7/18(月) 11:12配信 文春オンライン
青葉が一家5人で暮らしていたさいたま市緑区のアパート
《事件から3年》京アニ放火 両親は不倫の末「駆け落ち婚」も離婚… 凶行に及んだ青葉真司被告の“特殊な家庭環境”とは? から続く
【画像】幼少期の青葉真司被告
2019年7月18日に起きた、京都アニメーション放火事件。死亡者36名、負傷者34名を出した戦後稀に見る凶悪な事件から、今日で丸3年が経つが、今なお公判すら始まっていない。凶行に走った青葉真司被告の家庭環境に迫った記事を再公開する。(初出・2022年6月24日 年齢・肩書は当時のまま)
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テレビ、新聞、ネットニュースでは、日々、あらゆる情報が流れては消えていく。しかし、この世で実際に起きていることは、大手メディアが報じる“大きな声”だけではない。
人々の“声なきこえ”をしっかりと伝え、記録に残したい――。
そんな思いから2020年10月に立ち上がったのが、YouTubeチャンネル「日影のこえ」だ。メディアで報じられた重大事件の「その後」を追い、決してマスメディアが伝えない「名もなき人たち」の声を取材し、ドキュメンタリーとして伝える。それは図らずも、事件の真の犯行動機や、表層の奥に隠された“真実”に迫るものになることも多かったという。
取材を続けてきた「日影のこえ」取材班とノンフィクションライターの高木瑞穂氏が、自身の関わった多くの事件について記した著書『 日影のこえ メディアが伝えない重大事件のもう一つの真実』 (鉄人社)より、2019年に起きた京都アニメーション放火殺人事件の被告・青葉真司の過去に迫った章を抜粋して転載する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)
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畳の部屋が血だらけに
高校卒業後、青葉は定職には就かず、コンビニでアルバイトを始めた。人生で最大のターニングポイントとなる事件が起きたのは、1999年12月、埼玉県春日部市内でひとり暮らしをしていた頃である。前出の初老の男性が語る。
「うちの2階から青葉家の部屋が見えるんですよ。畳の部屋が血だらけになってたから、首つりとか、そういうのじゃないね」
方法はわからないまでも、父親がさいたま市緑区のアパートで自ら命を絶ったのだ。そして、実父の自殺は一家の崩壊を招く。自宅近くの公園の隅で青葉の妹が、暗澹たる思いに苛まれながら猫に餌をあげている姿が近隣住民に、頻繁に目撃されていた。
「本当によく見かけるものだから、『優しいのね』って声をかけたら、『私のことなんて誰もわかってくれない』って言うんですよ。なんか危機迫っているというか、そんな感じで」
なぜ父親は自殺したのか。息子と娘を残してひとりでこの世を去る。なぜそんな選択をしたのか。
「タクシーで事故を起こしてから、お父さんのやる気がさ、生きていく気力がなくなっちゃったんじゃないの」
前出の初老の男性は推測する。彼が言うように、父親は事故を契機に奔放の域を超えてしまったのである。勝手なまでに彼だけがラクになる道を選んだのかもしれない。
「葬儀は寂しいものでした。このへんの葬儀は、親戚とか隣近所のお手伝いもいただいて粛々と執り行われるんですが、そういった方たちもいなくて」
葬式をあげた住職は言った。喪主は、青葉ではなく離れ離れになっていた長男で、青葉や妹の姿は記憶にないという。仕事をなくし体も壊す。また葬儀には親戚も現れず。おそらく長男や、前妻を頼ることもできなかったか、頼るも門前払いされたのだろう。自殺は、拠り所をなくした果てのことのようだ。
父親に続き、妹までも…
父親の死後、アパートの家賃は滞納され続け、同居していた妹は人知れず姿を消す。近隣住民によれば、以前はバイト先である近くの弁当屋に向かう姿を「よく見かけた」という。
弁当屋を頼りに消息をたどると、前アパートから車で5分ほど走った場所に妹は引っ越していた。錆びついたトタンのボロ屋が並ぶ一区画。貧民窟だ。人の気配はなく、呼び鈴を押しても応答はない。室外機の上に古びた地方紙が重なり、家の周りはゴミだらけである。
真裏に住む女性は言う。
「16年前くらいに住みはじめたみたい。付き合いはほとんどありませんでした。で、そういえば姿が見えないなって。いつ出ていったのかもわかりません。みんな置いたままで。夜逃げみたいな感じです」
「その後、誰か他の人が住まれたんですか?」
