と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

一生勉強していかんと、アタマが悪いんだから

2013年01月31日 08時48分03秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 指のトレーニングのために拙ブログの記事を書いているのだが、自分の中の対立事項というのはなかなか書けないものである。そう思うことにしている。

 今、書いている学会勉強会へ提出する駄文は、そうした対立をいかに克服していくかということである。それを能楽に発見していくということをチョコチョコ書いている。けっこうハードである。なんてたってハナから能力ないからなぁ。ああああああでござんすよん。

 ケン・ウィルバーの理論を応用して。能楽の源流について興味があったのでやっていたら、農民芸能にもちょっと手を伸ばして、それもまた面白いと思って抜けられなくなっちまったというのが正直なところである。マジに。

 ま、人生万事塞翁が馬でありまするよ。

 何がどうなってどうなるやらワケがわからん。どうせ、オレごときじじぃが成果を残せるワケもないし、道楽でいろいろあちこちに駄文を書いてうれしがっているという、トイレの落書きみたいなもんですからねぇ。読んでいただく方があるだけ仕合わせでございますよ。

 そういえば、このブログにしてから訪問してくださる方が多い。感謝感激であります。現職中は狭い範囲で、しかも勤務校の広報もかねていたから、関係者以外は興味を持っていただけなかったです。あれはあれで大変ありがたかったですが。そのブログから消滅していなくなっちまったけど。ある人に言われましたっけ。おめぇのブログ、まだやっているって聞いたケド、捜すのに苦労したって(o゜▽゜)o

 どうせたいしたことはしていないんだから、しがらみがないだけ、今の方が好き勝手書いているし。気楽なもんですな。気楽。大学も、追い出されたら退学するしかないし、いなくなったって別に誰も困るわけではないですしね。それに、オレには卒業してからなんかになろうってのが無い。なりたくてもなれるものがありまへん。社会人講座で西行を勉強しているクラスメート(オレより年長の)にも言われた。「卒業したらなにすんの?」「なんにもなれませんよ、自己満足ですわ」・・・一瞬の間があって「あははははは」で終わり。お笑いの対象でしかありまへんな。いいんです、それで。ボケ防止ですわぃ。

 単位はとりたいけど、ムリかなぁ。単位満期取得退学というのがドクターコースにはあって、これならオレにもできそうかなぁ。それくらいしか夢がないか。学会での業績がオレにはまったくないし。論文提出までいけるかどうか。それもそれ。どうにもならなかったら、潔く諦めるしかないですな。

 放送大学にも一時在学していたことがあって、選科生というのに。大学院でした。修士の。ここで教育学系統をあちこち拾って勉強していたんです。管理職になっていましたから、やるっきゃないと思って。また放送大学にお世話になるのもいいですねぇ。幕張にあるし。

 生涯学習ですよん。
 
 一生勉強していかんと。

 アタマが悪いんだから。

 

 



 (^-^)/

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1月30日(水)のつぶやき

2013年01月31日 04時30分58秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

独創性というふことを考えました。学事出版様にお送りする原稿のことです。独創的になったのはいいけど、査読に耐えられるか・・・・・駄目なら書き直しじゃ。ふうううう。


退職したので、最初現場の人間になりきって書くのが難渋したけど、おもしろかったですね。避難訓練時のはブログにものっけてあるけど、(最後の卒業式式辞)。。。あれって、涙が出て、壇上で。今でも卒業生に言われます。と~ま君、泣いていたねって。


思い出多い、現役生活でしたよん。


けふはお送りする原稿3本一気にさらさらといってしまったから、夜の塾から帰ったら再度見直して、明日にはメールでおおくりしまひょ。さ、つぎは、論文じゃ、論文。


ひでぇなぁ、まったく@柔道女子暴力告発:「死ね!」合宿で暴言…JOC会見 mainichi.jp/select/news/20…


なんだか世も末だな、柔道がこんなになっちゃって blog.goo.ne.jp/tym943/e/9ef66…


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なんだか世も末だな、柔道がこんなになっちゃって

2013年01月30日 22時56分10秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

五輪柔道代表暴力問題 暴力行為、3年前から少なくとも5件 全柔連が説明(産経新聞) - goo ニュース

 

