ふるさを思うと心が熱くもなる。
佐野昭が冬休みに帰郷した越後湯沢は、深い雪に閉ざさられ、背丈の倍ほどの雪の壁の道は幅1㍍で、横になって人はすれ違うのでる。
成人式での出会いで、中学の同期生たちと友好を温めて2年の歳月が流れていた。
新潟の大学へ進学した戸田史郎は、医師を目指していた。
金沢の大学へ進学した三田翔太は、税理士を目指していた。
佐野昭は、戸田史郎に招かれ、三田翔太共に初めて新潟を訪れ、ついでに佐渡島へ行ってみた。
日蓮大聖人が流された佐渡島には、昭は深い思い入れがあった。
昭は大学の同期生の鈴木恵理子に導かれ、日蓮仏法の信仰を初めていた。
昭は友人の二人に日蓮仏法を説いてみたが、共に関心を示すことはなかった。
「人はそれぞれである」昭の感慨である
「お前が、信仰に目覚めるとはな」戸田史郎は、何事にも疑問を挟む中学生の頃の昭の変わりように心外であったのだろう。
「俺は、ヤクザか無頼な人間に生きるよ」とまで中学生の昭は不敵に笑い明言していた。
「お前は、ひにくれものだ」三田翔太は呆れていたのである。
荒れた心をコントロールできずに、街で喧嘩に明け暮れた昭だった。
酒乱である父親孝蔵の家庭内暴力は、借金を重ね家を父親が自ら出ていくまで続いていた。
母親の美祢は、子どもたちをかばって、顔面や手足の傷は癒えることはなかった。
父親への言い知れぬ憎しみは後年まで続いていた。
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