「そのままになっています。大家さんも勝手に片づけたり、処分できませんからね」
「妹さんの消息はご存じですか?」
「……実は妹さんも自殺したんですよ」
父親の死から5年後の2004年、事もあろうに妹までもが自ら命を絶っていた。僕は、ある人から彼女が暮らしていた部屋を撮影した写真を見せてもらった。そこに写っていたのは、家具や家電はそのまま、足の踏み場もないほどにゴミが散乱する様子である。父親の後を追うように自死した妹の内側には、どんな心的情景が広がっていたのか。部屋が惨状を呈していたことから、精神がひどく蝕まれていたに違いない。
女性の下着を盗み逮捕、奇行が目立ち住民とトラブルも
わずか5年の間に2人の肉親を失い、天涯孤独に陥った青葉は、ついに自暴自棄とも言うべき行動に出る。妹の自殺から2年後の2006年9月、春日部市内で女性の下着を盗み逮捕されたのだ。このときは執行猶予付きの判決が下されたが、6年後の2012年6月には、茨城県坂東市内のコンビニエンスストアに包丁を持って押し入り、現金2万円を強奪。強盗及び銃刀法違反の疑いで逮捕され、懲役3年6月の実刑判決を受ける。
青葉はこの頃、茨城県内の雇用促進住宅に住んでいた。警察立ち合いのもとで部屋に入った管理人によれば、妹の住まい同様、彼の部屋もゴミ屋敷と化していたそうだ。強盗事件については「仕事上で理不尽な扱いを受けるなどして、社会で暮らしていくことに嫌気が差した」と供述。服役中は刑務官に繰り返し暴言を吐いたり、騒いだりして、精神疾患と診断されている。2016年1月に出所したあと、生活保護を受給しながら、さいたま市のアパートで暮らしていたが、音楽を大音量で流すなどの奇行が目立ち、住民とトラブルになっていた。事件直前の夜に青葉が発した「黙れ! うるせえ、殺すぞ。こっち、失うもんねえから!」という言葉が思い出される。
その後、薬物療法を受け一時期はさいたま市浦和区にある更生保護施設にいたが、敷かれたレールに乗れば更生するとは限らない。いや、むしろ己の人生は両親や社会からのリンチだと悟ったのか、憎悪の火に油を注いだだけだった。
犯人だけが生き残っている
凶行の日は、出所から3年半が過ぎた2019年7月18日のことだった。数週間前には、事件現場に持ち込まれた包丁6本をさいたま市内の量販店で、前日午前にはホームセンターでガソリン携行缶や台車を購入し犯行に及ぶ。ガソリンを撒き、ライターで火をつけ、京都アニメーションの第1スタジオは炎の海と化した。
青葉は自身の衣服にも引火した状態で逃走したが、現場から南へ100メートル離れた路上で火災被害から逃れた2人の男性社員に取り押さえられる。ほどなく駆けつけた京都府伏見警察署員が身柄を確保し、病院へと搬送。危篤状態にありながらも奇跡的に快方に向かったことで2020年5月27日、殺人・殺人未遂・現住建造物等放火・建造物侵入・銃刀法違反で逮捕となった。建物は全焼。死亡者36人。負傷者35人。殺人事件では戦後最多の死者数を出しながら、奇しくも当の青葉だけは生き残っている。
青葉の半生を綴ったユーチューブ動画を公開すると、青葉をよく知る男性から連絡があり、僕はさらなる負の連鎖を知らされることになる。
「実は青葉の兄も自殺しているんです。5人家族のうち父、兄、妹が自死を選び、母親は離婚後に別家庭を持ったため疎遠に。そのことをどうしても伝えたかったのです」
社会のセーフティネットを見直す一助になればと…
2020年12月16日、青葉は前述の5つの罪で京都地検より起訴される。犯行動機などについては、身柄を確保された際に「俺の作品をパクりやがったんだ!」と声高に叫んだことからして、京都アニメーションに大きな憎悪を抱いていたことは明らかだろう。実際、青葉は京アニ主催の『京都アニメーション大賞』へ小説を応募していた。だが同社は、彼の小説は形式的な一次審査で落選していたと説明し、そのうえで「盗用の余地はなかった」と反論する。
前出の青葉をよく知る男性は言う。
「もちろん青葉の起こした事件は許されることではないけれど、青葉という人物がなぜ生まれたのか正しく伝えてほしいんです」
犯行動機を京アニへの逆恨みだけとし、凶悪犯の半生を知ることなど無意味で空虚なこととは、僕も思わない。社会のセーフティネットを見直す一助になればと期待する。だから書いた。できるだけ余さず青葉を、一家を記した。青葉は裁判で何を語るのか。通常より刑期が重くなることが多い裁判員裁判が決まった初公判が始まるのは、まだ先のことだ。
高木 瑞穂,YouTube「日影のこえ」取材班/Webオリジナル(特集班)