ずいぶんと、いろいろな学びの場を経験してきたなぁ。なんでも中途半端だったが(^_^)
ホントウは老人大学の後には終活準備カテゴリーにしたいと思っているのだが、これではあまりにも後ろ向きである。だから、プチ修行日記みたいなものにしている。なぜプチにしているかというと、本格的ではナイからである。
あたりまえである。本格修行はとてもないじゃできるわけもない。悪業三昧のこれまでであったし。エラそうに他人に説教たれることなんかできるわけもない。そんなことしたら天に笑われる。
正座もできない。エコノミークラス症候群になって、下肢に不安があるからだ。これでは修行不可能。
だから自分なりにやっていくしかない。まさに自分勝手生涯学習ごっこである。
実は、今日は二年間お世話になった老人大学の卒業式である。千葉市にある千葉県文化会館で行われる。
ずいぶんお世話になってしまった。二年も通学した。卒業式には欠席するけど。卒業証書は、明日取りにいく。
二年間かけて、某大学大学院を中退せざるを得なくなったその精神的リハビリをやっていたようなものである。知識の習得のために老人大学に通っていたのではない。弁当を持って、毎週一回友達を作りに行っていたようなものである。
いろいろな経歴の方がいた。だから楽しかったのである。今まで仕事中心できたから、狭い世界で自己満足していた。しかし、世間は広かった。皆さん経験値が違う。そういう方々と雑談をしていて、学ぶことがたくさんあった。これが一番の収穫であった。
生涯学習のメッカでもある。老人大学というのは。
そのことがよくわかった。
卒業したら再入学する方々もたくさんいる。ボキは再入学を見送った。いつかまた再入学することがあるかもしれないが、今度は別のチャレンジをするつもりである。終活の準備学習である。マジに。
墓地も買った。そしてその寺院について学ぶつもりである。5月に本山にも行ってくる。桜の樹の下にある墓地である。西行みたいに桜の花爛漫と咲き誇る時期にあっというまに死にたいものである。
つまり、美しく死にたいのである。ICUで種々雑多な管につながれて、まるでロボットのようにくたばりたくはないのである。エコノミークラス症候群になってICUにいたから、真剣なのだ。ボキは。
老残とは言うが、なにも老いることは汚いものなのではない。死ぬことは、絶体的事実である。相対的な事実ではない。誰かと比較して、どうのこうのという話ではナイ。死ぬときは、オノレ一人である。それに誰でも死ぬ。絶体に100%死ぬ。それからは逃れられないのである。
このことに気がついたのは、高校生のときであった。十代後半に、人間は誰しも死んじゃうのだと思っていたら受験勉強どころではなかった。それから、ずっとボキはそのことだけを考えてきたような気がする。
事実そうだったなぁと思う。苦学してまで追求したかったテーマであった。だから哲学系の強い大学文学部に新聞店から通ったのである。苦しかったけど、通っていて良かった。まだまだ中途半端であるけれども、中途半端だからこそ生涯学習がスタートしたのである。
以降、中央仏教学院や放送大学、通信教育で大学院修士、中退したけど某大学大学院博士課程とやってきたのである。で、今回卒業できた老人大学である。まだまだ満足していない。これからもいろんな学びの場を見つけては、なにかにチャレンジしていくつもりである。それがなにになるかは、ボキにもわからないけど。
死ぬまでやっていく。
それがボキの目標である。
ボケたくないので。
わはははっははははっははははは。
(^^)/~~~