坂本冬美『また君に恋してる』🎤 アメリカ空軍音楽隊 "Pacific Trends"
雨が降っている。GWなのにかわいそうである。出かけている方々に関しては。いろいろとタノシイことにチャレンジされているのかもしれない。家族がいたらそうだろう。
ボキンチにも孫2人がやってきた。今日には帰る予定だ。ワンコがくっついてきたからだ。中型犬である。室内犬であるから、ボキンチではダメである。つまり、ボキンチでは玄関でデカイかごに入れられている。朝早く起き出したボキにかわいい声で鳴いていた。ボキは書庫に閉じこもった。基本的にワンコが大好きだからである。かわいそうになってしまった。雨が降っているので、ソトに出せないと長女が言っていたからである。
これじゃぁ、ストレスで早死にしちまうぜと思った。思ったが、こりゃぁボキのことも当てはまるではないか。
ソトにも出かけられない。家の中に閉じこもっていたらストレスになる。ストレスは良くない。早死の原因になっちまう。
これって、まだ仕事の現役だったらいくらでもストレス解消法はあるかもしれない。仕事がストレス解消法になるかもしれないからだ。
主婦なら、いくらでもやることがある。でも男はダメだ。なぜか。そういう文化が日本を支配しているからである。
ボキの中学生の時は、技術家庭という勉強があった。それで家庭科の勉強をさせてもらえなかった。それを言っているのである。男は、掃除洗濯炊事を勉強させてもらえなかった。だから、いつまでもダメなのである。
ただし、亡母が小学校の先生だったから、掃除洗濯炊事等々のことはシロウトながら出来たのであるが。亡母が家に帰ってくるまで、弟や亡父に早めの夕食なんか作っていたのである。しかし、家人に言わせると基本がなっていないのだそうな(^0^)。だからやれないのである。トホホ。あ、人間は褒めて育てなくちゃアカンですなぁ。マジにそう思うからだ。
結論から言うと、女が家庭の基礎・土台である。
「始」という字は、おんなへんに台と書く。まさに言い得て妙である。女が台をなしているのである。台になっているのだ。家庭の台である。これをもっと考えなくちゃアカン。
男は、ソトに出て稼いでくれば良しである。狩猟時代からそうだったではないか。獲物を獲得してそれを持ち帰ってきた。そういう文化でもって、成り立っていた。
それが逆転するのが、定年で退職した時からである。
なにもすることが無くなってからである。これは現役時代には考えもしなかったことであろう。自分で老後の人生設計はしていかなくちゃならないからだ。
ボキは、バイトだが7つやっている。こういう人生設計を初めから持っていたわけではない。
成り行きである。なんとなくこうなっちまったのだ。頼まれごとは拒否しない。困っている方を助ける。ただし、カネはダメだという考えからジジイ生活を送っていたらこうなっちまった。むろん再雇用もさせてもらえなかった。長男が嫌がったから、申し出なかったのである。
退職後ただちにやったのは、某大学大学院博士課程に入学したこと、学習塾の講師になったこと、別の大学で非常勤講師になったことである。これが老後の基本になった。今はさらに増えている。増えたのが4つで、合計7つである。むろん年間数回のレベルも含まれているが。
これが良かったのかもしれない。やることがたくさんあるからだ。
しかも成果を求められていない。あ、論文書きでは成果を求められたけどねぇ。結局ダメだったけど。
好きなことをやらせていただいている。それで良しである。嫌いなことをやっていたらそれこそストレスになるからだ。
わははははっはははっははははっははははははっはははは。
BYE-BYE!
