と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

大晦日です

2009年12月31日 23時35分09秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 大晦日です。

 NHKの紅白、ゆく年くる年とかいう番組を時々見ながら、過ごすのが毎年の恒例でありました。今年もそうです。ただし、家のコンピュータで映像処理をしておりましたが。今日の夕方まで。大掃除もありましたし、時間をぬって作業に集中しておりました。

 今年の本校の思い出に残るニュースは何だったでしょうか。

 いろいろありました。
 1 国立大学に二人合格
 2 陸上部、水泳部の関東大会出場
 3 ・・・
 
 しかし、一番のニュースは善行の生徒が多く、生徒指導上まったく問題がなかったということではないでしょうか。

 このことは、本当に感謝申し上げています。
 先生方に。
 そして、保護者の方々に。

 優秀な生徒を集めれば、学校は変革できます。
 明治以降にできた私立大学の歴史からそれはわかります。

 具体的には申せませんが。

 そして、それは常に学校環境をとりまく存在とのある意味闘いでもあります。

 どうしても、変革を志向する時には、引き下げの力が働きます。それを遮断して、向上するには、なかなかのものではありません。一度の失敗が永久につながる可能性もあります。ソレ見たことかと、目に見えない力が来ることもあります。

 創業と守成とは、特に守成はだからこそ困難なのであります。

 ですから、ひたすら努力する以外ないと思っています。
 考えることであります。
 じっくりと。

 それから実践です。やるときはやる。これです。
 これ以外ありません。

 この一年、実にいろいろなツールで、本校を広報してきました。
 周囲の方々のお力添えなくしてはできない相談でした。

 盲点を突きながら、人のやらないことを実践する。
 隙間をねらっていく。
 意外性を持つ。
 油断させてそこを攻める。特に、思い上がっている相手は崩れますからね。
 
 これはまさにわたくしの柔道スタイルそのもの。

 なんと言われようと、変えられないものです。
 もうすっかりなじんでしまったものですから。
 
 一年を締めくくってみて、来年また同じ事をしているわけにもいかんしなぁと思いつつ大晦日の記事を終わります。

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いよいよ押し詰まりました

2009年12月30日 19時38分52秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 いよいよ押し詰まりました。

 もう本年もあと少しであります。
 
 このつたないブログも、わたくし共々たいへんにお世話になりました。学校のホームページというと、なんだか難しそうなソフトで作成するのだそうです。今月号の教職研修という教育雑誌に、学校ホームページの活用方法について特集がしてありました。そこにも、ホームページビルダーとか難しそうなソフトで作るから、更新がなかなかできなくなるのだと書いてありました。

 わたくしも全くの素人ですので、まったく同感です。簡単に出来るソフトで、学校の情報発信をすることができないかとずっと思ってきたものですから。さらに、もっと簡単に動画で学校の様子を情報発信できないかとも。

 その点では、このブログで行う情報発信は自己満足ですがよかったのではないかと思っております。だれでもできるというその一点において。
 
 さらに、ターゲットを絞らせていただいたこと。中学生の皆様と、在校生を視野に入れていろいろ駄文を書くことにしました。教師なんですね。やはり。生徒が相手だと思うといくらでも書くことがありました。自分でも呆れておりますが。

 中には楽しみにしてくださる方もあって、ちょっとの期間ではありますが、投稿できないでいると、病気になったのか?というご心配もいただいています。まことに有り難い限りであります。

 ブログを始めた理由は実に簡単でありました。

 本校が知られていないというそれだけでありました。本校の所在地もそうだし(犬吠灯台の下にあるのかと言われたことがありました)、教育理念とか、歴史とか、共学にしたことも(これも去年はまだ認知されていませんでした)、偏りの無い勉強も部活もという姿勢も、旧制女学校らしい優しさのある教育活動も、もろもろのことがご理解いただいていませんでした。印刷物の、あるいは口頭のみのツールでは限界がありました。ポスターを配布したから、学校説明会でクチで説明したからいいというわけにはいきません。中には、中学校訪問をしているにもかかわらず、うかがったことすら覚えておられない学校もあります。それだけ存在感が薄いのでしょうね。わたくしの個性の問題なのでしょうか。見た目は、非常に個性的な風貌をしておりますので、一度ご覧になったら忘れられない格好をしておりますけれども。特に、歩き方と髪型であります。冗談ですが。

 学校の内部にいるとそれらがまったく見えなくなります。再編をしたということは、学校だけの論理で動いているわけではありません。設置者の、地域の方々の、保護者の願い、教職員の願い等々いろいろなファクターから成り立っていることに、理論としては気が付いていても、なかなか困難な問題でありました。

 なんとか打破したいと考えていたわけです。したがって、まさにいろいろなことを書かせていただきました。学校新聞や、校長だよりの印刷媒体にたくさん、たくさん書かせていただきました。銚子市に限って言えば、大衆日報様や常総新聞様に学校新聞を何度も何度も取り上げていただいて、実に感謝しております。それを自費購入して、香取、旭、匝瑳方面の各中学校様に郵送させていただきました。それでもまだまだ読んでいただいておりません。中学校の先生でご存じない方もおられます。困難は続きそうです。

