秋葉原通り魔事件(

2022年07月17日 07時19分00秒 | 事件・事故

2008年(平成20年)6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔殺傷事件。

7人が死亡、10人が重軽傷を負った。

警察[5]や裁判所[6]、報道[7]、更に犯人自身[8]からは主に、秋葉原無差別殺傷事件と呼ばれている。

概要
事件概要

犯行現場となった中央通り(事件2時間後の様子)

犯行に使われたトラック
(フロントガラスが破損している)

加藤が警察官に取り押さえられた現場。外神田1丁目旧サトームセン本店脇
2008年6月8日12時30分過ぎ、東京都千代田区外神田四丁目の神田明神通りと中央通りが交わる交差点で、元自動車工場派遣社員の加藤 智大(かとう ともひろ、1982年9月28日[1] - 、犯行当時25歳)の運転する2トントラック(いすゞ・エルフ)が西側の神田明神下交差点方面から東に向かい、中央通りとの交差点に設置されていた赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人を撥ねた。

このトラックは、交差点を過ぎて対向車線で信号待ちをしていたタクシーと接触して停車。周囲にいた人々は最初は交通事故だと思ったが、トラックを運転していた加藤はそのまま車を降り、道路に倒れこむ被害者の救護に

通行人、警察官ら17人を所持していたダガーで立て続けに殺傷した[注 1]。

さらに加藤は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。

事件発生後まもなくして近くの警視庁万世橋警察署秋葉原交番から駆けつけた警察官が加藤を追跡し距離を詰めたところ、防護服を斬り付けられるなど命の危険に晒されたものの、警棒で加藤の側頭部を殴りつけるなどして応戦。

最後は拳銃の銃口を加藤に対して向け、武器を捨てるよう警告し、応じなければ拳銃を発砲することを通告した。

それに応じダガーを捨てた加藤を非番でたまたま居合わせた蔵前警察署の警察官とともに取り押さえ、旧サトームセン本店(事件当時は空き店舗。現クラブセガ秋葉原新館)脇の路地で現行犯逮捕した[10][11]。

事件当日は日曜日で、中央通りは歩行者天国の区域となっており、買い物客や観光客でごった返している中での犯行だったため、事件直後に多くの人々が逃げ惑い、また負傷者が横たわる周囲が血の海になるなど事件現場はさながら戦場の様相を呈しており、まさに白昼の惨劇であった。後に加藤は5本ナイフを所持していたことがわかった。

警視庁捜査一課・万世橋署は6月10日、加藤を東京地方検察庁に送検、同地検は7月7日、加藤の精神鑑定のため、東京地方裁判所に鑑定留置を請求し認められた[注 2]。留置期限の10月6日までに、「刑事責任能力がある」という結論が出されている[12]。

救急活動
これらの犯行に対する救命活動はおおむね迅速に遂行された。犯行現場にいた一般の通行人は、加藤がまだ拘束されていない段階から積極的に被害者たちに対する一次救命処置を開始し[13]、また、携帯電話などを活用しての迅速な通報がなされた。

東京消防庁は12時36分に最初の119番通報を受信、通常の交通事故による救急事案として、救急隊1隊と救急隊支援のための消防隊1隊を出場させたが、さらに通報が相次いだことから、管轄の神田消防署から指揮隊1隊と救急隊4隊を応援隊として出場させた。

12時43分には最初の救急隊(浅草消防署浅草橋出張所浅草橋救急小隊)が現場に到着した。

現場到着部隊は、通常の態勢で対処できる状況ではないと判断し、現場到着とほぼ同時に、災害派遣医療チーム (DMAT) の出場を要請、東京消防庁は東京DMATに対して出動要請を行った。

12時47分には消防の現場指揮本部から応援要請を受け、多数の傷病者に対応するための「救急特別第1出場」を発令、救急隊10隊や、東京DMATの支援のための消防隊(東京DMAT連携隊)などを追加出場させた。12時49分には、先に出場を指令された救急隊5隊が現場での活動を開始している。

東京消防庁がDMATチームに出動を要請してから12分後の12時55分、現場からもっとも近かった日本医科大学付属病院高度救命救急センターのDMATチームが現場に到着した。日本医大DMATチーム指揮官は、犯行規模の大きさからDMATチームをさらに2チーム追加投入するよう要請し、13時8分に東京医科大学病院のDMATチームが到着、これにより、殺人事件としては初のDMATチーム複数投入が実施されることとなった。最終的には、日本医大、東京医大に加え、白鬚橋病院と都立広尾病院の4チームが現場に展開している。13時過ぎにはDMATチームの現地指揮所が設置され、最初に現場に展開した日本医大チームが全体の指揮をとることで指揮系統が確立された[14]。

これらのDMATチームが主導することで、救急活動は概ね円滑に遂行されたと評価されている。一方で、DMATチームの出動に頼ったために、初動のトリアージに遅れが出た可能性も指摘されている[15]。

