と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

2010入学式画像

2010年05月31日 21時22分16秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

現在の1年生の入学式であります。こころに残る入学式でありました。



新入生代表から誓いの言葉をいただく



式辞を読む当ブログ管理人



生徒会長からの歓迎の言葉



閉式の言葉



PTA入会式


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ブログ3年目になりますので衣替えをします

2010年05月31日 20時54分43秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
明日から6月です。
ブログも3年目になりました。2008年6月開設以来、相当数の方々に読んでいただきました。こころから感謝申し上げます。いつまでもやっていると固まります。手法も、思考方法も。


文章メインから、画像主体のブログに衣替えをさせていただきます。
今までお世話になりました。
広報主体にさせていただきます。
今までの文章は別の書庫に入れさせていただきます。

学校新聞等はこれまでどおり、中学校様にお送りいたします。画像としてここに紹介する場合もあるかとは思いますが。


衣替えでもあります。
当ブログも長い間見ていただきましたことを感謝申し上げます。
カテゴリーも「学校広報写真」とさせていただきます。可能な限り愚生の駄文を排除していきます。
ただし、「学校広報写真」のカテゴリーは残し、さらなる画像での発信をして行く所存です。わたくしのメッセージも動画で発信してみたいと検討中です。ただし、こちらは逆効果かもしれません。

これからもよろしくお願い申し上げます。
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書庫も改修 ブログも改修

2010年05月30日 19時01分37秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 愚生の茅屋の書庫を改修します。
 ブログも改修します。
 そろそろ3年目に入ります。
 固定しては広報の役に立ちません。エビのように脱皮して行かなくてはなりません。
 思うところがあって、このブログも根本から改修工事です。
 来月は衣替えですしね。
 十分活躍してきましたし。
 もういいでしょう。身辺雑記になってきましたから、方針変更です。


 さて、この土・日は雑書の整理で腰が痛くなりました。明日は起きられるかどうか心配しています。土曜日も腰が痛くなって、ジムも柔道教室も欠席しました。かわいい子供たちとの稽古ができませんでした。これは実にさみしいことでありました。

 30年間も放っておいた雑書がありましたので、もう処分しようと思い立ったのがきっかけです。思いつくままにいろいろな雑書を蒐集してしまいました。段ボールに積んで7回買い取り専門店に行きました。引き取っていただいて、段ボールをカラにしてまた積んでくるわけです。一回のクルマに段ボール4個載りましたから、相当数を処分しました。

 それと、いい加減原典主義でいこうと思ったからでもあります。年齢的にも味わいのあるものを大切に読んでいきたいと思っています。これからは古典中心でいきます。かつてお仕えした先生で、原文・原典中心の先生がおられました。ほんとうに尊敬できる方であります。わたくしのように雑書は読みません。もしそういう本を手に取られてもたちどころに理解できるような俊秀であります。

 愚才のわたくしは、なんども繰り返して読むしかありません。簡便法を説く方も世の中にはおられますが、眉唾ものであります。学問に王道なしと聞いたことがあります。まだまだわたくしごときが、学問について講釈をすることは許されませんが、地道にやってきたことは確かであります。

 こんな体力勝負の二日間でありましたが、この数日かけて藤沢周平の「雲奔る 小説・雲井龍雄」を読了しました。



 米沢藩士・雲井龍雄。鷹山公の改革で一息ついた米沢十五万石ではあったが。七公三民の苛政を改めるには至らず。龍雄が生まれた徳川末期の維新の足音が聞こえつつあったころでもそれは変わらなかった。五石二人扶の下級藩士の生まれでもあった龍雄の生家も例外にもれず半士半農の生活というよりは、農民が脇差を挿した生活と言ったような暮らしぶりだった。
 龍雄は俊才と言われるほどの勉学の才を見せ、藩の探索方として京を舞台に幕末の志士たちと交わる。米沢藩の示した奥羽越列藩同盟の薩摩を討つ思想に傾倒し「討薩ノ檄」を懐に奔走する。
しかし、禁門の変、長州征伐につづく明治維新へと時代の移り変わりにも関わらず薩摩から新政府打倒の思想を変えない龍雄の二七歳の短い人生を綴る。

 

 こんなストーリーです。
 実は、山形県高畠町を舞台にしており、わたくしの生まれ育った町の隣なのです。藤沢周平の文庫を初めて買ったのがこの本でありました。それ故にこそでありましょうか、どうもついていけないと思ったのでした。今回、書庫を改修していて、この文庫が出てきたのです。まるで、読んでくれとでも言っているようにです。米沢藩士でもありましたから、米沢の市内も出て来ます。藩校の興譲館も出て来ます。まるっきり先輩なのです。だから嫌がったと言うと作者の藤沢周平に叱られそうです。しかし、事実そうでした。

 もうそれだけこの書庫のある土地になじんだということなのでしょう。
 時間も随分たってしまいました。
 東京から2時間で行くことができるのになかなか帰省することもありません。両親ともわたくし30代はじめで亡くなってしまいましたから、本当に時折の墓参りのみであります。代々の先祖の眠る寺院から見る置賜平野は、まさにこの雲井龍雄の世界であります。

 なじんだ土地で書庫を改修して、いつまで持つのか。
 あと何年の刻限であるのか。
 人生に残された時間との闘いのような気がします。

 なんにもならないかもしれません。徒労という言葉も浮かびます。
 
 しかし、多くの俊秀に書物を通して勉強させていただいたことは、わたくし個人の体内で生き続けるのではあるまいかと、淡い期待を持っているところであります。

 

 頑張りましょう!
 学校で。
 あなた方も、わたくしも、多くの俊秀に教えていただきながら、やるしかないようです。


 また明日!




