と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

旅のしおり まるっきり、じじとばばの同窓会でしたよん ぼーっとして生きてんじゃねぇよとチコちゃんに叱られてしまうけど(^_^)

2018年10月31日 18時35分18秒 | 中国武陵源紀行2018年10月

 中国武陵源の旅 


※18:39家にいます。生きて帰って参りました。わははっははははっはははっははっははははは。(写真は全部カットしてあります)

 

 

日程は、2018年10月25日(木)から31日(水)まで Kindleに仕込んでいった旅のしおりでございます。お笑いくださいませ。

 

 

10月25日(水) 成田空港発 18時45分 所要時間4時間15分

武漢着 22時00分 着後専用車にてホテルへ 45キロ 40分

ホテル到着 24時

ホテル名

麗楓酒店 

 

 

10月26日(金)

6時45分 ホテル発

武漢駅へ

 

高速鉄道で長沙へ(2等指定席)

 

長沙着

専用車にて武陵源へ(350キロ 4時間30分)

武陵源着

武陵源は、湖南省張家界市にあり、張家界森林公園、索渓谷自然保護区、天子山自然保護区などの地域からなる自然保護区です。エリアの97%が森林に覆われており、奇岩と木々、雲海が、ここにしかない特別な風景を作り出しています。3000を越す奇岩が瞬時に千変万化する素晴らしい景観には、心を奪われることでしょう。植物層も豊かで、中国第一級保護植物が4種、第二級が40種確認されています。 1992年より、ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。

 

索渓谷自然風景保護区観光(1時間30分)

湖南省張家界市にある、張家界森林公園、索渓谷自然保護区、天子山自然保護区などの地域からなる自然保護区の総称である。2009年公開の映画「アバター」の舞台となり世界的に注目された。

 

索溪谷自然保護区:索渓峪は、宝峰湖と黄龍洞からなり、張家界森林公園と天子山より広い山岳地帯で、山、林、水、洞が併存している多彩な風景区です。国家級保護動物や第一級・二級保護植物が数多く生息しています。

 

宝峰湖:1970年代、地元の住民が発電のために、高さ72メートルのダムを谷間に建設し、水を蓄え灌漑を施したところ、期せずして風景奇麗な湖ができ上がった。湖は宝峰山に沿うことから、この名が付けられた。透明無比の湖は、武陵源“四大絶壁”の一つ。

 

黄龍洞:1983年に発見され、その類を見ない規模と特異な景観で、「中国一の鍾乳洞」「アジア一の奇洞」と称されています。洞内の観光に要する行程は洞内湖の遊覧船観光を含め、総距離が約6000メートル、全部観光するのが約2時間ぐらいかかりますが、一部分を観光しても、カルスト鍾乳洞の広さと偉さを充分に感じます。

 

◎黄龍洞観光

 

ホテル到着 18時15分

張家界(公園内)泊

天子大酒店貴賓楼

   

 

10月27日(土)

張家界発 9時

天子山自然保護区観光

天子山ロープウエイで天子山頂上へ

   

 

御筆峰

幽玄の景観により、武陵源の随一と言われる天子山自然保護区へはロープウェイで行くことができます。標高1,200mの山頂からは、山水画さながらの絶景を一望できます。特に美しいのが「御筆峰(ぎょひつほう)」です。皇帝が使う筆「御筆」を逆さにして挿されたような様子から、この名前がつきました。

 

 

 

 

 

仙女散花

維摩経によれば、ある日、如来はインドの蓮花宝座で経を説いていると、突然瑞雲が東から来るのを見て、弟子の維摩詰が難病になっていることに悟る。そこで、大衆の弟子に見舞いに派遣する。如来は維摩居士がこの機会に仏典を解説するだろうと考えており、弟子達が学ぶ様子を検証するように天女を派遣した。天女は花かごを手に提げて飛んでいき、下界に来て頭を下げて見ると、維摩潔が弟子に教えを授けているところを見かけた。天女がすぐさま花かごの鮮花を下界へ撒くと、弟子舎利弗は全身花まみれとなった。みんなはとても不思議に思っていると、天女は言った。「結習未だ盡きざれば、固より花が身に著く。結習盡くれば、花身に著かず。(煩悩を離れていないから花が身に付くのだ。煩悩を離れれば、花は体につかない。)」舎利弗は天女の教えを知り、ますます経文の勉強に励んだ。

 

 

賀龍公園

天子山ロープウェイ降り場から巡回バスに乗り、5分後くらいで停車した場所が賀龍公園です。散策路がありますが、メインの道だけ通りました。細長い奇岩群が見渡せて、なかなかの迫力でした

 

 

袁家界風景区へ

絶壁の岩肌にある百龍エレベーターを利用して頂上駅から袁家界の迷魂台に、更に天下一橋までの遊歩道を歩いて世界自然遺産に指定されている袁家界の奇岩群や山並みの眺望を楽しみました。

 

袁家界の景色は今まで見たことのないスケールの大きい奇岩群でした、遊歩道には所々に展望台がありじっくり見ることが出来ました、写真も多く撮ることが出来ました。

 

 

 

 

 

 

迷塊台袁家界は山地で、生い茂ている森、漂っている霧、繋がっている山々に囲まれている美しいところです。最も有名なスポットは『アバター』に出ている「ハレルヤ山」のロケ地になった乾坤柱です。そのほかに、勢いのある迷魂台、天下一橋などのスポットも人気があります。

 

 迷魂台は景色を眺める一番いいところで、迷魂台に立つと、周りの百座を超える石柱が見られ、勢いは凄まじいものです。天下一橋は二つの山を跨る幅2m、長さ25m、垂直の落差は357m、世界で落差の最も大きい自然の石橋です(この石橋には入ることはできません)

