THE 肯定's 『HAPPY』
【公式】銚子電鉄「激辛チャンネル」#1 破産寸前〜YouTube始動〜
一つの組織を預かっているというのは、苦心がある。いろいろトラブルも抱えているからである。そして苦情はボキにくる。ま、しかたのないこっちゃ。表にでるというのはそういうことだからなぁ。
しかし、これからはちょっと裏方に徹していこうと思っている。最初からそういう人間だったのだがなぁ。
パンツというか、ふんどしというものはそもそも裏方専門だった。隠れていて、目立たない存在。そうだ、それが唯一の特色だったのだ。そりゃそうだ。下着は見せるもんじゃない。もし堂々と見せていたらそりゃ犯罪だ。
下着のような生き方をしていきたいもんだよん。隠れていて見えないという人間になりたい。
もうなっているか・・・・トホホ
と思って打鍵したが、ボキ、パンツとかふんどし以下の人間かも知れないとふと思った。価値がないってぇことだよ。
実践力もない、ただただ思いついたことをくっちゃべっているだけの壊れたおしゃべりジジイだわなぁ。
思いついたことをダラダラとくっちゃべっているだけ。
論文もレポートもそうだった。だから論文提出の資格なしと評価されたわけだ。中退した某大学大学院で。しかもドクターコースだったしなぁ。
おしゃべりの延長で博士になれるんなら、もうとっくになっていたよ。そんな甘いもんじゃおまへんでっせ。
ともかく(_ _ )/ハンセイばかりである。
謝ってばかりの人生でありましたよん。
これからもそうか。
(_ _ )/ハンセイだけならバカでもできると言われてしまいそうだけど。
BYE-BYE!
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校正作業順調なり。他人が書いた部分までついつい直してしまう(^_^)。しかし、こんなことでもやっていられるだけシアワセというもんじゃよ。オファーがあるだけでも感謝であるから。
考えてみたらセンコー稼業をずっとやってきたから、赤ペンを持つのは習慣になっているのかねぇ。嫌な性格じゃ。一生直ランのかねぇ。やなこった。他人に厳しく、自分に甘いのだよん。話にならん。テメェで書いた文章は、こんな拙ブログ程度のもんだし、実力はもうバレテいるからなぁ。知人の大学教授が言っていたけど、要するにセンコーって嫌な性格になっちまう。重箱の隅をつついて行くのが研究者とか学者だそうだから。もっともボキはそこまでの実力はないから、基本的には子どもを褒めてのばすけど(^_^)。
だから、相手をけなさない。これが親子・兄弟関係だといったん歯止めがきかなくなったらアカン。わかってくれるはずだという甘えがあるから、ドンドンエスカレートしてしまう。はっきり言うのも時と場合によりけりである。
それに、迷いを子どもに言ったらアカン。これは親の方。親父は黙って結論だけ言えば良し。迷いを子どもに見せたらアカン。その結果、子どもに嫌われてしまってもしょうがない。親父の生き方だ。それで良いのだ、それで。
同じような血液とか流れているから性格的にあわなくなっちまうのである。そもそも結婚だって相当違和感があるから惹かれあうのではないのか。性格的にも、考え方も。堅い商売をやっている親から産まれた子どもは、自由人のような、まるっきり遊び人みたいな相手と結婚してしまうしねぇ。親と違う種類の人間に惹かれてしまうのだろうから。
ボキは、可能な限りいろんな人たちと会うようにしている。勉強になるからだ。ただし、いちゃもんをつけられたら黙っていなかった。たとえば、アポ取っていったのにアポ取ってから来い!と命令形で話すアポ基地外。これだけは苦手だった。しかし、それもまたアホなんだからこれからは許容していこう。アポをとっている会話は全部録音アプリで録音してあるので。
わはははっはははっははっははっははっははっはは。
[前編]東京_青ヶ島キャンプ場|絶海の孤島!!青ヶ島で2日間ソロキャンプをした[ゲーム風キャンプ記録][モンベル クロノスドーム2型]
出版社から校正原稿が送られてきた。宅急便である。佐川の方。薄い段ボールだった。事前に連絡をいただいていたから受け取ったものの、その連絡で巻頭言を書いて欲しいと言われてしまった。これは断った。確かに書いて欲しいという理由はよくわかった。でも、ボキは、この土地では流れ者なのである。こういうことができるような名誉ある立場にない。ボキより年長者に譲るべきであろう。そう思ったから即決断。断った。
