昨日に続いて今日も山本夏彦さん(1915-2002)です。
小学4年生のときに「人の一生」おおむねかくの如しと書いた綴方が「最後の波の音」の中に再録されています。
「人の一生 4年 山本夏彦
おいおい泣いているうちに三つの坂を越す。生意気なことを言っているうちに少年時代はすぎてしまう。その頃に
なってあわてだすのが人間の常である。あわててはたらいている者を笑う者も、自分たちがした事はとうに忘れて
いる。かれこれしているうちに二十台はすぎてしまう。少し金でも出来るとしゃれてみたくなる。その間をノラクラ
遊んでくらす者もある。そんな事をしているうちに子供が出来る。子供が出来ると、少しは真面目にはたらくように
なる。こうして三十を過ぎ四十五十も過ぎてしまう。又、その子供が同じことをする。こうして人の一生は終わって
しまうのである。」
山本少年10歳のときの綴方ですが、「人は5歳にしてすでにその人」です。
86歳になった山本老人はこの綴方について「最後の波の音」の中で次のように書いています。
「もとより十歳の子供のことである。深い魂胆はないが、その直感は小児のときからのものだと今にして思われる。
はたしてその通りだったのは遺憾である。」
小学4年生のときに「人の一生」おおむねかくの如しと書いた綴方が「最後の波の音」の中に再録されています。
「人の一生 4年 山本夏彦
おいおい泣いているうちに三つの坂を越す。生意気なことを言っているうちに少年時代はすぎてしまう。その頃に
なってあわてだすのが人間の常である。あわててはたらいている者を笑う者も、自分たちがした事はとうに忘れて
いる。かれこれしているうちに二十台はすぎてしまう。少し金でも出来るとしゃれてみたくなる。その間をノラクラ
遊んでくらす者もある。そんな事をしているうちに子供が出来る。子供が出来ると、少しは真面目にはたらくように
なる。こうして三十を過ぎ四十五十も過ぎてしまう。又、その子供が同じことをする。こうして人の一生は終わって
しまうのである。」
山本少年10歳のときの綴方ですが、「人は5歳にしてすでにその人」です。
86歳になった山本老人はこの綴方について「最後の波の音」の中で次のように書いています。
「もとより十歳の子供のことである。深い魂胆はないが、その直感は小児のときからのものだと今にして思われる。
はたしてその通りだったのは遺憾である。」