 

 麓から袁家界へ行くには二つの道があります。一つは「金鞭渓大峡谷」真ん中の「千里相会」の分かれ目に行って、「乱せん坂」から歩いて袁家界へ行きます。およそ2時間かかります。

 

 もう一つは「金鞭渓大峡谷」を出て、「水饒四門」を経て、「百龍天梯」(下)に着き、エレベーターで頂上へ登ります。時間もかからず、「百龍天梯」(上)から観光地の無料電動自転車で袁家界の駐車場に行きます。やはり、二番目の行き方をお勧めします。時間も精力も節約し、「金鞭渓」の後半の風景も見られます。

 

 「百龍天梯」は張家界国家森林公園にある金鞭渓、袁家界、天子山などの観光スポットを結び付いております。金鞭渓大峡谷の近くから袁家界まで、所要時間は2時間ですが、「水饒四門」でエレベーターに乗ったら、2分間しかかかりません。

 

 「百龍天梯」(下)は金鞭渓大峡谷近くの「水饒四門」という観光スポットにあります。(400m離れている)そして、上は袁家界スポットです。エレベーターの落差は335mで、上下の移動距離は326mとなっており、山内のトンネルとエレベーターの組み合わせからなっています、合わせて3台ありますが、すべて透明のガラス張り構造で、エレベーターに乗ると、張家界の絶景である「新兵集会」を楽しめます。「新兵集会」は「百龍天梯」の向かい側にあり、何十座の独立した石柱でできています。

 

 「百龍天梯」は「世界で最も高く、速度が最も早く、積量は最も大きいこと」でギネスに登録されました。

 

 袁家界を回り終えたら、観光地の無料バスで北側にある天子山観光スポットへ行くといいでしょう。或いは袁家界に泊まって、地元料理を体験しましょう。

 

特別ヒント:

1、袁家界には険しい山道が多く、十分気をつけてください。

2、観光地には猿がよく現れるので、面倒を引き起こさいでください。

3、「百龍天梯」を利用するお客様が非常に多く、特に祝日の時、長い列に並び、一時間以上待たせられることはよくあります。

4、観光地の食品はよくありませんので、すこし持参したほうがいいでしょう。祝日の時、ホテルに前もって予約したほうがいいでしょう。

 もし以上の景色にご興味あれば、Arachinaにご連絡ください。Arachinaは袁家界の旅行、交通に関する情報をご提供するほか、オーダーメイドツアーもご提供できます。団体ツアーではなく自由自在にコースを設計し、ご希望の時期と目的地につて、専門的で、ご満足できるプランをご提供致します。

 

百龍エレベーター

 

 

十里画廊 トロッコ列車

 

 

 

18時30分 ホテル前日と同じ

 

 

 

10月28日(日)

11時30分 ホテル発

天門山国家森林公園

中国一長いロープウエイ

 

 

 天門山は自然景観である「天門洞」にちなんで名づけられました。天門山を観光する際、7500mの長いロープウェーに乗らなければなりません。ロープウェーの中から、絶壁の間をぐるぐる回っている道や山の絶景を見下ろして楽しむことができます。大胆な方なら、絶壁の間に建てられて宙に浮いているガラスの桟橋を渡り、空を凌いで歩く刺激を体験してみるのもおすすめです。

 

 天門山は張家界の市区からわずか8㎞しか離れていません。山中の天門洞は自然にできた天然の鐘乳洞です。地元の人々はここから天上の宮殿に直行できます。一般の観光客にとって、天門洞は一年中公開されているわけではありません。毎年の冬になると、雪で道が凍ります。天門洞や天門洞へ行く道(山に沿って99回回る道)は閉鎖されることになります。

 

 天門山ロープウェーの下駅は永定区に位置している官黎坪で、上駅は天門山頂です。そのほか、「中駅」と呼ばれるもう一つの駅があります。そこで観光エリアのエコ車に乗り換え、天門洞へ行くことができます。

 

 天門山観光エリアの至る所に、古木は高くそびえ、藤が木に絡んでいます。観光エリアは天門洞、中ライン、東ライン、西ラインに分けられます。観光客は自分の好みや体力でそれぞれ違う観光ラインやエリアを選択することができます。

 

 中ラインのメイン観光スポットは天門山寺です。寺の近くに「求児洞」があります。民間の伝説によると、子授け観音はご利益が高いので、誠意をもって祈願すると、子供ができるそうです。西ラインの目玉は絶壁に建てられ、歩く道が全部透明なガラスで作られ、約60mの長さがある「ガラスの桟橋」です。その上に立ち、底も知れないほどの峡谷を見下ろし、おどおどしながら、空を凌いで歩く楽しさが味わえます。東ラインは原始林を主としています。現在、150mのガラスの桟橋も架けられています。

 

 天門山観光エリアの中では泊まることができないので、観光時間は一日以内に抑える必要があります。「櫻桃湾レストラン」は天門山寺付近に位置しています。スナックやファーストフードを販売しています。

 

 天門山ロープウェーの下駅付近に、「峡谷大劇場」へ行くバスが止まっています。劇場で奇妙なミュージカル『天門狐仙』が毎晩20時ぐらいにロケーションで上映することになります(上映は毎年3月からと年末の間となります)。

 

特別ヒント:

