マチュピチュ村からマチュピチュ遺跡へ!!行き方、行ってみた感想、値段を紹介
ペルー・クスコで高山病に苦しむ。世界遺産の街・物価などを紹介!!
朝歩いていた。毎日歩いているから、健康になる。血圧も血糖値も正常である。ありがたいものである。ジジイになって、まさかこんなに健康になるとは。感謝サマサマである。亡父も、亡母も60代で亡くなったから気をつけているのだ。しかし、どんなに抵抗しても死ぬときは死ぬ。
死んだらどうなるのかタノシミでもある。ま、できるだけ遅い方がありがたいが(^0^)。それまでどんなに悪口を言われても、絶対に長生きしてみたい。まだまだ、知りたいことや見てみたいことがたくさんあるからだ。文学も宗教も、そしてもっとも苦手な歴史分野もなんにも知らないことだらけ。それに、世界各国にも行ってみたい。これまでほんの一部分しか行っていないからだ。アフリカも行っていないし。南米も行っていないからだ。
今朝は、ある中学校の脇を通り抜けてきた。二校である。それぞれの中学校の脇を歩いているからである。それから、ぐるっと遠回りをしてから家に帰ってくるのだ。歩数にして10251歩だった。Metsである。距離は7.8キロ。まだ足りない。午後からもうちょっと歩く。涼しくなってからである。
否、そんなことを打鍵したいのではない。それぞれの中学校の脇を通り抜けていたらある人物のことを思い出したのである。ボキは、義務教育の世界にもいたから知人がいるのだ。それで、思いだしてしまったのである。エライヒトだから、普段ならクチもきけないのじゃよん。アポとってから来い!とか言われてしまうような方でもある。ボキは、親しい人間はアポなしで会うから余計始末が悪い。それで怒り出すようなバカとは、金輪際会わない。アワナイから会わないのだ。所詮他人ではないか。無理してアホと会っている必要も無いからだ。時間の無駄であるから。なにしろ、こっちは死ぬまで時間がない。時間は貴重である。無駄に過ごしていると、あっという間に葬式になっちまうではないか。他人のことなんぞ、関わっている暇がないのじゃよん。
😎
だから、ボキはアポなしでボキの自宅に来る方々を歓迎している。それだけ他人行儀ではないという証であるからだ。
わはははっはははっはははっはははっははははっははははっははは。
それにつけても、アポとアホというのは似ていますなぁ。○がついているかいないかだけである。
アポ・アポ・アポ
アポ・アポ・アポ
と、連呼していると、ほんまのアホになりそうだ。
BYE-BYE!
【武田邦彦】まともな人ほど ぼっち になる理由。ぼっち経験者の私がお話しします【日本社会】
つるむなということをモットーとしてきた。だから、独居老人になっても全然困らないだろう。ひとりで生きていっても良しと思っているからである。基本的にゴマをすらない。だから出世が遅れた。当然である。ゴマをするにもそのゴマ自体を所有していないからだ。
悔いはない。ゴマをすらなかったから、当然ボキにもその手の低レベルの人間が周囲にいなかった。助かった。くだらない見栄や体裁を気にすることがなかったからである。
でも、こういうボキのような人間は、会社員だったら失格なんだろうなぁと今になって思う。つるまないからだ。烏合の衆のように、うだうだと愚痴を言いあうというのが、苦手だった。
その代わりに、バイクを愛した。ひとりでどこにでも出かけた。風がボキの体を吹き抜けていった。それがここちよかった。ただし、雨も寒さも自己責任。それが良かった。誰のせいでもなかったからだ。
仕事を定年で辞めてから、なおさらこういう生活をしてきたことに拍車がかかった。出稼ぎバイトを9個もやって恥じることもなかった。それぞれの人間関係で十分楽しませていただいた。いろんな人間がいることも知った。レベルの高い人間だったと思っていたら、裏はそうでもなかったというような体験もしてきた。勲章が欲しいと露骨に言っていた方もいた。名誉欲の虜になっていたのだ。ジジイになって色欲に狂ったアホもいたっけなぁ。ゼニに狂ったのもいたっけ。
がっかりの連続であった。