ボキ、これ全部やってますねぇ。
充実したジジイ生活であります。
(^0^)
老後 シニア65歳、 正直何をしたら良いかが 分からない 生き甲斐を見つけるには
恋のバカンス 🎤 アメリカ空軍音楽隊 "Pacific Trends"
今日は隣県に住んでいる孫二人が来る。どこにも行くところがないジイジを憐れに思って、だ。ありがたいものである。もっとも、こっちのジイジはGWだろうがなんだろうが、世間様とはまるっきり関係ないからだが(^0^)。
毎日がGWだしなぁ。今日が何曜日だかもわからんのだから。
孫たちが帰ってきたら、九十九里浜のおいしい刺身でも用意して一緒に食事である。それがなによりのタノシミである。血縁関係というと、これしかないから、ボキには。それも死んじゃったらそれでオシマイ。長男の家には仏壇を作って欲しいとリクエストしてあるけど。
今住んでいる家だって、永遠にはモタナイ。崩れ落ちる日は確実にやってくるだろう。屋根から、柱から。書庫だって、あっという間に消滅してしまうだろう。もっとも、これで喰ってきたのだから感謝しているけど。
そんなものである。そんなもの。永遠に続くもんなんかないのだよん。すべてがそうである。だから無常なのである。それを前提に生きていないとアホ丸出しになる。ただのバカジイジでしかない。もっとも、バカはバカでそれでも平気で生きてきたけどねぇ、こっちのバカジイジは。
今朝は、NHKのラジオ英会話講座がいつもどおりあると錯覚して、デスクトップパソコンの前に座った。そして、あっと気がついた。再放送だった。GW中は、ラジオ講座も休憩していたのだ。もっとも、この講座は、ラジオ録音のソフトを買ってあるから心配なかったのだが。
習慣というのは恐ろしいものである。なんとなく座ってしまう。ラジオ講座を聴くためである。
もっともそれでもって惚け防止になっているのだと思うと、感謝極まりない。モノになっていないから。英語をはじめとして、中国語も会話ができないし。貧乏海外旅行に行ったときは、もともとチャレンジ精神に富んでいるから会話をしてみるけど。メチャクチャでも良い。チャレンジであると思っているので。それで少しでも通じると大きな喜びになるからである。
ことしはまだ貧乏海外旅行に行っていない。来月行く予定だったが、中止した。ゼニも回収した。一ヶ月前なら変更できるからである。用事ができたからである。
もっとも、旅行に行くときにはこんなブログには書いちゃいけないそうである。ドロボーが来るからだそうな。ボキも、絶対にそんなことは書かない。行ってから、帰ってきてから記事をアップしている。
知人に、SNSが大好きなやはりオジィーチャンがいて、彼氏は警備保障会社のなんとかというサービス(アルソックのホームサービス?)に入っている。独身だから、留守が心配なんだろう。だったら、SNSなんかにアップしていないで勝手に行ってくれば良いのにと思っていた。いたからLineなんかにアップしていないで、黙って行けば良いのにとアドバイスしてあげた。しかし、言うことを聞かない。自慢したいからだろう(^0^)。
それにしても進んでいるジイジが多くなっているなぁと思う。
ボキもそういうジイジになりたい。
わはははっははっははははっはははっははははっはははっははは。
BYE-BYE!
【武田邦彦】冷酷だけど正論!2020年までにコレを知らないと『悲惨な老後』を迎える…現代の日本社会に潜むホントの話【人生の極】
図書館にいた。午前中である。受験生らしき方々が多かった。
ボキは、やることがないから図書館にいたのだ。それに行くところもない。ゼニもない。髪の毛もない。なんにもない。行けるところは図書館のみ。開館してくださっているだけありがたいもんである。
それで山折哲雄先生の本を読んでいた。読書カードをとりながらである。カード式読書法は、20代のころからやっているから慣れたもんである。エッセンスがアタマに入ってくるような気がするからだ。もっとも、ボキは劣等生である。そうやって手を動かしていないと、知識の再現性がまったくないからだ。ドンドン忘れていくからだ。
情けない。
そこで読書に飽きたから、館内を徘徊していた。人間学というコーナーにさしかかった。これは、懐かしい。そうなんである。ボキの修士がこれだからだ。修士(人間学)と書いてあるからだ。
そこではっとなった。なんと山折哲雄先生の著書が、その人間学コーナーに鎮座ましましていたのである。山折哲雄先生は、東北大学のインド哲学を出た俊秀で、しかも大学院の博士も出ておられるのだ。てっきり宗教学者と分類されるのだだろうと勝手に思っていた。そしたら、図書館職員は人間学という分類をしていたのだ。
むろん、宗教学コーナーにも先生の本はあった。かなりの著書があるから、こっちの方が探しやすいという配慮なんだろうかと思った。どっちにしてもありがたいことである。
先日、6番目のバイトで任命書なるものをいただいた。二年間の期限付きである。詳しい説明を受けた。法律の条文も見せていただいた。そしてそれがびっくりしたことに、学識経験者という条件付きだった。あっと思った。これは二年後に逃げ出さないとアカンと。
ボキのような庶民がやるようなバイトではない。明らかに、やっちゃいけねぇことである。能力がないではないか。
最終学歴は大学院中退である。なんのつもりでやっているのだろうと笑われてしまうではないか。
困っているヒトがいたら、お助けするのがポリシーだとしても、ちょっとこりゃやり過ぎだった。
これからは、おとなしくして生きていくつもりである。邪魔をしないで。それで良しである。ボキごときアホの生きる道はそれしかない。
黙っていれば、アホがバレナイからなぁ。
わはははははははははははははっははははっはははははっはは。
午後はまたアチコチ歩いてくる。これもまた山折哲雄先生に教えていただいたことである。歩く。歩くことがボキの生き甲斐でもあるから。
BYE-BYE!