1、天門山は海抜が1500mです。山頂とふもとの温度差は比較的に大きいので、防寒対策にコートを用意したほうがいいでしょう。

2、天門山は市区より早く暮れるので、17時ぐらいには下山したほうがいいでしょう。

3、天門洞前の数百段の階段を上がるのはとてもきついので、心の準備をしておいたほうがいいでしょう。

4、多くの観光客の評判によると、山中の料理はあまりおいしくないそうです。食べ物を持参したほうがいいでしょう。

5、季節、天気や他の原因によって、観光エリア内の各施設の公開時間はそれなりに調整します。現在、明確なスケジュールがないので、当日、現地へ問い合わせる必要があります。

6、ガラスの桟橋を渡るには入場料がかかります。靴に袋をかぶせて渡ります。

 

ホテル 19時45分着 張家界国際大酒店

4つ星ホテルで部屋はモダンでゆったりしたスペースでした。鍵はカードキーのタッチ式、主電源タイプなので部屋に入ってボックスにカードを差し込むと電気が付きます。フロント、朝食会場は1階です。フロントの内線は専用ボタン、部屋から部屋に電話する場合は、部屋番号のみで繋がります。外線は0発信です。金庫、冷蔵庫、ドライヤー、ポット、ティーセット、バスタブ、シャンプー、リンス等のアメニティーが完備、冷蔵庫の中は空でした。スリッパとバスローブもありました。またテーブルの上にミネラルウォーターが2本サービスで置かれていて助かりました。Wi-Fiは無料で、パスワード無しで利用可能です。川沿いの静かなロケーションで、ホテルの周辺は特に何もありませんが、小さなマートが徒歩7~8分程のところにありました。ホテル内に売店があり、アルコールも売っています。夕方に行った時には10元と言われたビールが、クローズ間際の11時近くに行ったら、別の店番は15元と言ってきました。外国人とみた露骨なぼったくりです。ホテル内の売店でこれです。何とも言えぬ中国らしいさを痛感しました。朝食はミールクーポンで朝6時から自由席で利用できました。まずまずの内容でした。

   

 

オプション 音楽ショー「天門弧仙」

 

 

 

 

 

 

10月29日(月)

8時発

専用車にて鳳凰古城へ 250キロ 4時間30分

鳳凰古城観光

鳳凰古城

 

十数年前にNHKの「世界ふれあいまち歩き」という番組で見て、川の中の足場の上に建ち並ぶ古式ゆかしい住居と、少数民族の朴訥とした暮らしぶりに行ってみたい!と憧れの場所に。今は安全面から足場は埋め立てられ、ひどく観光地化されていたけど、長い間の想いを遂げられてとても満足。

鳳凰古城の絶景のような街並みは清の康熙帝時代に建てられたところで、政治・経済の中心として栄えました。その起源ははるか2000年前の戦国時代に遡り、唐代の古い遺跡まであるほどです。明代にも重要視されていたため、五寨長官司が古城に置かれていました。近代になってからも繁栄は衰えず、21世紀には国家歴史文化名城に指定されました。

 

多くの偉人を生み出した場所でもある

実は鳳凰古城は中国史で活躍する偉人を多く生み出したところでもあります。その鳳凰出身である中華民国初代総理の熊希齢は神童と呼ばれた人物でした。彼は科挙の殿試に合格し、辛亥革命以降も政界で大きな活躍を遂げました。ちなみに水墨画を専門にした黄永玉も作家の沈从文も鳳凰古城地域の出身です。鳳凰古城の理想的とも言える環境がその偉人の才能を開花させたのかもしれません。

 

沈江を小舟で遊覧

 

少数民族が住む数少ない自治区

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中国の華南は多くの少数民族が各地に点在していますが、鳳凰古城もその自治区に含まれます。鳳凰古城にはミャオ族とトゥチャ族が古来より暮らしています。少数民族と漢民族が溶け込んでいるのは観光スポットとして素晴らしいことです。中国にはチベットやウイグルなど少数民族が暮らしている地域がありますが、鳳凰古城でもそれとはまた違った民族と出会えます。

 

ミャオ族の文化を学ぼう

 

鳳凰古城のミャオ族はチベットとは違った独自の文化を持っている人々です。彼らは人の家に勝手に入ってはいけない、口笛を吹いてはいけないしきたりを長年守っています。もちろん祖先祭祀は欠かせません。特にミャオ族の女性の踊りと歌は美しく、一生に一度は見なければ損をします。ミャオ族の文化は鳳凰古城の観光ツアーで触れるべきものなのです。

 

20世紀最大の小説家の家「沈从文故居」

この家は20世紀最大の中国の作家沈从文の生家です。沈从文は故郷を背景とした恋愛を描いた「辺城」や太平洋戦争真っ只中に書かれた「湖南の兵士」などの名作品を世に送りました。彼もまた、ミャオ族やトゥチャ族の血をひいている偉人です。彼の部屋では当時使われた蓄音機や生前に残された草稿、書画などが残っています。

 

历史沿革编辑

沈从文故居

沈从文故居

1902年12月28日,沈从文先生诞生在凤凰古城中营街的一座典型的南方古四合院里。四合院是沈从文先生的祖父沈宏富(曾任清朝贵州提督)于同治五年(1866年)购买旧民宅拆除后兴建的,鳌头,镂花的门窗,小巧别致,古色古香。

沈从文故居于1991年被列为省人民政府重点文物保护单位,故居现陈列有沈老的遗墨、遗稿、遗物和遗像,成为凤凰最吸引人的人文景观之一。2006年05月25日,湖南省凤凰县的沈从文故居被国务院批准列入第六批全国重点文物保护单位名单。

故居始建于清同治五年(1866年),系木结构四合院建筑,占地600平方米,分为前后两栋共有房屋10间,沈从文在此度过了童年和少年时代。1988年沈从文病逝于北京,骨灰葬于凤凰县听涛山下,同年故居大修并向游人开放,现被列为省级文物保护单位。

 

跳石

 

 

万名塔

 

 

ホテル 天下鳳凰大酒店

 

 

10月30日(火)

8時発 南方長城観光

 

 

 

 

 

 

昼食後 壊化高鉄駅へ 武漢を目指す 690キロ 3時間10分 二等指定席

 

武漢着 19時10分

 

ホテル 一日目と同じホテル

 

10月31日(水)

6時20分発

朝食軽食

武漢発 9時30分成田行き 3時間30分

成田着14時

 

※武漢とは?