 一番困難だったのが映像化であります。無論、今でもまったく技術力のない映像で専門家から見ればそれこそお笑いぐさであります。しかし、こんな駄文よりも映像は実に効果的にご理解をいただけるものではあるまいかと、自分勝手に思い込んでいます。

 それでもです。本校を知っていただきたい、本校の進むべき道をお知らせしたい、なおかつそれが生徒募集にも役立つかと思うとサボっているわけにもいきませんでした。

 来年もまた良い年でありたいものです。

 目先のことでは、センター試験のことを心配しつつ。

 今日も勉強しているそうですが。三年生は。

 御指導なされている先生方のご努力にも感謝いたしております。また、ここまで見守っていただいた保護者の方々には格別の思いで感謝申し上げます。

 いろいろあった一年でありました。
 
 教員をやっていると本当にいろいろなことがあります。起こったことは忘れてはなりません。記録に残して、永久に戒めとしなくてはなりません。映像、音声、メモ等々。あらゆるツールがございます。不肖わたくし、いろいろ勉強させていただきました。アドバイスをいただく方もたくさんおられます。そういうツールの専門家で。

 このブログももしかしたら、そういうツールのひとつかもしれません。

 

 いよいよ、明日は大晦日であります。

 過ぎ去った時間を惜しんでください。

 過ぎたからいいやではいけませんぞ。

 戒めといたしましょうね。

 さぁ、勉強なさいませ。
 
 

 

 

 
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動画を再編集いたします

2009年12月29日 13時11分28秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
突然で申し訳ありませんが、動画の再構築をさせていただきます。

ちょっと数が多くなりました。見ている方にご不便をおかけしてはならないと思ったものですから。
 
年内には大体をアップする予定です。現在自宅で作業中であります。
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幸福に生きた内気な猫の話

2009年12月28日 22時37分53秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 Titleの本の作者は、本多信一先生です。

 わたくしはこの先生の書籍が大好きで、いまでも多くの書籍を時々読み返しています。

 この本は実にいい。

 書き出しの頁にすてきな詩があります。

 「ママの後ろ姿をおぼえているんだ。
 『行かないで』とつぶやいた。
 それきりだった。
 ボクは生まれたばかりで歩けなかった」


 0歳の時の猫ちゃんの書き出しから始まります。


 一歳の時。

 「食べものをさがしに外に出た。
 『かわいそうに』という声のほうに行くと
 うしろから石を投げられた。
 ミルクの匂いのほうに行くと
 横から酔っぱらいにけとばされた。
 ボクは世界に捨てられていた。」

 もう、このへんでわたくしは猫と一緒。
 泣かないでいられません。
 なんという
 なんという
 状況でしょうか。
 
 新聞配達をしながら、学校に通っていたときとまったく同じであります。このときほど、差別を経験させていただいたことはありませんでした。ですから、わたくしは偽善を徹底的に嫌悪します。そういう雰囲気がすぐわかります。クチでは貧乏なわたくしの味方のようなことを言いながら、本質は秀才のお坊ちゃまという輩がたくさんいましたからね。そういうのを似非プロレタリアと言います。わたくしの造語ではありますが。

 ・・・・・・・・

 年代別にこの詩は続きます。

 そして13歳の時にたぶん最期の心境をこの猫ちゃんは綴ります。
 
 「ボクはボクだったんだ。
 長いみちを歩いて、ボクは自分にもどってきた。
 いや。長いみちも自分を歩いただけ。
 ママはいない。
 いないけれどもいっしょにいる。
 いつも、いっしょにいる。」

 老境の心境でしょう。
 非常に優れた詩です。
 慈母を思う心境です。そして、愛の歌でありまする。
 
 最近珍しいほどの詩であります。

 わたくしの育った環境に同一視してしまうからでしょうか。
 
 それは事実でありますけれども。

 なんの誇りうる血筋もなし。家柄もなし。むろん富有もなし。

 ささやかな味噌汁と、一汁一菜のめし。

 それで十分な家庭でありました。

 今、銚子で働かさせていただいております。そして、新鮮なお魚を食べさせていただいて、相当に違う食生活。贅沢なことであります。食べたこともないような贅沢な新鮮な食事。電気もないような村落からみれば、銚子の食事は毎日がお祭りでありまする。
 
 こんなことでいいのかと自省する日々。

 この本の猫ちゃんのように、内気なわたくしは感謝するしかありません。



 「ママの後ろ姿をおぼえているんだ。
 『行かないで』とつぶやいた。
 それきりだった。
 ボクは生まれたばかりで歩けなかった」

 冒頭のこの詩は、まったくわたくしの絶叫であります。行かないでと何度言ったでしょうか。

 貧乏な東北の田舎教師の母親に生まれ、父親は貧しい村の役場官吏。

 雪深い道を、謹厳な、職務ばかりに熱心な母親が急いで出かけていく後ろ姿に、情け無い息子のわたくしは、叫んだものでありました。「行かないで」と。これから雪深い道を片道四時間もかけて出勤する母親に不安を感じていたのかもしれません。