東日本大震災復興シンポジウム「渋沢栄一の経験から考える、いま「民」にできること」
【武田邦彦】ご批判にお答えします。池袋暴走事故"報道"について私が言いたいのはコレなのです
史上最大の大型連休というのに突入したのだそうな。そうなというのは、年金暮らしのボキにはまるっきり関係のない話だからだ。どこにも出かけないし、いつもどおり起きて、いつもどおり乏しい収入の中からやっと買った食料をいただいて、厠で残骸をひねり出して・・・という毎日であるからだ。
しかし、こうやって平々凡々と生きていられるということが、どんなにシアワセなのかと感じる。平々凡々こそまさにシアワセの絶頂である。太陽が照っていればシアワセであるからだ。有名な哲学者が、ある王様になんでも望みのものを言ってみよと言われて、そこをどいてくれと言った話は有名であるが、そのとおりである。あ、思い出した。アレキサンダー大王とディオゲネスだった。もっとも犬のような生活をしていたから、ディオゲネス先生は嫌みで言ったのだろうけれど。それにしても痛快な話である。こういうのが好きなんだ、ボキ。ボキもなんの望みもないからだ。せめて平和な社会であって欲しいと思っているだけだから。
天皇陛下が、いみじくも戦争の無い時代だったといわれたが、まさにその通りである。平成は災害の時代だったともマスコミは言っているけれども、それもその通りだ。すくなくとも、戦争の無かった時代というのはまことにありがたいものであった。
定年退職後、アチコチ海外貧乏旅行に出かけている。それにしても、諸外国はいろいろな問題を抱えている。中国だってそうだ。中国があんなに近い国だとは思ってもみなかったが、問題は多い。ロシアはイメージが違っていた。マスコミの情報操作で違ったイメージを持っていた。もっとも、ドストエフスキーがボキの苦学生時代のこころの支えであったからマスコミとは別のイメージを持っていたけど。共産国家が宗教を否定していたのは知っていたけど、どっこいロシアにはちゃんと宗教が残っていたからである。モスクワの赤の広場に残っている大砲だけはいただけなかったが。
争うことの無い社会であって欲しい。シミジミそう思う。受験競争だって、あんなもんなんの意味があったのだろうかとも思う。もっとも、ボキはその受験競争だって脱落してしまった挫折常習者であるけど。学の無い、無一文である。学も無ければ、ゼニもないのだ。笑ってしまう。まるでワンコだよん。
犬のように生きたディオゲネス先生のように、照ってくる太陽だけをタノシミに生きるべし(^0^)。
今日は寒くないのかな?
昨日はたまらんかった。寒くて。気候温暖な九十九里浜に住んでいると、だんだん人間のつくりがヤワになってくる。なんのシガラミもないしなぁ。太平洋を見ていれば、そして太陽が出ていれば、実にシアワセだから。
わはっっはっっはっっっはははっはははっはははっはははっははは。
BYE-BYE!
昨日から6番目のバイトがスタートした。年に二回しか無いが。来月から7番目のバイトがスタートする。こっちは年に四回。ただし、幕張まで行かなくちゃならない。
ありがたいもんである。そして、それだけである。ボキを使ってくださる方とか組織があるから、ジジイ生活も楽しくなるのだから。アリガタヤ、アリガタヤである。もっとも、全部年間数回しかないのだから、これをバイトと言っても良いのかどうかはわからない。たぶん、バイトとは言わないだろう。ボキがそう思っているだけの話である。それだけである。
それにしても世間にはいろいろな人間がいるなぁと思う。偉そうな御仁淑女が多いからだ。威張っている。なんで年をとると威張るのか。それは、普段誰にも相手にされていないからだろうよん。
ボキだって、昨日どこに行くかは家人に言ってからでかけたけど、内容はまったく言っていない。言うつもりもない。自慢したくないからだ。なんだかわかったようなわからないようなことを家人は言っていたが。たぶん説明したってわからないだろうから。それに、笑われるだけである。何しに行っているかなんてぇことは関係なし。
そんなもんだろう。家人に威張っていたってしょうもないからだ。
どうも段々他人に指導したがり症候群(センコー稼業の悪癖)からは、離脱しているようである。浮遊している。指導をどうするかだけで、これまで現役生活を送ってきたのだからしょうがないと言えばしょうがない。バイトもそれがほとんどだけど、それでもボキはセンコー稼業からは逃れられない。なにしろ、困った方がいたら基本的に借金以外はお助けするのがポリシーだから(^0^)。それにそれしかできないし。
それにしても、昨日の会議会場に本を忘れてきたのは大笑いだったなぁ。しかも、山折哲雄先生の宗教史の本だった。これだもの、宗教にご縁がないのは当然である。もう惚けが始まっているのだよん。
電話がかかってきたから、速攻で取りに行ったけど。居住地だから。職員の方がエライ難しい本を読んでいなさると言っていたが、惚けているのに自慢なんかできないでしゅぅ。
山折哲雄先生の思想もやはりモノにできないのかと慚愧の思いでありました。ノートやカードはとっているけど。これまたご縁がないのかねぇ。情けない。実に情けない。
山折哲雄先生の生き方は、まさに高齢化社会を生きるうえでの指針になるから読んでいたのである。しかし、これまたご縁がないとなったら、ボキはこのまんま惚けて生きていくしかないのかねぇ。
(_ _ )/ハンセイ
(_ _ )/ハンセイ
しまくらちよこ。
BYE-BYE!
【三和人材市場】中国のスラム街に潜入してみた!闇市・日雇い労働・ネトゲ廃人!