武漢市は華中地域ないし長江中流域の中心都市であり、華中地方唯一の「副省級市」であり中国の「国家中心都市」の一つでもある。長江とその支流である漢江の合流点にある武昌、漢陽、漢口の三鎮からなり、「江城」という異称もある。武漢は「百湖の市」とも呼ばれ、市内で数多くの湖があり、水域面積は全市面積の約4分の1を占める。

 

武漢は3800年の歴史をもつ国家歴史文化名城で、楚文化の発祥地の一つである。経済的重要性から大幅な自主権をもつ副省級市に指定されている

 

殷・周

 

殷・盤龍城遺跡(紀元前1800年~紀元前1400年)

黄陂区の盤龍城遺跡には紀元前18世紀~紀元前14世紀前期の殷・方国都邑が保存され、長江流域で発見された唯一の殷代都市遺跡として知られる。

周・春秋・戦国時代に武漢が楚国に支配される。

秦・漢・三国時代

秦代には南郡に属する。

武漢が正式に一行政単位になるのは前漢であり、沙羨県が置かれ、江夏郡に属する。後漢末年に、当時の荊州牧劉表は黄祖を江夏太守に任命し、郡治を漢陽の亀山にし、そこに却月城が建てられた。却月城が武漢の市街地にある最初の城となった。223年(黄武2年)に、孫権は曹操と戦う為、武昌の蛇山に夏口城を築いた。城内の黄鵠磯にある物見櫓はのち、「黄鶴楼」と名づけた。

晋代に武昌郡と改められ、江夏県に治所が置かれた。それは武昌の名の始まりであった。同じ時代に長江の北側に漢陽があり、長江を挟んで向かい同士の二つの街は「双城」と称された。

南北朝時代に、夏口は郢州に拡張され、郢州の州都となった。

隋・唐

隋の時代に、武漢地区で江夏県と漢陽県が置かれ、それぞれ武昌、漢陽をもって治所にする。

唐の時代に江夏と漢陽はそれぞれ鄂州と沔州の州都に再び昇格され、長江沿岸の重要な商業都市となった。多くの詩人は武漢を遊歴し、詩作を詠った。その中には李白が黄鶴楼に登り、作った詩もある。この詩に由来する「江城」という武漢市の雅称が広まった。

一為遷客去長沙 西望長安不見家

黄鶴楼中吹玉笛 江城五月落梅花

 

— 李白『与史郎中欽聴黄鶴楼上吹笛』

宋・元・明・清

 

明代の漢陽と武昌を描く「江漢攬勝図」。左は武昌、右上は漢陽、右下は漢口。武昌の河沿いに立つのは明代の黄鶴楼である。

宋の時代に武昌が鄂州に属し、漢陽が漢陽郡に属した。南宋の時期に岳飛は鄂州に8年間駐軍し、そこを拠点に北伐の師を興した。

元の至元18年(1281年)に、武昌が湖広行中書省の省都となり、初めて第一級行政区域の治所となった。

明代に武昌は湖広承宣布政使司の省都となり、太祖の六男・朱楨は楚王に封じられ、武昌に就藩した。成化の時期に、漢江の長江への合流口が漢陽の南から亀山の北側に変わり、嘉靖の時期に漢江の新流路の北岸で新都市の夏口鎮が形成し、後に漢口鎮と改称された。明末清初に漢口鎮は朱仙鎮、景徳鎮と仏山鎮と合わせて、「四大名鎮」と数えられた。それ以来、漢口は「楚中第一繁盛」な都市とも称され、全国有数の水陸交通要衝となり、「九省通衢」という雅称がつけられた。また、明から武昌と漢陽をあわせて武漢の名が始まり、商業都市として発達した。

清代の初頭に武昌は引き続き湖広省の省都であったが、康熙3年(1664年)に布政司が湖北省と湖南省に分割されたから湖北省の省都となった。ただし、湖北・湖南両省の軍政と民政を統括する湖広総督の官邸は引き続き武昌に置かれた。清末に、漢口が漢陽から分離し、夏口庁となった。以降、「武漢三鎮」と呼ばれると共に、三都市が鼎立する時代が始まった。

 


 
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10月24日(水)のつぶやき

2018年10月25日 06時14分13秒 | とーま君の流儀2018
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賭け事をやらない御仁は、ついているのだ。だって、損をすることがないから。

2018年10月24日 07時46分09秒 | 精神のありかた

およそボキはなんのおもしろみもないジジイである。ただひたすら堅実なだけの。


 

 

賭け事の弱い人は、実に幸運である。ついているのだ。そう聞いたことがある。

確かに、賭け事で家を建てたり、高級外車をゲットしている人にお目にかかったことがない。そういう一時収入でもって、人生を左右するような出来事に遭遇したらかえって不幸の原因になるだろう。

ボキは、賭け事をやらない。麻雀も、ゴルフも、花札も、パチンコすらやらない。競馬も、競輪も、スロットもやらない。他になにかあるのかもしれないが、そういうことすら無知である。もともとなんでも無知だから、知らないのである。