被害者
17名がトラックで撥ねられる、ナイフで刺されるなどの被害を受け、うち7名が死亡した[16]。通り魔事件としては過去30年で最悪の事件とみられている[17]。被害者数は平成時代に起きた無差別殺傷事件としては、7年前の同じ日に発生した附属池田小事件に次ぐ惨劇になった。

トラックではねられる(5人、死亡3人・負傷2人)
被害者 負傷詳細 搬送先
無職男性 左背中刺創・死亡 東京慈恵会医科大学附属病院
男子学生 腹部打撲・死亡 国立国際医療センター
全身打撲・死亡 三井記念病院
腰の痛み・軽傷 白鬚橋病院
擦過傷・軽傷 三井記念病院
[要出典]

ナイフで刺される(12人、死亡4人・負傷8人)
被害者 負傷詳細 搬送先
女子学生 大動脈及び肝臓の損傷・死亡 東京医科歯科大学医学部附属病院
無職男性 背部刺創・死亡 東京女子医科大学病院
調理人男性 駿河台日本大学病院
男性会社員 胸部貫通刺創・死亡 東京都立墨東病院
男性タクシー運転手 右胸刺創・重体 日本医科大学付属病院
男性会社員 背部刺創・重傷 聖路加国際病院
腰・重傷 東京医科歯科大学医学部附属病院
女性会社員 肺・重傷
男性派遣社員 背部刺創・重傷 日本医科大学付属病院
女性大学職員 腹部刺創・重傷 聖路加国際病院
男性警察官 脇腹刺創・軽傷 東京大学医学部附属病院
男性フォークリフト技師 右前腕切創・軽傷 東京厚生年金病院
[要出典]

犯人
加藤 智大
生誕 1982年9月28日(39歳)
日本の旗 日本
青森県五所川原市
出身校 青森県立青森高等学校(2001年2月卒業)
中日本自動車短期大学(2003年3月卒業)
職業 運転士
派遣社員
罪名 殺人罪・殺人未遂罪・公務執行妨害罪・銃刀法違反
刑罰 絞首刑(未執行)
犯罪者現況 既決死刑囚として東京拘置所(東京都葛飾区小菅)に収監中
有罪判決 
東京地裁・死刑判決(2011年3月24日宣告)
東京高裁・被告人側控訴棄却判決(2012年9月12日宣告・死刑判決を支持)
最高裁第一小法廷・被告人側上告棄却判決(2015年2月2日宣告・控訴審判決を支持)- 上告審判決への訂正申し立て棄却決定(2015年2月17日付)により死刑判決確定
殺人
時期 2008年6月8日
国 日本の旗 日本
現場 東京都千代田区外神田(秋葉原)
死者 7人
負傷者 10人
加藤によると、殺人を目的として事件を起こしたのではなく[18]、ネットの掲示板荒らしに対する抗議の表明手段だったという[3][4][19]。事件直前には中止を考えたものの既に掲示板で犯行予告を行っていたため、懲役刑よりは死刑になった方がましだと考えて決行したという[20]。

トラックで人をはね飛ばすのは2005年(平成17年)4月に発生した仙台アーケード街トラック暴走事件を[注 3]、ナイフで人を襲うのは2008年(平成20年)3月に発生した土浦連続殺傷事件を参考にし、犯行2日前に福井県福井市のミリタリー輸入雑貨店でナイフ類6本を購入し[注 4]、犯行前日に静岡県沼津市のレンタカー店で2トントラックを予約して犯行に及んだ[注 5]。

加藤は事件現場で現行犯逮捕されて以降、拘置所において弁護士以外との面会を拒否し、手紙の受け取りも拒否し[22]、マスコミの取材も拒否している[23]。その一方で2012年から事件に関連した著書を発表している(#書籍)。