 これを読んで凄くいやぁ~な感じをしている。

 なんだか、一緒にされたくないっていうか、勝敗のみにこだわったあげく、ここまで堕落するかって言いたい。オレのように、弱くても柔道を愛し、嘉納治五郎全集を日々読みこなし、柔よく剛を制すということを本当に目指す生き方をしてきたものをがっかりさせてはいけないと思うのだが。しかも、あいつらプロみたいなもんだろうが。オレは純粋なアマチュアだけれども。決して、昇段することのないシロウトですが。

 これじゃぁ、柔道やっているやつはただの野獣でしかないではないか。オレのように、文武両道の文の方が好きだったという奴はどうすりゃいいんだ?

 基地外と一緒にされたくねぇなぁ・・・・・・・・。

 そもそも柔道マンのレベルが低いというのなら、それはそれでオレもそうだから否定はしない。オレは、まるっきりやぁーさんのような歩き方をしていることも否定はしない。というより、がに股でまっすぐ足が前に出ないだけだけれども。それにオレは剃髪しているから、余計しょうもない。だから、注意して生きているのだ。他人に不快感を与えてはいかんからねぇ。

 しかし、今回はこたえたなぁ。前回のどっかの大学のせんせで、オリンピックチャンピオンで、女子部員とどーだらこーだらということでマスコミに何度も登場した甘いマスクの柔道の大先生の事件も実にこたえた。が、ほんとうにこれじゃぁ基地外とかわらんじゃぁねぇか。講道館に憧れて、お江戸にわざわざ米沢から出てきたオレのような田舎もんに恥をかかせるのか。

 所詮柔道なんか武道のうちに入らないのかって言われるですな。

 哀しいよ。

 まったく。

 オレの青春を返せって言いたくなるぜ。個人差の違いか?これも。自己責任か?これも。

 もっとも剣道の全国チャンプもなんだか女性問題で恥をさらしていたようだが。しかも、神奈川県警であったんだから、恥の上塗りだわな。

 これって、宮本武蔵の小説で見たような気がする。

 あれだ、あれ。吉岡道場の腐れぶりを描いているような気がするのだが。酒食におぼれて、堕落していった武道家というように書かれていた気がする。なにしろ、小学生の時に吉川英治の宮本武蔵を読んで憧れたんだから、オレは自分で言うのもなんだが、ちょっと筋金が入っているような気がするんだけど。

 もっともオレの場合は運動神経がすぐれないし、ずのーの方もすぐれないから、よくわかっていないで発言しているのかもしんないけどねぇ。それでも、オレは武道を食うためにやるっていう発想はなかったし、ふるさとの米沢では、絶対にそんなことを言う基地外はいなかったな。そもそも、経済用語を駆使して、わけのわからんデタラメを言って周囲を煙に巻いて、乱世の中を生き抜くって発想は上杉の殿様以来ありまへんで。

 そもそも、なんでもカネで解決するっていう哲学が間違っているとオレは思っておるし。カネカネカネカネって、そんな守銭奴のような生き方は絶対反対ですわなぁ。気位といふものがあるんかね?「メリット・デメリット主義者」にはがっかりさせられた記憶がかなりあるからなぁ。

 でもだ、こんなあふぉ~のオレでも、いけないことをしてはいけないってくらいはわかるんですぜ。ならぬものは、ならぬのですぞ。NHKの大河ドラマでスタディしまひょ。

 

 

 もう寝よう!

 

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アイドルについて

2013年01月30日 12時20分23秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 多くの少女タレントたちが、いろいろ、あるいはいそいそとテレビに出ている。中には48人も登場してくる歌い手のグループがいて、愚生はそういうのを好む一般的な現象についてどう理解したらよろしいのかをいつも考えてしまう。オタク文化だとひとくくりにする気はないのだが。

 何がひきつける要素なのだろうか。つまらん現象だと一蹴するのはたやすい。しかし、それでは同時代を年齢の差はあったとしても、ここに厳然として生きている、老いたかつての青年としては寂しい。おおいに考えるべきである。
 