麻雀については、大学学部時代にやったことのあるという人はたくさんいるだろう。麻雀放浪記なんてぇ小説まであったのだから、同時代に生きていたボキ等の年代はほとんどやっていたのだろう。ボキは、そんなことをやっている暇がなかった。なぜなら苦学していたからである。新聞配達である。時間がない。銭もない。いじけてばかりいたから、余裕がない。

そういう生活が、堅実な生活を送る原因になったのである。

今では感謝している。

だからなんのおもしろみもないジジイなのである。ゴルフが出世と関係あるのは知っていた。知っていたけど、そんなもんで出世するんならやらねぇ方がいいと思っていた。実際、そう言ってひんしゅくを買った時もある。当時の上司にもずいぶん嫌みを言われたこともある。それで出世できないんならそれで結構であると思っていたから、時代に流されなかった。当時の判断は正解であったのだ。当然費用もかからない。高価なゴルフバッグとか会員権とも無縁。ありがたかったよん。

これは、亡父亡母の教育が良かったのであろう。まったく二人とも賭け事には無縁だったからである。その意味では尊敬していた。もう現世にはいないから、直接言葉をかけることはできないが。

しかしそういうDNAは明らかに流れている。ボキの長女・長男もまったく賭け事をやらないからである。

堅実な生活を送るに限る。嘘とはったりとごまかしで生きていちゃアカン。世の中にはそういう輩も多いからである。そんなにしゃかりきになって、生きていっても無駄である。出世なんかしてもなんにもならないではないか。所詮、所属している組織内の話でしかない。偉そうにしていたら、天に笑われる。人間なんて、天から見たらつまらんものなのだ。組織内での話でしかないのだ。

天は大きい。天という組織内の話ではないからである。どれだけ大きいのかは誰にもわからない。つまり、天イコール宇宙だからである。

ま、ボキも宝くじに当たったら、喜ぶけど。買わないだけで。

 

わははっはははっはははははははっはははっはははっは。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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10月23日(火)のつぶやき

2018年10月24日 06時15分38秒 | とーま君の流儀2018
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今日も千葉市で働いてきた。毎日が実に楽しい。こんなジジイで良いのだろうかとも思うけど。

2018年10月23日 19時06分19秒 | 精神のありかた

毎日タノシミ、タノシミ。働くって実に良いモンである。マジである。今日を精一杯生きているからである。今日は、今日。昨日でもないし、明日でもないからだ。

 

 


今日という日は、過去から見れば過去の最終日。未来を見れば、未来へのスタートの日である。

なにげない事だが、然りである。つまり、今日は常時たった一日なのである。後にも先にもない。今日は今日。過ぎ去ったら今日という日は、なくなってしまう。

だから大事なんですなぁ。

ボキごとき人間は、小人物でたいしたもんではない。小物だ。そして遊民である。高等遊民というのが、漱石あたりが使ったような気がするが、ボキの場合は低脳遊民である。

定年後、日々をまるっきり遊びをせんとやいかんせんと過ごしている。なんの成果もなかったし、これからもない。でも、今この一瞬を生きているという点では、かけがいのない存在でもある。

こういう心境になるのに、ずいぶん時間がかかったものである。若い頃は、ボキもかなり激しかった。苦学していたからいじけていたし、なにしろ貧しかった。比較ばかりしていたからチキショーとなっていたのである。つまり、育ちが悪かったのである。

だからずいぶん抵抗力がついた。貧乏にも、いじめにもである。今は、どんなに貧しくても平気である。昔から、いじめられても耐性があった。怒りがないのである。怒るどころか、いっさい気にならないのだから、こりゃぁ最強である。気に入らない奴は相手にしないのだ。だから、敵なしである。敵が目の前にいないのだ。あたり前である。相手にしないのだから。

ジジイになって、毎日を楽しく過ごしている。やることもたくさんあって、五つのバイトでかなり充実している。

それにボキは性格が軽い。軽いために、年代の離れた友人もたくさんいる。

さらにある。髪の毛もないから実に明るい。ハゲて良かったと思っている。自虐で言っているのではない。ハゲは、ボキの顔とマッチしているようだ。ニコニコ笑ってばかりいるから、人格円満に見られてしまう。

それに威張らない。絶対に威張らない。ボキの昔の仕事を知っている方は、それを不思議がる。なぜ威張らないのだ?って。そんなのあたりめぇである。実力がないのだから。本当にそう思う。

塾だって、数学が最大の弱点である。大学入試の数学なんか教えられない。ノートをとりながら、数Ⅰ数ⅡBあたりを自学自習しているが、当分無理である。塾もだんだんクビになりそうだ。実力がないから(^_^)。

足も軽い。ドンドン歩いている。おかげで糖尿病の治療をしなくて良しと、アジア最大の病院で言われた。運動療法と、食事療法で克服してしまったのである。毎日毎日歩いているしねぇ。だから、その話を聞いたボキの古文書講座の友人は、ボキをまねして歩き始めた。膝を壊さないようにと忠告だけはしておいたが。

 

今日は千葉市から夕方6時頃に帰ってきた。楽しかった。るんるんと帰ってきた。若い方々と接していると、こっちまで若返る。髪の毛は無理だが。

わははっははははっはははっははははっははははっははは。

さ、今日はくたびれたから、晩酌をやる。

タノシミ、タノシミ。

 

19:02である。

また明日!

