と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

おはようございます(今年最後の)

2012年12月31日 05時04分03秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

おはようございます。

昨日の晩にNHK教育で放送していたのを録画した「白隠」を見ながらいろいろ考えておりました。

禅僧で非常にボクの好きな人です。なにしろとらわれがない。こういふ人になりたいものです。おっと、一気に結論を書いてしまいましたが、そういうこともあるんです。そういうことも。

暫時不在 如同死人

この文字があります。墨をたっぷりとつけて太く太く書いてある。これぞ究極であります。不在ということは、よくあることです。仕事でもなんでも、ちょっとした集中を欠くことがある。そういうときに、ボクはこの文字を思い出す。死人のごとく生きてはならんと、勝手に思っておるのですが。

しかし、不在ということはいろいろな瞬間で起こり得る。今、この瞬間に自己はそこに存在する。身体としては。されど、本当に自己であるのか?というと自信を持って肯定できないものがあります。

本当の自己とは何か。このことの問いはまことに、重たい問題があります。皮相的に生きていないかということは常時問われなければならないことであります。

自己を探究するということが、もっとも肝要なことであって、哲学の課題でもあります。大好きなソクラテスせんせがこれを言いました。

そして、人間とはなにかということもであります。今年一年このことをずっとやってきたようなものでした。尊敬する哲人ソクラテスせんせの言うことく、智は善であるという前提のもとに、いろいろと考えてきたのでありました。

このことはある意味、退職してみないとわからないことでもありました。自由にならないと、です。やはり職業に縛られていると、自在なる発想ができないとしみじみ感じておりましたから。

この一年の収穫がこれであったのだと思うのです。



もう一つあります。中世日本史を学びたいということが可能になったことです。以前から興味はあったのですが、ボクは社会科の教員ではなかったから、なかなか踏ん切りがつかなかったのです。躊躇というやつです。

興味があるんならやってみりゃいいだろうと、言われる方がいるかもしれません。どこでどうなって、そんな風に突き進んでいったのかと今年の来し方を考えていました。

能勢朝次先生流の能楽源流をずっと追っていたからでありましょう。原典にあたって、能楽のことを考えるという途方もない試みを始めてしまったからであります。

今年は、京都龍谷大学で発表もさせていただきましたが、それより前の8月に、奈良国立博物館で能楽学会に参加させていただいて、聴講をさせていただいたことが決定的でありました。

そうか、こうやればいいのかということに気がついたからであります。直接お聞きして、あるいは拝見してやっとわかったことがあったからでありました。

ちょっとしたきっかけというものが非常に大切であると感じました。このことは師匠との会話でもそうでした。ちょっとしたアドバイスを、この悪すぎるボクの頭の中で反復して考えると、少しだけ、ちょっとだけわかるような気がすることがあるんです。

頭が悪いなら悪いなりに、ボクの場合は、足を使って調べるしかない。そのことを決めることができたのです。自己の内部において。

なんだそんなことか?って言われるでしょう。それでもいいんです。ボクは、ボクなりの方法でしかできません。それだけの人間でしかない。

だからまだまだ倒れるわけにはいかんのですなぁ。知らないことが多すぎるんです。しょうもない。何をいままでやってきたのだろうという思いがあるからです。

人間というものは、本当に善くなるために、学んでいるんですねぇ。それが根底にあるんですねぇ。

もし、悪行のかぎりを尽くしているんだったら、それは、人間は善を求めているんだということをまだ知らないということであります。哲人ソクラテスに学んだことは、そのことであります。 

 

 

そういうことに気がついた、気づかせていただいたということが収穫であったのでした。やっとたどり着いた点でもありました。そしてその点は、まだまだ先にもたくさんあるような気が致します。

ふむふむ。

 

(^_-)-☆

 






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12月30日(日)のつぶやき

2012年12月31日 04時26分25秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

年末お忙しいのに、読んでいただいて恐縮であります。3600字もありますので、スルーしていただいてもやむなしであります。 blog.goo.ne.jp/tym943/e/3c7bf…


老犬の世話で多忙です。完全に介護犬になってしまっています。朝の2時にシモの世話をしていました。それから、掃除。寝たのが朝の3時30分。ふううううううう。


それを思うと、看護師の方々はすばらしいですよ。まったく。めったに入院しないけど、お世話になったときは、ほんとうにそう思います。これからだんだんとそういう機会が多くなるかもしれないけど。


いつまでも元気でいたいけど、そうもいかない時が来ます。順番にであります。だれでもそれは平等にです。冷厳なる事実であります。老犬の介護をしていると、ほんとうにそう思います。