 金銭的な欲求ばかりから考えたら、とてもとても教員になるということは、若い猫から見たら、絶対的な拒否の世界でありました。ましてや、わたくし以外は、先祖代々地元の師範学校を出ていたのでは、そういう運命から逃れ出たいという欲求の虜になることは容易に予想されたことでありました。

 今晩は、そういう世界を生きてきた故郷の、わたくしよりも若干若い非常に優れた方と食事を共にする機会を与えていただきました。
 
 母校の後輩と世間的には言われるような方でありました。日本を代表するような知的な大学の卒業生でもありました。

 担任の先生が同じ方でありました。

 なんという奇遇でありましょう。
 
 いろいろ話をしていたら、全日本の柔道のコーチで、拓殖大学の監督の木村政彦先生と同じ名前の先生と同級生だったそうでありました。この古い方の木村先生は、かの有名なプロレスの力道山と闘った方でもあります。


 涙が出ました。


 慚愧の思いばかり経験してきたわたくしは、その若干若いわたくしの後輩の方に強烈なエールを送り、とぼとぼと家路に向かいました。

 これでいいんだと思いつつ。
 
 老兵は去るのみ。
 
 せめて、わたくしの書き残した雑文の載っている雑誌を謹呈させていただきながら。若干ながらも、母校の後輩にお伝えすることができますればと思っていました。同じ教育職でありますから。
 
 自己満足をしながらでありました。


 年末にふさわしいお話になったでしょうか・・・・。

 それだけであります。
 

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一応御用納め

2009年12月28日 18時16分03秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日は一応御用納めという日です。

 一応というのは、本校はまだ生徒が学校に来て勉強しているからです。たくさんいました。3学年に。ご苦労様です。そして、実に美しいと感じました。

 今日は、たくさんの大学提出書類に押印をいたしました。全員合格を祈りつつ。

 センター試験が近いから、ほんとうに生徒諸君は大変です。正月も勉強だそうです。教室で。関係する先生方もつきあっていますから、こころから感謝しています。まことに尊い教育的営為であります。こういう営みから、叡智が生まれてまいります。ほんとうに、感謝申し上げたいことであります。
 
 まさに積極的背水の陣と言うべきであります。追い込まれてではなく、積極的に布陣した背水の陣です。

 けっして悲観することなく、失敗を予想することなく、がんばりなさいませ。昨夜のスケート浅田真央選手のように精神的タフさが成功の因であります。タフに生きましょう。タフならば、いかようにもなる。



 最近、科学者の生き死にを書いた書籍に凝っていますが、こういうタフさが彼らの特長ではないでしょうか。

 わかったようなことを書けば、生きることだけを追求しているのではなく、やはり予想していたとおり、宇宙論がベースになっています。しかも、単一宇宙論だけを言われる方と、多宇宙論を言われる方もいます。これ以上は、専門外教員として触れてはならない分野でしょうから、これくらいにしますが、重要な読書体験でありました。

 一流の科学者が、ご自分の生死をどのように考えておられたのかということです。そういうことに非常に興味があります。

 うわついたことに関わっている暇はありません。追求すべき課題が相当数あります。そういうことを解決することなく、自分の納得がいくことなく、人生にさようならをすることはまったく悔しいのであります。まだまだわかっていないからこそ、哲学というものから離れることはできません。より本質を追究していきたいのです。現実世界ですら、わたくしは本質的ではないと思うタイプですから。

 虚像という言葉があります。イメージというのもそれではないのかと思うときがあります。

 そもそも、言葉で何かを語らおうとしたときに、その言葉が本当に本質を現しているのだろうかとも思います。机という言葉は、机の本質を語っておるわけではありません。

 もっとも、こんなことばかり言っていると、動画で県銚を紹介しているおまえ自身はどうなのだ?と言われそうです。映像だけで、県銚をすべて語っていると大言壮語する、しているつもりはありません。イメージはそれを見ている方のこころの中で育っていくものでしょうから。

 語っても、語っても、語り尽くせないものが、現象にはありそうです。

 しかしながら、本校生徒が学んでいるという現象だけは、わたくしの拙い言葉で紹介してもしきれないほど、尊い真実であるということだけはお伝えしたいと思っております。

 では、またここでお会いしましょう。
 

 
 

 

 

 

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うかつなこと

2009年12月25日 18時02分52秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日は、学校で来月のセンター試験目指して、補講でがんばっている在校生諸君にだいぶお会いしました。

 終業式でも、背水の陣を敷け、失敗を予想するな、日時計のように明るい面ばかりを見ていきなさいと激励しましたから、頼もしい限りであります。

 熱心なことです。
 その熱心さが成果を生み出します。

 また運動部でも他校から(他県から)練習試合に大型バスで何台も来られていました。バスケット部だそうです。練習に相当数来校されていました。宿泊で、です。本校がどんなに部活動に熱心であるか、これでご理解いただけると思っています。