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10月22日(月)のつぶやき

2018年10月23日 06時19分11秒 | とーま君の流儀2018
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一番相性の悪い人間同士が結婚なんてぇもんをしちゃうのである(^_^)

2018年10月22日 08時30分48秒 | とーま君の流儀2018

好きになったから結婚するのだろうが、これは気の迷いでもある。一時的に盛り上がるからである。血圧も高くなるんだろう。脳も錯乱してしまう。


 

 

ボキの前には、嫌いな(イヤな)人間なんてぇもんがいない。だって、会いたくない人とは会わないからである。アワナイのだから、会わないのである。会っていないのだから、嫌いな人間がボキの目の前にはいないという寸法になる。だから実にありがたいのだ。毎日が楽しいからである。楽に生きていけるのだ。悩む必要もなんにもない。だって物理的に目の前にいないからである。

イヤな奴というのはどうしてもいるが、そんなもん相手にしないことだ。目の前から追っ払うことである。

そんな奴と会っていて、人生が暗くなってしまったらオシマイである。自分もイヤな奴になってしまうからだ。イヤな奴よりもっとイヤな奴になってしまったら、こんなくだらんことはない。それに腹が立つということもない。相手にしていないからだ。こっちが。くだらん奴とは、関わりたくもないからである。したがって、世の中のくだらんことで一喜一憂することもない。所詮、庶民のボキである。今日の太陽のように、明るく、日向ぼっこでもしているときが、シアワセであるからだ。

楽しく生きるに限るではないか。楽しいという字は、楽という漢字を含む。これは「ラク」とも読む。そうなのである。楽しければ、「ラク」なのである。ちなみに、ボキのデスクトップパソコンで「ラク」と打鍵すると、「楽」と出てくるから間違いない(^_^)。

一生に一度だけ会うという人もいるだろう。10年に一回とか、半年に一回とか、一年に一回とか、一ヶ月に一回とかいろいろいる。それなりに対処していけば良し。その程度のことなのだ。

しかしである。

結婚が一番問題である。

そもそも結婚というのは、一番アワナイ人間同士がするからである。まさか、近親結婚をするわけにはいかない。アッテいるかアワナイかという問題では、他人同士である男女が結婚をして一緒に生活するのだ。当然お互いに理解できるまで時間がかかる。思想信条、宗教、これまでの生育歴も違っている。性格も違う。とうてい似ていないもの同士が結婚するのである。

人類史から言っても、近親結婚を避けてきたのが人類である。そのためにも、女性は古来元いた集団を離脱して別の集団に所属するようになっていると言う。いわば贈りものとして結婚が機能していたというのだ。レヴィー・ストロースが言ったような気がする。

好きになったから結婚するのだろうが、これは気の迷いでもある。一時的に盛り上がるからである。血圧も高くなるんだろう。脳も錯乱してしまう。だから、一番相手にして欲しくないことを男女問わずやってしまうのだ。ごろごろしている旦那が許せない主婦には、ごろごろばかりしている旦那が相手になる。だらしない男には、きちんとした女が女房になる。料理も掃除もなんもできない男には、パーフェクトにできる女が女房になる。こりゃ全部ボキにあてはまっている。

わははっははっはははっはははっははっははは。

結婚式をしているときが、一番のシアワセであろう。後はだんだんと正常になってくる。目が覚めてくる。あああああ、愚かなことをしてしまったとなる。

しかしである。

これからが重要である。それは「結婚というのは修行の場」であるからだ。どんな問題が起きても、ドントコイ!であるからだ。なにが起きてもドントコイである。対応力が身につく。忍耐力も身につく。そして絶対に暴力をふるってはいけない。

夫婦といえども所詮は他人。他人は変えられないからである。そもそも人間を変えることなんてできるわけもない。

評価というのも怪しいもんである。低評価だった生徒だって、社会に出たら大成功しているからだ。数値で表せるほど、人間は単純ではないからだ。ましてや、夫婦関係なんて言うまでもない。

夫婦関係のみならず、すべての人間関係というのは「相手に期待しない」「相手を変えようとしない」のが、コツである。これは、仕事の人間関係でも同じことである。トラブらないためにも、日頃からボキも実践していることだ。だから、五つもの副業をこなしながら、全部円満にやることができるのである。

ありがたいもんである。

合掌。

ち~~~~~~~~~~ん。

ヾ(*´∀`*)ノ 

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10月21日(日)のつぶやき

2018年10月22日 06時20分50秒 | とーま君の流儀2018
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吹く風と流れる川。風流な方々というのは、こいつを大事にされているようである。

2018年10月21日 08時08分47秒 | 精神のありかた

ボキに風は吹いているか、川からナニガ流されてきているか。それが大事です。

 

 

あることを決める時に、風が吹いているか、川が流れてきているかということを大事にしている。

好き嫌いではなくてである。要するにそういうことなのだが、これは楽な生き方にもつながる。好き嫌いでものごとを決めていると、間違うこともあるからだ。特に、あの人間は嫌いだからということで遠ざけていると人間関係は狭まる。それでも、無理して会っている必要もない。嫌いだったら、敬して遠ざけるのも一つの方法である。

さらに、会いたくないのなら、会わなければ良し。もう大人なのだから、仮病でもなんでも使ってアワナイのだから、会わないことである。そういう意味で、ボキは実に気楽である。亡父亡母の親戚が九十九里浜には一人もいないからである。身よりもない。あるのは、長女と長男だけである。気楽なもんである。どうせ、ひとりぼっちで死ぬ。ま、このことはあまり言い過ぎると内館牧子女史に叱られますがねぇ。最近かなり売れているようだし。「すぐ死ぬんだから  内館 牧子  (著)」という本。読んだけど、かなりおもしろい。オナゴの生き方は確かに内館牧子女史の言われるとおりであろう。この作家は相撲の研究で東北大学大学院修士課程まで行った(しかも年取ってから)、怪物である。だから好きなんだけど(^_^)。

 

