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疲れてしまった。だから早く寝てしまった。昨夜のことである。したがって、今朝は5時に起きて歩きに行った。それからNHKの語学講座を聴いた。そして、日課にしている文章トレーニングである。つまり、このでたらめブログである。思いついたことをダラダラと打鍵している。それに指の運動にもなる。これが惚け防止にけっこう良いと思っているからだ。
今日は市営の図書館の方に行こう。閲覧室があって、そこでレポートをやろう。一日なにもすることがなくなったからだ。あ、いつもそうか。
昨日のバイトでお会いした50代前半の若い方に、言われてしまった。健康だからできるんですよって。女性だった。ボキのつまらないダジャレを聞いてくださったからである。感謝である。
もっとも感謝といえば、このでたらめブログに来てくださる方々にも感謝である。こんなじじいがよくもまぁ恥ずかしくも無く、生きていられるもんだと思っておられるだろうから。事実みっともないからだが。顔も、髪の毛も。
一昨日、ある方から原稿の依頼があった。居住地の歴史について書いてくれと言われた。よく考えずに快諾してしまった。なぜかというと、その「ある方」にボキの関係している歴史の会で講師をつとめていただくからである。つまり交換条件。出版社から連絡があるそうだが、快諾してから心配になってきた。ボキのようなシロウトでも書けるかという心配である。
しかし、困っているからボキに依頼されたのであろうから、受諾したのである。いつもそうだ。頼まれごとは、殺人と金銭以外は協力させていただくことにしているからだ。それにやることなくて不善をなしているよりは良いからなぁ。
それもこれも、「健康だから」できているんですなぁ。
昨日お会いした50代の女性幹部が言われるとおりである。裏に、奥さんがいるからできるんでしょ?っていう意味があるのも、賢いボキは察知したけど。
?
ボキが賢いって?
わはっははっははっははっははっはははっははっははは。
そんなことはあり得ないですなぁ。
BYE-BYE!
ふと思った。それは「未熟な親が未熟な子供を作ってしまう」ということであった。ボキにも二人子供がいる。すでに家庭を持っている。孫もいる。彼らを見ていると、まったく未熟な親であって、ジジイとしては恥ずかしい限りである。
しかし、そりゃぁボキも自分に当てはまっている。未熟な親であったからだ。ボキがである。未熟なまんま家庭を持って赤ちゃんを作り、育ててきた。ボキの子供たちは健康でまがりなりにもいっぱしの親になってくれた。
もう止そうと思う。我が子供たちに、あれこれ文句を言うのは。子育てだって不安なかぎりであるけれども。孫をどう育てているかについてこうしたらどうかなんてぇことを言うのは。
そりゃぁ、愛情という名の劣等感からきているからである。ボキは真実そう思う。劣等感を持ったまま、子育てをしてきたからだ。こうしてやりたいとか、ああしてやりたいというのは、愛情という仮面をかぶったボキの劣等感であったからだ。
ボキの子供たちは二人とも大学まで行って就職した。これだけで十分である。劣等感というのは、ボキの亡父が大学を出ていなかったから生涯世の中に、公務員の世界に文句を言っていたからである。つまり、亡父の劣等感を知っていたからである。確かに頭のいい亡父であった。しかし、それだけでは世の中を渡っていくことはできない。人間関調整力というものがなければ生きていくことは難しい。経験上、しみじみとそう思う。
もうボキの子供たちは放っておこう。それがいい。孫だけかわいがっていればいいだけである。孫には責任がないからなぁ(笑)。
昨日、知人がボキんちにやってきた。入院するという。四方山の話をしていた。入院の保証人になってくれというのでなった。それだけである。そして、思った。家族というのはありがたいもんだなぁって。なぜなら知人は独身だからである。
今朝から雨が降っている。
歩くのも中止。
(@^^)/~~~!
ここんところずっと劣等感ということを考えてきた。威張っている奴が劣等感を持っているかもしれないと、ふと思ったら確かにそうだった。しかも、威張っている奴は苦労してゴマすり人生で出世していることにも気がついた。低学歴ほど、威張るのじゃ。マジにそう思った。そしたら、世間のことがだいたいわかってしまったよん。
低学歴だからといっても、なにもめげることはない。ボキが良い例である。東京に集団就職列車で来て、やったことといえば新聞配達だけである。そして、FランもFランの超底流大学に通った。いちばんしょうがなかったのが、夕刊があったということ。夕刊配達までには店に帰らなくちゃアカンかった。こんなんじゃ、友人もできなかった。麻雀もできなかった。あたりめぇである。夕刊の後は朝刊配達があるからだ。寝ているヒマもなくなっちまう。
それに高校時代に出来が悪かったから、本を読まなくちゃ学部のアホ大学生についていけない。そりゃぁ出来が悪くても、それくらいはやらんと苦学している意味もない。あんなアホ学生と一緒にしないでくれと言っても、最低限の努力はしないと、ついていけないからだ。
一番はっとしたのが、もしかしたらボキは劣等感を持っていた両親に愛情という仮面をかぶったもので育てられたのではないのかということである。田舎の公務員と、師範学校出の小学校教員。この二人は、向上心はあった。しかし、くすぶっていた。
なにが?
劣等感である。しがない田舎の温泉町で可も無く不可もないつまらない人生を送っていると思っていた。亡父は、とりわけシベリア抑留帰りでニヒリズムに陥っていた。生きて帰ってきたことが、亡くなっていった戦友達に申し訳ないといつも言っていた。つまり「自分で自分を裁判にかけていた」のである。
こいつはたまんないことだったろう。生きていることに罪の意識があったからである。
ボキもそういう傾向がある。自罰主義である。劣等感の最たるものである。
しかし、もうすぐ死んじまうのに、なにを今更である。劣等感もクソもないではないか。
自罰なんかやっているヒマがあったら、バイトでもやるこった。
なにしろ学費を稼がなくちゃ。もったいないからだ。
ボキの18歳のころとかわっちゃいなかったのだ。
アホですなぁ。
アホ。
BYE-BYE!
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