蓮の暗号: 〈法華〉から眺める日本文化

2022年07月06日 11時25分07秒 | 社会・文化・政治・経済

 東晋平 (著)

「侘び・寂び」でも「アニミズム」でも「武士道」でもない日本。

その流れは、あからさまな水音を立てない。
むしろ地中深くを潤し、あらゆる草木の根から茎へと巡って森を育んできた。
ありありと描かれているのに、私たちがそうとは気づかないもの。気づかせないもの。
それについて、あえて想像力を豊かに解読の妄想に耽ってみたい。(帯文より)

物語は、今から30余年前、著者がメトロポリタン美術館で運命的に出あった一双の屏風から始まります。江戸時代の絵師・尾形光琳によって描かれた《八橋図屏風》。それは、著者がはじめて自国「日本」の姿を実感した瞬間でした。

21世紀に入って世界の軸が徐々にアジアへと移り、日本にもインバウンドの波が訪れはじめます。一方で、日本文化が「侘び・寂び」「アニミズム」「武士道」といった紋切り型の言葉で語られるほどに、著者の中では違和感がくすぶっていました。あのメトロポリタン美術館で見た屏風に脈打っていた生命は、それらでは言い表すことのできない何かだったからです。

日本文化の土台には、まだ見落とされているものがあるのではないか。脈々と深部に流れ、豊かに咲き誇っているのに、ありありと描かれているのに、気づかれないでいた「暗号」のようなもの。著者が見出したのは、1500年もの長きにわたり日本文化に強い影響を与え続けてきた「法華」でした。法華経の影響は、文学、演劇、音楽、舞踊、茶、美術工芸といったあらゆる領域に表れているにもかかわらず、これまでほとんど語られることがありませんでした。

例えば茶の湯は、従来、禅との関係性が強調されてきました。しかし、著者は千利休が法華経と日蓮を信奉する法華衆のネットワークの中にいたことを本書で明らかにしていきます。動乱の桃山時代に絢爛たる芸術を開花させた茶人・絵師・職人たちの多くが法華衆だったことは、偶然なのかあるいは必然だったのか。

暗号を解く旅は、本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、葛飾北斎ら、近世の日本美術史を彩る巨匠へと向かいます。さらに、仏教発祥の地インド、シルクロードの敦煌莫高窟をめぐりながら、著者の眼差しは日本だけでなくアジアの記憶の深部へと注がれていきます。

現代美術家・宮島達男の著作の編集にも携わってきた著者は、日本を貫いてきた法華思想が今もなお普遍的なメッセージとして世界を魅了する理由を語ります。

他者へと開かれ、生と死の深淵へ人々の洞察をいざない、対立を転換していく「美」。

本書は、日本の底流に脈々と受け継がれてきた「法華」の水脈を辿り直し、今日と未来への可能性を展望するスリリングな日本文化論です。

著者について

東晋平(ひがし・しんぺい)
文筆家・編集者。1963年神戸生まれ。現代美術家・宮島達男の著書『芸術論』(アートダイバー)、編著書『アーティストになれる人、なれない人』(マガジンハウス)などを編集。
 
 
 
note連載中から気になっていてAmazonでの予約が始まってすぐポチッと。
まず装丁の美しさにやられた。俵屋宗達の風神雷神図屏風の、あえて中央の空白部分が使われている。この深い意味も本文読んでいくと「あ、そういうことか」と分かる。
そして連載時よりかなり加筆されてる上に細かい註釈が付いているのが助かる。

物語は1989年のメトロポリタン美術館から始まり、京都へ熱海へ、五島美術館へ国立劇場へ、インドへ敦煌へと著者は各地を巡る。
日本文化といえば「侘び・寂び」「アニミズム」「武士道」とか語られがちだけど、そんな枠では語れないものがほらいっぱいあるでしょ?と著者は丁寧に検証して、「法華」という日本文化の底流にある思想を浮かび上がらせてくる。
政治も文学も演劇も舞踊も音楽も美術工藝も、日本史の代表的なものを貫くのの多くに、たしかにあれもこれも法華が出てくる。
平安から近世のはじめまで、法華経ってハイクラスの共通教養だったんだってわかると、なんでこんなにあれもこれも法華なのかが腑に落ちた。

個人的には本阿弥光悦の母・妙秀の男前な生き方とか、尾形光琳(たしか6回くらい結婚してるはず)の若いパトロンとのガチなBL、あと千利休と法華衆の想像以上の濃密な関わりがツボでした。
法華経とか日蓮の法門の話は所々ちょっと難しかったけど、ふんだんに引用されてるタゴールの詩を借りてイメージが少し掴めた
読み終わって、なんか日本ってむしろこれから世界に寄与できることいっぱいあるんじゃない?という希望が湧きました。
あとこれ、絶対に最高の「宮島達男論」ですよね、たぶん。間違いなく。
これは日本と世界の未来のために書かれた本なんだろうなって伝わってき気がしています。
 
 

著者をTwitterでフォローしているので、本著のベースとなったnote連載も読んではいたものの、連載当初から、コンテンツ的に縦読みの方が適していると感じていたので、思ったより早く書籍化されて嬉しい。

ニューヨークのメトロポリタン美術館で物語は始まり、インドでは現地人と間違えられ、敦煌の砂漠でエンストし凍死しかけ、等々、自らの五感をフルに使いながら、法華芸術に通じる暗号を少しづつ解読していく様子はまさに「法華経版ダ・ヴィンチ・コード」。
特に「風神雷神図」に隠された暗号は非常にスリリングだった。

著者自ら「非アカデミズム」のエクスキューズは繰り返しつけているものの、単なる素人の想像で終わらせることのできない何かがある。

あとがきでシスティーナ礼拝堂が引用されているが、まさに私自身新婚旅行で「最後の審判」を見た際に、宗教芸術の持つエネルギーの前に立ち尽くした経験がある。
あれは日本文化に、あるいは仏教に置き換えると何になるのか、答えがずっと見つからずにいたが、その答えはあるようでない、ないようである、ことが本著を読んで朧げながら分かってきた。

『誰もが「美しい」と感じられる明快で普遍的なもの。瞑想の非日常や来世ではなく、今そこにある“いのち“の輝きに目を凝らし、人間の暮らしと社会の営みを生き生きと彩っていくもの』(本著より)

著者は建築オタクでもあるらしいので、今後はその角度で読み解く暗号にも期待したい。

 
 
 
『蓮の暗号』届きました。
ぐんぐん読んでます。
東晋平の法華経と日本文化。ぐいぐいきます。面白い、とてもいい。
 さあ読了へ!
 
 
 

もともと現代美術家の宮島達男が好きなので、それだけでこの本を購入しましたが、宮島達男のアートの根底に流れる法華経思想が、日本美術史の系譜の連なっているものであるという発見に感銘を受け、感動もしました。
法華経思想は近世の日本美術のメインストリームである事。古事記や万葉集、源氏物語から能や歌舞伎の「道成寺」などから、狩野派、長谷川等伯、本阿弥光悦、尾形光琳・乾山。
さらには歌川国芳、葛飾北斎らのオールスター絵師まで、これらすべて法華経の信仰から生まれた。この本では丁寧に詳細にその事を解き明かしてくれます。
とはいえ、学術的な専門書にありがちな読みづらさは一切無く、文章は平易で、まるで推理小説を読むかのようなスリリングな構成になっています。
最後の章の宮島達男まで読み進めると、法華経という豊かな水脈は日本美術の土壌を現代まで潤し、宮島達男のアートに繋がっている結末。
まるで推理小説の伏線回収のように一つ一つのパーツがつながり宮島達男のアートに集大成されるかのようです。これから22世紀、23世紀になっても、この豊かな水脈があり続ける限り、日本美術はさらに発展していくように思います。
そういう意味ではこの本に書かれた事はまだ通過点です。僕はこれからも何度もこの本を読むでしょうし、人にも薦めていきたいと思います。芸術や文化は「平和の武器」であり、高等宗教である法華経の芸術が花開く平和な未来を願って止みません。
 
 
 
全12章、342ページにわたって、千利休、本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、葛飾北斎といった、日本近世美術を中心に、伝説的、文化的、美術的な巨人たちの足跡をたどりつつ、その裏に息衝く法華思想を読み解いていくという内容。

日本とは何なのか、という問いに「詫び・錆び」「アニミズム」「武士道」「禅」などという、巷間よく用いられるキーワードとは、異なるアプローチで立ち向かっていく。
丁寧な調査をベースにしながらも、ある部分では誤解を恐れず、想像力の飛躍も辞さない、大胆な熱い想いが綴られており、引き込まれる。北斎の後としては、現代の宮島達男について触れられているのも興味深い。

