旅の効用というのは、いろいろあって、ロシア美人の毎日20キロwalking発言にはびっくりしてきたよ。旅もここまでくれば、国際的である(^_^)
旅はオノレの人生を軽くする。重荷を捨てることができる。日常性から離れることができるからである。非日常を生きる。つまらない日頃の悶着からも離反することができる。
ま、一種の現実逃避なのかもしれない。それでもいいではないか。
現実に押しつぶされて、鬱になっているよりはいい。
軽い生き方からは、得るものも多い。深刻ではないからである。あまり頑張り過ぎて、ノイローゼになっていたらアカン。
病気になってもそうだ。あまり深刻に考えていると治るものも治らない。治らなかったら、それはそれで仕方なし。
寿命である。そう思うことにしている。ボキの亡父も亡母も生きていたら、96歳と95歳だった。とうてい生きてはいなかっただろうけど。寿命がなければ、ニンゲンは発展しない。死ぬから、次世代が発展していくのである。それはある意味仕方のないことである。
そういうことを見つめていたのが芭蕉なのではないのか。
この旅行中に小林麻央さんが亡くなった。かわいそうにと思った。ガンだった。かわいそうにと思ったのは、本人もさることながら、遺された小さな子供たちである。
だからである。だからかわいそうなのである。
寿命だったと簡単に言ってはならない。ヒトの生き死には重大な問題を含んでいる。
今回の旅では、革命とそれにともなって命を落とした一般庶民の人生がかかっていたということを知った。かなりの生命が失われていった。それをどう理解するか。
ソ連時代も、革命は続けられていた。当然のように命も捨てられていった。ゴミのように。
中国もそうだろう。
それだけに政治権力というのは怖いと思う。
特にバルト三国は、ロシアの影響から逃れることもできなかった。かつてはスエーデンとも戦争をしたらしい。そんなに強大だったのだと思った。スエーデンがである。
隣国との国境を接しているということが、相当にプレッシャーになっているのだ。そして、こんなに怖いものであるのだということをシミジミ思った。
さらにある。
それはロシアが近代的になっていたことである。あまりにも発展している。発展しすぎている。あれだけの経済発展をしているとは思ってもみなかった。
もっとある。
国境警備がやかましいことである。警備を厳しくしないと国家がもたないのかもしれないが。
アメリカとロシアの二つの国家が世界を支配しているけど、それも見てみないと理解できなかったことである。
ドストエフスキーの時代からしか、ロシアを理解していなかった。サンクトペテルブルグのイメージというのは、ボキにとって日本文学の源氏や平家物語あたりのイメージであったのかもしれない。
それにしても、行って良かった。イメージの中でしか、知らなかったサンクトペテルブルグであり、モスクワであったからである。
百聞は一見にしかずであったからである。
ありがたい体験をさせてもらったものである。
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時差惚けは耐えられるようになってきた。さらにエコノミークラス症候群になってからは、かなり気をつけて行動している。今回もビジネスクラスにしたのは、エコノミークラス症候群になったからである。贅沢だとは思う。思うケド、まだ死にたくはないからである。なにしろ、動かないと死んじまうのである。
たまったもんじゃないからだ。
今日からは歩く。
Walking三昧である。
ロシア人の現地ガイドが言っていた。Gymで20キロは歩いているという。スタイルが良かったわけである。ロシア人女性は、中年を過ぎると肥満に悩まされるらしいから(^_^)。
さ、これくらいにしよう。
病気にならないためにも。
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