 岡田有希子というアイドルがかつて存在した。存在したといのは、自死を選んでしまったからである。1986年、18才だった。二回目の自死への試みで亡くなったと覚えている。そして、彼女の選択について考えれば考えるほど不思議な気がするのである。

 彼女は、漫画チックな文字で文章を書き、ハートマークとか、非常に軽いタッチで発言を繰り返していた。そのこと自体はどうでもいいのだが、周囲の期待に耐えきれなかったのではあるまいかと思っている。用意周到に計算された存在のあり方でアイドル規定をされていたのだろうし、それに自己矛盾を感じていたのではないかと思っているのである。今でも。

 さらにアイドルを生み出そうとしている大きな機構というかシステムの側にいるものたちと、受け手側の目的が一緒だからという理由で、その後多くのアイドルが登場してきたのだ。そもそも送り手と受け手は共犯関係にあると感じている。
 
 そのオタクの群れの中のファンと自称する向きには、アイドルについて、身体性を求めているのではなく、バーチャルな役割存在を求めているのであると思う。みんな同じような貌をしているとしか思えないような映像を眺めて不思議になる。愚生は、誰が誰だか区別がつかないのである。テレビを見ていると。

 そして、身体性の無いアイドルと、バーチャルな存在としてのアイドルという矛盾の中で、岡田有希子は、自己を語る言葉を失ってしまったのだと感じるのである。

 自己を語っているという点では、若い女性のブログに多く見られる現象である。受け狙いのブログもある。いいではないか。言葉があるんだから。あるいは、自分を語っていることで、発散しているのかもしれないし。具体的に、この***とか+++とかのブログ・・・・というように紹介することはできない。言ったらおしまいである。ただし、あまりに稚拙である。語り口もそうだし、絵文字のオンパレードだし、がっかりすることがある。Twitterでどなたか批判している方があったが、ま、オレもひとのこたぁ言えないけど。

 岡田有希子は、自己矛盾に気がついたのだと思っている。愚生は。あの時からである。1986年からである。しかし、それを語ることができなかったのだ。ブログなんてもんもなかったし。18才であるから、無理だという指摘もあるだろう。それでも自死を選ぶほど苦悩していたのなら、もっと語ってほしかったと思うのである。惜しい人を亡くしたもんだと、愚生は思っていたからである。なんとか対処の仕方もあっただろうにと思うからである。

 肥大化した周囲の期待とアイドル路線というシミュレーションに、自己の言葉の貧しさ故に対抗できなかったのだ。せめての反抗であったのかもしれない。
 
 Kという横浜国立大学にまで進学した女優がいる。村西とおるという監督の映画に出ていた人である。監督の名で、どういう女優であったかはおわかりであろうが。この人もまた興味のある人格であると思う。こちらは、言葉のレベルは高くて、なかなかおもしろいことばかり言っていた。それも私的なことをである。あるいは、母への反抗で女優になったという語り口もあるのだ、彼女には。

 そういうものかなぁと思っていた。最近は何をしているんだろうか。知らないが。

 このこともあるいはアイドル路線とシミュレーションされたシステムの存在とアイドル自身の個体というか、身体性との対立と一緒なのではないのかと思う。周到に計算された路線である。本人とはいっさい関係のないところで計算されている可能性がある。本人が拒否できないところで。

 もっともっと自分のことを考えると言う意味でも、自分語りは大切であると思うのだが。 

 一番いいのは、自己のあり方まで規定されるようなことを巧妙に避けながら、「うまく」生きていくことでありまするよん。マジに。生き延びるために。これからアイドルになりたいという方に、一言忠告させていただきました。

 

  

 (^_-)-☆

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1月29日(火)のつぶやき

2013年01月30日 04時31分53秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

オレってこの人いいなぁって思うんだが、嫁さんが来ないらしいをしんぺぇしている。女性はこういう人嫌いなんかね?@高見盛「あちこちブラブラ」1人旅願望(日刊スポーツ) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/nikkan…


こういふことは可能性としてはあるでしょうなぁ。若い時に大金を手にすると、後がしんぺぇですわなぁ@7割超が引退後「不安」=プロ野球若手意識調査 on-msn.com/YyL4dZ @MSNJapanさんから