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あと少し

2010年05月28日 20時26分49秒 | 先公ごっこ2008年から2012年



 今日はいい天気の下、スポーツ大会を実施いたしました。
 体力・健康が疎かになってはいかんと思っております。ですから、たまにはこういう機会もいいものです。また後日写真と記事をアップします。こういう行事は写真付きの方がよろしいでしょうから。

 この三日間記事の更新がまったくできませんでした。わたくしは携帯で文章を打つことができません。片手で非常な高速で打っている若い人を見ると殆ど尊敬してしまいます。デスクトップでないとできないのです。ですから、心配していただいた方もおられました。ちょっと滞ると、です。ありがたいことであります。具合が悪いのかというわけです。いろいろな方とお会いしたりしておりました。名刺もかなりなくなりました。おかげさまであります。

 交通安全教育をやらせていただいております。25日は、磯辺高校でスタントマンによる交通事故再現の行事を参観させていただいておりました。強烈な印象がありました。実際にぶつかって我々参観者に見せてくださるわけですから、スタントマンの方は大丈夫なのかと思いながら見ておりました。ガードになるものを衣服の下に入れておられましたが、痛いときもあるのだろうなぁと思いながら拝見しておりました。怖いものです。事故にあわないことが一番です。

 事故防止については、主として文字ベースでこれまでもいろいろなことをさせていただいていました。自転車事故防止のための指導案集を作成させていただいたりしておりました。また、あらゆる機会を活用して訴えてきました。それでも運が悪ければ当事者になってしまいます。自分に落ち度がなくてもです。なにもしないで閉じこもっているわけにもいきません。学校にも通学しなくてはなりません。それでも訴えていかなくてはなりません。事故のない日々をほんとうに願っています。

 

 次に記事にしたいことは、本のことです。NHKブックスの「議論のルール」という本です。帰りに買ったものです。テレビで大学の先生と、コメディアンが議論するという番組を教材にして議論手法を論じていくというものでした。これはなかなかおもしろかった。さらに国会中継で展開される議論をも題材にしていました。こちらはコメントできませんが、実に実に楽しいひとときを過ごさせていただきました。

 ただし、反省材料がありました。わたくしも、人のことは言えないなぁということです。論理的にものを考え、原稿を書き・・・ということは実に難しい作業です。文才もない。また、このブログも無理が目立ってきました。要するにネタがなくなってきているかもしれません。しかも、論理的ではないと言われるとそれはそれで認めざるを得ません。身辺雑記みたいなものですから。あまり大上段に構えると、まったく書けなくなります。

 そもそも学校のことを紹介してみたいと考えて始めた拙い試みであります。それに本校の生徒達は実にいい。まじめだし、勉強も、部活もとても熱心です。こんな生徒達に囲まれて過ごすことができる幸福を紹介させていただきたいのです。教師冥利につきます。まったくそのとおりです。

 

 あと少しでブログからは完全撤退します。
 これ以上教育界にいてはならないという命令をいただくまではご辛抱くださいませ。ブログを止めるのは実に簡単であります。「退会する」というボタンをクリックすればいいだけですので。


 ではまた来週!







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明日から試験ですね

2010年05月24日 20時47分15秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今週も日程が厳しい状況になりました。まったく夜のブログ執筆を楽しみにしているようでは、しょうがないと思いつつ、仕事優先で一生懸命の日常であります。ちょっと今回だけは更新ができない日がありそうです。そんな言い訳を言っても仕方がないのですが。
 
 昨日も県立図書館におりました。短時間でありました。お借りしていた本を返却して、すぐまた新しい本を探しました。いいものです。実に万巻の書籍に取り囲まれている雰囲気がすばらしい。こういう環境で仕事をさせていただくきっかけがありませんでした。もっとも、資格もないし、それは土台無理というものです。しかし、好きな分野の仕事であることは間違いありません。ただし、対応が最低になるでしょうね。わたくしでは。幼い子供たちから嫌われるかもしれませんから。声がよくないし。笑い話のようなものですが。

 奥の方で、もしかしたら本校の生徒かもしれないと思った方々が勉強していいました。私服でしたから、なんともはっきりはしませんが。見たようなかすかな記憶がありましたから。人違いかもしれませんけれども。

 私的には、茅屋の書庫をいじることにしました。本箱を全部捨てて、工務店の方に、作り付けで新しく作っていただくことにしました。それをきっかけとして、雑書を処分するつもりです。

 古典系にしぼるつもりです。もう年齢的にもいいかなと思っておるのです。興味関心がこれからはだんだん限定されていくでしょうから。それに、家人で国文学をやったのがいるのですが、後継者になる可能性もまったくないでしょうし。

 雑学ばかりやっているといけません。わたくしのようにならんことです。ある時期はいいでしょうが、ね。つまり基礎学力を身につける段階では。いろいろやってみるのも。

 しかし、程度問題でもあります。いつまでもあちらこちらと食い散らかして、実績をあげることもできませんでした。一所懸命でありたかったと反省しています。もっとも、山月記ではありませんが、実績を問うということ自体疑問を投げかける方もおありですから、なんとも言えないですが。九段高校の教諭で亡くなったわが親友はいつもそんなことを言っていましたっけ。ろくすっぽ勉強もしないで、実績だけを問うのは、単なる名誉欲だからだと。中国哲学の修士で、それはそれは学問に対する姿勢は厳しい男でした。尊敬に値する親友でありました。共に函館を旅した思い出は、今も懐かしい。それが交通事故であっというまに亡くなってしまった。それから交通安全教育に邁進してきたのです。

 そんなことよりというか、であるが故にというか、健康大事・安全第一ですよ。
 無茶はいかんですぞ。事故も、無理も。

 努力は大事ですが、あまりにやり過ぎてもいかがなものかと思います。

 しかし、全く何もやらないでぼぉーっとしているのはもっと良くない。

 明日から中間試験ですね。

 健康に留意しつつ、暗記や、演習や、ノートの整理や・・やることはたくさんあるはずです。




 頑張りなさいませ。
 勉強なさいませ。




 また明日!