ボルノーを読んでいると、それでも、気分の大切さというものはあるようでして、今日はランドリーでせんせの本を拝読しながら、二宮きんじろうーをやっておりました。


知らないことが多すぎます。もっとも、劣等生だからねぇ~~~~


劣等生だから、べんきょーしているんどす。さ、けふは介護で疲れたから、おいしい日本酒でもいただいて、(ちょっとだけよ~)爆睡しまひょ。明日の紅白歌合戦を見なくちゃならんから・・・


良いことだらけの一年でしたねぇ(^0^) goo.gl/S4xdx


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2012ボクなりの10大ニュース

2012年12月30日 17時41分26秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

今日は、30日です。もうすぐ今年も終わるんですねぇ。だから、2012年を振り返って、いいことだらけの10大ニュースを書いてみまひょ。


1 初孫誕生 名付け親となったこと

これが一番うれしかったですね。とうとうボクにも孫ができたということの喜びというものは、なかなかいいものです。(^-^)/こうやって、いろいろなものが受け継がれていくということが、如実にわかりましたです。男の子で、治憲とつけました。ボクの願いも込めて。あとは、彼がどういうように受け止めてくれるか。それだけです。それだけ。

2 退職したこと

いよいよリタイヤさせていただきました。感謝とともにあります。職業人としては紆余曲折いろいろありましたが。悔いの無い半生でありました。これもまた、皆様との関係性があってこそでありました。拙ブログにも、現役時代の記事をそのまま載せてありますが、いろいろと参考にしてください。それだけです。それだけ。

3 還暦老学生(博士後期)を始めたこと

けっこうきつかったです。できるかなという不安は今でもあるんですが、今のところは順調にきました。なにしろ、実力がないから、自分に自信が持てないわけです。あたりまえですが。だってボクごときが、大学院生なんて高望みですからねぇ。はははははははっはははっはははははは。

4 千葉科学大学で講師(非)をさせていただいたこと

これもまた良い経験でした。教育の方法と技術というものなんですが、まったく未経験でしたから、不安のままスタート。されど資料はばっちり用意しました。A4で127頁はあります。途中で、随分修正しながら、改善しながらやってきました。動画も活用してかなりわかりやすい講義になったかと思います。

5 大手学習塾の講師(アルバイト)になったこと

週に2マしかやっていないのですが、けっこう勉強になります。国語、英語、数学メインです。高校入試レベルですから、そんなに難しくはないのですが、国公立大学への進学に強い地方の高校を出ておいて良かったとこの一年思っておりました。まだまだ覚えていることがたくさんありました。オレも捨てたもんじゃねぇって思ったんです(^0^)

6 京都龍谷大学で生まれて初めて学会なるもので学術発表をさせていただいたこと

12月8日でしたか、京都まで行って発表をさせていただきました。「宿神論の視点からみた農民仏教劇源流考 私見」っていうような案配でした。勉強になりました。学者の先生方が、どれだけご努力をされているのか、しみじみと理解できました。こういう機会を与えていただいて、なんだか自分が自分でないようです。

7 配偶者と旅行三昧の生活を送らせていただいたこと

1.5ヶ月に一度のペースで温泉主体の旅行を楽しみました。現役の時は、なかなかどこにも出かけられず、ましてや職場旅行なんて最近はやりませんから、老夫婦二人でいろいろなところに出かけて癒やしの時間を過ごすことが、退職後の楽しみでもありました。これで良かったと思っています。

8 千葉県郷土史研究連絡協議会の会員にさせていただいたこと

ひょんなことで、伝統あるこの会に参加させていただきました。ありがたいものであります。有名な方々が多いので、これまたついていけるか心配しています。しかも、できなかったのですが、12月8日に研究発表の機会も与えていただきました。龍谷大学での発表と重なっておりましたので。編集の仕事をいただきましたので、来年はこちらでもいろいろやります。

9 学事出版様から原稿の依頼をいただいたこと

現役の時は、ほんとうにいろいろ書かせていただきました。勤務校も取り上げていただいて、全国に県立銚子高校ありと広報させていただきました。生涯の記念になりました。もう、書かせていただくことはないのかなぁと思っていましたら、来年の2月になりますが、それまでに原稿を送れとの連絡をいただきました。ありがたいかぎりです。

10 ・・・・・?




