秋葉原無差別殺傷事件・加藤智大が語っていた“異様な”家族との「食卓の様子」

2022年07月29日 07時56分16秒 | 事件・事故

7/29(金) 6:06配信 デイリー新潮

「私は小さな頃から『いい子』を演じてきました」と語っていた加藤智大

 法務省は「秋葉原無差別殺傷事件」加藤智大の死刑を執行したと発表した。同事件は14年前の2008年6月8日、東京・秋葉原路上をトラックで暴走、通行人をはねた後、ナイフで刺し、男女7人を殺害したというもの。当日は日曜日で、あたりは歩行者天国、昼過ぎの秋葉原は賑わっていたという。

【写真】事件直後の「現場写真」 「靴」が散乱し騒然とした雰囲気が伝わってくる

ナイフを逆手に持ち
〈背後で、すさまじい音が響いた。振り向くと、歩行者天国の切れ目の交差点に突っ込んできた2トントラックが次々と歩行者をはね飛ばしていた。/交差点を50メートルほど行き過ぎて止まったトラックから、ベージュのスーツを着た男が降りてくるのを見た。手にナイフを握っていた〉

 翌9日付けの朝日新聞夕刊は、目撃者の証言を紹介。まさに「地獄絵図」が展開していた。

〈男は近くにいた男女数人を次々に刺すと、人をはねた交差点に向かって駆け始めた。/倒れた人たちに馬乗りになり、逆手に持ったナイフを何度も振り下ろした〉

秋葉原無差別殺傷事件の事件現場

 その場で警察官に取り押さえられたのは、加藤智大。青森県出身の25歳、派遣会社員の男だった。ネットに「秋葉原で人を殺します」と書き込んだ上での凶行だった。

〈人を殺すため秋葉原に来た。世の中が嫌になった。生活に疲れてやった。誰でもよかった〉(逮捕時の供述)

 公判で注目されたのは、加藤自らが証言した「母親との関係」だった。加藤の母親は教育熱心で、加藤は地元・青森でも評判の高い進学校を卒業していた(以下、引用は長谷川博一氏『殺人者はいかに誕生したか』より。適宜、句読点を補った)。

送検される加藤智大(2008年)

 弁護人が「小学校の頃の母親とのエピソード」を問うと、加藤はこう答えている。

加藤:お風呂で九九を教えてもらいました。湯船に入っている間に暗唱しなさいと言われました。

弁護人:お母さんも一緒にお風呂に入っていたのですか? 嫌な記憶はありますか? 

加藤:間違えるとお風呂に沈められました。頭を押さえつけられて沈められました。

弁護人:沈められているときにどんな言葉をかけられていましたか? 

加藤:笑われていました。

弁護人:お母さんは、ふざけて沈めていたのでしょうか? 

加藤:苦しくなるまで沈められていたので、ふざけていたということはないです

 加藤が耐え切れずに泣くと、「口にタオルを詰められて、その上からガムテープを貼られたりした」、「泣くたびにスタンプをカードに押されて、それが10個たまると屋根裏部屋に閉じ込められた」などと、続けて証言。さらに「家族の食卓の様子」について加藤が記憶をたどり述懐すると、法廷は一種言われぬ雰囲気に包まれる。

加藤:家族との食事は会話がなかった上、三人で黙々と食べていただけです。私は食べるのが遅いので、食べきれなかったのを新聞の折り込みチラシにぶちまけられて、食べさせられました。食事の量も多くて、必死で食べました。

「いい子」を演じて
【本書に登場する殺人者たち】宅間守、宮崎勤、元少年(光市母子殺害事件)、畠山鈴香、金川真大、加藤智大、小林薫etc 『殺人者はいかに誕生したか―「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く―』

 母親の厳しい指導が実ったか、中学時代の加藤は成績優秀だった。ところが、公判では次のように明かしている。「詩や作文が高く評価された」のには、相応の理由があるというのだ。

〈(詩や作文は)私が書いたものではなく、母親が手を入れたり、母親がほとんどやったりして、私の名前で出しました〉

 こうした母親の「干渉」は、細かく、かつ多岐にわたった。「小学校に来ていく服はすべて母親に決められていた」「高校は自分の希望を変更し、母親の母校に進学」「あの子と付き合うのは止めなさいと、交際を禁止された」など、ひとつひとつの行動に「レール」が敷かれていた。そして加藤もまた、母親の要求に、愚直に答えようとするのだった。

 加藤は事件後、獄中で、被害者に向けて謝罪文を書いている。その中で、自らの「子供時代」について、こう吐露していた。

〈私は小さな頃から「いい子」を演じてきました。意識してやっているわけではなく、それが当たり前でした。今ではそれがおかしなことであることはわかっていますが、「いい子を演じない自分」を意識しないと本当の自分が出てこない、という倒錯した状態になっています〉