 

 
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努力するしかないわけです

2010年05月21日 20時32分13秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 国際オリンピック委員会(IOC)前会長の故フアン・アントニオ・サマランチ氏は、夕食会が嫌いであったそうです。時間がもったいないと言われていました。新聞で読んだのですが、そういう考え方もあるのでしょう。

 わたくしも、ブログを書くためにできるだけ早く帰宅したいのですが、なかなかできません。非常に朝が早いので、9時には就寝したいのです。これもまたなかなかできません。夜は、レポート書きもあるし、そのために最新文献もあたらなければなりません。書籍代もかかります。

 つまり何を言いたいのかと申しますと、仕事中心で回っているということです。学校のことばかり考えています。朝、学校に到着するとパワー全開になります。今日は、学校に猫が夜中に忍び込んでいなかっただろうかとか気にしておりました。笑い話のようなものですが、そこまで気にしています。朝、学校を一巡していましたから。

 ですから、純粋に学校のことを考えるためには、夕食会で時間つぶしをしている暇はないわけです。土・日は情報収集の貴重な時間。遊んでいる暇もない。柔道もあるし、まだまだ新しい技を身につけたいのですから、これもまた才能との勝負になります。そして、時間。死ぬまでにあと何時間あるか知りませんが、明日それがくるのだとしたらこれはたまらん。一休さんにそんな和歌がありますが、まじめに考えています。逆算の人生をです。

 才能がないのですから、努力するしかないわけです。ま、自称天才というのもどっかで危なっかしいと感じておりますがね。同人誌の仲間にいました。自称天才というのが。どうなっていったのかはここには書きません。やはりどんなに天才的な能力があろうとも、謙虚さを忘れてはならんなぁと経験上思うのです。我が儘とかうぬぼれで、つぶれていった若き天才を惜しむが故にです。わたくしのように甲羅に似せてとぼとぼと歩んできた人間からは、まったくまばゆいような方々ではありましたが。だいたいにおいて、そういう若き天才は、古今東西あらゆる古典に通じていらっしゃる。追いつきたいものであります。今でも、それは変わりません。目標であります。
 
 在校生諸君はだからうらやましい。

 保護者の方々から守っていただいて、勉強をさせていただいている。感謝こそあれ、なんの不平不満がありましょうや。大学受験の受験料まで出していただいている。こんな天国のような環境のもと、学ぶことができます。ほんとうにうらやましい。真逆の人生を送ってきたから、ほんとうにこころからそう思うのです。幸せものですよ、あなた方は。

 中島敦の小説「山月記」に出て来るような魑魅魍魎に迷っていては話になりません。あの作品は、あれはあれで実に味わいのあるものではありますが。どこか人間の真実をついているようで、恐ろしいところもあります。ちょっと以下に引用してみましょう。今日の記事で一番言いたいことが、この「山月記」の冒頭に書いてあります。

 隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。




 さ、勉強なさいませ。
 時間はありませんよ。

 また来週!
 
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ちょっとだけいい話

2010年05月20日 20時06分19秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 県立銚子高校の入学式を掲載していただいた大衆日報の新聞を、中学校にお送りするために今日はせっせと校長室で袋詰めをさせていただきました。一つ一つ祈るように、来春もまた今年のように、たいへん優秀なたくさんの受験生が来ますようにと。丁寧にのり付けして、そっと慈しむように封筒をあわせ、宛名を確かめておりました。見ていだたく中学生の皆様の顔が目に浮かぶようでありました。こういうのは一人でやるに限ります。気持ちのありようが違ってきます。

 特に初任の中学校には思い入れがあります。なにしろ他県人ですから住むところが無くて、なんとわたくしは宿直室に住んでいたのですよ。なかなかしたくてもできない体験でありました。まるっきり小説にでも出てきそうな話でありました。

 その頃に、その住んでいる宿直室で真夜中になるまでご指導いただいた先輩諸氏の強烈な思い出も実に懐かしいものであります。それこそチョークの持ち方から、発問の仕方、指導案の書き方、生徒へのクチの聞き方まで、細やかな愛情のもと徹底的にご指導いただいたものでした。大きな財産です。感謝のみあります。



 百周年がありますので、今日は同窓会の方々がお集まりになりました。ご多忙な中を本当に母校のことを案じていただいて、感謝ばかりしておりました。

 会議の冒頭に、こんなことを申し上げました。
 
 それは、「ちょっとだけいい話」をストックしておいて、大事にポケットに入れておいて発信していきたいということを申し上げたのです。

 思うに、課題やマイナス面をあげつらうことは誰にでもできます。簡単です。欠点指摘はなんにでも応用がききます。ただし、条件付きです。自分のことを棚にあげることができればということです。道徳的判断は、そういう意味で非常に厳しい。