経歴
1982年9月28日[1] - 青森県五所川原市で出生。
1998年4月 - 青森県立青森高等学校入学(母が卒業した学校であり母が進学を望んでいた)[24]。
2001年
2月 - 青森県立青森高等学校卒業(望んでいた北海道大学への進学を断念)[25]。
4月 - 中日本自動車短期大学自動車工学科入学[26]。
2003年
3月 - 中日本自動車短期大学自動車工学科卒業(学業に意欲を持てず成績は低迷し、自動車整備士の資格を取得せず)[27]。
4月 - 母から資金提供を受け、宮城県仙台市にアパートを借りて一人暮らしを始めた[28]。
7月 - 仙台市の警備会社に就職、警備事業部に配属され、警備現場の警備員に配属。雇用形態は準社員。月収は残業を含めて、多い月で25万円に達した。同じ職場で働いている人の中で仕事以外で交友する友人がいた[29]。
2004年
1月 - 内勤に異動になり、警備業務の案件ごとに必要な人を配置する職種に配属。月収は固定給になり手取りで17万6000円[30]。4月 - 母から資金提供を受けて、自動車運転免許を取得、30万円の自動車を購入。消費者金融から借金[31]。
2005年
2月 - 職場の人間関係の不満に対する抗議の表明として無断欠勤し、警備会社を退職[32]。
4月 - 一般労働者派遣事業(登録型派遣)会社と契約し、埼玉県上尾市の自動車メーカーの工場に派遣。住居は派遣会社が提供する独身寮。月収は残業や休日出勤を含めて、多い月で27万円に達した。同じ職場で働いている人の中で仕事以外で交友する友人はできなかった。ネット上の掲示板への投稿に深入りするようになった[33]。
70万円の自動車を借金して購入[34]。
2006年
4月 - 職場の人間関係の不満に対する抗議の表明として無断欠勤し、派遣会社を退職[35]。
5月 - 一般労働者派遣事業(登録型派遣)会社と契約し、茨城県つくば市の住宅部品メーカーの工場に派遣。住居は派遣会社が提供する独身寮。同じ職場で働いている人の中で仕事以外で交友する友人はできなかった。ネット上の掲示板への投稿に深入りするようになった[36]。
8月 - 職場の人間関係の不満に対する抗議の表明として無断欠勤し派遣会社を退職。青森や仙台時代の友人宛に、自殺するつもりであると携帯電話のメールで送信し、青森の母宛に電話した。メールを受信した友人たちは考え直すよう説得するメールを返信した。3年ぶりに両親宅に帰宅し母と面会した。母は子供時代の教育姿勢を謝罪した[37]。
9月 - 母は次に仕事が決まるまでしばらく自宅で休養するように勧めた。父はこのまま自宅にいていいと勧めた[38]。
秋 - 高校時代の友人たちとたびたび飲食し歓談した。母から資金提供を受けて大型自動車運転免許を取得[38]。
2007年
1月 - 青森の運送会社に大型輸送車の運転士として就職[39]。
3月 - 雇用形態が正社員に変更。同じ職場で働いている人の中で仕事以外で交友する友人がいた。高校時代の友人たちとの交友関係も継続していた[40]。
7月 - 自宅を出て青森市内にアパートを借りて一人暮らしを始めた[41]。
9月 - ネットの掲示板の投稿者と面会する2週間の旅行のための休暇を会社に対して申請するが、会社から却下されたことに対する抗議の表明として無断欠勤し、運送会社を退職。借金の返済をしないまま青森を去る[42]。
9月〜10月 - 掲示板の投稿者と面会するための旅行を繰り返す[43]。
10月 - 掲示板の投稿者宛に、自殺するつもりであるとメールを送信し、メールを受信した人たちは考え直すように説得した。駐車場に無断駐車した自動車内で寝泊まりしていて、警察官に職務質問され、自殺するつもりと供述し、警察官は考え直すように説得した[44]。
11月 - 一般労働者派遣事業(登録型派遣)会社である日研総業(現・日研トータルソーシング)と契約し、関東自動車工業の静岡県裾野市に所在する工場に派遣。住居は派遣会社が提供する独身寮。日勤と夜勤の交代制で、月収は残業や休日出勤が多い月は手取りで20万円(寮費を引いた金額)、残業や休日出勤が無い月は手取りで14万円。同じ職場で働いている人の中で仕事以外で交友する友人がいた。ネットの掲示板への投稿に深入りするようになった[45]。
2008年
5月 - 派遣会社が6月末での派遣契約の解約と、希望者には他の派遣先を紹介すると通知したため、他の派遣先で就業することを選んだ。そのことについて特に不満はなかった[46]。
5月〜6月 - 掲示板をなりすましに荒らされ、掲示板荒らしが去って孤独を感じ、掲示板に通り魔事件を起こすと投稿するようになった[47]。
6月 - 更衣室で自分の作業服が見つからないことを理由に無断欠勤してそのまま職場放棄。その後は掲示板に通り魔事件を起こすとの予告投稿を繰り返し、通り魔事件に使用するダガーナイフを準備して6月8日の事件に至る[48]。
精神科医の片田珠美は加藤の弟による手記を分析し[49]、加藤は、幼少期に他の子供との交流を制限されていた事で母親から投影された自己愛が思春期まで抜けられず、現実の自分との間に大きな隔たりが生まれたのだろうと指摘している[50]。一方で加藤は片田のこの著書を「様々な間違いの集大成といえるもの」とし[51]、自分は現実に適応してきた現実主義者だったと反論している[52]。

掲示板
加藤は携帯電話向けの電子掲示板を複数利用していた。2008年2月に「不細工なせいで孤独な男」という人物を演じたところ他利用者からの反応が良かったので、以後「不細工スレの主」として自虐的な書き込みを続けて行く[53]。一方で加藤に成りすました荒らしも掲示板に現れる様になる。

やがて実生活で仕事や友人を失った事から社会との接点が掲示板のみになり、孤立を恐れて掲示板にしがみつく様になった加藤は[54]、荒らしへの「心理的に攻撃する手段」[2]として、報道されて相手に伝わる様な大事件を起こす事を決意する[55]。