美術が専門という読者には、歴史を線でたどりながら、様々な人物の生き様の線が交わる交点について、想像力の飛躍を恐れない、独自の知見を得られるだろうし、日本近世美術の代表的な作品について、図像的な知識はある、というくらいの美術ファン(私もその程度)にとっては、そこからさらに一歩奥に分け入る切り口を見付けられる一冊と言えるだろう。
骨太の読書体験となること請け合いなので、美術ファンにはぜひ一読をお勧めする。

「蓮の暗号」というのは、日蓮の“蓮”の暗号、つまり日蓮宗の教えが、近世~現代の日本美術にすり込まれているのでは、というのが、この本の基本的なメッセージである。
日蓮宗の教えというのはつまり法華経で、これは、だれでも平等に成仏できる、という教えに基づくという。この法華の思想や法華衆が、近世美術の巨人達とどのように交わっていたのか、という点を軸に論が展開されている。

美術を知らない人が楽に読みこなせる本とはいえないが、論文や研究書とも違い、決して間口は狭くない。複数の歴史的事実を美術作品に結びつけて、大胆に推論していく流れは、事件の起こらないミステリー小説を読んでいるようでもあり、著者が発見したいくつかの事実が、しっかりと交差して結びつく流れには、ある種のエンタメ性があると思う
。ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』みたいだな、と思っていたら、その本についての言及もあって、驚いた。

執筆の契機は東日本大震災や2020年に端を発するcovid-19のパンデミックだと述べられている。
やむにやまれぬきっかけから書き始められたもの、という点で、現代社会に対するモヤモヤした居心地の悪さのようなものも感じられて、そこには共感を覚えた。感情の振れ幅がある文体で、結構、楽しくワクワクしながらスリリングに読める本です。

インドの詩人でベンガル語を操りノーベル文学賞を受賞したタゴールと、岡倉天心の交流の話、敦煌莫高窟壁画と宗達の描いた「風神雷神図屏風」の図像的な共通点の話、日本だけでなくインドも含めたシルクロード終着地点の話、「神奈川沖浪裏」に潜む瞬間と永遠、生物学者福岡伸一氏の動的平衡の美術的な解釈、ブロードウェイミュージカル「Cats」と仏教の関連などなど、各章のさわりをちょっとすくい取っただけでも、様々に興味深い視点が述べられている。
いろいろな文化の話が、独自の角度で混じり合ってくるところに、知的好奇心をくすぐられる。新しい、視点。

後半には現代美術家の宮島達男のへの言及があり、宮島は法華思想に基づいた作品に「今ある現実の徹底的な肯定」をみとり、それこそが現代美術と通底する部分だと語る。
そこからの論の展開は明快で、腑に落ちる。宮島達男の「強い芸術」「弱い芸術」についての引用がエピローグにある。
コンテクストを共有しなくても通じるものこそ「強い芸術」たりえる、という話だが、これは多様性みたいものを隠れ蓑にした、コンテクスト重視の現代美術に向けての痛烈な批判とも言える。
コンテクストが失われた(つつある)美術について述べた書籍のエピローグにこの話がくるというのは示唆的だ。ここは、自分なりに汎用的に展開させて考えてみたいと感じた。

長くなったので、この辺にするが、出版元のアートダイバーは、例えニッチでも、誰かが残して伝えていくべき情報を丁寧にすくい取って書籍化し、本当に価値のある情報を提供してくれていて素晴らしいと思う。また、矢萩多聞のデザインも素晴らしい。
カバーを開くと風神雷神図屏風の全図が見えるとか、章扉のグラフィックは抽象的だが、よく見るとその章の内容に関連する形になっているとか、イカす!と感じた。

日本仏教のあゆみ―信と行②法華思想の開花

2022年07月06日 11時25分07秒 | 新聞を読もう

 東洋大学学長 竹 村 牧 男
  ききて  草 柳  隆 三
 
草柳:  「こころの時代」です。今日取り上げる『法華経』は、多くの仏典の中で、特に多くの人から注目をされてきた経典というふうに言われています。何故そうなのか。今日取り上げる法華思想、『法華経』というのは、どういう教えなのかということについて、これから見ていくことに致します。お話は、仏教学がご専門の竹村牧男さんです。
竹村:  どうぞよろしくお願い致します。
 
草柳: 今日取り上げる『法華経』の教え、法華思想というのは随分早い時期に日本に伝わってきているんですね。
 
竹村:  そうですね。前回取り上げた聖徳太子が、『法華経』を講義したり、あるいは『法華経』の注釈書―『法華義疏(ほつけぎしよ)』を著したりしたと言われていますね。のみならず、平安時代には最澄(767-822)さんが、天台宗―この天台宗というのは、『法華経』に基づく仏教です。

これを重視されたと。そして鎌倉時代には、日蓮(1222-1282)さんがそれを実践的な仏教として展開された。その流れは近代の日本においても、いわゆる新仏教―新宗教の中の仏教教団の中に滔々と流れているんですね。天台、日蓮だけではなくて、例えば曹洞宗の宗祖であります道元(1200-1253)さんとか、禅宗の方々なども『法華経』を非常に重視されている。非常に日本仏教の中で中心的な役割を果たしていると言っても過言ではないと思います。よく中国とか韓国は、「華厳経の仏教だ」と。

それに対して日本は、「法華経の仏教だ」と言われますけれども、それは一つ特質を突いている言葉ではないかと思いますね。文化、芸術にも、例えば「扇面(せんめん)法華経」とか、古写経にたくさん優美な金銀装飾の法華経とか、たくさんの文化への影響がありますね。
 
草柳:  たくさんある仏教経典の中では、この『法華経』というのは、かなり物語に富んでいるというか、物語性のある何かドラマを見ているようなそんな展開になっているところもあるんだそうですね。
 
竹村:  そうですね。大乗経典の多くは、文学作品のような面がありますけれども、取り分け『法華経』は、短くもなく長くもなく、そして非常に巧みな比喩物語がいくつも盛り込まれていて、非常に興味深い面白い経典と言いますかね、親しみ易い経典になっていると言えると思います。
 
草柳:  その『法華経』の教えの中心になっているもの、核になっているものというのは、一体何なんでしょうか。
 
竹村:  よく『法華経』の教えの中心は、三つのテーマがあると言われますね。一つは、「一乗(いちじよう)思想」。もう一つは、「久遠実成(じつじよう)の釈迦牟尼仏(しやかむにぶつ)」。もう一つは、「菩薩の使命」ということなんんですが、「一乗思想」というのは、「一乗」という言葉は、「三乗」に対する言葉であります。「三乗」というのは、「声聞乗、縁覚乗、菩薩乗」という三つの乗り物。
「乗り物」というのは、「教義」を意味するんですけれども、いわゆる小乗仏教の声聞の教え、縁覚の教え、菩薩の教え。これは人間の側に、いわば宗教的資質と言いますかね、宗教的な能力において、いろいろ差があるから区別して教えがあるんだと。声聞や縁覚のものは、どんなに修行しても仏になれないんだ、という立場なんですね。これは「三乗思想」と言います。それに対して、「一乗思想」というのは、今声聞や縁覚で修行している人も、やがては菩薩乗―大乗の道に入って行って、そして仏になるんだと。「仏」というのは、「自利利他円満」と言いますかね、自らも大切にし、人々をも大切にしていく。その働きを自在になせる、そういう存在になる、というような意味合いで捉えればいいと思います。「誰もが仏になる得る」というのが「一乗思想」であると。これが『法華経』の一つの大きなテーマであると言われています。

『法華経』は、二十八品(ぽん)―チャプターが二十八あるわけですね。前半十四品を「迹門(しやくもん)」。
「本地垂迹説(ほんじすいじやくせつ)」という言葉がありますね。「迹を垂れる」と、その「迹」の方ですね。後半の十四品が「本門(ほんもん)」と言います。その「本門」において「久遠実成の釈迦牟尼仏」が登場してくるんですね。ある意味ではドラマチックなわけです。
 
草柳:  「久遠実成の釈迦牟尼仏」ということで言えば、そうすると二千五百年前に、菩提樹の下で悟りを開いたという実在の釈尊は、どういうふうに考えたらいいわけですか。
 
竹村:  これは大乗仏教の術語(テクニカルターム)になりますが、本来の仏を「法身(ほつしん)」とか、「報身(ほうしん)」とか言うんですね。それに対して姿・形を持って現れた仏様を「化身(けしん)」。「化身」という言葉はよくお聞きになると思いますね。姿・形を持って現れた仏様と。この本体の仏様が、この人々を導くために敢えて姿・形をとって現れた仏様だと、こういう位置づけになります。化身仏であると。
 
草柳:  本来の久遠実成の仏さまは、遍く世界中に、遙か彼方から、昔からズッと生き続けてきているんだ、ということなんですか。
 
竹村:  まあそういうふうになっていますね。それから「菩薩の使命」というのは、そういう『法華経』が証しているメッセージを人々に伝えなさいと。それがみなさんの使命ですよと、そういう呼び掛けですね。

末法の世―悪世になればなるほど、このことは非常に重要な意味を持ってくるんですよ、ということで、人々に『法華経』のこのメッセージをみんなに伝えるように、と。そこにあなた方の生きるいのちが、使命があるじゃないですかと、そういうことを説くのが「菩薩の使命」ということですね。大体この三つが、『法華経』の主たるテーマであると言われますね。
 
草柳:  こういう今、三つの基本的な『法華経』の性格をお話くださったわけなんですが、それをさらに支えている考え方というのは、何なんですか?
 
