は"賭けの研究家"としても知られ、百科事典への賭け事関連の執筆のほか、主な著書として「世界の賭け事(東洋経済新報社/1957年)」、「賭:サイコロからトトカルチョまで(荒地出版社/1959年)」、「わが国の賭けごと史(日本自転車振興会/1974年)」、「競輪誕生の思い出<自転車競技法成立までの秘録>(週間レース社/1979年)」などがある。
GⅢ 大宮競輪開設記念 東日本発祥倉茂記念杯
12レース決勝戦
並び 3-9 2-6 4(単騎)8-5-1-7
レース評
平原は毎日キレ抜群。3番手回りでも迷わず◎で、大宮記念3連覇&通算9度目の優勝を飾る。逆転あれば山田か深谷だろう。
結果
1-4 2,370円(8番人気)
1-4-7 5,300円(14番人気)
予 想 |
着 順 |
車 番 |
選手名 | 着差 | 上り | 決ま り手 |
S / B |
勝敗因 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
◎ | 1 | 1 | 平原 康多 | 15.1 | 差 | |||
2 | 4 | 成田 和也 | 1車身1/2 | 14.9 | 差 | |||
注 | 3 | 7 | 武藤 龍生 | 3/4車輪 | 15.1 | S | ||
○ | 4 | 5 | 宿口 陽一 | 3/4車身 | 15.4 | B | ||
5 | 6 | 原口 昌平 | 3車身 | 14.9 | ||||
× | 6 | 2 | 山田 庸平 | 2車身 | 15.2 | |||
▲ | 7 | 9 | 和田 真久留 | 4車身 | 15.0 | |||
△ | 8 | 3 | 深谷 知広 | 1車輪 | 15.1 | |||
9 | 8 | 黒沢 征治 | 大差 | 17.6 |
戦い終わって
前受けの黒沢征治が深谷知広の上昇を打鐘から突っ張りそのままフルスロットル。続く宿口陽一が2コーナーから躊躇せず番手捲りを放ち、最後は『総大将』の平原康多がズバッと抜け出し大宮記念9度目の優勝を飾った。
「前だったら誰も出させないと言っていたけど、あそこまでとは…。ジャンから全開とは自分も思っていなかったのでパニくりました。前の2人があれだけ行ってくれたし、僕と龍生はそこまでの頑張りを無駄にしちゃいけないなと。何回も転びそうになった二次予選もそうですけど、前回の落車から絶好調とは言えない状態で入ってきたので、こうやって完全優勝で終われるなんて今でも信じられない。次は10回目? それは全然気にしていません(笑)。(今回は有観客の開催で)地元のファンの人の応援のおかげで4人も勝ち上がれたし、決勝でああいう走りができたと思う。このあとまた静岡記念があるので全然ゆっくりできないんですけど、静岡のあとは取手の全日本選抜も控えているので、しっかり調子を整えて挑みたい。落車の影響はやっぱりまだありますけど、それで気合が入った部分もあるので、プラスマイナスで言えばプラスの方が大きかったかのかな」。
地元勢を追った成田和也がゴール前鋭く伸びて2着。「深谷君が前からというのもあると思ったけど、平原君が取ったので、まずはその後ろから。黒沢君はすごくカカっていましたね。そのあと宿口君もすぐに出たしキツかったです。自分は後ろを見る余裕もなくて、どうなっているか分かりませんでしたが、最後はしっかり外を踏みたいなと思っていた。踏んだらちょうど平原君も出た感じでしたね。武藤君はたぶん内を締めて(外に)はずせないだろうし、そういうのも考えて外を踏みました。今回は久しぶりにいい記念になりましたね。まさか大宮でこんなに走れるとは思いませんでした」。
平原マークの武藤龍生は援護に徹して3着。「黒沢さんの気迫がすごかった。陽一さんも初日の失敗をしないように番手から出て、平原さんも余裕たっぷりで回って、自分はしっかり内締めてって感じでした。やっぱり真後ろにいた成田さんは気になりましたね。自分が空けて入ってこられたら平原さんのタイミングがズレてしまうので、それだけはしないようにと思って締めていました。前があれだけ頑張ってくれたし2着まで入りたかったですね。今回はラインの強さを感じながら毎日走れたし、すごい充実した開催でした」。