往復950キロを自分一人で運転してきた。これが一番うれしい。回復できたからである。
台風の中を旅に出ていた。半年前に予約していた。行った場所はここには書かないけど。ボキの故郷であることは間違いないのであるが。したがって、今更取り消しができなかった。それに、義兄も近くにいるので、家屋のことは頼んで行ったし。それにつけても被害に遭った方々には申し訳なかった。
一日目はWi-Fiのきかない宿にいた。故に、拙ブログの更新なんぞできるわけもない。Kindleとスマホは持っていったが、別にブログの更新のためにWi-Fiのきかない宿にいたわけではない。
山の宿である。電気が来ていない。電気は、宿の自家発電で電気を作りだしている。それでもってサービスをしている。だからである。よけいなことはしないことである。ボキごときが、Kindleとかスマホを使ってそれの充電をしていたら、発電機に負荷をかけてしまうではないか。
台風の暴力的な風雨を聞きながら、じっと耐えていた。
それにしても大自然は偉大である。ボキ如き、サルのような軽薄な存在を木っ端微塵に吹き飛ばしてしまうような強力さがある。
麓に降りてきてから別の宿でWi-Fiを使って暇つぶしにいろんなHPを拝見していた。
その中に、非常におもしろいブログを発見した。
「古本屋の研究生活」というブログである。
(http://furuhon-ya.hatenablog.jp/)
著者は、「在野の研究者として生きる道を模索。佛教大学大学院博士課程(通信)にて仏教学を専攻してます。」と自己紹介されている。
このブログをそれこそ食い入るように拝見させていただいていた。
別の宿であるから、自家発電ではなかったからでもある。Wi-Fiもきいていたから、自由自在にインターネットを使うことが出来たからでもある。
結論から言って、「すばらしい」の一語に尽きる。たいしたものである。これほどの方である。一度お会いしてみたいと思った。そのうち参上したいと思っている。拒否されないかぎりは。
インド哲学を専攻されていて、かなりの勉強家とお見受けした。ボキなんか足下にも及ばない。
さらに多田等観先生のこともいろいろ調べていた。雑誌の「東北学」「別冊東北学」というのが、宿にずらりと置いてあって、これがまたおもしろくてたまらんのである。
多田等観先生は、旧制の秋田中学卒の学歴だが、チベットのダライ・ラマ十三世から、チベット仏教の博士と認められた学僧である。
その生涯は、悲惨であったとボキは思う。旧制中学だけの学歴で、東大や東北大でチベット仏教についての研究生活を送られたのである。さらにダライ・ラマ十三世から許可をいただいて日本に持ち帰った大蔵経の資料を、アメリカから取り上げられてしまう。アメリカの研究所で教えてくれないかという話に乗ってしまって、大切な研究資料がアメリカに渡ってしまったのである。研究所には短期間在籍だけはしていたらしい。しかし、甘言であったのである。
興味のある方は調べていただきたい。これ以上は書けない。あまりにも悲惨であるからだ。
世の中に甘言は多い。だから他人は安易に信用してはいけない。
ましてや、学者や研究者を志すくらいの方は慎重に行動することである。
別に職業を持って、好きな学問分野を地道に研究するというのが一番いい。
趣味である。趣味でやっているくらいがボキの場合には、あっているのだと思う。
生涯学習である。それこそ。
山の宿でもって、ボキはそんなことばかり考えてきたのである。
ま、故郷であるから、山はたくさんある。なにしろ山形県である。山だらけである。温泉も数え切れないほどある。
隠者のように、温泉に入りながらそんなことばかり考えてきた。
ブログと多田等観先生に学ばせていただいた。それも我が故郷である東北を題材にした東北芸術工科大学の「東北学」と「別冊東北学」にも触発されてしまった。
ありがたいもんである。
それではこれくらいにします。
*
それにつけても往復950キロを自分一人で運転してきた。これが一番うれしい。
回復できたからである。
もう、これだけの距離を運転できるとは、思ってもみなかったからである。
これからもボキはこうやって「日本瞥見記」のように、全国あちこちを放浪して歩くのであろう。
健康第一である。
そして、感謝である。
ここまで回復できたのも、ドクターならびに家族のおかげである。
感謝しないとバチがあたる。
ふううううううむ。
そういうことである。
さ、本日のオヤスミなさいませにしましょう。
Bye-bye!