と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

旅の効用ということ

2017年06月30日 09時02分33秒 | バルト三国ロシア紀行2017年6月

旅の効用というのは、いろいろあって、ロシア美人の毎日20キロwalking発言にはびっくりしてきたよ。旅もここまでくれば、国際的である(^_^)

 

 

旅はオノレの人生を軽くする。重荷を捨てることができる。日常性から離れることができるからである。非日常を生きる。つまらない日頃の悶着からも離反することができる。

ま、一種の現実逃避なのかもしれない。それでもいいではないか。

現実に押しつぶされて、鬱になっているよりはいい。

軽い生き方からは、得るものも多い。深刻ではないからである。あまり頑張り過ぎて、ノイローゼになっていたらアカン。

病気になってもそうだ。あまり深刻に考えていると治るものも治らない。治らなかったら、それはそれで仕方なし。

寿命である。そう思うことにしている。ボキの亡父も亡母も生きていたら、96歳と95歳だった。とうてい生きてはいなかっただろうけど。寿命がなければ、ニンゲンは発展しない。死ぬから、次世代が発展していくのである。それはある意味仕方のないことである。

そういうことを見つめていたのが芭蕉なのではないのか。

この旅行中に小林麻央さんが亡くなった。かわいそうにと思った。ガンだった。かわいそうにと思ったのは、本人もさることながら、遺された小さな子供たちである。

だからである。だからかわいそうなのである。

寿命だったと簡単に言ってはならない。ヒトの生き死には重大な問題を含んでいる。

今回の旅では、革命とそれにともなって命を落とした一般庶民の人生がかかっていたということを知った。かなりの生命が失われていった。それをどう理解するか。

ソ連時代も、革命は続けられていた。当然のように命も捨てられていった。ゴミのように。

中国もそうだろう。

それだけに政治権力というのは怖いと思う。

特にバルト三国は、ロシアの影響から逃れることもできなかった。かつてはスエーデンとも戦争をしたらしい。そんなに強大だったのだと思った。スエーデンがである。

隣国との国境を接しているということが、相当にプレッシャーになっているのだ。そして、こんなに怖いものであるのだということをシミジミ思った。

さらにある。

それはロシアが近代的になっていたことである。あまりにも発展している。発展しすぎている。あれだけの経済発展をしているとは思ってもみなかった。

もっとある。

国境警備がやかましいことである。警備を厳しくしないと国家がもたないのかもしれないが。

アメリカとロシアの二つの国家が世界を支配しているけど、それも見てみないと理解できなかったことである。

ドストエフスキーの時代からしか、ロシアを理解していなかった。サンクトペテルブルグのイメージというのは、ボキにとって日本文学の源氏や平家物語あたりのイメージであったのかもしれない。

それにしても、行って良かった。イメージの中でしか、知らなかったサンクトペテルブルグであり、モスクワであったからである。

百聞は一見にしかずであったからである。

ありがたい体験をさせてもらったものである。

時差惚けは耐えられるようになってきた。さらにエコノミークラス症候群になってからは、かなり気をつけて行動している。今回もビジネスクラスにしたのは、エコノミークラス症候群になったからである。贅沢だとは思う。思うケド、まだ死にたくはないからである。なにしろ、動かないと死んじまうのである。

たまったもんじゃないからだ。

 

今日からは歩く。

Walking三昧である。

 

ロシア人の現地ガイドが言っていた。Gymで20キロは歩いているという。スタイルが良かったわけである。ロシア人女性は、中年を過ぎると肥満に悩まされるらしいから(^_^)。

 

さ、これくらいにしよう。

病気にならないためにも。

 

(@^^)/~~~

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ヘルシンキやタリンをかる~く見学三昧でおましたなぁ。ありがたいことである。

2017年06月30日 07時35分02秒 | バルト三国ロシア紀行2017年6月

二日目 ヘルシンキ

エストニアの首都 タリンへ 世界遺産タリン市内観光

 

 

 

ヘルシンキの朝 Crown plaza hotelを出る




タリン

Tallinn

タリンは中世の町並みが残る、パッチワークの様な都市です。800年もの歴史を誇るこの町には、ロシアのツァーリ時代に栄えたカドリオルグ地区など、旧ソ連時代を思い起こさせる遺跡や自然も多く残されています。そうした歴史的建造物が保存されたタリン旧市街は、1997年にユネスコ世界遺産に登録されました。

