と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

3月31日(土)のつぶやき

2012年04月01日 04時02分16秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
09:19 from web
①今日孫が長女と共に家に帰ってくる。楽しみである。実に楽しみ。朝からそわそわしているんで、古女房ドノがあきれている。(^0^)/ウフフ

09:20 from web
②たわいもないじっちゃんである。名前はどうなるんだと言っていたら、ナント私の推薦した名前になるようだ。これからムコドノが家に来るんで、確認してみたいことである。

09:22 from web
③あ、ムコドノが来るんでは、お風呂に入れるのはじっちゃんの仕事ではなくなる。無念である。

09:25 from web
④今朝4時から仕事をしていたので、ちょっとふらっと町まで行ってこよう。いろいろと来週から忙しいんで。院生と、教職課程の非常勤講師とかねているから、講義資料も作らなくてはならんのです。さらに、予備校の講師も。

09:25 from web
⑤見た目はまったくのじぃさまですが、中身は実に若々しい(自分で言うか・・)

09:27 from web
⑥もうひとつ楽しみは、明日スポーツジムが移転してオープンする。こちらも相当楽しみである。運動することが、私の日課となっているから。柔道が弱いのが実に残念であるケド。

09:31 from web
⑦最初はクルマのディーラーに行くつもり。点検である。長いこと酷使してきたクルマである。ご苦労様であるから。新型車も来ているというので、そっちも試乗してきましょう。クルマもバイクも好きなんです。本当は。

09:31 from web
⑧では。。。。。お昼まで不在となりまする。

21:36 from gooBlog production
つまらない慚愧の話です goo.gl/39Nou

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あと3時間

2012年03月31日 21時36分15秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・あと3時間である。新しい世界への旅立ちが待っている。楽しみである。明日は、4月1日であるからである。時間というものは、冷酷である。ただ過ぎ去るだけであるから。そんなもんなのであろう。一切の感傷を許さないのが時間というものであろうから。

・ホントに、好き勝手に生きてきてしまったのだなぁと思う。高校時代は、かなりの進学校であったのに、食えもしない勉強をやりたいと言って親父を困らせた。これは今もって親不孝をしたと思っている。今になって、親父の言ったことが身にしみるからである。

・親父は、シベリア抑留を経験した軍人であった。第二次世界大戦で我が日本軍が負けた時に、ソ連軍にシベリアの奥地に引っ張っていかれた。死を覚悟したという。戦友達も、多くが凍死と餓死をしたのだった。いつもその話を聞いて育った。なんという過酷な体験であったろうと思う。

・親父は、マルクスにも詳しかった。実地体験として、当時のソ連の政治体制を知っていた。

・抑留体験が、親父のこころの奥底にニヒリズムを棲まわせたんだろうと思う。戦後の人生は、余り物の人生であったのだろうと思う。哀しい体験であった。戦争こそ憎むべき体験である。

・しかし、そういう親父にいろいろなことを聞いたということは、私に早熟な体験を迫ったのである。これは否定できないことであった。

・もうちょっとまともな小中学生時代、高校時代を送っていたら、おそらく私は教師にはならなかったであろう。本当に、国語が苦手であったし、興味のあったのは別の分野であったからである。

・高校時代の弁論大会というのに出場するのが大好きで、私は、バカなことに、まったくバカなことに、将来は世界に雄飛する経済人でありたいとくっちゃべったのだ。わらっちまいますなぁ。聞いていた同級生達もあきれていただろうと思う。バカが、またあふぉ~なことを言っていやがるというもんであったろう。

・いいんだ、いいんだ。青春というのは蹉跌の連続である。失敗があっていいのである。だから、私は生徒に対しては優しい先生であったと思う。だから、今でもつながりが教え子たちとあるのである。ありがたいことである。

・ただし、一点謝罪をしなくてはならん。それは、こんな変わり者の教師に関係性を持ったことを申し訳無いと思うからである。所詮、私は多くの教師達のようなエリート性に欠けるからである。欠けるどころかまったくないんである。教師というと、ほんとうに優秀な方々ばかりである。私はそうではないからである。劣等生で、カネもチカラもない。(美男だと言っているのでもない・・・トホホ)

・大学の学部だって、新聞配達をして通学したのだ。本当に貧乏だった。おっと、それは今でもそうだが。

・ただし、学部時代の同窓生の誰にも負けないくらい本を買った。新聞奨学生をやっていると、まじめにやっていれば相当の収入がある。食事の心配も無い。住むところの心配もない。問題は、時間がなかった。夕刊配達があるから、午後の2時までしか学校にはいられないからである。時間の圧倒的な不足を、自学自習するしかなかったのである。しかし、これは勉強になった。

・大学院に行った同窓生もたくさんいた。私は、ダメだった。出席時数を心配しているようでは、所詮ダメである。つまり、お坊ちゃまではなかったからである。学部の同級生達は、いじけている私を随分激励してくださったものである。感謝している。今でも。

・男子学生で、後に長野県の高校の国語教師になった細*君には本当に今でも感謝している。あまりに多忙な私が、学校の欠席が多いので、心配して新聞販売店まで迎えに来てくれたこともあった。長野県の温泉町の旅館の息子であった。優しい男であった。ありがたいことである。

・彼も今年退職したのである。

・これからはどんな人生を送るのだろうか。旅館のご主人で悠々自適なんだろうなぁ。うらやましいですよ。

・そんなわけで、私は女子学生にはまったくもてず、反感ばかり感じていた。ちゃらちゃらして学校に遊びにきているような輩はとくに嫌いであった。もっとも、あちらさんも大嫌いであったでござんしょうが。

・そのころから、プチブルというか、ブルジョワというか、金持ちが嫌いになったんですねぇ。こっちにカネがないからでしょうけれども。

 

 

・今日は実に嬉しい時間を送っていた。孫とずっとニコニコしていたからである。かわいい。実にかわいい。まるっきり崩れている。カオが。(^0^)/ウフフ

・どうでも良いんだけどね。死んだ親父が、今の私を見たら叱るだろうな。もっと勉強せいって。やってますぜ!親父ドノ。早く独立心を育成していただいて、感謝しています。ちょっと変わりモンになっちまったケド。ま、後悔はありませんです。ホントに。それなりに充実していたし。

あと2時間30分だ。待ち遠しいです。

 

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退職辞令をいただいた

2012年03月30日 23時29分41秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・退職辞令をいただいた。

・感無量である。37年もやらせていただいた。本当に感謝している。ただし、なんの成果も残せなかったと自戒している。あとは次の校長先生に託すしかない。主役は生徒たちであるから。

