台風が来ていますが、小さい子どもの通っている学校はどうなるんでしょう。
関係者はご心配でしょうね。
どうか、怪我の無いように一日お過ごしください。
最近はHPとかで連絡しているんですかね。
よくわかりませんが。
たいへんなものであります。
頑張ってください。
台風が来ていますが、小さい子どもの通っている学校はどうなるんでしょう。
関係者はご心配でしょうね。
どうか、怪我の無いように一日お過ごしください。
最近はHPとかで連絡しているんですかね。
よくわかりませんが。
たいへんなものであります。
頑張ってください。
宮本常一先生のつながりで、網野善彦先生の著作集を読んでいる。今日は第8巻の「中世の民衆像」っていう本を、断片メモをとりながらである。部分コピーもしながらである。
「つながり」というのは、記憶法のコツだそうだが、然りである。
みんなつながっているんだなぁと思う。
そうして、アタマを鍛えていくんですなぁ。
まさか、頭突きをやってアタマを鍛えているとは、言えないし、言わない。
(^0^)
レンタルビデオからNHK大河ドラマ太平記を借りた。
1991年の放映だったそうである。
愚生は、そのころは教育実践で無我夢中であったから、大河ドラマを見ている
時間がなかった。だから見ていないのである。
今は中世文学をやっているから、ちょっと軽い気持ちで見始めたら
これがまぁ
なんとも面白いではないか。
師匠に、NHKの時代考証の正確さを教えていただいていたので、
単なるドラマとして見るよりも、中世芸能の様子を見ることができた。これはいい。
白拍子にもかなり関心があるので、宮沢りえさんの演じる白拍子にも実にこころ
惹かれた。能の百萬にも白拍子は出てくるし。百萬は能に入るきっかけとなったものでもあるし。
いいものである。
視点を違えて見ることができるようになったのである。
それだけ大人になったのかな?
と、思ったら、もうじーさんになっちまっているではないか。
(´・д・`)
昨日も、夜遅くまで読書をしていたのですが、すっきりと目覚めました。
12月2日、8日と学術発表に決定したことがよほど嬉しかったのでありましょう。
(^0^)
これからもっと多忙になるのですが、シナリオを書いてみたり、国文学徒らしい
底本の検討をしていかなくてはなりません。
ただし、他の方々の論文とか、参考文献はコピーをとってありますから、用意は
万全です。
後は、ひたすら原稿書き。
コンピュータともにらめっこ。
楽しい老後であります。
こんな人生があろうとは。
アハハ
柔道をやっている。
これが、研究生活の邪魔をしているのかもしれないという危惧はずっとあったのだけど。
正直、師匠にもそのことについて、申し上げたことがある。
研究生活というにはおこがましいが、そういうライフスタイルに憧れているんで、珍しく
悩んだというわけである。
ところがである。
もう一人のクラスメイトに、静かに森鷗外の話を始められたのである。
彼女の研究テーマである。
そこでいかな鈍感な愚生でも、はっとなった。
鷗外先生に比べたら、オレなんかホンマに微々たるもんじゃんかということである。
マルチに活躍された希有の方である。鷗外先生は。
軍医で、文学者ですぞ!
オレなんか、自己を規定するモノはなんもない。
年金生活者っていうだけではないか。
笑っちまうなぁ。
なにをかいわんやである。
(^0^)/ウフフである。
身体論は、修士のときに、いろいろ考えたのである。
どっかで、文武両立みたいなものに憧れていたからである。
今でもそうであるが。
どうしても、オレは稽古してからの方が、集中できるような気がするのである。
これはそういう性癖であるとしか言いようがない。
柔道も、学問も中途半端である。
それはわかっている。おおいにわかっている。朝から晩まで、勉強しなくてはならんということもよくわかっておるんだが。
どーも、そこがオレの中途半端なライフスタイルなんだろうなぁと思う。
ハレ・・・1000字近くなってきた。
後は、明日書きます。
お休みなさいませ。
塾のアルバイトは通常1コマしかやっていないのですが、今日は2コマやりました。
突然言われたので、ジムに行くのを断念してかわいい生徒たちと一緒に勉強です。
週に2回、合計で3時間くらいしかいないので、生徒達にどうやって生活しているんですか?
と聞かれてしまいます。
心配なんでしょう、愚生の暮らしぶりが。
(^0^)
ありがたいかぎりです。
それにしても、熱心な塾です。たいしたものであります。定期テストがちかいからです。
公立学校さん!