 学校は活気づいています。

 結構なことであります。勉強も、運動部も実に熱心であります。


 しかし、わたくしは、まことにうかつなことでありましたと一人反省をしておりました。
 
 これまで今年の後半は、人間発達論というある大学の先生の書籍にずっと学んでおったのです。しかし、一種の職業病というか、目の前の在校生諸君しか眼中になかったというか、狭い範囲でしか発達をとらえておりませんでした。

 それが見事に打ち破られました。

 発達というのは、生まれてから死ぬまでだそうであります。特に、死の間際まで人間は発達するのだと教えていただきました。死に方まで学習していくとのことです。

 さらに、「受容の仕方」ということでありました。病気を受け入れるまでの、怒り、自暴自棄、周囲への者への八つ当たり等々を経て、人間は最後に受容するわけです。どうしようもない運命を。それも発達であるという観点はまったく気が付きませんでした。

 梶井基次郎という作家の亡くなり方、戸塚洋二という世界的な科学者の亡くなり方を中核にいろいろなことをその大学の先生の書籍に教えていただきました。それで早速このお二方の書籍を参考書として入手して読み始めております。

 梶井基次郎さんの場合は、不治の病で、苦しくてしょうがないからウンウンとうなっておりました。そしたらちょっとだけ母親から言われます。見苦しくないように・・・ということであります。学習した梶井先生は、それから亡くなるまで、静かに療養に専念なさっていったということです。しかもそれを母親に称賛されたがっていたということです。

 戸塚洋二さんは、ニュートリノ観測でノーベル賞を確実視されていた物理学者でありました。ガンにかかっておられて、科学者らしい実に透徹した心境で病気そのものについて書かれておられます。昨年亡くなったのだそうです。しかもブログでずっと病状を報告されておられました。「がんと闘った科学者の記録」という先生の著書の帯には「恥ずかしい死に方をしたくない」とあります。これはなかなかの良書でありました。

 それにつけても猛省でありました。

 わかったようなつもりでいて、目の前のことしか追いかけていなかったわけです。一生のうち、若い時代だけが、人間発達という学問の領域ではありませんでした。うかつでした。

 教育もそうなのかもしれません。若いうちだけが教育ではないのかもしれません。

 否、それは殆ど確信に近くなっています。わたくしも、これからまだまだ教育されていかなくてはならないと思ったからです。初老・中老を迎えましたが、さらに死の直前まで自ら教育であります。



 養老孟司先生という方がいらっしゃいます。

 「**の壁」という新書本で有名な方です。養老先生の「死の壁」という書籍にもいろいろなことが書かれておりました。一人称、二人称、三人称ということで死を区分しておられた。これもまた目を開かれました。こういうことなら、わたくしの心境もずいぶん違ったものになったのかもしれません。

 特に、わたくしたち人間は去年と今年と全く同じだと思っている。それが個性だとも思っている。いや、そうではないのだ、人間は70%が水分であって、それは一年で入れ替わるというような文章にはっとなりました。

 人間は変化していくわけであります。永遠の個体ではありません。中世日本文学にそんなことはいくらでも書いてあります。平家物語しかり。方丈記しかり。

 そういうことを教えていただきました。永遠に生きていられるという錯覚を持っている現代人と違って、古典の時代を生きた方々はその点が凄いと思います。

 生まれてから、亡くなるまでの一生を発達論で眺めることができました。これもまたご縁であります。ふとしたきっかけで、ついて行くのがやっととは言え、大学の先生の書籍と出会うことができたわけですから。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 現在22:18です。

 これから今日の第二稿を以下に書き込みます。

 実は終業式の日に手術をして入院していた在校生がいて、偶然その生徒のブログを見た。見たというよりも、見てしまったという方が正確でした。便利な時代になったものです。いくつかキーワードを設定しておくと、パソコンが毎日記事を拾ってくださる。自動的に。こんなことは考えられませんでした。

 それで彼のブログにコメントをして激励しました。たいへんでしょうけど、がんばってくださいねと。わたくしの終業式のメッセージもアップしてあるから見ていただたいたのかな?と思いつつ。

 もう退院していると思います。
 そんなことが書いてありましたから。
 ブログに。

 さっき、アップした戸塚洋二先生のガン闘病記もまたブログでありました。評論家の立花隆先生との対談もあって実に感動しました。

 わたくしも、ずっとこのままブログを続けてみたいと思いますが、このブログは絶対的に教員時代しかできないブログです。どこかで中断しなくてはなりません。年齢とともに。当たり前ですが。