加藤は事件当日の5時21分に「究極交流掲示板(改)」[56]に新しいスレッドを立て、沼津から秋葉原まで移動して事件を起こすまでに約30回のメッセージを書き込んでいた[57]。11時45分頃、秋葉原に到着した加藤はスレッドのタイトルを「秋葉原で人を殺します」へ、内容を「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」と書き換えて犯行予告を行い[58][注 6]、12時10分に「時間です」の書き込みを残して12時30分に事件を起こした[59]。

加藤が否定した犯罪要因
労働環境
加藤が派遣労働社員であったことから、若者の雇用環境が厳しくなっていることで将来に希望を失い、事件の動機になったとする見方も出た。また、この事件をもって若者の雇用環境悪化を問題視する意見が報道機関から多数出て、読者からの投稿でもそれに追随する意見が出された。

だが、刑事裁判において、加藤は本件犯行の動機も原因も雇用形態が派遣であることとは無関係であると供述し、弁護人も検察官も裁判官も、その供述が事実であると認定した[3][4][19][60]。加藤は最初の就職から事件を起こす直前に勤めていた就職先まで、全ての就職の雇用形態が登録型派遣労働社員だったわけではなく、青森県の運送会社では正社員として、宮城県の警備会社で準社員として、直接雇用されている(後に自己都合退職)。

加藤は、短期間で転職を繰り返した理由は、上記のように職場や人間関係に対して不満があると、雇用主や同じ職場で働いている人と話し合いをせずに、不満への抗議の表明手段として、無断欠勤してそのまま職場放棄して退職するという、極端な考え方とその現象としての言動が原因であると、裁判で供述している。

また加藤による自著『解+』においても否定している[61]。

作業服の紛失
加藤は一貫して否定しており[62]、加えて取り調べ段階において、供述の文言を書き換えて勝手に動機とした捜査機関による捏造行為があったことを述べている[63]。

負け組
加藤が掲示板に「負け組は生まれながらにして負け組なのです まずそれに気付きましょう そして受け入れましょう」などと書き込んでいたこともあり[64]、事件後加藤を負け組の英雄とし、「神」「教祖」「救世主」とまでみなす共感現象が起きた[65]。これに対し、加藤は「本気で自分を「負け組」だと考える人のことは全く理解できません。また、自分の努力不足を棚に上げて「勝ち組」を逆恨みするその腐った根性は不快です」[66]と切って捨てている。

社会的孤立
社会学者の宮台真司は社会の側の包摂が足りないのが原因として「絆のある人間関係の中で生きられること」が必要などと主張したが[67]、加藤は地元の青森や仙台を中心に趣味の合う仲の良い友人が幾人もおり[68]、どの職場でも友人付き合いをし、心を開いて話をする店主がいる行きつけの酒場などもあった。また掲示板を介しても自らオフ会を提案し、全国を旅行して相手先に宿泊し心を通わせるなど、積極的人間関係の構築により友人が多数いた[69]。事件当日も作業着事件で辞めた元職場の友人へ遊ぼうと呼びかけている。

また「若者が希望を持てる社会、などと言われたりしているようですが、意味不明です。何故そうやって社会のせいにするのか、全く理解できません。あくまでも、私の状況です。社会の環境ではありません。勝手に置き換えないでください」[70]と述べている。

北海道大学准教授の中島岳志は「コミュニケーションが下手で、友達がいない若者はたくさんいる。加藤はうまくやっている方で、もしかしたら、私が教えている学生の方が友達がいないかもしれない。なのに、加藤は孤独だった。問題は友達がいないことではなくて、友達がいるにもかかわらず孤独だったこと」と主張している[71]。

学歴
加藤は親への恨みから大学に進まなかったことを、不利益であったため後で考えれば損だったとは述べている[72]ものの「事件とは無関係です」ときっぱり否定し、むしろそのような動機を盛る者達の学歴に対する劣等感を指摘している[73]。

「盛られた動機」に対して
加藤は繰り返し捜査機関側が都合のいい供述調書を作ろうとさまざまな動機をでっち上げ、それを前提とした供述をさせようとしたことを挙げ、そのような「盛られた動機」を調べもせずに垂れ流す 「広報」と化した大手報道媒体を捜査機関とともに批判している。また「専門家の話もほとんど嘘」と指弾し、そこから出てくる対策に効果などないと結論づけている[74]。

過去の自暴自棄
加藤は精神的に不安定になり、仙台の警備会社では事務所に火をつけるかトラックで突っ込むかして襲撃する計画、地元の青森で車で対向車線側のトラックに突っ込んで自殺するという計画を立てたりしていたと語っている。2006年8月末と2007年には自殺計画を練り、友人や家族に自殺予告のメールをした後で実行に着手しようとしたが、最終的には実行しなかった。

事件後の対応
歩行者天国の中止
通り魔事件は、事件当時秋葉原で実施されていた歩行者天国にも影響を与えた。事件発生を受けて、千代田区と万世橋警察署、地元町会で歩行者天国のあり方を検討することとなり、毎週日曜日および祝日の12時から17時まで中央通りで実施していた歩行者天国の当面の中止を、東京都公安委員会が決定した[注 7]。