 だからこそ、努めて「ちょっとだけいい話」を聞きたいと思っています。



 昨日の夕方、成東駅で男子高校生が数人いました。用事があって成東駅で降りたのです。お年寄りの方が、駅の中でホームがわからなくなり、迷っておられました。するとくだんの男子高校生が、時刻も、行き先も、乗るべき番線もたちどころによどみなく説明をしていました。さすがに、すばらしい学校だなぁと感心しました。気負いもないし、衒いもない。淡々と当然のようにしっかりとした受け答えをしていました。ご家庭のしつけがじんわりと伝わってくるような思いでありました。どのような保護者の方の下、育ったのだろうと感じておりました。

 親切、優しさ、目上の方への敬意等々を考えさせられました。失ってはならない価値であります。

 このような「ちょっとだけいい話」をストックしていきたいものです。そして、このブログにさりげなく紹介をさせていただければ、わたくしはそれだけでいい。本校もいろいろ聞きます。思いやりのあるいい生徒がいます。

 ちょっとだけいい話を書き込むノートがドンドン増えることを楽しみにしています。そうすると、いけないことをしそうな生徒はいなくなります。少なくともそう期待しています。


 
 また明日!

 


 
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根拠を大切に

2010年05月19日 21時19分01秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 おもしろおかしく人のことを言ううわさ話とか世間にはそういう事例がたくさんあります。在校生諸君はそういうのにいちいち左右されないことです。そんなものに右往左往させられたら、命がいくつあっても足りません。笑い話のような体験がわたくしにもたくさんあります。

 その中で、笑ったのがわたくしのヘアスタイルです。出家したのではないかと言われました。これはほんとうに大笑い。何を根拠にしたのでしょうかね。我が家の宗教とか思想信条とかまったくどこにも書いていませんし、話もしたことがありません。だいたいにおいて、最終的に何を学んだのか、学んでいるのかということもまったく明らかにしておりません。また、政治についても申し上げることはできません。そんなことは、教育公務員としてはできませんから。

 要するに言いたいことは、根拠を持たないことは発言としていかがなものかということです。

 根拠を大切にしてください。
 そして分析も。
 自己判断と、軽いノリでつまらん独断をしてはいけません。数学に絶対値という授業があります。この間、一年生の数学の授業を感心しながら拝見させていただいていたのです。そして思ったのが数学の素人ですから、判断や、会話にも絶対値的な思考が必要なのではないのかということでありました。どこまで本当なのかと常に疑う事も大切であります。絶対値にそういうことはあり得ないのでしょうけれども。数学も哲学として意識すると楽しいのだそうですね。高校の恩師がそうおっしゃっていました。厳しい先生でありました。ここには書けないほど厳しい授業でした。数学だけは県下ナンバーワンの高校でしたから、よけいそうだったのでしょう。あまりの厳しさにその先生が夢にまで登場してきたのには閉口しました。K先生と言われました。漱石の小説に出てきそうですよね。

 根拠を持つということは論駁をするときに最も気をつけなくてはなりません。最も要求されることです。批判する以上、その論者を上回る学力がなければいけません。すくなくとも同等レベルまで自分が勉強するしかありません。

 勉強不足のわたくしですら、そうしています。でなければ論文への論駁はできません。いろいろな分野で自分のレポートを書くときは、論拠の否定から理論を積み上げていく場合もあるからです。厳しいものです。そうした世界に住んでいる以上、自分の論拠もまた否定される対象になるからです。(これは教員になる前から取り組んでいるわたくしの生涯学習の世界のことです。誤解無きようお願いしますね。)

 同時に、そういう学問のまねごとではありますが、鍛えられていると、根拠を明確にしつつレポートを書く習慣が身につくようです。まだまだ道遠しであります。一度たりとも満足のいくレポートを書き上げたこともないから一丁前のようなことは言えないからです。こころの中にいる師匠(良心)に怒られてしまいます。いつキミは完成したんだね?と。

 まだまだ勉強しなくてはなりません。
 古今東西万巻の書籍を読破したわけではありませんから・・・・・。
 本当に道遠しです。ため息が出ます。
 いい年をして、万年書生なのですから。

 そんなことを思いました。

 


 
 ではまた明日!



 

 
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献身的に生きる

2010年05月18日 20時12分03秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 『88歳・里山の医師 閉院までの50日』というNHKの番組を見ました。茅屋のテレビに録画していたのです。夜遅くというか、再放送で5/16の真夜中に放送されました。地域医療に61年もの長い間にわたって献身的に働いてこられた秋山先生という方の生き方を扱ったものです。

 場所は静岡市ではありましたが、ほんとうにわたくしの故郷と似たような場所に目が釘付けになりました。そして、このようなドクターの存在も。


       ********************


NHKの番組紹介から引用しました↓
                      (NHKネットクラブ)

ヒューマンドキュメンタリー「88歳 里山の医師~静岡市清沢・最後の50日~」


チャンネル:総合/デジタル総合
放送日: 2010年5月15日(土)
放送時間:翌日午前1:15~翌日午前2:05(50分)
ジャンル:ドキュメンタリー/教養 > ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 > 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 > 歴史・紀行

番組内容
 静岡市清沢地区で61年間住民の命を守り続けてきた診療所が閉じる。88歳の秋山邦夫医師と住民との最後の50日間から、地域医療の現状と課題を描く。

詳細
緑の茶畑が広がる静岡市清沢地区。この里山で61年間、住民の命を守り続けてきた診療所が閉まる。88歳の秋山邦夫医師が開院したのは、戦後まもない1949年。腰痛に苦しむお茶農家のための針治療や健康体操を考案するなど、独自の地域医療を実践してきた。番組では、里山の小さな診療所が閉じるまでの50日間を見つめ、地域医療の現実と向き合ってきた一人の医師の姿を描く。