おはようございます。快晴ですねぇ。昨日予定していた家の用事を済ませないと。学校にも行けません。しかし、正門の前ですってんころりんとなったらあかんですな。安全にしていないと。ムリはいかんですなぁ。家にいるか、今日も。危ないから。


昨日の新聞の孫の写真は、良かったです。反響もありました。木更津からも℡をいただきました.(o゜▽゜)o


こういうのが好きなんです。投稿とかなんとかというのが。


原稿を書かないと・・・学事出版様にお送りするものです。今までかなり掲載していただいたものですから恩義がある。以前の書籍をひっぱり出して、昨日の夜も考えておりました。もっとも、いろいろ書きためてきたので、材料はたくさんあるんです。(^-^)/


それにしても、道路大丈夫なのかねぇ。。。成田にも行かなくちゃならんし。


NHKの大河ドラマ「花の乱」に描かれている日野富子は、誕生の秘密があるという設定である。むむむ。


ま、いいか。しかし、これって少女漫画チックですなぁ。実におもしろい。ボクは武闘派でありますが、こういふ世界も嫌いじゃないんです。それに映像が実に美しい。三田佳子もきれいだなぁ。若いころの富子を演じている松たか子も若い。きれいだ。ううううううううむ。


この番組は、日本史の教養と能楽の知識がないと、かなり難しい。人気が無かったのもわかるような気がします。あ、これってオレのことを言っているなぁ。日本史の知識と能楽の知識がないのは、オレ自身でありましたから。(^_-)-☆


しばらくはこれで中世史を映像から理解できますねぇ。


でも鬼の描き方もいいなぁ。怨霊と鬼。・・・まるっきり能楽のテーマですわぃ。明日は学校に行けるから、図書館でまたまた調べ物でありまするな。良い機会になっていますねぇ。ありがたいことであります。赤坂憲雄先生の著書をスキャナしながら、コンピュータで演じられている「花の乱」を見ています。


じゃぁ、これにて今日のTwitterは終了します。また明日。


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花の乱

2013年01月29日 21時47分30秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 NHK大河ドラマ「花の乱」をレンタルビデオ店から借りて、鑑賞し始めた。ご存じ日野富子である、主人公は。不人気大河ドラマの頂点を極めた「花の乱」だそうだが、このドラマきわめて美しい。しかも、能がバンバン出てくる。

 さらに、表 章先生の監修になっている。これは見なくちゃならんというわけで見始めている。まだ最後まで見ていないから、見終わってからまたここにカキコみたいと思うが。

 日野富子は、応仁の乱に深く関わったお金持ちの悪女とされているが、歴史的にどうのこうのというより、ボクには非常に興味深い存在なのである。中世日本古典文学を標榜する以上避けて通れないお方である。

 しかしである。「悪女」なんて本当にいるのだろうか?悪女ととられる言動をとるようになったという、あるいはそこまで追いつめたという遠因はあったとしても。むしろその方が問題なのではないかと思うのである。

 日野富子が悪女と言われるのは、夫に問題がある。将軍足利義政である。働かない夫の代表選手である。将軍が働かないどころか、常時そこから逃げよう、逃げようとしていたのではたまらない。お姫様の日野富子だから生活が可能だったのだろうが、これが庶民の奥様だったらキレルだろうに。

 稼ぐ女であったことも悪女に仕立てあげた遠因であろう。なにしろ大金持ちであったからである。無理もない。働かない旦那をもって、仕事もしないのでは、自分がしっかりしなくちゃならん。
 
 ある意味かわいそうな悪女であるのだと思っている。
 
 まだ大河ドラマを見終わっていないので、なんとも言えないが、この番組と能楽がどう関連してくるのかということに興味がある。なにしろ碩学の表 章先生の監修である。だから興味を持っているのだ。

 しかし室町時代というのはおもしろい時代である。これまではあまり好きではなかったが、戦国の世を迎えてなぜ滅亡していったのかということでは現代人も注意しなくてはならない。

 庶民が芸能に夢中になっているということもそうだが、それよりも政治がめちゃくちゃであったのだと感じるのだ。現代は、テレビ番組を見ても芸能ばっかりやっている。政治はどうだろう。ま、あまり好きではない分野であるが。