・今日は、退職されたほかの校長先生の思い出が書かれた冊子も送られてきた。楽しく読ませていただいた。いろいろな経験をされてきたわけである。

・私は、書かなかった。書けなかった。理由はない。

・たまには、こんな変わり者がいてもいいのだろう。未練もない。

・これからのことで実は大変思い悩んでいるくらいである。むしろそちらの方の大変さが迫ってくる。専門の分野で論文が書けるだろうかという不安である。わからないことがあるから勉強するのだということは、普段から考えているが、それも程度問題である。ゼロの知識からは、耐えられる世界ではないからである。次の世界は。

・当たり前だと笑われるであろう。だから、食らいついていくしかないのである。

・雑学的な書籍は今回の退職で相当処分した。専門分野に絞っている。

・リセットである。異動のたびに、書籍の処分をしてきた。今回は「大リセット」である。

・小学校、中学校、高校、大学、大学院とリセットを繰り返せる日本の教育制度はなかなかいいものである。小学校から中学校というのはリセットとは言えないのかもしれないが。転校でもしないかぎり、居住地の近くの学校に行くのであろうから。

・今回は、大学院に進学させていただく。放送大学大学院では選科生であったが、数としては3校目になる。大リセットである。

・ただし、テーマは修士からの発展型である。情報収集をして、アタマの中に、展開の仕方をあたためている。

・問題は、その質である。どの程度のレヴェルで展開が可能となるのか。それが一番難物なのだ。




・今日の夜はオルテガを読んでいた。

・「大衆の反逆」である。アナトール・フランスの「愚か者は邪悪な人間よりも始末が悪い」という文から、オルテガは「邪悪な人間はときどき邪悪でなくなるが、愚か者は死ぬまで治らないからだ」ということを書いていて、その部分にドキッとしたからである。

・まさに私のことではないか。

・また、オルテガの大衆論は「大衆とは、自分が『みんなと同じ』だと感じることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、そのような人々全部である」とある。

・これもまた気をつけなくてはならないことである。どうしても人の思惑を気にして、他者と同じような行動をしていると安心してしまうのは、私にもあるからである。

・だから他者と同じようなことをして自己満足していないかどうかということを注意していかなくてはならないのである。

・そこに自己の工夫がある。それでないといけないと私は思っているのだ。




・だからこの視点でこれからの私は情報収集をしていかなくてはならないのだ。

・そこにこそ独自性が出てくると思うのである。まねをしているだけではダメであるからである。

・ただし、いつも言っていることだが、情報収集というのは文化的資本の受け売りでしかない。まったくのゼロから独自性を構築することはできないからである。

・それができるのは天才のみである。



・明日からまたまた読書三昧の生活になる。県立図書館に行こう。そしてこのブログに書いていこう。考えたことを、あるいはアイディアを。もう広報活動は不要になったのだから。

・孫が帰ってくるけど。

(こっちの方が楽しみ、楽しみ)




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3月29日(木)のつぶやき

2012年03月30日 03時55分23秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
15:48 from gooBlog production
厳島神社御神能 花月 goo.gl/fn4i4

17:00 from web
① いよいよである。新しい学びが始まる。こいつは相当きついことである。私にできるかという不安がたくさんある。

17:02 from web
② しかし、ある意味楽しみでもある。中学校、高校の教員をやって、さらに別の世界にである。楽しい人生でありました。これまでも、これからも。

17:04 from web
③ 今朝学校に来るときに、ふと思った。まだまだこれから勉強だなと。

17:05 from web
④ 世の中には、こんなのがいてもいいんでしょう。ある意味カンフル剤でありますから。

17:09 from web
⑤ 明日は退職辞令の交付である。川の流れは、まだまだ続く。今は、まだ中流であろうと思っている。どんな流れが続くのか、楽しみでもある。

17:11 from web
⑥ 川の下流には何が待っているのだろうか。これからの楽しみである。

17:11 from web
⑦ お世話になりました。

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わからないことが多くあるから

2012年03月28日 11時02分24秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・いろいろな思想家の本を読むことを楽しみにしているが、やはり場当たり主義でなんでもござれではいかがなものかと思う時がある。

・C・ウイルソンの「アウトサイダー」(紀伊國屋書店)ですら、多くの引用文献を扱っていて、自称文学少年にはタネ本となるくらい有用性があるのである。それはそれでいい。ある種の傾向性を持っているからである。ただし、若干おふざけで書いたのではないかと思うところもある。なぜか。不勉強な読者(まるで私のことだ)を欺くことにかけては超一流であると思うからである。

・私はわからないことが多くある。わからないことが多くあるから学ぶのである。当然である。最初からなんでもわかって、気がついて、なんでもかんでも理解できるようなすぐれたアタマを持っていたら、そんなに苦労はしないのである。

・当たり前である。

・知識の量を誇ったり、読書の量を誇ったりしていてはならない。否、知識量や読書量はあっていいのだ。私は誇ることに疑問を持つ。

・C・ウイルソンは、難解きわまる多くの文学作品を「アウトサイダー」で取り上げてみせ、感心してみせ、わかったふりをしている私のような中途半端な読者をからかっているのではないのか。これはきつい。実にきついパンチである。そのことに気がついたら、わかっていないということであるのだから、勉強するしかなくなってしまう。

・無限循環である。

・だから生涯学習が私には大切となるのである。

 

・また実社会で使われているいわゆる業界用語というものも、わかって使われているんだろうかとふと思うことがある。多くの業界用語がある。いちいちそれらを定義づけて使っているとは到底思えないからである。むしろ、定義は曖昧でもみんなが使っているから、たぶんこういう意味で使っているんだろうという思い込みで、暗黙の了解で使っているのではあるまいか。

・ファーストフード店に10年くらい前に行ったことがある。あのときに、びっくりしたのだった。まるっきりマニュアルどおりに発声をしておられる。古本チェーン店でも、ひっきりなしにマニュアルどおりの大声が飛び交っている。哲学者の中島義道先生だとうるさいと一喝されるのではないかと密かに思っているのだが。ま、普段からお世話になっている古本チェーンであるから、黙って本を捜しているケド。

 

・わからないまま過ごしたくはないものである。こんなじぃになってもわからんことがたくさんあって、今まで何をしてきたのだろうかと思っている。さらにしょうもないのは、せっかく苦労して覚えても、ドンドン忘れていくのだ。恐怖である。だから、強制的に復習をするしかないのである。