竹村:  それは、何故釈尊が、姿・形をとって現れたのかと。その背景にあるのは、人々を救済したいという願いですよね。それを別の言葉で言えば、「慈悲の心」仏さまのどんな衆生にも差別なく働き掛ける慈悲の心を「大悲」(マハーカルナー:「マハー」(Mah?)は「大」、「カルナー」(Karu??)は「憐れみ」(悲)の意で、合わせて「大悲」を意味する)と言いますがね、「偉大なる慈悲」ですね。その大悲―仏さまの根本は大悲なんだと、そのことを伝えていると思いますね。
 
草柳:  そしてこうした教えをできるだけ分かり易く伝えようということなんでしょうか、ちょっとお話がありました『法華経』には、譬え話がけっこう出てまいりますね。
 
竹村:  そうです。いくつも非常に巧みな譬え話がありまして、多分最も有名なのが、「三車一車の譬え」―「三車火宅の喩え」などとも言われるかも知れませんが、長者さんがいましてね、大変な富豪なんでしょうね。

その家が火事になるんですね。その家はもう古びた家だというふうに描写されていますが、その火事になりまして、しかしその家の中に子どもたちがたくさん居て遊んでいるわけですね。遊びに夢中になっていて、火事に気付かないわけです。お父さんは心配して何とか救い出したいということで、門の外に羊車(ようしや)、鹿車(ろくしや)、牛車(ごしや)―羊の引く車、鹿の引く車、牛の引く車、そういう車があるからそれで遊んだらどうかと言って呼び掛けますと、一目散に出て来るわけですね。

ところが実は無いんですね、この車が出てきたところ。子どもたちが、お父さんに、「さっき言ったその車をください」と言うと、別々にではなくて、みんなに等しく一大白牛車(びやくごしや)―大きな堂々たる牛が引く素晴らしい飾りを持った車が、みんなに等しく与えられたと、こういう譬え話があるんですね。これは実は、声聞の教えや縁覚の教えや菩薩の教えで導いて、最終的には大乗最高の教えに導くんだと。そしてみんなを仏にさせるんだという、そのことがテーマになっているわけです。
 
草柳:  それは一気にではなくて、段階を追って教えていくということの譬えなんですか。
 
竹村:  そうですね。やっぱりその人その人の心のあり方とか、性格とかありますから、その人に合った教えでもって導いていくと。それは仏さまが如何に方便を尽くして、相手のことを思って如何に一番いい方法で導くか。それだけ仏さまは、思いが深いんだという、そのことを現しているんですね。
 
草柳:  「方便」というのは、そういうところから出てきている言葉なんですね。
 
竹村:  「方便」という言葉は、仏教の言葉でしてね。「ウパーヤ」という言葉ですが、「近くにいかせる」と言いますかね、なかなか本来の道を行くのが困難な場合に、いわばバイパスを作ってすぐに近くにいかしめると、それが方便の元々の意味ですね。
 
草柳:  今の譬え話の中で、子どもたちが気付かなかったというか、ということは、つまり何かによっても、人々の生活が雁字搦めになっている。なかなかそれが解けないということを意味しているんでしょうか?
 
竹村:  喩え話は、遊びに夢中になっているわけですね。楽しいこと、愉快なこと、それに夢中になっているわけです。実は我々もさまざまな欲望、煩悩にどっぷり浸かっているわけですね。そしてどんな良い言葉も耳に入らないと、そういう状況を現していると思いますね。
 
草柳:  しかも『法華経』の中の仏―久遠実成の釈迦牟尼仏は、いつでもそういう人たちの手助けをしますよ。あなた方が悟りを開くための手助けをいつでもする用意があるんですよ、というメッセージを送っているということなんですか?
 
竹村:  そうですね。「如来寿量品」という後半のチャプターに、久遠実成の釈迦牟尼仏がまた描かれてくるんですけれども、そこでは久遠の昔に悟りを開かれてから、一時も休まずに、私たちに働き掛けている仏であると、そういうふうに出てきますね。
 
草柳:  お話を伺っておりますと、『法華経』の教えというのは―他の経典のことも勿論よく知らないんですけれども―かなり独自性を持った経典というか、教えというか、そういうふうなことが言えるんでしょうか?
 
竹村:  私は、例えば「一乗思想」というと、「どんな人でも仏になれる」という教えだと、よくこう言われるわけですよ。しかしそれだけではないわけですね。今の譬えにも明らかなように、如何に仏さまが心を砕いて人々を仏にならしむべく、いのちを全うさせるべく働き掛けているかと、そのことがテーマだと思うんですね。


草柳:  大乗の教えを一番根本的なところで貫いている考え方、教えだというふうに、
 
竹村:  一番核心となるところを、非常に豊かに描いていると思いますね。
 
草柳:  その『法華経』の思想を考え・教えが、日本の仏教史の中で、どういうふうに展開をしていったのかということを、またこの後見ていきたいと思うんですけれども、最初にちょっとお話が出た平安時代に入ると、最澄が登場しますね。
 
竹村:  最澄さんは、大変真面目な方で、純粋な方でして、中国に渡って留学して、天台の教えを学んで、そして日本に帰って来て、比叡山におりながら、天台宗だけではなくて、禅、戒、密教、当時の重要なあらゆる仏教を修行していけるような場を開いたんですね。
 
最澄は、『法華経』を根本経典とする天台教学を深く身に付けるため、中国・唐に留学を果たします。そして帰国すると、すぐに天台宗を創始し、僧侶の育成に力を尽くしました。比叡山延暦寺は、禅や戒律、密教などの仏教の教義を総合的に学ぶ場として発展し、後世多くの仏教者を輩出していくことになります。
 
 
草柳:  という最澄なんですが、途中今も紹介したんですが、唐に留学しますよね。比較的短い期間だったようですね。
 
竹村:  そうですね。一年程だったでしょうかね。
 
草柳:  でも帰って来て、精力的にその教えを弘めようとするわけですけれども、この最澄という人は、今日のテーマの『法華経』を、どういうふうに理解をしていたと考えられるんでしょうか?
 
竹村: 会津とか、筑波山を開いたのが徳一だと言われていますが、その方と激烈な論争をしていますが、これは一乗と三乗の間の論争なんですね。だから一乗ということも、これは一つの大きなテーマだったと思いますし、それから弘法大師空海さんが帰って来られた時に、盛んに密教を学びますよね。

密教というのは、「即身成仏(そくしんじようぶつ)」、死んでは生まれ、死んでは生まれながら修行していって、最終的に仏になるんだ、というのではなくて、この世のうちに仏になるという、それだけ勝れた教えなんだ、ということを主張するわけなんですけれども、最澄は、その密教を深く尊重しつつも、いや、『法華経』で充分それは可能なんだと。『法華経』が最高の教えであって、密教はそれに同ずる教えなんだと、こういう立場に立たれていましたね。
 
草柳:  その最澄が、『法華経』こそが最高の経なのだというふうに考えたその理由は、どの辺にあったわけですか?
 
竹村:  これは天台の教理の中に、その『法華経』がもっとも深い教えを説いていると、そういう理解がありますので、例えば後にお話しすることになるかと思いますが、「一念三千」とか、そういうことに基づいて深い教えであるという判断があったと思います。それだけではなくて、それだけのお経なので、これによる時はそれこそ即身成仏と言いますかね、短期間にその修行が進むんだと、そういうご理解があったように思いますね。
 

草柳:  「但(た)だ誦持(じゆじ)する」というのは?
 