 逃げ出しているのが多くなっていはしまいか。仕事から、あるいは義務から、あるいはミッションから、あるいは面倒な人間関係から。足利将軍義政のように。

 そこで問題なのが、雇用の問題である。若い人の働き場所がないというのは、論外である。ボクは、このことを最も心配しているのだ。こんな若い人に不公平な国がどこにあろうか。働きたいのだから、その場をおおいに作っていただきたいのである。でないと、国力が衰えてしまう。何かと言えば、人件費がかかるというロジックはどっかにごまかしがある。人件費がかかるからといって、コストの安い国に生産拠点を移していって、東南アジアのあの争乱はなんだったのだろうかと思っている。なんでもかんでも、費用のかからないことを良しとすることはいかがなものか。

 人件費が安ければいいのだということは、教育もそうなのだろうかと疑問に思っているのだ。これも何度も言ってきたが、教育を経済の論理で語ってはならないと思うのである。教育は目に見えない「雰囲気」というものが大きな要素を占めている。人格的影響とか、知性や、生き方、あるいはスポーツに打ち込む姿、実験・実習に取り組む先生の姿などに影響されるのである。このことだけに限っていえば、ソクラテス以来の伝統があるというわけである。ボルノウという哲人がそのことをいろいろな本で説明してきている。今回の道徳教育の論文でも参考にさせていただいたが。

 話を元に戻す。(いつもこうだ・・)

 だから、いつの間にかこの平成の時代がわけのわからない方向に行ってしまって、滅んでしまってはならないと思う。室町の人々だって、知らないうちに戦国時代になっていて、織田信長や豊臣秀吉あたりが出てきて、あれよあれよという間に江戸時代になってしまったのではないかと思うのである。時代の変化は、そこに生きている人間にとって把握不可能であって、後から思うと、あ、あのときが転換点であったのだというようなものだったんのではないのだろうか。


 では・・・・



 

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1月28日(月)のつぶやき

2013年01月29日 04時47分36秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

今日は雪でした。たいへんでしたねぇ。あちこちで。ご苦労様でございました。皆様。


わたくしも、やっと17:46落ち着いたところであります。いろいろとやることがありまして。


皆様のところはいかがでありましたでしょうか。


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産経新聞朝刊に

2013年01月28日 21時29分00秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 平成25年1月28日(月)の産経新聞の千葉版に孫を掲載していただきました。ひなちゃんクラブというのです。

 じじぃのささやかな喜びであります。密かに投稿していたのです。

 (^-^)/

 なんとでも言ってくだされませ。

 こんなことが、老いたじじぃのささやかな喜びでありますから。

 しかし、懲りないですなぁ。

 ははははっははははっははは

 

 ある意味それがオイラの元気の源でありまするよん。

 

 


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雪でしたねぇ、久しぶりに

2013年01月28日 17時48分16秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 雪でございました。大変でありました。いかがでしょうか、みなさんのところでは。愚生もいろいろとやっておりました。雪を片付けなくてはなりませんし。しかし、久しぶりでしたなぁ。高校生以来か・・・なにしろ米沢ですからねぇ。ふるさとが。

 そして夕方からやっと机にしがみついております。そしてワードで駄文書きを。普段は和製のワープロを使っているんですが、どうしてもファイルのやりとりですと、相手が開けないのだそうですね。学校の職員なら和製のソフトは多いのだそうですが。それでもって悪戦苦闘しておりました。

 脚注がどうしてもうまくいかないのです。原因はわかっています。縦書きだからです。和製のソフトはこれが得意なんですが。どうしても西洋のワープロはうまくいかないみたいです。

 今更横書きをする気分にはならないし、日本語は縦書きがふさわしいと思い込んでおりますので。書くのは横書き、読むのは縦書きというのは、アタクシにはなじまないんです。

 聲のコスモロジーというタイトルの原稿は、どんどん字数が増え続けています。もう、これをさらに肥大化させていくつもりになっています。

 

 明日は学校に行けるのでしょうかねぇ。電車も止まったようですし、今日は。クルマはこの雪では運転する気にもなりませんし。

 致し方ないですなぁ。

 安心・安全を心がけて参りましょう。(^-^)/

 