うかうかしてちゃいかんでっせ。
みんな頑張ってくださいませ・・・・
12月8日(土)に龍谷大学大宮キャンパスで10:00から20:30まで、日本仏教心理学会が開催されます。
愚生の「中世日本農民芸能源流考私論 宿神論の視点から」を、学術発表するようにと今日の夕べに連絡を
いただきました。
いよいよであります。他流試合であります。
何を言われるかかなり心配でありますが、やるっきゃないですなぁ。
もっとも試合慣れはしておりますが、ね。(^0^)
柔道で。
なにしろ学会というのは初体験ですから。
教育関係ではいろいろとやってきたのですが、ちょっと違いますからねぇ。
この分野では、やったことないので。
また関西に行きます。
どうせ時間だけはたっぷりありますから、原稿書きと調べ物をしなくちゃなりません。
ま、愚生は厳しいご指導には慣れておりますから、なんともないのですが、武蔵野大学や城西国際大学、
あるいはご指導いただいた先生方にご迷惑だけはかけてはならぬと思っております。
これで今年の目標は一つだけですが、達成できました。
後は、この12月の週にもう一本研究発表をしなくてはなりません。12月の2日で、こっちは千葉市。
やりたいことばかりやっていますけど、自分から望んだことですからね。
良かった、良かった。
剣客商売という藤田まことさん主演のいい時代劇があった。
池波正太郎の作品から入っていって、全巻読破してしまったのだが。
父と息子の剣客としてのあたたかい交流が好きで、ある意味教育にも直結しているような気がしたものである。
このことは愚生が柔道をやっているからかもしれない。だから、なんとなく身につまされると
いうものがあるんだろう。
それよりも、剣客というのは、無明を生きているなぁと思わされるからである。
剣の勝負にあけくれて、とうとう命まで失い、それでもかまわないというのが、池波文学の骨子なのであろう。
それでこそあっぱれな生き方なのかもしれない。
一瞬に生き、一瞬に死ぬのだ。
レンタルビデオというのを生まれてはじめて利用した。そこで、DVDを初めて借りたのである。その安さに
びっくりした。100円ショップよりも安いではないかぃのぉ。今まで、購入して視聴したりしていたから、
なんという無駄カネを使ったのだろうかと思った。
ひとつ笑ったことがある。
オイラは、箱をただ持っていけば、DVDを貸してくださるのかと思っていたから、レジに箱を持っていったのである。
そしたら、空箱はレンタル中でございますと言われた。
?
あ、そうか。そういうことか。中身だけを持って行ってカネを払うんだと、生まれて初めて知ったのである。
遅れているなぁ・・・・・・・・・・・
(^0^)
古いビデオからDVDにそれまで撮りためた映像を、すでに移行してあるんだが、今日はそのうちの一本をBDにさらに移行をしてみた。結果が良かったら、全部やってみるつもりである。オレが死んだら、やるやつはいないだろうからなぁ。もっとも明日死んだらしょうも無いから、急いでやろうっと。(^-^)/
DVDを再生しながら、コンピュータ上で録画して保存して、何本もあるビデオをBDにまとめられないかと思ったのである。そして、それぞれ一本はヨメになって出ていった長女にあげることにしている。孫がそれを見て、自分の母(長女)をどう思うかというのが楽しみなんである。
今日は近所の小学校で運動会じゃ。天気を心配しておったんだが、保護者の方々が焦って出かけていった。老いたワンコと、散歩している老いた愚生を追い抜いて。ワンコが噛みついたらしょうもないから、道ばたによけていたが。
それで、冒頭の作業を思いついたのである。平成2年からのがたくさんある。気が遠くなりますなぁ(^0^)
大衆日報に掲載していただきました・大衆日報、今日の朝刊に掲載していただきました。ほんとうに、お世話になっております。これで、銚子市内のご家庭に本校のことが、それこそディスクロージャーされるわけであります。やは...
gooが新しいサービスを始めました。
一年前にこんなことを、あーたは書いたのですよというもの。
こりゃ面白いですね。
懐かしや!
大衆日報様。
いいな、若人は。
夢を持ってオオイニ羽ばたかれるがよろしい。
今日、講義が終わった後に、博士を目指している少壮女性研究者と立ち話。
夢があっていいですなぁって申し上げたら、と~まだってそうでしょう?と
言われた。
無い無いのです。夢は無い。
本当になんかになってやろうというのは無いし、今更、もういいのです。
最初なかなかわかってくれませんでしたが、物語を拾ったり、作ったり
駄文を書いてあちこち発表したり、そういうことを語ってくださる方の
ところに遊びに行ったり、そうやって余生を過ごしたいと言いましたら
なんとかご理解いただいたようでした。
?