出演者ほか
【語り】杉本哲太

    ********************


 いろいろなドラマがあり、いろいろな生き方が紹介されます。
 わたくしが注目したのが、この秋山先生の生活ぶりでした。
 
 先生は規則正しい生活です。朝は7時に起きて、とうふとわかめの味噌汁。亡くなった奥様の仏前に食事をそなえてから、朝ごはん。味噌汁とパンの取り合わせ。しっかりと噛んで食べる。そして8時から医院を開ける。もう患者さんが待っている。昔、傷を縫合してもらったというおばあさん。昔は1日50人以上も診察した。先生は里山のホームドクターだ。学校医もかねているため、世話にならなかった人はいない。

 秋山先生はお酒を口にしない。緊急の要請に応じるため。そして夜は最新の医学文献を読む。2年前に老人性の難聴と診断されてからは、行政にも診療所をつくるよう働きかけてきた。そして3月31日、診療所から長年使ってきた医療機器を処分。そこにも診察に訪れる人がきて急遽診察。そしてガラーンとした部屋に電話の音が響く。戸締りをする先生。もう開くことは無い。それから8日目、先生は引越し先に移る日。地区の人たちが大勢見送りに並んだ。一人ひとりと握手して別れる。乗り込んだ車の助手席には妻の広子さんの遺影。静かに車は動き出し、街へと向かった。清沢地区に医師がいなくなった。



 ざっとこういうストーリーで展開されていきます。
 実に見応えのある番組でありました。

 老年学のことをずっと興味を持って読書したりしていますので、本当に心打たれました。こういうような献身的なドクターがいらっしゃるということと、里山の方々の年の取り方の見事さにです。ケアという観点からも興味深く、こうしたことをどこかでレポートに書いてみたいと思っています。それまで自分の考え方を鍛えておかなくてはなりません。

 こういう番組は美談として紹介しがちですが、(それはそれで確かに美談であることを否定することはできません)そうではなくて、ケアとしての問題であるととらえると、わたくしには実に意味のあるものとなりました。

 高齢の方が天寿を全うしたように亡くなっていきます。そしてご家族の方々の哀しみや、受け止め方も紹介されていきます。

 藤沢周平が書いたら淡々と実に淡々と書いていくのかも知れません。この番組を見ていて、ふと思ったことがありました。まるっきり、我がふるさとのような静けさがある、と。耐えるだけの人生もここにはありました。一見華やかな世界ばかりが現実ではありません。おもしろおかしく世の中をわたっていってもいいのでしょうけれども、そうではない世界もまたあり得ると感じました。

 福祉系・看護系の大学や、専門学校の進学を考えている在校生諸君もいることでしょう。男子生徒でもいるようです。
 
 本当に尊いお仕事であります。
 すばらしい生き方をしていっていただきたいと、心から思います。


 また明日!




 



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五市大会

2010年05月17日 21時57分47秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 昨日は銚子のコミュニティセンターにおりました。五市大会という総合体育大会があり(社会体育系)、柔道の試合を応援(ちょっとばかり審判も)に行っていたのでした。団体戦専門で、成田市、香取市、銚子市、旭市、匝瑳市と闘うわけです。この時期は高体連の大会も目白押しでいろいろな種目があちこちで大会を開催しております。我が県銚も、陸上や、バスケットボールが県大会に参加しておりました。結果は生徒のプロフですぐ知ることができました。頑張っています。皆、それぞれ頑張っています。

 五市大会終了後、社会体育ですので、成人の方といわゆる慰労会をしていました。柔道の話とか、それこそ四方山の話をしていました。そしたら、柔道教室で教えた生徒が、我が校に入っているということでした。まったく知りませんでしたので、驚いたわけです。今日は、本人に会いにいこうと思いましたが、よしました。担任の先生から写真だけ見せてもらって、大きくなったなぁと独り合点しておりました。そっと見守っていこうと思っています。

 影響ということをふまえて行動しないといけないと思う事しきりです。会いたくないかもしれませんからね。

 先週の金曜日に銚子駅から夕方電車に飛び乗りました。発車まであと10秒くらいでした。千葉市に出かける用事があったのです。ぷいっと電車の中に入ったら「あ、校長が乗ってきた」という声がしました。苦笑しました。他のお客様に聞こえるではないかという思いと、わたくしの顔を覚えてくれていたのだという安堵感です。笑い話のようなものですが。

 わたくしなぞ実に平凡な風貌をしておりますから、生徒たちの印象に残らないのではないかと密かに思っていたのが、払拭されました。もっとも、ヘアスタイルがちょっと変わっていますから、少しは記憶にのこるのかもしれませんが。

 電車の中ではまたまた藤沢周平の文庫本を出して読み始めました。最近、ほんとうにこの作家が好きになっています。「海鳴り」(上下)です。この作品も、老いてゆく主人公のわびしさを扱っていて、まったくわが心境をずばり書いて下さっている。だから夢中になっているのでしょう。ケアに関連している書籍もあちこちあたっておりますし。

 そして、この二つの日の出来事が、結びつきました。金曜日の電車の中での体験と、日曜日の柔道五市大会の出来事です。

 柔道の大会で審判のまねごともさせていただいたのですが、高校柔道部顧問時代ならいざ知らず、一年に一回しかやらないようでは、それこそ足下が不安という状態でありました。つまり、誤審の可能性もあり得ると自覚させられたのです。そろそろ潮時だなぁと、しみじみ思いました。自慢の世界とは完全に無縁の生活を送ってきましたし、名誉とか妄執とかもこれまで以上に無縁でありましょうから。読んでいる小説も良くなかったのかもしれませんが、ね。