 大阪の浪速高校という学校の校長先生のブログにも相当影響されています。私立ですので、かなり突っ込んだ書き方をなされています。ある面たいへんうらやましい。

 退職したら好き勝手に書けるのかなぁと思っています。もう無理でしょうけれども。病気になって、闘病記を書いてもそれはわたくしだけの覚え書きにしかなりません。

 それにしても、戸塚先生の書籍には相当ショックを受けています。現代人はまさに死ぬことを忘れてしまったようですから。わたくしにもそれはあてはまります。

 そういうことをこれからのわたくしは勉強しなくてはなりません。

 どこまで行っても、果てしのない旅であります。



☆ ☆ ☆ ☆ 



 さらに書きます。

 大津秀一先生という緩和医療の専門医が書かれた「余命半年」という新書。最後の方に、京都の比叡山の麓で80代のおばぁさまが亡くなられるまでのエピソードがあります。

 これは実に美しい詩のような文章です。ドストエフスキーの木の葉に太陽が当たって美しく輝くあのシーンのような描写です。

 20代のころに、肺結核を患って、再度京都の病院で胸を病む老婦人。

 「病気が治らなくても、私を救うことはできるんです。私を薬が救えなくても、私を心が救うことは出来るんです」

 「人は老いるし、病むし、死ぬわよね。現に私がそう。それを嫌だ、嫌だと思っていたの。でもね、ある時から決めたの。それは仕方がないこと、だから楽しく生きようってね」

 「ほら、空も晴れてきた」

 京都の空に雪が舞っていたのに、一瞬だけ青空が見えたという終わり方になっていました。どんな小説にもかなわない美しさであります。

 まさにここにいかに病気を受容するかという人間発達の具体例があると感じた次第です。

 読書体験というものはいいものです。
  
 うかつなわたくしのような者であっても、怠けず、努力するしかないようです。



 では、また!
 冬季休業中ですので、本当に不定期な書き込みになりますが。

 (勉強なさいませ)

 
 
 
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プロセスについて(終業式生徒配布資料)

2009年12月22日 04時32分12秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
      プロセスについて

 今日で二学期も終わります。いろいろなことがあって、いろいろなことが過ぎ去っていきました。これもまた貴重な体験でありました。刻(とき)は移ろい、流れていくと言われています。また来年がすぐやってきます。しかし、わたくしたちはその刻の流れの中に埋没してはなりません。刻に呑みこまれてもなりません。宇宙的な絶対の時間には太刀打ちできないのですから。ですから、生身の人間としてあくまで主体的に学び、実践力を身につけていただきたいと思います。
 さて、三年生の進路ではよく頑張っていただいていると思っております。本人の努力は言うまでもなく、ご指導なされた先生方のすばらしい教育的実践にこころから感謝申し上げます。また年明けのセンター試験でも成功を祈ります。
 部活動や、種々の特別活動で活躍された生徒諸君、ご指導下さった先生方にも感謝申し上げます。二つの部活(陸上部 水泳部)の関東大会出場も思い出多きものとなりました。
 こうした活動は、言わば「花」のようなもので、大変に目立つものであります。事実、学校内部におりますと実感が湧かないのですけれども、「花を見ている 花も見ている」の心境のごとく、わたくしたちは、「見られている存在」でもあるわけです。県立銚子に興味関心を示してくださる方々が大変に多く、着実に一歩一歩飛躍を目指して成長しているということを実感しています。
 しかしながら、見られていることばかりを気にすると、それは精神衛生上まことによくありません。ある程度「平気でいる」ことも大切であります。NHKでドラマ「坂の上の雲」が始まりました。あの中で登場してくる正岡子規は、カリエスで瀕死の状態になっておるにもかかわらず、平気でいることを日記に書いています。病牀六尺という作品であります。そしてこの年に亡くなります。死の二日前まで書かれました。
 頭でっかちの理論派であってもむろんそれはそれで結構なことです。知的な体験や教養がなくては、いけません。しかしながら、あまりに狭い視野で、勉強なさってもいかがなものかと思います。要するに自然に勉強なされませ。作為というのがあってもなりません。作為が目立つといやらしくなります。言いたいことは、自分の正面の課題をきちんとこなして、その努力のプロセスを大事にしていただきたいのです。世の中にはたくさんの「プロ」と呼ばれる仕事があります。その「プロ」とは「プロセス」の「プロ」だと教えていただいたことがありました。もっと言えば、プロとは自己の能力について絶望の経験を繰り返してきた人のことだとも。絶望するくらいですから、自分の中に中心軸があるわけです。いろいろな挫折経験もあるかもしれません。そのときは、そのとき。けっしてめげることなく、現在いまここで、瞬間を生きている、まさに正岡子規のようにプロセスを生きていると思っていだたきたいと思います。
 努力はあなたを裏切りません。
あなたの中軸にある絶えざる向上心があなたの成長を促します。考えてみればこれはたいへんにありがたいことです。保護者の方々のお支えがあってこそ可能なわけであります。簡単に言えば、働かなくても勉強さえしていればよいということですから。ですから、この高校生の時期というのは、人生の基礎を学ぶことになるわけです。こんなに幸せなことはありません。保護者の方々にも、周囲の方々にも感謝いたしましょう。
 感謝は、優しいこころを生み出します。優しいという字の「優」は、人に憂うと書きます。常に人に与えて、自分が最後にもらうのが「優」であります。感謝に通じると思っています。また、本当の優しさとは、しっかりとしたこころ構えのある人だけと、ラ・ロシュフコーも言っています。
 最後に、毎回のように言っています。そうです。吉田松陰先生のことです。先生は、松下村塾で「勉強なさりませ」と生徒達を励ましたそうですが、わたくしも申し上げたい。
「努めなさりませ」「励みなさりませ」と。
(平成二十一年 二学期終業式     外山日出男)