美しい町並みでありましたなぁ。

市電がいくらでも通っていて、かなり便利でありました。

自由に乗ってデパートとか、スーパーに買い物に行ってまいりました。

ツアー仲間は、全員旅のベテランだったから(^_^)。

現地ガイドのエリンチャンという27歳の女性は、ヘルシンキ大学の日本語学科を出て、さらに大学院修士課程で学んだ俊秀。日本の大東文化大学にも留学経験ありとのことであったから、話に花が咲きましたよん。



そしてヘルシンキからフェリーでタリンに渡る。

 

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂

タリンのアレクサンドル・ネフスキー大聖堂は、エストニアのタリンにある正教会教会である。帝政ロシアの一地方にエストニアが組み込まれていた1894年から1900年の間にミハイル・プレオブラジェンスキーMikhail Preobrazhensky)によって典型的なロシア復古主義のスタイルに設計され建設された。アレクサンドル・ネフスキー大聖堂はタリンにあって最大かつ最重要の正教会のクーポル付き大聖堂である。大聖堂は、チュド湖上の戦い(氷上の戦い・その戦場は現在はエストニア領内である)で1242年に勝利したネワの聖アレクサンドル(聖アレクサンドル・ネフスキー)を記憶している。現在のロシア正教会の首座主教である総主教アレクシイ2世の教会における奉職は、この大聖堂で始まった。

 

大聖堂の内部

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂はトゥームペアToompea)の丘に建っている。伝承によればこの丘には、エストニアの民族的英雄であるカレヴィポエグ(Kalevipoeg)が葬られている(但し、エストニアには彼が葬られていると同様に伝承されている場所は他にも数多くある事は指摘しなければならない)。大聖堂は多くのエストニア人からロシア支配を想起させるものとして嫌われている。エストニア当局は大聖堂の破壊を1924年に計画したが、実行に移される事は無かった。1991年ソ連が崩壊してエストニアが独立を回復すると、大聖堂は綿密な修復を受けた

 

トーンペア城 

エストニアのタリン歴史地区西部トームペアにある丘の上の城。

11世紀までにエストニア人は木造の城を建設した。13世紀、リヴォニア帯剣騎士団が占領して本格的な要塞建設を開始し、18世紀末までの改修で現在のような外観となった。20世紀末にロシアから独立して後は、エストニア国会の議事堂として使用される。



 

ラエコヤ広場 美しい町並み

 

 


ラエコヤ広場 & 旧市庁舎

Raekoja plats & Tallinn Town Hall

町の中心であるラエコヤ広場。かつて、市場や祝い事に使用されていましたが、ここで処刑が行われたこともあると記録に残されています。広場の中央には、バラのコンパスが彫られた丸い石があります。ラエコヤ広場にあるゴシック様式の建物がタリンの旧市庁舎です。旧市庁舎は1402年から1404年にかけて建造され、北欧最古のゴシック建築と言われています。この建物に付随した塔の高さは65メートル。その先端には、旗を持った番兵の像があります。この像は「トーマスおじいさん」と呼ばれ、タリン市民に親しまれています。


(c)Jaak Nilson
ラエコヤ広場

(c)Jaak Nilson

 

夕食「サ―モンのグリル」  美味かったです(^_^)

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6月29日(木)のつぶやき

2017年06月30日 04時45分50秒 | とーま君の流儀2017
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サンクトペテルブルグで、奥の細道を読んでいたのだから、ボキも相当やることがないってことですなぁ~~

2017年06月29日 17時55分59秒 | バルト三国ロシア紀行2017年6月

「かるみ」を求めての旅をしてきちまったよん

 

 

バルト三国とロシアをめぐってきた。実はドストエフスキーが執筆のために住んでいたサンクトペテルブルグに、かなり興味があった。学部の時の卒論で扱ったからである。苦学していたから、相当入れ込んでいた。

ドストエフスキーにである。深刻で、虚無的である。大都会サンクトペテルブルグで生きているラスコリーニコフや酔漢マルメラードフに入れ込んでいた。

それにサンクトペテルブルグのどんよりとした空は、まさに虚無的に過ごしている青年にはうってつけの舞台である。そうなのである。ボキも現実に押しつぶされてしまいそうになっていたからである。仕事と学業の両立は確かに苦しかったからだ。マジに。