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1月27日(日)のつぶやき

2013年01月28日 04時41分25秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

@Michi_Shigeta 重田先生! ありがとうございます。感謝申しあげます。


おはようございます。


快晴です。快晴。こういふ天気ですと、こころがランランとなります。(^▽^)


昨日の雪も心配なしですし、これから能「田村」を見に行きます。千葉市です。ありがたや、ありがたや。田舎もんには。


しかし、家にじっとしていられない性分なんですねぇ。呆れてしまう。我が事ながら。こういうことだから、研究者とかなんとかと言うコースから外れていったわけですな。自業自得。


学会勉強会に提出する駄文は約1万字になってきましたが。昨夜というか今朝まで起きてやっていたので。寝たのは3時でしたな。興に乗ると、やめられなくなります。かっぱえびせんみたいなもんです。あ、この洒落は、オレ世代までしか理解できないか。。。。。


じゃぁ、能を見てからまたここに来ます。行ってきます。


夜も更けた。これからがオレの時間帯でありまする。はははは。まるでなまはげのようですな。


さぁ、こたつに入ってポメラに書き込みじゃ。では、また明日!


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日々草のお堂を旅の栖として

2013年01月27日 23時12分55秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 来月やはり沖縄に行ってまいります。予約完了しました。沖縄本島からちょっと周囲の島々へ足を伸ばします。柳田国男や折口信夫などの民俗学にも興味を持っていますので、どうしても海上の道というものを意識しないわけにはいきません。それが沖縄なんであります。・・・・なんちゃって(^▽^)。

 ただのトラベルてあります。若干はあります。民俗学の意味も。来月に提出する原稿にも反映させますし。それはそれできちんとやります。

 沖縄はすでに行ったことがあるので、風景とか食事はどうでもいいのです。問題は、配偶者への慰労。ここまで苦労のかけっぱなしでありましたからなぁ。。。。。と思っていたら、配偶者も独身時代に行ったことがあったんですと。はははははは。

 ま、いいか。どうでも。

 去年行った周防大島でも、ホテルで地元の方と民俗学の話をしていたら呆れていたし。道楽亭主でホンマに申し訳ありませんです。

 3月には淡路島にも行きます。予約完了しました。ここにも素敵なホテルがあって、いいところです。そしてまたまたここも行ったことがあるんどす。

 さらにまたまた民俗学の宝庫でもあります。淡路島も。

 3月は孫の誕生月だから、祝いに駆けつけなくては。一泊で。温泉に入りながら。

 そして、大学はようやく2年生に突入です。タブン。

 進級したら、なにをしようかなぁ。母国に帰ったクラスメイトの大学助教授女性陣が(5人)、4月に来日してくるし。会うのが楽しみでありますな。日本語教育のスペシャリストでありますから、ボクもネイティブジャパニーズとしては参考になるんどす。言語体系が違うから、まことに面白い。主語の後に動詞がくる言語体系を母国語としている人が、日本語を教えているっていうことがボクには不思議でなりませぬから。

 オレも外国に行ってみたいなぁ。たまには。30年前に桂林に行ったきりだから。

 

 (^-^)/

 

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能楽田村を鑑賞してきました。。良かった

2013年01月27日 22時53分12秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 今日は能の「田村」を鑑賞してきた。千葉市の文化センターである。アートホールであった。金春流であった。さすがである。実に楽しかった。ここのところ、ずっと能と聲そして音のコスモロジーというようなことを考えていたから、余計新視点というような感覚で見ていた。その陰にはウィルバーの思想があるからである。

 このことは、ボクちゃんのこれから取り組む企業秘密であるのでこれくれくらいにしようっと。駄文書きができなくなるから。

 内容は、京都の清水寺を創建した坂上田村磨呂を主人公にしたもので、前段は童子の姿となった田村磨呂の幽霊が登場して、訪れた僧に清水寺創建時の由来などを話し、夜桜を見るなどをする。後半では、たくましい武士の姿となった田村磨呂が観音様の御加護を得て、鬼神を退治する勇猛な舞を演じる。

