今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム「自分のなかなる他人」の一節です。「ああ玉杯に花うけて」という一高の寮歌で始まる文章の中にあります。
「友の悲運にかけつける足は我にもあらず勇むのである、わが喜びに友は一度は喜ぶが、再三再四かさなると面白くなくなる。
友の不運はひそかに嬉しいものだというと、滅相もないと怒る友に似たものがある。だから誰も言わない、栄華の巷低く見て、ウソつけと言うものもない。
故に友の幸運が何度重なっても喜んでくれる友こそ友である。俗に金銭の貸借は友情を失うからしないという友があるが、それは貸さないということを飾って言ったのである。
真の友なら貸す機会が与えられたことを喜び、貸したことを忘れる。形成逆転してこんどは、貸し手が借り手に回ると、以前の借り手は喜んで貸して貸したことを忘れる。
かくの如き友は求めて得がたいから、にせの友を本ものの友だと思って、それも出来るだけ大勢にかこまれて死にたいのである。花環ぐらいはくれるだろう。この世にそれ以外の友があろうか。
誰の心のなかにも他人がいる。私はそれを自分のなかなる他人と呼んでいる。どんな人にもいる。老若を問わず。第三者を見るときは、その他人の目で見て辛辣なことをいう。それなのに自分のことになると皆目見えなくなる。それが健康というもので、健康というものはイヤなものである。」
長い引用になりましたが、山本夏彦さんのコラムの中で、気にいっているもののひとつです。
「友の悲運にかけつける足は我にもあらず勇むのである、わが喜びに友は一度は喜ぶが、再三再四かさなると面白くなくなる。
友の不運はひそかに嬉しいものだというと、滅相もないと怒る友に似たものがある。だから誰も言わない、栄華の巷低く見て、ウソつけと言うものもない。
故に友の幸運が何度重なっても喜んでくれる友こそ友である。俗に金銭の貸借は友情を失うからしないという友があるが、それは貸さないということを飾って言ったのである。
真の友なら貸す機会が与えられたことを喜び、貸したことを忘れる。形成逆転してこんどは、貸し手が借り手に回ると、以前の借り手は喜んで貸して貸したことを忘れる。
かくの如き友は求めて得がたいから、にせの友を本ものの友だと思って、それも出来るだけ大勢にかこまれて死にたいのである。花環ぐらいはくれるだろう。この世にそれ以外の友があろうか。
誰の心のなかにも他人がいる。私はそれを自分のなかなる他人と呼んでいる。どんな人にもいる。老若を問わず。第三者を見るときは、その他人の目で見て辛辣なことをいう。それなのに自分のことになると皆目見えなくなる。それが健康というもので、健康というものはイヤなものである。」
長い引用になりましたが、山本夏彦さんのコラムの中で、気にいっているもののひとつです。