赤澤竜也作家 編集者
2021/10/30(土) 17:45
衆院選投票をひかえ、選挙一色に染まったマスコミ報道。その間隙を突いた衝撃の天下り人事がヒッソリと報じられた。美並義人東京国税局長が11月1日付けで日本郵便の専務執行役員に就任するというのである。(以下、役職名および所属は当時のものを使用)
赤木俊夫さん自死のあと、美並義人近財局長はどのような処分を受けたのか。
2017年2月8日、木村真豊中市議が国有地の売却額が非開示とされていることに対して訴訟を提起し、翌日の朝日新聞で報道されたことにより始まった森友学園事件。
発覚から18日後である2月26日の日曜日、赤木俊夫さんは職場へ呼び出され、公文書改ざんを強要された。当時、近畿財務局の局長だったのが美並義人氏である。
改ざん行為はその日だけにとどまらず、財務省本省からの書き換え強要はエスカレートしていった。
現場で赤木俊夫さんは精一杯の抵抗を示す。残された妻・赤木雅子さんが起こした訴訟のなかで開示された「赤木ファイル」には3月8日17時45分のメールが添付されていた。CCで田村嘉啓国有財産審理室長や冨安泰一郎国有財産企画課長といった本省幹部にも送られた本文には、
「売払調書 今後、会計検査院の受検を受ける当局として、既に意思決定した調書を修正することに疑問が残る」
と改ざん行為の要求に対する疑義がハッキリと記されている。現場の一職員が本省のキャリア官僚に対してこのメールを送るに際し、どれほどの勇気が必要だったのだろうか。
直属の上司であった池田靖前統括国有財産管理官は2019年3月9日、弔問のため訪れた赤木さん宅にて、雅子さんに対し、
「で、赤木さん。正直涙を流しながら抵抗していた。それを、僕自身がちゃんと本省……。本省にもちろん僕自身も抵抗はしていたんですけれども、一切赤木さんらがおっしゃることを聞くことなくどんどんのめり込んだわけでは決してないんですけれども、一応課長という立場で止め切れなかった」
と明かしている。
現場の職員が涙を流して抵抗した。命がけで本省キャリアにも抗議のメールを送った。上司も思いとどまるよう要望した。しかし、現場の意思はこれっぽっちも顧みられることなく、財務省が次々に改ざんの指示を送ってきたことは「赤木ファイル」からも明らかだ。
本来なら近畿財務局長として、本省からの無謀な要求に対し体を張っていさめ、局員を守るべき立場にあったのが、ほかならぬ美並義人氏なのである。
俊夫さんは改ざん行為の強要のほか、その後の会計検査院検査、情報公開請求などでも存在するはずの書類がないと答えるよう強いられたことなどを苦に2018年3月7日、みずから命を絶った。
その年の6月4日、財務省は改ざん調査報告書を発表した。しかし、美並氏の関与については「近畿財務局の管財部職員から状況報告を受ける立場にある監督責任が認められる」とされただけにとどまり、戒告処分を受けたに過ぎなかった。
美並局長は「本件に全責任を負う」と語った。
2020年3月18日、ジャーナリストの相澤冬樹氏は週刊文春誌上において赤木俊夫さんの「手記」を公表した。
そのなかにはこんな一文があった。
「3月7日頃にも、修正作業の指示が複数回あり現場として私はこれに相当抵抗しました。楠(敏志)管財部長に報告し、当初は応じるなとの指示でしたが、本省理財局中村(稔)総務課長を始め田村(嘉啓)国有財産審理室長などから楠部長に直接電話があり、応じることはやむを得ないとし、美並近畿財務局長報告したと承知しています。
美並局長は、本件に関して全責任を負うとの発言があったと楠部長から聞きました」
本来なら局員を守るべき立場である美並局長は、本省の改ざん行為強要を止めるどころか「全責任を負う」と語り、配下職員を犯罪行為に加担させていたというのである。
私には、この俊夫さんの手記の記述はそうとしか読み取れない。
ところがそうではないと、本人は言っているようなのである。