これで安心した。よそ者が、九十九里の歴史について書いているというイヤミを遮断することが可能となった。実際よそ者だしなぁ。それに居住地近くにある自称進学校を出ているわけでもないし。つまり、ボキが執筆陣に加わっていること自体おかしなことになっているからだ。くだらねぇことである。
それよりもこの歴史書、売れるかどうかという心配がある。高いからだ。ま、そっちの方は販社の営業努力しかないだろうけど。章ごとの解説はボキの文だけでも4つくらいある。結構気合いを入れて書いてみた。なにしろ現代史は難しい。戦争を書かなくてはならないからだ。立場が難しいからだ。
ま、良い記念になったですよ。これからはこんなオファーがあるわけないし。
それにしても、地元に貢献できた。お世話になっている地元である。ちゅ~~~がっこに就職できてからずっとこの地に住んでいるのだから。なにしろ住むところもなくて、ガッコの宿直室に二ヶ月いたのだから。担任した生徒達も未だに拙宅に来てくれる。彼らも還暦近い。変わったセンコーだった。なにしろガッコに住んでいて、そこから朝の学活に通い、放課後は部活動をやり、夜は宿直室で差し入れの飯を食っていたのだから。風呂はなかった。ガッコのプールのシャワーだけ(^_^)。
ありがたいもんである。ボキは、出来が悪かったから、ストレート採用にならなかった。つまり、年度途中の四月一六日採用。前の採用者が千葉県への採用を断ったから、代わりにボキが採用されたのだった。ありがたいもんである。それも八年で、高校の採用試験を再受験して、義務教育とオサラバしてしまった。
妙な担任であった。申し訳なかった。なにしろガッコに住んでいるのだから。こんなこと今なら許されなかっただろう。申し訳ないという思いでいっぱいである。
さよならだけが人生さというサトウハチローの詩もあったなぁ。さよならの繰り返しで生きてきたような気もするからだ。
次にさよならするときは、死ぬときか。
わははっははっはははっはははっははっははっはははっははっはは。
甘えというものがある。これって、血縁関係が近いほどその傾向性が高い。家族や親戚に頼る、甘えが知らず知らず押し寄せる。こりゃアカン。
所詮、親兄弟といっても独立した人格である。子どもに至っては、親の元から巣立ったら後は放っておくこっちゃ。ホントに困ったらアドバイスもしてあげたら良いだろうけど。
結局は独立して一人で生きていくしかないからである。ボキは、マジにそう思う。18歳で苦学を始めてからそういう覚悟ができちまったのだ。誰も頼るべき相手はいないし、テメェで飯を食っていくしかなかったからだ。幸い、朝刊と夕刊を配れば、新聞店で飯を食わせてくれた。ありがたかった。これが一番ありがたかった。充実もしていた。テメェで生きているという感触があったからだ。
この体験がボキを変人にしてしまったのだろう。でも、悔いはない。得がたい体験をさせてもらった。頼るべきはオノレ一人であるからだ。独行道というのが宮本武蔵にある。井沢元彦氏が紹介している。ボキの好きな格言がいっぱいあるからこれを眺めてはため息をついている。
宮本武蔵 独行道
(現代語訳 井沢元彦氏)
- 世の中のさまざまな道に背いてはならない。
- わが身の楽しみを追い求めてはならない。
- どんなことにもそれをたのみにする心を抱いてはならない。
- 自分中心の心を捨て、むしろ世の中のことを深く考えるように。
- 一生の間、欲深いことを考えてはならない。
- 一度したことについては後悔をしてはならない。
- 他人の善悪について嫉妬してはならない。
- いかなる道についても(おそらく人生、つまり愛する人との別れ、あるいは肉親の死なども含めて)、別れを悲しんではならない。
- 自分のことについても他人のことについても、不平を言ったり嘆いたりしない。
- 恋愛には感心を抱くな。
- 物事に好き嫌いを持ってはならない。
- 自宅を豪華にしようという心を持ってはならない。
- 常に身一つ簡素にして、美食を好んではならない。
- 代々伝えていくような骨董品を持ってはならない。
- 体にこたえるような飲食、つまり暴飲暴食や無謀な行動をしてはなはらい。
- 武具については特別な物を好んではならない。
- 自分の道を貫くためには、場合によっては死に向かうこともあるが、それを避けてはならない。
- 財産を貯えたり宝を持ったりしてはならない。
- 仏や神は貴いけれども、これを頼りにしてはならない。
- 自分の命が危険にさらされても、名誉心を失ってはならない。