・困ったもんである。仕方ないケド。せめてもの抵抗をしていくしかないのだ。衰えていく頭脳に。でないと後悔する。

・それでも人間は年をとっていく。そして、最後は死ぬ。誰でもである。誰でも死んでいくのだ。だったら最初からなんにもしないでいようというのは、いかん。生まれて、生きて、死ぬということの中にこそ、尊いものがある。昔のことを考えたり、あまり未来のことに拘っておると病む。今をきっちり生きるしかない。

 

・送別会シーズンである。「別れ」もまた未来永劫に別れるのではない。未来でもなく、過去でもない。今のこの瞬間において、殆ど同じようなメンバーで、過去の職場で経験したことや、未来における展望などを語りあうわけである。シニカルに、それになんの意味があるのだということを申し上げるつもりはない。

・そうではなく、送別というのは、ちょっと別の世界にさよならを言って旅立つということであると思うからである。旅立つというコトバを使うと縁起でもないとお叱りを受けそうだが、そんな程度のものではないのか。人間だけが、送別会をするんだから。もっとも、ワンコが送別会をやって、お目々をごしごしこすっていたなんて話はみたことも、聞いたこともない。(当たり前ですねぇ)

・職場の戦友達と送別会で語り合うことは、自己主張の場であってはならない。オレはこんなにこの職場に貢献したのだとか、どうだ凄いだろう?とくっちゃべっているのはみっともない。そんなのは、すぐに忘れられていくのだ。さよならをして、去るということはそういうことである。縁を捨て去るということである。忘れられて当然であるからだ。

・しかし、だからといって全面的におめぇなんか何の価値もなかったと他人に言うのはもっとバカである。去って行く人にあまりにもそれは失礼である。儀礼であってもいいのだ。すばらしいご活躍であったということも、また大人としての作法であろう。そう思うのである。


・静かなる心で、去っていきたいものである。もう二度と会えない方々も多くおられるのだから。「お世話になりました」というコトバは、そういう大人の智慧を意味していると思うからである。

・私も明日最後の送別会がある。

・「お世話になりました」と心を込めて申し上げるつもりである。


 

 

↓ 語源辞典から

【意味】 世話とは、気を配って面倒をみること。手数をかけて援助すること。手数がかかってやっかいなこと。お世話。

【世話の語源・由来】

「世間でよく言われる言いぐさ」「世俗の人が用いる話し言葉のこと」が本来の意味で、世間の人の話の意が原義となる。
転じて、「日常的なもの」「通俗的なもの」の意味となり、「世話物」「世話場」という言葉が生まれ、江戸時代からは「面倒をみる」意味で用いられるようになった。
江戸末期の文献には、「だれがおまえはんの病気の世話をしますえ」とあるが、この「世話」は「せわしい」の「せわ」の下略と言われており、「世話」は当て字となる。
江戸中期には、形容動詞として「やっかいなさま」「面倒なさま」を表すようになり、江戸末期には「世話が焼ける」という句も見られる。

 

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初孫ができました

2012年03月25日 22時42分57秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・本日午後2時46分、初孫が誕生いたしました。男の子であります。母子共に健康であります。これでやっとホンモノのじいになることができました。拙ブログのようにまさに「還暦老人」の最大の喜びであります。


・若いときからじいになったらどんな心境になるのか、楽しみでありましたから。

・名前はムコドノが考えるらしいのですが、どうなるやら。

・孫が20歳の時に私は80歳。おそらく孫と一緒に大学に入って後期高齢者大学生として勉強していたりして。(^0^)/ウフフ

・あ、さる大学の先生に今度生涯学習で一時間講義せよと言われました。快諾してきました。それこそ私の本望であります。だって、ずっと生涯学習ばかりやってきたんですから、経験論的にはなんでも言えます。語れます。こんなあっしで良かったらということであります。


・しかし、今日は午後から休暇をとっただけのことはあった。嬉しい、嬉しい。ワシもじじぃでっせということなり。

 

・動画をずっと撮っておりました。病院に入るシーンもあります。長女との会話シーンもあります。大変だったとのたもうておりました。長女が母親になったのであります。尊いことであります。実に感謝感激。

・さっき夜の剣道教室稽古から帰ってきた長男に冷やかされました。あま~いじぃになるんだろうなぁって。ホントに、ホントに激アマじっちゃんになりそうだ。(我が家は長男が剣道、私が柔道で武術ばっかりやっておる家であります)

・それでもいいんですよ、それでも。

・後継者ができたということでありますから。もっともそれはヨソンチの嫁さんになったんですから、若干のラグがありますが。

・それでぇぇんですよ。それで。人類学的には。ストロース先生のおっしゃるとおりです。


・いつ私の家に帰ってくるのか楽しみであります。早く風呂に入れて楽しみたい。・・・?・・・・母になったばかりの長女にそれはダメと断られたらどうしよう(オロオロ)


・しかし、孫のいる老年学生で、城西国際大学大学院の同級生たちは、びっくりするでしょうなぁ。ごめんなさい。決してじゃまするつもりはございませんから。

・さ、寝よう。疲れましたから。


・また次回に。


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千葉科学大学学位授与式

2012年03月25日 21時23分41秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・今日は千葉科学大学の学位授与式に参加してきた。

・来月から職を失うので、そしてその職場は千葉科学大学のすぐ近くにあるので、お世話になりっぱなしであるからである。つまり私の学校の卒業生が多数入学させていただいているからである。

・いつもながらいいものである。学校を巣立つ若者たちを祝うということは。なにより、パワーをいただける。若い力にである。それが憧憬の対象でしか無いというのが若干悔しいが。

・卒業生総代というのであろうか。卒業生を代表してある女性の答辞があった。私はその内容にすばらしいものを感じた。看護師をやられていたそうである。大学を出られてから。

・そして、看護師の仕事を通して、薬学の知識が必要であると感じて、10年程後輩の諸君と席を並べて猛勉強をされ始めたのであるとのことであった。

・見れば、殆ど私の長女と変わらないとおぼしき妙齢のご婦人。

・感動した。

・本当に、聞きながらハンカチを目元に何度も持っていった。

・すばらしいことである。帰ってきて、古女房ドノにそれを報告してみた。古女房ドノも感動していた。古女房ドノも現在は千葉県立保健医療大学になっているところの栄養士養成課程をリッパにご卒業なされて、つい最近まで現役であったから。しかも看護師も、助産婦さんもなんでも養成可能な学校であったのである。現在幕張の放送大学の真ん前に古女房ドノの母校はある。