手記公表から6日後の衆議院財務金融委員会において、共産党の清水忠史氏が「全責任を負う」発言について財務省に問いただした際、茶谷英治大臣官房長は、こう答弁した。
「お答え申し上げます。今のその文言(全責任を負う)は(調査報告書に)書かれておりませんが、報道を受けて念のために美並元局長に改めて確認したところ、調査過程において申し述べたとおり、平成二十九年二月上中旬ごろ、国会で森友問題が取り上げられる中、本省から近畿財務局に対し、国会答弁作業などに向けた作業依頼が多々あった、迅速な作業が求められることを踏まえ、部下職員に対し、理財局の指示に従う以上は逐一、局長、美並元局長でございますが、に上げる必要はない、それについては責任を持つ、自分は聞いていなかったと言うつもりはないと述べたということでございました」
つまり、
「改ざんについて全責任を負うと言ったのではない。自分にいちいち報告を上げなくてもよく、知らないところで勝手に何をやっても構わない。そのことについて全責任を負う。何が行われようと、あとで聞いていなかったというつもりはない」
という意味だと美並氏は茶谷官房長に対し答えたというのだ。
俊夫さんの手記をどう読んでも、改ざん行為実行の最中に美並氏が「全責任を負う」と発言したとしか理解できないのだが、そういった不正が行われる前の発言だというのである。
では当時の美並局長は自らの配下職員が改ざん行為を強要されていたことを知っていたのだろうか。
2020年11月18日の衆議院財務金融委員会において、立憲民主党・日吉雄太氏の「美並元局長が具体的な改ざんを把握した時期、いつそれについて知ったのか、教えてください」という質問に対し、茶谷官房長は、
「美並元近畿財務局長に連絡をとりましたところ、美並元近畿財務局長の方から、調査過程において申し述べたとおり、決裁文書については、様式や字句の修正が行われていることは聞いたが、その具体的な内容までは聞いていなかった、一連の報道と、これを受けた財務省による公表、具体的には平成三十年の三月でございますが、に初めて、改ざんが行われていたことを知ったとのことでございました」
と答えた。
美並氏は近畿財務局長時代、自らの部下が本省から改ざん行為を強要されていたことを知らなかったと茶谷官房長に対して言っているらしいのである。
改ざん調査報告書によると、具体的な作業にも手を染め、近財にも各種の指示を行ったのは田村嘉啓国有財産審理室長となっている。その田村氏は頻繁に東京と大阪を行き来し、近畿財務局に対する会計検査院の検査にも立ち会っていた。
それほど大がかりにして、前代未聞の行為が局内で実行されていたにもかかわらず、その組織の最高責任者は「知らなかった」と言い、戒告という軽微な処分でお茶を濁されたあと、国税庁・東京国税局長に栄転。さらには今般、日本郵便の専務執行役員に就くというのである。
現場の職員が命を絶ってまで抗議をしても、なにも明らかになることはなく、改ざんに関わった官僚たちは出世し続けている。
一度目を通してみるとわかってもらえると思うが、改ざん調査報告書は誰が、いつ、どのような意図で、どう指示をして改ざんが遂行されたのか、その5W1Hを徹底的にぼかすように書かれた、極めて悪質な文書である。
どこをどう読んでも財務省内で何が起こったのかサッパリわからない。身内をかばうために同僚がつくったものなのだから、そうなるのも道理であり、財務省から独立した強い権限をもつ機関を立ち上げて再調査するより真相究明の手立てはない。
2020年6月15日、赤木雅子さんは第三者委員会による改ざん問題の再調査を求める安倍晋三首相宛ての35万2659筆の署名を内閣官房に提出した。
しかるに国は財務省による報告書を持って森友問題の調査は終わったとし、調査機関の設置要望に対してクビを縦に振ろうとしない。一時は前向きな姿勢を示していた岸田文雄首相も10月11日の衆議院本会議代表質問で「財務省の調査や検察の捜査で結論が出ている」として、第三者による再調査の実施をあらためて否定した。