 今回の能は、音や聲に着目していたから、非常に良かった。メモをしながら、そんなことをカードに書き込んでいた。良かったのだ。ボクの仮説が。ここには書けないが。

 


 昨夜古本チェーンで買った350円の吉本隆明の「言語にとって美とはなにか」を読みながら千葉市まで出かけたので、吉本の言語論と、芸能論もまた正しいという実感を得た。なんだか、いい旅をしてきたような気がしている。

 しかし、吉本隆明をなんと40年ぶりくらいに読んだ。あれはオイラがまだ18歳くらいに一世を風靡した人である。懐かしかったが、若い時には理解できていなかった言語論というか、意味論というものがやっとこの年になって理解でできて来たような気がしている。なんとまぁお粗末なアタマでごじゃりまするよん。

 そしてはたと気がついたんである。

 言語論、意味論というものと聲のコスモロジーというのは通じるものがあるということにである。

 ふううううううう。

 こんなことにこの年になって気がついているっていうのが情け無いでありますな。

 

 

 しかし、天才であります。吉本隆明様。オレの高校で、マルクスレーニン主義にいかれていた生徒がたいていは読んでいたからなぁ。あいつら今はどっかの会社で偉くなっているらしいが。それもノーベル賞を輩出したような大学に現役で入学していって、出世していったからなぁ。笑い話のようなもんです。そんなのが、いっぱいいたんだから。



 (^_-)-☆

 

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1月26日(土)のつぶやき

2013年01月27日 04時36分12秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

雪がふってきましたねぇ。(*_*) マイッタな。珍しいな。温暖な居住地ですので。見たことないから。雪。


配偶者がちょっと風邪をひいて、ご飯の用意とかで忙殺されておりました。洗濯もして、雪の前には取り込んで完了。これから夕ご飯のおかずを買わないと。あああああ、健康って大事ですなぁ。どこも悪くないのは、ボクちゃんだけですわい。(^_-)-☆


明日、千葉市に能「田村」を見に行かなくてはならないのですが、明日電車がストップしたらどないしよう・・・その前に配偶者の風邪が治りますように。(^-^)/


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(*_*) マイッタ=(*_*) マイッタ

2013年01月26日 16時11分46秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 配偶者が風邪ひいて寝込むと、まったくアタシャ戦力にならない。情け無いですなぁ。まったくしょうもないじじぃですわい。これじゃぁ、アタクシの方が遺されたら、万事休すでありまする。なんにもできないではないか。

 ちょっと、配偶者に料理でも教えていただいておかないと、いかんでっせ。さっき、散々叱られながら、ジャガイモ剥きとタマネギをやっていたんですが。ご指導をいただいているんですから、全面的に降伏しないと幸福になれませんなぁ(^▽^)

 しかし、技術家庭というのが中学校時代にあって、ボクらは家庭科を教えていただいていないのだ。これは不公平である。まったくもって、不公平。誰が決めたのだ?男こそ、これからの時代、家庭科的素養が必要でありますぜ。なぜなら、ボクのように活き活き老年が増えるからである。(^-^)/

 簡単な裁縫程度は小学校の時に教えていただいているから、できる。しかし、それも程度問題である。これでシングル・ファザーだったらどうするんだいって思ってしまった。これでいいわけはない。

 生活力というのは大切だとしみじみ思います。

 
 情け無いけど。


 (^_-)-☆

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勉強会案内通知mailをいただきました

2013年01月26日 15時15分16秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 こんな通知をいただきました。

 ありがたいかぎりであります。

 あ、これは会員でないと参加できませぬ。

 やらせていただいて感謝しております。


 (^-^)/






第8回 日本仏教心理学会 関東地区研究会

第95回仏教と心理学等の接点を追求する勉強会

 

 

テーマ:「聲のコスモロジー」(農民芸能と宗教 無境界のはざまから)

 

発表者:外山日出男先生

 

講義要旨:受領次第お送りさせていただきます。

 

発表者紹介: 千葉科学大学非常勤講師

 

         城西国際大学大学院比較文化専攻(博士在学)

 

日 時:2月23日(土)16:00~18:00(当日15:30より入室できます)

 

場所:武蔵野大学

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/