・ま、そんなことはどうでもいい。

・私である。私の琴線に触れたのである。なぜか。私も来月の3日には、相当年下の同級生と共に入学式を迎えるからである。年下の先生に教えていただくこともあるだろう。それでも、私は学生である。(院生ともいうのだそうですね・・・)

・定期券を買って、しかもそれは学割だから、毎日大学に通学するのだ。(^0^)/ウフフ

・楽しみである。図書館にも毎日行こうと思っている。

・3年以上も行かせていただくのだ。ありがたいことである。毎日毎日基礎文献を読み、それをノートにしたり、カードをとる。タブレットパソコンで、概要をデータベース化していく。わからないことは、周囲の俊秀達に議論をふっかけてみよう。得るものはたくさんあるはずである。

・ワハハ、ワハハの毎日である。

・イヤァ・・・こんな人生が60歳になって待っていようとは、夢にもおもわなんだ。ただし、退学しか後はない。相撲の横綱みたいなもので、負け越したらそれっきり。引退という名の中退しかない。これから、3年の間に3回の資格試験がある。英語もある。やれるか?・・・・正直言って怖い。無謀だったかなぁと自省もする。

・でもやってみなくちゃわからんとも思っておるのだ。確かに、加齢はしている。それでもやってみたかったから、やったのだ。チャレンジしてみたのだ。駄目でも命までとられるわけではない。ましてや、これからなんかのライセンスをとって、なんかになってやろうという野心もない。なんにもならなかったことに、意味を見いだしていくしかないのである。知的なチャレンジをしていきたいというただそれだけであるのだから。

・なんてね・・・・・・格好つけていますなぁ(^0^)/

・なんだかねぇ、還暦を迎えてみると、世間のしがらみというか、出世だとか、世間体だとか、悟ったとか、天上天下唯我独尊とか、天下無敵とか、成果主義だとか、なんだとか、あれだとか、これだとか・・・そんなの全部「ただのコトバ」でござんしたよ。

・何を勘違いしてせっせせっせとやっていたのかねぇ。ばかばかしい。そんなの全部「ただのコトバ」でございました。中身がまったくない張り子の虎。

・明日、教育界の人事が発表になるんだそうでござんす。まったく興味なし。もう永久追放されるんですからねぇ。誰がなんかになろうとも、あたしゃカンケイなくなるわけでござんしょう?

・天に生かされて、あるいは地にしっかりと足をつけてきたから今まで生かされてきただけでござんすからね。

 

・そんなバカバカしいことより、千葉科学大学の卒業生総代の女性のように生きていきたいもんです。

・武蔵野大学大学院の修了式にも博士がおられた。7名ほどだったような記憶である。私もああなりたいと思っていたのである。何故か。それはそれこそが、学問のさらなるスタート地点になると思っているからである。

・良い大学に囲まれてきたものである。ご縁を感じる。ご縁を。

・感謝である。

 

 

 

 

 

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武蔵野大学薬学部

2012年03月25日 21時18分46秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

<!-- 武蔵野大学薬学部 -->

 

ほんとうに良い大学です。

わたしのような大学はぐれ雲がいうのですから、まず間違いないですよ。

学部卒業後、通信教育で教員免許取得。

以来ずっとそれでごはんをいただいてきたけど。

それから仕事しながら中央仏教学院に学びました。

放送大学大学院も。

そして最近修了したのが、武蔵野大学大学院通信教育課程。

さらに来月から自宅近くの城西国際大学大学院。

その先も考えています。

修了は、一応85歳。

(^0^)/ウフフ

(勝手にすれば・・・と言われてます。古女房ドノに。)

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たけぞ~17歳

2012年03月22日 21時58分58秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・吉川英治先生の「宮本武蔵」は、好きだった。これまで通算で3回読んだことがある。一回目は、小学校の6年生だった。好きで好きでたまらなかった。

・乱暴ものの新免武蔵が、関ヶ原の戦いに参加して、そこからある一つの道を求めていくのである。最初は何がなんだかわからない性急さで、道を求めていく。スタートは殺しの道であったのかもしれない。

・しかし、途中から人格的な陶冶の面を追求し出す。沢庵和尚だったかに、お城に閉じこめられて、書籍を読むようになる。

・そして変化する。

・あのあたりがたまらなく好きなのである。このような生き方をしてみたいと真剣に思っていた。考えればませた子供であったと思う。

・映画の影響もあった。映画の宮本武蔵には、中村錦之助とかが出ていた。ふるさとの赤湯温泉映画館で、湯治にきているじっちゃん・ばっちゃんとワイワイ言いながら真剣に見ていた。なんと言っても亡父が映画好きで、毎週土日はお手手をつないで見ていたのだった。

・だから大人の見る時代劇とかにずいぶん詳しいひねた小学生であった。むろん、月光仮面とかも見た。こっちは農村のどこにでもいる我が朋友である。否、朋友なんてガラではない。ただの洟垂れコゾーである。

・徒党を組んで、へいてい団とか名前までつけて、山を湖を、田圃を荒らし回っていたのだ。ドンは、ケンちゃんと言って頭が良かった。私の亡母が師範学校出の小学校教員で、ケンちゃんの母親も私の亡母の師範学校の先輩・後輩にあたるんで、ついつい親しくさせていただいたのだ。

・でもケンちゃんはどこかで猛烈に勉強もしていらっしゃったのである。常に成績は一番。たいしたもんである。私らと悪いことをしていても、出来るんである。こういうのを本当の秀才というのである。後に、KO大学という優秀な大学におすすみになられた。今、なにをしているかは知らない。

・話を、武蔵に戻そう。

・つまり少年社会環境において、私はタケゾーと言われた悪童時代の宮本武蔵とあまりかわらんかったからである。

・そして今日は「重大な発見」をしたのだ。

・それは「関ヶ原で負けた時、タケゾーは17歳であった」ということなのである。

・そういえばそうだった。確かに17歳であった。

・ところがだ。今、現代の17歳と言えば、なんたることか。

・まるっきりコドモではないか。

・私は、17歳のタケゾーはてっきり40歳くらいのあぶらののりきった確かな武術人みたいに思っていたからである。強いし、なにしろ生きる力がありすぎる。

・何を血迷っておるか!あれは単なる物語であって、そんなものを信じているバカがいるかとお叱りを受けそうである。

・でも、私は「物語」というものの持つ力を非常に信用している。

・だって、私の世代は似非マルクス主義者(自称も含む)がたくさんたくさんおられて、大学をロックアウトしたり、ヘルメットをかぶって、プチブルだとか、自己批判せよとか言っているエリートがたくさんいたんである。そして、大学の4年にでもなると、す~っと波が消えるように、髪を七三にわけ、きついにおいのマンダムらしきポマードをつけまくり、何食わぬ顔をして、一流企業にご就職されていったのだ。

・これを「物語」と言わずシテなんというのだろうか。

・甲子園で野球をやっている好ましい少年たちも自分なりの「物語」を作って登場してきている。これはこれで、楽しく好ましくこころから声援している。

・一生懸命という「物語」に私は弱いのである。感動してしまうのだ。




・話を再度元に戻そう。そうである。タケゾーの話であった。

・いきなりマンガの話になる。

・井上雄彦先生の「バガボンド」というマンガである。今日、ジムで読んでいた。例の古書店で105円。とてつもなくおもしろい。4冊買った。

・なぜか?