サンクトペテルブルグ生まれの現地ガイドのお嬢様が、いみじくものたもうていた。鬱が多いのだそうだ。このお嬢様日本語学を学ばれた俊秀で、かなりの美人であった。この美人、なんと岩手にも山形にも行ったことがあるという。ボキ好みのロシア美人であった(^_^)。

いろいろと文学の話をさせていただく機会も得た。さすがに本場である。可能ならば、観光旅行なんかではなくて、ドストエフスキー博物館にも行きたかった。しかし、この旅行のカネを出しているのはボキの古女房ドノである。文句は言えない。言えないが、きっかけを狙ってはいた。タクシーでドストエフスキー博物館に行きたいと思っていたからである。

ドストエフスキーの住んでいたアパートも見た。というよりバスで通った。彼の学んだ学校も見てきた。しかし、あえなく頓挫してしまった。夜は、ロシアの民族衣装を着たレストランでロシアの家庭料理を食いたいとなって、仲良しになった数名とタクシーでそっちの方に出かけたからである。ホテルのレストランではないのだ。自費でオプションである。こういうチャレンジというのは、女性陣はやる。積極的にやる。

とうとう、ボキはドストエフスキーを断念してしまった。

ま、いいか。また来るかも知れないではないか。

これもまた「かるみ」の連鎖である。

そうなのである。

ボキは、成田発の飛行機でフィンランドに行くときにKindleで、長谷川櫂氏の書いた「奥の細道をよむ」(ちくま新書)を持参していって読了したからである。さらにご丁寧に、持参していったB6のマメノートにエッセンスをメモしてしまったのである。フィンランドに着くまでにやってしまったのじゃ。

で、思った。つまり、芭蕉は誤解されているってぇことを。

あまりにも深刻で、宗教的な心境に深まりがあって、かの有名なる「古池や・・・・」の俳句も誤解されているというのである。長谷川櫂氏の論法は最近知ったのであるが、いちいち納得できたのである。古池が先にあって、読まれた俳句ではないと言われる。蛙飛び込むという「音」が先にあって、それから芭蕉の心の中に古池が登場してきたのであると言われる。

これはこれは。

俳句について、またまた新しいことを教えていただいた。そう思ったのである。

さらにある。

芭蕉の心の中にある「かるみ」である。芭蕉の俳句は、そもそも俳諧の伝統を受けていて、「かるみ」をモットーとしていたはずであるというのである。

これも目を開かれた思いがした。

 

で、ドストエフスキーである。

実際に、サンクトペテルブルグの町並みを見て、ボキは自分の心の中に、ドストエフスキーの「かるみ」を感じてしまったのである。

言葉はその後についてきていたのではないのかと思ってしまったのである。

こいつは大いなる発見であった。

今、人生観が変わるほどの感動をしているのだ。

なにも深刻ぶって、ニヒルに生きているばかりがニンゲンではない。

説教クサイジジイであっても仕方なし。ジジイのブログだからと言っても、説教じみている御仁のもあるが、あれではいかがなものかと思うからである。

「かるみ」のあるおもしれぇジジイでありたいのじゃ、ボキは。

もうなっているってか?

 

わははっはははっはははっははははっはは。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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ただいま帰国いたしました(^_^)・・・バルト三国&ロシア漫遊記でございます。お笑いくださいませ。 第一日目

2017年06月29日 12時36分06秒 | バルト三国ロシア紀行2017年6月

 

バルト三国&ロシア旅行から帰国いたしました。以下は、事前にボキが作っていた旅程の全体チャートからのコピー(テキストのみ)。これをKindleで持ち歩いていました。今回も役に立ちましたなぁ。ありがたいもんです。

 

 

1日目 6月22日

成田発 10:30 JAL0431 ビジネスクラス 所要時間10時間20分

ヘルシンキ着 14:50

いよいよ今回の旅の始まりである。

楽しみにしていたから、このどんよりとした曇天も「らしい」ものである。

 

ホテル着 15:50

大きくはなかったが、親切であった。

こういうおもてなしがありがたいものである。

部屋もきれいだし。

宿泊ホテル クラウン・プラザ

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6月28日(水)のつぶやき

2017年06月29日 04時48分50秒 | とーま君の流儀2017
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6月22日(木)のつぶやき