カネだけが価値あるものだとのたもうていた方々もかなりいた。そんなもん、砂漠の砂と一緒でどんなに金持ちでもあっという間に消えてなくなっちまう。だから、「砂金」というのだよん。砂のごとき、もろいモノ。それがカネであるからだ。
世界を見ろと自分自身にくりかえして言っている。世界に出かけていったら、日本人なんかたかが知れているではないか。チャイナと間違われてしまうではないか。旅に出る効用はこんなところにもある。ソトから見てみることだ。日本がどう見られているかということは。
だから体験してみなくちゃわからないのである。
つるんで、その他大勢と同調ばかりくりかえしていたんじゃ、自分が見えなくなる。ましてや、ゴルフ・酒・麻雀ばかりではアカン。無駄である。ジジイになっても、そんなもんにうつつを抜かしていたら、病気になっちまうではないか。
誰からも相手にされずとも良し。相手にしていないのだから、相手にされないのは当然である。それで良し、それで。
変わりモンのジジイがまたひとり九十九里浜を歩く。のたれ死にしても良し。死んだこと自体気がつかれないんだろうから。砂に埋もれて死んでいたら本望である。マジに。
わははっはははっははっははっはははっははっはははっはははっははは。
BYE-BYE!
SnowFlower/Hayley Westenra 雪の華/ヘイリー
Hayley Westenra - Haru Yo Koi (春よ,来い)
Hayley Westenra - Flower will Bloom (花は咲く)
ヘイリー ウェステンラ - 涙そうそう【HD】Hayley Westenra - Nada SouSou
新聞に記者からのインタビューが載っていた。東日本大震災のときに、あれほどの悲劇を目の前にすると、小説はなにが出来るのですか?という問いであった。むろんインタビューされたのは小説家である。
ある若い小説家は、小説の無力さを感じると答えた。
ところが、ベテランの伊集院静はこう答えたという。
「一番目は水と食料。二番目は正確な情報。三番目はなんだったと思いますか? 被災者の人々は”歌”が欲しいと言ったのです」
「”歌”は言葉です。私は言葉の力を信じます。小説は作家が選び抜いた多くの言葉で成立しています。小説は人の人生をかえるなんてことはできません。しかし人の哀しみには寄りそえると信じているんです」(『伊集院静の流儀』文春文庫)
刺激的な文章であった。確かにそうだった。居住地でもあの大震災で16名の方々が亡くなった。津波が来たのである。その時の動画も持っている。そして、あの辛かった体験を語り伝えようということで、高橋順子文学賞という企画が立ち上がり、ボキはその審査員をさせていただいている。旭いいおか文芸賞という企画である。もう、これで4年目になる。そして思ったことがある。それは、被災された方々が、伊集院静の言うようにこころの中に「歌」を持っているのだということだった。
それが思わずクチをついて出てきたときに、「寄り添うことができる」のである。
寄り添うということは、重要なことである。ボキは、神を信じることができないが、少なくとも寄り添っていてくださる絶対者のようなものを感じることはできるからだ。遠藤周作も、イエス・キリストのことを寄り添ってくださる方とどっかで書いていた。人生の同伴者というような形である。
九十九里浜には、刑部岬という風光明媚な場所がある。高台に灯台もある。そこから九十九里浜の突端まで見える。夕方の晴れた日に、この高台から見る九十九里浜の光景は実に美しい。この美しい風景の真下で、津波の悲劇は起きたのであった。高台に逃げてきた地元の方々が、押し寄せてくる津波を動画に撮ってYoutubeにアップしたのである。
恐ろしい光景であった。
梅雨が長く、なかなか九十九里浜にも夏が来なかった。海開きをしたものの、お客さんが来ない。しかし、この三日ほど前から晴れてきた。ようやく夏本番である。一昨日、被害にあった旧飯岡町で花火大会があった。大勢の観光客が来た。
歌があった。歌が我々を導いてくださっている。寄り添ってくださっている。
こんなことを、来年の3月に千葉市民会館で講演するつもりである。つもりではないですな。もう予定として発表されているから、パワーポイントの準備を始めているけど。
BYE-BYE!