竹村:  『法華経』を読誦して、それを絶えず身に離さず、一時も離さず読誦すると言いますかね、そんなようなことになるかと思います。
 
草柳:  それだけやれば、
 
竹村:  そのぐらい『法華経』は、素晴らしい功徳を有しているんだ、というメッセージだろうというふうに思います。この言葉を、最澄さんは見出していると言いますかね、それで円教(えんぎよう)を―天台の教理の中では、完全な教えという意味合いの「円教(えんぎよう)」と言いますけれども、この「円教(えんぎよう)」である『法華経』によれば、短期間のうちに修行も成就するんだと。ここに『法華経』の仏教があるんだ、ということを主張されたんだろうと思いますね。
 
草柳:  それはやはり送られてくるメッセージを、こちら側もやっぱりそれなりに信、あるいは行ということの中において、見せていかなければ、当然いけないわけでしょうかね。放っておけば誰でも、
 
竹村:  そういう素晴らしい教えに触れたら、自ずからその道に行こう、というような思いが起きてくるということじゃないでしょうかね。
 
草柳:  最澄が、もう少しその『法華経』をどういうふうに受け止めていたのかということを記したお弟子さんの言葉があるんだそうですね。それをご紹介してみたいと思うんですが、
 
法華の意に約せば、而(しか)も火宅の内に於(お)いて大白牛車(だいびやくごしや)に乗る。家の外に於(お)いて大白牛車に乗らず、初より後に到るまで菩薩戒を受けて而(しか)も菩薩僧となり、自性清浄の三学を修持して、而も迂廻(うえ)の道に留まらず、直(じき)に宝所に往(い)き、仏果(ぶつか)を得ん。
(光定『伝述一心戒文』)
 
これはどういうことを言っているんでしょうか?
 
草柳:  これは光定(こうじよう)という方の伝えているところですけれども、「先師曰わく」という言葉がこの前にありまして、これは最澄さんのお考えと見て差し支えないと思うんですけれども、先ほどちょっとお話させて頂いた、火事になった家に子どもたちが遊んでいて、という譬喩物語ですね。

その煩悩に塗(まみ)れて苦しんでいると、それが世間ですね。世間を入れて、諸世間に入って、そして初めて救われていくというような意味合いの物語であったわけですけれども、ここで最澄さんは、この火宅のうちにいながらも、大白牛車に乗っているんだと。無明の煩悩に纏わり付かれて、苦しい苦しいとのたうち回っている、そのただ中で仏さまのいのちの中に抱かれているんだと。だから外に求める必要はない。今ここで、仏さまに抱かれているということに気付けば、そこに救いがあるじゃないか、と。

なんかそこを今を遁れて、どっかに安らぎの世界があるんじゃないかとか、求めていくんではなくて、今ここで実は救われているじゃないかと、そういうことを言っている言葉だと思いますね。これは喩え話の非常に深い理解・解釈ではないかと思うんですね。
 
草柳:  気付きですか?
 
竹村:  そうですね。それは『法華経』の教えとか、あるいは師匠とかに教えて頂いて、気付いていくことができるわけですね。
 
草柳:  このことを、先ほどの、例えば道元とか良寛(1758-1831)も同じようなことを言っているんだそうですね。
 
竹村:  実は後ほどご紹介したいと思っているんですが、今ここで大白牛車に乗っているぞと。外に求めるな、というですね、それは日本仏教を貫く一つの理解かも知れませんね。
 
草柳:  そうしたその『法華経』を、最澄は、最上のものだというふうに考えていたとして、その教えをどういうふうに弘めていこうと、具体的にはそこで最澄はどういうふうな考えに至ったわけですか。
 
竹村:  こういう大乗の教えを人々に伝える人材と言いますかね、そういう人々を育てていこうと。大乗のその菩薩の道を行く人材を育てて、そのことが日本の社会への寄与になると、そういうふうには考えていたようですね。
 
草柳:  当時の仏教は、かなり国をどういうふうに造っていくか。つまり護国ということとかなり深い関係があったようなんですが、そうすると、最澄も、そのためにはやはり人材を育てていかなければいけないという、その繋がりの中で考えていたんでしょうか。
 
竹村:  護国ということも当然考えたと思いますが、むしろ社会のあり方を菩薩たちを生んでいくなかで変えていこうというふうに理解できるんじゃないかと思うんですね。
 
草柳:  人を育てることが如何に大事かということについて、書かれた文章がありますので、またそれを紹介したいと思うんですが、こういうふうに言っています。
 
国宝とは何物ぞ。宝とは道心(どうしん)なり。道心あるの人を名づけて国宝となす。
(『山家学生式』六条式)
 
つまり人を育てていくことの大切さは、これぞまさにいい人が育っていけば、それが国の宝なんだということですか。
 
竹村:  善い人―何が善い人かということがあるかと思いますが、簡単に言えば、他者のために働ける人でしょうね。よく最近「人材」という言葉がありますね。

「人材」というのは、「材料」の「材」を書きますよね。人間を材料だと見るというのは、僕はあんまりよく好きじゃないですね。手段として人間を見ていると。

「財産」の「財」という字を書いて、「人財(じんざい)」と読むのがいいんじゃないかと、私は思うんですね。まさに人はそれぞれ宝物である。その中でも、学問もできて、行動力もあると。そういう人が一番勝れた宝物なんだ、国宝なんだということを、最澄さんは言われています。と同時に、菩薩としての、大乗仏教徒ですね。菩薩としての理想は、どういうところにあるのかというと、一言で言えば、「忘己利他(もうこりた)」。

「忘」というのは、忘れるという字ですね。これは「ぼう」と読まないで、「もう」と読むらしいんですが、「忘己利他(もうこりた)」己を忘れて他を利益する。他者のために一心に働いて、自分のことは顧みないと。そういう人こそが本当の人材であると。国宝であると言いますかね、そういうことを言われていますよね。
 
草柳:  そういう思想を持った人こそが、いわば最澄の理想的な人間像だというふうになるわけでしょうか。
 
竹村:  はい。そういう人たちを比叡山で十二年間修行しなさいと。その十二年の修行の中で、そういう人材を輩出したいと。それが最澄さんの一番の願いだったと思いますね。
 
草柳:  そのためにもよく言われる「戒」ですね―「大乗戒」、これが大事なんだということも同時に最澄さんは主張されたということ、
 
竹村:  そうですね。戒律は、この前「律宗」のお話をちょっとさせて頂きましたけれども、出家したお坊さんが共同体を作って、そこでどういうふうなルールで修行していくかと。そのために細々としたことが規定されているわけですね。それに対して最澄さんは、我々の仏教は、大乗仏教なんだから、大乗の戒によればいいじゃないかと。大乗の戒として『梵網経(ぼんもうきよう)』という経典がありまして、「十重四十八教戒(じゆうじゆうしじゆうはちきようかい)」と。十の根本的な戒と、それから四十八のそういう規定があるわけですね。少し簡略化されているわけですけど、これでもう僧侶になれるんだということで、そういう大乗の仏教に相応しい実践の仕方というものを追求されたんですね。
 
草柳:  そんなに雁字搦めにはしなかったということですか?
 
竹村:  雁字搦めと言いますかね、大乗の精神を隅々まで行き渡らせたいということだったろうと思います。
 
草柳:  大事なところだけはちゃんと押さえろ、という感じなんでしょうか。
 
竹村:  そういうことだと思いますね。その大事なところというのは、一言で言えば、「忘己利他」これに尽きるということだろうと思いますね。
 
草柳:  この後時代は、平安から鎌倉時代へ移っていって、鎌倉時代に入りますと、日蓮がさらにこの教えを大衆に弘めていくということに取りかかっていくわけですね。
 
 
ナレーター: 比叡山で天台教学を学び、『法華経』こそがもっとも勝れた教えであると確信した日蓮。度重なる弾圧にも屈することなく、末法の今の世には、我こそが真の救済者であると宣言しています。
 
我れ日本の柱とならん、我れ日本の眼目(がんもく)とならん、我れ日本の大船(たいせん)とならん
 
いわゆる三大誓願です。日蓮は、『法華経』に帰依することを求め、鎌倉幕府を再三にわたって諫(いさ)めたものの受け入れられず、晩年は甲斐の身延(みのぶ)に庵を結び、門弟と共に九年を過ごしました。そして最後は武蔵野国池上で『法華経』を読みながら入滅したと伝えられています。現世に『法華経』に基づく真の仏国土を建設しようとしたその志は、多くの信者を生み出し、現代に受け継がれています。
 
 
草柳:  日蓮という人は、生きたその時代を、先ずは末法の世というふうに見ていたようですね。
 
竹村:  そうですね。日本では、一○五二年ですかね、末法に入ると言われていましたし、そういう年代的なことだけではなくて、元寇(げんこう)―元の軍が攻めてくるとか、あるいは天変地異、飢饉等々、いろいろな社会不安がありましたので、さらに末法の時代そのものと体感していたようなところがあったんじゃないかと思いますね。
 