2017年06月23日 04時42分27秒 | とーま君の流儀2017
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「忙しいパパへ」 少年が父の日に送った意外な品は?ワコール BROS>孝行の「孝」という文字は、老いと子が重なりあっていることを改めて思ったよん。感謝。

2017年06月22日 05時39分52秒 | とーま君の流儀2017

そういえば、ボキも「父の日」のプレゼントをいただいたのだ。素敵な帽子だった。忘れられていなかったのじゃ。この動画のように、仕事をしている父ではなくなったけど。「忙しいパパ」どころか、「あまりにもヒマなおじーいちゃん」でしかないから(^_^)。

孝行な長男夫婦である。とりわけお嫁さんである。ありがたいものである。孝行の「孝」という文字は、老いという文字と子供の子という文字が重なっていることを改めて思ったですなぁ。いまさらながら、子供に支えられて生きているんですなぁとも。

感謝である。

 

 

 

 

「忙しいパパへ」 少年が父の日に送った意外な品は?ワコール BROS

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6月21日(水)のつぶやき

2017年06月22日 04時43分26秒 | とーま君の流儀2017
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松尾芭蕉 俳句紀行シリーズ  海の細道を行く 1

2017年06月21日 19時02分51秒 | とーま君の流儀2017

俊秀長谷川 櫂氏の本で知ったのであるが、芭蕉の本筋というのは、受験国語なんかではなかなか把握できないということであった。かるみということから考えていってみたいとしみじみ思うから。あの有名な「古池や・・・」だって、長谷川氏にかかるとまったく違ってくる。さすがなり。

この動画もしみじみ見ていきたい。シリーズになっているようだし。

 

松尾芭蕉 俳句紀行シリーズ  海の細道を行く 1

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もうまもなく研究誌が出る。二本ほどボキの原稿も採用していただいた。ありがたいものである。感謝。

2017年06月21日 08時02分08秒 | とーま君の流儀2017

原稿と言えば、これまでは他人への批判ばかりに明け暮れていた。つまり、ひたすら小人化への道を歩んでいこうとしていたから、おそろしくなってしまった。

 

 

上手に年齢を重ねていきたいものである。マジにそう思う。そうでもないのが多いからである。ボキもそうでもない方のジジイであろうが。ヒマさえあれば、他人のワルクチを言っているから。まさに小人化の道をまっしぐらである。アカンですなぁ。ホトホト自分に嫌気がさす。

嫌味にかけては天下一品であるし。ひねくれているし。だいいち、他人の忠告を素直に聞こうとしない。批判に対しては、倍返しであるから。

まったく・・・・である。

下手に年をとってきたのじゃ。こんなんじゃいない方がいいと家族にも言われてしまうのも仕方なし。

でもねぇ、途中で気がついて良かったよん。小人化への道をまっしぐらだったということに。

他人の揚げ足取りばかりやっていたんじゃ、救われないからなぁ。ガッコのセンセみたいでは、話にならんから。学者サマはもっと手厳しいけど。

ま、それも世間だということなんでしょうなぁ。

そう思うことにしたから、実に気楽なんである。

思うに、なんで他人に手厳しくなってしまうかというと、オノレの固定観念からである。

いろんな原稿をあちこち投稿してきたが、査読会議で言われたことが忘れられない。それは、字数オーバーだと言われた時のことである。

ボキはWordで書いているから、字数がカウントされる。だから投稿規定はきっちり守って提出したのである。それを、字数オーバーと言われたから仰天した。その御仁は、査読会議の後にご自分でも投稿して研究ノートなる原稿を提出されたのである。ところが、その御仁の原稿の方がかなり字数オーバーだったのである。普通、論文より長い研究ノートはない。あったらそれは査読で落とされる。

つまり、自分の心の中に論文とはかくあるべしという固定観念があって、それに合致しないと否定してしまうのである。

学会誌でも、数号出ているのに、論文がまったく出てこないのもある。編集者が厳しいとこういうことになる。しかし、学会誌の役割を果たしていないではないかとボキなんかは思う。論文を読みたいから、高い学会費を払って学会誌を購入するのである。それがないとなると、学会に入っている意味がないではないか。

アルバイトで行っている某大学から、研究誌が出る。もう間もなくである。ボキの原稿が二本掲載されている。ありがたいものである。投稿規定もきっちり守って、書かせていただいた。さらに、こういう機会を与えていただいた大学の先生がたにおおいに感謝している。

