大切な人を失った人たちと、その悲しみを癒やしたいと願う人たちに捧げる、
鎮魂のためのテキストブック
上智大学グリーフケア研究所は、グリーフ(死別による悲嘆)を抱える方のケアについての研究と、グリーフケア、スピリチュアルケアに携わる人材の養成を目的として設立されました。「臨床傾聴士」「スピリチュアルケア師」等の資格取得のための専門課程の他、一般向けの公開講座にも力を入れています。
本書は学問としてのグリーフケアの要点をまとめた入門書として、大切な人を亡くしたご本人はもちろん、宗教家や支援職の方々にも資する内容となっています。
【目次】
第1章 日本人の死生観とグリーフケアの時代(島薗 進)
ふるさとが蘇る「?/喪の仕事」と宗教文化/ともに唱歌・童謡を歌う国民だった頃/悲嘆を分かち合うことが困難になる/寄り集い悲嘆を分かち合う/グリーフケアと日本人の死生観の更新
第2章 人は何によって生きるのか(鎌田東二)
予期せぬ痛みと「ヨブ記」の問い/心の不可思議~仏教の心観/心の清明~神道の心観/二種類の死生観~本居宣長と平田篤胤の安心論/現代人の死生観探究
第3章 グリーフケア・サポートの実践(佐久間庸和)
ケアとしての葬儀の取り組み/ケアとしての遺族会の役割/ケアとしての「笑い」/ケアとしての読書/ケアとしての映画
鎮魂のためのテキストブック
上智大学グリーフケア研究所は、グリーフ(死別による悲嘆)を抱える方のケアについての研究と、グリーフケア、スピリチュアルケアに携わる人材の養成を目的として設立されました。「臨床傾聴士」「スピリチュアルケア師」等の資格取得のための専門課程の他、一般向けの公開講座にも力を入れています。
本書は学問としてのグリーフケアの要点をまとめた入門書として、大切な人を亡くしたご本人はもちろん、宗教家や支援職の方々にも資する内容となっています。
【目次】
第1章 日本人の死生観とグリーフケアの時代(島薗 進)
ふるさとが蘇る「?/喪の仕事」と宗教文化/ともに唱歌・童謡を歌う国民だった頃/悲嘆を分かち合うことが困難になる/寄り集い悲嘆を分かち合う/グリーフケアと日本人の死生観の更新
第2章 人は何によって生きるのか(鎌田東二)
予期せぬ痛みと「ヨブ記」の問い/心の不可思議~仏教の心観/心の清明~神道の心観/二種類の死生観~本居宣長と平田篤胤の安心論/現代人の死生観探究
第3章 グリーフケア・サポートの実践(佐久間庸和)
ケアとしての葬儀の取り組み/ケアとしての遺族会の役割/ケアとしての「笑い」/ケアとしての読書/ケアとしての映画
内容(「BOOK」データベースより)
大切な人を失った人たちとその悲しみを癒やしたいと願う人たちに捧げる日本で最初のグリーフケア研究所による鎮魂のためのテキストブック。
著者について
島薗 進(シマゾノ ススム)
1948年生まれ。上智大学グリーフケア研究所所長、上智大学大学院実践宗教学研究科委員長、東京大学大学院人文社会系研究科名誉教授。(2019年7月現在)
鎌田 東二(カマタ トウジ)
1951年生まれ。上智大学グリーフケア研究所特任教授、京都大学名誉教授、放送大学客員教授。(2019年7月現在)
佐久間 庸和(サクマ ツネカズ)
(ペンネーム 一条真也)1963年生まれ。上智大学グリーフケア研究所客員教授、(株)サンレー代表取締役社長。(2019年7月現在)
1948年生まれ。上智大学グリーフケア研究所所長、上智大学大学院実践宗教学研究科委員長、東京大学大学院人文社会系研究科名誉教授。(2019年7月現在)
鎌田 東二(カマタ トウジ)
1951年生まれ。上智大学グリーフケア研究所特任教授、京都大学名誉教授、放送大学客員教授。(2019年7月現在)
佐久間 庸和(サクマ ツネカズ)
(ペンネーム 一条真也)1963年生まれ。上智大学グリーフケア研究所客員教授、(株)サンレー代表取締役社長。(2019年7月現在)
身近な人と死別して悲嘆に暮れる人を支える「グリーフケア」
「死んだ人は、残された人にとっては、ある意味ではたいへんリアルに存在している」
死と生は断絶したものではなく、永遠に生と死をくりかえしていいく―と仏法では解いている。
家族や近しい人が亡くなった苦しみ、悲しみはグリーフと呼ばれ
現代社会でも特に関心が集められています。
そういった人々の心を癒すのがグリーフケアです。
本書ではその道に精通している3人の先生が各々の視点から
グリーフケアを語っています。
人の心とは様々なものでグリーフケアに正解があるとは思えません。
しかし、本書では伝統的な日本文化、宗教、歴史的人物の思考、