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元気をいただいて

2009年12月21日 19時50分53秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 このところの寒さは、なんということでありましょうか。

 一昨日の土曜日に柔道教室で稽古させていただいたのですが、寒くてお話になりませんでした。わらってしまいました。ちびっこたちの元気さにかなわんわけですから。

 しかし、元気です。なんというパワーの持ち主でしょうか。細胞が若いということです。60近い人間が、小学生に元気をいただいておりまする。感謝、感謝。

 もう一つわらったのは、4メートルも雪が積もっている中をそれこそ潜りながら高校の柔道場まで行ったのに、あの忍耐はなんだったのだということです。環境に慣れてしまったのですね。千葉県はあったかいですから。

 紀州犬の散歩も朝晩つらくなってきました。

 我が家のわんこも、15歳。主従共々のろりのろりと歩いています。今朝の散歩なんか非常につらそうでした。

 ☆

 実は、毎朝、コンピュータに本校生徒の情報を収集させています。自動的にです。そうしたら、全校集会で檄を飛ばしたわたくしのスピーチに即刻反応した男子生徒がおりました。

 よく聞いてくれています。

 さらに、よく考えてくれています。

 ありがたい限りであります。

 

 寒い中、生徒たちにパワーをいただいたような気がしました。

 また明日!

 


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生徒会役員認証式、授賞式、全校集会

2009年12月18日 21時36分35秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日は生徒会役員認証式、授賞式、全校集会と矢継ぎ早でありました。

 生徒会役員認証式では、男子生徒の奮起を促しました。会長がまだいませんから。おのこたちよ!なにをしてるんですか!ということであります。

 ちょっと酷かなと思いましたが。自分自身、高校の生徒会役員に立候補して何度も落選しましたから。ほんとは、やってみたかったのですが、なかなかその辺はシビアでした。過ぎ去ったいい思い出です。同級生たちはその器に非ずと判断したのでした。そのとおりですから文句も言えませんでした。だいいち、あらゆる弁論大会にしゃしゃり出てきていたのですから、生意気も甚だしい高校生でありました。

 そういえば、この春に米沢東高校に行かせていただいたときに、その学校に生徒会役員選挙でいっしょにやった男が社会科の先生でいました。まったくの同じクラスですから、懐かしくて、懐かしくて。高校の一年先輩で同校校長先生のご配慮で、校長室でお会いすることができました。PTA会長さんも、わたくしの同級生。参りましたっけ。周囲の人たちは実に優秀でしたから、みなご活躍なされている。いいものです。実にいいものです。ある時期を同じ校舎で共に過ごさせていただいたことは。


 授賞式ではたくさんの賞状をお渡しすることができました。
 たいしたものです。生徒諸君の大活躍ぶりに、一人で感動しておりました。
 文武一貫。これぞ県銚。
 しかしながら、いつも自分で笑ってしまうのが、英語の賞状であります。
 東北弁でたどたどしく読み上げるのですが、これもまたご愛敬。唯一心配しているのが、生徒への悪影響。わたくしのまねをしないでくださいね。可能ならば発音、アクセントの正確な方に代読していただきたいのですが。苦手分野ですからね。

 発音といえば、どうも東北人特有のクチの重さがあります。すらすらと立て板に水というわけにはいきません。第一、二重三重の言語環境にあって混乱ばかりしています。もっとも安心できるのが、育ての親ともお慕いした伯母。生きていれば90歳をはるかに過ぎている。二人でいるとまったく方言だらけ。家の者も、そばにいて何を話しているのかまったく理解できませんでした。こころやすく、会話がなりたったものでした。早くに実母を亡くしたものですから、この伯母との会話が楽しみでなりませんでした。

 

 今日は、特別に、交通事故のことを話させていただきました。新聞に出た学校がありましたので。

 終業式まで待てませんでした。

 生徒の命を大切に思うからであります。

 ましてや、交通安全の仕事をずっとさせていただいています。こころのあり方も含めて、絶対に保護者の方々や、周囲の方々を悲しませないでほしいと願うからであります。


 命の大切さは何度でも繰り返し訴えたいことの一つであります。しつこくても、しつこくてもです。

 ほんとうにそう思っています。



 また来週!