いたずらに時が過ぎていくなか、改ざん事件に関わった財務省の官僚たちはみな栄達を遂げている。
改ざん調査報告書において、「中核的な役割を担った」と断定されている中村稔総務課長はロンドン公使に大栄転。2017年4月21日の衆議院国土交通委員会で「システムの運営を業務委託しております運営会社の専門家でありましても、(近畿財務局の)データの復元はできない」と虚偽答弁をした岡本薫明官房長は主計局長を経て、事務方トップの事務次官を2年務めた。
俊夫さんの手記において、法律相談文書について虚偽答弁をしたと名指しで批判されていた太田充理財局長は岡本氏の後を継いで主計局長、事務次官に就任。そして昨日、美並義人氏の華麗なる天下り人事のニュースが飛び込んできたのだった。
赤木さんの霊前で美並義人氏はなにを語ったのか。
2018年6月19日、俊夫さんが亡くなってから約3ヵ月後のこと。美並近畿財務局長は弔問のため神戸の赤木さん宅を訪れている。
滞在時間は21分。そのなかで、美並氏は、
「これは、お聞き及びかもしれませんが、今月初めに報告書を出させていただいて、そのなかでは、もちろん名前は出ていませんが赤木くんが、こんなことはするべきではないという話をしたことも、ちゃんと書かせていただいておりますので」
と語っている。
そうなのだ。改ざん調査報告書には俊夫さんの名前すら記載されていないのである。もちろんその自死にも触れられていない。改ざん行為の強要により死者が出ているにも関わらず、その事実についてすら触れることなく再発防止などできるはずがない。
美並氏はまた、
「赤木くんのおかげで近畿財務局全体の名誉が守られた」
とも述べている。
財務省から改ざん指示があったなか、近畿財務局に抵抗する人間がいたからその名誉が守られたということなのか。なんか格好いいことを言っているようで、よく考えてみるとなんのことだかサッパリわからない。
雅子さんの、
「最後、本当に病気になってしまったので、かわいそうだったのですが、今は楽になって、いいところに行けたらなと思っています」という言葉を受けて、
「そうであれば、われわれとしても、申し訳ないなという気持ちがあります」
という発言はあったものの、財務省からの改ざん強要に対し、近畿財務局長として部下を守り切れなかったことに対する謝罪はひとこともなかった。
先にも述べたよう、俊夫さんの「手記」には美並氏の「本件に関して全責任を負う」という発言が記されている。当然、雅子さんの脳裏にはその言葉が刻み込まれていた。
では、なぜ、美並局長が自宅を訪れた際、「本件に関して全責任を負う」という言葉の意味を問いたださなかったのか。
雅子さんは私の問いかけに対し、
「当時、私は夫の直属の上司である池田さん(靖・元統括国有財産管理官)に来て欲しかったんです。生前の夫の状況や何をさせられていたのかなど、一番よくご存じでしたので、いろいろ聞いてみたかった。でも夫の同期生で、財務省や近畿財務局と私との連絡役になってくれていた深瀬康高さんに池田さんのお悔やみ訪問をお願いすると、『来るには順番があるんだ』と。まずは役職の高い人から弔問に行かなくてはならないと強くおっしゃった。池田さんに来てもらうには、まず美並さんに機嫌よく帰ってもらわなくてはならない。そんなことばっかり考えていたので、『全責任を負う』発言については尋ねられなかったんです」
と答えてくれた。
夫を官僚組織に殺されたにもかかわらず、真っ先にその責任を問われなくてはならない者に対して気を遣っていたという事実が切ない。
私は国会にて茶谷官房長が美並氏から聞いたとして語った「本件に関して全責任を負う」という発言に対する弁明も、改ざんが行われた事実は2018年3月以降に知ったという説明も信じていない。
ただ百歩譲って、それが本当だったとしよう。だとしても、美並氏が2017年2月上中旬に「本件に関して全責任を負う」と配下である近畿財務局職員に対して発言したことは当人も認めているところである。