 母親の期待を一身に、入学した高校だったが、成績は伸び悩む。4年制大学への進学をあきらめ、加藤が進んだのは、遠く、岐阜県内の短大だった。卒業後はアルバイトや派遣でつなぎ、秋葉原での事件発生時、働いていたのは静岡県内にある自動車整備工場だった。「時給は1300円」と、当時の報道にはある。

 2015年2月、死刑確定。その7年5カ月後の執行となった。事件後、マスコミに囲まれ、泣き崩れ謝罪を口にした母親は、その後、「心を病んで入院した」とネット上でうわさになった。が、真偽のほどはわからない。

 事件後に明らかになった、加藤の生育環境の凄絶さ。こうした生い立ちが犯罪を正当化するものでないことは言うまでもなく、起こした事に対する結果責任は免れない。

 加藤は先の被害者宛ての謝罪文の中で、「死刑」についてこう記していた。

〈死刑は5分間の絞首だと聞いています。実際には、1分もあれば死ねると思います。皆様に与えた苦痛と比べると、あまりに釣り合いませんが、それでも、皆様から奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています〉

デイリー新潮編集部

新潮社

 

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「死に物狂いで自民党議員を応援」元統一教会信者が証言 関係が深い現役国会議員は?

2022年07月29日 07時54分12秒 | 事件・事故

7/29(金) 5:57配信 デイリー新潮

安倍家と統一教会“蜜月”の歴史 自民・現職大臣らも関与(後編)
安倍晋三元総理

 前編(「文尊師は誠実な男」 岸信介が統一教会トップを賞賛した“異様”な機密文書)では、安倍晋三元総理の祖父・岸信介元総理が1984年、当時の米大統領に宛てた文書で、統一教会の開祖・文鮮明を称賛するとともに、当時アメリカで逮捕されていた文鮮明の釈放を求めていたことを報じた。しかし、統一教会の影響力は安倍家のみならず、自民党議員の多くに及んでいる。その中には、現役の大物議員の名も――。

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 歴史をたどれば、かつて政治と統一教会の関係は自民党を中心として、右派勢力の広範囲に及んでいた。

「統一教会が最も深く政治に関与していたのは、1970年代から80年代を経て、90年代の初頭まででしょうか」

 と言うのは、さる古参の永田町事情通である。

「国際勝共連合や関連団体を通して、国会議員のところにスタッフを送り込んでいました。派閥や政党には、統一教会サイドに話をつなぐ窓口役がいた。彼らの仲介で、議員の中には秘書や運転手を教会から派遣してもらう者もいました。スタッフの給与まで、教会丸抱えのケースもありましたね。あるいは、選挙になると、教会から数十人単位で運動員が送り込まれ、ポスター張りや電話での投票依頼などを行うんです」

「宗教的な情熱で動く人たちは違うんでしょうね」
 彼らは、現場では重宝されたという。

「とにかくよく働くんです。土建会社や組合などから派遣されたスタッフにはサボる人も少なくなかったのですが、勝共連合は違う。朝6時から始まって、夜の10時くらいまで懸命に働いてくれて文句ひとつ言わない。見返りを求めない。やはり宗教的な情熱で動く人たちは違うんでしょうね」

 実際、70年代から80年代にかけて、勝共連合のメンバーとして活動していた、さる元信者に聞いても、

「選挙の度に死に物狂いで自民党議員の支援をしたものです」

 と往時を振り返る。

「ひとつの選挙区に40人は入ってね。時には徹夜で活動していました。もちろんボランティアですが、神のため、メシアのためになると信じてやってきましたよ」

教会が熱望した文鮮明の来日実現
 政治家にとっては実にありがたい存在だが、では、教団側はどのようなメリットを求めて、こうした献身的な活動を行ってきたのだろうか。

 「宗教問題」編集長で、ジャーナリストの小川寛大氏によれば、

「政権与党の有力な政治家を支援し、親密な関係を結ぶことによって、教団の求める施策の実現を図ろうとした側面がある」

 実際、かつて勝共連合は「スパイ防止法」の制定を目指し、自民党の有力政治家に働きかけ、資金援助までしていた。結局、同法は成立しなかったが、教会がより熱望していたのは、文鮮明の来日実現である。前編で紹介した通り、文鮮明はアメリカで投獄された過去がある。そのため、入管法の規定上、日本には入国ができなかったが、1992年、法務大臣が特別許可を出して来日が許された。これには、金丸信をはじめとする自民党の有力政治家の後押しがあったという。