草柳:  そうすると、その後の日蓮の活動というのは、今言った時代的背景等まったく無縁のものではなかったというふうに思いますね。
 
竹村:  勿論そうだと思いますね。
 
草柳:  そういう中で、日蓮が実際に起こした行動というのは、どういうことだったんでしょうか。
 
竹村:  やはり日本の世の中を安定したものと言いますか、よりよいあり方にするために、正法である『法華経』によるべきだと。こういうことは盛んに主張されたわけですね。『立正安国論(りつしようあんこくろん)』には、そのことを盛んに説いているわけですね。それから今三大誓願とか出ている『開目抄(かいもくしよう)』というような書物もあります。

しかし仏教の教理と言いますかね、仏教思想という点で、一番中心になるのはというと、『観心本尊抄(かんじんほんぞうんしよう)』という書物がありまして、「観心(かんじん)」というのは、心を観るということですね。あるいは心の本尊、心の中の本尊を観ると理解していいのかも知れません。その『観心本尊抄』という書物がありまして、これが日蓮さんの主著であるというふうに言われています。
 
草柳:  この『観心本尊抄』の一部をまた少し読んでみたいと思うんですが、
 
観心(かんじん)とは、我が己心(こしん)を観じて十法界を見る。これを観心と云ふなり。譬えば、他人の六根を見るといへども、いまだ自面(じめん)の六根を見ざれば、自具(じぐ)の六根を知らず、明鏡に向かふの時、始めて自具の六根を見るがごとし。たとい諸経の中に、所々(しよしよ)に六道(りくどう)並びに四聖(ししよう)を載(の)すといえども、『法華経』並びに天台大師所述(しよじゆつ)の摩訶止観(まかしかん)等の明鏡を見ざれば、自具の十界(じつかい)・百界千如(ひやつかいせんによ)・一念三千(いちねんさんぜん)を知らざるなり。
 
これはどういうことを言っているんでしょうか。
 
竹村:  「観心」ということは、ある意味で自分の本来の姿を見極めると言いますかね、明らかにすると。それはある意味では悟りを成就するということとも、決して別ではないことだと思います。従来の修行の仕方では、心を統一して三昧に入ってと言いますかね、その中で智慧を磨くと。その中で観法を行ずるというのが、本来のあり方なんですけれども、末法の世の中ですから、なかなかそういう心を統一して修行するというようなことは難しいですね。で、その時に、じゃ、どういう観心の方法があるのかということを証したのがこの書物なんですね。そもそも観心―心を観る。

本来どういう心のあり方なのか。それについて、ここに少し書かれていると思うんですね。鏡を見れば自分の顔がわかるように、ある教理に照らせば、自分の心の本来のあり方が見えてくると。じゃ、その教理とはどういうものかというと、要するに「一念三千」という教理。これは天台の教理の中で最高の教理だと。もっとも深い教理だというふうに言われているものです。「一念」というのは、「一瞬の心」という意味ですね。「三千」というのは、これはなかなか込み入ったことがあるわけですけれども、根本は「十界互具(じつかいごぐ)」。十界が互いに具えあっているということです。「十界」というのは何かと言いますと、「十の世界」ということでありまして、これは「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏」と。「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」は、いわゆる「六道輪廻(ろくどうりんね)」の迷いの世界ですね。それから修行の世界、悟りの世界に入って行って、声聞、縁覚、菩薩、更には仏と。この十の世界が互いに具えあっているというわけです。人間の世界の中に、実は地獄の世界もある。仏の世界もある。仏の世界の中に実は人間の世界もあるし、地獄の世界もあると。逆に地獄の世界の中に仏の世界もあるというように互いに具えあっていると。

十界がそれぞれ十界を具えていますから百界になるんですね。百という数字が出てきます。それに天台では、世界を三世間で見ていくと。「衆生(しゆじよう)世間、国土(こくど)世間、五陰(ごおん)世間」と。「衆生」というのは、生き物、個体ですね。「国土」というのは、置かれている環境。その衆生と環境をそれぞれ作っているものが「五陰(ごおん)」―いわゆる「五蘊(ごうん)」ですね。「色(しき)・受(じゆ)・想(そう)・行(ぎよう)・識(しき)」というこの世界を構成している諸要素ということなんですが、そういう三つに分けて見ていますので、それにこの三百という数字が出てきますね。百界におのおの三世間があると。その三世間の各々に実は「十如是(じゆうによぜ)」という。これは『法華経』の方便品でしたかね、「諸法実相(しよぼうじつそう)」と。これは『法華経』の重要な言葉なんですけれども、本当の真実の姿ですね、諸法の実相。これは仏と仏しか知ることができない。

「唯仏与仏乃能究尽(ゆいぶつよぶつないのうぐうじん)、諸法実相(しよほうじつそう)」ただ仏と仏のみが即ちよく諸法の実相を極め尽くすと。唯仏与仏乃能究尽、諸法実相」。じゃ、その「諸法実相」はどういうものかというと、「如是性(によぜしよう)」とか、「如是相(によぜそう)」とか、十の「如是(によぜ)」で語られているんですね。それを「十如是(じゆうによぜ)」と言います。その三世間の各々に十如是があるから三十ですか、それが百界にあるということで三千と。自心(じしん)の中に地獄から仏までの様々な心が具わっている。我々の今ここの一念の中にあらゆるものが具わっていると。ミクロコスモスの中にマクロコスモスがあると言いますかね、ちょっと華厳的なんですけれども、そういう教理ですね。これが「一念三千」です。それの一番重要な意味は、「自分の中に仏さまがいるんだ」ということですね。諸仏諸尊がいます。諸尊もいますが、諸天もいるかも知れませんが、仏様がいるんだということですよね。逆に仏の中に自分が抱かれているということもあるわけですね。しかも、その仏というのが、仏は過去にもたくさんいますし、未来にもたくさん現れると思われますが、『法華経』はとにかく久遠実成の釈迦牟尼仏を証しているわけです。久遠の仏ですね。それが自分の一瞬の心の中にあると言いますか、あるいは久遠の仏の中に抱かれていると言いますかね、そのことが自己のいのちの本来の姿なんだと。そのことを証しているのが、一念三千の教理の一番重要なところではないかと思うんですね。
 
草柳:  まさに「一念三千」というのは、キーワードの中のキーワードという感じすらするんですけれども、でも「一念三千」というのは、ちょっと分かり難いところがあるんですが、
 
竹村:  その教理があって、その教理に照らせば自分の心がわかると言っても、それはなかなかそれ理解することは難しいですね。ところが日蓮さんは、その「妙法蓮華経」というこの五文字ですね、あるいは題目の中にそれがもう込められているんだと。だからこの題目を誦持すれば、自然(じねん)にその久遠仏の功徳というものが、自己に譲り与えられると。だからこの題目を称えなさいと、こういうことを言われるんですね。
 
草柳:  それがその実践ということなんですね。
 
竹村:  そうですね。その題目を称える中に、一瞬一瞬一念三千の世界が実現していると。その都度その都度実現していると。これが「事(じ)の一念三千」ということかと思います。天台のこれは『摩訶止観(まかしかん)』に出てくる教理ですけれども、そこにはまだ理論的に留まっていたと。それを日々の一瞬一瞬のいのちの中に証していく。実践していくんだと。それが日蓮さんの仏教だということになるんだろうと思います。
 
草柳:  お話の「一念三千」を、例えば具体的に表そうとした曼陀羅(まんだら)があるんだそうですね。
 
竹村:  ええ。日蓮さんの図顕(ずけん)の曼陀羅―図に表したという曼陀羅、有名なものがありますね。一念三千の根本は、結局は「十界互具(じつかいごぐ)」、要するに人間の中に仏も居れば、地獄の生き物もいるということなんですが、要するに自分の心の中に諸仏諸尊が存在しているんだと。

その諸仏諸尊とものいのちなんだということを表しているのが『法華経』ですね。ですから「南無妙法蓮華経」というのが中心にありまして、右側に多宝如来(たほうによらい)、左側に釈迦牟尼仏、その他数々の諸仏諸尊が描かれているわけですね。神さまも、天照大神も居たりしますけれども、言ってみればこれは本尊ということもあるかと思うんですが、その意味は「己心(こしん)本有(ほんぬ)の諸尊」自分の心の中に本来具わっている、本来存在している諸仏諸尊という意味で、この本尊と言われるんですね。
 
草柳:  一念三千を知るということが大前提のようですね。
 
竹村:  知るんですけれども、題目を称えれば、じゃわかるかと。了了(りようりよう)とそれが見えるかというと、なかなかそれは見えないだろうと思います。しかしそれを称えているうちに自然(じねん)にそのことが成就してきますよと。赤ちゃんが何も知らなくても、ミルクを飲めば育つわけですよね。それと同じように、題目を称えていれば、このことは悟りがいつかは実現しますよと。

