取り替えればすむ
明治維新も、第二次世界大戦も大きな社会的変換があった。社会システムそのものが大きく変わった。むしろ革命と言ってもいい。明治維新は、それまでの武家政権から大きく変わったわけでこれはこれでわかりやすい。また、戦後もそれまでの八紘一宇的な拡張路線から大きく変化したわけである。
そのことを歴史的認識とかいって問題にしている国もあるが、私のような庶民レヴェルでは、たいていの日本人は世の中が知らないうちに変わってしまったという認識ではないのか。ある意味、それが庶民としての強みであり、生きる力になっていると思うのだが。
それは、私も含めて「無」であるからである。まず無思想である。無宗教である。さらに、無政治でもある。
この間選挙があったが、あの低投票率は無政治であるということである。つまり、政治に対するポリシーとか、思想なんていうものがないから棄権をするのだ。
日本人の無宗教というのも有名である。世界の七不思議である。宗教は何ですか?と外国の人に聞かれたことがあるから、ある意味外国人にとってはそう聞くことが常識なのである。教員をしていたとき、スリランカから勤務先の高校に留学生がきたことがあった。彼女は、仏教徒であった。まだ十代の女子高校生である。さすがだと思ったことがあった。
宗教について関心があるけれども、とりあえず特定宗教を支持したくないのである。こういう意味で、支持したい政党がないというのと似ている。ま、私は政治が嫌いなので、これ以上は書かない。
しかしである。
無宗教というのはおもしろい。なるほど、宗教を信仰していなければだまされることもない。献金とか、なんとかとか集金機能としてのオノレの役割を果たさなくても済む。お寺とか教会とか、そういうのが建造物を建てるからと言って信徒にカネをせびるのは有名である。だから献金を要求してくる組織というのは、何となく胡散臭い。生活を別にしているオノレにはまったく関係のない世界でしかないではないか。やっぱり宗教もカネがからんでいるのである。だから、宗教を信じないというのはある意味賢い選択である。
さらに、宗教を信じなければ、教義とかの面倒くさい勉強をしなくても済む。
また、宗教ってある意味苦行でもある。易行を語る宗教もあるが、比叡山の阿闍梨の修行を見ていると私なんか恐ろしくなってしまう。
愛とか平和とか、みんな仲良くという理念を説く宗教も、それが社会の中に存在しないから説法するのであろう。愛がないから愛を説くのだし、平和がないから平和を説くのであり、国民全体が民族紛争をやり弾圧をしているからみんな仲良くという教義を持つわけである。
そもそも、熟していない社会だからそういうことを言うのである。愛を説く宗教を国是としている国家がなんどもなんども戦争をしかけては、失敗をしている世界の現状があるではないか。
思想というのもそうである。
マルクス主義を標榜している近隣国家。あるいは儒教思想を国是としている国家。またまた欧州もそうである。思想とか哲学が盛んである。
そういう思想的国家というのは、堅い。
融通がきかない。
歴史的認識とかいまだに言っている。
結局なにをしたらいいのだろうかと疑問に思っている。しかも、その歴史的認識というのが某巨大新聞の勇み足で、ねつ造であった可能性も出てきた。
その某巨大新聞だって、きちんとした思想があってあのみっともない反日キャンペーンをやってきたのであろうか。そういう疑問がやたらとあるのである。
戦争前は、戦争を礼賛し、かなり強力に八紘一宇の国家思想に協力をしてきたのが、あの巨大新聞であったことをどう説明するのだろうか。
愚昧な私には、あのエリート集団がいまいち信用できないのである。
わからないからである。
エリートではないからである。私は。当然であるが。
つまり、巨大新聞だって、「取り替えればすむ」としか思っていないのではないか。
看板をである。
あるいは、思想をである。
そういうのをいい加減というのかもしれない。もしかしたら、巨大新聞の自称エリートたちは、いい加減でいいのだと心底思っているのかもしれない。なにしろ「取り替えればすむ」からである。
明治維新もそうだったし~!とか思っているのかもしれない。
徳川幕府から、はっきり言って薩長に取り替えただけであるからである。看板を。
戦後もそうだった。
八紘一宇という世界から、戦後民主主義と経済発展という看板に。
私も、今年はいろいろあったから、看板を付け替えようかと思っている。体調を崩したし、ゴミのような論文も書いてはならないことになった。つまり、ドクターストップがかかってしまった。
生涯学習はやる。
しかし、中身を変えるしかなくなったようである。
それでもしぶとく生きていくつもりである。やりたいことはいくらでもあるからである。ゴミ論文も最低で500枚は書きたい。テーマは一貫している。目連救母劇で、中国にも行ってみたい。可能ならば、福建省の厦門大学に留学したい。短期でいいから。マジである。でないと、死んでも死にきれない。
年が明けると、郷土史の論文の査読もある。
ある大学の仕事も請け負っているから、出かけなくてはならない。
「取り替えればすむ」というわけにはいかないのだろう。
(^_^)ノ””””