葬儀などの儀式でグリーフとの付き合い方を示し、
さらにはそのケアとして悲しみを癒すために笑いや読書、
映画までもが有効であると言及しているのがおもしろいと思います。
最近では芸人のロンドンブーツがitakotoというサービスで
死生観を語ったりするなど様々な人が死を意識するのを見るような気がします。
人間、避けては通れない大切な人との別れに際し
本書は心の在り方のヒントを見出せるのではないでしょうか。
現代社会でも特に関心が集められています。
そういった人々の心を癒すのがグリーフケアです。
本書ではその道に精通している3人の先生が各々の視点から
グリーフケアを語っています。
人の心とは様々なものでグリーフケアに正解があるとは思えません。
しかし、本書では伝統的な日本文化、宗教、歴史的人物の思考、
葬儀などの儀式でグリーフとの付き合い方を示し、
さらにはそのケアとして悲しみを癒すために笑いや読書、
映画までもが有効であると言及しているのがおもしろいと思います。
最近では芸人のロンドンブーツがitakotoというサービスで
死生観を語ったりするなど様々な人が死を意識するのを見るような気がします。
人間、避けては通れない大切な人との別れに際し
本書は心の在り方のヒントを見出せるのではないでしょうか。
著者は日本のグリーフケアを考える上でその中心地とも言える上智大学グリーフケア研究所に関わる島薗進氏(同研究所所長)、鎌田東二氏(同研究所特任教授)、佐久間庸和氏(同研究所客員教授)となります。
本書では現代においてのグリーフケアの形を3人の著者がそれぞれの立場から解説しており、島薗氏は分かち合う文化をなくしていった現代への過程、つまりグリーフケアが必要性を増してくる現代への過程をさまざまなモチーフを用いてわかりやすく説明し、鎌田氏は宗教という側面から人の心の不安定さをみつめ、佐久間氏は悲嘆にくれる心を安定させるための実践を葬儀という儀礼を通して解説しています。
現代まで人は心の不安定さをさまざまな方法でどの様にかして安定させていきたいという切実な活動をおこなってきました。
現代まで人は心の不安定さをさまざまな方法でどの様にかして安定させていきたいという切実な活動をおこなってきました。
不安定さの最たるものである親しいものを亡くすという喪失感や不安・恐怖に対処するために儀式や儀礼などのかたちを生み出し、それは必要不可欠なものとして連綿と継続されてきたのではないかと思います。
儀式や儀礼の重要性は本書のそれぞれに共通して感じたことでもありますが、現代ではそれらへの関わりが薄れてきたとも感じています。
人の心を安定させる方法としてグリーフケアという言葉を目にする事が増えてきてまた重要度も増していきましたが、そのグリーフケアにおいても受け継がれてきた儀式や儀礼という心を安定させる方法が大切であるということに関して興味深く感じました。
グリーフケアという大きなタイトルに難しさを感じていましたが、思った以上に本書は読みやすくいろいろな発見があったと感じています。
儀式や儀礼の重要性は本書のそれぞれに共通して感じたことでもありますが、現代ではそれらへの関わりが薄れてきたとも感じています。
人の心を安定させる方法としてグリーフケアという言葉を目にする事が増えてきてまた重要度も増していきましたが、そのグリーフケアにおいても受け継がれてきた儀式や儀礼という心を安定させる方法が大切であるということに関して興味深く感じました。
グリーフケアという大きなタイトルに難しさを感じていましたが、思った以上に本書は読みやすくいろいろな発見があったと感じています。
上智大学グリーフケア研究所は、日本のグリーフケア研究の中心の一つである。
本書は、その中でも特に精力的な活動を展開する三人の研究者による、「グリーフケア」の理論と実践についての基本文献である。
内容は非常に高度であるがとても平易に書かれており、グリーフケアの専門家や職業従事者はもちろん、広く一般読者に推奨できる。
特に、今正に悲嘆(グリーフ)の渦中にありそれを乗り越えたいと思っている人や、その人を支えたいと願っている周囲の人達にぜひ一読をお勧めしたい。
筆者なりに本書の要点をまとめるならば、グリーフケアの根本問題は、個人の心の問題である悲嘆を個人自身がいかに受容し昇華できるかであり、さらにそうした悲嘆の受容と昇華を個人の集まりである集団が相互にいかに助け合えるかである。
この問題について、まず島薗進氏は、この分野の心理学における最も重要なフロイトの「(愛着)対象喪失」と「喪の仕事」の理論などを中心にして、グリーフケアには個人の課題とそれを支える集団の課題があることを歴史的・社会的・文化的に広く分析している。
