マンガ「火の鳥 鳳凰編」を読んで感動してしまった
市営のgymで、バイクという名の自転車こぎをしながら、手塚治虫の「火の鳥 鳳凰編」というのを見ていた。(読むのでは無い、見ていたのである)一昨日から昨日にかけての、連続二日間である。なにしろgymでバイクが始まったら、ひたすらペダルをこぐしか無い。やることがないから、マンガも楽しい。二日かけて結局読み切った。楽しく。合計で一時間かかった。トレーニングをしていることを忘れさせてくれる。
ところが、これがなかなか楽しい。面白い。仏像を彫ったり、作ったりする仏師二人の物語である。仏教の僧を師匠として、様々な苦心を重ねながら精進していく話であった。
以下ウキペディアから引用してみよう。
鳳凰編 初出:『COM』(1969年8月号 - 1970年9月号)
奈良時代。主人公の一人、我王は誕生直後に片目と片腕を失っており、心に影を持ちながら殺戮と強奪を繰り返しながら生活していた。もう一人の主人公である仏師の茜丸は我王に襲われ、彼に片腕を切られ、仏師としての生命の危機に追い込まれる。その後、我王は速魚という女性と出会い、愛を知るが、彼女を信じることができず殺してしまう。しかし彼女の正体を知った時、激しい後悔に襲われることとなった。一方、茜丸もまた、我王に腕を切られたことから少しずつ、その心と運命が変化していく。
本作は、生まれながらに苦しみ続ける我王と権力の庇護を得て慢心に陥ってしまった茜丸の対比、東大寺大仏建立の真相、輪廻転生といった深い題材を取り上げている。火の鳥は茜丸が鳳凰の像の作成を命じられることで物語に関わってくる。しかし、史実では橘諸兄によって重用されている吉備真備が政敵として対立する、良弁僧正が即身仏となるなど、史実と改変された点も多々見られる(良弁については作中でギャグ的にフォローがなされた)。一方で作中で我王と茜丸が作った鬼瓦は、同じ意匠のものが東大寺に実在する。
劇場アニメ化された時は60分という尺の短さから大幅に内容を短縮され、我王は速魚を殺した後は最後の対決までほとんど登場しない。また原作では比重の大きかった良弁僧正が一切登場せず、二人の心理変化もあまり描かれず、主人公の一人がもう一人の主人公のお墓を彫る(弔う)というラストシーンもカットされている。雑誌掲載版では、我王が泥を壁に投げてヒョウタンツギの絵を作るというお遊びのシーンがあったがストーリーに無関係なため単行本では手塚本人により省略されている。
引用が長かったが、私のメモでもあるので許されたい。
実はその後、いつも行っているブックオフに行って探したのである。火の鳥を。あったが、鳳凰編ではなかったから、止めた。それに108円では売っていなかった。マンガは、いかな中古本専門店でも高い。だから断念した。Youtubeならあったから、昨晩はそれを見て楽しんだ。しかし、動画よりも実際のマンガの方が良かった。Amazonから購入しようとしたが、これも断念した。こっちも高かった。今月は、Amazonの支払いが結構高くついているからである。小遣いが乏しいので、倹約しなくちゃならないからだ。江戸時代のことに興味を持ち始めたから、野口武彦先生とか、いろいろ専門書を集め始めているからである。中古本だと、専門書もかなり安価で入手できる。買う人があまりいないからであろう。需要と供給のバランスである。だから、私のような傘張り浪人ごとき爺には大いに助かる。
昨日、野口武彦先生の「江戸の風格」という本がAmazonから送られてきた。なんと48円である。正価で買ったら高い。それをこの値段で読むことができる。一時間くらいで読了した。シャーペンを持ちながら。もっともこの「江戸の風格」は、野口先生にしてはわかりやすい。日経新聞かなにかに連載したのを単行本にしたという本である。で、今昔物語の刊行時期が書いてあったので、びっくりした。1700年代であった。これで一つ諒解した。享保5年(1720)である。神道家の井沢蟠龍(ばんりゅう)という方が、原本を独自に編集して、文章も勝手に書き直して『校訂 今昔物語』前編15冊を刊行したと書かれていた。(p.142)
実は、ゴミ論文を書いていたときに、今昔物語をかなり扱っていた。そして、成立について疑念が起きたのと、成立に危ういところがあるのだから、論文としてはいかがなものかと師匠に言われていたので、削除したのである。A4で60枚くらいのスペースをとっていたから、この削除がなければ、500枚程度はあったか。ま、今となってはまったくのゴミであるから致し方なし。
さらに、先月、ある研究誌に投稿した際にも今昔物語について成立の疑念があるということを、今後の課題として書いていたからなおさらである。
たとえ古本であっても、出会いは楽しい。
もっとある。
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出会いと書いたから女性だろうっていうのではない。そちら系では、まったくご縁がないからだ。
池田清彦先生という大学者である。「分類という思想」という堅い本を書かれた自然科学(生物学)系の先生である。この先生は楽しい本も書かれているというのは知っていたから、Amazonでもいろいろ探っていたのである。私のような初心者、あるいは自然科学と聞いただけでおじけづくような素人でも読む気にさせてくれる方だというのは、覚えていたのである。
それで、冒頭に戻る。
昨日、ブックオフに「火の鳥」を探しに行ったときに、偶然、池田清彦先生の新書に出会ったのである。「環境問題のウソ」(ちくまプリマー新書)であった。この本を買ってきて(ナント108円)、風呂の中で読み始めたらなかなか止められない。本のタイトルからもおわかりのように、環境問題のウソが書かれている。どうも、環境問題というと胡散臭いとは以前から思っていたから、合点した。
詳しくはこの本を読んでいただきたいと思う。
Gymで手塚治虫先生にひさしぶりに出会った。
ちなみに、手塚治虫先生は本当の先生である。東大医学部で医学博士をとっておられる。間違いない。東大医学部で長いこと教授をされた養老孟司先生が書かれていたからである。博士論文のことも養老先生がタイトルだけでも紹介されている。
ありがたいものである。
すべては出会いである。
じゃぁ、このあたりで。
(^_^)ノ””””