これはとっておきましょう。

まだ、一日ありますので。

良い一年でした。生産的でありましたし。来年もこんな一年が過ごせますように。

 

 

(^-^)/

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イチローは死を意識している

2012年12月30日 16時58分34秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

昨日のNHKでイチローを扱った番組が夜あったので、ついつい見てしまった。野球が基本的に好きだからである。今日はここから入る。

事実、中学校の教員時代に野球部の監督までさせていただいたから、結構下地はあるのだが。なかなか信じてもらえない。校長なんかになったんだから、当然、学校の部活なんかやっていないだろうし、授業も手抜きで、せっせせっせと世渡りの手練手管ばかり磨いていたんだろう?って聞かれたこともあった。あるいは、小役人上がりなんだろうから、器はちいせぇし、政治家にも弱いんだろうし、どうせたいしたことはねぇんだろうとも思われていたと感じるのである。へぇ~って思っていたが。当たっていたかそうでなかったかは、自分ではわからんけどね。(笑)

漱石の坊ちゃんにも、そういう学校管理職の姿が出てきているし(赤シャツとか)、どーも物笑いの種にすらなっているというように思う。そういうところが、日本人の教育に対する貧弱な理解を示しているような気がしてならないのである。

管理職になるようなバカではないとのたもう方もおられたのだ。確かに、実践は尊い。それはそれですばらしいことである。されど、漱石的視点から見れば、確かにバカに見えるのだろうが、ちょいと一面的すぎはしませんか?とも申し上げたい。

人間観というものが、片一方のモノしかないとなると、極端から極端に行ってしまう。人間は、複眼で見るべきであって、総合的視点というものがここで必要になる。

性格でもそう。単純な性格ってぇのはない。いろいろな性格があってしかるべきであると思うのだが。



だいたい、人には厳しく言う方というのは、打たれ弱いのである。これは確実にそうだ。逆襲されるとキレルのである。しかも、逆襲されたことを他人のせいにするのだ。さらに管理職のせいにする。自分はいっさい悪くないって論法である。おかしくておかしくて、そのつど大笑いをしていた。

ボクが柔道をやるということについても、理解がシンプルすぎる。柔道なら柔道だけであるという思いこみが周囲にあるからで、こういうのを反面教師としてきたのだ。要するに、とーまごときが、柔道以外も知っているというか、そういうことが許せないという人間も確かに存在する。大いなる誤解であると思うし、そんなにあんたの知性・体力・能力ってスゴいのかね?って聞いてみたい気もするが。

要するに、自分だけは賢いのであって、他人は全部バカに見えるのである。よく、ブログとか、Twitterに自称研究者とか、自称ノーベル賞取得志願者とか(いるか?こんなモン)、学歴まで書いているのがいるが、一流の研究者ならいざ知らず、我々ごとき常民がなにを血迷っているんだろうかとよく思う。

よくできるねぇと思う。東大ならわかる。それ以外は普通の神経しているのならかけねぇと思うのだが、いかがか。こういう考え方は、非常に不遜であることはわかっている。ただし、それはボクがそう思うというだけのことであって、なにも他人にそれを強制するというたぐいのものではないのだから、それだけのことでしかないのである。ただの生涯学習者が暇にまかせてくっちゃべっているだけのことだから。


元に戻ろう。

イチローである。

非常に気になる発言があった。「死」という言葉が幾たびも出てきたのである。野球からの引退を、「死」というように言っているのかなと思ったが、どうもそうでもないらしい。番組をみただけでは、彼氏の本音はわからないからである。

観念としての死という単語ならばわかる。しかし、どうもそうではない。求道者としてのイチローというスタンスでこれまでずっと注目してきたのだが、番組を見ているうちに、なんだか宮本武蔵を彷彿とするような錯覚に陥った。

成熟はない、いつまでも発展途上であるというような発言もあった。このことで、はっきりした。

イチローは、武人なのである。

もしかしたら、最後に切腹でもするのかもしれないと思って、暗然たる思いになった。そこまで己を野球に賭けることができるのかということと、イチローらしい生き方に、ボクよりは若いこのアスリートに、背筋が寒くなった。

そこまで自己を没頭させることができるのである。

学歴のようなエセ看板では野球はできない。あくまでオノレの実力だけである。あるいは、ゴマスリを基盤とした人間関係などというごまかしでイチローのようなレベルまで達することはできないではないか。

結果がすべてである。結果が出なくなったらやめるしかないのだ。

巨人にいた松井だって、結果がでなくなったからと言って引退会見をしていた。松井にも、ボクは武人としてのすがすがしさを見ていた。すばらしいものである。

実力の世界で二人とも生きている。

このことがすばらしいのだ。あれだけの人となると、ブログや、Twitterに学歴なんか、あるいは戦績とか、論文の実績とか書かなくても誰でも知っているではないか。

こういう世界が非常にすばらしいと思うのであるがいかがか。



ボク?