 祖父もそうでしたが、剣道は長いことできます。現役生活が長いわけです。柔道は反対です。体力がかなりの要素になります。所詮、素人柔道です。いい加減にせいという天の教えなのかもしれません。大けがをしないうちにという点での。

 失ったものの重さと、これからの生き方と、健康。さらに年をとっても知識は吸収できると思っていますから、バランスのとれた生涯学習・健康生活を送りたいものです。電車の中で、「あ、校長が乗ってきた」と言っていた生徒たちにも負けないくらい勉強しますよ、わたくしでも。

 がんばりましょう!
 お互いに。




 
 
 



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大衆日報に取り上げていただきました

2010年05月14日 07時55分52秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 昨日発行された大衆日報様のおかげで、今年度初めて記事にしていただきました。これまでも、わたくしが赴任してきてから10回以上にわたって記事にしていただきましたから本当に感謝しています。どんなに広報活動に役立っているかはかり知れないものがあります。

 この記事にも「日の出の勢い」と書いていただきました。ありがたいものであります。在校生はわかったでしょうが、これはわたくしの氏名とどこかでつながっている意味もあるようです。

 あとは看板倒れにならんようにしなくてはなりません。
 最高より最適を、です。これは本当にそう考えています。旧制女学校らしさを生かして、発展していきたいと思っています。






 以前このブログでもあげたドラッカーの金言に、こんなのがあるのを見つけてなるほどなるほどと思いました。

     ☆☆☆☆☆☆
 
 いつでも去ることのできるボランティアをとどまらせるものは何か。

 第1が使命である。すべての源泉が使命である。第2が訓練である。訓練により常に能力を高めることである。第3が責任である。目標と方法の決定に参画することである。

「今日、家族やコミュニティの崩壊や解体、価値観の喪失が指摘され、大きな問題となっている。しかし、これに抗する強力な流れが、NPOによってもたらされつつある。NPOはコミュニティの絆を生み出し、能動的な市民性や、社会的な責任、価値に対するコミットメントをもたらしている」(『P.F. ドラッカー経営論』)

     ☆☆☆☆☆☆


 各種のNPOに取り組んでおられる方々は、まさにとどまっておられる。その理由がわかったような気がしました。

 使命、訓練、責任というのは、勉強でも当てはまります。

 ちなみにドラッカー氏は、ほんとうにいろいろな分野での発言がありますから、一度関心を持たれた方がよろしい。

 「継続学習」・・・成人が一度学校に戻る社会が来るともおっしゃる。趣味を超えた能力が第二の仕事を展開する可能性もあるとも言われる。

 一番笑ったのが、リーダーシップはうつろいやすく短命であるというもの。これはまったくそのとおり。

 また、認識の変化がイノベーションの機会となりビジネスを起こすというのもいい。

 


 昨日の夜も藤沢周平を読んでおりました。なんだかファンになりそうです。おもしろくてためになって。「蝉しぐれ」は映画にもなったのだそうですね。20年もひとすじに想う人と、そして青春の蹉跌。・・・あまりわたくしのような無骨者には似合わない小説でありますが、映画の方にも興味が出て参りました。

 なんでもかんでも勉強に結びつきます。

 頑張りましょう!

 明後日は銚子市で五市大会です。どこかの会場でお会いしたりして。



 ではまた来週。
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今日は安全教育を

2010年05月13日 22時46分00秒 | 先公ごっこ2008年から2012年



 今日は安全教育としての降下訓練でありました。
 講話と実技を行いました。
 一年生のみであります。
 熱心に拝聴しておりました。
 この写真は飛翔館という建物の中です。

 降下訓練も安全性に十分注意して行っています。やはり経験がないと、いざというときに役に立ちません。もっとも中学校でも十分このことはやっておられることでしょう。思うに、明治以来ずっと教育はいろいろなことを試みてきたわけです。例えば、廊下を走るなという戒め。学校教育発祥の時代から100年以上にわたって指導されてきている戒めの一つであります。先祖代々廊下を走るなということは、何代にもわたって言われ続けるわけです。他にも、年配者には丁寧な言葉を使えとか、藩校の学監には尊敬をとか、親に孝とか、道は右側をさっさと歩けとか、袴をはいたら立ち居振る舞いに留意とか、いろいろな戒めがあるわけです。地域性もありますが。

 それができないから戒めとしてあるわけです。できるようにせよ!という教えであります。愚生わたくしも、謹厳な祖父から相当厳しく教えてもらいました。不肖の孫であります。できないから厳しくしつけていただいたわけです。今でも感謝しているのは、いわゆるため口というのがわたくしはできません。年長の方にため口をきいているのを見たり聞いたりするとまったく情けなくなります。同輩ならまだ許せるのでしょうが、ね。後輩にも極端に偉そうにもの申している輩がいますが、それもどうなのでしょうか。

 一度目の前で、おもしろい体験をしたことがありました。ある方と話をしていたら、そこに割り込んできた方があって、最初は丁寧にクチをきいていたのです。ところが、わたくしの相手の人が割り込んできた方の大学の後輩とわかったとたん割り込んできた方は、後頭部が床につきそうになるほどそっくりかえってしまいました。しかも営業職で、ため口になってしまった。大笑いしました。人間観察にうってつけの事例です。底の浅さが完全に露呈してしまった事例です。さっそくノートにつけました。ビートたけし師匠のようにです。