余技というか、ま、自慢にもならん話ですわなぁ・・・・・・・・・
「見知らぬ在所へ嫁に行く」なる短文を読んで感心した。
宮本常一先生の著作集30巻「民俗のふるさと」のp.135である。
結婚のしかたであった。
愛知県の山中である。場所も特定されているのだが、それは宮本先生の同書を参考にされたい。
80をこした老婆から聞いた話である。
一度嫁に行ったが、相手の男と気も肌も合わないのでわかれて家で働いていたのだそうである。
そしたらその村によく来る小商人が、嫁の世話をするのである。
「あんた、出戻りなら嫁の苦労は知っておろう。一つ嫁に行ってみないか。相手の男はしっかりしてなかなかの働き者だが、その父親が長患いで寝ている。口やかましくて困った者だが、その爺さんはそのうち死ぬだろうから」
というわけである。その言い方がおもしろいのでつい行く気になった。
遠い土地に行ったので、よそ行きの着物を着て、小さい行李を持って行った。
そして、小商人について行って、一緒に台所にいて、新しい亭主の帰りを待っておった。
そしたら、奥で寝ていた新亭主のオヤジ殿が、
「お前お客にきんだじゃなかろう。嫁にきたんじゃろう。嫁なら嫁らしゅう仕事をせぇ。わしは小便したいんじゃ」といきなりきた。
それこそとびあがるほどびっっくりして、シビンを持っていって小便をさせて、台所の片づけをはじめた。つれてきてくれた小商人も肝をつぶして帰っていってしまった。
そのうち亭主が帰ってきた。
「嫁に来たのはおまえか。腹が減ったからめしを食わしてくれ」と、まるで10年もその家にいる者にいうような言葉であった。それで、「ああ、私はこの家の嫁さんなんじゃな」と思ったそうである。
夜になったから亭主が、床を敷いてくれという。蒲団がわからない。聞くと、「お前の気の向くようにしたらええ。女房じゃないか」といった。その晩亭主に抱かれて寝た。10年も夫婦をやっているようであった。
この家にはほんとに私が必要なんだなと思ってそれから身を粉にして働いた。
すぐ死ぬといわれた爺も10数年それから生きた。
その病人が死ぬとき「われにゃえらいお世話になった」といってくれたので、苦労がいっぺんに消し飛んでしまった。
苦労の多い一生であったが、親元が遠いので苦しいからと言って愚痴をこぼしにいく間もなかった。さいわい子どももよくしてくれるので今は極楽です。
以上のように老婆は話してくれたのだそうである。
いい話である。
実によかった。
師匠との楽しい時間が終了しました。
いつもながら、碩学ぶりにしびれております。
愚生の駄文をいろいろと材料にしながら、ご指導をいただくわけです。こんな幸せはない。足りないところ、ここはおかしいというところを、です。ありがたいものであります。中世文学、平家物語、方丈記、徒然草、今物語など古典文学の第一人者です。
こっちの能力がなくて、まことに申し訳なく思います。もっと、もっと勉強ですなぁ。まったくこれじゃぁ話にならんわい。
師匠に申し訳ありませんです。
時間がないながらも、昨夜も宮本常一せんせの著作集を読ませていただいていた。昨夜は、Personal Computerで映像処理をしていたので、BLOGにもなにも書けなくていた。しょうが無いからポメラというテキスト作成専門の機械で、駄文を書いていた。映像処理は待っていれば、機械が自動的にやってくれるから、安心である。
宮本せんせの著作集は未来社版のが全部で50冊くらいあるから、なかなかの分量である。もうかなりあちこち部分コピーをしてきた。ノートも相当とってある。
昨夜は、「庶民の発見」という21巻目の文章を読ませていただいていた。いい文章である。人格が出ている。こういう文章を書いてみたいが、かなりムリですねぇ。慨嘆しているしかない。
p.11に「庶民のねがい 戦争の反省」という部分がある。戦争を教師として体験した宮本せんせならではの珠玉のような文章がある。
「戦の終わったあとわれわれはどのように対処していけばよいかを、今から考えなればいけないと思った」という部分には、その前後も含めて庶民としての生きるための智慧を教えていただいたような気がした。詳しくはこの著作集を読んでいただきたいが、昨今の国際情勢の分析の仕方にも参考になることが書いてあるからである。
p.13には「自らを卑下することをやめよう」という書き出しで、こんなことが書いてある。