その後、自治体や地元町会・商店街の検討会により、住民によるパトロールの実施・監視カメラの設置、安全に関する協定の制定など防犯体制の案がまとまり、2010年(平成22年)の夏休みをめどに再開することを予定していた[75]。しかし警察庁から、地元からも警備要員を出すように要望があり、その体制がまとまらなかったことから、歩行者天国の再開時期が報じられては延期という状態がしばらく続いていた[76]。最終的には、路上パフォーマンスを警戒する警備要員を一定数、常時巡回させる計画でまとまり、地元住民の同意もほぼ得られたとして、2011年(平成23年)1月からの歩行者天国再開を、2010年(平成22年)12月中に東京都公安委員会に諮ることとなった[77]。

歩行者天国の再開
その結果、毎週日曜日のみ、実施時間を13時から17時(4月以降は18時)まで[78]とし、実施区間も従来より200メートル短縮したうえで、2011年(平成23年)1月23日より歩行者天国が再開されている[79]。また、歩行者天国実施中は事件再発防止の観点から、事件が発生した交差点は、緊急車両を除く全ての車両の進入が禁止となった。再開は試験的なもので、期間は2011年(平成23年)6月26日までを予定していたが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による余震や計画停電が懸念されたため一時中止[80]された。その後、計画停電の影響が薄れたことや地元商店から再開の要望が多かったため4月17日より歩行者天国が再開された[81]。

公的機関
警察のパトロール強化
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出典検索?: "秋葉原通り魔事件" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年10月)
福田康夫内閣総理大臣(当時)は、泉信也国家公安委員会委員長に対し、事件の再発防止策の検討を指示した。

事件後、秋葉原周辺には模倣犯防止のため、警視庁・万世橋警察署の制服警察官や私服警察官、刑事・警視庁公安部の職員が多数配置されており、パトカーによる巡回、不審者に対しては職務質問を随時実施している。

犯罪予告への対応強化
事件後、複数の電子掲示板では殺人などの犯罪予告が相次ぎ、7月7日までに33人を検挙した。事件前は月に2,3件だったが、事件後1ヶ月で100件以上になっている。このほとんどが10代と20代だが、小学生や中学生が行ったものもある。供述内容などからそのほとんどがいたずらとされているが、実行の意思とは関係なく、このような行為は脅迫罪や威力業務妨害に該当する[82]。また、通り魔事件や犯人に対して言及したものも一定数みうけられる。警察庁は6月24日に、全国の警察本部に電子掲示板への犯罪予告の書き込みを厳正に取り締まり、検挙例を積極的に広報することなどの通達を出した[83]。

事件発生から4日後の6月12日、矢野さとるにより犯罪予告情報共有ウェブサイト『予告.in』が作成された。

銃刀法の改正
この事件の影響を受け、町村信孝内閣官房長官は刃物の所持規制強化を検討すると述べた。その後、2009年(平成21年)1月5日に銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)が改正された。内容は「刃渡り5.5cmの剣が原則所持禁止」が主となっている。これによりカキの殻むきナイフの一部なども違法にあたると発表され、各業界で混乱を招いている[84]。

カウンセラーの派遣
千代田区は、要望があれば区内の全小中学校に子供達の精神ケアを行うカウンセラーを派遣することを決めた[85]。


光免疫療法「コロナも攻撃」 ピンポイントで正常な細胞に影響せず 東京慈恵会医科大など研究チーム

2022年07月17日 06時59分26秒 | 新聞を読もう

毎日新聞 2022/7/16 


 東京慈恵会医科大などの研究チームは、がんをピンポイントで攻撃する「光免疫療法」の仕組みを使い、細菌や真菌、新型コロナウイルスを殺すことに動物実験などで成功したと発表した。

体内で必要な細菌などには影響を与えず、薬剤耐性菌だけを狙って攻撃できる可能性があるという。

 研究チームは、細菌の一種「黄色ブドウ球菌」の表面にくっつく抗体に、光が当たると反応する物質を結びつけた薬を作った。

 それを、鼻腔(びくう)に黄色ブドウ球菌を保菌させたラットへ投与。続いて、鼻腔に近赤外光を当てると、数分で黄色ブドウ球菌だけが死んだ。
 


映画 永遠のマリア・カラス

2022年07月17日 06時35分37秒 | 新聞を読もう

Forever Mary Crow DVD

解説

オペラの天才歌手マリア・カラスの謎の最晩年期にスポットを当てたドラマ。

監督・脚本は「ムッソリーニとお茶を」のフランコ・ゼフィレッリ。脚本は「ベント/堕ちた饗宴」のマーティン・シャーマン。撮影は「尼僧の恋/マリアの涙」のエンニオ・グァルニエリ。