 道徳律というのは、出来ないから戒めとしてあると考えるとこれはなかなかよくわかる。愛が大事だとされるのも、なかなか愛がないからであります。思いやりもそう。なかなか無いからであります。親切もそうです。また、禁じられるから破ってみたくなる。若いうちは確かにそうでしょう。反逆のこころで一杯になる。なんでも反対のポーズをとることで、ある種の天才を意識するわけです。つまらん大人とは違っているんだとでも言いたげに。まるで手に取るようにわかります。それから一歩一歩成長していくことです。だから学校は指導を継続するわけです。学校だけでなく、社会生活でも、家庭生活でも指導はしていかなくてはならないわけです。この3点がバランスを欠くとたちまち悪くなります。バランスを欠いたら立っていられなくなります。柔道はそういう隙を相手に作らせて投げるわけです。

 安全教育もそうです。なかなか守ることができないから、学校でも、社会でも、家庭でも行うわけです。永遠に続くのかもしれません。

 命の大切さということが安全教育では絶対的な至上課題です。
 当たり前です。この当たり前のことを守っていただきたい。交通事故で亡くなった家族の哀しみというものがとても耐えられないからです。突然の死に、家族の方々は混乱し、受容できなくなります。このところ真剣に勉強させていただいているグリーフケアという学問でも扱います。命の大切さを破られた時に、どのように受容していくかということが最近のわたくしの課題にもなっています。

 それが若年層であった場合には家族は絶対に受容できないわけです。壮年期もそうです。病気であっても、不慮の事故であってもです。ほんとうにそういうことを真剣に考えているし、考えていただきたいと思っております。慎重な行動と、思索。軽はずみなことをしてはなりません。こころからそう思っています。
 
 命は大切にしましょう。


 また明日!

 

 
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藤沢周平の「蝉しぐれ」

2010年05月12日 22時34分57秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 藤沢周平の「蝉しぐれ」を読了しました。
 今日の行き帰りの電車の中です。一昨日から読み始めて止められなくなりました。一気にです。
 今日は進学高で著名な匝瑳市の高等学校にうかがっておりました。そこへ行く途中の電車であります。途中、きれいな花が咲き誇っておりました。さすがに伝統校であります。一瞬の美が、その学校の全体を表象しております。それが伝統であります。県銚も、そういう意味での花があります。花になる存在は、また花になり得る素養もあります。いろいろな意味で、表象と因の関係を考えさせていただきました。


 さて、藤沢周平先生は、このブログに何度も書いてきましたが、我が古里をあつかっていた作家です。しかも亡母や叔父の大学の後輩にあたります。そして、背景の日本海の光景がわたくしには本当に目に浮かびます。雪国のもの寂しさというものが身に迫ります。これは育ったものでないと分からないことであります。ましてや、銚子、九十九里の温暖な気候で育った方にはご理解いただけないことでもあります。

 当然です。

 藤沢先生はだからこそわたくしの琴線に触れるという思いがあって、なんとなく気が引けるのでありました。この作品のタイトルのように、蝉しぐれのような時節を、同じ場所を経験しているからこそであります。

 しかし、この作品はいい。
 実にいい。
 若人が、学問や、武道の面でいかに成長していくかという教育の根本を扱っておりました。感動しながら読んでおりました。武道や学問で、逡巡しながら成長していく若人を扱っているわけです。たまりません。こういう小説は。教育界に身を置くものとしては。映画にもなっておりますし、ね。在校生諸君の顔が目に浮かんできます。本当に、涙腺が緩むという点でたまりませんでした。こういう若人と接することができて、しかもその成長ぶりにおつきあいすることができるという幸運に感謝です。


 正直、藤沢先生はあまり好きではなかったのです。雪国の厳しさは、骨身にしみているからです。
 ところが、このひと月で変わりました。
 
 静かな淡々とした文章表現の中で、人間の感情を扱っては天下一品。これほどの静かな文学者はありません。しかもわたくしのような庶民を扱ってくださる。ありがたいものであります。感謝してもし尽くせないです。

 わたくしは個人全集を買うのが好きです。わずかしか集めておりません。芥川龍之介、三田村鳶魚、森?外、太宰治、夏目漱石、幸田露伴。島崎藤村、ゲーテ、椎名麟三、福田恒存、小林秀雄、斉藤喜博、嘉納治五郎、東野義雄、西郷竹彦、丸山健二、ドストエフスキー等々です。少ないです。狭い茅屋で、雑書ばかり集めていますから、全集はこの程度であります。本当に恥ずかしい限りです。

 ところが、藤沢先生のだけは無いのです。

 反省です。これからだんだんと購入するつもりです。なんと言ってもわが故郷の英傑ですからね。

 ですから、何を言いたいのかと申しますと、藤沢作品を単なる好き嫌いで選択してはならんということです。読書の大先輩に聞きながら、選択をしていくべきでしょう。少なくともわたくしはそう思うのです。それが通学制をとっている高校の一番すぐれた特色であると思います。

 今日は匝瑳市の進学高に行くためにとぼとぼと歩いておりました。
 途中美しい池があります。
 そこで、わたくしは見とれておりました。
 つがいの鳥が、仲むつまじく毛づくろいをしていたのでした。
 ほんとうに美しい光景でありました。うらやましいような境涯です。別に見せつけるためにしていたのではないのでしょう。心奪われておりました。ほとりに花が咲いておりました。これはこれはまるっきり和歌のような世界でありました。才能があれば創作してみたかったような風景でもありました。

 ちょっとした自然の光景に、こころからの「美」と「優しさ」を見た思いでありました。



 また明日!









