今日の「お気に入り」は、作家の中野孝次さんの著書にある文章です。
「……書物というものは、それがかって書かれた時代にどんな読まれ方をされたにしろ、後世においてまでそのとおりの読み方がなされるとは限らない。一冊の著作のうち死ぬべき部分は死に、生きるべき部分は新しい光によって照らしだされ、書物は時代とともに違った生命を持って生きつづけるものだ、……」
「古典文学の読み方」について、中野孝次さんは「過去は今を生きる生者のためにこそある。今が過去のためにあるのではない。」、「『かってそれがあったがままに正確に認識すること』ではなく、今を生きる人間にとってそれが何を意味するかを問うことが第一義なのだ」という考え方を永年実践されてきました。「断章取義」の方法で書かれた中野孝次さんの著作は、古文、漢文を読む素養に乏しい戦後生まれの私が、その昔の高校時代に親しんだ「古典」を再読するきっかけになり、また「人生の午後」を生きる上での行動指針となりました。
「……書物というものは、それがかって書かれた時代にどんな読まれ方をされたにしろ、後世においてまでそのとおりの読み方がなされるとは限らない。一冊の著作のうち死ぬべき部分は死に、生きるべき部分は新しい光によって照らしだされ、書物は時代とともに違った生命を持って生きつづけるものだ、……」
「古典文学の読み方」について、中野孝次さんは「過去は今を生きる生者のためにこそある。今が過去のためにあるのではない。」、「『かってそれがあったがままに正確に認識すること』ではなく、今を生きる人間にとってそれが何を意味するかを問うことが第一義なのだ」という考え方を永年実践されてきました。「断章取義」の方法で書かれた中野孝次さんの著作は、古文、漢文を読む素養に乏しい戦後生まれの私が、その昔の高校時代に親しんだ「古典」を再読するきっかけになり、また「人生の午後」を生きる上での行動指針となりました。