7/10(日) 12:47配信 現代ビジネス
恨みと憎しみが引き金に
参議院選挙の応援演説に訪れた安倍晋三元首相が奈良県で凶弾に倒れてから、2日が経過した。
【写真】山上徹也容疑者が恨んだ「宗教」と「カネ」
手製の銃を発砲し、安倍元首相に致命傷を負わせた山上徹也容疑者(41)は、殺人未遂の容疑で現行犯逮捕された後、殺人容疑に切り替えられて捜査を受けている。
あまりにも突然の出来事。間近に控えた参院選の応援演説のさなか、白昼堂々と行われた凶行は、日本の「安全神話」を根本から覆した。
山上容疑者は警察の取り調べに淡々と応じているという。
「安倍元総理がある宗教団体と繋がっていると考え、犯行に及んだという内容の供述をしているといいます。犯行に使った銃も、もともとはこの団体のトップを狙うためのものだったそうですが、接触が難しかったため、矛先を安倍元首相に向けたとされています」(全国紙社会部記者)
容疑者を犯行に駆り立てたのは「宗教」だったのかーー。
「容疑者はその宗教団体を恨んでいたそうです。母親が宗教団体の信者で、決して裕福とはいえなかったのに、団体にのめり込み多額の献金をし、ついには2002年ごろ、自己破産するまで追い詰められてしまった。そのため、家庭をめちゃくちゃにした宗教を憎んでいたとみられます」(前同)
山上容疑者はどのような人生を歩んできたのだろうか。
おとなしい少年に何が
小学校時代の容疑者
山上容疑者が幼少時代を過ごしたのは、宝来山古墳(第11代垂仁天皇陵とされる前方後円墳)や、平城京跡南口、唐招堤寺などといった歴史的な建造物が近くにあるエリアだ。
その古くからある集落の一角、区画整理された新興住宅地に、山上容疑者が幼少期を過ごした家はあった。容疑者の祖父が1970(昭和45)年に購入した土地で、広さは約240平方メートル。近隣住民らによると、当時の価格で730万円ほどだった。
銀行や商店などは近くになく、自家用車が必須。暗くなると人通りも少なくなる、静かな街だ。
「子どもの頃の彼は大人しくて控えめな少年でした。それがまさか、こんな事件を起こすなんて考えてもいませんでした」
そう話すのは、山上容疑者家族の知人。
「初めて会ったのは、彼が5歳くらいの時でした」
容疑者の母親の実家に、母ときょうだいの4人で引っ越してきたのだ。祖父は会社経営をしていた地元の名士。
父親はそこの従業員だったというが、山上容疑者が物心をついた頃に死別した。
「容疑者の祖母も亡くなっていて、祖父が一人暮らしをしていたため、お母さんは同居を決めたそうです」(前出の知人)
娘や孫たちとの同居に、祖父はさぞ喜んだことだろう。
「妹はおじいちゃんとよく手を繋いで散歩していたり、いつもニコニコとしていました。でもお兄ちゃんほうは、外で遊ぶ姿などをあまり見なかった。おとなしい子なんだな、と思っていました」(前同)
当時、容疑者の母親は仕事をしておらず、風向きが変わったのは家計を支える祖父が亡くなった頃のこと。1999年、実家は人手に渡り、隣町に引っ越したという。
母子が引っ越し先として選んだのは、近鉄・大和西大寺駅周辺。ほかでもない、山上容疑者が凶行に及んだ事件現場は、彼がよく知る場所だったのだ。
「このあたりは同じ区画の住民同士の結束が強い。新しい人とのお付き合いはなかなかありません」(近隣住民)同じ住宅街でも、こちらはターミナル駅から徒歩10分ほどと立地はいい。記者が歩いてみると、立派な門構えの住宅も多く、どこか背筋が伸びるような地域だった。 ただし、彼らの住まいは、広い一戸建てから1970年代に建てられたアパートに変わった。
山上容疑者の母親はこの頃から宗教にのめり込んでいったとみられている。信仰により変わっていく母親の姿は、多感な年頃だった容疑者の目にどのように映っていたのだろうか。 夫、父親と、立て続けに喪い、子どもたちを抱えてシングルマザーになった母親。
「お母さんは上品で物静かな人でした。教育ママ、というわけでもなく穏やかな方。容疑者は勉強が良くできたようで、奈良県内屈指の進学校に進んだそうです。おじいさんも有名大学を卒業していると聞きましたから、目標にしていたのかもしれません」(同前)
だがその後、家庭はゆっくりと壊れていった――。