日々を楽しもうではないか。やり残すことのないように。死ぬときに、ああああああと思い出していたら悲劇であるから。執着くらいミットモないものはない。
昨日は、孫(五ヶ月)と一緒に過ごしていた。抱っこして、日向ぼっこをしながらである。かわゆいものである。こんな余生が待っているとはねぇ・・・ありがたいことである。
ジジイにはジジイなりのタノシミがある。孫との遊びもそうだ。
これをである。アンチエイジングとか自称して、オノレのことをジジイと言わせないとかバーチャンと言わせないのがいる。いつまでも若いままでいたいという執着のなせる業だ。まさしく悪業である。みっともない。いつまでも若いままでいられるわけがないではないか。アホカイナと思っている。死ぬのを忘れているからである。誰でも死んじまうのである。それを拒否している。拒否したって、死ぬときは死ぬのである。永遠の若さはないのである。
そういうヤカラに限って、他人との年齢の差を気にして、先輩風を吹かせる。まだ若いではないかとボキなんかに言うのである。バカバカしくてつきあっていられない。
アホとはつきあわないのがボキの主義である。時間コストがもったいない。
つきあわないのであるから、ハラも立たない。そんなヤカラからは学ぶものはなんにもない。ただ年をとってきたということだけが唯一の自慢噺でしかない。あるいは退職したのに、仕事自慢しているアホ。
いかにオレは、アタシは有能だったかという観点しか人間を見る事ができないのである。かわいそうだと思ってしまう。
再就職も良いが、定年前と違う仕事にチャレンジするのもこれまた面白い体験がたくさんできるのである。これは今のボキがそうだからである。
若い人がたくさんいるし、そういう方々に学ぶことができる。英語の達者な人もいるし、独居老人で海外旅行にばかり行っているのもいる。そういう方々と話をするのもホントウに勉強になる。
周囲の方々すべてが師匠なのである。
オノレ一人がエラそうにふんぞり返っていたら、人間のクズである。
そういう徹底した人間観を持った方がよろしい。
ま、ボキだけがそう思っているというだけなのかもしれないがねぇ(^0^)。
今日も天気が良い。朝から晴れている。
桜も見事に咲いている。
歩いて桜を見て一日を過ごすつもりである。
図書館にも行くけど。
パソコン抱えて。
やることがあるだけシアワセである。
死んだら、やりたいこともなくなっちまうではないか。あ!・・・あのことも、このこともやり残したというのでは、ますます慚愧の思いにとらわれる。
日々を楽しもうではないか。
わはっははははっはははっははははっははは。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