- 常に兵法の道から離れてはならない。
スーパーボランティアの尾崎春夫氏は、実に良い。オトコの中のオトコだ。思い切りが良い。それにちっとも威張っていない。この御仁は妙好人だ。行動基準の見事な御仁である。カントのいうところの。たぶんだが、宗教的な行動基準は無いのだろう。宗教臭さがないからだ。
魚の修行がしたいと言われて、大分から下関と渡り歩いて、神戸に来られる。そして、つてもなにもないのに、いきなり大きな魚屋に弟子入りする。そのときに、魚をさばいてみせる。入社試験みたいなもんだ。そして見事に合格する。実力があるからだ。
修行なのである。それまでがである。
合点がいった。なるほどである。それまでの経験が生きていたからだ。しかも、あまり遠くを見ていろいろ考えていたのではない。目の前にある仕事を丹念にやっていただけである。それが実力を養成していたのである。
人生のコツを教えていただいたような気がした。昨日の動画を拙ブログにアップしてあるが、この動画は初めて見た。
まさに、スーパーだよ。マスコミがおもしろおかしく取り上げたから、虚像が進行しちゃった。だから、尾崎春夫氏には逆に不幸だったと思っているのだが。
虚像に浸潤されてはならない。そんなのはあくまでウソであるから。だから、今なにをやっているのかという観点から考えるべきであって、昔なにをしていたのかということは考えちゃいけねぇのである。
ボキの一番嫌いな言葉が「元*****」という単語であるから。
そりゃ元*****とか言っていたら楽だろう。考えなくても良いからだ。その一言でだいたいの傾向はわかるから。ボキは、いろんな会議に呼ばれる。そして、自己紹介をせよとなる。ボキ、7つもバイトやっているから何を言えば良いのか戸惑ってしまう。しょうがないから、その時々で違うのを紹介する。そして司会が「元*****」ですもんねと言う。一番言われたくない言葉である。嫌いだからだ。元*****というのが。
今やっていることが気楽であるから。
さ、けふは病院に行く。腰の、である。そうだ!ボキは、「今患者」なのだ。
わははっはははっははっはははっはははっはははっははっはははは。
【聞き惚れる漢の人生!】スーパーボランティア尾畠春夫さん×アイム今村社長スペシャル対談
情報を知る、あるいは起きていることの価値判断をするってぇのは、アタマでやる。目でもやる。しかし、それが本当の意味で真実を認識しているのかとなると怪しいもんである。真の姿を知らないで、ワレワレ凡夫は判断しているのではないのかと気がついた。したがって、夫婦といえども価値判断は同一なのではない。親と子どももそうだ。いつも同じ方向をむいているのではない。方向も価値も判断もみんな違って当然である。
唯識のレポートを書いていてそう思ったのである。唯識は、難しい。五十代のころ法相宗の総本山興福寺にお参りして僧侶に質問したことがあった。マスターするのに何年かかりますか?って。そしたら真面目に答えてくださった。出家して最低でも八年と言われた。即刻断念した。できるわけない。ボキごとき凡夫に。
NHKの宗教の時間に出ていらした横山紘一先生に質問したこともあった。現在在籍している通信制大学院の正門の前で、先生と一緒に日本酒を呑んでいたときのことである。もう、ボキはかなり酩酊していた。まだ五十代であった。学会のセミナーがあって、先生の講義を受講していたからであった。しかし、会話の内容は覚えていた。それからが無明の世界へのスタートであった。唯識と能というテーマで、ドクターになりたいという大それた希望をもっちまったからだ。
なれなかったけどねぇ。能力もなかったし、その代わりに病気になっちまったし。
甲羅に似せて生きればよかったのである。あまりにもムリしすぎた。
なにを考えていたのだろうと、いつも(_ _ )/ハンセイばかりしている。
それにしても話にならない。安易な方向にばかり行ってしまう。これが大型オートバイに乗っているときは、そうでもなかったのだから笑ってしまうではないか。バイクはいい。全部テメェで考えて、一人、道をひた走るしかない。だいたいの道と方角を決めて、アクセルをひねるしかない。ケツも痛くなる。かえってその方が、生きている充実感があった。そういう時代、年齢だったのだ。
いつまでも若いと思っているわけではない。ただのジジイである。それなりにトシをとってきた。体力もない。
ま、良いか。
後はクソして寝るだけの生活だ。
わはっはっっははっははっははっはははっははっははっは。