音楽監修は「トスカニーニ」のユージーン・コーン。

出演は「8人の女たち」のファニー・アルダン、「仮面の男」のジェレミー・アイアンズ、「ムッソリーニとお茶を」のジョーン・プローライトほか。

2002年製作/108分/イタリア・フランス・イギリス・ルーマニア・スペイン合作
原題:Callas Forever
配給:ギャガ・コミュニケーションズ

ストーリー

1977年。パリのアパルトマンで、オペラ界の伝説のスター、マリア・カラス(ファニー・アルダン)は隠遁生活を送っていた。

そんなある日、カラスのかつての仕事仲間であるプロモーター、ラリー(ジェレミー・アイアンズ)が、カラスの全盛期の録音を使い、カラス主演のオペラ映画を製作する企画を持ってくる。

一度は反発したカラスだったが、苦しい胸中をジャーナリストの友人サラ(ジョーン・プローライト)に打ち明け、やがて承諾する。作品は「カルメン」。

たちまちヒロインの役作りにのめり込んでいったカラスは、相手役のドン・ホセに自らマルコ(ガブリエル・マルコ)を選ぶほどの熱の入れよう。

だが「カルメン」のテスト試写を見たカラスは動揺し、ラリーに「トスカ」を今の自分の声で歌いたいと提案する。それは却下されたが、やはり口パクの作品を公開することはプライドが許さず、「カルメン」のお蔵入りを要求するのだった。

スタッフ・キャスト
 
永遠のマリア・カラス
  • ファニー・アルダン

    Mairia Callasファニー・アルダン

  • ジェレミー・アイアンズ

    Larry Kellyジェレミー・アイアンズ

  • Sarah Kellerジョーン・プローライト

  • ジェイ・ロダン

    Michaelジェイ・ロダン

 
 60年代の音源が多かったと思われるがとても綺麗に仕上がっていました。リアルタイムで聴くことの出来た人が本当にうらやましいです。

 ストーリーとしては監督の遊び心が感じられる作品でした。生前のカラスと仲が良かったというテロップからも判断できるのだが、彼女の自由奔放な性格や芸術に対するこだわりが良く伝えられています。ラリーに関する設定は遊び心なのでしょうね。
 
 
 マリア・カラスの映画がまさかロックで始まるとは思わなかった。それはさておき、吹き替えで作る歌劇映画の美しい映像と音楽との融合がとても素晴らしくて芸術の香りに浸れる。
そして彼女の偉大な才能と同時に、歌手としての頂点を過ぎて晩年は不幸だったといわれる人としての弱さも描かれていて、美しく我儘で脆い彼女の晩年の芸術にかける思いと誇りが綺麗に少し耽美に描かれていた。
そのような演出が上手で引き込まれた。
ただし歌劇か音楽に興味がないと楽しめないだろうし、オナシスとジャクリーンの名前が突然出てきたりしてマリア・カラスについてある程度の予備知識がないとわかり辛い作品になっているので、観る人を選ぶ作品でもある。それにしてももしこのようなカルメンの映画があるのならば是非それだけは見てみたかった。
 
 
この映画を語るとき、まずファニー・アルダンに触れるべきなんだろうけど、個人的にはジェレミー・アイアンズ。やっぱりスゴイ役者だ。

男の色気というか、あの存在感。むしろマリア・カラスを喰ってしまってるくらいで、あの役どころにはもう少し印象の薄い俳優を配した方がよかったんじゃないか、と言いたくなるほど。

切ない話だが、老いに苦悩するかつての大スターというモチーフに案外新鮮味が無く、劇中劇の「カルメン」の方をもっと観たいと思ってしまった。
 
 
最初は劇場で見たので、音響もあってかとにかく「カルメン」のシーンが最高でした。鑑賞後にすぐにマリア・カラスのカルメンのCDを買った。

当時鑑賞した理由は、声優の田中真弓が「印象的だった映画」として挙げていたからです。
当時真弓さんは、年齢を重ねることによって昔出せた声が出せなくなる悩みを話しておられたことがありましたから、この映画にも共通する、代わりのきかない声、というのがキーワードでしょうか。

皆さんも書いているようにファニー・アルダンがすばらしいです。
男の子が絵を見せるシーンも良かった。
ラストも切ないけど、ああ…そうだよなと思った。
のちにDVDを購入して何度も見ている。
 
『永遠のマリア・カラス』
原題Callas Forever.
製作年2002年。上映時間108分。

オペラの天才歌手マリア・カラスの謎の最晩年期にスポットを当てたドラマ
以太利(イタリア)/仏国(フランス)/西班牙(スペイン)/英国(イギリス)/羅馬尼亜(ルーマニア)合作作品。

お話は、
20世紀のオペラ界じゃ、マリア・カラスの美声と美貌は今でも名を馳せてると思う。
せや、彼女の晩年はその歌声も失い、愛するギリシャの大富豪オナシスも亡くして失意の中、パリで隠遁生活を送っとった。
そんなカラスのもとにある日、彼女のかつての仕事仲間ラリーは何やら企画書を持参して訪問する。
それは、カラスの全盛期の録音を用いて彼女が主演するオペラ映画を製作するちゅうもの。
最初は戸惑い、そのオファーを拒否するカラスやったが、次第に彼女の中であの頃と同じ情熱が甦ってくるぅ。。。