・コドモの武蔵が出てくるからである。しかも、すこぶる強い。身体的な能力に優れるばかりでなく、精神的な力もある。他者とコミュニケーションする力もある。戦場という全体の中で、自分の立ち位置を判断し、どう動けばいいか、どうやったら殺されずにすむかで動いている。これはたいしたもんである。

・切迫している中での成熟をせざるを得ないという状況である。早く成熟して大人にならないと生き残れないのだ。

・「早く大人になれ」と言いたいのだ。現代の17歳には。老成を拒否して、いつまでも若く見られたいというのではいかんぞな!と言いたい。

・漱石だって、正岡子規だってそうだ。豊かな教養を身につけ、あっという間にかなりの実績をあげていった。こいつはすごいことだ。

・中国には「石を枕とし、川の水で口をすすぐような暮らしをする」といった表現がある。のんびり暮らすといった意味合いのようである。でも、漱石はちょっとマチガイまして「今後は石で口を漱(すす)ぎ、川の水を枕として暮らしてまいります」って言っちゃった。漱石は、ものすごく頑固な人物だったんでしたなぁ。それで「いや私は間違ってなどおりません。石とは砂のことで、それで歯を漱ぎ、川の水で耳掃除をする。そんな暮らしがしたいと言ったまでです」という説もある。ホントかどうかは知らないが。


・漱石の年齢はとっくに私はすぎた。子規はもっともっと若かった。もったいない。無駄に生きている私は恥じなければならん。おっと、もっともこのお二人の大天才と比べるとはふてぶてしいと笑われるが。



・老けて見えるというのも悪くないもんである。悪くない。実にそう思う。理由は安全であるからである。もてないし、敵も作れない。もてないということは、無駄な銭も出ていかない。くだらないおしゃべりにもつきあわなくていい。さらに、演技でもいいから、弱そうにしていると実に助かる。実際助けてくださる方も多い。電車で席を譲っていただくし。それは尊い行為であるから、喜んで甘えさせていただく。実際は、スポーツジムでかなり鍛えているから座る必要がないのだけれども。人の好意は無にしてはならぬと思っているからである。

・実際私は、かなりのご老体に見えるらしい。(一度でも会った方は100%そうおっしゃる)

・義母が88歳である。義母と夫婦に間違えられることが多々あるからである。本当である。九十九里浜の造り酒屋に義母と買い物に行った時に、まごうことなくそう言われたのだ。もっとも義母が若く見えるのだろうということにしているが。


・柔弱こそ敵無しである。

・そういうことを今日は考えたのであった。


・また次回に!



 

 

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男ってものは

2012年03月21日 21時17分03秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・男ってものは・・・・と書き出すと、続くのは「だからダメ」という反応と「立派だ、力強い」というのと両方あるような気がする。

・もっともそれは当たり前であって、物事には両面があるからである。

・しかしだ。一番ハラが立つのが「男のくせに」というやつである。

・だったら「女のくせに」という言い方も成り立つのではないか。

・ま、そんなもんどうでもいいんじゃないの、と言われるとギャフンである。確かにそうだ。どうでもいいことである。

・しかし、ここで考えたいのが、男ってなんだろ?ということである。

・性差とかなんとか、あるいはジェンダーとか、あまり関係なく考えることがあるからである。

・高橋源一郎先生の小説を読むと、このあたりがはっきりしてくる。この間読んだ小説「君が代は千代に八千代に」という作品には笑った。

・おっと、笑っちゃいけないのか。

・小さい子供がビデオを見ているという設定。それが18歳以下は見ちゃいけないしろもの。そして決定的なのは出演者が自分の母親というもの。

・おどろおどろしいというか、設定自体はあり得ないものであろう。

・私は、高橋源一郎先生の文体の奥に、シニカルなものを感じたのである。

・性差というものへの誤解をである。

・思えば、なんだか世の中全部がおかしいのではないかと思うときがある。

・おつきあいをするということは、現代の世の中は夫婦同然の関係性を意味するのだそうな。

・佳作「負け犬の遠吠え」(酒井順子著)を読了した時も感じたが、なんだか男女の関係性において、非常にうすっぺらなものが進行しているのではないかと考えるからである。

・どうでもいいものが、はびこっているのである。男だとか、女だとか意識過剰なのではないのかと思う時があるからである。

・すべての価値の源流が、恋愛とか男女関係なのであろうかと疑問に思ってはいけないのであろうか。つまり否定的にである。

・AかBかとか、賛成か反対かはっきりしろという暴論と同じである。

・世の中には割り切れないということもあっていいのではないか。

・そういうこともあるんですよ、仕方ないでしょという村の古老がいてもいいのではないか。

・Aかもしれない、Bかもしれない、ま、ここは一つ折衷でいきまひょというじじぃがいてもいいのではないか。(私がそのじじぃである公算は高いという前提で書いているんですが・・・)

・「男のくせに」という言い方の後には、何がくるんだろうかと思うことがよくある。(「女のくせに」という言い方も一緒です)

・何を言いたいんでしょう?そういう言い方をよくする人って。

・たとえば、「男のくせに」という文頭の後に続くのは、たいてい否定の文章である。・・・・できないということである。

・だったら、極端に言って、もしここが戦場であったら、男のくせに敵を殺せないのはなぜだ?という言い方にもなってしまう危険性がありはしませんかと思うのである。

・それって、それでいいんですかね。

・そんなんで。そんなシンプルな文章で。

・そんなことではいけないんですよ。まったくいけない。人を殺したり、戦いを好んでいてはいかがなもんですかね。ちょっとそれではタブーを犯していることになる。

・人間は、やっちゃいけないことをやらないから人間であって、この節度を失ったらそれは知性を踏みにじり、ほとんど動物と同じレベルであるということになる。

・それでもいるんだ、その手の輩が。

・まさか、種の保存のために異種をあらかじめもぐりこませていたということにはならんでしょうけれども。生物学的には異端の存在は必要だそうですから。



・森進一の「冬のリビエラ」でしたっけ?

