安倍元首相襲撃事件…山上徹也容疑者が恨んだ「宗教」と「カネ」

2022年07月10日 15時02分56秒 | 事件・事故

7/10(日) 12:47配信 現代ビジネス

恨みと憎しみが引き金に

 参議院選挙の応援演説に訪れた安倍晋三元首相が奈良県で凶弾に倒れてから、2日が経過した。

【写真】山上徹也容疑者が恨んだ「宗教」と「カネ」

 手製の銃を発砲し、安倍元首相に致命傷を負わせた山上徹也容疑者(41)は、殺人未遂の容疑で現行犯逮捕された後、殺人容疑に切り替えられて捜査を受けている。

 あまりにも突然の出来事。間近に控えた参院選の応援演説のさなか、白昼堂々と行われた凶行は、日本の「安全神話」を根本から覆した。

 山上容疑者は警察の取り調べに淡々と応じているという。

 「安倍元総理がある宗教団体と繋がっていると考え、犯行に及んだという内容の供述をしているといいます。犯行に使った銃も、もともとはこの団体のトップを狙うためのものだったそうですが、接触が難しかったため、矛先を安倍元首相に向けたとされています」(全国紙社会部記者)

 容疑者を犯行に駆り立てたのは「宗教」だったのかーー。

 「容疑者はその宗教団体を恨んでいたそうです。母親が宗教団体の信者で、決して裕福とはいえなかったのに、団体にのめり込み多額の献金をし、ついには2002年ごろ、自己破産するまで追い詰められてしまった。そのため、家庭をめちゃくちゃにした宗教を憎んでいたとみられます」(前同)

 山上容疑者はどのような人生を歩んできたのだろうか。

おとなしい少年に何が
小学校時代の容疑者

 山上容疑者が幼少時代を過ごしたのは、宝来山古墳(第11代垂仁天皇陵とされる前方後円墳)や、平城京跡南口、唐招堤寺などといった歴史的な建造物が近くにあるエリアだ。

 その古くからある集落の一角、区画整理された新興住宅地に、山上容疑者が幼少期を過ごした家はあった。容疑者の祖父が1970(昭和45)年に購入した土地で、広さは約240平方メートル。近隣住民らによると、当時の価格で730万円ほどだった。

 銀行や商店などは近くになく、自家用車が必須。暗くなると人通りも少なくなる、静かな街だ。

 「子どもの頃の彼は大人しくて控えめな少年でした。それがまさか、こんな事件を起こすなんて考えてもいませんでした」

 そう話すのは、山上容疑者家族の知人。

 「初めて会ったのは、彼が5歳くらいの時でした」

 容疑者の母親の実家に、母ときょうだいの4人で引っ越してきたのだ。祖父は会社経営をしていた地元の名士。

 父親はそこの従業員だったというが、山上容疑者が物心をついた頃に死別した。

 「容疑者の祖母も亡くなっていて、祖父が一人暮らしをしていたため、お母さんは同居を決めたそうです」(前出の知人)

 娘や孫たちとの同居に、祖父はさぞ喜んだことだろう。

 「妹はおじいちゃんとよく手を繋いで散歩していたり、いつもニコニコとしていました。でもお兄ちゃんほうは、外で遊ぶ姿などをあまり見なかった。おとなしい子なんだな、と思っていました」(前同)

 当時、容疑者の母親は仕事をしておらず、風向きが変わったのは家計を支える祖父が亡くなった頃のこと。1999年、実家は人手に渡り、隣町に引っ越したという。

 母子が引っ越し先として選んだのは、近鉄・大和西大寺駅周辺。ほかでもない、山上容疑者が凶行に及んだ事件現場は、彼がよく知る場所だったのだ。

「このあたりは同じ区画の住民同士の結束が強い。新しい人とのお付き合いはなかなかありません」(近隣住民)同じ住宅街でも、こちらはターミナル駅から徒歩10分ほどと立地はいい。記者が歩いてみると、立派な門構えの住宅も多く、どこか背筋が伸びるような地域だった。 ただし、彼らの住まいは、広い一戸建てから1970年代に建てられたアパートに変わった。

山上容疑者の母親はこの頃から宗教にのめり込んでいったとみられている。信仰により変わっていく母親の姿は、多感な年頃だった容疑者の目にどのように映っていたのだろうか。 夫、父親と、立て続けに喪い、子どもたちを抱えてシングルマザーになった母親。

 「お母さんは上品で物静かな人でした。教育ママ、というわけでもなく穏やかな方。容疑者は勉強が良くできたようで、奈良県内屈指の進学校に進んだそうです。おじいさんも有名大学を卒業していると聞きましたから、目標にしていたのかもしれません」(同前)

 だがその後、家庭はゆっくりと壊れていった――。

 

 


希望がなければ、希望を自らつくればいい

2022年07月10日 11時47分51秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽安逸に流されても一生。
激流と戦い切っても一生。
同じく生きるならば、悔いなく、最高に充実した誇りの人生を。

▽悔いなく戦い切った時、考えてもみなかった人生のドラマが待っている。

▽自分の幸福だけを追い求めていては、結局、満足のゆく幸福を得られことはできない。
他者の幸福を願い行動する。
そこに真の人生の充実があり、自ずと幸福がついてくる。

▽希望がなければ、希望を自らつくればいい。
光がなければ、自分が太陽になればいい。

▽人間は根気よくやって粘り勝ちするか、途中で諦めるかどりらかだ。

▽何の見返りも求めない行動は、返ってくる。
皆、そこに気付かない。

▽ちょっとした優しさに人の命を救う力がある。

▽心が豊かな人は幸いである。


災害は、社会の脆弱な部分を顕在化させる

2022年07月10日 11時47分51秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽正しい努力が成功しない例はない―エマソン