その後、彼の部下である赤木俊夫氏は「本件」による自責の念にかられ、命を絶った。上司たる美並氏はどのように「全責任」を取ったのだろうか。戒告処分を受けたことで「全責任」を取ったとでも言うのだろうか。
そもそも「自分は聞いていなかったというつもりはない」と部下に言っておきながら、後ほど「改ざんが行われたとは聞いていなかった」と弁明している時点で、責任を取る意思など毛頭ないのではないだろうか。
部下に対してでかい口を叩いておいて、いざとなるとケツをまくって逃げる人間ほど卑怯な輩はいない。そう思われないよう、美並氏には「本件」について真摯に話す責務がある。
俊夫さんの「手記」が公表されて以降、美並義人氏は一度たりとも公の場で、自らの名前が「手記」に記載されていること関する説明を行っていない。国会議員がわざわざ東京国税局まで足を運んで話を聞こうとしても、面談を拒絶し、自宅前で直撃して問いかけた報道関係者も黙殺している。
そんな人物が日本郵政株式会社法による特殊会社に天下るのである。
赤澤竜也
作家 編集者
大阪府出身。慶應義塾大学文学部卒業後、公益法人勤務、進学塾講師、信用金庫営業マン、飲食店経営、トラック運転手、週刊誌記者などに従事。
著書としてノンフィクションに「国策不捜査『森友事件』の全貌」(文藝春秋・籠池泰典氏との共著)「銀行員だった父と偽装請負だった僕」(ダイヤモンド社)、「内川家。」(飛鳥新社)、「サッカー日本代表の少年時代」(PHP研究所・共著)、小説では「吹部!」「白球ガールズ」「まぁちんぐ! 吹部!#2」(KADOKAWA)など。日本文藝家協会会員。
なぜかというと、この著書によれば、凶悪犯罪者が子供の頃に、虐待などの精神的苦痛を味わい、その苦痛を無関心になるまで意識の底に押し込むという過程を踏んでいると。
自分で何を書いているのか解らなくなってきました。
とにかく、この著書を読めば、テレビや新聞などでは出会えない情報に出会えます。一読の価値あり。
自分自身に子どもが産まれ、無差別殺人等に我が子が巻き込まれることへの恐怖心が生まれ、なぜ、そのような事件が起こるのかを知りたいと思ったことが、興味を持ったきっかけです。
この本に紹介されているような、明らかに生育歴に問題のある人物だけでなく、所謂サイコパスが起こす犯罪もあるのかも知れませんが、もし、大半の殺人犯が問題のある家庭で育っているのだとしたら、行政等の介入により、今後同じような事件を発生させる可能性を少なくすることが出来るのではないかと感じました。
著者は、量刑を決めるだけの裁判ではなく、真実の究明を求めると繰り返し本書内で述べていますが、全く同意で、犯罪者を生まない為に、社会ができることが何か、再発防止する為にできることはないか、そういったことをじっくり究明する場を作って欲しいと思いました。
あと、登場する人々はみな一様に虐待を受けて育っていますが、虐待する親の心理はどういったものなのか興味があります。なぜ、そのようなひどい行いをするのか…。親自身も虐待を受けて育った為に、子に愛情を持って接することができないという悲しい事実があるのでしょうが。
本の内容についてですが、著者が直接やりとりをしていない事件についての記述は退屈で、読み飛ばしてしまう部分もありました。直接のやりとりから書かれている内容はどれも興味深く読めました。
報道で知れる内容だけでなく、犯罪者の心情について知りたいと考える人にはおすすめできる本だと思います。
自分ならおかしくならなかった
なんて自信を持って言えるでしょうか。
ホルモンや栄養バランスなどもあるでしょうが、
この世界で留め金が外れてしまう人間は
確かに作られ存在します。
それがどういう仕組みなのかこの本で理解できます。
もちろん罪に言い訳は出来ません。
ですが現実が現実を引き起こしているのだと
痛感する本です。