・男ってものは・・・という歌詞があって、冬の海をじっと黙って見ているというの。あれって、いいねぇと思う。普段、男はしゃべりすぎてくたびれているのだ。あの歌詞は、港を出ていく船のようだねと続くような気がしたが、ふむふむ身に染みる。

・なんてことを書いていたら、家のものに笑われたが。そんなに一人で生きていたいんなら、いいんだよと。つまり、私は女性という名の、あるいは母性の源である家庭から出ていって勝負できないだろうというバカのされかたをしているんである。情けないですなぁ。

・一人で港を出て行ったらおぼれてしまうだろうとも、おまけがついてきた。

・男なんて・・・結局一人じゃ生きていけないんだよという宣告である。

・まったくどこまでも自信たっぷりである。




・こういう自信はどこからきているのか。

・レヴィ・ストロース先生にご登場願おう。それは、女性は同種の部族・群れの中で生きることを許されなかったからである。近親相姦を防ぐために、女性は群を出て行かねばならなかったというのが、ストロース先生の分析である。

・だから強いんである。女性は。生きる力がみなぎっているんである。




・ま、この文章をこたつに入って書いているが、今、古女房ドノが左側のこたつに入ってきて、ドンと足をけ飛ばしたのだ。なんじゃ?こりゃ。

・わらっちまうねぇ。

・実に人生は楽しい。バカみたいに。

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「考える技術・書く技術」

2012年03月20日 22時07分58秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・懐かしい本を入手した。「考える技術・書く技術」(板坂 元先生 講談社現代新書)「本の読み方 スローリーディングの実践」(平野啓一郎著 PHP新書)である。今日のジム通いの前に、毎日のように行っている古書店チェーンで105円で買ったのだ。

・板坂 元先生の本には、いろいろと影響を受けた。それがいつしかご縁がなくなり、同時に学校経営の専門みたいなことばかりやってきた関係で、ご無沙汰をしてしまったのだ。

・江戸文学のご専攻である。1973年に初版が出ているから、ちょうど私の学部時代のころである。

・なぜ懐かしかったのかというと、その情報収集の方法においてである。

・黄色のダーマトグラフという色鉛筆を使って、本にラインをひきたまえというものなのである。これをさっそくまねたのだ。カードとりというのも、このころ知った。もっともあちらは梅棹忠夫先生の名著「知的生産の技術」から知ったのだが。

・板坂先生は、カードそのものは5×3インチの色別カードを使われていて、白はご専門の古典系である。こんなことも真似させていただいたものである。

・懐かしい。大いに懐かしい。

・さらに筆記用具の話まで出てくる。シャープペンシルや、その他もろもろ。これを眺めて神田あたり、お茶の水あたりまで進出して文具探しをするのもまた楽しみであった。

・情報収集をしたら、次はノートにいろいろと図解も含めてぱらぱらと書いてみる。また、レコーダーにつぶやいてもみる。これはいい。放送大学のI教授がやられていた。でかいコピー用紙に太い鉛筆で書き殴っておられた。なかなか楽しい作業である。こうやって知的エリートというのは、頭にたたきこんでおられるのだろうなぁと感心したことがあった。

・ここまでは、常套手段である。私のような愚者でもやれることである。

・最近気がついたのが、ブログである。読書メモを、こうやって、まさにこうやってブログで作成していけばいいのだ。実によく頭に入る。ノートの代わりのようなもんである。

・だんだん加齢と共に記憶力が減退している。だから自分なりに工夫しなくてはならん。

・それでなくても、さっき会ったばかりの人でも忘れてしまうようになってきたからである。名刺交換しても、きちんと覚えていないのだ。これには愕然とする。



・今日取り上げた二冊目の新書は、板坂先生の本とはちょっと違って、遅読の勧めである。

・高橋源一郎先生のこともちょっとあったからジムで自転車をこぎながら読んでしまった。ある意味遅読の勧めの本を、速読してしまったのだからこれは若干の嫌みを伴っているけれども。

・速読派だから、こういう本を買って自分を調整しなくてはならないのだ。

・私は知的な生活を送っている人間でもないし、知的エリートでもまったくない。ただのおじさん(じじぃともいう=トホホ)でしかない。田舎教師であったし、それももうすぐ永久追放である。気楽な半端人にこれからなる。ま、ある意味楽しみであるが。



・最後にしよう。

・アリストテレスの「ニコマコス倫理学」に書かれているような「最高の栄誉を担う人生の3型」のことである。

・快楽の人生、国事に携わる人生、観照の人生を彼はあげている。

・第一の人生は、単に動物の求めるものとかわらない。ほかの二つは、実践的と理論的の差こそあれ理性の使用をともなう活動を主体とするのだ。

・理想的な人生ということを書いているのだが、これまた困難なことである。

・個人としては、観照の人生でも送りたいとも思う。これはなかなか魅力的である。

・むろんかなりの反対者がおられるだろうということも感じながら、そう書いておく。

・だって、これから社会の中枢で活躍したいと思ってもできないではないか。

・わらっちまうくらい、体力が衰えているし。



・また次回に。



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武蔵野大学大学院通信教育部修了式

2012年03月19日 23時38分18秒 | 先公ごっこ2008年から2012年



・今日は、記念すべき日である。

・武蔵野大学大学院通信教育部人間学専攻(修士)を修了させていただいたのだ。実にうれしい。まったく能力も省みず、無茶なことをしたものである。

・一番良かったのが、武蔵野大学の学びのシステムの優秀さである。

・厳しいのであるが、先生方の面倒見の良さは本当に比較すべき大学を知らない。

・これまで、5つほど通信制の大学、大学院、専門学校等々をわたり歩いてきたが、最高である。

・もっとも、これは私の求めているものと、大学の提供してくださった教育内容がぴたり一致したからでもある。

・人生は有限であるということに気がついたのが、働き盛りの50代であった。大腸ポリープ4個が人間ドックで見つかったのである。手術をして、それから考えることができたのである。