インテリを気取っている輩には、ドンドン質問をして、足下をすくってやればいい。インテリ気取りの人間というのは、他人を指導したがるからである。どうせ大した実力なんてないのだから、墓穴を掘らせるのである。新聞屋が、就任したての大臣によく使う手である。これに引っかかって退任する政治家もいるのだから、世の中はおもしろいものである(^_^)。

引っかかる方もアホである。それくらい考えられないのであろうか。

新聞屋も新聞屋である。仕事人時代に、いろいろとあって新聞屋からの取材を受けたことがある。デカイ声を立ててまるっきり恐喝まがいであった。だからそれ以来、ボキはICレコーダーで電話を録音しているのだ。ボキのようなジジイもいるのである。世の中は怖いのである。

質問をされたら、その裏の意図を見るべきである。意図もなんもないのでは、オノレのアホをさらしているようなものである。質問には、意地悪な意図があると思って対応していった方がいい。

 

そうした世の中からは、攻撃されないように防衛して行くべきである。質問されたら逆に質問してあげることである。意図をさぐるべきである。そして、こんなアホとは金輪際会わないと思うべし。相手だって、ボキを評価しているわけである。低評価で。

だったら、こっちも煙にまくことである。

どうせ人生狐と狸の化かし合い。

 

そして、川の上流から流れてきたもの、風が持ってくるものを鋭敏に感じることである。

それから物事を決めても良いのである。決して焦ることはない。

「風流な人」というのは、そういう人なのである。世間の動きに左右されない。自然に流されて生きる人のことなのだから。

 

ふうううむ。

たまにはまともなことを打鍵するんですなぁ。ボキは。

 

わははっははははっはははっはははははっははははっははは。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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10月20日(土)のつぶやき

2018年10月21日 06時21分53秒 | とーま君の流儀2018
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自分探しに行ってくるって?。仙台まで。まさか。もう遅い。今の自分が本当の自分だから。

2018年10月20日 08時30分34秒 | 精神のありかた

 自分探しの旅は、無駄だとまでは言わない。しかし、本当の自分というのは、今現在の自分でしかないとも思うのだが・・・。

 



昨日、仙台で授業をやって欲しいと頼まれた。通信制高校の方である。頼まれごとは物理的に不可能でない限り引き受けることにしている。快諾した。年末である。困っているから、ボキごとに依頼してきたのだろうから。

そんなもの引き受ける方が**だとも家人には言われた。そして思った。果たしてそうだろうかと。**には「馬鹿」という文字が入る。事実ボキは馬鹿でもある。それは認める。しかし、この話は相手が困っているからである。それに仙台に相手のカネで行ける。仕事だからである。楽しいではないか。ワクワクしてくる。おいしいものをいただいて、夜の仙台を満喫してくるつもりである。と、言っても居酒屋程度でしかないが(^_^)。

それで思った。

会社等で不平不満があったら、すぐ退社する御仁のことである。次から次へと転職を繰り返していく。それがキャリアアップにつながるのなら結構だろうが、たいていの場合はそうではない。会社にも、自分にも不平不満があるのだ。

今の自分を許せないのだ。あるいは、今の会社を、上司を、組織を、人間関係を。

もっと言えば、今の自分はこんなんではない、本当の自分はあちらにある、あそこにあるという自分探しの旅に出ているようなものだ。今の自分というのは、ソトの世界にはいない。今まさにこの自分が、本当の自分なのである。将来の自分ではない。過去の自分でもない。

なにか天命や使命があるはずだ、こんなうらぶれた人生なんか俺の私の人生ではないとやっちゃぁいけない。他人の生き方をうらやみ、なんか今の自分はこんなんじゃないと思うのも不平不満の表れでしかない。

目の前にある仕事を淡々とやっていることが、一番すばらしいのである。

だとしたら、必ず仕事で頭角をあらわしてくる。豊臣秀吉が良い例ではないか。信長の草履をふところであっためていたのもそうだ。それだけ、仕事を楽しんでいたのである。天性の明るさもあるだろう。明るく笑顔で、積極的に生きていると活路が開ける。信長もそういうところを見ていたのであろう。

クラ~~~~イ顔して、今の仕事は自分にはアワナイから辞表を書くというのではいけない。じっと耐えることである。それでもどうしようもなかったら、実際の行動に移すべきである。考えもしないで、衝動的に辞表を書いちゃいけない。

それに、やたらと会社の、上司の、同僚の悪口を言わないことである。そんなもん、言ってもなんにもならない。悪口を言わなければならないほど、嫌いなら相手にしないことである。表面上は。

淡々として生きるというのは、そういうことでもある。要するに、他人は他人、自分は自分なのである。

 

今日はこれから塾の研修会がある。午前中である。じっとしてひたすら傾聴してくる。なにをご指導くださるのか、今から楽しみである。立場と目的が違っているのだから、教育についてどんな考えを持っておられるのかというその一点においてである。

歩いて行ってくる。仙台とは違って近いからである。

運動のために。

わはっはははっはははっははっははははっはははっははははっは。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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10月19日(金)のつぶやき

2018年10月20日 06時16分44秒 | とーま君の流儀2018
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ダイアモンドは勝手に輝いている。ダメな人間なんていないのではないのか。

2018年10月19日 07時50分45秒 | 精神のありかた

他人と比較していると、間違いを犯す。ボキの髪の毛も他人と比較していたら、アホみたいである。ボキはボキ。あんたのタメに、生きているのではないからである。

 


 

ダメな人間なんていない。みんな輝いているのだ。自己嫌悪に陥ることはもうやめよう。そんなの免罪符でしかない。確かに、経験上自己嫌悪は免罪符である。俺はダメだと言っていれば、逃げることができる。