マリア・カラスは、1923年に生まれた天才ソプラ ノ歌手。
ホンマ天才やと思う。
シビレる~ぅ🥺。
 
15歳でプロデビューした彼女の歌声と美貌は繰り返しになるけど、 今でも世界中で絶賛されてる。
また、
『世界で最も有名なふたりのギリシャ人のひとり』
と自称しとる船舶王オナシスの愛人として、スキャンダラスな私生活が世界から注目されてた。
せやけど、オナシスはマリアを捨て、ケネディ元大統領の未亡人ジャクリーンと突然再婚してしまったん。
オナシスはジャックリーンを大国米国恐ろしい陰謀から護れるんは最強パワーとゼニ持ってる俺しかいない😠😤。
なんて思ったんかな。
野郎はか弱き女子に弱いねんなぁ。
例えそのか弱さが演技でも。
オナシス一筋やったマリアは、 生涯未練を残してるんは彼女の残した言葉でもうかがえる。
1974年には日本で初公演を開いたんやけど、札幌のコンサートで思うように声が出なくなったと悟り、『二度と歌わない』ってはんなりした歌の世界から突然引退する。
恋の傷は癒されず、声も出ぇへん。
すべてを失ったマリアはパリの自宅に引きこもり、やがて鬱状態に。。。
ほんで、1977年に33歳で亡くなっちゃいます。
フランコ・ゼフィレッリ監督はオペラ監督でもあり、 生前のマリアとは20年もの親交があり、彼女が苦しむ姿 も見ていたそうです。
そんな監督が、マリアへのオマージュで作り上げたのが、この
『永遠のマリア・カラス』です。
オペラ好きの小生にはマリア・カラスの歌声を映画で聴けるんはとてもうれしいが、中々見る機会がなかった。
加えて、女優ファニー・アルダンは将にマリアの生き写しのようで、素晴ら
しい演技を見せてくれました。
日本での👎️のコンサートを嘆き、表舞台から遠ざかったマリア(ファニー・アルダン)。
ここまでは現実に起きたことやけど、この後の展開はフィクションっすわ。
ゼフィレッリ監督の想像の世界となります。
マリアは古くからの友達との接触も拒んでいたんだけど、長年のプロモ ーターのラリー(ジェレミー・アイアンズ)が
『オペラ の映画を作ろう』
と家に押しかけてくるの演技はマリアに実際にやってもらうけれど、歌声は全盛期にレコーディングしたモンを使うから心配無用、ちゅう強引な企画。
初めは『そんなのマヤカシだわ』と申し出を断るマリア。
しかし、 ラリーの情熱に打たれてオペラの舞台では演じたことのない『カルメン』をやることに。
マリアはカルメンの相手、ドン・ホセ役のオーディションに参加したり、みんなが疲れていてもリハーサルを続けたりと、かつての情熱と完璧主義を取り戻し、見事にカルメンを演じきる。
歌声はマリアのものを使っているんやけど、ファニー・ アルダンの仕草や歌い方、気性の激しさとか、私的ながらマリアにクリソツ。
また、作中にはゼフィレッリ監督の趣 味が反映されとって、美青年がたくさん出てる。
野郎から見ても美しい。
とにかく、オペラが好きな人は必見かな。
マリアの悲しみや孤独を凝縮したラストに、小生はかなり感動しました。
 
才能がある人は、楽しいだけでなく、苦しさもある。監督がカラスを尊敬しているのがわかる
オペラの天才歌手マリア・カラスの謎の最晩年期にスポットを当てた伝記ドラマ

彼女なりの苦悩


いろんな問題が

展開はまあまあ

歌が素敵
ノリもあり豪華な感じ

ファニー・アルダンの演技が良かったです
 
 
正直、私は退屈な映画でした。
オナシスを失って、失意の悲しみの中から立ち上がっていく姿はカッコ良いと感じました。
失意の中で、自分のレコードをかけて悲しみにくれる姿は、とても胸にくるものがありました。

ただ、マリア・カラスの幼少期、オナシスとの出会い、その後の人生のストーリーの映画だと思ってた。

70年代のシャネル・ファッションが見れて良かったです。
 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 

恍惚(2003年製作の映画)

2022年07月17日 05時57分34秒 | 社会・文化・政治・経済

恍惚

NATHALIE...

7月15日午前3時30分からCSテレビのザ・シネマで観た。

2度目で、内容をほとんで覚えていなかったが、「騙されたのだ」と悟る最後のシーンだけが強烈な印象であった。

 

製作国:

上映時間:105分

 
 

夫に対する複雑な感情、登場人物間の関係性、人間の性的欲望など、人間の描写がおみごと。

なので、ストーリーは日常から逸脱していても、大人の落ち着いた雰囲気があり、「普通こんなことしない」と無関係な第三者としてではなく、部分的に共感しながら、ゆったりと観られる。監督の才能か。
先に「クロエ」は観ていたけれど、違く作品にように感じた。

 