・このことはある意味、幸運でもあった。転機があったからである。

・人間とは何か、あるいは死ぬこととは何か、老年学とはなにか、生きるとはなにかという人生の根幹に関わる問題が迫ってきたのである。

・そうである。そうした問題について考えることができたのが、武蔵野大学での学びであったのである。

・こういうことを若い頃から一番やってみたかったのだ。そう気がついたわけである。

・ただし、私は仕事を持っていたから、通学するわけにはいかない。

・通信教育しかない。

・これが良かった。本当の意味で学びがあったからである。学部時代とは全く別個。むろん学部時代とは違う大学である。

・それでもこれだけの教育内容を保証していただいて、感謝である。

・学部卒業以来38年。それなりに世間智はついている。ごまかされない。当たり前である。狡知に長けるおじさんなのだ。投資効果とかいう問題ではかなりうるさいのである。それでも、このおじさん(ほんとはじじぃだけど)は、納得できるのである。内容にである。

・唯一後悔がある。それはバーチャルな関係性しか構築できなかったということである。ほとんどスクーリングを受講できなかったのだ。職場に内緒で学習していたからである。

・本当にこれが残念であった。特に、修士論文に該当する特定課題研究でご指導いただいたK教授の授業をスクーリングで受講できなかったことは悔いが残る。

・そのまま武蔵野の他の専攻をやってみようかと迷った。しかし、対面授業の魅力には勝てなかった。定年を迎えて居住地の近くにある大学で学びたいというのは、かなりのものがあった。やってみたいということである。駄目でもともと。駄目だったとしても、充実感はある。それでいいのである。学びとはそういうものではないかと思うのである。

・生涯追求していくつもりである。

・ついている灯を自分から消すバカはいない。

・生涯学習の灯を。




・また次回に。


※多くの武蔵野大学大学院同級生の方々に深謝いたします。フラ夫さま、夢検索人さま、山*わ*さまには特にお世話になりました。

 

 

 

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武術というものは、なんのために

2012年03月18日 18時29分40秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・武術というものは、なんのためにやっているのだろうかということを考えることがある。

・少なくとも敵対関係を作り出して、勝ち負けを競うというようなものではなさそうだ。

・それは相手からの問題設定をいただくということである。柔道で組み合っているとき、腕を通して、ある種の情報が伝わってくる。それが問題設定なのである。

・Aという動きをしたら、あんたはどうすんだい?というような問答がくりかえされるのである。

・これが非常に貴重な体験になる。だから、いついかなる場合でも、武術をする人は対応に迫られることになる。

・問題が出されて、即対応をしなくてはならないのである。当然である。それが武術の本筋であるからだ。

・決して勝敗にこだわってはならない。競技ではないからだ。勝っても、負けてもこだわってはならないのだ。問答法だからである。

・つまり競技としてではないという意識を持っているからである。

・武術人としては、私は素人だから言えるのかもしれない。こんなことは。

・30歳くらいで、確かに4段の免状はいただいた。高校の柔道部顧問もさせていただいた。しかし、いつまでたっても「未熟」であるという思いがあるのだ。

・未熟であるから追求するのである。技もきかない、かからないから工夫するわけである。

・武術ばかりではない。武術を通して、いろいろな社会問題や、世間のことを考える。

・教育問題がコアになるか。そうかもしれない。たちどころに、答えることでなくてはならないのだ。問題に対しては。それが可能になるように、普段から準備をしておくことが武術人としての心構えである。

・もっとも、教育問題について対応を考える場合はかならず前提というものを私は問題にする。でないと、独断に陥るからである。

・さらに武術人は、いいものを学ぶことができる。それは応対辞令というか、丁々発止のやりとりの中で覇気をもって対応することができるということだ。リーダーとして必ず持っていなければならない能力がこれである。

・相手から攻められた場合、覇気がなくてはならない。言われっぱなしでは、いつのまにか責任まで押しつけられる。もっとも、最終責任を持っているのは組織のトップである。逃げられないのだ。それはそれでそういう生き方を選んだ以上仕方がない。

・教員として、多くの経験をしてきた。世間で言いふらされているように、モンスターなんとかというのもいた。

・聞くべきことは聞いてきた。しかし、あまりにも理不尽な場合は、やわらかに対応するしかない。相手の論理的矛盾を分析しながら聞く。そもそも、批判ばかりする方々は、批判をすればするほど相手は立ち直ってくれるという善意の人種なのである。だから批判をする。

・似非マルクス主義者というのもいた。個人的に文句を言うことで、それがいつのまにか万人の考えることであって、自分の説はいつでも正しいというふうに、主張を修正してしまう方々である。そして、必ず批判されるべき階級的な相手が想定されているのだ。相手がいるから、文句を言えるわけである。よって、階級的な闘争相手を常時作り出さなくてはならなくなる。

・一方的な攻撃の意志は、逆から考えると一方的な被害者意識にも結びつく。自分だけが被害者であると自己規定をして、相手を攻撃するわけである。正しいのはいつも自分だけなのである。

・だから相手を完全に消滅するまでたたく。これは私の嫌う戦争の論理と一緒ではないか。


・ともかくである。

・武術をやる人間は、考えなくちゃならんということである。世間に疎い(実際、私は疎い)と言い訳をしておってはいかんのだ。


・反省、反省。

・今日はこれから田舎暮らしをしているので、町内会の寄り合いがある。来月からなんだか暇だろうと思われているようで、ありがたいお役をいただくんだそうである。順番である。定年を待っておられたのだそうだ。田舎暮らしだから、私はまだまだ若造である。参ったね。大学生になるとか、院生になるって言ったって誰も信用してくれんだろうから。

・では・・・・・・・・・・行ってまいることにします。



 

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日くらし、硯にむかひて

2012年03月17日 17時07分11秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」

・有名な、ほんとうに有名な徒然草冒頭の文である。第1段。受験勉強の時に誰しもくぐる正門みたいなもので、実に懐かしい。暗唱もさせられた。否、させていただいた。

・この部分は、加齢にともなってだんだん理解できてくる。それは、「日くらし」である。「一日中」なのである。あるいは「朝から晩まで」なのである。

・このことがなにを意味するのかということを、最近は考える。

・終日、単調なリズムで時間が流れるということである。これはたまらんことである。

・退屈してしまうではないか。まるっきり定年後のと~ま君の生活ぶりではないか。(もっともそれがイヤで学生になったのだが)

・今と違って、テレビもないし、スマートフォンとかいうものもない。ないないづくしである。

・もっとも、学説によればそんなに暇人でもなかったらしいが。作者は。

・積極的に生きるにかぎる。年をとったらよけいにそうである。

・中途半端に完成したとか、もう俺のようなすぐれた人物に学ぶものはないとほざいていると、あっという間だ。なにが?・・・・あれです、あれ。お迎えです。

・方丈記の作者も日長一日閑に耐えていたらしい。こちらの方が私は興味深いのであるが、今、いろいろ勉強中の身としてはまたの機会にこのブログに書いてみたいことの一つである。

