遊女達の最期はこの寺院。
16歳くらいで身売りして、年季は10年。
20代で亡くなっていった女性が多い。
無常の寺院である。
「生まれては苦界 死しては浄閑寺」と石碑があったが、まさにそうである。
今回、骨壺も撮してきたが、さすがにこれは拙ブログにはアップしない。
ご冥福をお祈りするばかりである。
ボキも、お祈りをして、賽銭もあげてきました。
近々、また飛行機に乗って出かけるので(^0^)
無事コレ平安。
なにもなく帰ってきたいので。
遊女達は、16歳くらいから身売りされて、年季は10年。
たいていは20代で病気になり、亡くなっていったとのことである。
なんということであろうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
時代を逆行させてはならない。
本日のメインイベント 吉原の風情を歴史的に見る(^0^)
それにしても、見返り柳とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(遊女のことが忘れられないで、吉原を見返るということで)
いつの世も、男はアホですなぁ。
ボキも人のことは言えないけど。
聖天宮のHPより↓
当山は推古天皇の御世、地中から忽然湧き出た霊山で、その時、金龍が天より降って山を廻り守護したと伝えられています。
それより6年後の夏、この地方が大旱魃に見舞われたとき、十一面観世音菩薩が悲愍の眼を開き、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)の姿となってこの山に降臨されて、 苦しむ民を救いました。これが聖天様が当山に鎮座された起源であるといわれています。
江戸時代、隅田川にのぞむ今戸や橋場一帯は風光明媚な地として知られ、さまざまな文学や絵画の題材となり、その中にき「竹屋の渡し」を描写したものも少なくない・・・・とのことであった。