「人間が誠実をつくして来たものは、よし間違いがあってもにくしみをもって葬り去ってはならない。あたたかい否定-すなわち信頼を持ってあやまれるものを克服していくべきではなかろうか。私は人間を信じたい」とある。
この文章も最近のニュースで取り上げられている国際紛争を考える上で参考になる文章である。かなり前の文章であるにもかかわらず、今でも輝きを喪ってはいない。
無字社会ということを宮本先生はおおいに研究なされた。頑迷なと批判してくる訳知り顔の新聞記者なんかにも、対決した。ごく一部の農民と接触しただけで、独自のイデオロギーでもって、農民を指導しようとされた一部の似非インテリ集団をである。
ところが、無字社会にあっても、庶民はどっこい生きていた。たくましくである。p.88の「言語生活」という文章は、最近のいじめ問題への対応にも通じるヒントがたくさん隠されている。退職したので、このような問題には触れない。考えて見たい方は、この著作集のp.88を読まれるがよろしい。
それでも一つだけ書く。
それは村の長老の不在ということである。老人は固陋だとよく言われる。愚生もまたおなじようなことを言われる。たしかにそうかもしれない。愚生の場合は。しかしである。全ての老人が固陋であったわけではない。昔からの仕切りを忠実に守ろうとするのは、そうした方が安全であったからである。特に、漁民は経験を大切に扱う。農民もそうである。経験をかなり重視する。
家柄とか、血筋ではなかったのである。技術のすぐれた者、統率力のある者が、村社会のトップに立ったのである。これは現代風のリーダーシップとかなんとかというようなモノと比較しては、失礼となるくらいすばらしいものである。
智慧がある。村の長老たちには。
無字社会であっても、それらの方々は、どうやって生きるかの智慧を持っていたと思うのである。そうした智慧を、愚生ならば聞きにいく。酒を持って、そしてささやかなつまみを持って。「やぁ。。。。世間話をしてくださいな」でいいのだ。たいていは隠居されている。そして最初が肝心である。絶対に、背広にネクタイではいかんのである。紋付き羽織袴で、エリート面をして行ったって、ダレもこころは開かない。
世間で生きていくには、長老の智慧を拝借するにしくは無い。勘違いをしていた部分もかなり多くあるからである。できればいろりがあるほうがいい。いろり端で、茶碗酒でも呑みながら、ずっと世間話をさせていただく。愚生の田舎では、こうした風景が日常的にあった。午後のひとときを祖母の近所の、じじばばたちがお茶を飲みながら雑談に興じていたのである。ワキに座ってその話を聞くのも楽しみであった。夕方までずっと雑談をしているのである。たまには夕方に茶碗酒になって顔を真っ赤にしていたじっちゃまもいたっけなぁ。
生きていないだろうなぁ。当たり前か。その時のじじばばたちと同い年になっているんだから。こっちが。でも、会ってみたいよ。最近の教育問題についてなんて言ってね。雑談だからなんぼでも、参考になるヒントがあるだろうから。陸軍で満州に抑留されていたある老人は、なかなか教育問題に深い知識を持っていたっけ。上杉鷹山のこともよく知っていて、論語もそらんじていたっけなぁ。なかなかオッカナイじーさまで、あまり近寄らないようにしていたんだけど、なかなか愚生のようなひねくれた幼児をのせることがうまかった。おだて方がである。
じーさまの口癖をまねて、論語の文章を暗唱してみせたら、実に褒めてくれたっけ。うれしくて、ますます暗唱にチャレンジしていったなぁ。
そういう長老に育ててもらったようなものでしたな。
今は、そういう方がおられない。アドバイスを求める気も無いようであるし。もったいないと思う。庶民の智慧がいくらでもあったからである。
さ、これから隠棲室に行きます。今日は昨日塾に行かなかったから、夜に勤務シフトをした。またまた若い人との接点を持つことができる。楽しみ、楽しみ。
じゃぁ・・・・行ってきます。
午後から哲学者の小川仁志せんせの映像教材を見ていました。90分。よくまぁこういう教材を作っていただいたものであります。こういう尊い実践があるから、愚生のような素人でも、読む気になるというものであります。ありがたいものであります。
概論的なものも決してバカにしてはならないと思っているからです。
映像ではいるとこれまた実にいいものであります。