
・このブログにもちょこちょこと、あるいはツイッターでもほどほどに書いておきましたが、今年の私費研修(毎年いろいろなところに行っています)で出会った85歳の人生の達人は実にすばらしい方でありました。学問のできが違う。教養のレベルもこれまで会ったことも無いような方でありました。何でも知っておられる。しかも根拠も明らかで、すっすすっすと文献名が出てこられる。哲人でありました。現代の哲人。
・朱色のTシャツに、ご自分で作られた版画を、コンピュータを駆使してTシャツに取り込み着てこられた。残念ながら著作権の関係で、ぼかすしかありません。表情を出したいほど実にちゃ~み~なおじいさまですが、これもまた目線をかけさせていただくしかありません。
・わたくしと25歳年齢が違っているということは、わたくしの親父であっても不思議はない。もっとも、わたくしの親父殿は、生きていたら90歳。されど、このようなちゃ~み~なおじいちゃんと親子であったらなんと楽しいことであったろうと感じておりました。
・他にもたくさんツーショットをとりました。選択して、昨日メールでお送りしたら、今日の2時頃には、メールの返信がありました。ありがとうと言われているわけです。
・コンピュータソフトで昨日の夕刊を点字に翻訳するボランティアをやっておられたのは知っていたのですが、「それが忙しくて出せなかった・・・・・・・ごめん!」と言われる。
・唸りました。
・人生の達人を通り越している。すばらしい方であります。ある意味、こういうような生き方をしながら、不肖*******も年をとっていきたいものであります。
・世の中のしがらみや、他人がどうした、こうした、誰がもうけた、損した、組織がどうだら、こうだら、誰が月給なんぼもらっているだの、退職後どうすんだの、・・・・・・・・・表象的なことには関わりたくございません。
・人生の達人と、ずっと話をさせていただいていたのは、この達人、ある私立大学大学院の修士課程にも在学されていて、「ワシは出世するために勉強しとらんけ」と大笑いしながら言われるからであります。もう・・・・・すこぶる超越しておられる。納得納得。達人のような方が真の意味での学問好き。出世亡者への強烈パンチですなぁ。
・怪人と申し上げたら失礼ですが、非常に快適な意味で「快人」とでも申し上げるべき方でありましょう。
・来年以降もどっかの大学院で勉強なされるんですかと伺いました。そうしたら、「90歳になっちまう、でもやってみるかねぇ」とのんびりとおっしゃる。わたくしは、達人、充分やる気だなと非常に尊敬してしまいました。
・「とやまくん!まだ60じゃぁないか。これから勉強せんといかんでっせ!」とも。
・「ワシの同級生なんか、殆どベットの上にいるか、もういなくなっちまっている。ワシが、病院に行って激励しているんだ。」
・「ワシを見習えといいたいねぇ。快食・快眠・快便、適度な運動、そして学ぶこってすよ。ギターも最近覚えて、85歳のワシが、老人ホームでギターを弾いて年下を慰問しとるんだ」とも。
・「でもなぁ、ギターって難しいねぇ。とやまくん、ギターできるか?」
・「できません、先輩」
・「ワシ、楽譜の点訳もボランティアでやっとんでっせ。あれが難しいけど、チャレンジだなぁ。」
・いやぁ楽しい楽しい。名刺交換をして住所もお聞きしたので、名古屋まで行ってみたいものです。コンピュータもデスクトップと、ノートパソコンとかなり使いこなしておられる。
・一番、凄いのが文章表現力でありましょう。85歳で、すいすいと論文をこなされる。こういう方が真の意味での学究と呼ぶべき方でありましょう。今年最大の大収穫でありました。ほんとうにすばらしい方と出会えたものであります。
・最後にしますが、昨日、スポーツジムでこの話を同年のジム仲間にしたのです。「最近元気が出ない、年取ったなぁ、出歩く気にもならんし」とずいぶん弱気なことばかり言っている。「とやまさん、あんたはどうだ?」
・そう聞くので、「おいらたちのような60歳くらいでへたれこんでおっては、この話の人生の達人のような人から笑われますぜ」と申し上げたわけです。同年ジム仲間君は、びっくりしてのけぞっていました。さらに他の人にも吹聴していた。
・在校生諸君もがんばりましょうね!60歳も、85歳も頑張っておるんですから。
・また来週!
(宿題終わりましたか?・・・・・・・・・・・・)