 当時、勝共連合系とつながりを持つ議員は200人もいるといわれていたから、その蜜月ぶりたるやすさまじいものがあったのだ。

麻生太郎・副総裁や菅義偉・前総理大臣など大物の名も
総裁経験者も現職閣僚も……

 ところが、80年代後半に入ると、統一教会の行う「霊感商法」や「合同結婚式」の問題点が大々的に非難され、教会は「カルト宗教」として世間に認識されるようになった。

 これに伴い、危機感を抱いた政治家は徐々に教会と距離を置くようになり、人的支援を受けるようなことは一時ほど見られなくなってきたのだが――。

「それでもつながりそのものは途絶えたわけではもちろんなく、政治の世界に教団はアプローチを続け、関係は途切れることなく続いています」

 と述べるのは、カルト宗教に詳しい、ジャーナリストの鈴木エイト氏である。

 鈴木氏は、ここ20年ほどで、統一教会系団体のイベントに参加したり、関係団体などから献金を受けたりした国会議員を調査。それをリスト化し、公表している。それによれば、現職だけで112人の国会議員が該当するという。そのうち9割近くに当たる98人が自民党所属だ。

 その中には、麻生太郎・副総裁や菅義偉・前総理大臣などの大物の名がある。

 麻生氏に関しては、2011年、教団系の米紙「ワシントン・タイムズ」の意見広告に名を連ねているし、菅氏についても17年、教団の副会長を首相官邸に招き入れていたとの証言がある。

 さらに、同リストでは、現職閣僚に絞っても、萩生田光一・経産大臣、山際大志郎・コロナ担当大臣、山口壯・環境大臣などの名が……。いずれも関係団体のイベントに出席などした“実績”があるのだ。

 鈴木氏は言う。

「こうした成果に自信を深めてでしょうか、17年、国際勝共連合の会長は渡韓した際、文鮮明の妻に対して“最近の日本は雰囲気が変わってきました。かつて活動が活性化していた際には、200人を超える議員が御父母様(教祖夫妻)に侍っていましたが、その時の雰囲気に近づいています”と報告しています。00年以降、霊感商法について当局の摘発が相次ぎました。教団側としては、こうした動きをけん制するためにも、政治家との絆を再び深めたいという理由があるのでは」

「安倍氏の応援」が重要
「実は、私も統一教会系団体から選挙で推薦を受けた経験がありまして……」

 と重い口を開くのは、さる元国会議員である。ここ数回の国政選挙で教団の支援を受けている議員はいるが、自分もその一人だったというのだ。

「推薦を受けるに当たっては団体のトップと面談をします。そこから次のステップまで進むには、二つの条件を満たす必要がある。これまで不倫のスキャンダルがないこと、金銭トラブルを起こしていないこと。それに加えて、安倍元総理の応援している候補、という三つ目の条件がそろえば支援獲得は“鉄板”になります」

 やはり「安倍印」であることは、統一教会サイドにとって特別な重みを持つようである。

研修会への参加を要請
 その条件を満たしたとしても、先はまだある。

 元国会議員が続ける。

「選挙の直前になると、研修会への参加を要請されます。これは泊まりがけで統一教会系の施設へ行き、教団の教義などを学ぶ、といったもの。自分の場合は2泊で、妻も同伴しました」

 いわゆる“3日間研修”だ。研修会では学者の講義を受け、他にも、ビデオ学習の時間が設けられたという。

「2本ありまして、1本は勝共連合と自民党の歴史。これまで両者が手を携え、いかに共産主義勢力と戦ってきたか、というもので、その中では、文鮮明と岸さんとの関係にも言及されていました。もう1本は、紀元前からの原始キリスト教の誕生の話です。アダムとエヴァが禁断の実を食べた話から始まり、エヴァの浮気、カインとアベルの兄弟げんかの果ての殺人の物語などが解説され、不和や戦争の起点となった不倫は絶対にいけないということが繰り返し述べられるのです」

 こうして、晴れて推薦を得られると、運動員などが派遣される。やはり彼らの働きは格別だったという。

 これら過去から現在にわたる自民党議員への選挙支援の実態について、統一教会に質問してみたところ、

「そのような事実はありません」

 安倍事務所にも尋ねたが、回答はいただけなかった。

 また現職の政治家からは、

「資料が手元にないのでわかりません」(麻生事務所)

「ご指摘の事実はありません」(菅事務所)

「会合冒頭でごあいさつをさせていただきました」(萩生田事務所)

 などと回答が返ってきた。

 想像以上に根が深い、自民党と統一教会との関係。

 それが凶行の引き金となってしまったのだから、あまりにも不幸な事件というしかない。

 前編(「文尊師は誠実な男」 岸信介が統一教会トップを賞賛した“異様”な機密文書)を読む。

「週刊新潮」2022年7月28日号 掲載

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