ただそれよりも題目を称えているただ中に、久遠仏に抱かれている自分のいのちを体験していると言いますかね、あるいは自分の中に久遠仏が生きているというそのことを証すると言いますか、そのことが一歩一歩実現している筈だということじゃないでしょうかね。
 
草柳:  ここまで最澄から、そして日蓮の『法華経』が一体どういうものであったのかということを、お話を伺ってきたわけなんですけれども、例えば日蓮の同時代の他の人たち、あるいはその後の仏教者たちに、やはり『法華経』というのは、脈々と流れていっているわけですね。道元は最初にちょっとお話がありましたけれども、やはり『法華経』を大変重視されたようですね。
 
竹村:  道元さんは、小さい時にやはり比叡山に上ってですね、そして山を下りるんですが、その天台で学んだことなのか、『法華経』が「諸経の王だ」と。このことは生涯信念は変わらなかったように思いますね。あれだけ批判的なと言いますかね、あらゆることに吟味検討していく方が、『法華経』だけは絶対の存在だったようですね。「諸経の王だ」と、それを全面的に肯定されていますね。じゃ、道元さんにとって、『法華経』は何かというと、これはやっぱり禅者でありまして、『法華経』は、先ほど言いました諸法実相ということを説くわけですが、その諸法実相というのは何かと。諸法実相が『法華経』だと、ある意味では言えるわけですけども、じゃ、それは何かと。おそらくそれを詠ったんだと思いますが、
 
峯(みね)の色渓(たに)の響きもみなながら
  我が釈迦牟尼仏の声と姿と
(『傘松道詠』)
 
こういう歌を残されているんですね。「峯(みね)の色渓(たに)の響き」山の色、谷川の響き、音、これが『法華経』だと。こういうことを言われておりまして、日常の一つひとつ見るもの、聞くもの一つひとつが仏様のいのちそのものを表していると言いますかね、そこに『法華経』を見ると。こういうある意味では、ユニークな『法華経』の捉え方をされていますね。
 
草柳:  道元の著書に『正法眼蔵(しようぼうげんぞう)』という書物がございますね。その中にも『法華経』のことについてというか、その教えに書いている部分があるようですので、またそれをちょっと読んでみたいんですが、こういう文句です。
 
この理(ことわり)を信ずること不肯(ふけん)にして退席すとも、ことにしらず、白牛車(びやくごしや)に坐(ざ)しながら、さらに門外(もんげ)にして三車(さんしや)をもとむることを。
 
「白牛車」という言葉が出てまいりましたね。
 
竹村:  先ほども「一大白牛車」なんですね。最澄さんも、今ここで既に一大白牛車に乗っているじゃないかということを言われたんですが、道元さんもまったく同じことを言われているわけですね。本当は白牛車にもう乗っているにも関わらず自分の外に仏を追い求めている。それではいつまで経ってもらちがあきませんよ、ということを言われていると思いますね。
 
草柳:  時代がさらに下って、この後の人たちにとってはどうだったんでしょうか。
 
竹村:  実は同じ曹洞宗なんですけれども、時代を隔てて道元禅師にもほんとに私淑していたと言って差し支えないと思いますが、良寛さんですね。この良寛さんが、『法
華経』に漢詩の讃を付けた、そういう作品集を作っていらっしゃるんですね。

一つのチャプター―本に、いくつと決まっているわけではないんですが、全体として百の讃を付けたという作品があります。それは『法華讃』という作品なんですけれども、その中にもほんとは白牛車に乗っているのに、それに気付かないで、どこへ行こうとしているのかと。何を、どこへ求めに行こうとしているのか、というような讃があったりします。これは最澄、道元さんの見方をそのまま受け継いだ讃のあり方ですね。

『法華経』二十八品の各品に、この漢詩で讃を付けている。だからそれぞれを禅的な立場から非常に深く味わっていらっしゃるんですけれども、じゃ良寛さんは、その中でもどの品(ほん)に一番惹かれていたのか。あるいは尊重されていたのか、というそのことを考えた時に、おそらく「常不軽菩薩品(じようふきようぼさつぼん)」ではないかというふうに思うんですね。

常不軽菩薩というのは、どんな人に会っても、「あなたは将来仏になる方です」と言って、合掌礼拝したというんですね。

わけのわからない者に「仏になる」なんて言われても、気持ちが悪いだけで、「どっかへ行け」とか、時には石を投げ付けるとか、棒で叩くとか、そういうこともあったかも知れません。そういう時も少し難を離れて、大きな声で「あなたは仏になられる方です」と言って合掌礼拝されたと。そういう菩薩がいましてですね、おそらく良寛さんはその菩薩の行いというものに非常に深く惹かれていたんではないかと推測します。
 
草柳:  その『法華讃』を読んでみたいと思うんですが、こういう言葉なんです。
 
朝(あした)に礼拝を行じ、暮れにも礼拝す。
但だ礼拝を行じて、此の身を送る。
南無帰命常不軽(なむきみようじようふきよう)。
天上天下(てんじようてんげ)、唯(た)だ一人(いちにん)。
 
比丘はただ万事はいらず常不軽菩薩の行(ぎよう)ぞ殊勝なりける
 
最後の言葉は歌ですから、讃はその前の方ですね。
 
竹村:  はい。この一つだけではないんですけれども、「常不軽菩薩品」に関しては、あまり教理を捻(ひね)くると言いますか、弄(いじ)くり回すと言いますか、そういうことはまったくないんですね。唯々素直に常不軽菩薩を賛嘆されている。それだけに如何に尊敬されていたかということが伝わってくるような気がするんですよね。良寛さんはよく春の日にスミレを摘んだり、子どもたちと日長(ひなが)一日遊んでいたというふうに言われます。確かに無心に無邪気に子どもと一緒になって遊んでいたというのは間違いないと思うんですが、実は根底において、その子どもたちの将来を心配しながら拝んでいたと。「あなたは仏になって欲しいんだ」と拝んでいたというふうに思いますね。
 
草柳:  良寛は、自分がこうあるべきだという自分の姿に常不軽菩薩の姿をオーバーラップして見ていたというふうなことなのかもわかりませんですね。
 
竹村:  いわば乞食僧(こつじきそう)ですからね、正式にお寺に住していたわけではありませんし、しかし自分は仏教者だ、僧侶だというお気持ちは非常に真摯に持っていらっした方ですから、じゃ、自分は何ができるのかと。礼拝行で、もうこれで充分なんだと、そういう思いがあったんじゃないでしょうか。
 
草柳:  さらにもっと時代が下って、現代に近くなってくるとどうなんでしょうか。
 
竹村:  そうですね。例えば『法華経』に影響を受けた方は、たくさんいろいろといると思いますが、代表的な方としては、宮沢賢治(1896-1933)さんとか、
 
草柳:  宮沢賢治の「雨にも負けず風にも負けず」というふうな、あの詩はまさに『法華経』の世界なんですか。
 
竹村:  そうですね。常不軽菩薩のことでもあると思いますし、あるいは最初に言いました菩薩の使命をそういう形で詠っているということも言えるとも思いますね。
 
草柳:  当然生きている以上は、人は安らぎを得たい。ただその安らぎというのは、自分自身のための安らぎだけではなくて、他人(ひと)も同じように、その安らぎを得なければ、それは本当の幸せと言えないんだというのが、これが大乗を貫く思想なわけでしょう。
 
竹村:  宮沢賢治は、まさに「みんなが幸せにならなければ、自分は幸せになれない」ということを言ったと、有名な話がありますけれども、まさにそれは大乗の精神、『法華経』の精神だと思いますね。
 
草柳:  最後に今日のお話を少し纏める意味で、お話を伺いたいんですが、今現に生きている二十一世紀の私たちに、『法華経』は一体どういうふうなメッセージを送って来ているのか。それに私たちはどういうふうに応えていけばいいのか。その辺は竹村さんは、どんなふうに考えていらっしゃいますか。
 
竹村:  今日のお話の中で、多分みなさんも興味深いと思ったのは、「実はここでもう既に一大白牛車に乗っているんだ」ということですね。「自分一人だけで生きていると思っていたんだけども、そうではなくて、自分の足下に、いわば久遠仏の働き掛けのもとに生かされていたんだ」ということが、この『法華経』の理解の中で、みなさんが自覚されてきたことなんですね。最澄さんの場合は、「自性清浄の三学」なんていう言葉もありましたけれども、だからある意味では、「自性清浄心」とか、「仏性」というものが、その人その人の本来のいのちであって、そのもとに生かされているんだと。道元さんは、「この生死はすなわち仏の御いのちなり」と。この生死の―生死輪廻、あるいは毎日毎日の苦しみ、それもまた仏の御命の中で行われているんだ、というようなことがあります。一大白牛車に実は乗っているんだということも、教えを受けると、それに気付かされると。そうすると、やはり自分の生き方はどうあればいいのか。しかもそれは自分だけではないですね。他者もまた仏の一大白牛車に乗っているわけでありまして、そういう人と同じ自分がどういうふうに対していけばいいのか。そういうことを考えていくと、やはり理想の世の中と言いますかね、お互いに尊重し合いながら―常不軽菩薩(じようふきようぼさつ)のようにお互いに尊重し合いながら、それぞれがそれぞれ生き生きと生きていくと、そういうことを実現してくる、その道を開いているのが『法華経』の教えということになるんじゃないでしょうかね。
 