なんにも書けることがない。

あははははである。





ボルノーという教育に携わるモノならば誰でも知っていなくちゃならない先生の本から、新たな視点で資料収集を行っている。さらに、せんせの資料から得たヒントから、今回の道徳についての駄文を書かせていただいている。ボクは、勉強が嫌いだから、ボルノーせんせをよく知らなかった。だから、今回ずいぶん読み込ませていただいている。マーカーだらけになっている。しかも、大学のcomputerから先行研究をずいぶんダウンロードさせていただいて、これまでも読み込んできた。

そして、思った。

ボクだって、まだ成熟途中なんだって。フムフム・・・

師匠にいつだったか、農民芸能と宗教なんてやっているんだったら、いさぎよく出家した方が早かったですかねぇって申し上げたことがある。苦笑されていたが、その後、西行のことを社会人講座で教えていただいているうちに、あ、師匠の回答がここにあったのだと思ったことがあった。中世文学の日記の資料を見せていただいて、やっと理解できたのである。ボクにも。

遅いなぁと思う。

マジに遅い。理解が。

 

ボクちゃんは、これの繰り返しでありまするよん!

 

(^_-)-☆

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12月29日(土)のつぶやき

2012年12月30日 04時20分14秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

夕方です。ちょっとあたたくなりましたね。


一日あちこち買い物につきあったり、ま、人並みにやっておりました。なんといっても、時間を盗みながらノート作成をしているんですから、こりゃ厳しいです。


義兄に年賀状を出したか?と聞かれて、二日の日に会うからいらないだろうと言ったら、出しといてとなってしまって、さっき一枚だけ出してきたけど。年賀状って、なんだか目的がなんなのかねぇ・・・って思ってしまいます。(^0^)


世間なんですねぇ。世間。人並みにやっておかないと、笑われるから出すという程度のものなんです。なんだか誰かが儲けるためにやらされているような気がしないでもないけど。(^_-)-☆


駄文の方は、全面見直しで、かなり大変でしたが、さっき目処はつきました。1万字に盛り返して、途中は言いたい放題書いてしまったです。ポメラがあるから、こたつに入りながらですが。


モチベーションがいまいちだけど、やるっきゃないですねぇ。やるっきゃ。


午後に、郷土史研究連絡協議会から手紙がきて、1月の12日に研究史の編集委員会を行うから千葉市に出てきなさいと書いてありました。


ありがたや、ありがたや。来年はこっちでも暴れましょう。はははははは。


@Michi_Shigeta先生  大変勉強になるTwitterとBLOGを紹介していただき感謝申しあげます。フォローさせていただきました。また、お気に入りにも登録させていただきました。還暦のじじいでございますが、よろしゅうお願い申しあげます。


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予定どおり早起きしましたが

2012年12月29日 05時03分16秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

おはようございます。

予定どおり早起きしました。5:04です。これから、駄文書きをしなくちゃならんのです。ふううううううです。自分で選んだ道とはいえども、なかなか・なかなかです。厳しいもんです。

昨日の夜に、村井実著作集で、ソクラテスを教育者として見る、そのような視点を持って見るとまったく違って見えてくるという村井先生のご指摘に、はっとなってから作業を全面的に見直ししているのです。資料というものを、視点を違えて見ることで、それ以降は同じソクラテスが違ったものに感じられてしまう。

アナグラムのようなものかもしれません。ま、これは言い過ぎでしょうけれども。

早起きした理由はもうひとつあります。それは、老犬ジョンを3日ほど獣医の先生に預けていたのです。忘年会ばかりやっている家の者と、配偶者が風邪ひいたのと、ボクがマグロになっていたので。(^0^)

それで、昨日の夕方引き取りに行ったのです。そしたら、ボクのことを忘れているのです。目を合わそうとしない。恥ずかしがっているのかなとふと思いましたが、そうでもない。獣医の先生と、いろいろとお話をさせていただきながら、老犬介護のことを勉強してきました。老々介護です。17歳ですもんねぇ。ボクよりも先輩ですよ。実際の年齢は。それに、彼は癌にもかかっているのです。手術不可能なんです。だから、かわいそうでならないのです。

そして、ホームセンターでファンヒーターを買ってきて、玄関で寝ている老犬にプレゼントしたのです。寒いのが、人間なら100歳をとうに過ぎているという老犬にはきついのだそうです。スイッチを入れたら、一度起きたのに、またすやすやと寝てしまったのです。

人間も同じだなぁと思いました。

しかし、ボクにファンヒーターのスイッチを入れてくれる方はいるんでしょうか。いるか。家族ですなぁ。

そういうことです、そういうこと。

なんだか、ワンコに、人生の要諦を教わったような気分で早朝を過ごしておりました。散歩もちょっとだけですが、終わりましたし。

 