・こうやってただの感じたことを書き流していると、だんだん理解が深まる。これがありがたいのだ。書くために読む。書くから疑問点が起きる。そして調べる。この作業がいい。あたまの体操にである。

・加齢は、だから逆に考えるといいのだ。加齢しているから理解が遅い。それは認める。だったら、じっくり時間をかければいい。調べるのにも時間がかかる。だから大学図書館にずっといればいいのだ。楽しいし。健康にもいい。わからんことは、図書館に専門のうら若い方々がたくさんおられる。専門書もある。(こういうときが、私はいちばん幸せなのだ・・・)

・私事だが(もっとも、このブログというものが最も私事である)、居住地の県立図書館に行くのがやはり楽しい。いつもずっと読書をしているのだ。

・ノートもとる。若い頃は気取って京大式カードB6版のを使っていた。これは勉強したと言う気にはさせてもらえる。その点ではありがたいツールだった。しかしだ。能力のない私には重荷であった。次から次へと忘れていくのだ。書いたという安心感から忘れるのだから、重症である。

・つまり私はよい子ではないのである。学校受験秀才ではなかったからである。再生機能が?なんだねぇ。

・もっとも、人から査定されるということを極端に嫌っていたから、こんなもんでしょう。こんなもん。こういうのは、半端な隠棲人で過ごすしか無い。

・されど兼好法師である。何者にもならなかった人という風にNHKのシリーズもので、有名な予備校の古典講師が言っていたが、(昨日録画していたのを一気に4回分見た)そうかもしれないなぁと思ったのである。

・私もそうだ。なんにもならなかったし、なにかになろうともしなかった。

・生涯学習も、目的があって、それにむかってひたすらばく進するというのでもない。

・古女房ドノは、道楽で勉強しているんだからいいわねぇとおっしゃるが、まったくそれに近いのかもしれない。たまに、能楽をふらっと見に行くし、夜は夜で、身体知を知るとか言って、おさなご達と柔道をやっているからだ。

・実はありがたいことである。感謝している。

・誰に?

・おさなご達と古女房ドノにである。



・さぁ、今晩も柔道である。リラックスが今日のテーマである。オイラも、リラックス。相手もリラックスさせて、敵をつくらない。そういう関係性の中で、技がどうきくのかということを考えて参りたい。

・また次回に。


 

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コリン=ウイルソンという作者の「アウトサイダー」

2012年03月16日 17時41分30秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・コリン=ウイルソンという作者の「アウトサイダー」という本は、高校生くらいの自称文学少年のバイブルである。これは体験上間違いがない。

・なぜ間違いないというかというと、私の高校時代にいたのである。天才的な文学少年である。まったくの同級生で今は政治家をやっているそうだ。高校卒業以来会っていただけないが。(あたりまえか・・・田舎暮らしのじじぃですからなぁ)

・なにしろなんでも知っていたのである。本当である。どこまで優秀なんだと心の底から尊敬をしていた。日本の文学だけではない。西洋でも、インド哲学でも、中国文学でもなんでもござれなのである。

・そして、なにより彼はもてた。しかもすこぶる美人ばかりにもてた。正直、腹が立ってならんかったのだ。とほほ、とほほの連続であったのである。

・だって指をくわえているだけの存在というのは、ミジメでっせ。

・しかし、柔道部で、応援団で、趣味で文芸部に所属していた私のような、雑多主義とは違って、純粋に文学を志向していた。と、当時の私は思っていたのである。

・私の卒業させていただいた高校は、(まったく間違って卒業したのではないか・・・)田舎にあるが、かなりの進学をしていく高校であった。国公立に現役で170名は合格してしまうのである。これはなかなか刺激的であった。

・なぜか。

・それは私が、できないからである。成績劣悪。まったく刺激的な高校生活を送らせていただいた。感謝しているんです。マジで。

・柔道部をやり、応援団で硬派を気取っていたのである。まったく、今思えば顔から火が出るようなものである。だから刺激的なのだ。だって、顔から火が出たら熱くてやけどするではないか。(とほほ)

・さきほどの天才文学少年にもどろう。

・彼のバイブルがあったのである。それがこの「アウトサイダー」である。文芸部の部室に忘れていったのだ。

・悪いけどぱらぱらめくって「あっ」と気がついたというわけである。いわゆるタネ本というやつだと。

・なにしろ引用文献が数量的にものすごいのだ。まともに読んだらおそらくついていけまい。「アウトサイダー」の中に出てくる作品群をいちいちあたっていたら、それだけで齢を重ねていってしまう。

・そもそも10代後半ですべての文学作品に通ずるわけにはいかないというのが、常識であるはずなのにそれに気がつかなかったのだ。おまけに、尊敬までしていた。

・それはそれで感謝しているが。

・彼との出会いがなければ、学部時代にドストエフスキーに出会うこともなかっただろうし、それはそれでいいことであった。

・しかし、なんか腑に落ちないのである。

・理由がである。

・そりゃぁ文化的資本というのは、他者の受け売りであるということを言われる方もおられるのであるから、(レヴィ=ストロースだっけ?)、所詮そんなものかもしれない。

・ま、いいか。若かったからということ、あるいは人間ってそんなもんですよ、そんなもんということで。

・もっとも、私の長女の場合も似たようなことをしていた。ある女子大学の日本文学科で漱石を卒論に選んだのだが、前半部分はまだよしとして、後半部分は息切れがしたのか、ストロース先生の言われるとおりになってしまっていた。

・私も人のことは言えない。情報を得るということは、確かに他者からの情報提供を受けているからである。それを自分なりに読みこなしていくしかないからである。

・私の場合は、このようにブログに書くことによって、そうした雑多なものを整理統合して、ある一つの物語を思いついているだけにすぎない。

・これでいいのではないか。むろん、盗用は厳禁である。(ホンマにこれはいけないっすよ)

・しかし、ある一つの物語を思いつくということは、普段からの地道な情報収集がものを言うと思うのである。

・その点だけは若いころからずっとやってきた。

・なにしろ活字中毒である。書くために読む、読むために書くのである。

・ブログの非常に良い点がここにある。自分のために書いているようなものである。ボケ防止(ホンマに)のためでもある。

・こんなブログ、誰も読んでくださる方はいないだろうが、書きながら勉強しているんで、どうかお許しを。

・アマゾンで購入するとかなり安価で購入できる。これもまたいい。しかし、若い頃はこんな本の買い方があるとは、想像もしなかった。まったくである。

 

 

・また次回に。

 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/