草柳:  そういうことをしっかりそれぞれが捉えることによって、初めて送り続けてこられているメッセージが生かされるということになっていくんでしょうね。
 
竹村:  と同時に、そのメッセージを伝えていこうという、その伝えていくことの大切さ、それもまた『法華経』は説いていると思いますね。
 
草柳:  日本の仏教の歴史を紐解いてズッとお話を伺ってきたわけですけれども、三回目の次回は、空海の密教の話ですね。また楽しみにしています。どうも有り難うございました。
 
     これは、平成二十七年五月十七日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである
 


対話の力で民衆の善の連帯を広げていく。

2022年07月06日 10時54分51秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽諦めずに課題と向き合い続ける。
課題に、向き合い始めると、また新しい課題が見つかるこのだ。
その繰り返しのなかで、少しずつい現実は変わっていくはじだ。

▽対話の力で民衆の善の連帯を広げていく。

▽原子力業界では、東京電力福島原発事故前から、放射能リスクの過小評価や隠蔽体質、多重基準などの問題があった。

▽増幅、不可視化する被害。
苦痛・苦悩への共感・共苦こそが、現状を脱する手掛かりとなる。
「他者の苦悩・共苦への想像力」が不可欠だ。

▽人生の勝負は、長い目で見なければ分からない。
移ろいゆく、さまざまな世間の評価などは、はかないものだ。
一日一日を生まれ変わったように生きる。
そんな人生には、感傷も愚痴もない。
堅実な一歩一歩が、使命の人生につながっていく。


精読 アレント『全体主義の起源』

2022年07月06日 10時34分18秒 | 社会・文化・政治・経済

精読 アレント『全体主義の起源』 (講談社選書メチエ) by [牧野雅彦]

牧野雅彦  (著) 

ハンナ・アレントの主著が『全体主義の起源』であることに異論はない。ところが、全三部から成るこの大著を愚直に読み、その構成や論の展開を跡づけた研究は今日に至るまで存在していない……。

邦訳書が改訂を加えられたドイツ語版を底本とする中、本書は初版である英語版を順序どおりに精読する試みである。

ナチズムとスターリニズムという20世紀がもたらした最大の謎にして災厄に取り組んだ大著の全容が、ついに明らかになる。(講談社選書メチエ)

内容(「BOOK」データベースより)

現実の中で闘う思想家、ハンナ・アレント(一九〇六‐七五年)。
その主著は、一九五一年の『全体主義の起源』である。
しかし、全三部から成るこの大著は、いまだ真に読まれてきたとは言えない。
邦訳書が基づくドイツ語版(一九五五年)のみならず、英語で書かれた初版テクストまで遡り、その異同を含めて精緻に読解。ついにアレントの主著の全貌が現れる! --This text refers to the tankobon_softcover edition.

著者について

牧野 雅彦
1955年生まれ。京都大学法学部卒業、名古屋大学大学院法学科博士課程単位取得。名古屋大学法学部助手・助教授などを経て、現在、広島大学法学部教授。
専門は、政治学、政治思想史。主な著書に、『歴史主義の再建』(日本評論社、2003年)、『マックス・ウェーバー入門』(平凡社新書、2006年)、『国家学の再建』(名古屋大学出版会、2008年)、『ヴェルサイユ条約』(中公新書、2009年)、『ロカルノ条約』(中公叢書、2012年)ほか。 --
 
 
 
 
牧野雅彦「精読 アレント『全体主義の起源』」を読みました。

最初の10ページくらい読んで面白さに、のめり込みました。
ちょっとムツカシイ本で、最初から夢中にさせてくれるのはめったにありません。
ほとんどのこの手の本は、最初の100ページまでは我慢の一字で、とにかく読み進みます。面白さが見えてくるのは、それからです。

高校の教科書レベルの全体主義理解がぶっ飛びました。

「全体主義の起源」を書いたハンナ・アレントは、全体主義を生みだす大衆社会の分析で知られる思想家・政治哲学者です。
ドイツ生まれのユダヤ人で、1933年にフランスに亡命し、1941年にアメリカへ亡命し、アメリカ国籍を取得し、1975年に69歳で亡くなりました。

「全体主義の起源」は、1951年に発表され、話題を呼びました。
反ユダヤ主義、帝国主義、全体主義の流れで論じられます。

フランス革命で国民国家となり、ナポレオンによってヨーロッパ、ロシアは蹂躙され、各国は対抗上、君主国家から国民国家へ変貌します。
ここで自国や民族の求心力を高めるために敵を作ります。王族の財施を支えていたユダヤ人銀行家が、後ろ盾を失い憎悪の標的になります。

帝国主義の植民地支配は徹底した官僚制により現地人を支配し、白人優位の思想が堅固になります。
植民地競争に出遅れたドイツとロシアは周辺民族を侵略し、そこでは自分たちの民族が最も優秀だという汎民族主義が広がり強固な信念として根付いていきます。

国民国家の主役は市民です。政治に参加する権利、発言の自由を与えられ、消費者となった市民は、結局は己の私生活にしか関心のない政治の傍観者、つまり大衆になりました。
この大衆民主主義が全体主義の温床になりました。

バラバラの大衆は、世界観政党によってまとめられ全体主義国家を支える基盤となります。
ナチスの「第三帝国」、ロシアの「共産主義社会」です。

全体主義は、ヒトラーのドイツとスターリンのロシアで実現した壮大な運動であり、多くの運動と同じく発生・拡大・ピーク・衰退・消滅のサイクルで終わりました。

アレントは、全体主義の舞台を欧米としていますが、かなりの部分が大日本帝国にも当てはまります。
世界観は、ドイツの「第三帝国」、ロシアの「共産主義社会」に対して日本の「大東亜共栄圏」。
政体は、ドイツのナチス党独裁、ロシアの共産党独裁、日本の大政翼賛会。
カリスマは、ドイツのヒトラー、ロシアのスターリン、日本の現人神としての天皇。

全体主義運動は、消滅(敗戦)によって瓦解し、熱狂していた大衆は、虚構の世界観が無くなったことを知ると、バラバラの個人という立場に戻り、変化した世界を喜んで受け入れるか、運動中の立場への未練から絶望的な状態に沈み込みました。
これは、敗戦後の日本人の姿そのものです。

「全体主義の起源」が日本語に訳されたのはアレントが発表してから25年後です。
この「精読 アレント『全体主義の起源』」は今年、発表です。
ロシアが全体主義国家であるという内容は、左翼論壇・ジャーナリズムが支配的だった昭和20年~40年代の日本では翻訳・出版は難しかったのかな、と思います。

著者の牧野雅彦氏の、近代ヨーロッパの歴史・思想・哲学に対する造詣の深さが、この本を分かりやいものにしています。
全体の構成と流れが、中身の濃い、説得力のある解説本になっています。

「結節点」「ルサンチマン」など60年代に流行った言葉が使われており懐かしい思いでした。
やはり著者は、1955年生まれで、若い頃、こうした用語に慣れ親しんだ世代と知りました。

「全体主義の起源」日本語訳は、全3巻であるのですが、かなり手強そうで手が出ませんでした。
いつか読む機会があればと思います。
 
 
アレントの『全体主義の起源』を読んだ際に、難しく感じ、うまく内容がつかめなかったため、こちらを読んでから再び読解に挑みました。すると、だいぶスムーズに内容が入ってくるようになって、大変助かりました。
 
 
 
非常に難しい内容かと思いますが、「全体主義の起源」の原書を読みたくなります。アレント自身の文章の内容がもう少し多く取り入れられていてもいいかもと思いました。
 
 
 
 
ハンナ アレントは藤井聡先生の著作から知りました。知識の欠落を埋めために購入しました。この後は全体主義の起源の勉強を始めようかと考えています。
 
 
 

 
いずれ読みたいが、すぐには手が出ない。そんな大著名著の一つ、「全体主義の起源」に、こうしたコンパクトな入門書が出たことは、大変ありがたい話です。ずいぶんと歯ごたえがありそうだけれども、いずれは原著を読んでみたい、そんな風に思わせる魅力は、確実にこの本にあります。