 
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無言館

2009年12月17日 19時22分37秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
戦没画学生慰霊美術館「無言館」

第二次世界大戦で戦没した、東京美術学校(現東京芸大)などで学んだ学生や、独学の画学生42人の遺作85点ほどを展示している。彼らが愛用したイーゼルや画材、書簡なども収集しており、志半ばにして散った画学生の思いを今に伝え、心を打たれる。(Yahoo観光情報案内から引用)



 無言館という書籍を一昨日入手しました。
 古本チェーンで、です。

 ちょっと手にとって眺めたら、銚子の犬吠灯台を描いた方もあり、実にすばらしい。いい書籍が眠っておりました。誰にも買われずに。

 また、東京芸大を卒業された方で、奥様を残して戦争で亡くなった方の絵もすばらしい。この奥様、77歳。女医をなさっていて、コメントで「あの人が生きていたら、わたくしは平凡な妻であったかもしれません」と、しみじみと語っておられる。

 瞬間的に、レジに走っておりました。もうここで買わないと永遠に良書との出会いはないと思ったからであります。

 その前に、慶応大学の教授中村勝範先生の著作集が埋もれておりましたのでこれも衝動買い。一冊105円。現代の日米関係や、中国等々の関係を実にわかりやすく書いてくださっています。トータル2000円もしない。ただし、重みで困りました。ゆっさゆっさしながら、体を傾けながら、店を出ました。

 しばらく陋屋で読書三昧を気取ることができるというものです。

 無言のままに、静かな刻を過ごします。
 
 わが陋屋にまさか無言館という名前をつけるわけにはいきませんから。それに、世間の塵芥が陋屋にも紛れ込んでいるかもしれませんし。

 

 では、また明日! 


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心のバリアフリー 車椅子バスケットとの出会い

2009年12月17日 05時26分12秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 「心のバリアフリー 車椅子バスケットとの出会い」という演題で、バスケットの千葉ホークスの4名の選手の方々から講演と実技をしていただきました。

 平成21年12月16日(水)の午後であります。全校生徒対象でした。

 車椅子バスケット体験もあり、本校のバスケット部男女32名もご指導いただきました。適宜生徒からの質問も受けながらの講演になりました。

 写真はそのときのものです。

 このような形で人権教育を展開させていただいたことを深謝いたします。かなり生徒たちの心に残ったようです。

 生徒たちも一生懸命拝聴したとのことでした。あるいは、バスケットの実技体験をさせていただきました。

 大切にしたい学校行事の一つであります。

 

 
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交通事故をおこすことなかれ

2009年12月16日 21時15分37秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 どこかの記事で、交通安全がわたくしのライフワークであると書いた記憶があります。

 事実、これまでほんとうにいろいろなことがありましたが故に、生徒の命を奪う交通事故は忌み嫌うべきものと感じております。

 今日は、スタントマンによる交通事故再現の学校研修会に参加させていただきました。船橋の方の高校でした。役員もやらせていただいておりますので、出席をしなくてはなりません。

 実際にクルマにぶつかって倒れるということを見たのです。
 当該高校の生徒たちは悲鳴をあげておりました。
 
 交差点とか、一時停止違反とか、いろいろな場面を設定して安全意識を高めていくわけです。

 こういう仕事をさせていただいて、ほんとうに勉強になります。

 生徒の命を奪う交通事故は許せません。

 わたくしも35年間無事故無違反であります。

 
 そして、教え子で亡くなっていった方々もいる。確かにいる。まことに残念であります。このギャップがどうしても残念でなりませぬ。

 保護者の方にいただいた命であります。もっと言えば、天から与えられた命を粗末にすることはないのであります。
 
 命は役立ててこそであります。

 ですから、実に尊い仕事をさせていただいておると自負しているのです。

 しかしながら、どんなにクチすっぱく言っても、ダメなときはダメ。

 本当にがっかりするときもあります。

 若いときは気が付かないのでありましょう。

 あるいは、自暴自棄に陥って、命を粗末にする。してしまう。
 
 涙が出ます。

 交通事故の話を新聞等で見るにつけ、読むにつけ。


 今朝、高校生のからむ死亡事故があったようです。実に涙を禁じ得ません。若い身空でなんで死ぬことがありましょうや。

 まだまだこれからの人生です。

 それを思うと、保護者の方々の哀しみも、級友たちの嘆きも聞こえて来そうです。
 
 せめて、県銚生よ!一隅を照らせではありませんが、交通事故をおこすことなかれと言いたい。


 また明日。

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柳に雪折れなし

2009年12月15日 04時26分49秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 柳に雪折れなしとはよく言われます。

 まさに、柳の木は弱いようで強く、実に打たれ強いとも。

 ある本を読んでいましたら、「柳は吹く風に逆らわず、なるようになり、ならぬようになり・・・・」という文章に目が止まりました。

 固い木のままだと、強い風ですぐにポキリと折れてしまいます。

 だから柳になっていれば、耐えられるわけです。吹く風のままに、しなしなと。

 この部分は、いつも持ち歩いているノートに抜き書きをしました。



 昨日の新潟大学合格で、ふと柳の木を思い出したからです。
 
 剛力一辺倒で、勉強していてもなかなか成果は上がらないと思っていました。こういうことは体験からしか言えないのがまどろっこしいのですが。まさに「しなしな」と勉強なされませと言いたいのです。

 現実的には、いろんなことがあると思います。高校生活も中学校の生活も。いろんなことがあって当たり前です。全て面倒なことから逃げることからは、なにも得るものがありません。トラブルは自己を向上させてくれますし。

 世間の荒波の中で揉まれている生徒もいるかもしれません。いわゆる苦学生というものです。これも、わたくしは苦学生体験をしたから言っているのですが、しなしなと受け流しながら、苦労を苦労と思わずにやることです。