PDFで送られてきた校正原稿を見させていただいていた。昨日。ボキの原稿なんかよりも、現役の大学教授、准教授の先生がたの原稿に非常に感心していた。

さすがである。

さすがプロである。

だから他人のことを悪く言っていてはアカンのである。感謝して拝読させていただくのだ。

これである。

これしかない。

 

さ、今日は雨が降っているけど、古文書講座に出かけてくる。午前中である。Gymにも行ってくる。夜は夜で中国語講座に行く予定である。

貧乏暇無しである。

 

わははっははははっははははっははは。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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6月20日(火)のつぶやき その2

2017年06月21日 04時46分33秒 | とーま君の流儀2017
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6月20日(火)のつぶやき その1

2017年06月21日 04時46分32秒 | とーま君の流儀2017
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他人の揚げ足取りばかりしていたら独居老人になってから困るでしょうなぁ、ボキは。

2017年06月20日 08時05分24秒 | とーま君の流儀2017

死ぬときは一人ぼっち故、誰だって独居老人になっていくのだ。したがって、もっと素直に生きていきましょう。

 

 

他人の揚げ足とりをするのが得意だった。否、今でもそうかもしれない。イチイチ他人に難癖をつけていた。それが習性になっていた。

だからである。だからイヤなジジイになってしまったもんだと反省していた。

ヒトを信頼できない、信用しないというのは安全である。確かに騙されて生きてきたという経験がない。そもそも他人を信用していないのだから危険に陥ることがない。

それが小人への道をまっしぐらに歩んでいたことに、遅まきながら気がついた。

論文ばかり書いていたからでもある。今まで、オノレのゴミ論文の欠点を指摘されることが多かった。だから、ついつい他人の論文(珠玉のような論文)にケチをつけて得意がっていたのだ。お返しでやっていた。情けないけど。

今でもそうだ。郷土史の会で研究誌の編集担当をさせていただいているから、ついついやってしまう。他人の原稿に対してである。

資格もねぇのによくまぁやっているもんである。他人の論文にケチをつけられるだけの能力もないからだ。所詮、生涯学習ごっこで某大学大学院博士後期課程を中退しただけのジジイである。学業劣等、品行方正の真逆。つまり、非行・不良ジジイである。わらっちまうけど。

こういう生活を退職後やってきたから、性格がねじけてきてしまった。もっとも、元々ねじけていたのかもしれない。

だから改めていこうと思っている。

小人にならないと決めた。

君子は無理としても、せめて他人にケチをつけて自分だけ得意がっているというのは止した。

他人のことにケチをつけたって、恨まれることはあっても、感謝されることなんかない。あり得ない。無駄である。そんなことをやっていたら、命がいくらあっても足りないではないか。

家族なら可能なのかも知れない。でも、いくら家族だと言ってもモノには限度がある。それに、ボキは房州では親戚がいない。天涯孤独とは言わないまでも、一人ぼっちである。家族以外は。山形県に帰ると親戚はいくらでもいるけど。いとこ達も多いから。

独居老人みたいなもんである。

誰でもそうなる。両親共に死んじまったし。兄弟も遠く離れていて、つきあいもできない。たまに電話するくらいである。そういう状態が普通になってしまった。

これをサミシイと受け取るか、そういうもんだと受容するかである。

ボキは後者である。

 

独居老人になりかけている友人がいる。大きな家に一人で住んでいる。両親の遺した家である。定年まで立派な仕事をしていた。今は、悠々自適。家族もいないから、好き勝手に住んでいる。毎月のように旅行に出かけて、年に数度は海外旅行にも行っている。週に二回はスポーツの会で活躍している。地元新聞にその旅行記を執筆していて、けっこう有名になってきている。

ボキとは種類の違う仕事をしていた。だから気が合うのである。年齢はボキより3つ下であるが。

こういうのがいい。

実にいい。

 

ま、どっちにしてもお互い独居老人になっていくのだけれども。なんといっても、お互い死ぬときはひとりぼっちなのでああるから。マジに。

 

今日はこれから退学した某大学に行ってくる。中国語講座である。午後からである。楽しみにしている。秋に西安に行ってくるからである。

わははっはははっはははっはははっはははは。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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6月19日(月)のつぶやき

2017年06月20日 04時41分25秒 | とーま君の流儀2017
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/