▽目に見える課題を問題視することは、比較的簡単であるかもしれない。
だが、<一見、問題がないように見えること>の中に、将来の問題の芽をはらんでいるかもしれない場合があるものだ。

▽災害のリスクでは、どこかで折り合いをつけるか、さまざまな角度で考えなければならない。

▽災害は、社会の脆弱な部分を顕在化させる。

▽レジリエンスは、「権威主義的な押しつけよっては得られない。
むしろ、人々の日常生活と密接に関わる社会構造や人間関係のなかで育まれるものだ」

▽個人情報の観点などから、高齢者や障害者の情報が地域で共有されない場合もある。
いざ災害の襲われた際、助けを必要としている人がどこにいりか分からなければ、地域で人命を守り合うことができない。

▽一人一人が積極的に地域の人々と触れ合い、つながりを築いていくことがますます求められる。


海自護衛艦で勤務 逮捕の山上容疑者と同一人物か

2022年07月10日 11時02分39秒 | 事件・事故

2022/7/8 23:38 産経ニュース

防衛省は8日、安倍晋三元首相が銃撃された事件で、殺人容疑で捜査されている職業不詳、山上徹也容疑者(41)=奈良市大宮町=と同一とみられる海上自衛隊に所属していた同姓同名の人物について、当時、広島・呉港を母港とする護衛艦「まつゆき」で勤務していたことを明らかにした。生年月日も一致したが同省は同一人物か確認している。

山上容疑者と同一とみられる人物は平成14年8月に期限3年の任期制自衛官として採用され、佐世保教育隊で訓練を受けた後、14年12月に「まつゆき」へ配属。大砲や誘導ミサイルなどを扱う砲雷科で見習いとして勤務した後、16年4月に広島・江田島の第一術科学校に所属する練習船へ配属され、17年8月に海士長の階級で退官した。

処分歴は確認されず、再就職先は不明。任期制自衛官として小銃の扱い方や整備方法について、年1回以上の訓練を受けていたとみられる。

 


優等生から豹変、同級生「同じ人物か」 安倍元首相銃撃の容疑者

2022年07月10日 10時54分48秒 | 事件・事故

7/9(土) 21:52配信 産経新聞

安倍晋三元首相(67)を銃撃したとして、殺人未遂容疑で逮捕された元海上自衛隊員の無職、山上徹也容疑者(41)は、奈良市内のワンルームマンションで1人暮らしをしていた。奈良市で育ち、中学や高校の同級生からは「優等生」「努力家」とも評されていた。凶行の背景に何があったのか。

【写真】送検される山上徹也容疑者。顔を隠す様子はなかった

「会話はいわゆる『ですます調』で丁寧。おとなしいが常識のある人だと思った」。今年5月まで約1年半、山上容疑者が勤務していた京都府内の工場の男性責任者は9日、奈良市内で取材に応じ、山上容疑者についてこう説明した。

男性によると、山上容疑者はフォークリフトの免許を持っており、令和2年10月からフォークリフトで荷物をトラックに積み込む「リフトマン」として働き始めた。時給は約1800円。遅刻や欠勤もなく、まじめな仕事ぶりだった。

ところが、採用から半年ほど過ぎたころ、仕事の手順を守らないことが目立ち「自己中心的でわがままな性格が出てきた」(男性)。今年1月には積み荷の扱いをめぐってトラック運転手と口論になったという。

「そしたらお前がやれや!」。3月には同僚が手順違反を指摘したことで激しい口論になり、同月末ごろから週に1~2回欠勤するように。「心臓の調子が悪い」などと訴え、5月15日付で退職した。

同僚との会話はあったが、趣味や経歴、家族構成などプライベートな話は口にしなかったという山上容疑者。男性は「世界を震撼(しんかん)させるような事件にまでいたるというのは、想像を超えている」と話した。

山上容疑者は奈良市内の小中学校に通い、中学ではバスケットボール部に所属。友人からは「徹也」からとった「こてつ」のあだ名で呼ばれていた。「どちらかというと、おとなしいタイプ」「勉強ができる優等生」。同級生らは印象をそう語る。

バスケ部の同級生の男性(41)は「どんなに厳しい練習でも弱音を吐かず取り組んでいたし手を抜かなかった。まじめで努力家だとみんなが思っていた」と振り返る。バスケは中学から始めたが、部では中心選手として活躍していたという。

逮捕を知り、「当時の姿と現場で地面に押さえつけられていた姿があまりにも乖離(かいり)しすぎていて、本当に同じ人物なのかと混乱している。決めたことをやり遂げる意志の強さが、災いしたのかもしれない」と複雑な心境を吐露した。

奈良県内有数の進学校である県立高校に進むと、今度は応援団に入部。甲子園に出場したこともある野球部の応援などに精を出した。卒業アルバムの自身の将来を記載する欄には「わからん。」としていた。

防衛省関係者によると、山上容疑者は平成14年8月に21歳で海上自衛隊に入隊し、17年8月まで任期制自衛官として勤務。高校の同級生の男性は「高校では文系のクラスに在籍していた。卒業後は大学に進学したと聞いていたが、自衛隊に入っていたと知って驚いた」と話す。

自衛隊を退職後は職を転々とし、今年5月に派遣会社を退職してからは無職だったとみられる。

山上容疑者は動機について、母親が宗教団体にのめり込み経済状況が苦しくなったこと、その団体と安倍氏につながりがあるとして恨んでいたと説明。山上容疑者の幼少期に近所で生活し、山上容疑者とその母親のことを知る男性(55)は「宗教にのめり込んでいるように見えなかった。今回の事件とはどう考えても結びつかない」と首をかしげた。

 

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