 

 
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いい記念碑

2010年05月11日 22時16分31秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
・今週は日程的に非常に厳しいのです。外に出かけなくてはならない仕事があります。したがって、ブログの記事が厳しくなります。仕方ありません。自分で始めたのですから。始めた以上、やるしかありません。楽しみにして下さる方もおられますし。

・いつまで続くだろうかと、これは今でも思っています。何度か書いて来ましたし、去らねばならないときはそうするしかありません。

・今まで書きためてきた記事の字数は相当なものになりました。600回近く書いてきたのでしょうか。ほぼ一回で1000字程度を目安にしています。1000字×600=600000字。60万字。いい記念碑です。学校のことを紹介しつつ、これから学校をどうしようかとか、生徒にどう話すかということを無意識に考えることが出来たようです。アウトプットのために、読書も必然的にいろいろとやってきました。あまり新しい分野の読書はしてきていないのですが。貯金で書いているようなものです。乏しい貯金です。誇るものは何一つありません。

・心理的には代償を求めているのでしょうね。昨日の現代社会の授業を拝見させていただいて、ゴッホの話が出てきました。ゴッホの芸術は代償なのかもしれないと思いました。こういう授業はなかなか受けることができませんから、在校生諸君は幸福です。わたくしもウンウン唸りながら拝聴しておりました。「教員のアウトプットを生徒がインプットする」・・・これが教育なのでしょう。そうでなくてはいけません。
 
・そんなことを思いました。



・さて、今日も電車に乗りました。クルマが苦手ですから、遠くに行くときは電車に限ります。読書ができます。なかなかいいものです。

・日曜日に、県立図書館でずっと読書をしたり、Mindmapでノートに図解を試みたりしていたのですが、時々聞こえるささやき声が気になって仕方ありませんでした。あんな静寂なところです。一度気になったらどうしようもない。それこそ集中力がなくなってしまいました。情け無い話です。もっとも、館内の書籍も読んでいましたし、かなりわたくしには過ぎたレベルの本を読んでいました。だからというわけではありませんですが、気になるものは気になったのです。

・ところが、電車の中ではまったく気にならないのです。図書館ではささやき声が気になるのに、電車ではそうではないのです。面白いものです。環境とか条件ではないのです。やる気なんでしょうね。まったくこの年になっても、反省ばかりであります。

・電車の中では思考を要するものはやはりダメです。流すものがいい。つまりストーリーのあるもの。小説などがいい。偏見かもしれませんが、ね。

・楽しいから読むのです。楽しいから勉強するのです。知識はそのためにあります。わかってくる喜びというのが存在します。昨日、ある生徒と話をしていてふとそんなことを思ったからです。



・また明日!



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授業紹介動画改訂版をアップ

2010年05月10日 21時07分29秒 | 先公ごっこ2008年から2012年









・授業を参観させていただいておりました。実に楽しい授業が展開されています。今日もこのブログに紹介をしております。本当に先生方の授業あっての県立銚子高校であります。感謝です。こころの底からの感謝であります。動画でまたトップページに紹介してあります。ご覧下さい。

・保護者の方には一番興味深い記事だそうですから。ドンドンここに改訂版を紹介させていただきます。また、中学校の生徒諸君にもです。中学校の先生方からも好評です。本当に高校はよくわかっていただいていないと思います。思いますから、後は実践しかありません。ご理解いただくには、映像が一番いい。

・「最高より、最適を」

・このことを心がけています。地域のニーズにあったマネジメントから導き出した考え方であります。最高を目指すのはある意味簡単です。全国屈指の進学校はどこも最高を目指して切磋琢磨しています。いろいろな意味で興味関心があるのですが、それよりも「最適とは何か」ということをもっと重要視しています。

・学校は学ぶためにあります。遊ぶためではありませぬ。

・このことを忘れずにいきたいものです。本当に、わが在校生諸君は幸福です。受験料を払ってもらって、通学させていただいて、定期代も出していただいて・・・・しかも、保護者の方から食事まで出していただいている。幸せです。なぜそんなことを書くのかというと、全部真逆な生活をわたくしは送ってきたからです。いわゆる苦学生。全部自分で用意し、自分で学び、やってきたからです。だからこそ、感謝しなさいと申し上げたい。周囲の方々すべてに。わが青春なぞ誰も聞きたくもないでしょうし、時代錯誤と笑われますからこれくらいにしますが、ね。

・今回から映像編集ソフトを変えました。おわかりいただいたでしょうか。かなり高かったので、わたくしの財布が軽くなってしまいました。もっとも元々軽いですがね。こういうソフトで、自分で気に入ったものを買って試しているものですから、家人に文句ばかり言われます。ま、笑い話のようなものです。

・在校生諸君も校長がドンドン教室に入ってきて、撮影をしていることに慣れっこになってきたと思います。まったくわたくしの存在など眼中に無いようです。これはとてもいい傾向です。集中力がついてきた証です。これはいいと今日も思っていました。

・今日もある大学の先生と話をさせていただいておりました。「県銚は変わった」と言っていただきました。それが真実なら、先生方のおかげです。これだけ努力されている先生方を得たことが、真の財産を得たということです。人材(人財)を得たということです。そして、それぞれの先生方の強みを出していただくということです。

・貧しかった青春でありましたが、教職生活の終わり頃になって、人材(人財)に恵まれて、ようやく人材(人財)富裕層になったような気でおります。ありがたいことであります。




・また明日!
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/