年末になりました。

さぁいよいよです。新年が待っています。どのような年になるのか。現役時代の時とは違って来年の抱負というのがない。あはははです。目標というものを設定して、それに向かって邁進する。成長する。他を圧倒する。カネを儲ける。ぜーたくをする。きれいなお店で食事を楽しむ。・・・・なんもないですなぁ。

あ、一つだけあるか。

来年も原稿が、載りますように。そして、学会発表がまたできますように。

他のためにお役に立てますように。

そんなことしか祈れませんです。

 

(^_-)-☆

 

 

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12月28日(金)のつぶやき

2012年12月29日 04時20分12秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

教育は、人間は善くなろうとしいているという所以のもの・・・という村井実先生の著作集4巻で、今日は勘違いに気がついた。教育論、道徳についての駄文を見直し作業でした。


ソクラテスが善さの構造を明らかにしているということを、村井先生に教えていただいて、一日ノート取り。ふうう。疲れました。で、Twitterに来ています。さ、これからまた再開です。ノートとり。


あ、今日も寒かったですね。午後から。なんということですかなぁ・・・まったく。リビングに戻ります。あっちの部屋でノートとってますから。(^-^)/


ふうううう・・・・ノート中断。またここに来てしまったです。なんだか根底から勘違いしていたってことを知ったので、ま、ポジティブなボクは、これを好機として再度学習するしかないと悟ったのでありました。あはははは。


もうこれで今日は寝ます。明日早く起きましょう。


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少女漫画チックな世界が好きだったんだ

2012年12月28日 10時25分21秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

おはようございます。

午前中の文章トレーニングのために、お筆先様で書いています。でないと、日課にしている駄文書きが思うようにいきませぬので。ご了承を。いつもどおりのつまらないことを書き殴っておりますので、忙しい方はスルーをしてくださいませ。

拙ブログで、マグロになっていたと書いたら、もしかしたらとーまの奴ほんとにマグロになって死にそうなのか?とご心配をいただいたので、ちょっと弁明。

なんでもないんです。寝てただけ。内視鏡とか入れて。あちこちに。焼き鳥状態。クチから、おしりから、全部の排出口から、アナというアナは全部。・・ああ下品な言い方。失礼。だって、焼き鳥になって次の日には帰ってきていたんですからね。病気になったらこのブログは闘病記にしますと宣言していますので、ご安心を。

すべては、ボク宅で行う新年会で発表致します。なんちゃってね。だれも来ないか。第一、ボクの家知らないだろうから。

そんなことより、今日か明日中に道徳教育の駄文を書き上げないと。1万字くらいになったんだけど。まだまだ不満で。自己満足で、えぃってばかりに切り捨てるなら簡単なんだけど。それがなかなかできないんですね。参考文献が、ボクの机の周囲に1メートルは積み上げられていますわん。付箋が一杯ついているんですわん。

修士の時に、随分厳しく・暖かくご指導をいただいたので、(ホンマに)もう根拠文献を明らかにして書いていくのが習慣になっています。

マンガの「エースをねらえ」の岡ひろみちゃんのように、素直なんです。ボクは。自分の方から学ぶというスタイルをとっているからです。あはははははは。

あ、思い出した。「エースをねらえ」はマーガレットという少女漫画に連載されていたんですね。知らなかった。それにそういう少女漫画なんて男の中の男であるとーまは読むべきではないと、屁のつっぱりみたいな感じでいたから、目もくれなかったんです。

しかし、案外です。ボクは、ああいうグチグチとした少女漫画みたいな世界が好きだったんだとわかったからです。男の子の漫画みたいなシンプルさがない。しかも心の中まで踏み込んで描いている。つぶやきもドンドン出てくる。主人公の岡ひろみちゃんの一年先輩なんか「お蝶夫人」とか呼ばれておる。はれ~くだらない。高校生が「夫人」だとよとせせら笑っていたら、どんどん引き込まれてしまって。

なんだか、こういう感覚ってどっかで経験しているなと思ったら、ありました、ありました。

「源氏物語」です。

あの世界と似ている。グチグチ・グチグチとした世界。清少納言の枕草子の方が、まだ現代の女子高校生らしい。うわっつらでおしゃべりして、あっけらかんとして、ちょべりばぁとか言いそうだし。大学受験の古典の問題でこの二つの作品が出てくると楽しくて楽しくて笑ってしまいます。出題者の意図がわかっちまっているから、こうこうせーに何を回答させたいのかな?ってです。出題者だって、ボクより若いでしょうしねぇ。もったいぶっているなぁって、わかっちゃうんです。

 