人間はそういう自己内省があるから、成長するのだろう。でも、物事には限度がある。あまりにも、俺は・私はダメだとやっているとそこから一歩も抜け出せない。

なぜなら、比較しているからである。他人との比較である。

学校教育も悪い。学校は、確かに比較をしていて成績をつけている。親も、教師も一緒になって叱咤激励する。良い成績が人生を左右すると思っているからである。これはある意味仕方のないことでもあろう。

しかし、本当にそうかとなるとちょっとクビをかしげざるを得ない。

学校で他人に勝ち、戦うことでシアワセが来るというのは、単なる幻想である。戦うから勝敗がある。勝って勝って勝ちまくり、それでもって成功者になるという論理である。しかし、これは幻想である。

本当のシアワセというのは自分にしかわからない。自分が、楽しく生き生きとしていればシアワセなのである。少なくとも他人との比較の上で成り立っているものではない。

隣のおっさんより金持ちだからシアワセなのかと思っていたらアホである。

あるいは隣のおばさんより、きれいだからシアワセなのかということである。きれいだとか、なんとかというのも比較の対象でしかない。そんなもん、生きる上ではなんの関係もない。

それに、ボキは他人にどう思われるかというのも関心がない。ボキが美男だと思われているかもしれないとは、まったく思っていない。髪の毛も関心がない。だって、ボキの頭には毛がないからだ。無の境地である。

わははっはははっはははっはははははっはははは。

 

つまり、比較しないということである。比較するから、辛くなる。ダイアモンドは、勝手に輝いている。それを暗くすることはできない。生まれついての性質である。いわば個性である。

頭が良いとか悪いとか、銭をたくさん持っているとかいないとか、高そうな洋服をたくさん持っているとか、高級車に乗っているとか←そんなもん関係ないではないか。

ボキのように挫折したジジイだって、ちゃんと生きているのである。もっとも、挫折したからこそ今がある。一番最近の挫折は、博士になれなかったことだ。まるっきり山月記である。なにか勘違いしていたから、挫折したのである。

でも、ボキは今が一番シアワセである。

ダイアモンドのように、勝手に輝いているからだ。

 

今夜も学習塾に行く。昨日も行った。ずっと面倒みてきた高校生が公務員試験に合格したので、実に昨日はうれしかった。

そんなささやかな喜びで満ちあふれているのだ。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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10月18日(木)のつぶやき

2018年10月19日 06時16分02秒 | とーま君の流儀2018
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ループタイと柄物のワイシャツでバイトをやっている。もうフリーなんだから、自由自在である。

2018年10月18日 08時45分56秒 | 精神のありかた

「淡々と」「なんでも頼まれごとは引き受けて」「これまでの経験値を最大限に発揮して」

 


 

今、ボキはたびたび拙ブログでも書いてきたように、五つのバイトをやっている。それはそれで良いのだが、全部組織で成り立っているのだ。当たり前である。むろんボキよりも若い方々が多い。

もう、ボキは隠遁者のようなもので、ただただ淡々としてやらせていただいているだけである。老後の楽しみであるからやっていられるのだが。

組織に正式には所属していない。だから、楽なのである。むろんいくばくかの収入がある。ある以上は、これまでの経験から学んだものを全部出している。国語なのに、コンピュータを駆使している。教科教育法もずいぶん工夫してやっている。20代の頃からの研鑽が、今役立っている。というのも、なんでもかんでもおもしろいからである。

ドンドン興味関心が拡大しているのだ。土佐日記でもかなりおもしろい授業になっている。関連資料がたくさんある。さらに、生徒にドンドン質問して答えさせる。ちょっと疑問点が出てきたら、次の時間までには資料を印刷して配る。古文書も活用した。むろん正解はボキが準備して配ったが。古文書で古典を勉強したことなんかないだろうから。

古典文法の授業も通り一遍ではない。大学受験からの視点だけで勉強を始めると、飽きてしまうからだ。そりゃ、ボキの出た高校のような進学校なら話は別であるが。

そんなわけで、実に「楽しく」「楽に」「生き生きと」毎日を過ごしているのだ。

 

思うに、人生って「楽しく」「楽に」「生き生きと」過ごさないと損だ。

いつもは言わない損得勘定で生きましょうやと、ここぞとばかりに申し上げたい。

そもそもが、損得勘定というのが嫌いなんだけど。

それでも、「楽しく」「楽に」「生き生きと」生きていれば、少なくとも損はしない。得になるといってもさしたるものではない。経済的な面では関係のない話ではある。

そんなものより、毎日が楽しければ、これ以上のものはない。

リタイアしているのだから、ボキは白ワイシャツにネクタイというスタイルではない。ループタイと柄物のシャツで授業をやっている。ループタイだと、首筋が寒くない。どうも、クールビスというのは嫌いである。だらしないという印象しかない。だからやらない。ネクタイも、もう結構である。37年間もボキのイノシシのようなクビについていたのが、ネクタイである。

そうなのである。もうボキは定年退職したフリーなのである。ループタイなら、正式な格好ではないだろうけど、せめてのマナーだと思っている。

フリーなら、バイトとは言え、精一杯やらせていただいている。

そして、「淡々と」「なんでも頼まれごとは引き受けて」「これまでの経験値を最大限に発揮して」生きているのである。

こんな生活を送っているけど、これもまたあらかじめシナリオが決まっていたのだと思っている。

8:39である。

これから歩いて神社に行ってくる。毎日の日課である。神社でありがとうございますと手を合わせてくる。お願いごとは一切しない。

ホンマにありがたいものである。

 

合掌。

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/