 今となっては、10代の後半にさせていただいた苦学体験が財産です。鬼のような方もおられました。水をぶっかけられたこともありました。人を人と思わぬ根性にあきれかえりました。かわいそうな方々でした。差別しているのにそれに気が付かないわけですからね。そういうときに、人間の素性・根性がよくわかります。潜在意識がすっと表面に出てくるのです。日ごろから考えているから行動に出ます。これは本当にそうであります。その時に、人間の真価がよくわかります。程度もです。

 わたくしのように、それをあんまり早い時期にむりやり知らされるのもこれまたいかがなものかと思います。

 しかし、金が無いからと言って、進路を諦めることはないですよ。

 なんとでもできるのです。奨学制度があります。何種類か。先生方に聞いてみてください。

 わたくしが良い例です。受験料すらなくても、なんとかなってしまいました。教員にもなることができました。

 柳のように、しなしなと生きてきたからだと、今は思っております。

 また明日!







 
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二人目の国立大学合格

2009年12月14日 18時34分43秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今朝の打ち合わせの後、国立新潟大学法学部に男子一名現役合格を果たしましたとのご連絡をいただきました。

 思わず、学年主任の先生と握手をしてしまいました。うれしくて、うれしくて。

 実りました。
 
 合格した男子生徒本人のたゆまぬ努力が。さらに、現在の3学年の先生方を中心とする全員の先生方の努力も。彼は、運動部のキャプテン(野球部)でもあったし、まさに文武一貫。二学期になってからも、毎日放課後、教室で自学自習。

 美しい姿でありました。
 勉強も、運動も偏するのはよくありません。
 バランスのとれた人間になりたいものです。
 そういうことを、本当にクチやかましく在校生諸君には言ってきました。

 将来は法科大学院に進学して、法曹を目指したいとのことです。楽しみです。本校始まって以来の弁護士の誕生になりますかな?

 国立新潟大学というと、米沢出身のわたくしの高校でも憧れの大学でありました。すばらしいものであります。

 快挙!


 心底喜んでおります。


 では、また明日!




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職員研修として

2009年12月11日 21時17分59秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日は本校カウンセラーのI先生に職員研修として、うつのことを講義いただきました。

 最近はこういう方面のことに興味関心があり、まことに勉強になりました。まだまだカウンセリングの基礎も不勉強であります。到底専門家にはおよびもつかないのではありますが、重要な分野であることは事実です。自分なりに勉強させていただいております。しかも、狭い範囲です。論理療法中心(アルバート・エリス 国分康隆先生)です。文献を読ませていただいているだけですから、専門的な実習も経験したわけではありません。必要だからということで、細々と勉強してまいりました。

 しかしながら、当然すぎることですが、この分野は非常に重要であると思っております。

 心技体と武道でよくいいますが、まさに心の問題こそが、根源的なものだと意識するからです。

 自分自身の生き方についても、こういう分野は実に有用でありました。教師としての迷いや、自信喪失、武道人としての不満足。いろいろな心の右往左往があるからです。一直線に自信満々で生きることができる方はそれでいいのでしょうけれども、所詮人間は風にそよぐ葦であります。弱い部分も必ずあります。そのときに、どう対応できるかということが、教育であります。正解はないのかもしれませんが。

 虚勢を張って生きることができる方は、それはそれでいいのでしょう。しかしながら、必ずぽっきり折れる時もあります。表面に出さないだけかもしれません。そういう時にあたたかく接することができる教員でありたいものです。

 その一瞬のために勉強することもあるわけです。

 かつて、ある生徒に「なんのために生きるのか?」と問われて、わたくしはまったく立ち往生してしまったことがありました。若干23歳。

 人生経験も乏しく、社会体験もない。教師としてもまだまだ未熟でありました。もっと言えば人間として、まったくの未熟者。人格的な高邁な精神もなく(今も下劣なる根性であります)、ただただ夢中で教育実践に邁進していた時期でありました。自分の専門分野の勉強に忙しく、余裕もありませんでした。鼻持ちならん実に生意気な教員でもありましたし。うぬぼれておったわけです。

 そんな若造の教員にこのような哲学的な対話に耐えられるわけもありませんでした。本当に恥ずかしいかぎりであります。古今東西の万巻の書物を読んだわけでもありませんし、60近くなってもまだまだ満足できる読書体験もありませぬ。

 ですから、非常に高等な哲学的な問いに対して、自問自答を繰り返しながら、古今東西の古典とともに考えてきたわたくしなりの命題であると最近は思っています。

 生徒たちの問いこそが、真の意味での財産であります。このような問いを与えてくださった生徒に今は感謝しております。

 教員としての勉強の必然性がここにあると思った次第です。非常に重要なる必然性であります。


 在校生諸君も期末試験ですから勉強なさいませ。こちらは、目先の必然性であります。成績は現実と直結しますからね。あまり考えなくてもいい分野ですから。それくらいでないと、現実的にはいけません。


 では、また来週!

  
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/