さ、これから午前中は道徳の駄文を書いて、午後からは、学会提出用の駄文を書かないと。夜は、郷土史の駄文が待っているんです。あ、学事出版様からの原稿もあったんだ。こっちは締め切りにまだ余裕がありますけど。構想だけは立てておかないといけません。

さくさくさくさくっていきたいもんです。

タブン大丈夫でしょう。お筆先様(ポメラ様)がで~んとお待ちですから。

 

それでは、また。飽きたら、Twitterに行ったり、こっちに来たりしますけど。




(^-^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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12月27日(木)のつぶやき

2012年12月28日 04時22分51秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

村井実せんせの全集を片っ端から読んでいて、時々、考えコンでしまうです。たいしたものです。さすがに。むむむとうなったきり、駄文が書けなくなっちまう。そういう時はTwitterです。(^-^)/


されど、村井せんせはあたたかいなぁ。こういうせんせなら、ついて行こうって気にもなりますね。


人格的魅力ってやつです。


そういうの、ボクにはないっすねぇ。


かにの話って文章に、いきなり村井実せんせに一発殴られたようになりました。偏見という重たいテーマです。


なぜ、隣人愛を説く、西欧人が、アフリカであれだけの虐待をし遂げたのか。そういふ文章でありました。ぎゃふんです。


偏見にはボクも苦しめられましたねぇ。本当に。未だに、米沢まで、汽車ぽっぽで10時間もかかるって、思っている人いるんですからねぇ。


実際には、東京から2時間ちょっとです。


それよりも、この文章は、子どもを持つ親には恐ろしいことが書いてあります。親のセキニンをこれでもか、これでもかと、ホンモノの学者が追求してござる。


拙ブログでまた取り上げますが。


自分の偏見だって、悪行だって、欠点だって、全部子どもにいっちまっているんですからねぇ。それを学校のせい、政治のせい、社会のシステムのせい・・・なんだかよくわからないけど。


村井実著作集(小学館)これ、千葉の中央図書館にしかないようです。大学から、10冊愚生が借りてきたけど、中央図書館の4巻目はボクが借りております。だからありません。ごめんね。


さ、教育論はワードで書いているんで、また元に戻ります。それでは、また明日!


ボルノーの教育論に来て、またはたと中断。22:20です。(*_*) マイッタ


確かに、ある方の先行研究の論文で確認したのだが・・・・・とほほ。ボルノーせんせの肝心の書籍と、頁がわからん。


わからんから、Amazonに発注した。県立図書館も年末休館に入るし。困ったな。ま、しょうが無いか。中古で1800円。定価じゃ買えない。年金生活者では。


ふて寝しようっと。あと、2時間くらいで。それともうインターネットやらない。今日は。邪魔だ。(^0^)


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あれはボクがマグロだったとき

2012年12月27日 13時09分29秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

あれは、「ボクがマグロだったとき。。。」ふんふん「隣のおじさんは、クジラだった」・・なんてなんかの漫才のパクリだけど、マグロはなんのために生きているんだろうか?と、一昨日マグロだった時に思ったのである。

「他のために」である。(^_^)3 フムフム。

これでけりはついた。つまり、大学院なんて行ってなんになるんだぃ?という周囲の意地悪に対する答えである。良い言葉を思いついたものだ。「他のために」である。マグロだって、他のために生きている。そして、死んで、おいしいオサシミになって、「他のために」役目を終える。

ふうううううむ、不快じゃぁなくて、深い。

あははははは


京都の学会の時に、仙台の旧制帝国大学に学ぶ博士後期課程のインセイさんと一献一献また一献とやっていたのだ。聞いたら、なんと居住地近くのN高校の出身であったので、学部も仙台ですか?と素直に聞いてしまったのだ。悪いことをした。愚生の母校からでも、27名くらいしかいけなかった超エリート大学だから自然とそんな台詞がでたのが、間違いのもと。学部は言えない、大学名も言えないとその御仁のたもうたのだ。悪いことを聞いてしまった。いるのである。学部と、大学院が極端に違う方。そういうのを狙っている方が。ま、あれこれ言う気もないけど。好きなようにすればいいんだから。

愚生は違うけどね(^0^)

生涯学習だから。最終学歴なんてどうでもいいので。

で、気がついたのである。

あ、オレは自分のために学問をやっちょるのではないって。自分の都合だけを考えておると、ステップアップだ!とか、昇任するためだとか、昇給のためだとか、あとナンダ?・・・そういふつまらん理由しか考えつかないなぁ。

今更、大学院博士後期を修了したって、以下のような展開が考えられるから。

①単位修得できずに、まるっきりの中途退学

②単位は修得して、満期退学

③博士論文を書く能力なしとなった場合(外国語が危ない・・)

④学会活動不十分として、博士論文提出不可となった場合

。。。。。。。。。。

ふうう、どれも厳しいなぁ。

そして、見事ライセンス取得しても、今度は働く場所がない。ない、ない、ない。ナイ・マス・マル・トキ・バ・ヨだ。活用形だ。わはははははだ。(高校古典文法)

大学のせんせは65歳定年だから、とてもムリだし。最初からそれはまったく考えていないから、ムリ。

じゃ、なんのためだ?

