3年間、毎日10時間以上も縮こまって論文書きをしていて
論文とブログの文章は違うと昨日書いた。まさにそのとおりである。論文のようにブログを書いていたら続かない。大月某センセの文章だって人のことは云えない。会話体で、モーレツである。なにしろ文藝春秋社で、編集者をぶっ飛ばしたという噂のある御仁である。ふむ、いけないというのは、ワルクチの対象になった某女流作家が、ブログのような小説を書いていたということが第一の理由なのである。これは私でもそう思う。ブログの延長上に小説を書いていたのだ。しかも、直木賞候補にもなった。プール付の豪邸にまで住んでいる。さらに、大月某センセの取り巻きが某女流作家の突撃取材まで試みている。転居先の家の写真まで無断で撮っている。これじゃぁ、書名を明らかにするわけにはいかない。トラブルがあったようだからである。大月某センセと某女流作家センセに。
あ、一行空きをしてしまった。これも大月某センセには気に入らないということだが、所詮ブログの文章である。思いつきを書いているだけである。だから許されよ。
思いつきと云えば、このブログもいろいろな方が存在を知っておられるようである。郷土史の先生方にも云われた。在籍大学の方々ももしかしたら知っておられるのかもしれない。大学院の方から、メールもいただいたことがある。働きながら学んでおられる中年の男性の方である。これまで、大学通信教育であちこちと学んできたので、そちらの方々とは交流がある。連絡もしあっている。生涯学習というカテゴリまであるのだ。ブログの世界には。全国の知人友人とのつながりがあるのである。本当である。
時々、こんなブログなんてやめっちまうかと思ったこともある。しかし、もう遅い。やっちまったことはしょうがない。そもそも、仕事をしていたときからブログを活用してきたから、本当にもう遅いのである。いまさら、隠そうとしても全部バレバレである。もっとも、隠すべきところは隠しているけど。マジに。
しからば、何故仕事をしている時にブログをやったか。それは、勤務していた学校を広報したいと思ったからであった。勤務していた学校をなんとしても再建したいというのがあったから、学校経営者としてなにを考え、どのような方向にもっていきたいのかということを明らかにしたかったからである。授業を動画で公開したこともある。全国初の試みであったのではないか。全職員の協力があったからできたのである。もう退職したので、これ以上は書かない。その高校が順調に発展していることだけが、余生の楽しみであるだけである。
この広報と云うことは、福沢諭吉翁が典型的である。慶應義塾は、福沢翁がまさにジャーナリストであったから、世間に知られるようになったのである。最高責任者が、積極的に文章を書いて、広報をしていたからである。これは強い。他の大学の創始者は、福沢諭吉翁に比べるとインパクトがない。どうだろうか。東京では、福沢諭吉翁のみ。京都では同志社の新島襄だけである。
それもこれも私の書いているものである。大したことではない。所詮思いつきで書いているだけである。
論文ではないから、根拠を必要としない。気楽に書ける。それに生涯学習というタイトルでのブログもいつまで書いていられるか。在籍大学を去ったら、どうなるのかはわからない。来年のことはまったく予定がたっていない。また進学でもしようかなと配偶者に相談したら一蹴されてしまった。好きなことばかりやっていて、もういい加減にしなさいよ!という叱責である。わかるような気がする。そういう怒りは。
怒りのもとは、学費にいくらかかっているんだということである。このドーラク・ジジイメ!ということである。納得しているけど。(^_^)
生涯学習ではなくて、生涯健康学習でもいい。これからの私は、健康で生きていきたいからである。
本当に、生きているから学習だって可能になるのである。健康でなくちゃ、なにをやっても意味がない
3年間、毎日10時間以上も縮こまって論文書きをしていて、事実健康を損なってしまったから、余計そう思うのである。
マジに。
(^_^)ノ””””