ただし入門書と言っても、かなり難解な内容ではあります。解説文+原著からの引用文が、5:1くらいの比率でしょうか。意外にも、原著引用文のほうが理解しやすく、腑に落ちる感覚がありましたが、これが、著者・牧野さんの巧みな引用、解説の腕のおかげなのか、あるいは牧野さんの解説が却って話を分かりにくくしているのか、原著を読んでいないので何とも判断ができません。ドイツ、ロシアに全体主義を成立せしめた要件を、歴史的(特に政治的)に分析し明らかにしようというテーマですので、鼻から分かりやすいはずがないのかもしれませんが。
以下、特に印象に残った部分を書き留めておきます。

<全体主義が生まれた歴史的経緯>
・ブルジョワジーを生み出した資本の蓄積は、所有と富の概念そのものを変化させた。富はより豊かになるための終わりのないプロセスとなった。そして、そのプロセスは、ホッブスが指摘したように、無制限な権力の拡大を必要とするものであった。
・モッブ(強い権力に従う傾向を持った大衆)の組織は、国民を人種へ変形させた。蓄積のための蓄積という社会条件の下では、個人を結ぶそれ以外の紐帯が存在しなかったから。人種というのは、政治的に言って、人間性の始まりではなく、その終焉である。人種主義こそが、国民国家の体制を掘り崩す主要なイデオロギーとなった
・民族混合地帯であるロシア、ドイツでは、第一次大戦後、政党の威信の低下、国民国家の威信の低下が発生し、階級によらない社会運動が生まれた。階級主義の崩壊により、種族的なナショナリズム→汎民族運動→国民・人民を超えた全体主義運動へつながっていった

<全体主義とはなにか>
・ソビエトにおける大衆の原子化は、あらゆる社会的紐帯、家族的絆を破壊することによってもたらされた。そこでは、自律的な存在はすべて否定される。全体主義は、社会的紐帯を完全に破壊する
・全体主義とは、ドグマではなく、統治基盤の破壊も含めた自己破壊的な運動である。運動が止まれば、掲げたドグマへの信仰は直ちになくなる
・全体主義は、人々の絶対的な忠誠を得るために、あえて内容を空白にしている

<全体主義の構造>
・運動の中核にいる人と周辺にいる人が玉ねぎのように重なっており、奥義が周辺には一部しか開示されないという感覚を与えることによって、却って人々をひきつける
・そのイデオロギーは、国民的な利益を無視する。功利的な動機を軽蔑する。理想(世界支配)への揺るがぬ信仰を持つ
・誰が敵かは、指導者が決定する。イデオロギーおよび政策で、自動的に敵が規定される。変化に応じて、新たな敵が生み出される。考える(心変わりしうる)という能力ゆえに、全ての人間が敵になりうる

<全体主義の末路>
・どんな分化も許さない。常に人々の間に懐疑と反抗を生み出す。必ず消滅する
・全くの無益な運動である

牧野雅彦「精読 アレント『全体主義の起源』」を読みました。

最初の10ページくらい読んで面白さに、のめり込みました。
ちょっとムツカシイ本で、最初から夢中にさせてくれるのはめったにありません。
ほとんどのこの手の本は、最初の100ページまでは我慢の一字で、とにかく読み進みます。面白さが見えてくるのは、それからです。

高校の教科書レベルの全体主義理解がぶっ飛びました。

「全体主義の起源」を書いたハンナ・アレントは、全体主義を生みだす大衆社会の分析で知られる思想家・政治哲学者です。
ドイツ生まれのユダヤ人で、1933年にフランスに亡命し、1941年にアメリカへ亡命し、アメリカ国籍を取得し、1975年に69歳で亡くなりました。

「全体主義の起源」は、1951年に発表され、話題を呼びました。
反ユダヤ主義、帝国主義、全体主義の流れで論じられます。

フランス革命で国民国家となり、ナポレオンによってヨーロッパ、ロシアは蹂躙され、各国は対抗上、君主国家から国民国家へ変貌します。
ここで自国や民族の求心力を高めるために敵を作ります。王族の財施を支えていたユダヤ人銀行家が、後ろ盾を失い憎悪の標的になります。

帝国主義の植民地支配は徹底した官僚制により現地人を支配し、白人優位の思想が堅固になります。
植民地競争に出遅れたドイツとロシアは周辺民族を侵略し、そこでは自分たちの民族が最も優秀だという汎民族主義が広がり強固な信念として根付いていきます。

国民国家の主役は市民です。政治に参加する権利、発言の自由を与えられ、消費者となった市民は、結局は己の私生活にしか関心のない政治の傍観者、つまり大衆になりました。
この大衆民主主義が全体主義の温床になりました。

バラバラの大衆は、世界観政党によってまとめられ全体主義国家を支える基盤となります。
ナチスの「第三帝国」、ロシアの「共産主義社会」です。

全体主義は、ヒトラーのドイツとスターリンのロシアで実現した壮大な運動であり、多くの運動と同じく発生・拡大・ピーク・衰退・消滅のサイクルで終わりました。

アレントは、全体主義の舞台を欧米としていますが、かなりの部分が大日本帝国にも当てはまります。
世界観は、ドイツの「第三帝国」、ロシアの「共産主義社会」に対して日本の「大東亜共栄圏」。
政体は、ドイツのナチス党独裁、ロシアの共産党独裁、日本の大政翼賛会。
カリスマは、ドイツのヒトラー、ロシアのスターリン、日本の現人神としての天皇。

全体主義運動は、消滅(敗戦)によって瓦解し、熱狂していた大衆は、虚構の世界観が無くなったことを知ると、バラバラの個人という立場に戻り、変化した世界を喜んで受け入れるか、運動中の立場への未練から絶望的な状態に沈み込みました。
これは、敗戦後の日本人の姿そのものです。

「全体主義の起源」が日本語に訳されたのはアレントが発表してから25年後です。
この「精読 アレント『全体主義の起源』」は今年、発表です。
ロシアが全体主義国家であるという内容は、左翼論壇・ジャーナリズムが支配的だった昭和20年~40年代の日本では翻訳・出版は難しかったのかな、と思います。

著者の牧野雅彦氏の、近代ヨーロッパの歴史・思想・哲学に対する造詣の深さが、この本を分かりやいものにしています。
全体の構成と流れが、中身の濃い、説得力のある解説本になっています。

「結節点」「ルサンチマン」など60年代に流行った言葉が使われており懐かしい思いでした。
やはり著者は、1955年生まれで、若い頃、こうした用語に慣れ親しんだ世代と知りました。

「全体主義の起源」日本語訳は、全3巻であるのですが、かなり手強そうで手が出ませんでした。
いつか読む機会があればと思います。
 
 
 
 
 






 

本書は難解な"全体主義の起源"を簡潔にまとめており、大変読みやすくなっています。
特に全体主義出現に至るそれまでの歴史を著述した1・2巻は、原書で読むと難解というよりもむしろ苦痛としか言いようがないものなのですが(気になる方は是非原書をご覧ください)、本書はそれを丁寧かつ簡潔にまとめており、アーレントに馴染みのない方でも読みやすくなっていると思います。

アーレントの著述は非常に"読みづらい"です。それは、記述された言葉の意味が、歴史を検証・考察した上での本来的な意味なので、現代で我々が一般的に思い浮かべる言葉の意味とは異なるということが原因の一つです。
また、彼女自身が述べているように、彼女の著作は彼女の"思索の過程"なので、その意味で結論らしい結論、すなわち"話のおち"がありません。
この"おち"が無いために、話の方向性がわかりづらく、読者は議論の中で迷ってしまうのです。これらの特徴がゆえに、アーレントの著述は"読みづらい"のです。

※蛇足ですが、他の方のコメントで"アレントの自身の言葉をもう少し…"というような指摘がなされていましたが、前述のような具合なので、ただの一文であってもアーレントの引用はその前提を詳細に解説せねばならず、そのため話の本筋がわかりづらくなる場合があり、その意味で引用が難しいのです。
筆者はそこに重点を置くよりも読みやすさを優先されて、引用してからの解説を中心とするのではなく、自身の言葉を軸とした解説を中心にされたのではないかと推測いたします。

しかし、本書はそれらの"読みづらさ"を丁寧に整理することによってわかりやすくしており、また本筋を邪魔しないように解説も最小限に留められています。その意味で、原書の内容を伝えることを第一にした、まさに精読といえるような内容に本書はなっているといえるでしょう。

終わりになりますが、本書を読んでから原書に挑戦されるのもいいと思いますが、原書で四苦八苦してから本書を読まれると、より全体がすっきりして見えると思います。お好みの方で是非お試しください。