・・・・・・・・・・・

と、ここまで来たわけだ。一昨日。マグロになって。

で、気がついたんどす。

(^-^)/


 

てめぇのことしかかんげーてねーからだって。

これをです、「他のために」と設定すると、解決である。

世の中には、もの好きな人がいるかもしれないから。

とーまと話でもしてみたいなぁ、お茶でも飲むかって方、いらっしゃるような気がするのである。

まだ二人しかいないけど。

家族ではありませんよん。

家族は愚生が何を血迷っているんだってくらいしか認識無いのでしゅ。道楽モンだと毎日言われているんで。

情け無いけど。

 



(^_^)3 フムフム。

 

 

 

 

 

 

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12月26日(水)のつぶやき

2012年12月27日 04時22分33秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

長文です 気にいらない方はスルーを goo.gl/EVcS9


だいぶ留守したと思いましたら、中いち日だけでしたね。失礼しました。今日は、記事をアップしておきましたので。よろしく。


ここんところ考えていることを、ちゃちゃらと書かせていただきました。スルーされない程度にですが。(^0^)


この三日間で出会った方々に感動をしておりました。他のために生きる方々でありました。こんな生き方は、自分勝手な愚生にはできません。まことに、まことに。???なにがなんだか分からん???愚生にも分からんですが。はっきり書けないので。(^-^)/


あ、宗教とかそんなんじゃなくて。アタシャ、ただひたすらマグロのように寝ていただけですが。


今日は、村井実せんせの本が県立図書館に来ていたので、クルマで取りに行きました。あとは、全集があるから、ノート片手にひたすら執筆です。全集は付箋だらけ。返すとき大変。はがして返さなくちゃならんから。


今日の記事も、マグロになっていたときに、ポメラでだらだらと書いたものですが、ご笑納を。だらだらしているから、文もだらだらになってしまいますね。


今日はこれでおしまい。また明日。


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鉱脈のこと、アナグラムのこと

2012年12月26日 12時24分52秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

1 鉱脈のこと
高名な作家たちは、自分の鉱脈を持っていると思う。掘っても掘っても尽きない作品の源である。それがあるから、いくらでも書けるのだろうと。その鉱脈は、誰にでもある。浅いか、深いか、横に広がっているのか、縦に狭く深くなっているのかは別として。

あるいは、スマホとかのツールでメールを打っている人でもその鉱脈はあると思う。そもそも、あの小さな機械で文章をものすごいスピードで打てるということだけで、愚生などは目を見張ってしまう。愚生の携帯は、簡単携帯というお年寄り向きなので。

スマホでメールを打てるというのは、メールを打たないと友人に相手にされないとか、捨てられるとかという類の鉱脈があるんだろうと推察する。そのことをともかく申し上げるつもりはないが、(アタシャ、そんなのできないので)そういう文化を自分の中に持っていらっしゃるんだから、それはそれでいい。

そんなふうに思うのだ。

ノーベル賞のことで、村上春樹がいろいろと取り上げられた。個人的には非常に好きな作家であるから、残念だった。彼が、その尽きせぬ鉱脈を持っておられると思うのである。ただし、我々レベルとは非常に違う高レベルの鉱脈である。冗談でも、我々と同じだと言っちゃぁならん。

ある一定の定義で済ませないものが彼にはある。深みが違うのだ。さらに、まだ書いていない深みがあると愚生は睨んでいる。早く書いてほしいが、それはそれで待っているしかない。それは中国との関連・・・否、もうやめよう。読む楽しみがなくなってしまう。

ただ単純にストーリーがおもしろいという作家はいくらでもいる。ふむふむはぁはぁとストーリーを追いかけていけば楽しいというだけの。

推理小説がそうだ。こちらも愚生は好きで、いろいろと読んでいる。特にすることもない日がな一日を過ごすのには実にいいものである。今は、やらないが夜行列車でふるさとに帰るときに、推理小説は我が独行道の実に良い友であった。

