・コリン=ウイルソンという作者の「アウトサイダー」という本は、高校生くらいの自称文学少年のバイブルである。これは体験上間違いがない。
・なぜ間違いないというかというと、私の高校時代にいたのである。天才的な文学少年である。まったくの同級生で今は政治家をやっているそうだ。高校卒業以来会っていただけないが。(あたりまえか・・・田舎暮らしのじじぃですからなぁ)
・なにしろなんでも知っていたのである。本当である。どこまで優秀なんだと心の底から尊敬をしていた。日本の文学だけではない。西洋でも、インド哲学でも、中国文学でもなんでもござれなのである。
・そして、なにより彼はもてた。しかもすこぶる美人ばかりにもてた。正直、腹が立ってならんかったのだ。とほほ、とほほの連続であったのである。
・だって指をくわえているだけの存在というのは、ミジメでっせ。
・しかし、柔道部で、応援団で、趣味で文芸部に所属していた私のような、雑多主義とは違って、純粋に文学を志向していた。と、当時の私は思っていたのである。
・私の卒業させていただいた高校は、(まったく間違って卒業したのではないか・・・)田舎にあるが、かなりの進学をしていく高校であった。国公立に現役で170名は合格してしまうのである。これはなかなか刺激的であった。
・なぜか。
・それは私が、できないからである。成績劣悪。まったく刺激的な高校生活を送らせていただいた。感謝しているんです。マジで。
・柔道部をやり、応援団で硬派を気取っていたのである。まったく、今思えば顔から火が出るようなものである。だから刺激的なのだ。だって、顔から火が出たら熱くてやけどするではないか。(とほほ)
・さきほどの天才文学少年にもどろう。
・彼のバイブルがあったのである。それがこの「アウトサイダー」である。文芸部の部室に忘れていったのだ。
・悪いけどぱらぱらめくって「あっ」と気がついたというわけである。いわゆるタネ本というやつだと。
・なにしろ引用文献が数量的にものすごいのだ。まともに読んだらおそらくついていけまい。「アウトサイダー」の中に出てくる作品群をいちいちあたっていたら、それだけで齢を重ねていってしまう。
・そもそも10代後半ですべての文学作品に通ずるわけにはいかないというのが、常識であるはずなのにそれに気がつかなかったのだ。おまけに、尊敬までしていた。
・それはそれで感謝しているが。
・彼との出会いがなければ、学部時代にドストエフスキーに出会うこともなかっただろうし、それはそれでいいことであった。
・しかし、なんか腑に落ちないのである。
・理由がである。
・そりゃぁ文化的資本というのは、他者の受け売りであるということを言われる方もおられるのであるから、(レヴィ=ストロースだっけ?)、所詮そんなものかもしれない。
・ま、いいか。若かったからということ、あるいは人間ってそんなもんですよ、そんなもんということで。
・もっとも、私の長女の場合も似たようなことをしていた。ある女子大学の日本文学科で漱石を卒論に選んだのだが、前半部分はまだよしとして、後半部分は息切れがしたのか、ストロース先生の言われるとおりになってしまっていた。
・私も人のことは言えない。情報を得るということは、確かに他者からの情報提供を受けているからである。それを自分なりに読みこなしていくしかないからである。
・私の場合は、このようにブログに書くことによって、そうした雑多なものを整理統合して、ある一つの物語を思いついているだけにすぎない。
・これでいいのではないか。むろん、盗用は厳禁である。(ホンマにこれはいけないっすよ)
・しかし、ある一つの物語を思いつくということは、普段からの地道な情報収集がものを言うと思うのである。
・その点だけは若いころからずっとやってきた。
・なにしろ活字中毒である。書くために読む、読むために書くのである。
・ブログの非常に良い点がここにある。自分のために書いているようなものである。ボケ防止(ホンマに)のためでもある。
・こんなブログ、誰も読んでくださる方はいないだろうが、書きながら勉強しているんで、どうかお許しを。
・アマゾンで購入するとかなり安価で購入できる。これもまたいい。しかし、若い頃はこんな本の買い方があるとは、想像もしなかった。まったくである。
・また次回に。