それを受けて、鎌田東二氏は、主に個人の課題において不可欠に関わる「宗教」の問題を集中的に取り上げ、ユダヤ=キリスト教・仏教・神道などの様々な宗教がどのように個人の心にグリーフケアを提供しているかを詳細に説明している。
そして、佐久間庸和氏は、特に集団の課題として「葬儀」の問題を取り上げ、それが個人の課題としての心の問題とどのように関わるのか、また人々の悲嘆を癒す心のこもった葬儀とはどのようなものかを多角的に解説している。
表題の「グリーフケアの時代」とは、世俗化が進み、個人の信仰心や地域共同体の絆が弱まった現代社会では、各自が改めて意識的に「グリーフケア」の個人的課題や集団的課題に向き合わなければならない現状を指している。
こうした状況下では、グリーフケアは、彼岸的な宗教的手法のみならず、此岸的な芸術的手法(音楽・文学・映画など)も含めて、あらゆる智慧や技能をフル動員して取り組まれるべき問題であることを主張している点も本書の特色の一つとして挙げられる。
内容は非常に高度であるがとても平易に書かれており、グリーフケアの専門家や職業従事者はもちろん、広く一般読者に推奨できる。
特に、今正に悲嘆(グリーフ)の渦中にありそれを乗り越えたいと思っている人や、その人を支えたいと願っている周囲の人達にぜひ一読をお勧めしたい。
筆者なりに本書の要点をまとめるならば、グリーフケアの根本問題は、個人の心の問題である悲嘆を個人自身がいかに受容し昇華できるかであり、さらにそうした悲嘆の受容と昇華を個人の集まりである集団が相互にいかに助け合えるかである。
この問題について、まず島薗進氏は、この分野の心理学における最も重要なフロイトの「(愛着)対象喪失」と「喪の仕事」の理論などを中心にして、グリーフケアには個人の課題とそれを支える集団の課題があることを歴史的・社会的・文化的に広く分析している。
それを受けて、鎌田東二氏は、主に個人の課題において不可欠に関わる「宗教」の問題を集中的に取り上げ、ユダヤ=キリスト教・仏教・神道などの様々な宗教がどのように個人の心にグリーフケアを提供しているかを詳細に説明している。
そして、佐久間庸和氏は、特に集団の課題として「葬儀」の問題を取り上げ、それが個人の課題としての心の問題とどのように関わるのか、また人々の悲嘆を癒す心のこもった葬儀とはどのようなものかを多角的に解説している。
表題の「グリーフケアの時代」とは、世俗化が進み、個人の信仰心や地域共同体の絆が弱まった現代社会では、各自が改めて意識的に「グリーフケア」の個人的課題や集団的課題に向き合わなければならない現状を指している。
こうした状況下では、グリーフケアは、彼岸的な宗教的手法のみならず、此岸的な芸術的手法(音楽・文学・映画など)も含めて、あらゆる智慧や技能をフル動員して取り組まれるべき問題であることを主張している点も本書の特色の一つとして挙げられる。
現代社会では、身近な人や大切な人を亡くしたときに生じる悲嘆=グリーフと、それがもたらす心身への影響にどう対処していくかが、現代社会にとって重要な課題になっている。
本書に寄稿した3名はいずれも上智大学グリーフケア研究所の教授であり、日本においてグリーフケアの論理を検討する最前線に立つ人物たちであるといえるだろう。
この書籍は彼らが学問としてのグリーフケアの要点と実践例をまとめた概説書であり入門書である。
大切な方を亡くしたご本人はもちろん、宗教家や支援職にも資する内容を目指して制作したものと言われるだけあり、私が見た限りでは、これまでの研究成果と実践事例を総括したものとして、何らかのかたちで葬儀に携わる人間にとってはもちろん、いつかはグリーフの当事者となることを考えると見逃せない内容となっている。
人間が避けては通れないグリーフの位置付けを知り、それをどのように癒していくのか。その最前線に立たれる方はもちろん、そうでない方にとってもグリーフの正体を知るために有用な一冊となっている。
大切な方を亡くしたご本人はもちろん、宗教家や支援職にも資する内容を目指して制作したものと言われるだけあり、私が見た限りでは、これまでの研究成果と実践事例を総括したものとして、何らかのかたちで葬儀に携わる人間にとってはもちろん、いつかはグリーフの当事者となることを考えると見逃せない内容となっている。
人間が避けては通れないグリーフの位置付けを知り、それをどのように癒していくのか。その最前線に立たれる方はもちろん、そうでない方にとってもグリーフの正体を知るために有用な一冊となっている。