エマニュエル・ベアールだから成り立つ作品。小悪魔的な雰囲気ですべてを騙せる。
ファニー・アルダンとジェラール・ドパルデューの熟年夫婦。

夫が不倫しているのでは?と疑い始め、娼婦ナタリー( エマニュエル・ベアール )を利用して夫を探ろうとするが…
ファニー・アルダンの知的な雰囲気とは対照的なエマニュエル・ベアール。上品な作品なのに、台詞だけは凄くエロチックで刺激的。
エマニュエル・ベアール、娼婦役も似合うけど、ブルーのセーターで普通にスケートリンクで滑るシーンがとってもかわいい。

 

【奥さまの欲望、行方不明】

公開時にベアールさん目当てでみました。リメイク『クロエ』に合わせ再見。夫を疑う妻が、雇った娼婦を近づけて、夫の浮気心を試す厭らしいお話(笑)。

オリジナルのこちらは静かな体裁。その抑制からにじむ面白さはあるものの、総体的にはもどかしさが残ります。あんまり乱れてくんないんだもん(笑)。

色々感ずる所あるのですが、なんかまとまりません…。コドモだなあ自分。

まずは「ポーカーフェイス映画」ですね、これ。主人公アルダン&ドパルデュー夫妻が、すれ違ってきた積み重ねからか、そんな顔で対話するばかりになってしまう、どうにもならない小さな残酷。

そして「娼婦探偵」として雇われ、アルダン心に割り込むベアールが曲者。恥部の名も飛び散る生々しい「業務報告」を、顔色変えずに淡々とこなす。で、それをじっと耐え聞くアルダンさんの表情が、映画の芯になってます。

夫婦間の性について語られますが、語りだけで実際の有様は見えてきません。これが本作の矜持ですが、限界だとも感じました。性の映画なのに、顔映画。性欲の昂ぶりが語られて、しかしその行き場がどうなるのかわからない。これは、心と身体感覚の乖離についても語っているように思えてきます。

リメイクではこのあたり、直球でやってますね。ジュリアンさんの人妻は、妄想から湧いてしまったものを、すぐ自分の体にフィードバックさせてる。この方がまあ、安堵はできるんですが。心と体、バランス取れてるようで。

娼婦探偵ベアールと共犯するように、性の妄念を静かに沸かすアルダンさん。ところが彼女は、その大半をどうも、脳内処理で賄おうとするようです。これを「さすが大人の女」とみるか、「枯れてないか?」と心配すべきか(笑)。

まあ、最後までには色々あるわけですが、総体的には性の歓びを讃えるより、性欲を解体する方へと、向かうように思えます。加齢と共にそうなった方が、やっぱり落ち着くんだろうか?

安易に「解決」は見せない本作。あるのは、とある夫婦の「歩き方」の提示まで。

…他に幾つも切り口が見える作品ですが、やっぱり巧く書けないので、このへんにしときます。

あ、音楽は、今では懐かしい感じもするマイケル・ナイマンですが、やっぱりいいです、直球に情緒的で。久々に彼のサントラ欲しくなりました。

 
 
クロエを観てからこちらも視聴しました。
クロエを見てからだったらこちらを見る必要はあまりないかも。

違いを挙げるなら、
・ストーリーの分かりやすさとか女の魔性感はリメイク版の方が長けてる
・妻もちゃんと男と不倫してた
・妻の方がナタリーに依存してる感じがした。
・妻の夫への対応が圧倒的に冷たい。避けてるの妻やん
・普通に金目当て

ナタリーの乳の形がマジで綺麗だからそれだけはほんと見て良かったと思った。
 
 
複雑な女の心理が描かれていると思います。

 やっぱり空想するのが女性の仕事。知りたくないけど知りたい好きな人の一面。たくさんあります。でも他人に浮気を依頼するような行動はとれないです。

 そしてそれからエマニュエル・ベアールが仲良くなれたのがうれしかったと言うのは本当のことでしょう。人間求めてるものはなんだか一緒です。
 
 
 
 
夫の浮気にショックを受けた妻が娼婦をけしかけ、その反応を聞くうちに...というややこしくて面倒臭い(笑)設定のフランス映画。いかにも浮気しそうなジェラール・ドパルデュー、お人形さんのような風貌なのに情事を赤裸々に語っていくエマニュエル・ベアール。
そして最初恐る恐るだったのにだんだん大胆さと貫禄を増していくファニー・アルダンという主要キャストの三者三様の演技の巧さ、そして「それはさすがに予想してなかった!」と裏をかかれた意外な展開とそれが必然に感じられるような余韻といい。
内容は下世話だけどw心の揺れ動きをじっくり見守れるドラマとしては一級品。
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愛を見失いかけてる大人たちのロマンス。女性像を対象にしたい意図は汲むし職業柄なのも分かるけどエマニュエル・ベアールは元が良いので無駄に派手な化粧をしない方が良かったのになとは思う。
 
 
 
べアールが官能小説を読んでくれるような作品。ケバくない方が好み。
 
 
 
リメイク版『クロエ』よりナタリーの方が妖艶でいい。
フランス語と英語でこうも違うとは。
言葉の響きって大事。