昔は、国鉄と言って、列車がのんびりと走ってくれたから実に良かった。あっというまに目的地に着くよりも、のんびりとその地に着くまでの時間的経緯を味わうのが旅であると思っているからである。東海道中膝栗毛だって、あれは伊勢神宮に行くのが目的ではあるけれど、そこに着くまでが楽しみなのであった。いろいろあって、旅なのである。

居住地にも高野山へ行くための講がある。町内を代表して行くわけである。そして、行ってきてからおもしろおかしく町内の方々に報告をする。それが実に楽しいのである。これから、郷土史を勉強させていただくからそういう文献を探し出して読んでみたいと思っている。芸能というものの源流がそこらへんにあるような気がするからである。楽しみ、楽しみ。

元に戻そう。
展開が予想できない推理小説というのは、ある意味、冒頭にあげたようなその作家の深い鉱脈を感じさせてくれる。作家の人生観や、文学観、人間観というようなものがその鉱脈の中には埋まっていると予想させてくれるからである。

松本清張という作家はその点でピカイチであった。どういう方であったんだろうと思う。思うが、もう書いてくださらない。亡くなってしまったから。

古代史における松本清張先生の論文もおもしろかった。つまりファンなのであった。さらに、努力の人でもあった。そういう生き方をしている人が愚生は基本的に好きなのである。

ただし、裏切られてしまったと思う作家もいた。ま、それはそれでここには書かない。


2 アナグラムについて
本当は、この記事ではこちらを書いてみたくてチャレンジし始めたのだが、最初から書くとスルーされそうですから。。(笑)

アナグラム(anagram)というのは、「文字の置き換え」のことで、実は多くの作家たちが行っているのではないかと思っているからである。
そもそも作家といえども、まったくのオリジナルで作品を書いているわけではないと思っているからである。

これまでいろいろな古典や、他の作家の作品たちを読んできて、それがある種の文化遺産として蓄積されていると想像するからである。

一つの単語が与えられると、我々は、それに関連するあらゆる単語をリストアップする。無意識にである。その順番は問わない。

ソシュールというこの方面では有名な方がおられて、「一般言語学講義」という良い仕事をされた。(だから、この記事の最後に持ってきたのだけど)

人間がどういうふうに言語を操作しているかということをソシュールは研究なされた。多くの作業を言語を扱う時に、人間というものはやっているのだということである。しかもそれは自然に、あるいは無意識にである。

発語するときに、発語主体が前にしている「音的機会」は、まとに多様であって、実はそこのところに最も注目するのである。ここで初めて愚生の中世日本古典文学が関わってくる。つまり、芸能と音声の持つ魅力であり、関わり方である。

ここの部分はこれからの愚生の課題である。まだまだこれからのことである。そしてまだ書けない。書いてもモノになっていない。

おっと、永久にモノにならないか。

なんてったって、何かになろうかという目的がないのだから。モチベーションがねぇんだなぁ。

わはははは。


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12月23日(日)のつぶやき

2012年12月24日 05時24分08秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
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三食昼寝付きのトン国へ

2012年12月23日 11時30分22秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

申し訳ありません。

三食昼寝付きのトン国(?)のようなところに行って来ます。周囲はかわいいPigちゃんばかり。なんちゃって。

ちょいとこのブログを留守にいたしますが。

 

緊急連絡は携帯メールへ。。。。。。

と言っても、誰も知らないか、オレの携帯メールなんて。

 

あははははは

 

(^_-)-☆

 

じゃぁ!

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12月21日(金)のつぶやき

2012年12月22日 05時19分18秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

今年最後の師匠のゼミでした。感謝と共にすごさせていただきました。今年の愚生の展開は、師匠にとっても意外なものであったと思います。まさか、こんなことを愚生が企んでいたとは気がつかれなかったと思います。しかし、他流試合を試みたというのは、まさに師匠のお導き。感謝です。


エースをねらえの岡ヒロミちゃんは、宗方コーチに、コーチのすべてを教えてくださいと迫りますが、宗方コーチはそれを待っておったのでした。ここに師弟関係の基本があります。何を研究したらよいのか、師匠に聞いているようでは、もはや失格であります。自分でどんどん決めて、自分でやっていくのみ。


龍谷大学での発表を師匠は喜んでくださったのです。愚昧な弟子としては、これにまさる喜びはない。そして、これからもドンドンやるっきゃないのです。目的がないというのが、たまに傷ですがね。(^0^)


今日は大学から10冊の「村井実著作集」を借りてきました。年末年始に、教育関係の論文を書かなくちゃなりませんので。大晦日までには、学会投稿論文が1本。郷土史関係が1本。学事出版様が1本。あははははは・・好きですなぁ。目的がないから。これじゃぁ、正月もへったくれもないっすね。


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/